王書   作:につけ丸

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第七章 三つ巴
072:廻車


【三月 イタリア・ミラノ】

 

 ──草薙護堂。サルバトーレ・ドニ。両王ミラノにて相対す。

 戦いは引き分けにて幕を閉じ、草薙護堂は本国へ帰国、サルバトーレ・ドニは傷を癒すため、一時、行方をくらます。

 

 

【三月 イタリア・ローマ】

 

 ──ラツィオ州にあるサトゥルヌスの神殿にてまつろわぬサトゥルヌス顕現。

 同日、ローマの騎士団らが持ちあぐねていた神具『ゴルゴネイオン』を強奪。

 草薙護堂のもとへ襲撃を仕掛けようとするが、同じく異界から現れた木下祐一に阻まれ激しい戦闘となる。

 草薙護堂の首級を上げんとするサトゥルヌスとそれを阻む木下祐一の両者は、三日三晩戦いながら欧州を北上していく事となる。

 

 

【三月 ドイツ・ザクセンアンハルト】

 

 ──自然公園の奥地で大地震が発生。

 人的被害は皆無であったが後日、巨大なクレーターが発見され、隕石の衝突を噂される。

 

 

【三月 デンマーク・エスビアウ】

 

 ──突如、昼夜が逆転する前代未聞の不可解な現象が発生。

 その後、集団幻聴が発生し雷光が夜を引き裂く怪現象が重ねて起きる。

 

 

【三月 ノルウェー・ベルゲン】

 

 ──戦闘と北上を続けていた両名であったが、木下祐一が一瞬の隙をついてサトゥルヌスからゴルゴネイオンを奪取。

 以後両者ともに身を隠し、状況はしばし停滞する。

 

 

【四月 ノルウェー・ベルゲン】

 

 まつろわぬアテナ、入国───。

 

 

 

 

 

 

 ○◎●

 

 

「───では各々方、ここに誓約をなされよ。

 我ら三名、古の《蛇》……ゴルゴネイオンを勝者の冠とし矛を交えんと。戦場はこの北欧の地、あくる夜を刻限として、全身全霊をもって勝利を希求せんと」

 

「俺は構わねぇ。アンタらが俺からゴルゴネイオンを取れるとは思わないしな」

 

「愚昧な。その傲慢と僭越、高くつくぞ。そなたらを降し、古の蛇を手中におさむるは余を置いて他にはなし。必ずや我が宿願を果たしてみせよう」

 

「血気に逸るのも結構だが、今はご自重なされよ"神殺し"、そして我が祖父殿。……我らが雌雄を決するのはふたたび太陽が隠るる明夜。その時に思う存分に猛れば宜しい」

 

「……良かろう。しかし、アテナよ。そなたもまた覚悟せよ。余と戦うというのならば、いかに武で鳴らすそなたとはいえ我が宿願の礎となるのは必定ゆえな」

 

「血の気が多いなアンタ。じゃあ、俺は行くぜ。用もないのにアンタらと顔を突き合わせていたくないからな」

 

「待て、"神殺し"よ。そなたが懐に収めるゴルゴネイオン、ゆめゆめ失くす事なきよう。それは妾が半身にしてまつろわぬ妾に権威を授ける古の《蛇》。妾が求め、必ずや妾が手に取り戻すものゆえ」

 

「そうかい。いっそ、ぶっ壊せれば良かったんだけどなァ……」

 

 

 若い声を最後に、三つの影は闇に溶けた。

 

 

 ○◎●

 

 

 HRが終わり、終業の鐘が校舎に響いた。

 張り詰めていた気配がぷつんと消えて学校中からため息が吹き出たようだった。復活祭(イースター)の連休明け、気だるさを隠しきれなかった生徒たちが活力を取り戻して三々五々に下校していく。

 連休明けの学校は午前で終わり、これから街へ繰り出そうという生徒も珍しくない。それに今日は金曜。週末も近く教師陣すら気楽な空気を隠せていなかった。

 そんな雰囲気の流れる校舎でチェリー・U・ヒルトはひとり、誰もいなくなった教室で空を仰いでいた。

 窓辺で頬をついて空を見上げると、腰までとどく黒い髪が風にゆれた。春の空気だ。長い冬が終わりあたたかな季節の先触れが心地よい。生徒が浮かれ気味なのも春の気配に当てられているからだろう。

 

 ただ、チェリーは世間の流れに逆らうようにどんよりとした気分を味わっていた。

 イースター休日になるとノルウェーの人々は、ハイキングやスキーに出掛けるか、家で探偵小説でも読みながらゆったりとした時間を楽しむものだ。現に彼女の友人も北部の街トロムソへスキー旅行に出掛けたまま帰ってきていない。

 チェリーもまたそれらに倣うようにハイキングか家で読書するか楽しみにしていたのだが……。

 

「魔力に魔術、極めつけに神様なんてのがいるなんてね……。まったく、眉唾もいいところじゃない」

 

 チェリーのどんよりとした気分の元は、この言葉に集約されていた。

 魔術。

 それはあらゆる地域の古代社会のなかでもシャーマンらの存在とともに現代にいたるまで継承される概念だ。人がいと高き存在たる神とより高度に交信するために生まれたものもあれば、敬虔な信者が神話や逸話に残されたかすかな伝承をもとに行う儀式もある。

 黄金や不老不死を求めた魔術がいまに続く科学や技術に繋がっていることを知る者も多いだろう。

 けれど魔術なんて現代では空想や与太話にすぎない。彼女のいうように眉唾もいいところだった……()()()()()。 

 今年のイースター休日の予定を親に聞いてもはぐらかされるばかりで、怪訝には思っていたのだ。いたのだが……蓋を開けれてみれば己が家の秘密や世界の裏側に横たわる真実を教えられる始末。

 ワクワクしながら連休を楽しみに待っていたというのに、魔術なんていう理外の法則があって、神様なんていう超常の存在がいるという裏側の真実を告白され、休日を潰される羽目になったのだ。憂鬱になるのも仕方がないし、好意を抱けと言われてもちょっと難しい。

 

 十四歳をすぎてイースターというひとつの節目を迎えたから、という事だったが、わざわざうら若き乙女の休日を潰すとは何事か。己が家業とやらに私怨まじりの怒りを覚えた。

 

 それに当然だがそんな与太話、到底信じられなかった。……というか今でも半信半疑だ。

 しかし彼女の家は代々続く魔女の家系で、目の前で空を飛ばれれば信じないわけにもいかなかった。

 

「アタシも魔術なんてものが使えるようになるのかしら? それはそれでおもしろそうではあるけど……」

 

 母曰く、いつかは自分も習得する時が来るらしい。そんな言葉を思いだしては渋い顔を作った。

 魔術だなんだと言われてもすぐさま実感が湧くものでもなく、未知のものに対するワクワクがない訳ではないが……現状では新しい習い事が増えるのか、程度の認識しかなかった。

 だから娘にすべて教えるぞー! と張り切っていた母には申し訳ないが、チェリーはわりと冷めていたし休日を潰さないで欲しかった。

 

 オマケに、話によればチェリーの生まれたヒルト家はおおよそ千五百年ほど昔の六世紀頃、ヨーロッパにフン族がやってきた時代に興った家だという。

 動乱のなかで東欧あたりで宗家が建てられ、それから現代まで血を受け継いできた由緒ある家である。モンゴロイドの血も入っているらしいが遠い昔の話で、すでにコーカソイド化しているのだが……どうやら宗家は開祖から続く高貴な血統を守ることを主眼にしていたらしく、数千年後の子孫である彼女にも先祖がえりし黒髪が流れていた。

 

「……それにこのお守りも()()だったなんてね」

 

 空にかざしたお守りは、首から下げられた一つの黄褐色のペンダントだった。装飾のほとんどない簡素なペンダントで、形はペンデュラムに近くどこか鏃に似ていた。

 彼女のペンダントは彼女の家の興りから血とともに連綿と受け継がれて来たのだという。

 

「生まれた時からママがアタシに持たせてて愛着もあるし、呪具っていう曰く付きの代物だからって外したりしないんだけどね。

 外したら外したで、めちゃくちゃ体調崩しちゃうし」

 

 どうやらこのペンダント、母が言うには呪力を吸いとる性質があるらしい。それだけなら胡乱な質をもったまさに呪具というべきものなのだが、チェリーをはじめとするヒルト家の女人は優れた……いや、優れすぎるほど優れた魔女としての素質をもって生まれてくるらしい。

 過ぎたる才は人の身を滅ぼすのが、世の常。それを抑え、また他の魔術師たちから隠すためにもこのペンダントは必須であった。

 ペンダントを指で弾いて、踵を返す。

 

「ま、いいわ。めんどくさそうなら全部ほっぽりだしてやめればいいし」

 

 あまり一つの考えに固執するのが嫌いな彼女は、深く考えすぎる前に思考を打ち切ると手を叩いて教室を出た。

 

 

 

 ──ノルウェーにベルゲンという都市がある。

 古くから交易で栄えた港町で、ノルウェー第二の都市でもある。七つの山とフィヨルドに囲まれ、半島型の港湾部をもつ美しくも珍しい街は、それだけで一見の価値があった。

 ノルウェーのなかでも有数の観光地であるベルゲン。外国人も多いのは当然で、けれどそんな街でも綺麗な長髪を靡かせ歩く少女は目立つもので外国人観光客や、近所の顔見知りに、学校の生徒と、よく話掛けられる。

 

「よう、チェリー。近々スウェーデンのストックホルムに引っ越すって本当か?」

 

 今日も例外ではないみたいだ、ギターケースをもったお兄さんに声を掛けられ足を止めた。

 

「別に引っ越さないけど……でもスウェーデンに旅行に行くのはホント。旅行に行くのもストックホルムじゃなくてルンドだけどね」

 

 間違いを訂正したあと、挨拶程度に言葉を交わす。ノルウェー人はシャイで独特だと言われるが、チェリーは人付き合いに隔意はなかったし世間話が好きだった。

 ……ちなみにルンド観光とは表向きの理由で、実はスウェーデンのルンドに行く理由も家業に関わることだった。

 ノルウェーを含む北欧地域は有名な北欧神話やルーン文字を有する独自の魔術体系が根付く土地だ。それほどの下地があれば、名門や旧家と呼ばれる力をもった大家や、古く力のある魔術結社がひしめき合うのは当然であった。

 ルンドにはそれらをひとくくりにした情報共有や利益調整を主目的とする互助組織が存在する、という話だ。

 一応、魔術師たちの末席に座っているヒルト家も例外ではなく、そこそこの年齢になったチェリーも顔見せに行かなければならないらしい。

 

「ルンドに行くのはいいけれど、魔術師なんて連中と会うのは面倒ね……」

 

 お兄さんと手を振りながら別れて、ボソリとつぶやく。自分もその仲間である事を棚に上げての発言である。

 そもそも魔術師なんて人間を一昨日まで知らなかったのだ。いきなり会えと言われても、今から頭が痛かった。

 

 チェリーが十四になるまで、裏側の事情に触れていなかった理由はもちろんある。

 そもそも彼女のヒルト家は、北欧生え抜きの家という訳ではなく、もともと東欧あたりに存在した家だった。だがおよそ三百年ほど前に激化する戦乱に存続を危ぶんだ当時の当主が血を残すために、分家を作ってその分家が移り住んできた家であった。

 ヒルト、という名前も別れた折に宗家から押し付けられた名前で、宗家のもつ本来の名とも異なっている。

 いわゆる外様。北欧魔術の呪術組織とは距離を置かれていたし、こちらも関わる気もなかったという。

 時が流れると、時代の激流のなかで本家は途絶え、傍流であるこちらが細々と生き残る事となってしまった。先祖の判断は間違っていなかった。

 そんなこんなで、魔術師でありながらも彼ら一族の意識はかなり低く、表舞台に立つことなくできれば在野に埋もれていたい──。

 それが家の考えであり、チェリーに十四まで家業を黙っていたのも考えの表れだろう。

 

 できればそのまま忘れ去って欲しかった。

 堅苦しいのが嫌いなチェリーとしても、名門だの名家だのとその手の輩は忌避感を覚えるもので、母たちの考えは大いに頷けるものだった。

 本家は魔術師たちが"王"とすら仰ぐものの血を引いているなどと言っていたらしく、それがもし本当ならチェリーにもその血が流れているらしいが正直知ったこっちゃなかった。

 これからの出来事にワクワクがなくもないが面倒さが勝ってしまっている。

 はぁ、とため息をついて不機嫌さを隠しきれなくなりはじめたチェリーは「こんな時はあそこに行きましょ」とうなずきいて、のっしのっしと歩きはじめた。

 気分転換するにはお気に入りの場所に限るのだ。

 

 

 ○◎●

 

 

 

 小さな広場に据えられた石の椅子に座って、賑やかな景色を一望する。チェリーはここから見る景色と時間が好きだった。

 

 ここはブリッゲン地区と呼ばれる世界遺産にも選ばれた場所で、見える景観はとにかくカラフルで独特だ。

 ベルゲンは観光都市であり、ブリッゲン地区はそのまま街並みが観光名所であった。

 三階建てに傾斜した屋根、と造りは同じだが、白にオレンジ、深い赤など色を補完し合った建物がならぶ景色はそれだけで目を楽しませてくれる。

 

 観光客に、地元の人々……。忙しなく歩き回る様子は生まれ故郷の賑わいをこれでもかと教えてくれて、根っからのベルゲンサー(ベルゲンっ子)なチェリーにとっては誇らしくもあり、面映ゆくもなる、そんな場所だった。

 上機嫌に鼻歌を歌いながら、背伸びをする。

 

「んん、今日は特別にいい天気ね」

 

 ベルゲンは雨が多い地域だ。半年以上も雨がつづいた年もあるほど。

 海流のおかげで冬でも比較的温暖、という利点もあるがその代わり湿った大気が山々に当たり、雨が非常に多い土地なのだ。

 

 だから今日のような不思議なほど快晴で、雲が一つもない天気は珍しい。珍しい日だからいつも訪れているブリッゲン地区も、衣装を様変わりさせたかのようで、チェリーの目には新鮮に映った。

 

 太陽のおかげか雑踏を行く人々の表情もよく見える。

 

 北欧というイメージ通り、金髪碧眼の者もいればラテン系の者もいる。ベルゲンは貿易で栄えた都市であり、ネグロイドやイスラム圏の人間もまた珍しくはない。

 観光客だろうか、黒い髪のアジア人もたまに視界をかすめた。雑踏を行き交う人々は、多種多様で、まさに人種の坩堝といった風情だった。

 

 

 そして。

 

 

「───」

 

 

 ふと、視線が吸い込まれた。

 ……否。そう表現しなければならないほど、その()()は、凄絶に、鮮烈に、美しかったのだ。

 

 肩まで伸びた夜闇に降りそそぐ銀光を編んだような髪に、さながら冥府にまで繋がっているかと見紛うほどの妖しき黒瞳。容姿は精緻を極め、服越しでもその肉体は黄金比なのだと分かった。

 服装は少女の冠絶とした美しさに比して、セーターにスカートを纏い、青いニット棒を頭に乗せていた。

 きっと、歳はチェリーとそう変わらない。同い年か年下で、年上という事はないだろう。ただ、チェリーにも残る愛らしさは欠片もなく、酷薄なまでの美々しさと強かな戦士を思わせる泰然とした貫禄が備わっていた。

 

 銀色の少女が、チェリーの凝視に気づいた。

 類稀なる少女が口を開く、口角を吊ったような微笑をのせて。

 

「ほう……。妾が見えるか、小娘」

「はあ?」

 

 知れず身構えていたチェリーだったが、飛びて出してきた突っ飛な言葉に、思わず眉根を寄せた。

 どこからどう見ても存在感の濁流じみた少女に「自分が見えるのか?」と問われれば、当然の反応かもしれない。

 

 ただ、その言葉で気付かされた。

 よくよく見れば、周囲の誰もが目の前の少女を見ていない。こんなにも目立つ存在だというのに、自分以外、ただの一人も。

 疑問が、困惑と不審に変化するのを自覚する。

 

「なに、これ……。どうなってるの……?」

「娘、そなたは妾のような存在と出会うのは初めか。ならば覚えて置くと良い……妾のような不死の者はただ"見るな"と思うだけで定命の者の目から外れるのだ。ふふ、この妾が直々に教えてやったのだ。感謝するといい」

 

 良く分からない単語をつらつらと話す少女は、最後に疑問の答えを教授したことに感謝しろと尊大に言いきった。出会って一分もしない内に、記憶野へ焼きごてのごとく印象付けていく少女に、思わずポカンと呆けてしまった。言葉は通じているはずなのに、言っている言葉が荒唐無稽に過ぎて、異国の言葉を語っているのと変わらなかった。

 

 けれど。

 あぁなるほど、と合点がいったようにチェリーは手を叩いた。

 

「ね。貴女、もしかして魔術師っていう連中なの?」

 

 類を見ない異質な少女に最初は戸惑ったチェリーだったが、最近知った異質な者たちの存在を思い出した。魔術師なんて輩は親以外に見た事はなかったが、けれど眼前の少女の異質さがどこか似通った性質に見えたのだ。

 するとどうしたことか、少女はクツクツと笑い出した。やはり年不相応な態度で。

 

「妾がヘルメスの弟子どもだと……? フフフ、無知とは恐ろしいものだな」

「え、違うの? ならごめんなさい」

 

 どうやら少女は魔術師の存在をしっているが、どうやら違うらしい。

 失敗したかしら、とすこし申し訳なさそうに頬を掻いて謝意を述べた。なにせそう思えるほど特異な少女だったのだ、むべなるかな。

 けれど魔術師であることは否定しても存在は知っているらしい少女に、チェリーはさらに疑問が深まった。生半可な知識しかもたないチェリーは、眼前にいる少女の正体が全くもって見抜けなかった。

 

「ああ、その通りだ。妾はそのような低俗な輩ではない。侮辱にも等しき言葉だが……しかし非礼も一度は赦そう」

「許してくれるの?」

「うむ。そなたは気持ちの良い少女だ。妾に使命さえなければいにしえの戦士や巫女のごとく加護を与えていたかもしれん。それに……そなたは妾の眼鏡に叶うほど巫女としての才を有しているゆえな。誇れ、妾が側女として仕えさせても良いと案ずるほどの才ぞ」

「巫女……?」

 

 こちらの分からない頓珍漢な事ばかり宣う少女に、何度目かの疑問が口からついた。そんなチェリーに関せず、少女は微笑をささやかに深めた。嘲りでも慈愛でもない無味乾燥とした笑み。

 

「そうだ。妾たち地を統べる母なる神とそなたは遠い遠い縁続きの間柄。そなたは古き地母である妾とも遠い裔といえるだろう」

「遠い……裔……?」

 

 ──直後、頭痛が起きた。

 まるで射影機が映しだすコマ送りの映像をそのまま頭蓋に押し付けられている感覚。

 最初に覗き見たのは人々が崇め奉り、大地を治めた偉大なる女神。次に映ったのは剽悍無比にして血気盛んな力ある英雄の登場。英雄と女神が覇権を争い、最後には敗北し貶められた女神の姿。

 そう、これは貶められ虐げられた忌まわしき過去……。かつて地母の女神として権勢を振るい、冥府すら統べた偉大なる女神の、凋落の歴史。智謀冴えわたり、比類なき武を持つ、智勇を兼ねそなえた戦女神。

 その神の名を──。

 

「なるほど。娘、そなたはなかなかに優秀な"先祖帰り"と言うわけか」

 

 そこで野放図だった思考は一刀両断された。

 

「一目で妾の忌まわしい過去を見抜いたその眼力は女神たる妾を以ってして称賛に値しよう」

 

 だが。

 と少女が言葉を切った。

 

 銀色の少女と視線が繋がる。こちらを見据えた彼女の瞳は顕著なまでに変化していた。……猛禽や蛇のように鋭く怖ろしいものへ。

 銀色? なにを馬鹿な。少女の背後にわだかまる濃密な死の気配が見えないのか。ああ、あれこそ死の装飾、闇色と例えるに相応しい。

 

 チェリーは驚いた。気付けば手が震え、身体を掻き抱いていた事に。

 こんなこと、人生で一度だってなかった。

 

 寒い。寒い。寒い。とんでもなく寒い。まるで永久凍土の中に閉じ込められたかのよう。いや、それよりももっと酷い。

 いつの間にか奈落の奥底に叩き落された感覚。暗澹たる荒れ野にチェリーは放り出された。

 そう、これは、──()()。人が誰しも持つ根源的な恐怖を叩き起こされているのだ──"死"の恐怖を。

 

「妾の過去を覗き見る事は罷りならぬ。先刻も申したように妾には使命がある。そなたにかかずらっている暇はないゆえ一度は赦そう……しかし」

 

 言葉は最後まで届く事はなかった。あとに残ったのは舞い上がった梟の風切り羽根。身軽な羽根が舞い、地面に落ちる。……それが何よりも雄弁に語っていた。

 

 そうして羽根と威圧が虚空へと消え失せる頃には、周囲はいつもの喧騒に戻っていた。

 

「な、なんだってんのよ……」

 

 荒い息の合間に絞り出した声は、震えていた。恐怖が、肉体を器として滴り落ちそうなほど満ちていた。臍下丹田のあたりがひどく重苦しい。心臓は早鐘を打つのをやめない。まるで筋繊維を引きちぎるほど動かなければ瞬く間に停止してしまうと錯覚したかのように、死から寸毫でも遠ざかるように。

 

「はぁ……はぁ……さっきのって、白昼夢? でも、そんな訳ない」

 

 あれは決して夢や幻などではない。今でも肌を泡立たせている寒々しさはどうしようもなく現実のもので、あれは間違いなくリアルだったのだと訴えかけてくる。

 周囲の喧騒も忘れ、また膝を抱えて身体を掻き抱いた。

 

「寒い……」

 

 短い一言。だが言葉が耳に届いて虚空に消えるまで、ひどくゆっくりだった。

 時の流れが緩慢になっていく。

 五感が永久凍土に押し込められ刺々しい冷たさに覆われると、今度は時間の感覚が溶けて消えていく。

 彼女の自己と世界の境界線がひどく曖昧になっていった。

 

 

 

 

 それからどれほど時間が経ったのだろう。あたりはもう夕暮れで、……声を掛けられたのもそんな時だった。

 

「──なあ。アンタ、ずっとそこで伏せってるけど大丈夫なのか?」

 

 力強い声にハッと、弾かれるように顔を上げた。

 最初に想起したものは二つの太陽……でもすぐに間違っていると気付いた。

 なにせ、あれは目だったから。烈火と例えて良い、意志を宿した紅い瞳がこちらを見据えていただけだったのだ。

 

 声を掛けて来たのは同い年か年上に見える少年だった。

 だけどそれとは裏腹に、どこか疲れているようで、なにか重しを背負っているようで、それでいて錆びついた剣にも思えて。

 泥の中の星。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。イメージの定まらない少年は、無言を返すチェリーに困ったように頬をかいた。

 

「えと、俺は木下祐一。アンタが辛そうだったから声を掛けたんだけど……」

 

 あ、ナンパとかじゃないぞ。そう付け加えて声を掛けてきた来た彼はまた微笑った。

 

 

 少女の数奇なる人生は、今このときより始まる。しかし彼女はまだ扉を叩いただけの旅人ですらないただの少女。

 

 それは、運命の気まぐれ。

 少女と、少年。運命が交差し、廻る天輪はきしみを上げる。

 

 

 ──廻るはずのない歯車が、噛み合った。

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