王書   作:につけ丸

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独自設定、強引な内容、捏造etc…の坩堝となっております。すみません……。


069:因果律の正体

 足から浸したさらさらと流れる湯は、いささか熱いように感じられた。けれど戦塵にまみれた身体を洗い落としてほぐすには丁度いい。

 あたりは夕暮れ、見上げればすっかり星が輝く頃。冬至も近く、日が落ちるのも早いが此処ヒューペルボレアは常春の世界。凍えるほどの寒さはない。

 かすかに鼻腔を刺激する硫黄と酒精の匂いは眼前に広がる野天の温泉に相応しく、湯船には風に運ばれてきたらしき瑞々しいトベラの葉や花が泡のように浮かび、波紋に揺れていた。

 トベラの開花はおよそ四月から五月で、常春の地たる此処では年中咲いては散るそうだ。トベラは古くからトベラの枝を戸口に挿して鬼払いをした風習があり、トベラの名は扉から由来するともいう……どうやら温泉を囲むようにして茂るトベラも人払いの結界の役割も兼ねているらしく、人が迷い込んでくる事は滅多にないらしい。

 

 化身を巡る争奪戦を見事に潜り抜けた祐一は、護堂に連れられるままに、とある火山付近にある天然の温泉を訪れた。

 護堂が言うようにここら一帯は白蓮王の支配下で、今回やってきた温泉は彼の王がお忍びで尋ねるほどの場所らしい。

 二人して肩までお湯に浸かり、いっときの間、口を開くでもなく穏やかな時間が流れた。故郷にあった温泉と全然違うなぁ……やっぱり場所かな? 手のひらに湯を掬してぼんやりと物思いに耽る。

 

「……少しは気がほぐれたか?」

「ええ、まあ」

「で、今度はなにを思い出したんだ? 腹を割って話でもしてみろよ。ウジウジして黙っててもしょうがないだろ」

「いいんですか? つまらない話ですし、厄介事に巻き込むかも知れない」

「それこそ今更だろ。それにさっきまでバカみたいに明るかった奴が不景気そうな顔してたらそっちの方が寝覚めが悪いってもんだ」

 

 明け透けに言うなぁ……そんな風に零して決心が付いたのか、表情を引き締め、ゆっくりと話しはじめた。

 思い出したのは戦いと過去の鮮明な記憶。

 イラン、ドバイ、幽世とイギリス、中欧を渡り歩いては至る所に戦いの爪痕を残し、天使の姿をした『まつろわぬ神』と死闘を演じていた記憶。

 そして戦いの最中に現れた二柱の『まつろわぬ神』に記憶を奪われ、このヒューペルボレアへ放逐された過去だった。

 

「化身を集めてかなりの記憶を取り戻せた。でも、ダメなんです」

「ダメ?」

「ええ。……一番最初に殺した神様の名前。それが思い出せない……」

「…………」

「一番思い出したいはずの記憶なんだ、なのに、思い出せない……()()()の顔が出てこない。約束したはずなのにッ、忘れちゃいけないのに!」

「落ち着け」

 

 驚いたな、護堂は気取られない程度に目を瞠った。"神殺し"である彼が、誰かに対して強い執着を抱いている事に驚いてしまった。

 大小はあれど"神殺し"の特徴としておおらかで大雑把というものがある。戦いならともかく、誰かに対して強い執着をもったり、思い悩んだりしている者は稀だ。

 だから少しだけ珍しいと言える同族の精神構造に少し面食らったのだ。

 おおらかで大雑把なのは祐一も変わらないのだろうが、彼自身のもつ情の深さが他の同族のような考え方を由としないのだろう。

 

 それに、()()()か。

 一つ、さらに一つ、と祐一が化身を取り戻すほどに記憶を取り戻していくと同時に、祐一自身も雰囲気が様変わりしはじめていた。

 少年から青年へ。

 外観は変わらなくとも精神の変調は確かに起こっていて、かつて似たような境遇の者と出会った護堂には良くわかった。

 

「祐一、お前はきっと記憶をいっぺんに取り戻して心が乱れてるんだ」

「そう……、かも知れません。でも、思い出したらもう止められない」

 

 祐一の激情を映したように水面が揺らぐ。

 

「俺は一敗地に塗れてて、それを忘れて一ヶ月もの間、安穏と過ごしてた……!そんな自分が酷く情けなくて憎くてたまらないんですよッ」

「……」

 

 記憶を失っていたのはそういう理由か。

 詳しくは読み取れなかったが、手酷い敗北によって記憶を喪った祐一は、このヒューペルボレアへ放逐されたらしい。

 

 "神殺し"である彼の記憶が、消えたのか消されたのか分からないが……状況や過程は違えど護堂にも憶えのあるやり方だった。

 一瞬の隙を突かれ、"神殺し"である自分でさえも駒と変えられた過去を思い出す。

 

 獣や怪物に例えられる"神殺し"といえど、そういった事例は皆無という訳では無い。しかし神殺しの記憶を消し、放逐するなんて所業……並のまつろわぬ神には難しい御業だろう。

 記憶を取り戻す事でハッキリと見える様になった、祐一の手足から伸びる何十本もの《運命の糸》。護堂はその先に強大なまつろわぬ神の影を幻視した。

 

「お前は背負い込みすぎなんだよ。やっちまったもんはしょうが無いし、その時はその時だろ。やられたらやり返す。

 どうせ俺たちは神様が暴れてからぶん殴りにいく、後手に回る運命なんだ。だったら、やられても後から帳尻を合わせるって考え方を持ってもバチは当たらないと思うぞ」

 

 ニヒルに笑って、薫陶を受けた。決して褒められたものではないが、今の祐一には何より必要なものだった。

 祐一は目を瞠った。

 納得は完全にはできない。多分、根本的な考え方を変えるなんて祐一にはできない。けれど()()()()考え方もあるのかと衝撃が生まれた。

 

「こんな機会なかなかないんだ。自分で言うのも何だがカンピオーネになってそこそこ色んな物を見聞きして来たからな……そこらの魔術師よりは知識があると思う」

「え?」

「分からないなら聞いてみろ。悩みがあるなら吐き出しちまえよ。大サービスだ。知ってる事ならなんでも応えてやる……一時、とはいえ旅の道連れにそれくらいのことはしてやるさ」

 

 ありがたい申し出だった。

 今まで祐一に核心に近い話を知っていて、話してくれる存在なんて皆無だったから。気付けば口からこれまでの疑問がついて出た。

 あとから振り返れば、相談というより愚痴が近い口調だったかもしれない。

 

「……そもそも俺のいた世界は『まつろわぬ神』が現世に全く現れず、魔術も呪力も存在しない世界だったらしいんです」

「なに? 『まつろわぬ神』も"神殺し"も、それどころか呪力すら存在しない世界だって?」

「ええ。『神に連なるもの』もの総てを認めない『天人離間』の大呪法ってのが世界を覆ってて『神』もいないから当然、"神殺し"もいない人間だけの楽園……パンドラ義母さんは『鉄の時代』って言ってましったっけ」

「かなりの数の世界を回ってるつもりだが、そこまで徹底してるのは聞いた事がないな……ミスラがいた世界だってまつろわぬ神とカンピオーネだけを皆殺した世界だったし」

「パンドラ義母さんが言うには"神殺し"……カンピオーネになった人間も、有史以来俺だけだって話でした」

「じゃあ今は『天人離間』って大呪法はもうないのか?」

 

 うなずく。それは『まつろわぬ神』が現れ、祐一が新生した事実が何よりの証拠だった。

 

「詳しくは分からないんですけど、もともと大呪法には皹が入っててその隙間から神様が現世に現れてしまったらしいんです。

 で、その後俺がその神様を弑逆して"神殺し"として新生すると同時に崩れ去ってしまった……って聞いてます」

「ふぅん。大呪法の罅ってのから神様が現れたのか……神様が現れたから罅が入ったんじゃなく。だったら罅が入った原因ってのは?」

「それがよく分からないんですよ。時間が経って綻びができたんだろうなって思ってましたけど、俺の記憶を奪った野郎は、俺が原因だと言ってて……正直、何が正解かなのか全然分かんねぇっす」

「分からないことだらけだな」

「ですよね……。で、大呪法が消え去って今までの揺り戻しをかけるみたいに『まつろわぬ神』が世界中に現れた。なんて話を聞きました」

 

 簡単にもといた世界の事情を掻い摘んだが、要領を得ないのは自覚していた。部外者である護堂はもとより、当事者である祐一自身でさえ分からない事が多すぎた。

 

 言葉が切れる。

 水面に浮くトベラの花が、風にくるくると回っている。

 ふと、不透明な情報のなかでも、確実で一番の懸念しているものが思考をかすめた。

 以前なら荒唐無稽だからと口にするのは憚られたが……けれど邂逅した何柱もの『まつろわぬ神』が言及し、悲惨な現状に目を向ければ宜なるかなと納得できるものだったから。

 

「世にまつろわぬ神が溢れて、世界はめちゃくちゃになっていって……俺だって戦いましたけど全然追いつかないくて。そんな中でトルコで邂逅した『まつろわぬ神』どもが、あの場にいた三柱の神が、全員が言ってたんです。()()()()()()()()()()()()って」

「世界の崩壊? たしかにまつろわぬ神が大勢で押し掛けて来れば滅んでもおかしくはないと思うけど……お前はそれを信じているのか?」

「いくつかビジョンを観ました。滅んでいく様子を。そして世を救う『救世主』が必要なんだって語りながら、『救世主』を求めてたり、あいつら自身も『救世主』を気取ってたりして……」

 

 だから疑えなくなったんです、そう小さく零した。

 当然、そんなものあってたまるか、という感情は強い。けれど理解と納得は別だった。

 

「きっと、その予言は本当なんじゃないか」

 

 護堂は祐一の苦悩を蹴り飛ばして、事も無げに言った。

 

「どうしてそんな事が言えるんです?」

「俺たちカンピオーネってのは嵐と災いを呼ぶ、災厄の申し子なのさ。俺たちにとって世界の危機なんて日常茶飯事だ。俺たちが滅びを持ち込むこともあれば、巻き込まれる事もある」

 

 俺自身何度も経験してきたしな。なんでもないように答える彼だったが、その言葉は軽い口調とは裏腹に、いくつも危機を乗り越えた重みがあった。

 

「『この世は因果律が御覧になられる夢に他ならない』なんて言葉もあるくらい世界は沢山あるし、滅んでいく世界もあるんだ……世界はどうあっても平穏無事じゃいられないのさ」

「!」

 

 因果律。久しく聞いていなかった憎き仇の名を、他でもない護堂の口から聞き、思わず色めき立って立ち上がった。

 それにさっきの言葉は叢雲がかつて語った言葉と全く同じで、大人しく座っている事なんてできるはずもなかった。

 

「護堂さん、もしかして因果律の野郎を知ってるんですかッ!」

「お、おいおい。どうしたんだよいきなり?」

「俺は因果律ってやつと因縁があるんです……知りたいんですよ。俺にこんな道程を用意したあの野郎を……またあいつの前に立って、ぶん殴ってやらないと気がすまない!」

 

 口角泡を飛ばす祐一が喋り終わるまで、護堂は口を閉ざしたままだった。落ち着きを取り戻した祐一は頬を掻いて気炎を収めると、静かに湯を仕切る岩に腰かけ……

 

「因果律に纏わる事柄は神に連なる者の間じゃ、禁忌とされてるらしい。だけど俺は神なんかじゃないからな、そういう制約とは無縁だ。知ってる事を教えてやるよ」

 

 護堂が話はじめたのはそんな時だった。

 

「因果律ってのは、俺が以前戦った印欧語族の運命神みたいな《運命の担い手》と似通った存在だとは聞いている」

「《運命の担い手》……?」

「人は大いなる神や大自然の前になすすべなく翻弄されるべし。宇宙のはじまりから終わりまで、あるべきように物事が進み、つつがなく歴史の糸が紡がれるべし……。

 そう言った確固たる意思と思想をもつ『神』がいるのさ、どの世界にも一柱はな」

「どの世界にも……」

「ああ。それらは《運命》を決まった通りに運行する役割を持った『神』で、特定の神だけがやるって訳じゃないんだ。だからそういう役割を負った神様を総じて《運命の担い手》と俺たちは呼んでいるな」

「じゃあ、因果律も《運命の担い手》って事なんですか?」

 

 祐一の言葉に、しかし護堂は首を振った。

 

「いや、違う。因果律はそれら《運命の担い手》とは似てはいても非なる存在らしい」

「似て非なる存在?」

「そうだ……《運命の担い手》はあくまで創り出された《運命》という概念を、手繰り、織り込む、紡ぎ手にすぎないんだ。

 ──だけど因果律は違う。紡ぎ手である《運命の担い手》に対して、因果律は運命や因果を創造する創り手なんだよ」

 

 つまり《運命の担い手》は決められたレールをそのまま運行する役割をもった神だ。

 ならば決められたレールを定め、創り出したものとは一体誰なのか? あらゆる森羅万象を形作った神とは? 

 その巨大すぎる権能を握るのが因果律という神であった。

 

「因果律が物凄いやつ、ってのは判りましたけど、そういや、あいつが出てくる神話なんてあるんですか? さっきは無理やり括ったって言ってましたけど」

「うーん、そうだなぁ……原初の神なんだから無理矢理当て嵌めるんならギリシャのカオスだったりエジプトのヌンするんだろうが……」

「違うんですか?」

「そうだな、もっと相応しい神格がある」

 

 護堂は空に浮かぶ月に手を翳しながら呟くように語った。

 

「話は変わるが、ヒューペルボレアには『犠牲の獣』って概念があるだろう? 牛をはじめとした神の血を引く聖なる動物を殺す事で、大地が広がり恵みが生まれる概念が」

「たまに海に流れてる奴ですよね。何度も助けられましたっけ。食べ物や島を産む、動物の死体」

 

 祐一の言うように二度の漂流で祐一たちは海を漂う聖獣を殺すことで食料を食いつないでいた。

 聖獣である獣を殺し、大地を広げて、恵みをもたらす。そういった特異な事象がこのヒューペルボレアにはあった。

 

「そして『犠牲の獣』にはいくつか()()した話があるんだ。それも世界中にな」

「類似した話?」

「……インドではプルシャ、イランではガヨーマルト、北欧ではユミルがそうだな。

 印欧語族の神話だけじゃなく、シナ・チベット語族にも中国神話には盤古、ポリネシアにも幅広く類話がある」

「…………」

 

 

「原人、或いは──『はじまりの巨人』。そんな神話があるのさ」

 

 

「はじまりの巨人、ですか」

「内容は『犠牲の獣』と変わらない。巨人の死体がそのまま世界になったりする死体化生をモチーフにした神話だ。

 それが、因果律に相応しい神話じゃないか、と俺は考えてる。世界のはじまりにいた途方もなく大きな巨人……俺たちは今この時も、因果律という巨人の上に立っているようなもんだからな」

 

 祐一は護堂の言葉を、一つ、ひとつ、丁寧に噛み砕きつつ、頭蓋の奥底へ忘れることのないよう刻み付けた。

 ただ、知れば知るほど彼我に横たわる"圧倒的"という言葉すら生ぬるい那由多の差にめまいがする。

 それに加え、件の元凶はそもそも倒せる存在ではないという。ゲームでいうステージやギミックみたいな破壊不可能なオブジェクトであり、電源そのものだった。破壊しでもすれば足元が崩れ去って虚無へ解けていく。

 

「……倒し方、って聞いてあると思います?」

「ないな。というかまず試そうとした奴が有史以来いない」

「確かに。そんな事をする奴は、とんでもない狂人か愚か者だ」

 

 カラカラと笑いあう。

 

「倒し方、か。……一つだけ、心当たりがある。モチーフになった『はじまりの巨人』の神話だが、世界になった巨人はみんな()()なんだよ。死体が世界になったんだから当然だよな」

 

 死体が世界になった。だからこそ。

 

 

「──因果律も死んでいるべき、なのか」

 

 

 祐一は目を見開いた。

 

「でも、あいつは生きているっすよね……?」

「人の足では"永劫"歩き続けなければならない巨きさに、"無限"と例えていいほどの力を持っている。だから、だから因果律は()()()()んじゃないか?」

 

 死体の上に世界があるはずなのに生き続けてしまった。

 存在そのものが因果逆転の矛盾を抱えた者。巨大すぎてどうしようもない敵。死んでいるべきなのに死ねない存在。耳にするたびに思い知らされる因果律の巨大さに頭を抱えたかった。

 

「だけどこうも考えられる。因果を生み出す因果律が矛盾を抱えているんだった……もしかすると因果律自身も死にたがってるんじゃないか、てな」

「死にたがっている……?」

「ああ。因果律が全にして一で、あらゆる因果や運命、そして神話を生み出し定めたって言うなら、自分も死んでなくちゃおかしい。あるいは死ぬために生み出したのか。

 真相は分からないが……馬鹿げた生命力で"死"の概念を覆してはいても、因果律を"死"に至らしめようとする因果は確かに()()のさ。それが──」

 

 

「──因果破断の神性?」

 

 

「お、知ってたのか」

 

 護堂が驚いた表情を作った。

 

 "神殺し"となる以前に因果律の領域を訪れた事。

 そして因果律と邂逅した事。

 そこから因果律と祐一の因縁が定まった事。

 因果律との因縁を語り、先に言え、と白い目で睨まれながら祐一は少し思考に耽った。

 死んでいながらも、生きている。死にたいのに、死ねない。

 少しだけ、因果律の事を憐れだと思ったのだ。

 

 思えば因果律の領域で、やつは死にたがっていた……あの時の自分はそれに激昂して、あの石を突き刺したのだったか。

 

「……戦わず、関わらず、放置しておく。それが一番いい付き合い方なんだが……お前はそんじゃないんだろ」

 

「……ええ」

 

 小さく、しかし、しっかりと頷く。

 翻す事はない。そう心を燃やしながら。

 

「ならあとはお前自身が探さなくちゃならない。因果律へ拳を届かせる方法を」

「…………」

「だけどその鍵は祐一、お前はもう持ってるんじゃないか。だってお前は偶然にしろ何にしろ、辿り着いたんだ……誰も辿り着けなかった場所に。──因果律の領域に」

 

 大きく、今度は獰猛な笑みを添えて頷いた。憐れみを覚えようと、情けや容赦を介在させるつもりはさらさらなかった。

 

「最後だ。お前が元の次元からヒューペルボレアくんだりまで飛ばした敵……お前の来歴を見知って、思い至ったよ」

「!?」

 

 驚くべき言葉だった。護堂は知っているのだと言う……祐一が検討もつかなかった敵の正体に。

 カズハズの姿をしたまつろわぬ神と、ロスタムと名乗った武神。その詳しい情報を彼は知っている。

 知れず固唾を呑んで言葉を待った。

 

「話は戻るが、さっき俺が……『この世界は因果律が御覧になられる夢に他ならない』……世界は平穏のままじゃいられないって言ったろ?」

「言ってましたね、その後の情報が半端なくて忘れてましたけど」

「お前な……。まぁいい」

 

 ため息ひとつ。

 

「とにかく眠りながら夢を見ている因果律は意志に惹かれるんだよ。喜怒哀楽……感情なら何でもいいが、激しい情動に目を奪われるのさ。夢のなかで俺たちを見ながら、な」

 

「誰だって、楽しくて波乱万丈な物語をみたいだろう?」

 

 因果律は意志の発露を好み、夢を見るためにより深い眠りに就く。

 喜怒哀楽を孕む激情とは、やはり波乱や闘争のなかでこそ一等輝く。それゆえ平穏だけではダメなのだという。

 

「因果律は夢のなかで俺たちを見てる、ってんですか。確かに因果律の領域へ至ったのは俺がブチ切れたからでしたけど……でも、あまりいい気持ちはしませんね」

「まあな。でも因果律は見ている、今だってな」

「…………」

「……そしてそれを逆手に取って夢は夢のままで、因果律には眠ったままで居て欲しい()()がいるのさ」

「眠ったままでいて欲しい連中……。それって一体、どんな奴らなんです? 因果律側なら会う事も、戦う事もあるかも知れない」

「《運命の担い手》と同じで、これといった『神』はいないんだ。俺も世界を旅する中でそんな連中に請われて力を振るったり、逆に闘う事になったりしたからなぁ、それなりに知っててな……」

 

 月が雲で翳り、二人の顔を影が覆った。まるで凶兆のごとく、口にするのを憚るかのごとく。

 

「そいつらは世界の運行に携わってたり、秩序の神が成りやすいらしい。

 ……因果律が目覚め、世界が泡沫のように弾けて飛ばないよう適度に騒乱を起こして平穏を望むんだとさ」

 

 秩序と安寧を望むからこそ騒乱を起こす、それも秩序の神が。皮肉なもんだろ? 護堂は酷薄さを織り交ぜた笑みを浮かべていた。

 

「きっと、そいつらは祐一の世界にもいたんだろう。因子をたずさえ勝手気ままに世界を放浪していたお前は、やつらにとって目の上のたんこぶだ……お前を放逐したのも間違いなくそいつだろうな」

「それが、俺の敵。俺を放逐したやつの正体……。護堂さん、そいつらって何か名前があるんですか?」

 

「──《 ()()()()()() 》」

 

 祐一が相対していた敵のベールが剥がれた気がした。期せず拳を握り込む。名を聞いたあとの聴覚を、血の潮騒がわんわんと揺らしていた。

 

「なんて、俺が勝手に言ってるだけだけどな。因果律を夢の中で楽しませるだけのピエロとなり、輝かしい誇りを捨てて身を窶した者たち……だから《因果の道化師》、あるいは、因果律の道化。名前なんてそんなもんでいいさ」

 

 因果の道化師、因果律の道化。口の中で転がした途端、口腔が傷だらけになった感覚を覚えた。

 

「俺をヒューペルボレアに飛ばした二柱の神はロスタムと布袋、そう名乗ってました。じゃあ、あいつらが因果律の道化?」

「……どうだろうな? ロスタムは生粋の『鋼』の英雄だろうし、布袋なんて七福神の一角だったはずだ……きっと誰かが裏にいるんじゃないか?」

 

 俺が出会った道化どもは表に出ず黒幕気取りが多かった、と付け加えた。

 祐一も納得がいった。戦場に現れたカズハズは違和感が鳴り止まず、カズハズであってカズハズではないと直感的に感じていた。

 

「ふぅ、これで俺が持ってる知識は打ち止めだ。あとはお前が見付けて行くんだな」

「ありがとうございます護堂さん」

 

 途方も無い借りができた、だけど悪い気はしなかった。礼の言葉と一緒に深く頭を下げた。

 護堂は何も言わず、ただお湯に浸して温まっていた酒を注いでは寄越した。もう月が出ている。雲一つない静かな月見酒だった。

 

 

 なあチンギス・ハーン。アンタが言ってた敵、どうやら見付けたみたいだぜ。時間かかっちまったな。

 

《因果の道化師》がなんだ。

《運命》がなんだ。

 俺はそんなもん全部ぶっ飛ばして、彼奴に……因果律に、こんな因果をくれやがったアイツに報いを受けさせてやる! 

 

 

 ○◎●

 

 

 温泉から人里に下り、小さな宿屋で十分な休養を取って英気を養った。いつものように早い朝を迎r、護堂が厳しい表情を湛えて祐一のもとに来たのはそんな朝だった。

 

「祐一、悪い知らせともっと悪い知らせがある。どれから聞きたい?」

 

 自然と祐一の表情も引き締まる。戦いが近い、それも最後の。

 

「どっちも悪いんですか……でも、こういうのって良い方から聞くもんですよね、聞かせてください」

「よし、じゃあ言うぞ。サトゥルヌスを見付けた、場所は『冥府の谷』……あいつの領域だ」

 

 冥府。農耕神であるサトゥルヌスや地母神たるオプスにとって庭も同然。彼らの牙城で矛を交える事になる。厳しい戦いになるのは簡単に予測出来た。

 

「それで、もっと悪い知らせってのは?」

「……あいつは民衆を連れ立って冥府を下っている。冥府下りを為すことで冥府にある光を持ち帰り、太陽神ミトラスとしてじゃなく──()()()()()()として蘇ろうとしているんだ」

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