王書   作:につけ丸

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075:死と時の翁 サトゥルヌス

「ありがとな、拾ってくれて。昨日失くして探してたんだ」

「違う! 違うんだ!」

 

 勘違いして感謝の言葉を送ってくる祐一に、罪悪感に押しつぶされそうになったビアンキは間髪入れずに否定を叫んだ。まるで聖人を前にした罪人が懺悔するかのように。

 

「わ、私がこのゴルゴネイオンを拾ったんじゃないんだ! ゴルゴネイオンを拾ったのは黒髪の小娘……少女で、私は奪いとっただけなんだ!」

「奪い取ったって……───!」

 

 会話は断ち切られた。まつろわぬサトゥルヌスが動きだしたのだ。

 

「奈落の獣、顕れよ! その人をどっか安全な場所へ!」

 

 言霊とともに異界の門が開くと二メートルほどの人狼が飛び出してきた。人狼はすぐさまその逞しい腕でビアンキの首っ子をひっつかむと一目散に駆け出した。

 きんっ、振り向きざまに刃を受け、火花と甲高い金属音が散った。叢雲を通じて極寒の冷気が四肢を通りぬけた。

 

「こうして打ち合うのも何度目だっけな? そろそろ終わりにしたいもんだなサトゥルヌス」

「そのようなつれない事を申すな。余はそなたとの死闘を楽しみたいと言うのに」

「ほざけ!」

 

 ハルパーを縦横無尽に揮って心臓を付け狙ってくるサトゥルヌスを切り払う。オプスを喰らい強固な『鋼』となったサトゥルヌスだが、戦い方はどこか粘性を帯びていてこれまで鎬を削った英雄たちとは毛色が違った。

 だが鋼は鋼。一息に数十合と打ち合いながらも、祐一とサトゥルヌスの戦いは互角であった。

 目線が交錯する。サトゥルヌスの眼光に狡猾な色を観た。なにか仕掛けるつもりだ、武技では埒が明かないのは何度か刃を交え知っている。

 ──咆。

 サトゥルヌスから呼吸が漏れだす。ただの吐息ではない。豊潤で滴り落ちるほど"死"に充ちた吐息だ。祐一はそれを屈むように避け、手で口を覆いながら凌いだ。

 農耕神であり零落した太陽神であったサトゥルヌスだが、いまはそれらを喪い、しかし喪った代償に得た力は──死と時間。

 非常に強力な上に厄介な神となってサトゥルヌスは黄泉帰りを果たした。迂闊に踏み込めば取って食われるのは必定だ。

 深追いせずバックステップを踏み、一旦距離を置いて……しかし直ぐに悪手だと悟った。

 地面に投げ捨てられていたゴルゴネイオンに、サトゥルヌスが文字通り飛びついたのだ。

 足じゃ間に合わない。

 悟った祐一は飛び退る勢いを利用しながら、剣を捻りあげるように逆袈裟に振って剣風を放った。()()()()()()()()()()も後押しして大きく砂ぼこりが舞い、ゴルゴネイオンが吹き飛ぶ。

 サトゥルヌスの手は空を切った。

 

「…………なんだ、いまの」

 

 転がったゴルゴネイオンを見やって、普段なら「惜しかったな」と煽りのひとつでもいれるはずだが、異様な違和感に手と足が止まってしまった。

 

「そなたも気付いたか」

「……どういうことだ」

「微かな違和を得ようと、まだ悟れぬか。疑問に思わなかったか? ……ヘルメスの弟子とはいえ、定命の者から大地に属する神具(ゴルゴネイオン)を奪い去ることが叶わなかったなどと。大地を統べ、地底の深淵にある冥府より帰ったこのサトゥルヌスが」

 

「あー、なんだ。つまりアンタがゴルゴネイオンを手に入れられなかったのは……俺のせいじゃない?」

 

「左様、でなければゴルゴネイオンを希求する余が手をこまねく道理もなし」

「……」

 

 一理ある。それに思い当たる節はあった。

 さっき剣を振るった折に"妙"だと思えるほど都合よく吹いた風。

 あれは決して天然自然のものではなく、天意を乗せ天下った、まさに天来の風と表現してもよかった。

 そしてこんな事象が起きる原因など……

 

「アテナのやつが提案した宣誓ってやつの影響か……?」

 

 サトゥルヌスの唇がいびつに歪んだ。祐一の言葉を(うべな)うように。

 

「我らが為した宣誓はつまるところ結果の"固定"よ。しかし結果を縛り付けることによって我らは──ひとつの代償を支払わなければならなくなったのだ」

 

「代償ねぇ」

 

「過程はどうであれ結果を"動かすことは出来ず"、そこに辿り着くまで"至ることもできない"という呪縛をな」

 

 それを定めた我々であれば猶更だ、とサトゥルヌスは言葉を止めた。祐一もここまで講釈を垂れられてようやく得心した。

 

「じゃあなんだ? 俺たちが決着を付けるってのは決まったけど……」

 

 

「それまで決着を"付けられない"」

 

「ゴルゴネイオンも"手に入れることができない"」

 

「そう言いたいのか?」

 

 

「然り。それがモイライどもの介入だ」

「嘘だろ……」

「ならば木下祐一よ、我々が先刻まで奪い合っていた神具は、真にゴルゴネイオンなりや?」

「なに?」

 

 言われてゴルゴネイオンを注視した。けれど贋作のようには見えない。神具のように見える。

 

 しかしサトゥルヌスの言葉が正しければ、ゴルゴネイオンは手に入れられないはず。

 

 だったら、今、奪い合ったゴルゴネイオンの真贋さえ疑わしくなってくるのは当然だ。

 

我らは誤認している可能性はないか? サトゥルヌスはそう問いかけていた。

 

「《運命》を侮ることなかれ。神王たるゼウスに唯一敗北を味合わせたテューポーンにすら敗北の原因を作りだしておる」

「敗北を、作り出した?」

 

 サトゥルヌスは、左様、と頷いた。

 

「ゼウスとの戦いのなかで勝利を確実なものにせんと、テューポーンはモイライどもの守護する"勝利の果実"を求めた」

 

「そしてテュポーンは紛うことなく本物の"勝利の果実"を手にし、食したのだ……」

 

「しかし気づけば──"()()()()()"を食していた」

 

 祐一は穏やかじゃない神話に眉をひそめた。

 

「モイライどもはこう定めたのだ……テューポーンが食した果実は総て"無常の果実"になる、と。手に入れたものが"勝利の果実"であろうと意味はなく、"無常の果実"を食したという結果のみが残ったのだ」

「……むちゃくちゃだな」

「余らもまた同じよ。明くる新月にのみゴルゴネイオンの所在と勝敗が決定されるのならば、よしんばゴルゴネイオンを見出し、手に入れようと、ゴルゴネイオンでは()()()()という因果が生まれてしまったのだ」

 

 それが因果を歪めた代償。

 つまりこれから一週間ほどゴルゴネイオンも決着も取り上げられた形となった。どれほど目を凝らそうとゴルゴネイオンは見つからず、刃を振るおうと宿敵の命脈を立つことはできない。

 結果は決定したものの状況は停滞し、これから七日間、彼ら三人は手を拱くしかなくなったのだ。

 と、そんな現状を把握しようと、祐一はどうでも良さそうには肩を竦めるだけだった。

 

「で、それで? あれは偽物かも知れないから、だから、ここは退け。そう言いたいのか」

「余の真意を汲み取るとは察しが良くなったきたか神殺し」

「ふん、それで俺がおめおめと引き下がると思うか? 結局、あれが本物のゴルゴネイオンじゃないって証拠があるわけじゃないだろ」

 

 ゆらりと叢雲でゴルゴネイオンを指し、そして肩に担いだ。ふてぶてしい笑みを浮かべながら。

 

「それに俺たちに触れないなら他のやつに()()()()()()()()()()! ──ラグナ!」

 

 言うが早いか盟友たるラグナを呼び出した。

 サトゥルヌスの口が弧を刻み、対応は迅速だった。分かっていたぞと言わんばかりに。

 

「ようやくそなたも脳に知恵が巡りはじめたか!」

 

 嘲弄する言葉が放たれると同じくして祐一とラグナへ凶刃が迫った。祐一は肩に担いだ叢雲で難なくサトゥルヌスの刃を弾いた。

 次いで、ゴルゴネイオンの元へ向かっていたラグナも咆哮で()()()()のサトゥルヌスを振り払った。

 

 現状を正しく認識できるものがいれば驚愕する事となるだろう……なにせサトゥルヌスが同時に二人も存在していたのだから。

 決して幻影でも、質量をもった残像でもない。正真正銘、もう一人のサトゥルヌスの顕現。

 だが祐一は驚くでもなく冷静に対処した。何度か見ているのだ……この"時"の権能を。

 まつろわぬサトゥルヌスは時の神であり、時は彼の支配下にあった。つまり時そのものがサトゥルヌスと言っても過言ではなく、別の時間軸にいるサトゥルヌスさえ現在に呼び出すことが可能なのだ。

 

「うーん、アンタは時の神なんだろ?」

「然り。それがどうかしたか?」

「なら未来なんて見通せちまうんじゃないか? 俺に会うまでもなく出し抜けばよかったじゃん。なのに──"警告"でもするように現れて……何を考えてるんだ?」

「フフ。たしかにそなたの言うように、余はそなたとこの地で決戦を臨む姿を()()()()。時神サトゥルヌスたる余であればそなたを出し抜き、姦計に嵌め、縊り殺すことなど容易い」

 

 サトゥルヌスはまるで舞台劇の役者さながらに大きく胸を反らした。かの神の物言いと仕草は一々大仰だ。しかしそれを許される威と格が彼にはあった。

 

「だが否、否だ。余が望む戦いは至高の闘争。余とそなたは同様に黄泉帰りを果たし過去を呑み込まんとする同士であり好敵手である。……ならば余は対等の立場でそなたの上を征き、完膚なきまでに討ち滅ぼすこともまた使命の一つと心得ておる」

「フェアプレイで俺を倒したいってことか

 

 勝利をなによりも希求するなら圧倒的なアドバンテージを有するサトゥルヌスが祐一を出し抜くだろう。祐一は手探りのまま決戦に臨むこととなり勝利は容易かったはずだ。

 だがサトゥルヌスの自尊心がそれを許さない。

 宿願を果たし栄光を取り戻すなら、強敵を降した先にある輝かしい勝利に執着したのだ。

 舐められている、とは思わない。それがサトゥルヌスという神の在り方なのだ。だが──気に入らないのも事実だった。

 

「光輝に満ちた勝利は余のもの」

「そなたが勝利と勝者の戴冠を獲得すること能わず!」

 

 二重の声とともに二対の凶刃が祐一とラグナを襲う。

 祐一は叢雲で、ラグナは長大な牙で、漆黒の鎌を受け止めた。赫々たる眼光が煌めき、聖句を謳った。

 

「日輪の輝きよ。我が宿敵の正しき姿を暴き出せ」

 

 呪力の爆発とともに静かな言霊を放てば、一体のサトゥルヌスの姿が掻き消え、現在の時間軸のサトゥルヌスだけになった。

 再誕した現在のサトゥルヌスを構成する主な神性は三つの柱。ひとつは『鋼』、ひとつは"時間"。そして"死"だ。

 つまりヒューペルボレアの冥府の谷において再誕したサトゥルヌスは、太陽神と農耕神としての相を失う代わりに、強力な"死"の神性と時の権能を得た。

 

 鋼と時間は地母神であるオプスを捧げたために、そして、死は己自身を己自身へ捧げたが故により強く掌握するに至った神性であった。

『サトゥルナリアの冠』は太陽神であったサトゥルヌスが死を迎えたことで太陽神であった肉体が変じて生じた神具である。

 ──しかし太陽神は不滅であり、死は滅びを意味しない。であれば肉体と魂魄を別かつ儀式じみたものでしかなかった。

 だが、いくら神とはいえ肉体と魂魄を分かたれれば弱体化は免れむもの。

 かつて太陽神であったサトゥルヌスの肉体は太陽神を復活させるだけの『サトゥルナリアの冠』という神具となり、魂魄となった神霊は長い時のなかで零落し復活を目論むだけの神具の精となった。

 そしてヒューペルボレアにて一度は合一し、まつろわぬ神としての復活を果たしたが……草薙護堂の活躍によって『冥府の谷』にてサトゥルヌスは太陽神としての完全なる死を迎えた。

 当然、『サトゥルナリアの冠』は滅びさり……しかしサトゥルヌスは諦めてはいなかった。

 

 死によって再び分かたれた肉体と魂魄は、蘇りをなす為に一計を案じた。己自身を捧げ、己自身を蘇らせるという策を。

 策は成り、また、護堂の一撃で死に瀕していた地母神オプスと太陽神のよすがであった肉体を贄と捧げることで、豊穣と死の神性を備えていた魂魄は"死そのもの"として復活を果たしたのだ。

 そしてサトゥルヌスという神が死ぬ折に、ひとつの神具を遺された。

 名を死神の鎌(ハルパー)。故にサトゥルヌスがもつハルパーは己自身であり、分身でもあった。

 

 こうして、かつては太陽神であり農耕神であったサトゥルヌス。敗北の末に太陽と豊穣の神性を捨て去って"死"と"時"という神性でもって黄泉帰りを果たしたのだ。

 祐一がヒューペルボレアで《光を持ち帰りし者》ならば、サトゥルヌスは《闇を持ち帰りし者》と呼ぶべきか。

 ゆえにサトゥルヌスは死と時を司り、時間跳躍に未来視、過去改変、生命強奪、不死などなど厄介な手札をごまんと切れる難敵だった。

 しかしだからこその陥穽。

 時間跳躍すらも手札としあらゆる時間軸を回遊するを可能とするサトゥルヌスだが、祐一のいる時間軸に"縛り付け"られる。

 なぜなら光は闇を照らし出す。

 その法則に則ってサトゥルヌスへ『輝く瞳(Mittron glaukopis)』を打ち込んでサトゥルヌスを縛り付けたのだ。『輝く瞳(Mittron glaukopis)』は簡単にいえば目の形をした"太陽"だ。視界に入った不浄の一切を祓い、曖昧なものを暴き出す。

 霊眼は生命の象徴たる太陽そのものであり、死の極点たるサトゥルヌスと()()に位置していた。であればこそ、時の遍在すら無視して、正しい姿を暴き出すことを可能にした。

 時の神として、ではなく、死の神として相対する。

 それが祐一が時神サトゥルヌスにつけ入る唯一の手段だった。

 

「余が冥府より"闇"を持ち帰ったならば、そなたは"光"を持ち帰った。我らは互いに相食む存在ならば、離れることなどできようはずもない。

 元よりそなたのもとを去るなど、余の誇りが許さぬがな」

 

 つまるところ彼らが結んだのは神性による契約だ。ヒューペルボレアにおいて対となるように光と闇を手にした彼らは、気づかないうちに一つの契約を結んでしまった。

 光と闇の関係にあるからこそ、争わずにはいられない相剋の関係に陥る。故に抜け出せず、逃げ出せない。

 

 しかし好都合だった。

 時の権能を使わせずサトゥルヌスを同じ土俵に上げたい祐一と、対等な舞台で祐一を下したいサトゥルヌスの思惑は合致していた。

 ただ、大きく有利なのはサトゥルヌスであることに違いない。

 まつろわぬ神とは誰もが一筋縄ではいかない厄介ものばかり。如何に神殺しといえど基本的にまつろわぬ神の方が地力が勝っているのもの。

 そんな魑魅魍魎の一柱であるサトゥルヌスだ、アドバンテージを捨て"対等な決闘を"と、うそぶく裏にはかならず企てがあるはず。それでも突き進まなければならない、なぜなら己は──

 

「──常勝不敗にならなくちゃいけないからな! 俺は勝つぜ……鋭く、近寄り難き者よ!」

「っ!」

 

 長期戦は不利だ、祐一はこれまでの戦いは反芻する。

 黄泉がえり後のサトゥルヌスとの戦闘はこれが初めてではない。それどころか幾度となく矛を交えている。

 何度も闘い、理解している。言うまでもなく時間はあちらの味方で、時間を掛ければ死の腐食にさえ蝕まれる。

 だからこその短期決戦。迅速果断な速攻──いつも通りだ! 

 

 呼び出していたラグナを吶喊させる。

 現在のサトゥルヌスは祐一の眼によって死の相を濃くしている。

 正確な予知ができずラグナの凄まじい急襲に対応できなかった。ラグナの体躯は大型犬ほどで、本来の十分の一にも満たない。

 だが、だからこそ俊敏さは跳ね上がっていた。

 地面を蹴りあげ土砂が舞い、ラグナの脚からジェット噴射かと見紛う呪力が噴いて、ロケットさながらの挙動でサトゥルヌスに突っ込んだ。

 そのまま禍々しさの横溢する牙でサトゥルヌスの刺突に成功し、腹部を抉りぬいた。

 

「く……、なんたる猛りか!」

 

 さしものサトゥルヌスでさえ苦悶をあげ……

 

「……しかし、ハハハッ! そなたの眷属たる神獣も、猛るならば生者。余が掠奪する魂魄のひとつとなり下がるがいい!」

 

 それでもサトゥルヌスは斃れる気配を微塵も見せず、やはり口に弧を浮かべた。

 

 ──ル、オオオォォおおおおン! 

 

 濃密な冥府の気配にさしものラグナが苦しんでいる! あのタフさと獰猛さが売りの盟友が! 

 それでも直ぐに決着が着かなかったのは、あり余る生命力とタフさで文字通り死神の冷たい手から抗ったから。

 

「疾ッ」

 

 サトゥルヌスがラグナにかかりきりになっている隙を突き、祐一が抜き身の一刀を放った。

 死の神であるサトゥルヌスを倒すにはどうするか。祐一はクールで冴えた答えを持っていた。身体を刺しても死なない。冥府に落ちても死なない。

 ならどうするか? 簡単だ──()()()()()()()()()()()()

 

「愚かな……不死とは死なぬが故に! 死を遠ざける術もまた幾万と持ち合わせておるぞ!」

 

 神獣の牙と神刀を腹に埋めてもサトゥルヌスは、意に介した様子もなく酷薄に叫んだ。

 黙らせる、とラグナと息を合わせ刃と牙を腹の中で反対方向へ向け──横一文字に一閃。さらに大上段に構え直し、そのまま力任せに振り下ろした。

 脳天から唐竹割りにしようと試み、今度は防がれた。

 打ち合った得物こそサトゥルヌスが冥府より持ち帰ったハルパー……実った農作物を刈り取るための道具であり、立派な剣でもあるそれは、農耕神であったサトゥルヌスの死によって遺され、今では死の象徴たる神具へ成り代わっていた。

 鉄と鉄が火花を熾し、またたく間に隙が消えたのを悟った。ラグナとともに距離を取る。

 

「ハルパーかッ、今度はその鎌ごとぶった斬ってやる」

「ほざくな。ハルパーは余の分身、そしてそなたがどれほどの余に傷を負わせようと意味は無い。この問答の間ですら余の傷は塞がったぞ?」

「それでも、斬るだけさ……それ以外にねぇ」

「愚昧な。そなたの剣に斬られ易々と死に絶えるほどサトゥルヌスは甘くはないぞ」

 

 サトゥルヌスも押されるばかりではない。サトゥルヌスは比類なき死を司る。それは命をもたない無機物でさえ死をもたらすほど。

 受け身という状況が既にサトゥルヌスの術中であった。半身ともいえるハルパーから烟る死臭が吹き荒れ、神刀と謳われる叢雲ですら、波紋がくすぶり刀身の輝きがかすんでいく。

 死は終わり。

 叢雲でさえ剣戟を重ねるほど、死を重ねて刀身はなまくらとなる……ちょうど『戦士』の智慧の剣がそうであったように。

 

 叢雲の連撃を凌ぎ、速度が鈍る。その隙見逃さず、いざ反撃とサトゥルヌスがハルパーを振り上げ──その時だった。怖気を呼ぶ言霊が、耳に届いたのは。

 

「──手中の珠も砕け散った。血塗れの臓腑は地に落ちた。さぁ、無秩序もたらそう!」

 

 いつの間にやらラグナの背に騎乗した祐一の姿。騎猪たるラグナは前脚で地面を叩き、莫大な呪力と殺意がサトゥルヌスの背筋を凍らせた。

 ラグナの突進という隕石の激突にも匹敵する運動エネルギーが開放される。サトゥルヌスの腹部へふたたび長大な牙が突き刺さり、穿いたまま遥か先の山に突っ込んだ。豪快な破砕音が鳴り響き、眠りについていたベルゲンを地響きが揺り動かす。

 

 ……後にベルゲン郊外で"謎のガス爆発が起きた"と噂される要因となった巨大クレーターの誕生である。

 

 だがまだだ。まだサトゥルヌスは倒れない。

 それどころか無傷なままもうもうと舞い上がった土煙の中から這い出てきた。

 死の神に死は訪れない。死そのものであるが故に。故に敗北はないと言わんばかりに。

 

「なんという荒々しさか! だが余を侮るなよ!」

「ああ、侮っちゃいねぇさ!」

 

 猪の化身は神獣の召喚だけではない。祐一自身も猪さながらの強烈な突進力を得るのだ。

 ラグナの背で前傾姿勢をとった祐一は左右の足を踏みしめ、猛然と駆けだした。背をぬけ、踏み込んで、その先にいるサトゥルヌスへとタックルを決めた。

 勇猛な祐一に、しかしサトゥルヌスは傲岸に笑った。狂ったか、と。

 

「死たる余の懐に飛び込むとは見事。だが血迷ったか、自身を用いた一撃が仇となったな木下祐一!」

 

 死の気配とともに粘つく死臭を放つハルパーが祐一の腹部をかき切った。途端に濃密な死が体内を犯し尽す。決定的な勝機を見出し、一転。

 

「──今こそ我は十の山の強さを、百の大河の強さを、千の駱駝の強さを得ん! 雄強なる我が掲げしは、聖なる駱駝の蹄なり!」

「っ、な!?」

 

 重症を負うからこそ行使できる化身がある。名を『駱駝』 強烈な打撃によるカウンターと、我慢強さを手にできる化身だ。

 気づけばハルパーを持っていた腕が空を飛んでいた。祐一の目にも留まらぬ迅雷の"蹴り"で切り飛ばしたのだ。それだけでは終わらせない。そのまま蹴戟を繰り出し、サトゥルヌスの四肢を砕いた。

 飛び退いて距離を取る。『駱駝』のお蔭で耐えきれているが死の神による攻撃を真っ向から受けたのだ……タイムリミットは少ないと見ていいだろう。

 しかし現状、善戦していると言っていい。こちらの攻撃は総て嵌り、敵の攻勢はそれほどではない……しかし手応えは皆無。

 明らかにおかしい。サトゥルヌスがこれほど手温い相手ではないことは身に染みて分かっている……なら、奴は何かしらの奸計を忍ばせている、そんな確信があった。

 なんとかしなくちゃな。祐一は目を眇めた。

 

「そろそろ終いにしようサトゥルヌス」

「……何を申す。木下祐一よ。まだ戦いは開戦の火蓋を落としたばかり……これまでと比しても、余らの争いは序の口ではないか」

 

 剣を担ぐように構えて、サトゥルヌスに語りかけた。

 

「そうだな……俺とお前はベルゲンに着くまで無数の斬り合いをやってきた……。でもその中で気付いたことがあるんだよ。やっぱおかしい、ってな」

「ほう? そなたが余の前に立って挑んでいる事が、か?」

「なわけないさ、でも近くはある。……俺が気付いたのは俺がまつろわぬ神と……『鋼』であるアンタと()()()()()()()っておかしさだ」

 

 たしかに祐一の言うとおりだった。祐一は戦いの才、というより地力的に上であるまつろわぬ神を弑逆する巨人殺し(ジャイアントキリング)の才能は溢れているものの剣の才能は今ひとつというところだった。

 イランでの旅で、棒を振ったことはあれど剣は一度もなくチンギス・ハーン戦まで武器を選ばない戦士だった。それが変化し、剣一本に変わり始めたのは幽世に居を構える王国に流れついてから。

 さらに付け加えるなら剣神と『戦士』で切り結び、剣の師を得て師事が始まってからだった。

 

「数ヶ月の覚えたての剣でヤマトタケルと対等に斬り合い、トルコの天使なんて手刀で切ったこともあった。流石に思うぜ、おかしいってな。昔、師匠のエイルにも言われたんだよ。お前は剣を振るうより、徒手空拳の方がよほど恐ろしい、って」

「ふむ……では、そなたの剣には理由がある、と?」

「最近何となくわかったんだ……身体が変わったんだ。"引っ越してきた"剣を手足みたいに使えるように」

「そうしてそなたは『鋼』の軍神らとも伍する力を獲るに到った、か。

 氷解したぞ、そなたの剣理の根源は極東の神刀だな。なるほど、最源流の『鋼』を裡に宿したからこそそなたは神々と切り結べるほどとなったか」

 

 "神殺し"木下祐一、第三の権能『天叢雲剣』。

 主となる権能は偸盗を軸にしたコピー能力や合成能力だが、祐一にもたらしたものはそれだけではない。

 "刀"という武器の形状とカンピオーネは権能を十全に使い熟すという特性がミックスされ、祐一自身気づかないまままつろわぬ神ですら対等に戦えるほどに到っていた。

 

「それで、そなたは何が言いたいのだ。そなたは余を弑すること能わぬが、余は武ではそなたを殺せぬ。だから今宵は打ち止めとし終わろうとでも?」

「まぁ、なんだ……──ただの時間稼ぎだ」

「──っ!」

 

 気付けばサトゥルヌスの土手っ腹に漆黒の神刀が埋まっていた。サトゥルヌスはせせら笑った。おそるるに足らず、と。

 

「どれほど余に傷を与えようと無意味! 余は不死なれば!」

「ああ、だからここで()()()させて貰うぜ……爰に須佐之男命、国を取らんとて軍を起こし小蝿成す一千の悪神を率す。一千の剣を掘り立て、城郭に楯篭もり給う!」 

『応! 是所謂、天叢雲劔也! ちはやぶる千剱破の鋼なり!』

 

 光輝が漆黒の刃を染め上げる。闇にはとことん光を。鉄には熱を。

 叢雲が灼熱に染まり『鋼』すら溶解させる熱さを放つ。天叢雲剣と化身『白馬』の融合すれば『鋼』討滅のための剣となる。光は闇を照らしだし、縛るもの……叢雲の刀身から、溶けだす蝋さながらに光の鞘がいくつも流れだしサトゥルヌスを絡め取り、縛り付けていく。

 ラグナ! という掛け声ともに、二本の牙が勢い良く射出された。もがいていたサトゥルヌスの心臓へ牙が打ち込まれ、サトゥルヌスを地面へ縫い付けた。

 ここに至ってサトゥルヌスは祐一の狙いに気づいた。祐一は元から、打倒ではなく拘束を目的としていたのだ。光という概念と地面に縫われれば、如何にサトゥルヌスであろうと抜け出すのに時間が掛かるのは必定。

 

「ぬかったか!」

「ここは、退かせて貰うぜ……! ゴルゴネイオンも一緒にな……ッ」

 

 勝利条件はゴルゴネイオンの奪取。使命に焦がれ、目的を見失ったサトゥルヌスは出し抜かれた。

 腹をかっ捌かれ息絶え絶えになりながら、戦場に踵を返してサトゥルヌスの元を去った。ゴルゴネイオンとともに。

 

 ○〇●

 

 フロイエン山の麓から伸びる鉄塔の上に、ひとりの少女が佇んでいた。山中のそれも強風の吹き荒れる高所で、どんなバランス感覚を保持しているのか微動だにせずある一点を……神と神殺しが死闘を繰り広げていた場所へ視線を送っていた。

 

「祖父殿も神殺しも迂遠なことをする……事は単純明快だというのにおかしなものだ──このアテナがゴルゴネイオンを手に入れる。それは動かしようのない事実」

 

 ゆるやかな微笑を浮かべ、微笑は凄みを増し、大きくつり上がっていく。

 

「しかし彼奴らの騒乱は妾にとって都合が良い。精々足掻けよ……妾がゴルゴネイオンを手にするまで」

 

 戦女神たる己の闘争心に火がつき、愉快げに声をあげて笑いだした。我求めるはゴルゴネイオン。新月の夜、最強最古の地母神は復活を遂げる……今から楽しみだ。

 幼い童女さながらの笑い声が、北欧の山でやまびことなって響き渡った。

 

 ○〇●

 

 倒れ込んだのはオレンジの華やかな建物がある場所だった。人に見つかりにくそうな草むらに身を潜め、うつ伏せになりながら腹に受けた傷に呻いた。肩で息をし、顔色は最悪だ。死期が近い。

 それでもまだひと仕事残っていて死ぬ訳にはいかなかった。

 祐一はラグナの持っていたゴルゴネイオンに瞳を凝らした。するとぼやけた水彩画のような膜が溶け──直ぐに悟った。

 これはゴルゴネイオンでは無い。そして見覚えがある。

 

「……これはあの女の子……チェリーって子が持ってたペンダント、か……!」

 

 ずだん、と地面を殴りつけ、投げ出すように天を仰いだ。

 

「ちくしょうっ、サトゥルヌスの言う通り俺たちはゴルゴネイオンを手に入れられないか!」

 

 彼の神の言うようにチェリーのもつペンデュラムの形をしたペンダントだった、ならサトゥルヌスの言葉の真贋は……。

 意識が霞む。意思の力ではどうしようもない終わりが訪れた。

 

「限界か……」

 

 サトゥルヌスの深い死の毒だ。抗うことなど、今の祐一には出来ない。

 あとは頼むぜ……。

 この権能を使う時は、成功するか否か、いつも博打を打っている気分に陥る。黄金の羊を思い描き、深淵に旅立った。

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