王書   作:につけ丸

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059:累卵之危

 

 トルコ南部アダナ。その荒野に──ユランカレという古城はあった。

 

 晴天のもと、古城ユランカレの部屋でオーク材の椅子に腰掛けなら穏やかに俗世の書物に目を落としていた『まつろわぬ神』は、傅く者たちが用意したらしき紅茶の入ったティーカップを置き、パタンと本を閉じた。

 ふわりと幾重も重なった神々しい翼が揺らめく。ついっと優雅な動作で顔を上げるのと扉が勢いよく開かれるのは同時だった。

 

「君に会うのは一月ぶりになるか。どうしたのかな? 君には飢えた人々への施しを申し付けていたはずだが」

「も、申し訳ありません!」

 

 来訪者は彼にとって既知の者。元気の良い声で満面の笑みを浮かべなら近づいてくる少年はジズだった。

 これ以上ないほど爛漫な笑みに天使もまた応えるように見る者を心を落ち着かせる笑みで返礼とした。

 

「で、ですが! どうしても天使様にお会いしたいと言う人が居て……!」

「なるほど。いや、そう言った事情があるなら構わない。君の信心深さには私も感じ入るものがある。これからも変わらぬ信仰を捧げてくれたまえ」

「……はい! あなたが奇跡を起こして私を救ってくださった時からずっと、あなたは私の救世主です」

 

 偉大なる神の使いお敬虔な信者との神聖にして犯すべからざるやり取り。見るべきものがこの場に居れば斯くありたいと心打たれ羨望にに焦がれただろう一幕。

 今この時だけは『まつろわぬ神』と彼を崇拝する少年、二人だけの時間だった。ジズは己の幸運に感謝しながらこの上ない至福に身を委ね……

 

「───ところで、私の後ろにいる彼が件の人物かな?」

「え?」

 

 

「死ね」

 

 

 ──ッ轟!!!

 

 

 簡潔な声が投げ捨てられると同時、古城ユランカレの頂上部分が派手に吹き飛んだ。

 下手人は勿論、祐一。体得した心眼と縮地法で一気に背後を取った祐一は、全身全霊の一撃を叩き込んだのだ。凄まじい衝撃を受け止め切れなった城は頂上部分を中心に崩壊していく。崩壊にあわせ濛々とけぶる煙を振り払って現れたのは太陽さながらの輝かしい天使。さらに先刻の奇襲による手傷は皆無であった。

 それどころか片腕には只人であるジズすら抱いて、助け出すほどの余裕さえあった。

 轟音とともに崩壊するユランカレを仰ぎ見ていた民衆は、奉じる天使が少年を抱え降り立った事に困惑の色を隠そうとせず──数瞬遅れて現れた黒い少年の登場に瞠目する事となった。

 

 コイツが『まつろわぬ神』か。

 

『まつろわぬ神』を改めて視界に入れると同時、殺意が噴き上がった。戦意ではない。殺意のみが果てしなく横溢した。拳を握って、奥歯を噛む。もはや彼は何も視えてはいなかった……眼の前の『まつろわぬ神』を置いて他に。

 輝かしい天使もまた突如奇襲を仕掛けてきた者の正体を看破していた。だが殺意を滾らせる祐一とは対照的に、あくまでも穏やかな姿勢を崩すことは無い。

 

「この悪しき気配……君が噂の"神殺し"と言うものなのかな。この岩漿のごとき荒ぶる闘気、なるほど言い得て妙だと言える」

 

 ささやく優しげな声。だが不思議とその場にいるすべての耳に余すところなく届いた。悪しき気配……奉ずる御方がそうおっしゃったのは両の耳が捉えていた。ゆえに今現れた存在は御方の敵であり、ひいてはここに居並ぶすべての者たちの敵でもある。

 だがあまりにも異様な少年の登場は、民衆を例外なく凍り付かせてしまった。例外があるとすれば……

 

「───騙したなっ!」

 

 いの一番に上がった声……その声はいまだ成熟にするに到っていない少年のものだった。以前は盲目だった少年……だが今はしっかりと立ち上がり平凡となるほど快癒した少年の。

 声を張り上げると同時、ジズはひどく拙い動作で手のひらにあった石を投げた。投擲された石が放物線を描いて、凶兆の化身さながらの少年に命中した。

 ツゥ、と陰気な少年のこめかみから赤い一条の雫が零れた。血であった。人の。理外の存在ではないと言葉なく物語る、赤い色をした血だった。

 

「出ていけ悪魔!」

 

 少年が叫ぶ。その言霊は今まで気後れしていた民衆の枷を取り払う呪文に等しく……ハッと我に返った神父が声を張り上げた。

 

「怖じ気づくな! 御使いさまは彼奴を悪しき者とおっしゃった! ならば我々の敵も同義であるッ! 勇気ある少年に続け!」

 

 音頭を取った神父の声は大義名分を与え、そして悪しき存在への躊躇を消し去った。悪しき存在へ石は当然として腐った果実に大きな木片……はたまた矢まで飛んでくる始末。あらゆるものが投げつけられ、傷付け、汚しされていく。

 

「神父様とあの子の言うとおりよ! 出て行きなさいよっ!」

「この国に何しに来やがった悪魔め! お前が居て良い場所なんてどこにもないんだぞ!」

「消えちまえ! お前はここには居ちゃいけねぇ悪魔なんだよォ!」

 

 口汚く罵る民衆。彼らはこの行為こそが正しいと信じて疑わなかった。当然だろう、この行いこそ紛うことなき正義なのだから。しかしそれでも薄汚れた復讐鬼はただ一点を見据えていた。仇敵たる存在……ただそれだけを。余計なものなど眼中に収めていなかった。

 随分と見窄らしくなった祐一を睥睨し、民草に向けるものと同質の微笑みを浮かべる天使。

 

 

「私の民が失礼した。名乗りは必要ないようだな、私も興味はない。では、はじめよう……君からの勝利を主へ捧げるために。我が大願成就のために……」

 

 

「神は……殺すッ! 俺が、すべてェ──ッ!」

 

 

 さぁ、開戦だ。火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 ──初手は祐一でも天使でもなく、一台のトレーラーだった。

 無人のトレーラーがぐるりと囲む民衆をかき分けるように猛然と突き進んできたのだ。祐一を排除せんと誰かが動かし、直前で飛び降りたのがチラリと見えた。直進するトレーラーは進行方向にいる人垣を裂いて祐一に迫る。

 けれど、祐一の心にさざなみすら起こる事はない。迫りくるトレーラーも、悲鳴を上げる人々も、なんの揺らぎももたらす事はなかった。ただ、良いものが見付かった、そんな思考が浮かんだけ。

 

「力ぁ貸せ、『雄牛』」

 

 次の瞬間、『雄牛』の怪力でもって突っ込んできたトレーラーを片手で受け止めると、そのまま上空の天使へ───投げ飛ばした! 

 数十トンを超える大質量が大力によって投げ飛ばされ、今度は天使へと牙を剥く。祐一にとっては大型トレーラー程度どうという事はなく、路傍の石程度の価値しかなかった。

 だがそれは祐一と同格、あるいはそれ以上である天使もまた同じ。緩慢な動作で右手を横に振れば、天使の身体にたどり着く前にトレーラーが──蒸発してしまった。

 

 天使の右手を見遣れば空間をゆらゆらと揺らす()()()()。あれがトレーラーを灼いたのだ。

 

 なんだ? 透明な炎……いや、剣……? 

 数十トンはあった鉄塊をまたたきの間に蒸発させたものの正体は超常の戦いを潜り抜けてきた祐一でも見通せなかった。ただ、あの()()()()を見て取った時、かすかに右腕が疼いたのを確かに感じていた。

 

『警戒せよ。あれは『鋼』すら融かす灼熱の剣……触れれば如何に頑丈なおぬしとて塵も遺さず燃えさり消える。何処ぞの神かは知らぬが厄介なものを持っている』

「叢雲、起きたか」

『うむ。おぬしの昂ぶりによってな』

「今、お前"剣"って言ったよな。やっぱり剣なのかあれ?」

『然り。少なくとも神刀たる鋼の(オレ)に近い代物なのは間違いない』

 

 分かった、と頷いて表情を引き締める。

 

「倒すぞ」

『応』

 

 短く意志を固めて一歩を踏み出した瞬間だった……出鼻をくじかれたのは。

 

「倒、す? 私を? …………フフ、可笑しなことを言うな君は。ただの贄であると言うのに」

 

 天使が柔和な微笑みを絶やさずのたまったのはそんな言葉。ハッと空を仰ぎみれば、天使が両翼を太陽さながらに輝かせていた。警鐘がワンワンと右耳から左耳へ駆け抜けていく。

 激情に呑まれ無策に攻め入った己を悔い改めなさい。これが愚かさの報いです───。

 ただのささやき声……けれどひとひらの言葉が紡がれるごとに"威"が"重さ"が加速度的に増していく。直後、ガス栓を抜かれたように力が抜け膝からくずおれてしまった。

 

 なんだ!? 呪力が一気に目減りした!? 

 

 内包する呪力が底の抜けた桶のごとく減っていく。未知の減少に混乱する祐一の視界に天空で変わらずゆったりと佇む天使が収まった。ただ一つ、異なっている点は天使の薄く見開いたまぶたの隙間から紅玉の輝きが二つ覗いている事。あれが祐一の呪力を奪った原因。魔眼、霊眼、邪視……そう言い表される権能をあの天使は持ち得ているのだ! 

 

「私は数多の神敵を滅ぼした破邪の光……その威光をもってすればあらゆる邪悪は力を失うのは道理。そして億千万の瞳もまた持つ私には手に取るように分かるぞ……君の弑逆した者が」

「なに……?」

「フ、君に弑逆された神はどうやら我が遠い同胞、いにしえの私とも主従にあったようだな。なら……」

 

 不吉な言葉を呟いた『まつろわぬ神』に、問い返す暇もなく立て続けに天使はアクションを起こした。それは決して祐一にとって吉兆であるはずもなく。

 叫んでいた、直感が。決定的な何かを放つと、神殺しとしての戦場感が! 祐一は咄嗟に()()を回避しようとした……けれど叶わない。言霊は放たれる。

 

「我が意志、我が(イコン)、至高の神告に従い、世に奇跡を為せ。原初の輝きよ──悪徳に堕ちた正義を呼びもどせ」

「ぐぉ……ッ!」

 

 翼の輝きがいっそう強まった。驚愕する暇も、抵抗する隙もなかった。今度は『雄牛』が……いや、ウルスラグナの権能そのものがスイッチを切ったように微動だにしなくなったのだ! 

 なんだ! なにがどうなってやがる!? 常に傍に感じていたラグナとの繋がりさえ希薄になった状況に、祐一は混乱の極地へ叩き込まれた。

 

「テメェ! 『雄牛』とラグナに……俺のモンになにしやがったァ!?」

『言霊で権能を封じたのだ! 相応しい権威と威光を持つ『神』であれば今のような芸当は可能だ……おぬしの『智慧の剣』の如くに───祐一!』

 

 相対する敵手は怨嗟の声を上げる余裕さえも与えてくれはしなかった。右手を上げ、振り下ろす。それだけの動作で祐一の全神経がぞわりと逆立ち、直後、あの透明な()()()()が高速で降りそそいだ。

 四の五の考える暇もなく駆けだして、だがやはり追いつかれた。直撃する寸前で直感のままに水路へ飛び込んだ。どうやらその判断は間違えていなかったらしい。

 大量の水に()()()()が触れ、いっせいに気化した水は大爆発を起こす。水蒸気爆発が起きたのだ。当然、祐一も吹き飛ばされたが直撃は避けられた……ゴロゴロと無様に転がり火傷まみれの泥まみれになりながらクソったれッ! と吐き捨てて頭を振る。

 甘えていた自分を殴り殺して、強い自分をたたき起こす。怒りに濁っていた双眸に、戦意に燃える烈火の意志が灯った。

 流転し続ける戦場に目が回りそうになるが、ただ確かな事は天使の紅い瞳と輝く翼がなにがしかの力を放って己を窮地に陥し入れたのだと悟った。それによって呪力は抜かれ、ウルスラグナの権能は使えないこと。そしてもう一つは『戦士』の時のように奪われた訳ではないこと。……それだけは救いだった。

 

「我が剣と遊んでいなさい。私は君にかかずらっている時間はないからな。……だが死なないでくれると助かる。君の()()はこれより行われる儀式に必要なものなのだから」

「おい! なに言ってんだどこへ行く!?」

 

 結局、黄金の羽根持つ天使は問いに答えることなくどこかへ飛び去ってしまった。待てっと追おうとした祐一に、かげろうの剣が音もなく振り下ろされた。直撃は避けたが、ふたたび爆発。

 

「またかよォ! あぢぢぢっぢっぢぢッ!!!」

 

 今度は街の一角ごと盛大に吹き飛んだ。当然、祐一も為すすべなく巻き込まれた。

 けれど、戦場運はまだまだ尽きてはいないらしい。上空へ放り投げられた祐一の視界に、共に打ち上げられたらしき一台のバイクが目に入った。

 あれだ! 膝打って空中遊泳し、ハンドルに手を掛ける。黒で統一されたネイキッドタイプのバイク……ホンダ謹製のホーネットに乗り込む。日本から遠く離れたトルコでもHONDA車は流通しているらしい。爆発の影響か、かなりの損傷だが原型さえ残っていれば問題はない。

 

「掌中の珠も砕け散った! 血まみれの肺腑は地に落ちた! 万物万象は四散し、世界の箍は弛んだ! さあ、無秩序を齎そう!」

 

 役目を終えようとしていたしていたはずの無機質な機械が、命を吹き込まれたように駆動音がうねって雄たけびを上げる。鍵なんて必要ない。いや、言霊こそが権能こそが鍵なのだ。ハンドルに触れた瞬間にあらゆる知識が降ってきた。『駱駝』や『戦士』を行使した時と同じく。

 息を吐くように爆煙さながらの排気ガスがマフラーから噴出し、目を覚ましたようにヘッドライトに光が点る。ブォンブォン! とアクセルを回せば、空中という道なき道を疾走しはじめた。

 これこそ祐一の所有する大王チンギス・ハーンから簒奪した第二の権能『 聖武帝の稜威(domination over the world)』である。

 爆発による粉塵の嵐を裂いて、一気に脱出する。巻き起こった砂塵が素肌には不快感だった。やはりこの権能、速度と機動力に関しては無類の強さを誇る。()()()()はなおも追跡して来るが、追いつけない。

 右手は右ハンドル、左手には黒刀を握りしめそのまま切り抜けた。けれど決してその厳めしい表情を解くことはない。

 視界が拓け、見えた景色は異様であった。先刻まであった平和な姿はどこにもなかった。

 あたりはまだ昼だと言うのに夜闇が至るところに顔を覗かせ、先刻まで中天で輝いていたはずの太陽が消え去っている……否、太陽は以前変わらず空に鎮座している。

 

 だが太陽から放たれる光は世界を照らすことなく、地上に集束している。

 

 場所は天使がいた古城だ。

 あのユランカレという城のそばで、まるでたつまきのように一本の()となっていた。

 

 それを為したのは間違いなくかの天使。柱の中心にてその気配を感じ取った。

 

「光……いや、違う。熱が奪われているのか、あの天使に?」

 

 祐一の言うとおりだった。家々の屋根や欄干に目を走らせれば、まるで冬至が唐突に訪れたかのようにそこかしこで霜が降りはじめ一帯を覆い尽くそうとしていた。確かに季節は十一月で冬が近づいている季節だ。下降気流が起きたか氷河期でも現れたようなこの寒さはあり得ない。 

 だからこそ祐一は思い至ったのだ。天使は「光」だけでなく「熱」さえも奪っているのだ、と。やはりあの『まつろわぬ神』も慈悲深い奇跡を齎す存在では決してない、祐一は奥歯が砕けそうなほど噛みしめた。

 

「あいつ……あんなもんを集めて何をやるってんだ……?」

『知らぬ。が、あの集束している場所に燻る気配は神の新生……神が生まれる時の気配に似ている』

「神の……?」

 

 叢雲からの応答はなかった。彼も判らないのだ……あの黄金の天使が何をしようとしているのか。スキール音を鳴らして屋根づたいに飛び移ってホーネットを疾走させる。

 地上に近づいたことによって街の様子はよく見えた。熱はありとあらゆるものから奪われていた。つまり、祐一は神殺しとして抵抗力があるため何ら変わらず活動できるが……どうやらただの人間たちはそうではないらしい。おびただしい数の人間が、そこかしこで蹲って苦悶の表情を浮かべながら凍り付いている。

 

「……………………」

 

 けれど祐一はすべてを無視して駆け抜けた。何万人の人間が寒さに凍り付こうと、凍える子供が倒れていても、勝てばいいと……そう言い聞かせて。

 ───ブォオオオオンッッッ!!! エンジンを一気に吹かして走り出す。

 ここで考えてても状況は変わらねぇ! なら中心に行くしかねぇだろ! 戦いで沈思黙考するなど愚の骨頂だと判っていた。だから祐一はふたたび空を飛翔し、神速で渦中へ向かう。

 予想に違わず竜巻……いや、焔の柱は凄まじかった。まだそこそこの距離があるというのに高い耐性をもつブレザーがちりちりと焼けはじめていた。だからなんだ! 眼球の水分が急速に失われようとカッと目を見開いて、怯むことなく前に進んだ。

 

「永生たる天空の蒼より降りし誇り高き狼よ! 我が手足となり、我が道先を示せ!」

 

 言霊を放って、呪力を燃やす。エンジンの駆動音をかき鳴らし、排気ガスが吹き上がる。

 この権能は騎乗という点において常識ではありえない速度や技量をもたらす……つまり走りさえしていればどこまでも加速できるのだ。

 祐一は加速した。柱を中心にして円を描いて流星のごとく。猛禽よりも軽快に、そして雷光の如く素早く。その範囲は一周するごとに外皮を削るように狭まっていき、速度も危ういほどに跳ね上がる。ジェット機なんて目じゃない速度によって生みだされた衝撃波が街へ落ちては余波をもたらす。窓ガラスはすべからく割れ、街灯も弾け飛ぶ。

 遂になにものも視認できない一条の銀閃となり───今! 己が出せる最高速度に達した瞬間、『まつろわぬ神』のいるであろう橙の柱へ突っ込んだ。

 神速での突撃というシンプルだが強力な一撃。

 大きな溜めが必要という欠点はあるが祐一が現状放てる最強の一撃は隕石が衝突するエネルギーにも匹敵し、柱ごとあの天使を磨り潰そうとする。

 だが……

 

「ぐああっ!?」

 

 柱を眼前にすると途端に温度が跳ねあがった! あまりの熱量に思わず悲鳴を上げる祐一。摂氏一億℃はあるという太陽フレアにでも巻き込まれた熱さは、いかに祐一でも耐えがたく堪らずハンドルを切って、空の彼方へ身を投げた。

 けれど、その判断は間違ってはいない。なぜならあのまま突き進めば肉体は跡形もなく燃え尽きていただろうから。現に柱の方へ突っ込んだバイクはドロドロに溶解してしまっている。それこそ()()()()に灼かれたトレーラーと同じように。祐一も無傷では済まなかったブレザーは焼け焦げそこかしこに穴が開き、顔半分が焼け爛れて眼帯が落ちた。

 失敗した……。畜生、どうすればいい!? 

 落ちた眼帯を握りしめ、ジクジクと絶え間なく痛みを送ってくる痛覚を無視する。こうして手をこまねいている間にも状況は刻一刻と変化していくのだ、かまってられない。

 今もまた新たな現象起きた……空に鳥のような(イコン)が浮かび上がる。それだけではない。見れば橙に輝いていた柱はさらに変遷していく……夕刻のあたたかな橙から底冷えするような蒼へ。

 そして天高く立ち昇っていた柱は球体へと形を変え、それはさながら蚕の()ようで、円形に形作られた()のようで、途方もない焦燥感が背中を舐めた。

 危険だ、危険だ、危険だ。警鐘が鳴り止むことはなく焦燥感に知れず拳を固く握りしめていた。

 そもそもあいつは何の『神』なんだ? 

 疑問がゆらりと落ちてきた。無色透明のかげろうの剣、呪力を奪う瞳、ウルスラグナの権能を封じる言霊、何十もの翼持つ天使……。点としての要素は浮かべど線となることはなく、答えは遥か彼方にあって見えることはない。

 こんな時におっちゃんがいれば、答えを教えてくれたのだろうか。寿とラグナが居ないこの状況は両腕をもがれたも等しい気持ちだった。

 知らずのうちに噛んでいた指から血が流れた。焦燥感ばかりが背筋をつたわる。熱波だけではないひどい喉の渇きを覚えた。

 

 どうする……。いまだ打開の糸口は見つからない。

 

 

 ○◎●

 

 

 ───人類に残された時間は限りなく少ない。

 とある『まつろわぬ神』がその確信を得たのは地上に顕現してすぐのことであった。地上に現れてより、己がもつ見えぬ者なしの眼で世界を俯瞰し、得た情報は惨憺たるものだった。

 ……暗黒の深淵におとされたサタン、静謐な雷光を騒擾するベリアル、昼を弄ぶ黒衣の混沌王……世に知られた悪魔どもが跋扈するなんともおぞましく暗澹たる晦冥の世界。昨日までは牧畜が草を食んでいた豊穣の地も、日を跨げば災禍と死屍に埋め尽くされ鬼哭啾啾とした大地へ様変わりする惨状に、滅びの時は近いと確信を持って言えた。

 そして地上に顕現し、この窮状を打開する策を求めていた時"啓示"は訪れた。──騒乱を鎮める『救世主』を呼び、災禍の息の根を止めよ、という啓示が。

 

 それからずっと頭蓋のすみにこびり付いて踊る『救世主』の文字。お前が暗黒の時代を迎えた世界の露払いをせよ、という世界の言葉に他ならないと己が此処に遣わされた理由を識った。

 ならば疾くいにしえの冠を捧げ、あの御方を招聘せねばならない。そう『まつろわぬ神』は……黄金の翼もつ天使は独自する。

 その為には『火』が必要であった……かつて光明の盟主であった()()()たる『火』が。──しかしそれも揃った。ならば、いまだ周囲で鬱陶しく舞う羽虫を焼き払い、いと高き方のもとに昇る狼煙を上げねば。

 

 破滅の時は、刻一刻と迫っていた。

 

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