王書   作:につけ丸

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魔術師

 変な奴。胸中で独り言ちながらチェリーはカフェの一席で、エスプレッソを口に運んだ。

 

 空はもう夕暮れ時をすぎて、仄暗い闇色に染まっている。

 いつもなら家で夕食を軽く食べて夜食を……と言いたい所だが、今日は色々あって夕食の時間をとっくに過ぎ夜食の時間。

 帰るにもいささか遠く、早々にあきらめたチェリーは家に一報を入れ、外で食事をとる事にした。

 

 それに、()も居るし。

 コーヒーカップに口を付けながら、対面で遠慮なく料理を頬張る少年を見た。あまりの食いっぷりに、ふふ、と微苦笑してしまう。

 

「いい食べっぷりね。気に入ったかしら」

「美味い。久しぶりにこんなまともな飯を食ったよ……でもいいのか、奢ってもらったりして」

「気にしないで。あなたに声を掛けて貰ってなかったら、きっとあのままだったでしょうし。それにアタシもお腹減ってたしね」

 

 軽い口調で返すと、そっか、と食事に戻った。生魚であるサーモンの切り身をためらいもなく口に運んでは咀嚼する彼は、さっき声を掛けてきた少年で、木下祐一と名乗った。

 旅慣れているらしく、どこか雰囲気が独特でチェリーが接した事のないタイプの少年だった。

 それに物怖じしない気性でもあるらしい。初対面のチェリーの前でも気持ちいいくらいの食べっぷりを見せ、一息つくと、うなづいて微笑を浮かべた。

 

「この店、本当に美味いな」

「でしょ? 安いし穴場なのよ」

「へぇ……ちょっと驚いたよ。俺も何度かこの国のご相伴に預からせて貰ったけど、必ずと言っていいほどじゃがいもとサラダが出てきてなぁ……あんまり料理の種類がないのかって思ってたから」

「それは、まぁ……仕方ないわ。もうひとつの主食みたいなものだし。でもサーモンだって食べるし料理も豊富じゃないかしら」

「そういや俺の国でも北欧の魚を輸入してたなぁ」

 

 そうでしょうそうでしょう、と豊かな胸を張って自慢げなチェリーに、祐一と名乗った東洋人は少し苦笑い気味になった。

 

「それにしてもあなた、東洋人なのに英語だけじゃなくてノルウェーの言葉も話せるのね。ベルゲンって方言が強いから、あなたみたいに滑らかに話せる外国人なんて稀よ?」

 

 まるでネイディブだわ、今度はチェリーは感心したように零した。

 元々ノルウェーは歴史的にイギリスと関係が深く、英語に明るい国民が多い。その為、チェリーも英語に難はなく観光都市であるここで外国人観光客と話すときはもっぱら英語である。

 それ故、祐一と話す時もはじめは英語だったのだが……どうも彼はノルウェー語も難なく話せるらしい。

 ベルゲンは訛りが強い。というより"ノルウェー語"と一口に言ってもノルウェーという国の成り立ちから、大きく分けても二つあるのだ。

 これでもまだ整理された方で、一昔前なら、ひとつ山を超えれば全く別の言葉を話していたりしていたらしい。

 けれど祐一という少年はそんなこと関係ないと、ベルゲンの方言すら完璧で驚かずにはいられなかった。チェリーの称賛に祐一は、困ったように額を掻いて目を逸らした。

 

「ん、生まれは日本だしノルウェーに来たのもはじめてだよ。まあ言葉に関しては、ちょっと色々あってなぁ……話そうと思えばなんでも話せるぜ」

「大した自信じゃない、旅人って感じがするわ。……でも、へぇ、ジャパニーズなのね。チャイニーズなら珍しくもないけどジャパニーズは偶にしか見たことないし、話すのも初めてじゃないかしら」

「ま、遠いし日本人はシャイらしいしな」

 

 あらそうなの、とクスクス笑い合う。

 

「けれどそんな極東の島国から地球の反対側にある北欧まで何しに来たの? 観光?」

「うんにゃ、ちょっと人を探して……というか追っていてな。気付けばこんな所まで来ちまったんだ。最初はイタリアに居たんだぜ」

「なにそれ」

 

 義務教育中の自分とそう変わらなそうな身空で諸国を遍歴しているという彼に首を傾げてしまう。けれど、そう言われると彼の独特な雰囲気にも納得がいった。

 

「そう言えばあなたっていくつなの? アタシ達ってそんなに年が離れてる訳でもないでしょ」

「あー、たぶん十四歳……だったはずだ」

「はずってなによ。でも同い年だったのね、ちょっと年上かしらって思ってたから意外」

「そうなのか? それはこっちも同じだな。まぁなんだ、君はその……見た目が成熟してるだろ? だからもう少し年上だと思ってた」

 

 目を逸らしながら言いにくそうに彼は言い、チェリーも得心したように声を漏らした。

 身長も百六十を越え、その容姿からも幼さは消え去ろうとしていた。自分から年齢を言い出さなければ高校高学年だと思われるだろう。

 そして彼女のバストは豊満である。

 無遠慮な視線を向けてしまった祐一に、警告じみた素晴らしい笑顔を向けると、彼はあっさり降参して頭をテーブルにぶつけるくらい下げ、チェリーは苦笑しながら許した。

 

「アタシはそうね……。初めて見た時からあなたがあんまり表情が柔らかくない、というか張り詰めて笑わないから少し年上に見えたわ。表情だけで判らなくなるんだもの、東洋人が年齢が分からないってのは本当ね」

「はは、明け透けにいうなぁ。でも……笑わない、かぁ」

 

 二人とも同い年と聞いて驚いた。外見に雰囲気ともにパッと見ただけでは分からないほど年不相応だったとも言えた。

 チェリーの言葉になにか思うところがあったのか、彼は頬に手を添えて、何かを思案しているようだった。

 

「こうして日本人と接するのは初めてだから……日本人はシャイで礼儀正しいって聞いてたけど、あなたそうでもなさそう」

「そういう君だって。ノルウェー人もシャイって聞いてたし、話した人もそんな印象だったけど……君はなんていうか、奔放で明け透けだ」

「あら、よく言われるわ」

 

 肩をすくめて笑う。

 

 それからの彼と彼女の食事はなんだかんだ終始和やかものだった。

 祐一が評した通り、思った事をズバズバいう気性のチェリーだったが、対する祐一はとくに気にする風もなく、それどころか打てば響くように答えるチェリーを好ましく思っているようでもあった。

 もしかするとそういう、遠慮なんていう概念がない環境に身を置いていたのかも知れない。

 チェリー自身、その気性ゆえに相手を怒らせる事も少なくなく若干自分に辟易する気持ちが無きにしもあらずだったからか、同じように遠慮のない彼との時間は心地良かった。

 

 楽しい時間は矢のように過ぎていき、チェリーの門限が近づいたころに彼らは席を立った。店先で別れる寸前、祐一が妙な事を言い出した。

 

「俺はもう行くけど……明日、もしかすると今夜にもここベルゲンで大きな災害が起きるかも知れない。だから……逃げれるなら逃げといた方がいいぜ」

「なにそれ。冗談にしては全然おもしろくないんだけど」

「冗談とかじゃなく本当なんだって。一宿じゃないけど一飯の恩義だ、忠告くらいさせて欲しいし聞いてくれ」

 

 荒唐無稽な事を言い出した彼だったが、その視線は真っすぐで嘘を付いているようには全く見えなかった。

 でも、だからこそ、チェリーはなおさら頑として首を振った。

 

「バカね。もしそれが本当だとしても、此処はアタシが生まれた街なのよ? だのにどこに逃げるって言うの。あなたが同じ状況ならそうするの?」

「───」

 

 そう、だな……と酷く驚いて絞りだすような声音でかすれた声を出した。チェリーにとって当たり前の事、でも彼にとっては驚天動地にも等しい……いやそれ以上の衝撃だったらしい。

 あまりの取り乱し様に、こちらが心配になって肩を叩いた。

 

「あなた大丈夫なの? ちょっとおかしいわよ?」

「……そうだよな、親も友達もいるのに逃げるなんて……本当に……。

 ……いや、なんでもない。俺が間違えてたって反省していただけさ」

「それならいいけど……」

「なあ君……いや、チェリー。もし……もし、何か強大でどうしようもない脅威が迫って逃げ場がなくなった時は──俺の名を呼べよ。そしたら俺が風にのって助けに来れるからさ」

「あら、新手の口説き文句?」

 

 さっきまでの重い空気を振り払うように冗談交じりにクスクスと笑い、彼は仏頂面になってそうじゃねーよと不貞腐れていた。その顔がおもしろくて淑女らしからぬ笑い声をあげてしまった。

 

「ごめんなさい、冗談よ。……ユーイチだったわね。いいわ、憶えておいてあげる。ま、私がピンチになる事なんて早々ないけどね」

「はは。そりゃあ助け甲斐がありそうだ」

 

 じゃあ、また会おう。そう言い残して彼は踵を返した。振り向きもせず何事もなかったようにその歩みに迷いはなかった。

 

「悪い奴じゃなかったけど、やっぱり変な奴……って、あら?」

 

 道端に何かが落ちていた。外灯の光を反射してチカチカと存在を主張している。

 よくよく見ると、それは円形のメダルだった。何やら蛇と女の意匠が施された古ぼけたメダル。それを手に取った瞬間、何やらひどく懐かしくて、手に馴染んで溶けていくような感覚を覚えた。

 

「……これ、アイツが落としたのよね」

 

 眉根をよせ、去っていた少年の方向をみる。

 

「まったく世話の焼けるわね──ユーイチ、ちょっと待ちなさいよ! アンタ、何か落としていったわよ!」

 

 声を上げたが、瞬きの間にまるで風に溶けるように彼は姿を消していた。

 放っておく訳にもいかず、チェリーは素早くメダルを胸ポケットに仕舞うと、すっかり夜闇に満ちたベルゲンの街へ駆け出した。

 

 

 ○〇●

 

 

 すっかり暗くなった街は、見慣れた風景だというのに距離も時代もはなれた異国の地に思えた。

 珍しいことに人っ子ひとりいない。ノルウェーの夜は寒いといえど、これほど人気のないはずがなかった。

 

「もう……。なんだって言うのよ、どこにも居ないじゃない」

 

 呟く声もどこか覇気がない。ベルゲンの見せたことのない顔にあてられたか、おかしな魔力に吸い寄せられたか、普段なら行くはずのない路地裏へチェリーはさそいこまれていった。

 そして、いつの間にか見知らぬ道に立っていた。薄暗い路地。閉め切られた窓。灯りのない家。見渡す景観は不気味を通りこして異様であった。

 

「───おや。そこなお嬢さん、そんなに急いで何かお探しかな」

 

 ふと、横合いから声を掛けられた。

 建物の間から現れた若い声は、歳若い青年のものだった。しかし祐一とは違い、ひどく陰気臭く親しくなろうとは思えない雰囲気を宿していた。

 弱々しい街頭の光に照らされフードから覗く。容姿は美男子のように思えたがどこか浮ついた風情のあるラテン系の男だった。

 疑惑と警戒を隠そうともせずチェリーは誰何の言葉を投げた。

 

「誰? アタシ、急いでいるから大した用がないなら打て合わないわよ。それにあなた、すっごく胡散臭いし」

「これはこれは……中々はっきり物をいうお嬢さんだ。私はビアンキ。ダヴィド・ビアンキ。ここで占い師をやっていてね……」

「占い師?」

 

 そうだよ、と囁きビアンキと名乗った青年は足音も立てずのっそりとチェリーの前に立った。影の揺らめくような足取りで。

 無意識に一歩だけ後ずさりそうになって……けれど、足は金縛りにあってしまったように言う事を聞かなかった。

 おかしい。肌が泡立つ。

 それを意に介さずビアンキは何を思ったか、その生白い手を伸ば、頬に触れた。

 

「アンタ、断りもなしに女性の肌に触れるなってママに教わらなかったの? 育ちがよっぽど悪いのね」

「本当に気丈なお嬢さんだ。しかし、ふむ……。君の歓相を見させてもらったよ、中々におもしろい相を持っているね」

「相、ですって……?」

 

 ああ、今度は分かった。……世俗から大きく外れた言動に不気味な雰囲気。先祖もその家系であり、不本意ながらも自分もまたその一人であるらしいそれ。

 この青年もまた、同じ類の人間なのだろう。

 

「アンタ、魔術師なのね」

「おや、これは失礼。君も同じ穴のムジナだったか。それなりの気配は感じていたが……君が同輩にしてはあまりにも稚拙で気付かなかったよ」

「それはそうでしょうとも。魔術師なんて知ったの、つい最近だもの。でも……魔術師ってのは情けない奴らなのね。私みたいな小娘ひとり留めるために、こうやって縛らなきゃいけないらしいわ」

「大した虚勢だな」

 

 チェリーの侮蔑にビアンキ某ののっぺりとした仮面が剥がれた。ずるいと剥がれた先には傲慢さの隠しきれない鬱屈とした青年の容貌があった。

 何が目的かは分からない。けれど弱みを見せてはならない。

 魔術師は人の心につけ込む術すら有するという……引いては呑まれる。母の教えだった。

 

「アンタ、占ってやるって言ったわよね。なら教えなさいよ。アタシみたいなか弱い小娘を縛った上に自分の言葉を翻すほど情けなくはないのでしょう?」

 

 ビアンキから舌打ちが漏れた。

 どうやら正解を引き出せたらしい。チェリーは内心ほくそ笑み、身動きの取れないままでも気丈に振る舞った。

 意志に翳りはない。少しでも弱みを見せてはならなかった。状況が好転すると信じてビアンキを睨んだ。

 

「いいだろう、教えてやる。君の尋ね人はふたたび君の前に現れる」

「あっそ。こんな事する三流占い師の占いなんて信じられないけど、外れない事を祈るわ。じゃあお代はどうしましょうかしら? アンタの鼻っ面に拳を叩き込むってのはどう?」

「ふふふ……お代は気にしなくていいよ。どうやら君は興味深いものを持っているようだ……それを対価としよう」

「ッ! アンタ……!」

 

 いの一番に思い当たったのは彼が落としたメダルだった。なぜそれに思い至ったのか、それは自分でも分からない。

 ただ、あのメダルは彼ら魔術師しにとって大きな意味合いを持つのではないか。そんな直感に似た確信が、瞳を駆け去っていった。

 ビアンキがこちらに手を伸ばす。

 と同時に意識は白みはじめる。クロロホルムを染み込ませた布を口に当てるより鮮やかに意識は奈落へ落ちていく。

 

 それでも……言い様にやられてたまるか! 意識が消える瞬間、渾身の力で目の前のいけ好かない男にツバを飛ばした。これが精一杯の抵抗だった。

 このクソア……とぼんやりとした怒鳴り声が聞こえて、頬に熱が生まれた。

 鉄錆びた味覚を味わいながらザマアミロとせせら笑い、意識は完全に消え去った。

 あとに残ったのは倒れ込んだチェリーと肩を怒らせ頬をぬぐうビアンキだった。

 

「フン、まあいい。僕はこんな女にかかずらっているほど暇ではないからな」

 

 チェリーの懐をまさぐり、とある物を探し当てた。チャリ、とかすかな金属音が裏路地にひびく。

 ビアンキは奪い取った品を手のひらで弄びながらほくそ笑んだ。

 

「……やはり高位の呪具か神具の類か。なぜこんな代物をこの小娘が持っているのかは知らないが……コイツに持たせておくのは勿体ない。私が有効活用してあげよう」

 

 笑みもそのままに、ビアンキはベルゲンの闇へ消えていった。

 

 それから幾ばくかしてチェリーは目覚めた。

 泡を食って周囲を確認してみたがビアンキの姿はどこにもなく、身体を調べても服の乱れはほとんどなかった。特に乱暴をされたわけでもないようで、安心したのも束の間……

 

「な、ない!」

 

 ただ、あの拾ったメダルがどこにもなかった。

 

「あ、あいつ! やってくれたわね……!」

 

 怒りに瞳を燃やし、すっくと立ち上がった彼女はベルゲンの街を駆け回り……結局、ビアンキと名乗った男もメダルも見つかりはしなかった。

 

 そしてこの一件こそ後に続く、彼女を異なる世界へ誘う濫觴であった。


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