王書   作:につけ丸

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066:黒曜石の戦士

 祐一との勝負で最も強い戦士が負けた彼らは、これは敵わないと大人しくお縄となった。あとは、ここら一帯を治める支配者であり護堂の義姉である白蓮王の裁定を待つ事となるらしい。

 とはいえ件の白蓮王は世俗にはあまり興味を示さない人物らしく、攻め入った彼らも元はこの町の住人という事で、ひどい沙汰が下されることはないだろう、というのが大方の見方である。

 酷い沙汰が下るようなら義弟たる護堂も口添えしてもいいと言っていて、命を奪われることはほぼないという。

 とりあえずは当面の間、町のために働く事になるだろうが、ゆくゆくは町に住む事を許されるだろうとの事。

 そんなこんなで、護堂と祐一を交えた新旧の街の有力者による話しがつく頃にはもう日はとっぷり暮れていた。祐一たちが家を出るとメインストリートの先にある街の中心では何やら篝火が焚かれ、人だかりが出来ていた。町の人々と元賊たちが一緒になって、食事の準備やら飾りつけやらをしている。なんだなんだ、と祐一が小首を傾げた。

 

「あれ? なんかやるんですか?」

「あの人たちも元はこの住民だからな、もうわだかまりはないって喧伝するためにもこっち持ちで祭りをするんだよ。というか祐一、お前話を聞いてなかったな?」

「意識が落ちないでいるのに必死でした……へへ……」

 

 活発闊達常時落ち着きのない少年である祐一にとって長時間椅子に座る行為は、石抱をさせられるに等しいらしい。護堂が白い目で見てくるので、咄嗟に目をそらす。性根は真っ直ぐではあるが真面目ではないのが祐一という少年であった。

 

「お、戦士様が来なすったぞ!」

 

 どうやら顔を憶えていたらしい住民や元賊たちが、祐一が顔をのぞかせた途端わらわらと寄ってきた。そこには恐怖や隔意はどこにもなくて、純粋に優れた武威をもつ戦士への称賛だけがあった。あえなく掴まった祐一は、抵抗する間もなくもみくちゃにされてしまった。

 それからどれほどの時間が経っただろうか。盛大な歓待をうけてヘロヘロになった祐一がふらふらと護堂の元に来たのは祭りが一段落して人もまばらになりはじめた頃だった。

 護堂が座る場所はあまり人の目に入らない場所で、狭い広場でも根気よく探さねばならなかった。篝火の明かりと闇夜とが交互に入れ替わるような場所、そこに護堂はいた。

 祐一が近づいてくるのに気付いた護堂が手元にあった青銅の器を放った。難なく受け取ると、隣にどっかと座りこんだ。

 

「つ、疲れたぁ……」

「はは、だいぶお疲れみたいだな。遠目から見ても熱烈だったしな」

「おもしろがってますね……というか護堂さんも巻き込めばよかった。俺と同じくらい強いって言えば、みんな寄っていったはずだし」

「はは、残念だったな。でもお前よりはこういう経験はあるからな、流し方や、壁の花になるのは得意なのさ」

「年の功ってやつか」

「うるさいぞ。ま、それにお前はきっとカリスマがあるんだろ……人が、放っておけず何故か見てしまって気にかけてしまう何かがさ。あの一騎打ちの時もそうだったし、俺だったらあそこまで派手にやれてないと思うぞ」

「はぁ、そんなもんですか」

 

 ぼんやりと言葉を返すとそこで護堂は言葉を切った。二人して原始的ではあるが十分酒精の含まれた葡萄酒を呷って、注いでは返す。夜風に火と影が揺れている。

 横目に見る護堂は笑みを滲ませていてひどく年の離れた人物に見えて仕方なかった。この人はどんな旅を歩んできたのだろう……ふと気になった。先達のカンピオーネとは聞いているし、結婚もしていて子供もいるらしい事も聞いた。

 だけどこの人が一体何歳で、どこで生まれて、どういう経緯で神を殺したのか、家族がいるならなんでこんな所で一人旅をしているのか、考えれば考えるほど謎は多く、答えが見つかる事もなかった。そしてそれを軽々に尋ねる事も憚られた。

 

「記憶はまだ戻らないか?」

 

 旅の道連れに思いを巡らせていると、篝火に照らされ橙に賑わう町を見ながら件の道連れがぽつりと問いかけて来た。

 突然の問いに、反応が遅れる。思わず持っていた杯を落としそうになって落ち着きのない奴だな、と笑われてしまった。篝火で顔を照らされた顔はどこか既視感のあるものだった。

 

「えっと、まだみたいです。……でも、偶にぼんやりとした記憶が浮かんでくるんです。昼間だって戦う直前に、俺の見た事ない景色が出てきて……剣を握った事なんてないはずなのに、なんだかとても馴染みのあるものような気さえして……」

「ああ、それで呆けてたのか」

「っスね」

 

 問われるままに答えながら、昼間の失態、というわけではないが不意を打たれた訳を話す。少し前から気になっていた事を、せっかくだからと訊いてみる。

 

「俺って、本当に神を殺したんすかね?」

「は? なんでそんな事を聞くんだ?」

 

 どうやらその質問は不意打ちだったらしい。素っ頓狂な返事が返ってきた。質問を質問で返されながら、ポリポリと頬を掻きつつ口を開く。

 

「確かに変な記憶もあるし不思議な力があるのも感じるんスけど……でも人に言われて"はいそうですか"って納得できないっスよ」

「そういうものか」

「権能ってのもあやふやだし、記憶もあるんだかないんだか、とにかく確固たる何かがある訳じゃない。だからけっこー疑問なんすよ」

 

 そんな問いに護堂は何がおかしいのか、クツクツと肩を揺らして笑いはじめた。夜は音がよく響くと言うが、護堂の笑い声を聞いたのは祐一だけだった。

 

「祐一、お前って頭空っぽみたいで実はめんどくさいやつだろ」

「えぇっ?」

「まあ、あれだよ。たぶん他のカンピオーネ連中ならお前と同じ状況でも、なんだかんだ受け入れて、疑いなんてしないだろうからさ」

「そういうもんですか」

「少なくとも俺の知ってる奴らはな」

 

 でも、そうだな……。笑みを柔らかいものに変えた護堂は、今度は空を見上げた。一緒になって見上げた空は、篝火に負けない星の輝きが瞬いている。良い夜だ。

 

「お前は間違いなく神を殺してると思うぞ」

「どうして?」

「そりゃあ勘だ……ってそんな顔するなよ。なんていうんだろうな、俺が思うのは、お前に負けん気やずば抜けた強い意志があったから、だな。だからお前は神を殺したんだなって確信したのさ」

「負けん気に意志、ですか?」

「ああ。その二つはな、俺が『まつろわぬ神』を初めて弑した時に欠かせないものだったんだ。奇跡や偶然ってのも多分にあった。

 でも、そいつがないと俺は()()()の呪縛から逃れる事は出来なかった。最後の最後で踏ん張れずそこで終わってただろうからな」

「あいつって?」

「俺が初めて弑逆した神様だ。……だから俺は確信を持ってる。ま、意志だけじゃなく力や知恵に機転、幸運に度胸と根性、どれも欠かせないものなんだけどな」

「プッ、なんすかそれ」

 

 護堂の滅茶苦茶な理論にたまらず吹き出してしまう。屈託なく笑う祐一を視界に収めながら護堂は口にはしなかったがもう一つ、彼をカンピオーネだと確信させるに足るものがあった。

 

 カンピオーネになる者は良くも悪くも頑固者だ。その強固な精神や考え方がカンピオーネになった()()で早々変わるものでもなく、また元来の性根はもとよりその悪癖もまた引き継がれているのは道理だろう。

 例えば東欧の老王がその戦好きゆえに同族との同盟がほぼ不可能だとか、英国の黒王子が偏屈な性格ゆえに敵を作りやすいだとか。

 

 祐一もまたその悪癖を持っている。強みがあれば弱みもある。

 強みと弱点は表裏一体。それがカンピオーネなんていう俗物ならばなおさらだ

 短い付き合いだが、護堂は見抜いていた。

 

 祐一と旅をした時間は短いが、それでも彼は慕われやすくカリスマもある少年だという印象を護堂は抱いていた。

 彼が現れれば人々は彼から目を離せなくなり、いつしか頼って、信頼してしまう。祐一もまた人々を見て。慈しみ、信頼に応えようと奮起するのだ。

 けれどそこが彼にとっての長所であり最大の弱点なのだ。

 確かに民衆から力は獲れよう。『山羊』と相性が良いのは言わずもがな。

 確かに彼を排する者は少ない。それどころか我らが勇者よ! と称えるだろう。

 確かに仲間は増えていく。彼こそ正義と民衆の守護者たる彼の後継者に違いない。

 しかしそれが足を引っ張るのだ。これが護堂の知る同じカンピオーネたちでも民衆や知人が死ねば悲しむだろう……けれどだからといって心を大きく乱されはしない。最悪、数日心に留め置けば良い方だ。

 だが祐一はそれ(無視)が出来ない。なぜなら民衆を"見て"しまうから。嘆きの声を、恐怖による心の震えを、死による無念の叫びを、正義と民衆の守護者たる彼はどうしても聞いてしまう。それが一つ。

 

 そして……。

 

 こいつの最大の弱みはきっと"精神の脆さ"なんだろうな。雲一つない夜空を見上げながら、護堂は正解を引き当てた。

 

 祐一は確かに人より何倍も強い意志がある……けれども生まれながらの意志の化け物、そんなものでは決してない。

 人類史でも上から数えた方が早いとはいえ、元来、彼はそんな化け物じみた存在ではない。一見すれば普通の少年と変わらない。

 ではそれを神を殺すにに至るまで押し上げたものとはなにか? 

 それはきっと、折れた事に由来するのだろう。己の苦難に満ちた境遇もあるだろう、友の死もあったのかもしれない。虐げられた民衆が居たのかも知れない。過去でだれかと紡いだ想いが、記憶が、その極致まで引き上げたのだ。

 突き詰めれば人間の範疇に収まる精神を持つ祐一がそう言った苦境に遭い、心を折れ、跪く。そうして折れながらも、立ち上がったエネルギーこそが祐一を"神殺し"へと至らしめた要因なのではないかと、そう護堂は睨んでいた。

 

 例えるなら『黒曜石』か。黒曜石は石の一種……だからこそ硬いのは当然として脆く、砕けやすいのが特徴だ。

 だが黒曜石は、砕ければ砕けるほど、鋭利な刃と化す。その鋭さは自然界でも最高峰。

 今は記憶を失うほど叩きのめされ、打ちのめされている祐一。だが、だからこそ、そこから這い上がる事ができればこいつはきっと── 

 

「護堂さん、最初の神様ってどんなやつでした?」

 

 と、そこで沈思黙考していた護堂の思考を裂いたのは、祐一の声だった。似合わないちょっと真剣そうな雰囲気に少し面食らって間が空いてしまう。

 

「……なんでそんなこと聞くんだ?」

「やっぱり聞いたらマズかったです?」

「いや、そうじゃなくてどういう神様を殺したかなんて自分の手札を晒してるのと同じだろ」

「あ、あー……たしかに」

 

 じゃあいいです、と簡単に引っ込めようとする祐一を護堂は制した。

 

「まぁでも、俺はお前の権能を知ってるからな……そうだな、変な奴だったよ。出会ったのはイタリアのサルデーニャって島で『民衆と正義の守護者』……それがあいつだった」

「なんかいい奴そうですね」

「まぁな。あいつも最初はそんな言葉が相応しい奴だった。あいつが居ればどんな奴も笑顔になって、傷付いてる人や困ってる人が居れば放っておけないような太陽みたいなやつだったよ」

「太陽……聞いてる分じゃサトゥルヌスと全然違いますね?」

「はは、それには訳があるんだ。俺が会った時、そいつはまだ完全な『まつろわぬ神』じゃなかったのさ。別の神と争って傷を負い、零落した姿で、イタリア中に散らばった自分の半身を集める旅をしていたんだ。だから『まつろわぬ神』の歪みの元凶……まつろわぬ性が薄かったのさ」

「つまりバラバラになってたからまともだったって事ですか? デタラメですね……」

「『まつろわぬ神』なんて皆そんなもんさ。それで一つ、またひとつと、力を取り戻すごとに『まつろわぬ神』である以上逃れ得ない宿命に……「まつろわぬ性」に呑まれていったんだ。結局、俺とあいつは最後に殺し合って、俺はカンピオーネになって終わったんだ」

 

 どこか懐古の情を織り交ぜながら護堂は語り終えた。

 

「まつろわぬ性に、『民衆と正義の守護者』か……。護堂さん、なんでか分かららないんですけど、俺、そんな風な似た誰かを知ってる気がするんです……」

「……そうか」

 

 護堂は何かを言葉にしようとして、結局、彼の喉から声が越える事はなかった。何か知っているのか、祐一も問い掛けようとして───

 

「──ッ!」

 

 気配。前兆。前触れ。

 祐一が言葉を生みだすより早く、そいつは現れた。

 場所は上空……中空に一対の双眸が浮かんでいた。平べったい瞳孔と金色の虹彩。

 祐一はそれを見た事があった。 ──山羊だ。あれは悪魔の眼をもつ賢しげな獣。祐一たちを見下す瞳は山羊の目だった。巨大な『山羊』の目が、遥か高みから見下ろしている。

 

「来たな。お前の権能の欠片──『化身』のおでましだ」

 

 気付けばいつの間にか空には星々の明かりさえ掻き消す、黒雲が一部の隙もなく覆い尽くしていた。空からもたらされる光源は、一対の双眸と雲のなかを疾走る雷光のみ。

 いつの間にか驟雨が降りそそぎ、篝火を消し去って、闇を生んでいた。祭りの賑やかさは露と消え、恐怖による動揺と悲鳴とが、町を包み込んだ。

 唐突に現れた強大な気配に、無力な人々は跪き、戦士が己の非力さに切歯扼腕する。

 平時と変わらないのは、たった二人だけ……いや、それどころか血気盛んに空を見上げてさえいた。

 

「あの山羊も俺の権能の一部、ですか」

「そうだ。探すまでもなく、お前に惹かれてやってきたらしいな。……なあ祐一」

「なんです?」

「ちょっとしたお節介なんだが……お前、自分がまだカンピオーネって事が疑わしいっていうなら──俺が片付けてもいいんだぞ?」

「はは! ──冗談!」

 

 護堂の提案を笑い飛ばす。あれは、俺の獲物だと言わんばかりに。

 

「俺はね、護堂さん。アンタが『鳳』と戦う時にどうしようなく魅せられちまったんだ。だから俺がカンピオーネでもカンピオーネじゃなくても関係なく……」

 

 なにも憚る事はないと護堂の眼を見据えて、宣誓するように。

 

「どんな強敵でも苦難でも撥ね退けて、俺は、アンタと同じ土俵に立ちたいんです」

「──おもしろい」

 

 実質的な宣戦布告に、思わず笑みが零れる。烈火さながらの双眸で見据えられ、戦意が零れてしまう。

 平和主義者を自称する歴戦のカンピオーネは喉をひりつかせる覇気に、くすぶる闘争心を抑えるのに必死になった。

 

 

 ○◎●

 

 

 跳躍。

 あらん限りの力を行使して、中空の「山羊」へ向け大跳躍をする。全力の跳躍は軽く人間の限界を超えていた。おそらくビル一つなら軽く飛び越してしまうだろう。

 だが山羊のいる場所は上空千メートルはありそうだ。どれだけ跳ぼうと、飛ばなければ決して届かない距離。けれど構わない、奴を堕天させるには───充分。

 佩刀する武器は、どこかから拝借してきた粗末な剣一本のみ。祐一はあの山羊を仕留めるのはこれだけで足りると確信していた。

 山羊もまた座視している訳がない。黒雲がひときわ強いかがやきを放ち、闇夜を裂いて紫電が迸った。大気をけたたましく叩き、雷が直進する。

 それに対して祐一が取った行動は一つだけだった。

 

「───退けぇ!」

 

 祐一がその口から言葉を紡いだ途端、雷は弾かれたように明後日の方向へ消え去った。祐一には何故か確信があった……あの雷は己の言霊に逆らう事はできないだろう、と。

 もちろん、ただの言霊ではない。今の祐一は権能『常勝への旅路(Parviz)』の力を行使していた。

 化身の名は───『少年』。支配と加護を司る化身で、祐一が先刻行使したのは言霊による支配であった。

『少年』の化身は、祐一と対象者が命を賭けられるほど近しい存在でなければ行使できない厳しい制約がある。

 しかし今回、その制約はほぼ無意味なものと化していた。

 当然だ。化身とはすなわち木下祐一の半身同然なのだから。

 ゆえに祐一の言霊ひとつでどんな強大な力であっても、化身由来ならばすぐさま封じる事が可能なのだ。

 

 サトゥルヌスが化身を奪おうとして引き剥がせず、最後に残った三つの化身。そこに『少年』の化身が残っていたのは偶然でもなんでもなく、その繋がりの強さからだった。

 いかなる理由か、ウルスラグナから簒奪した『少年』の化身は祐一と深く溶けあい、どんな外的または内的要因が作用しようと決して別たれる事がないほどにその繋がりは強いものとなっていた。

 化身の掌握はその制約の厳しさから遅れてしまったが、祐一自身が化身そのものであるかの如く、その繋がりは深い。

 一番最初に呼応したのが『少年』だったのは必然であった。

 跳躍の頂点に達したところで佩いていた剣を抜き放ち───投擲! 

 振り抜いた剣は亜音速を超え、一息に肉薄すると山羊の眉間へしたたかに突き刺さった! 

 

 GYAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!! 

 

 激痛による大音声がビリビリと大気を鳴動させ、くずおれた山羊はそのまま大地へ向けて落下した。場所は町の郊外にある山だ。ズズン、と墜落した衝撃によって町どころか島全体を振動させる。

 すぐさま立ち上がった『山羊』の背に、祐一が飛び移った。気配を本能で察知した『山羊』は、勇壮な角から雷を放電するが───

 

「───邪魔だッ!」

 

 徒労に終わる。

 動きの止まった『山羊』はもう隙だらけであった。そのまま背を伝って頭部まで疾走すると、握った拳で角をへし折った。二度目の激痛に、悍馬さながらに身体を振り乱す。

 

「う、おぁっ!」

 

 これには祐一はたまらず振り落とされる。

 地面に着地した祐一と、すでに満身創痍の『山羊』。息の荒い『山羊』に対して、祐一は不敵に笑うのみ……勝敗はもう誰の目から見ても明らかだった。

 体躯で圧倒的に劣る祐一が、もう勝利を掴み取ろうとしている。

 だが、それで敗北を認める『山羊』ではない。稲妻も封じられ進退窮まったとはいえ、まだ四肢は健在。『山羊』はその長大な巨躯をもって祐一に向けて吶喊した。

 いかに膂力に優れる祐一であろうとあの質量は止められない。

 轢殺される、そういつの間にか見守っていた住民の誰もが思い至った。……だが、その未来が訪れる事はなかった。

 

「我は最強にして全ての勝利を掴む者なり」

 

 内から湧き上がってきた言葉を結ぶ。脳裏をよぎるのは黄金の勇壮なる牛、同時に大地から莫大な力が供給されるのを感じる。

 なるほど、こいつが権能か。これまで曖昧なまま行使していたものを、今度はしっかりと自覚する。麻薬を打ったような万能感と使い古した剣を振りかぶる感覚が混濁する。とてもではないが自分が敗けるビジョンが浮かんでこない。

『山羊』はもう目の前。だが慌てる事ない。犬歯を剥き出しにして深く腰を落とし、迎え撃つ。

 

「ゼァァアア!」

 

『山羊』の進撃が止まる。ガッシリと化身で得た膂力で見事に受け止めたのだ。

 もうこの時点で”詰み”であった。

 抑えていた頭部を地面へ叩き付け、再び跳躍。高く飛ぶためではない──勢いを付ける為に。己が拳をより強烈なものとするために! 拳を振り下ろす先は、突き刺さった剣! 

 

 GYAAAAAAAAAAA!!!!!!!! 

 

 三度、絶叫が響く。そしてそれが断末魔となった。頭部を起点にして巨大な『山羊』の姿は無数の粒子となって、祐一の肉体へ溶けていく。あるべき場所へ還ったのだ。

 と、同時に町でワッと歓声が生まれた。戦いの結末を見届けた人々が喜びの声を上げているのだ。脅威が去ったのだから。

 歓声を背中に受けながら、祐一は俯いたまま。拳は白く染まるほど固く握りしめられていた。

『山羊』がもとに戻った時、『鳳』の時と同じようにノイズのような記憶が現れたのだ。

 

『───忘れよ』

 

 ボロボロの外套。艷やかな黒髪。優しげな労る様な声……。これは思い出すたびに自分の無力感と情けなさに襲われる、屈辱の記憶。友でありながら、対等ではなかった記憶。命を助けられながらも怒りに打ち振るえてしまう、そんな記憶。

 ふざけんな! ああ、ふざけんなよ! 俺がお前を……忘れられるわけがないだろがッ! 

 嵐が去り、雲が晴れていく。歓声に沸く人々に囲まれながら、雨に濡れそぼった少年は深く俯いていた。

 

 その姿を護堂だけが見ていた。

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