王書   作:につけ丸

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077:徒然

「alea jacta est」

 

 無明のくらやみに響く緩慢な呟き。大地を降り降った果ての場所で、冥府は重苦しく息を吐いた。

 

「余は種を撒き終え、アテナの仕込みはとうに終わっている。木下祐一はやはり無知のまま突き進み……」

 

 澱の底。何人も感知出来ぬ場所で死と時を下僕とするまつろわぬ神は呟いた。

 

「あとは天命を待つのみか」

 

 巨神、未だ動かず。

 

 ○〇●

 

 結局、目を覚ました時には祐一のすがたはなかった。

 校舎のベッドにふたたび寝かされていて「夢だった」といわれてたら、やっぱりか、と信じてしまえそうだった。

 

「でも、違うんでしょうね」

 

 首からつり下がったペンダントが動かぬ証拠だった。決して記憶が白昼夢や幻覚ではなかったのだと訴えかけている。

 

 人狼も、異界も、そして彼も、嘘なんかじゃなかった。そして彼と結んだ約束も。

 

 唇を引き結ぶ。人狼と彼がどうなったかは分からないが、自分がまだ生きているのなら彼が決着をつけたのだろう。

 そして、まだあんな怪物との邂逅が続いていく。

 彼は六日間と言っていた。昨日は人狼で、あと五回は繰り返されると考えていい……そして夜には必ず巻き込まれるとも。

 

「いいわ。来るなら来なさい……返り討ちにしたげるわ」

 

 瞳に反骨心を滾らせながらまだ見ぬ敵とやらを睨んだ。

 

 家に着いたのは二十時になる前で、意外と時間は進んでいなかった。

 日を跨いでないからセーフ! とポジティブに帰宅したがカンカンに怒った母に吊し上げられる現実は変わらなかった。アタシ……悪くない……。理不尽さと祐一への怒りを滾らせながらその日は就寝した。

 

 

「いってきまーす!」

 

 夜が明けて午前の十時。

 疲労からか寝過ごしてしまったがイースター休暇が終わってはじめての休みだ。

 目が覚めると早速、日課のランニングに出た。

 非日常が続き、これから続くらしいが日課をサボる理由にはならない。というより非日常が訪れるからこそ、やらなければ。

 昨晩、痛感して得たものは"体が動かなければ何も出来なくなる"という教訓だった。ここぞという時に、疲労や体調不良で倒れるなんて展開もうごめんだった。

 

 今日のベルゲンも晴れていた。

 ただ、雲の面積がいつもより大きくて気温は低い。季節は春だが、日本だったら十分冬と言い張れる気温でもある。

 昨日までは鬱陶しいほどあった日差しが今日は鳴りを潜めていて、やっぱりベルゲンの天気は気まぐれねーっと白い息を吐きながら空を眺めた。

 チェリーの住居はベルゲンの中心部から少しはずれたオルスタンドという自治体にあって区画整理こそされているものの雑多な住宅街がならぶ。

 冬には家に引きこもっていた人達も春になり暖かくなって活動的だ。

 

「あらチェリーちゃん、おはよう。今日はちょっと遅いわねぇ、探し物は見つかったのかしら?」

「うん!」

 

 ニカッと笑ってペンダントを掲げる。ランニングに出れば必ずと言っていいほど近所の住人に声を掛けられるし、いつの間に探し物をしていたことも広まっていたみたいだ。 

 白い息を吐いて、ときおり挨拶して、いつも通りの故郷を楽しんだ。……でも思考を占めているのは昨晩のことへ帰結した。

 

 昨日を含め、六日間。つまり新月まで自分はいつ襲われるとも知らない身に陥った。襲撃者は昨夜のような怪異、魔物……そう呼ばれる毛生の類だという。

 命の安全はなく、さりとてやらなければ死人が出るかもしれず、ベルゲンも脅威に晒されるらしい。

 安請け合いではなかったが一時のテンションに身を任せて即断してしまい、今更ながら思うところが出てきた。

 分からないことが多すぎるのだ。

 敵とはなんなのか。

 祐一と敵対する理由はなんなのか。

 なぜ六日なのか。

 なぜベルゲンだったのか。

 

「それにユーイチが言うには夜も昼も関係なく、いつ何時襲ってくるかもしれないのよね……。というかアイツもアイツよ、何も言わずに立ち去るなんて。"泳がせる"なんて言ってたけど監視してたりするのかしら」

 

 疑問は波涛のごとく湧き出て、走りながらぼうっとするというのもおかしいが思考に埋没しすぎて、気づけばブリッゲンにまで来てしまった。

 ベルゲンはモザイクが多くて、暖色系な景観もともなって街全体に温度を感じ取れた。

 時刻はそろそろ十一時。気づけば1時間近く走り続けていたらしい。

 ブリッゲンの商店も「OPEN」の板を下げて、観光客で賑わいはじめている。いつもと変わらない景色、でもいつもより張り詰めている自分に気づいた。

 四六時中気を張っていても仕方がない、いつも座っているベンチで休憩しよう。そうしていつものベンチへ向かった。

 

 ベンチには先客がいた。

 深くベンチに腰掛けて後ろへ倒れかかるように……もはやエビ反りになって眠っている少年がいた。というか祐一だった。

 

「………………………………」

 

 タッタッタッ………………ツカツカツカ。

 

「アンタ何やってんのよ」

「うごっ」

 

 げしっ。

 ランニングは中断だ、のんきに眠っている自称相棒にベンチごと蹴りを入れた。爆睡中の人間がいきなり起こされたような反応をみせ緊張感もなにもない祐一に、消えたはずの頭痛が舞い戻ってきた気がした。

 彼はチェリーに気がつくと、ヘラヘラと笑いかけてきた。

 

「お、チェリーじゃん。昨晩ぶりだな。……ってかなんだよいきなり」

「アンタねぇぇ……昨日あんなもの見せられてアタシが真面目に悩んでたのにアンタはぁぁ……」

 

 肩を怒らせて……風船が萎むようにがっくりと項垂れた。目の前の少年のとぼけた顔をみていると馬鹿らしくなってしまった。

 

「もう。アンタが寝てる間に昨日みたいな怪物に襲われたらどうするのよ」

「そうはいってもな。言わなかったっけ、俺は()()()って。いつもなら元通りなんだけど、今回は相手が悪くってなぁ……」

「どうしたって言うのよ」

「ん。臍下丹田つって……腹ん中の奥に大怪我しててな……」

「頼りないわねー」

 

 だから休養と力を蓄えているんだ、そう祐一は右腕をさするような動作をしながら嘯いた。

 祐一の隣にどっかと腰を下ろして半眼で見やる。

 

「昨日も思ったけど、死んだ、って言われて"はいそーですか"ってなると思う?」

「んー……んにゃ、ならんなぁ」

「でしょ?」

 

 そうはいうチェリーだったが、なんとなく……本当になんとなく、祐一の右手の奥深くに"松明に焚かれて燃え盛る聖なる火"を観た気がした。

 

「アンタの話ってなんかデタラメすぎてもう話半分で聞くことにしたわ」

「はは。それくらいがいいかもな」

 

 彼は太陽をみた。不思議なことに彼の赤い目が太陽と繋がると、空にあったはずの雲が姿を隠していった。

 

「相手が悪いのは俺だけじゃなくて向こうも同じでな……俺は光で、あっちは闇。きっと今度会ったらどっちかが死ぬまでやり合うことになる」

「死ぬまでって……穏やかじゃないわね」

「いつものこと。いつものこと」

 

 へらへら笑う祐一に彼と握手を交わしたときの感触を肌が思い出した。もしかしたら彼の言葉に嘘は無いのかも知れない、そんな気持ちが芽生えた。

 でも修羅場をくぐって来たみたいだけど、今はアタシだってそうなんだから。チェリーはなにも特別なことじゃないと彼の前でも気負うことはしなかった。

 

「それで。ユーイチ、アンタが追ってるやつは一体何人いるわけ? ひとりって訳じゃないんでしょ」

「……ヒトリダヨ……?」

「あら。ホントにひとりじゃないんだ」

「ぐっ、趣味が悪いぞ」

「失礼ね。ちゃんと予想してよ、カマかけもちょっとだけあったけど」

 

 小さく笑いながら晴れていく空を彼女も眺めた。

 

「最初はちょっとした違和感。追ってるって人は確かに一人を指してたけど……アタシを狙ってくる奴はそれだけじゃないように思えたの」

「…………どっちかがお前を狙うって思ったんだよ」

「どっちか、ね。っていうと二人いるのね? あなたたち三人は、なにが目的は知らないけどこのベルゲンでよからぬ事を"やらかそう"としてる」

 

 だぁもう、やっぱ頭使うのは苦手だ。祐一がぼやいた。

 

「でもアタシの価値が損じたわけでもないでしょ。その二人にはアタシは餌になれる。そしてベルゲンが危ないっていう事実も変わらないわ。なら降りもしないわ」

「……ホント、肝が据わってるよ」

「でも教えて。アンタ達三人はなんなの? アタシが最近見知った魔術が絡んでるのは間違いない。その上でこのベルゲンで私の素養やゴルゴネイオンっていったかしら? を奪い合って、何をしようっての? 

 アンタがベルゲンを守るっていうんなら、アタシを使いなさい、でも荒らすっていうならアタシはこの話から()()()わ」

「……俺は奴らを止めに来たんだ。チェリー、お前はあんなやつら……知らない方がいい」

「アンタねぇ──」

「これだけは断言しとく。お前の故郷は絶対()()()()()。それだけは俺の友と、共に戦った同胞たちに誓う」

 

 彼は虚空で剣を取って掲げる仕草をし、心臓を叩いた。こちらを真摯に見据える祐一はそれまで雰囲気を一変させていた。決して違えないと言外に訴えていた。

 だからこそチェリーの表情は険しいものとなった。

 祐一は"それ"をするほどの大敵と事を構えていて、ベルゲンを壊しうる確固たるなにかがある……そう汲み取れたからだ。

 少なくともチェリーはそう捉えた。なまじ人なんて赤子の手をひねるように殺せそうな人狼を降したらしい彼だからこそ、信憑性がいやに高く思えた。

 

「でも……。これだけは教えとく」

 

 姿勢を崩して少し気だるそうに背もたれに寄りかかった。

 

「俺が落としてお前が拾ったあのメダル……ゴルゴネイオンっていうんだが……そのゴルゴネイオンを、俺たち三人は奪い合ってる」

「ゴルゴネイオン……。それってアンタたちが命を懸けてまで奪い合いほど大事なものなの?」

「俺はどうでもいいんだがな。……だけど奴らにとっては格別の代物らしい」

 

 肩を竦め、だからそこに俺はつけ入るんだ、と零した。

 

「でもゴルゴネイオンはどこにあるか分かんないんでしょ? もしかして"あて"があるの? ……あの異界とかいう場所にあるとか、勘だけど」

「たぶん。異界なんてものを生み出すせる代物、"ゴルゴネイオン"くらいしかないからなぁ」

「異界を生み出す歪みにゴルゴネイオンね……。ま、分からないことだらけだけど、アンタだって分からないことだらけだってことは分かったわ」

「そーかい」

 

 そこで『ぐるるる……』と腹の虫がなった。

 チェリーは朝食を軽く食べていたし、空腹を覚えていない。であれば……。ジト目で隣の相棒とやらをみた。

 

「いや……ずっと死んでたし、生き返ったすぐはめちゃくちゃ腹減るんだぁ……」

「買えばいいじゃない」

「ふっ、流離いの旅人はお金なんて持ち歩かないから……」

「バカじゃないの? ここどこだか判ってる? ノルウェーよノルウェー、物価が高くて有名。そして立派な北極圏よ? そこに素寒貧でやってくるなんて何考えてるのよ、ちょっと前の冬の気温で野宿してたら死んでるわよ。あっきれた奴」

「ワァ……!」

「泣いちゃった」

 

 立て板に水をかけ塩撒いたような対応に非の打ちどころしかない祐一は黙り込むしかなかった。というか彼は神殺しを為して以降ずっと無一文だった実績がある。よくこれまで生きてこれたものである。

 

「日本人って、アンタみたいなのばっかなの?」

「そうじゃねーの?」

「…………そう」

 

 チェリーのなかで日本人観が大きく歪んだ音がした。

 

「ま、アンタに倒れられても困るのはアタシだし。いい話があるんだけど、乗る?」

「オー、イエス!」

「よろしい」

 

 

 

 〇●◎

 

 

「おーい、この荷物はこっちに置いていいのかー?」

「いいわよー、あとこっちに大物があるから中庭の中央に持ってって」

「ほいほい」

 

 チェリーの話に乗ってホイホイ付いて行った先は彼女の通う学校だった。

 ノルウェーではイースター休暇も終わると特に催し物もなかったのだが、彼女の学校では有志で集まって学祭を行うのが伝統だった。といっても広場の中央で大きなたき火をして、火を囲みながら踊ったり話したりするだけなのだが。

 暇なものが顔を出すくらいの準備だったが参加者にはコーヒーとホットドックなども振舞われ、祐一はそれを目当てにダッシュでやってきた。チェリーが戦力になる人材をもってきたと教師にわたりを付ければ、食った分働いて返すと話はとんとん拍子に決まった。

 チェリーの言っていた大物とはたき火……キャンプファイヤーの方がニュアンスが近い……を組むための木材だった。寄ってみると中々の重量なのか運ぶというより引きずるといった方が正解に近く四苦八苦していた。

 

「手伝うよ、ほいっと」

「おおー。細いのに力あるな東洋人」

「飯食わしてもらったからな働くぜ! あとユーイチってんだ、よろしく」

 

 言語の壁もなく持ち前の気安さを発揮し、祐一は秒で溶け込んでいた。異邦人ゆえの物珍しさと好奇に晒されながら、それを拒まない振る舞いと明け透けで素直な態度はどうやら好印象を勝ち取ったようだ。

 正直、意外だった。

 祐一の第一印象や、昨夜見せた特異さ。これまでの祐一を鑑みるに普段の彼は気難しいきらいがあると思っていたし、張り詰めた雰囲気がプンプンしていただけに彼が優れたコミュニケーション能力、もしくはカリスマを持っているとは思わなかったのだ。

 

 なんとなしにその様子を眺め、中庭に植わっている花々に水をかけていると、

 

「へー。ああいうのが好みなんだ」

 

 いつの間にか隣に誰かが立っていた。おでこのところで庇をつくり賑やかな様子をうかがう友人、リヴだった。

 

「あーら、リヴったら愉快なジョークですこと。でも私の好みではないかしら」

「照れるな照れるな」

「突っつくのをやめなさい」

 

 人差し指でちょいちょいと小突いてくるリヴをはたきつつ適当に相手をする。

 学祭に花かんむりを作るのだ、材料は今、水をやっている草花なのだから邪魔しないでほしい。チェリーはそういった意味でそっぽを向いた。友人の視線がいつまでもうっとおしかった。

 

「男の子に声を掛けられないって日がないくらい話してるのに男気のなかった君がねー」

「違うつってんでしょ、その耳全然役に立ってないから早急に取替えることをオススメするわ」

「えっへっへ」

 

 リヴは悪びれもせず軽快に笑いながら祐一の方へ歩いていった。

 

 彼の肩に手を置くと──

 

「よろしく、チェリー・U・ヒルトのお気に入りさん」

「は?」

 

 ──と言い残した。

 

 その瞬間、時間が止まった。

 誰も彼も微動だにせず、視線だけを巡らす奇妙な空間だった。特に男子。

 謎空間を作りだした犯人は、その反応に満足したのかにやりと笑って金髪を揺らしながら颯爽と去っていた。

 ただ、「我らが姫君は力の持ちの人が好みらしいよ~。ハッーハッハッハ」と言い残して。

 

 

 ──その日、男たちは光明を見た。

 

 

 ──チェリー・U・ヒルトという少女は校内……いやベルゲンでも"かわいい"と評判な高嶺の花だ。

 容姿は端麗にして明眸皓歯。流線的な黒髪をなびかせ歩く姿はその1フレームをただの風景から芸術品へと様変わりさせた。そして、そのバストは豊満である。

 

 

 ──それでいて性格は気は強いが分け隔てなく、多くの男を「これ、ワンチャンあるんじゃね?」と思わせてきた。

 

 

 ──だが、ダメ……ッ! 飛びついた男たちは悉く葬られ、後続の哀れな者たちを墓場から眺めながら、審判の日を待ち受けるのみだった。

 

 

 ──しかし。しかし。はじまりの福音来たる(初めて好みが判明した)ッ! 

 今日こそ我らの涙の日、灰の中からよみがえる日!!! 

 

 

 一時の沈黙の後……。

 

 戦闘準備──ッッッ!!! 

 

 男たちの声なき咆哮とともに"ばっ"と身に着けていた上着が天高く舞った。その下からマッシブな筋肉が現れ、中天にまたたく太陽の光を反射して燦然と輝き、「うおっまぶしっ」と祐一が腕で目を抑えるほどだった。

 フロントダブルバイセップスッ! モストマスキュラーッ! サイドチェストッ! 無駄にアピールの激しいハッスルがマッスルであったっ! 

 

「す、すげぇ……! ここまでの熱気、王国の闘技場並みだぜ……ッ!」

 

 祐一は戦慄した。かつて鎬を削った益荒男たちに負けず劣らずの闘志に、彼の心にも火が灯った。

 うおおおおお俺も負けてられねぇぜ! ブレザーを投げ捨てて筋肉の乱気流へ身を投じた!!! 

 

 ──筋肉千年王国(ミレニアム・キンニクダム)が誕生した瞬間だった! 

 

 

 一時間。

 校舎の敷地内は死屍累々となっていた。いつもと変わらずピンピンしているのは祐一だけ。筋肉千年王国史は幕を閉じた。筋肉千年王国(ミレニアム・キンニクダム)ってなんだろう……。

 GJ! 楽しいセンセーションだったぜ! 祐一は戦士たちにサムズアップし、彼らも息絶え絶えに返し、墓場にもどった。

 彼らの敗因は一つ、体力お化けのバカを相手にしてしまったことである。

 

「空が青いわ……」

 

 チェリーはすべてを見なかったことにした。ただリヴは許さない、それだけは心に誓った。

 

 

 〇●◎

 

 

「おもしろい学校だったなぁ」

「常日頃からあんな愉快なワケないでしょ。というか学祭の規模が夏至祭並みになったんだけど……」

 

 夏至祭はノルウェーで一番のお祭りである。

 さきほど催し物なんて例年通りなら十数人集まれば御の字レベルなのだが、今年は誰かがハッスルにハッスルを重ねたので全校生徒を集めても問題なさそうな規模だ。

 精を出し、もう夕暮れに近い時間だった。

 学校のみんなと別れた二人は静かなカフェに腰を下ろして注文を待っていた。

 

「それにしても意外だったわ、アンタって人とまともに関われたのね」

「言い方ァ!」

「あ、違うの。そういう意味じゃないわ、きっと昨日を引きずってたからそう思っちゃったのよ。アタシもアンタもピリピリしてたじゃない」

「ああ……。あの時はちょっと気ィ張ってたんだ」

「へー、今まであんなノリで旅してたの? ……そう言えば前はイタリアに居たって言ってたけど日本からノルウェーまでどんなルートで来たのよ?」

「んあ、最初はトルコに行くつもりだったんだけどなぁ……日本で客船に忍び込んだら転覆してイランに流れ着いちまったんだよなぁ」

「忍び込んだ??? 転覆???」

「間違えた。違う便に乗っちゃったんだよガハハ」

「誤魔化せてないから」

 

 湯気のたったドリップコーヒーが運ばれてきた。

 コーヒーってあんま飲んだことないな……と思いながら砂糖を二ついれ、祐一はそのまま口に運んで「苦っがい……」と呻いた。

 

「あとはヒューペルボレアなんて場所にも行ったなぁ」

「ヒューペルボレア? 知らない国ね」

「面白いトコだったぞ? 舟で何回か難破したけど。……チェリーは海外にはよく行ってそうだな」

「そうでもないわ。北欧諸国にアメリカとドイツくらいは回ったけど、アンタみたいに一人旅はした事ないわ」

「そっか。楽しいぜ、一人旅」

「お断りしますわ。ベルゲンから離れたくないもの。代わりに旅の無事を祈ったげる、あなたに神の御加護をあらんことをアーメン。………………なにその苦虫を口に突っ込まれたような顔は」

「いや神様に祈られるのはちょっと……」

 

 変なの、と首をかしげた。さらに十字を切ったら吸血鬼が太陽をみたかのように悶えはじめた。

 

「呆っきれた。せっかくアタシが直々に祈ってあげてるのにケチ付けるなんて、神様にぶん殴られでもしたの?」

「神様にも天使にも、顔の原型なくなるくらい何度も……」

「何それ」

 

 祐一としては真実しか言ってないつもりだったが、また訳わかんないこと言ってる、と流された。

 

「日本には帰らないの?」

「んー……どうかな。実は家出して日本を飛び出してきたんだよ」

「家出? アタシにはちょっと理解できない世界ね……」

「うっせ。ま、帰り方もわっかんねーしガハハ」

 

 豪快に笑いながら、テラスから外の景色を眺めた。

 

「四月か。もう桜も散ったかな。……お、そう言えばお前の名前もチェリーだよな」

「あらご明察、由来はそれよ。日本人ってほら、どこにでも桜の木植えるじゃない? ニューヨークに出張に行ったパパがね、それを見てチェリーにしようってきめたらしいのよ。それで変な名前になっちゃった」

「ふぅん。変な名前って……フルネームがチェリー・U・ヒルトだったっけ?」

「そうそう、ファーストネームだけ英語よ英語。まぁこっちの言葉だとゴツくなっちゃうからいんだけどね……」

「こっちで桜つったらコルスバーだったりシッシュバイブロムステルだったか……確かにゴツイな」

「でしょ?」

「じゃあミドルネームのUってのは?」

「普通はアタシもキリスト教徒だし洗礼名を入れるんだけどご先祖様の……開祖っていうの? の名前を当ててるらしいわ」

「へぇ、いいね。俺の家系はずっと農家だったらしいし羨ましいや。名字もどこにでもありそうなやつだし」

「あら、魔術師の家系じゃないの? よく知らないけど家業みたいなものでしょ、魔術師って」

「俺はちょっとそこらへん訳アリでなー。魔術師っていうのとは……」

 

なにををしてるのかな

 

 肩に手を置かれて祐一の口は強制的に塞がれた。

 お、俺が背後に立たれるまで気づかなかっただと!? と戦慄とともに冷や汗が喉を伝った

 驚いて振り向くとクランプス(西洋版なまはげ)に見下ろされていた。神殺しになって以来、はじめてチビりそうになった。

 

「あらあら〜? あらあらあらあら〜?」

 

 その後ろにはチェリーが綺麗に歳をとったらこういった容姿になるのだろうなという女性が眩い笑顔を浮かべて祐一とチェリーを見比べていた。

 え、なに? なんなの? 祐一は素で恐怖した。

 

「パパ、ママ……」

「この人たちがぁ!? ……って、うぉぉおおおお!?」

 

 林檎くらいなら片手で握り潰してしまいそうな大男が迫ってきたのだ。思わず祐一は立ち上がってがっつりと組み合いの姿勢になった。

 おぉーと他の席から歓声が上がる。

 ヴァイキングに居ても違和感のなさそうな益荒男と、服の上からは線の細くみえる少年の取っ組み合いはなかなか見応えがあった。

 

「ぬぅ、なかなかの膂力! しかしこれだけで認めるられると思うなよ、ちょっとOHANASHIをしようかァ!」

「なんで!? 落ち着いてくれよ()()さん!」

誰がパパだ糞ガキィ!!! 

 

 そんなこんなで。

 とあるカフェの一角にて、とある席は異様な雰囲気に包まれていた。他のテーブルに座る客は、時折、視線を送りながらヒソヒソと唇だけを動かし密談を交わしていた。

 当のテーブルではお皿とフォークの擦り合う音だけが妙に響いて、あとは誰も微動だにせず静まり返っていた。

 テーブルに座るのは四人の人物。

 上座に座る少女をレフェリーとするかのように、左手にクランプスと微笑みを絶やさない女性、右手には異様な雰囲気を意に介さず食事をしている少年がいた。

 クランプスの質量すら伴っていそうな視線を浴び続ける少年だけがいつも通りで、近くを歩いていた不運な若者が悲鳴をあげていた。

「あ、珈琲くださーい」どうにでもなーれ、少女は諦観と傍観の姿勢を決め込んだ。

 

「それでぼうふら、おっと失礼。魚肥、エフンエフン! あー、馬のほ……んん! 君はどうやって娘と知り合ったのかな?」

 

 はじめに重苦しく口火を切ったのはクランプス……もとい、少女の父。ガタイのいい巨漢がテーブルに肩肘をついて凄む姿は、完全にマフィアかなにかであった。

 

 

「チェリーちゃんの弱ってるところに漬け込んで、その上お食事デートまでしただァ!?」

 

 

 祐一の回答は最悪の部類だった。しかし全て事実である。

 というか金銭を持ち歩かない彼はもう何度もチェリーに飯の面倒をみてもらっている。弁明の余地もなくヒモとそう変わらないのでは……? 

 そして親馬鹿フィルターを通したパパの耳は超越した解釈を見せるぞ! パリんと共振現象ゆえか、声の質量ゆえか、テーブルのコップが音を立てて割れた。

 そんな状況でも料理を口に放りこむ祐一は、なるほど大物である。

 あ、一番星見っけ。渦中の彼女は珈琲を口につけながら遠くの夕暮れの景色を楽しんでいた。

 

「見たところイワシ野ろ……ユーイチくんと言った感かな? 君は東洋人のようだが、まだ若い、というよりも幼いじゃないか。母国に帰れば義務教育を受けている時期だろう? それを放ってノルウェーくんだりまで、なにか理由があるのかな?」

 

 コップが割れたのでこぼれた水をチェリーの母が拭き、割れた破片をクランプス、もといチェリーの父が嚙み砕いて嚥下した。人間……なのか? 

 

「えっと、ノルウェーには探してた奴がいて……だから来たんだ」

「探し求めていた女性(チェリー)がいたから、だとォォ!!?」

「あらあら!」

「なあチェリー、お前の父さん母さんだいぶおもろしろいな」

「っるさいわよ、話しかけないで」

「ゲフンゲフン! それで貴様、いや、君は娘とどんな関係なのかな?」

「……!」

 

 祐一はここに至って悟った。不可解な問答無用……しかし、戦場で培った勘が囁いている。

 ──ここは正念場なのだと。

 彼女の父の言わんとするところ……関係とはつまり、昨夜結んだ二人の関係ッ! 

 命を預けるほど重い契約を結んだ、相棒同士になったことを指しているのだとッ! 

 

「ふ……やっぱりご両親の目は誤魔化せなかったか……」

「なに?」

「……チェリーは俺が探し求めていた辿り着きたい(誰も不幸にならない)未来のために必要な人間だったのです。だから一時とはいえ、旅の道連れになることをお願いしたのです!」

「辿り着きたい未来(結婚)のために必要な道連れ(伴侶)、だとォォ!!?」

「まあまあ!」

 

 父は青筋をデカデカと、母は頬をテカテカと、祐一の放った言葉に感情を爆発させていた。

 しかし、怒りに呑まれながらつぶさにユーイチという少年を観察すると、特異な印象を受けた。隙が全く見えないのだ。

 魔術師の家系に生まれ、ヴァイキングの流れを汲む父は武への理解が深かった。だからこそ気づけた違和感。どんな手段でタマを取りに行っても、赤子をあやすように抑えられるだろう……と戦士のみが持つ直感が訴えかけていた。

 改めて祐一の双眸を覗き込む。激情から冷静さをもって見据えた目は、瞳の奥に蠕動するなにかを感じ取って仕方なかった。

 この眼光……まさか黄泉の淵を観てきたとでもいうのか! 

 眼前にいるのはどこかの馬の骨ではない。類稀な技量と並々ならぬ覚悟を秘めた戦士なのだと拳を握りしめた。そして問い掛けた。

 

「君に(娘を)守れるのか?」

 

 やっぱりか。祐一は確信した。

 ベルゲンの住人として、守護すべき民として、そしてチェリーの父として、彼は問いかけているのだ。お前なんかがベルゲンを守護れるのかと。

 俺は……試されているッ! 

 気圧さそうな威圧感に腰を引きそうになったが、歯を食い縛って耐え切った。

 だけど、俺は逃げない。どんなに糾弾されることになっても。祐一は不敵に笑って、肩をすくめるのを答えとした。

 

「守ってみせるさ(ベルゲンを)。俺の身命を賭けてな……それはもうチェリー(の前で俺の友と同胞)に誓っている」

「──!」

 

 瞳に秘めた、折れず使命を成し遂げようとする不断の意志! チェリーの父、ルーカスはどこか諦観をもって……しかし清々しい気分で瞑目しながらうなづいた。

 なるほどな。ふ、娘が手元から離れるのは存外早いかも知れんな。

 二人は固く熱い握手を交わした。

 

「今は……一先ずこれで由しとしよう。だが、分かっているな?」

「ああ、分かっている。必ず守護ってみせるさ」

 

 こいつらに必要なのは守護ではなく主語である。

 

 ともあれ──木下祐一、一次面接突破ッッッ! 

 

 

「あ、このサバのバターソテーってのくださーい」

 

 チェリーはすべてを見なかったことにした。休日なはずなのに、ただ、ただ、心だけはひどく疲れていた。

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