王書   作:につけ丸

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071:新たなる旅路

 濃密な死の瘴気があたりに満ち、祐一と護堂を包み込む。ここは地母神の本領である死の世界。冥府を司るものとしての権能を振るえば、万の事象を思う様に操れるのだ。

 だが二人は動じなかった。こんなもの攻撃の内にも、ましてや、危機にもならない。

 

「汚れなき御身の為、光の柱たる我が名代となり剣となる。貴方の権を振るう先の一切の悪魔を焼き尽くす為に。我が燃えさかる焔と見透す瞳が不浄を祓い清めよう」

 

 厳かな詠唱が紡がれると、祐一の眼窩に収まる紅い両の目が、淡く力強い光彩をはなった。これは、破邪の光。闇夜を切り裂く夜明けの光が、おどろおどろしい不確かなものを詳らかにし、滅していく。瞬きの時も要さず、瘴気は姿を消した。

 これこそ祐一がトルコにて天使から簒奪した権能であり、斉天大聖がもつ火眼金睛と同じく破邪の力をもつ聖なる瞳であった。

 サトゥルヌスの急襲を受けた折には、祐一は訳も分からず行使していた権能、だが今では完全な掌握に成功していた。

 

「へぇ、能力は違うがヴォバンの爺さんやアテナの『輝く瞳(glaukopis)』と同じ系統の能力か」

「お、いい名前ですね。それ、いただき!」

「適当だなぁ……」

 

 新しい権能の名前を軽率に決めていると、状況が動いた。瘴気が晴れれば、次にやって来たのは前回と同じ鱗粉。だが何度も受けた攻撃だ。対処するのはたやすい。

 

「また鱗粉か。叢雲、吹きとばせ」

 

 突風が吹きすさぶ。彼方から此方へ吹き荒れる突風により鱗粉は何処かへと飛ばされる……かに見えたが、そうはならなかった。

 なぜなら突風では吹き飛ぶ事のないほど、鱗粉じみたオプスの仔竜が巨大化していくのだから。花粉並みに小さかった眷属が中型車程度の大きさとなり、冥府の地を埋め尽くすほどへ──。

 

「おいおい……神様ってのは何でもありだな……」

 

 その様子を見ながら祐一は零し、護堂は苦笑を深くした。雲霞のごとく並みいる竜たちのはるか奥で、オプスが大音声を上げた。

 それは開戦の号砲だった。見渡す限りの仔竜が一気に雪崩打った。それらを視界に収めようと、彼らは休み時間に駄弁るような気安さを捨てなかった。

 

「前も言ったけど、俺は多数を相手にするのは得意じゃないんだけどなぁ」

「ならここは、俺の勝ちですねっ!」

 

 そう言うなり祐一が駆け抜けた。

 なんという軽捷さか。所狭しと並ぶ敵の隙間を流水さながらに進む。

 踏みとどまる事も、掠る事もせず、二百メートルほどの距離を三秒も掛からず駆け抜けると直後、一帯の仔竜の首が飛んだ。根切りである。

 

「俺の勝ち! 何で負けたか、明日まで考えといてください!」

 

 いつの間にやら勝負をはじめ、その上で「勝った勝った」とドヤ顔晒してサムズアップする同族に、護堂の反骨心とが激しく刺激された。というかイラッときた。

 

「アイツ、調子に乗ってるな……」

 

 我は……。護堂が何事か呟く。

 確かめなくても分かる、それは言霊。護堂は権能を行使したのだ。次いで大地から際限ない力が供給されはじめた。

 

「眷属を大きくしたのは失策だったなオプス、的がデカくなっただけだぞ」

 

 言い終わるが早いか護堂は足を振り上げると、そのまま一気に地面へ──叩きつけた。豪快な破壊音が冥府中に轟いて、次の瞬間、盛大に厚い岩盤がひっくり返った。土砂の大津波が群れをなしていた仔龍を呑み込んでいく。即席の天変地異になすすべもなく、生を終えるオプスの眷属たち。

 

「うお! なんて剛力! これも護堂さんの権能ですか! ……てか周りの事考えろォ!」

 

 天狗になっていた祐一も色を失って、慌てて退避するハメとなった。味方を味方と思わぬ荒っぽさに顔が引き攣ってしまう。

 あとは消化試合だった。生き残った仔龍を切っては殴打し投げ飛ばす。死地を死地と思わぬ闊達さで悲壮感は欠片もなかった。

 カンピオーネは我が強い。そのため同じ戦場に居合わせれば例え味方同士でも、我の強さや権能の強大さによって間接的に殴り合いが生じてもおかしくはない。

 けれども祐一と護堂は、不思議と息はあった。いつの間にやら背中合わせになりながら、お互いをカバーし合いながら危なげなく倒していく。

 きっと今だけの偶然なのだろう、と二人は悟っていた。

 後ろを振り向いてはならないという禁忌に多数の敵、現在保有する権能、気分etc……それらが奇跡的に噛み合ってこの状況を生み出しているのだと。

 

「はは! こりゃいいや!」

「そうだな」

 

 護堂がうなずく。それが無性に嬉しい。

 

「でも振り向くなって縛り、いい加減鬱陶しくなってきたな……」

「なら、やるか」

「ん? なにか秘策が?」

「ああ」

 

 楽しい時間は過ぎ去るのが早い。一抹の淋しさを残しながらも、彼らは締めに入った。

 

「合わせろ祐一。……お前にひとつ、面白いものを教授してやる」

 

 獣染みた表情を貼り付けた護堂の手には、いつの間にか黒い刀が握られていた。三尺三寸五分、『蕨手刀』に似た漆黒の刀身に妖し気な波紋が揺らめく湾刀。祐一はそれに酷く見覚えがあった。

 

「あれは叢雲……いや、天叢雲剣?」

『なんと。共にあの権能と、(オレ)すら持つか。おぬしと彼の王、どこまでも似通っておるな』

「それってどういう……」

 

 叢雲に問いかける時間はなかった。護堂が天叢雲剣を地面に突き刺し、彼らを中心にして凄まじい呪力の大噴火が起きたのだから。

 気付けば空には、冥府の闇よりも昏き"暗黒星"が浮かんでいた。雲や星々の存在しない暗闇ばかりが覆う空に、ぽっかりとそこだけ穴の開いたような黒い星。一目で凄まじい神力を宿した危険な代物なのだと直感的に理解する。

 

「暁の秘録よ。俺に女神の叡智を授けてくれ」

 

 言霊が、妙に響いた。

 空の暗黒星がにわかに動き出す。ぎゅうん、ぎゅうんと回転を始め、速度を徐々に上げて高速回転。

 あの不吉な暗黒星がただ回るだけのはずがない……周囲の石も塵芥も大地も仔龍すらも、等しく超絶の吸引に吸われ呑み込まれていく。

 つまりあれは擬似ブラックホール……それだけでも破格の権能であった。

 

「叢雲」

 

 護堂が天叢雲剣を使った権能を使うのなら、こちらも天叢雲剣を出すのが正解だろう。祐一もまた護堂に助力しようと叢雲を地面に突き刺した。だが。

 

『む。なんだこれは……複数の、おそらく三柱の神々が絡み合い、混沌の坩堝と化しながらも一つの権能にまとまっておるのか?』

「何だそれ、そんなんで上手く機能すんのか?」

『到底不可能なはず。しかし現に成り立っておるのも事実』

 

 あの権能、最源流の鋼である叢雲ですら唸る代物らしい。どういう経緯で手に入れたのか全くの謎だが、あれが草薙護堂という遙か先をいく先達の切り札なのだ。

 欲しいな。

 そう思案する祐一の眼光に、卑しい盗人の欲のような色はなく、ただ強かな戦士としての鋭さのみがあった。

 

「やれそうか」

『愚問。かの秘奥、偸盗の剣たる(オレ)の沽券に賭けて盗み取るとしよう』

 

 遅ればせながら祐一と叢雲が合力した。祐一はひたすら呪力を注ぎ込み、叢雲は制御に回る……そうする事で加速度的に権能が本格的に発動し、破壊力も増していく。

 祐一と護堂という二人の"神殺し"がバカスカ呪力を叩き込んでいるのだ、当然だろう。

 姿は見えずともオプスの焦燥が見えるようだった。

 祐一はふと思った。この莫大な呪力を注ぎ込まれたエネルギー塊がこのまま破壊力を増し続ければ、破壊という点において、ヤマトタケルの為した『大切断』と比肩できるのでは、と。

 そして、その考えは現実のものとなり───

 

「千の蛇よ、千の龍よ──。今こそ集まり劔となれ」

 

 《黒の剱》の発動。

 

 ───『冥府の谷』はその日、崩壊した。

 

 

 ○◎●

 

 

「いや……縛りが邪魔だとはいったけど、『冥府の谷』ごとぶっ壊すなんて無茶苦茶もいいとこだろ……」

「結果的に同じだし、いいじゃないか」

「まあそうですけど……」

 

 こんなの絶対おかしいよ、となんだかんだ無傷で瓦礫の山に立つ二人。どうやら連れて来られた民衆はとっくに地上へ逃がしていたらしい、はぐれた折に彼らと遭遇していた護堂が手を打ったのだという。

 

 白い目を「はよ言えよ」と意思を籠めながら向けると護堂は素知らぬ顔で目を逸らした。随分と馴れた動作だった。

 どうやら先刻の大破壊でオプスは欠片も残さず散ってしまったらしい。崩壊する際に断末魔らしき声が聞こえた気がした。そして。

 

「…………………………」

 

 轟。瓦礫の山を吹き飛ばしてサトゥルヌスが姿を現した。無言である。しかし言葉はなくともその心理、推し測るのは容易だった。

 護堂が臆した気配もなく、サトゥルヌスの前に出た。

 

「惜しかったな。オプスに殺され、民衆を贄として光明神へと蘇ろうとしたんだろうが……結果はこの通りだ。観念するんだな」

 

 フフフ……。忍び笑いが木霊する。聞くものを忽ちに恐怖へ陥れるくぐもった笑い声だった。

 

「まだだ」

「なに?」

「まだ……まだ終わっておらぬと言ったのだ! 草薙護堂ッ!」

 

 沈黙から一転、燎原のごとき激情の大火が、質量を伴って祐一と護堂へ降りかかった。吹きすさぶ威が、大きく髪を揺らす。

 

「『火』ならば! 『光』ならば! そこにあるではないか!? 木下祐一! そなたの手の中で煌々と燃えがっておるッ!」

 

『ミスラの松明』を見てとって口角泡を飛ばすサトゥルヌスは、怖ろしくそして不吉だった。狂瀾怒濤の激情を発露させる彼の神を中心に、死の瘴気が濃くなっていく。オプスなんていう従属神のものより、遥かに強力で濃密な。

 祐一の『輝く瞳(glaukopis)』を行使していても、外気に晒した肌から凍傷になるのを抑えられない。

 

「最初から《光を持ち帰りし者》などという称号も! 我が妻たるオプスも! 余を奉ずる民衆も! すべてどうでも好かったのだ! 余の祖たるの光明を得れればそれで!」

 

 妄執。それ以外にこの情動を指す言葉が見つからなかった。まるで自我の奴隷だ、祐一は強大な敵を前にしながらも些かの憐れみを覚えた。

 

「この『冥府の谷』を決戦の地としたのも、民衆を連れ立ったのも! 全ては木下祐一、光明を宿すそなたこそを我が本領へ呼び寄せるための餌よ! 

 闇が深ければ当然、光も強くなるのは必定! 否定はできまい、余の思惑通り、そなたの光明は嘗てとは比較にならぬほど燃え上がっておる!」

「ふーん、今までの流れが予測通りだったって? それでこのあと俺を倒して『ミスラの松明』を奪うって寸法か? ……いいぜ、相手してやるよ。最後までテメェの思惑通りに進むと思うなよ」

 

 そういう黒幕気取りは大嫌いなんだ、そう吐き捨て、むせかえるほどの瘴気を浴びてなお、気炎万丈なるは若きカンピオーネ「木下祐一」。

 戦意と殺気を横溢させる両者に、しかし待ったをかけるものが居た。

 神域の旅人とも呼ばれる特異なカンピオーネ「草薙護堂」である。

 

「盛り上がってる所悪いが、アンタが倒すべき敵ってのは俺なんだろう?」

「フハ……フハハッ、ハハハハハハハッ! そうだ! それがいい! 我が本願はそなたを討ち果たし復讐を果たす事! 草薙護堂、そなたの首を取り余は輝かしい太陽神へ回帰する!」

 

 護堂は臆さない。そして、光球が燦めいた。

 

「……『鳳』を斬り裂いた黄金の剣か。ん? これって智慧の剣じゃ?」

 

 祐一はこの光を知っている。『戦士』の化身、祐一が過去に奪われた今はなき化身であった。

 

「そう上手く行くかなサトゥルヌス。俺や姐さんに敗れる以前に、アンタは神話の中でも決定的な敗北を喫しているじゃないか」

「ッやめよ! ふたたび余の、闇に沈めた恥辱の歴史を詳らかにするか草薙護堂!」

「ああ、そうさ。そろそろアンタとの因縁も飽き飽きなんだ。ここらへんでスッパリ切っとこうと思ってな」

 

 サトゥルヌスの怒気に大地が呼応する。地盤を砕き割って幾百もの巨大な大樹が飛び出し、しなっては鞭さながらに護堂へ強襲を仕掛ける。だが護堂は泰然とした姿勢を崩さない。

 

「アンタと同一視されたクロノスは子であるゼウスに敗北したってのは少し神話を調べればすぐに分かる事だ。その後オリンポスを追われたアンタはイタリアへ地へ逃げ込む事となる……イタリアのラツィオという州はラテン語でlazio、つまり「隠れる」を意味する言葉で、クロノスであったアンタが逃げて来たことから名付けられたんだ」

「その口を閉じよ! 余の敗北の歴史、軽々に語れるほど安くはないぞ!」

 

 地上に現れた星雲さながらだった光球が寄り合わさり、八本の長大な御剣と化す。

 空中を自在に駆け、自在に敵を切り刻む神剣だ。津波の如く迫りくる樹木の大波を寄せつける事なく切り刻む。

 

「その後イタリアに来住したアンタはローマのカピトリヌスの丘に神殿を築いて王となった。その先でオプスを娶り、未開で野蛮な民に農業や有用の技を教えて、太古の黄金時代を築いた……アンタが農耕神として崇められる経緯だな」

 

 祐一と護堂は同じで智慧の剣を所持している。しかし、祐一のそれよりも護堂の方がはるかに卓越していた。同じ武器を持ち、だからこそその差が如実に浮き上がった。

 

「でもアンタはそんな惨めな神ではなかったはずだ……子たるゼウス、或いは、ユピテルにその玉座を奪われ、数多の権威と権能を奪い去られてさえいなければ……力ある神王として振る舞えた。

 けれどアンタは敗北したが故に農耕神としての権能を有する事しか許されなかったんだ」

 

 咆えながら護堂の口を閉ざそうと力を振るうサトゥルヌス。しかし護堂が止まる事はない。

 強い自我のもと、しぶとく、何度も手を焼かされたサトゥルヌス。だが結局、彼の神は権威と権能を奪われ栄光を喪った神で、戦闘神としての側面も薄い農耕神だ……真っ向勝負となれば歩があるのは"神殺し"の戦士たる護堂の方だった。

 

「つまりサトゥルヌス───あんたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()……嘗ての栄華を、神々を統べた()()()()()()()()を取り戻したかったんだ」

「おぉ……! 余の凡てを明らかにし、宿願すら貶め、根幹すら脅かすか! 忌々しい駄剣め!」

 

 最後に決定的な言霊を紡ぎ、智慧の剣は完成した。

 

 切れ味の増した剣に、サトゥルヌスが攻め手を変えた。これまで量で押していたやり方を変え、質へと。

 大地から樹木を途切れる事のないほど溢れ出させながら、自身の身体に纏わせていく。時を重ねるほどにその密度は厚く、巨大になっていった。最後には三百メートルを越す大樹の巨神と変貌を遂げた。

 

「デ、デケェ……」

 

 あんぐりと見上げた祐一の口から驚愕の声が零れた。かつて人狼の姿で現れたチンギス・ハーンより数倍の巨体なのだ。

 しかし護堂は立ち止まる事なく、八本の神剣をさらに重ね合わせると刃渡り八メートルはある大剣へ。

 そのまま巨神と化したサトゥルヌスへ放つ……しかし攻め切れない。『戦士』は強力な手札であるが、決め手にはなり得ないのが数少ない決定であった。それに何より敵が巨大すぎる。まさにティターンの名を持つに相応しい。

 螺子を動力とするからくりじみた動作で、ゆっくりと樹木の巨神は動き出し、そのままその腕を護堂たちのいる場所へ叩きつけた。あまりの衝撃にこの大陸が、裏返ったかと錯覚するほどだ。

 機動性を捨ててまで巨大化し、しかし傷付けた傍から修復していくのだ……状況に変化の兆しが見えず、なら、あと一押しするか。

 なんてことはないと示すように護堂はふてぶてしい笑みを浮かべ、そこに新たな権能……いや化身を加えた。

 

「主は仰せられた、咎人に裁きを下せ。背を砕き、骨、髪、脳髄を抉り出せと。血と泥と共に踏み潰せ! 鋭く近寄り者よ、契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 

 天と地が、震えている……。恐るべき神獣の来訪を予感して。中空に現れた黒い渦から、黒き神が招来される。

 

「ラグナと同じ『猪』か……。もう分かったぞ。なるほど、どーりで似たような気配を感じるわけだ」

 

 疑惑は確信へと変わった。自分と護堂、どうやらかなり酷似した権能を持っているらしい。その事に気付いて呆れを滲ませた笑いが漏れる。

 ただあの『猪』、祐一の盟友であるラグナよりも数段、荒々しく禍々しい。まさに暴れん坊と呼ぶべき威容だ。

 

『猪』という砲弾が射出され、サトゥルヌスの巨体へ激突した。あれこそ一撃で、全てを破壊する荒ぶる神獣。

 サトゥルヌスがそのありあまる勢いに押され、無様に後方へ倒れ込んでいく。加え、サトゥルヌスの後ろには『冥府の谷』の残骸……深い深い谷が大きく横たわっていた。

 サトゥルヌスの巨体が谷の中へ放り込まれても『猪』は未だ猛りながら、その牙を突き立てていた。だがサトゥルヌスも黙ってはいない。その巨腕で『猪』を掻き抱くと、そのまま圧し潰す。

 堪らず限界を迎えた『猪』が嘶いて、風に消えた。

 

「お疲れさん。よくやってくれた」

 

 そこで『猪』の出番は終わった。十分に役割を果たしたが故に。

 ここは戦場、倒れた者は敗北と同義。背中を大地に横たえたサトゥルヌスは直感的に立ち上がろうとして……もう、全てが遅かった。

 

「──この言霊は雄弁にして強力なり。それこそ我なり!」

 

 朗々と言霊が編まれた。直後、谷底で仰向けになっているサトゥルヌスの胸部に、極光を放つ神剣が強かに突き刺さった。『猪』に抉られ穴の開いた身体だ。刀身は容易くサトゥルヌスを穿いた。

 ッッ!? 声なきサトゥルヌスの絶叫が、森羅万象を揺るがす。力づよく生命力に溢れていた樹木の四肢が、枯れ果て腐れ落ちては土に還ってゆく。

 サトゥルヌスの巨体から光が流れだし、祐一の奪われていた化身が帰ってきたのもそのタイミングだった。

 

 巨神の肉体が滅び、ふたたびサトゥルヌスが現れた。彼も幾度の構成に消耗しているのか、もう以前のような強壮さはどこにもない。

 擦り切れた外套は消え去り、瑞々しい肉体は須らくミイラさながらの痩せ細ったものへ戻っていた。……だがその眼光、未だ衰えず。

 

「恐るべき魔獣に恐るべき智慧の剣! そして恐るべき戦士、草薙護堂! そなたの猛々しさは嘗ての敗北の記憶をさらに色濃く塗り潰した! 

 ──しかしまだ余は死んではおらん! 余が不死であるが為に! 死は余であり、余が死であるが為にッ!」

 

 手を振り乱し、叫ぶサトゥルヌス。しかしそれが虚勢である事は傍観していた祐一でも察する事ができた。

 護堂はといえばまだ戦う気でいるサトゥルヌスとは対照的に、全ての矛を収めていた。

 

「そうだな。アンタの言うとおりだ……なら、死を与えてやるよ。俺の言霊で冥府の神格を喪ってるアンタにそこ(冥府)は耐え切れるのか?」

「何ッ!?」

 

 サトゥルヌスが立っているのは崩壊した谷の底……つまり冥府そのものである。『冥府の谷』という場所が壊れようと、冥府の存在自体は揺るがないのだ。

 そうして、サトゥルヌスは、()()()()()。振り返ってしまった。

 極寒の冷気が、地上より溢れ出す。それはサトゥルヌスを……禁忌を犯した者を縛める縛鎖であった。

 

「お、ぉぉおおおおおおおおおおおおッ!!!?」

「賑やかで馬鹿騒ぎするお祭り(サートゥルナーリア)は終わりだ。お祭りが今日という冬至の日が終わり、厳しい真冬という現実に向き合うようにな」

 

 気付けば太陽は姿を消し、黄昏が空を焼いていた。夜が近いのだ。

 もう手を下すまでもなかった。百を超える無数の手が、サトゥルヌスを絡め取っては掴み取って、深い深い闇へ誘っていく。サトゥルヌスは断末魔の声も、怨嗟の声も上げる事すら赦されず黄泉の住民となった。

 執念深く"神殺し"二人と闘ったサトゥルヌスは死を最後に、ヒューペルボレアでの戦いは終わったのだ。

 

 

「やっーと終わりましたね」

「だな。あそこまでしぶといとはなぁ」

 

 強敵を降し、祐一たちはその場で腰を下ろし気の抜けた会話を交わしていた。戦いをくぐり抜けた心地よい疲労感に身を任せ、口調も穏やかなものだった。

 サトゥルヌスやオプスを倒したが、どちらも権能は増えていない。

 カンピオーネ同士が共闘した為にパンドラに認められなかったのかも知れない。護堂はそう言っていて、神を倒しても権能が獲られない事例はわりとあるそうで、共闘の他にも義母であり支援者たるパンドラを喜ばせる戦いをしなかった場合などがあるらしい。

 

「残念ですね。せっかく倒したのに」

 

 スポーツで頑張ったけど賞が貰えなくて残念だ、そんな口調で祐一が笑い、護堂も肩を竦めた。手札が増えるに越した事はないのだろうがそこまで固執するものでもないらしい。

 

「権能なんて厄介なものをたくさん抱えても仕方ないからなぁ……俺はこれでも平和主義者なんだよ」

 

 護堂に至ってはそんな事を嘯いていた。

 

「あはは、へぇわしゅぎしゃって。面白い冗談ですね。ファッションみたいなもんですか?」

「いや、本気だぞ」

「え?」

 

 冗談だと思って相手にしなかったら、わりと真剣な顔をされ本気と来た。「アッハイ」と祐一は返すしかできなかった。

 

「ま、忙しない旅だったけど悪くなかったよ」

「ええ、俺もです」

 

 握手を交わす。

 もうそろそろ別れの時が近い。

 

「……最後まで、ありがとうございます」

「気にするな」

 

 運命が交差し、出会った同族草薙護堂。彼と歩んだ奇妙な旅路は祐一に大きな影響とを与えた。大きな収穫を得た事に満足し、別れを惜しみながら、それぞれの道へ向かった。

 めでたし、めでたし。……──と、そうはいかないのが彼らの業である。

 

 

 ヒュゥゥ……と一陣の風が吹いた。風。風、風、風。極寒の冷気を纏った陰風が、二人の身体に纏わりついては流れて消える。

 白い息が、口から洩れ出る。

 常春のヒューペルボレアにおいてありえない現象……だがこの冷気、覚えがある。

 冷風の発生源はすぐに分かった。谷底だ。先刻まで『冥府の谷』だった場所から、流れ出ているのだ。

 サトゥルヌスの果てた場所。そちらへ視線を送れば黄昏時に見たそれより、闇が濃くなっている。夜の帳が降りてこの世ならざるものの封された彼岸と此岸との"通廊"が結ばれている。大口を開けて息を吐き、吐息が地上に満ちる。

 

 呼気は闇と化し……闇が凝縮され、人の形を成す。

 空の天蓋には真円の輪を衣装とした黄褐色の星が、祐一たちの言葉で『土星』と呼ばれる星が、陰々と張り付けられていた。

 闇を凝縮した人型……サトゥルヌスが星光を浴びて、はっきりとした線を見せた。姿は変わらない。しかし、不吉である。ひたすらに。

 彼の宿星たる土星は、中世の医学や占星術の間では、人々を瞑想や観想に没頭させ、憂うつな気分や狂気に向かわせる影響があるとされていた……その不吉さを人型にしたかのよう。

 

 語るでもなく黙り込んで直立していたサトゥルヌスの黄金の仮面が剥がれ、風化しては消えた……『サトゥルリアナの冠』が滅んだのだ。

 太陽神サトゥルヌスの縁たる神具の滅び。つまり太陽神への道は、完全に途絶えたのだと言外に示していた。

 が、それは太陽神へ至る道を喪ったと言うだけのこと……サトゥルヌスが滅んだという事にはならない。今のサトゥルヌスは輝かしい太陽神でも、楽しげな祭りを捧げられる農耕神でもない。

 現に『サトゥルリアナの冠』と入れ替わるように、彼は死を溶かしこんだ、闇色の底冷えする死の大鎌(ハルパー)を携えていた。仮面を失い白い髪が落ちる。その髪を掻き分けた先に見える面貌は老人のもの。

 その容貌は多くの者がイメージする死神の姿。

 死を吐く鎌持つ白髪の老人……それが()()()()を果たしたサトゥルヌスの姿だった。

 

「随分と感じを変えたじゃないか。イメチェンかサトゥルヌス?」

 

 すでに祐一と護堂は、戦士の顔であった。前に出て、軽口を叩く護堂だが、その瞳に一切の遊びや諧謔の色はない。油断なく大敵の一挙手一投足を見定めていた。

 サトゥルヌスは軽口を相手にせず、静かに独自しはじめた。

 

「余は一度、真の死を迎えた……。不滅たる太陽の完全なる死。……それにより余の太陽神へ回帰する道は……悲願への道は閉ざされたのだ……」

 

 平坦な、なんの波もない言葉だった。

 

「だが、フフフ……。草薙護堂、死をそなたから与えられた事で、余はさらに"死"と近しい存在となった……そこには感謝するとしよう」

「…………」

「死んでも死なない不死性……地母神や死と再生の神って奴とは初めて戦うけど、しぶとすぎんだろ」

 

 このしぶとさ、生き汚さには定評のある祐一が思わず頭を抱えるほどだ。その上、サトゥルヌスはパワーアップすら果たしたという。

 完全復活したこの大敵を殺し尽くせるビジョンがなかなか見えなかった。

 

「我が妻たる地母神オプスを贄とし、農耕神としての相が強くなった余は時の神としても職能を得るまでに至った……。

 それのみならず冥府に漂っていた地母神たる妻の魂魄を捧げる事でより強力な『鋼』の神性すらも獲ることができたのだ」

 

 サトゥルヌスや、彼と同一視されたクロノスは混同されやすいが本来は時の神ではない。しかし、農耕という一年を通して「種を蒔く」「育て実りを待つ」「収穫する」などを繰り返し、毎年の周期は重要なものであった。

 サトゥルヌスは周期を司る。周期を司るとはつまり、繰り返される時間の事……過去、現在、未来を司るに等しく、農耕神として相の濃くなった彼が『時』すらも掌握したのにはそんな理由があった。

 ただ、農耕神とはいえ豊穣の相は限りなく薄まってしまった。それが新たな権能を獲たサトゥルヌスの代償であり、決意の表れ。

 

 加え、サトゥルヌスの掌中に収まる剣……鎌と呼ぶ方が近いかも知れない……ハルパーと呼ばれる剣は、その刃で付けた傷は癒えることがなく、不死者の討伐にも用いられた武器である。"死"と『鋼』を両立させたアダマスの剣。それは今のサトゥルヌスを表すに相応しいものでもあった。

 

「なるほどな。冥府に突き落として倒したと思ったら俺はみすみすアンタをパワーアップさせちまったのか」

「左様。そして余は余の定めた誓いを完遂するまで()()()()。草薙護堂、余はこの姿となり必ず復讐を果たそう……。余は時の職能を用いる事でな。今のおぬしが倒せぬと言うのならば、()()()()()()()()()()()()()()()

「なに?」

 

 見ればサトゥルヌスの身体が白く発光していた。宵闇の化身さながらである彼に、白い光は不釣り合いに見えた。

 おそらくあれは時の権能。時を操り、遥かな過去へ旅立とうとしているのだ。

 

「余の宿願を果たす為であれば、その途上でいくつ世が滅び、民草が死んでしまおうと、構わぬ。草薙護堂、そなたは過去の己が死に絶え、いつ消滅するかも分からぬ恐怖に震え泣くがいい……」

 

 それを止めたくば追ってこい、言外にそう言っていた。その言葉を最後に、サトゥルヌスは虚空に消えた。

 

 あたりにはふたたび静寂が満ちた。しかし、平穏とは程遠い空気を残して。

 急がねばならなかった、そうでなければサトゥルヌスの鎌が己の首を掻き切ってしまうだろうから。

 ふぅ、と息を吐く護堂。厄介事が終わるどころか、さらに重量を増して帰ってきたのだ、宜なるかな。

 

「俺たちの旅もここで終わりだな。帰らなくちゃいけなくなったみたいだ」

「──待ってください護堂さん」

「ん、なんだ? 連れて行けって言っても無理だぞ」

 

 祐一の言葉に、護堂は自分の故郷たる世界に連れてけ、そう言っているのだと予想した。だからすぐさま拒否した。

 祐一はたしかにヴォバンやドニのような気性のカンピオーネではない。が、ただでさえカンピオーネは騒乱を呼ぶ存在。認めたくはないが護堂自身もそうなのだ、もう一人追加は勘弁してほしかった。

 

「そうじゃないです。──サトゥルヌスは俺に任せてもらえませんか?」

「はぁ?」

 

 祐一は一歩前に出て言い放ち、突拍子もない無理筋な提案に、考える間もなく素っ頓狂な声が出てしまった。

 

「何言ってるんだ、サトゥルヌスは俺を狙ってるんだぞ? そんな事できるわけないだろ」

「分かってます。……でも、そうじゃないと、俺はきっと前に進めない。俺も、サトゥルヌスも、冥府に落ちても果たすべきものの為に冥府を克服した……なら、俺とサトゥルヌスと同じです。同じ場所に居るんです」

「…………そうかも知れないな。だが……」

「さっきの戦いで、護堂さん言ってたでしょ。"因縁を切る"って。あなたとサトゥルヌスの因縁はあの戦いで終わったんです、そうでしょ?」

「…………」

「これから先は俺とサトゥルヌスとの因縁だ。俺とあいつ、雌雄を決し、強い方がそれを呑み込んで、前へ進む事ができる。俺は先に進まなくちゃならない……みんなの為にも……これだけは譲れません」

 

 酷いこじつけ理論の押し付けだった。

 目の前の同族は、こっちの命が狙われていると言うのに、それを知っていながら役を譲れという。

 なんて身勝手……だがそう無茶苦茶でもない、か。護堂は沈思黙考した。

 サトゥルヌスには祐一と護堂、同じく因縁があった。そして一度は倒し、因縁を清算したと考えれば、少しは納得するものもあった。そう感じた自分がおかしくもあった。

 

「判ったよ。好きにすればいい」

「え、言っといてなんですけどいいんですか?」

「良い訳あるか、俺は命が掛かってるんだからな──だから必ず倒せ。お前が敗けたらあの世に行ってでも祟ってやる」

「……」

「でも、勝ったなら、それで今までの貸し借りなしにしてやるよ。こんだけ言ってるんだ、必ず勝てよ」

「敵わないなぁ……」

 

 祐一は苦笑いを浮かべた。そんなもので借りがなくなるほど護堂から貰ったものは安くはない。その上で発破まで掛けられた。これで負ければ祐一は古の武士のごとく切腹せねばなるまい。

 

 勝たねば。祐一は覇気と戦意を滾らせた。……もう、決して殺意や憎悪などではなく。

 

「奴が、サトゥルヌスが向かったのは俺が生まれた世界だ。気張れよ、相手は死と時の神だからな……厄介さじゃ、他の神より飛び抜けてる。

 ……それに、あっちにも笑えるほど厄介な奴らがいるしな」

 

 祐一がうなずくと、護堂も満足そうに頷いた。そしてふてぶてしい笑みを浮かべた彼は、祐一の肩に手を置いて……

 

()()()()()()

「? なにかしました?」

「この先どうなるか、俺の目では見通せないが……まぁ、先達からの餞別だ。上手く活かせよ」

「はぁ……」

 

 良く分からない。ただ、護堂がなにかの権能を行使した気がした。彼なりの深謀遠慮があるらしい。

 身体と心がひどく軽くなった気がして、悪いものではないのだろうと思い、先を急ぐことにした。

 

「それじゃあ、いってきます」

「ああ、死ぬなよ」

「あはは。……叢雲、頼む」

『応』

 

 

 ○◎●

 

 

「また新しいカンピオーネに出会ったぞ。闊達で抜けてて、目が離せない奴だったよ。変な奴だったけど、悪い奴じゃなかったかな。まあ変じゃないお仲間なんていないけどな」

 

「女じゃないって。でもなんていうか、人間らしいカンピオーネだったよ……小さな事でも一喜一憂して、泣いたり笑ったり忙しい奴で。

 でも戦いとなれば強かな戦士になる。……例えるなら黒曜石の剣か。折れて砕けたその先で、比類ないほど鋭くなった刃を振るう戦士だった」

 

「驚くなよ、そいつ俺と同じ神を弑逆したらしいんだ。そんなんだから、変なお節介焼いちまった。……俺がお人好しだからだって?」

 

「人間らしいカンピオーネ、とは言ったけど、あいつは倒すなんて概念があるかどうかも分からない因果律を倒すつもりでいるらしい。だからあいつも、どうしようもなく愚か者なんだろうな」

 

「ま。今度会うときは敵か味方かは分からないが、敵でないと好いくらいは思ってるよ」

 

 

 ○◎●

 

 

 かくして戦士は再起した。

 少年だった彼は、過去を受け入れ青年へと近づいた。未熟な戦士は着実に刃を砥いでいく。

 

 しかし未だ彼の旅路は波乱に満ち、休息の時が訪れることはない。

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