王書   作:につけ丸

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079:現状把握

「おーい起きろー! 朝だぞー!」

 

 肩を揺さぶられて強制的に起こされた。朝っぱらから溌剌とした声が鬱陶しい。

 チラリと目を開けると誰かがいて、全開に開かれたカーテン、それに白を基調とした殺風景な部屋が見えた。

 日照不足になりがちなベルゲンだから窓は大きくて、晴れている今日は目いっぱい陽の光が部屋を満たしていた。

 あんまりものを持たない主義のチェリーだから自然と部屋もならうように何もなくて、遮るものもない。そして白い部屋で黒髪と藍のブレザーを着る少年は浮いていた。

 起こしに来たのが誰か察したチェリーは、昨日も一昨日も変な事件続きで鈍った思考のままシッシと手を払って、毛布で頭を隠した。

 

「っさいわねー……もうちょっと寝かせてよ……」

「ったく、今日は学校なんだろ。ランニングだって早朝の日課だって聞いたぞ」

「うー……アンタに言われなくたって判ってるわよ」

「そうかい。俺は起こしたからな、早くリビングに来いよー」

 

 そういって彼はドタバタと部屋を出ていった。彼も同じように事件の当事者だがいつも通りの元気の良さだ。

 アイツの体力は底なしね……。寝ぼけた頭でぼんやりと考えてつつ、ふたたび睡魔に身を委ねた。

 昨日は大変だったのだ。今日くらいゆっくりさせてほしいもの……だ………………あれ? なんでアイツが…………? 

 

「──ッ!??」

 

 

 ○〇●

 

 

「──なにぃッ!!! ヒモ野郎がチェリーちゃんの部屋に押し入った上に寝顔を覗いただァ!!!??」

 

 

 

 往生せえやあああああああッ! 

 

 ぎゃああああああああああッ! 

 

 

 

「ちょっとママ! なんでアイツいんの!?」

 

 どこからか段平を取り出した父がアホを追いかけましていたがそれよりもだ。なぜあのアホが家にいるのかキッチンにいた母に詰問した。

 耳まで真っ赤になってギャンギャン叫んでしまったが淑女なのだ、当然である。着崩れていた肩紐を整えてながら、追いかけ回されているアホとのほほんとした母を睨んだ。

 

「あら、忘れたの? 昨日トロールから彼が助けてくれて、それで話を聞いてたら今晩泊まる所がないって言うから招待したじゃない」

「招待したじゃない……って、そこまでは覚えてるけどアタシの部屋に入ってきた理由は!?」

「もう! そっちの方が喜ぶかなって気を使ったのよ!」

「喜ぶか──! そしてアタシのプライバシーが息してなーいっ!」

 

 窓ガラスが割れそうなほど絶叫が響いた。

 照れなくていいのよ、ママは応援してるからね! と付け加えて背中をバシバシ叩いてくる母に、縁切りを本気で考えた。

 なんだなんだ、と近所の住民もやってきて、事情を知るとにやにやと祝福の言葉は投げてきた。

 これが絶望……なのね……。

 暗澹やら絶望やら縁遠かった感情を初めて思い知らされた。

 朝っぱらから肩で息をしていると、学校に遅刻しそうになった。

 

 ○

 

 

「さて、チェリーちゃんも学校へ向かった。少し私の話に付き合ってもらえるかな木下祐一くん」

「なぁ……その前にこの縄解いてくれないか……?」

 

 部屋は天然由来のものが多くて、木材がよく目についた。北欧デザインなんてよく聞くが、ノルウェーは少し毛色が違うらしい。どこかシックで実用的なデザインだ。

 機能性を重視し、目立たないことを重きを置く、お国柄だとかチェリーはいっていた。

 そして木造りの椅子に縛り上げられた祐一と対面に座るヒルト夫妻の姿はなかなか見応えがあって、さらにシリアス持っていこうと夫妻ともども表情を引き締めているから更に味わい深かった。

 

「改めて感謝を。昨晩、君が"異界"と呼ぶあの人智を超えた場所で、私たち家族を救ってくれたこと、本当に感謝している」

「気にしないでくれ、当然のことさ。あとは、なあ……縄を……」

「……君の立ち振る舞い、少なからず戦場に立っていた私でなくとも只者でないことは分かる。かつてルンドで見た大騎士や聖騎士にも劣らぬ技の冴えだった」

「もういいよ……」

 

 冗談もそこそこに、三人は日常では決して浮かべない裏の顔になった。つまりは魔を知るものとしての顔を。

 この時には祐一も縄から抜け出していて、机を指で叩く仕草をとった。

 

 今は一線を退いているとはいえルーカスは欧州を飛び回った戦士だった。そのルーカスでさえ記憶をさらえば身震いするほどの刀身のきらめき。

 あれを娘と同じ年頃の少年が抜き放ったという事実に驚嘆を隠せなかった。

 

「…………」

「それに君は剣以外にも術にもその齢では考えられないほど長けているようだ。我が家にはいくつか魔術的な仕掛けがあってね……それが悉く解呪というよりねじ伏せられている」

 

 若き天才、という言葉で括れるのか怪しいほどの少年。そんな若く力のある少年が……場所が場所なら名のある魔術結社が秘蔵っ子としては囲われていそうな子が、ベルゲンに身一つで現れた。

 

「だから分からない。それほどの使い手である君が、何故、この街に現れたのかが」

 

 秘された世界を多くを知るルーカスとしては、裏を感じずにはいられなかった。ベルゲンは都市といえどオスロやストックホルムなどという都会には劣るし、呪術的な価値もあまりない土地だ。

 いっそ娘が目的で、という理由ならどれほど良かったか……いや、それはそれで深刻な()合いが発生するのだが。

 

「もうひとつ、分からないことがある。昨晩の出来事だ」

「異界か?」

「そうだ。私もこの地に代々根を下ろす魔術師のひとりとして……"異界"と呼ぶ現象がベルゲンに元々あったものではなく、昨日今日"何者かの気まぐれ"で出来上がった現象だ、ということは理解している」

「…………」

「そして、知っているか? 最近欧州全体を騒がせている災害の数々を。起きる災害はバラバラだが、示し合わせたように……それこそ意志を持つように北へ、北へと向かっていた不可解な事件を」

「ニュースでやってたような……」

「……ここ一週間ほど動きがなかった。そして他の魔術師にも連絡をとると"次があるとすれば……北端のノルウェーになる"と結論付けていた。そこへ現れた超常現象。……だから私はひとつの……到底、信じたくはないが……仮説に行き当たった」

 

 大柄な体躯に似合わないほど躊躇いまじりにルーカスはたどたどしく言葉を選んだ。確定されてしまうのが怖かったのだ、握った拳が白むほどに。

 魔術師としての見識と、奇怪な現象に巻き込まれた者としての視野が、彼にひとつの答えを与えた。つまりは。

 

「知っていたら、でいい。答えなくても、いい。ただ聞かせてくれないか……。

 あの方々が……まつろわぬ神……が、このノルウェーに、いや、ベルゲンに(おわ)す。そう見て間違いないのか」

 

 返ってきた答えはひどく簡潔だった。

 

「……ああ、()()

 

 乾ききった舌を引きずって吐いた言霊が容赦なく切り捨てられた。祐一の断言を聞いた二人の反応は顕著だった。沈痛と絶望。痛ましげにかぶりを振ったのちに重苦しく息を吐いた。

 

 祐一はその姿を新鮮な気持ちで眺めていた。

 まつろわぬ神が存在しなかった世界の住人である祐一にとって、彼らの反応は未知だった。

 元の次元で、神に対する人々のリアクションは様々だった。崇拝はもちろんだが巨大人狼となりドバイを襲ったチンギス・ハーンには畏怖と絶望、スロヴァキアの天使には奇跡の対価とするように熱狂と信仰……突如現れた"未知"の災害に手立てもなく無防備にただ縊り殺される他なかった。

 

 しかしルーカスたちの感情はそのどれにも当てはまらない。

 "既知"の災害の恐怖を心に刻み込まれていながらも、()()()という選択肢が取れるほど経験と知識に裏打ちされた態度だった。

 

「なぜ、と言っても意味はないか。かの方々は意志持つ天災の具現……私たちは結局その荒ぶる猛威に、岩陰に潜んで身を低くし、祈りとともに凌ぐしかないんだ」

「凌ぐだけか? 次の瞬間にもベルゲンが消え去ってもおかしくないってのに」

 

 怒らせるつもりもなく、ただ純粋に疑問と困惑で作られた問いかけだった。

 

「きっと、あんたたちの子供なら……チェリーなら立ち向かうとおもうぜ。出会ってからそう長くはないが、あの胆力と気丈さは大したもんだ」

「そうだろうな。どこで教育を誤ったのか、抗えないと知っても娘は立ち向かうだろう」

 

 少しだけ柔らかくなった表情でルーカス同意した。右手の甲を左手の親指で擦りながら、彼は言葉を続けた。

 

「……だが、それはあの方々をよく知らないからだ。……一度会ってしまえば、一度でも会ってしまえば、もう何もできなくなる……かつての私がそうだったように」

 

 一度会ってしまえば、か。

 祐一はまだ自分が人の範疇にいた頃の記憶が滲み出た。かつて友が、本来の自分に立ち返ろうとしているのに何も出来ず、唯々諾々と後ろをついて行くだけだった苦い記憶を。ルーカスもまた出会ってしまったのだろう。

 

「私も過去に一度だけ、遭遇したことがある。それだけで私の心は完膚なきまでに折られた、身をかがめて岩陰に身を潜め息を殺し、彼らが去るのを祈るしかなかった」

「ああ、分かる」

 

 俺もそうだった。変わっていく友をただ眺めことしか出来ず、心も折れて、気も萎えて、膝を抱えながら夜を過ごした。

 

「君も遭ったんだな。ならわかるだろう無力感が、決して抗ってはいけないのだと。だから……」

「──だから()()()()()()()。このベルゲンで誰も死なせたくはないから」

 

 ルーカスは眉間を火打ち石で叩かれたように、目をカッと見開いて眼前の少年を見据えた。

 眼前の少年の技量をルーカスは知っている。ともすればまつろわぬ神ですら一撃することも可能かもしれない。

 最初高い技量を誇るがゆえの傲慢さから"戦う"と、そういっているのだと思った。

 だがそうではない、そうではないのだ。

 人間がどれだけ技を高めようと、格が違いすぎて人としての本能が戦うことを拒否する。逆に高い技量を持つものだからこそ、彼我に横たわる圧倒的な溝を自覚して、入念に心折られるのだ。

 一度会えば恐怖と畏怖を刷り込まれ、反抗の意志を踏みつぶされる……それがまつろわぬ神。

 

 木下祐一は口ぶりからして神と遭遇したことがあるのは間違いない。その上で彼は、瞳を逸らすことなく言い切ったのだ。並みの胆力もつ者ではなかった。

 人は神には敵わない。今更説く必要もない法則だ。

 しかし何故だろう……あまりにも無謀だというのに言葉に言い表せないなにかが、烈火を宿した祐一の瞳が、ルーカスから反論を奪い取った。

 そしてひとつの推測が眉間から全身へ駆け去った。

 

「君は、まさか…………」

「え?」

「あ、ああ。……いや、なんでもない、そんなはず、あるわけないからな」

 

 手を振ってそれきりルーカスは黙り込んでしまった。あとを引き継いだのは妻のルイセだった。いつも浮かべている柔らかな笑みはない。

 

「娘は、チェリーは累代のヒルト家でも類を見ない素養をもって生まれてしまいました。きっとあの子がまつろわぬ神に出会えば私たちの手か零れ落ちてしまうと確信するほどの才です」

「…………」

 

 もし、ペンダントが奪われ祐一が返したあの空白の間に、彼女がまつろわぬ神と邂逅していたら。その未来に怖気を覚えるほど彼女の才は豊かだった。

 

「だからこそ私たちはあの子の才を知った時点で、かつて宗家が保有していた蛇殺しの呪具を蔵から出し、あの子に与えました。けれどなんの因果か、呪具は先日あの子の元を離れてしまった……」

 

 鼻梁にしわを蓄えることも厭わず祐一を見据えた。母の瞳であった。

 

「本当にあの子はまつろわぬ神と出会って居ないのですね? 

 私は恐ろしい。何よりも恐ろしいのは……あの子が手か零れ落ちてしまう未来。そして何も出来ずに見ているしかないかもしれない未来が」

 

 母という存在は、祐一にとって尻込みさせるに充分な存在で……珍しいことに彼は忌避から顔を背けた。目線をさまよわせ、吐いた言葉は独り言じみた言い方だった。

 

「これだけは信じてくれ。チェリーは死なせやしない。……まつろわぬ神に出会ってても、出会ってしまっても関係ない。信じられないかもしれないけど、でも俺はあいつに誓ったんだ──俺はこのベルゲンを守るって。

 ベルゲンは、チェリーで、そしてあんたたちも。街も、そこに住む人達も、あなたたちも、そしてチェリーも、俺が守る。だから任せてくれないか」

 

 祐一は言いながら思いを強くした。

 彼は民衆を無視できない王だ。であればこそ、いつ戦場になるかも知れない地で民と縁と情を交わせば剣把を握る手にもより力が籠もろうというものだった。

 

 心の火はいっそうに勢いを増していた。

 

 

 〇

 

 

 放課後、チェリーは図書館へ訪れていた。広い机に分厚い本をいくつか重ねて、黙々と読みふけった。すでに一時間は経過しているがページを捲る指に衰えはない。

 普段なら図書館に訪れることはあまりない彼女だったが、ここのところ立て続けに起きる事件にそうも言っていられなくなった。

 人狼、トロール、そして異界。

 最近見知った言葉を思い出しながらそれがページにチラリとでも載っていれば手にとって、細いアーモンドアイをさらにすがめて字を追った。

 本の種類は絵本、ゴシップ雑誌、オカルト本、新聞、学術書、とバラバラであるが取り扱った内容はオカルトじみて胡散臭いものばかりだった。そんなものを可憐な少女が山と積んで執心しているのだから傍から見れば異様な光景に映っただろう。

 それからどれほど経っただろう。ふと、彼女の手が止まり、頬杖をついた。

 

「分かってたけど……そう簡単には見つからないわね」

 

 本には魔術や神秘について事細かな記述があるものもあった……けれどそのどれもがチェリーの求める記述はない。どれも歴史書の域を出ないものばかりだった。

 つまりは秘されている。平穏な日々を送るものは知りえない、知ってはならないという事なのだろう。

 裏側に横たわる澱じみた世界。あれが広く認知されているのなら、チェリーだって母に教えてもらうまでもなく知っていただろうし、関連の書籍はそれこそ雲霞のごとくあるはずだ。

 だが、どれだけ探してもないのなら厳しい情報規制をされているに違いない。

 

「ダメだわ。きっと、ここでどれだけ探しても私の欲しい情報なんて拾えない」

 

 どうしよう、とこめかみを解す仕草をとるチェリーだったが宛がないでもない。

 一番手っ取り早いのは昨日から住み着いた居候に問いただすことだ。けれど闊達でやかましいと思えるほどの彼だが、そちら側となると途端に口を閉ざす。

 彼がどんな経験をしてきたかは知らないが、非日常や人命となると臆病さや慎重さが顔を出し、力のない人間は遠ざけたい、関わらせたくないという気持ちが透けて見えた。

 

「アタシは関わるって決めてるのにユーイチのやつ……。というか契約云々はアイツから言い出したんじゃないの」

 

 憤懣やるかたないと肩を怒らせるが知識も力もないのも事実で、そう思うと頼ろうにも頼れないのかもしれないと肩を落とした。

 次点で親がいるが、危険なことに関わっている自覚はあるし、過保護な両親だ。きっと知ってしまったらNo! を突きつけられるのは目に見えていた。

 最後に残ったのが自分で調べるだったのだが……捗らない。まるで裏側へ繋がる道をごっそりとくり抜いたようにページを捲っても情報は落ちていなかった。

 

「あ、もうこんな時間……そろそろ出なくちゃ」

 

 きぃ、きぃ。

 席を立ったのと、ずらりと並んだ本棚の奥から金属音が聞こえてくるのは同時だった。金属音はか細くて、車椅子の車輪が回る音だと気づいた。

 

「おや?」

 

 はたしてチェリーは車椅子に乗った人物を知っていた。

 出会ったのは昼ではなく夜。街灯の置かれた道でもない暗がりだったが、忘れようはずもなかった。

 決して親しいわけでも友好的でもない。けれど今のチェリーにとって喉から手が出るほど欲しい情報を握る人物ではあった。

 魔術師ダヴィド・ビアンキ。因縁の相手との再会だった。

 

「アンタ、まだベルゲンに居たんだ」

 

 逸る気持ちを抑えて口火をきった。先日彼には()()になっていたが、情報源であることは違いない。機嫌を損ねないよう注意を払って言葉を選んだ。

 ビアンキはつまらなさそうに、肩を竦めた。

 

「ふん、僕もさっさとベルゲンから出ていってアメリカにでも高飛びするつもりだったけどね……。僕なりに思うところがあって残る事にしたのさ。用が終われば出ていく手筈なんだ、関わらないでくれるとありがたいね」

「その用って……もしかして"異界"のこと?」

 

 不貞腐れた顔が驚愕に歪み、ビアンキはすぐに周囲を見渡すと無人だったことを確認し、安堵を浮かべた。それからチェリーの裾を掴み、車椅子に乗っているとは思えない強引な力で引っ張った。

 

「ちょっと来たまえ」

 

 

 図書館から強引にチェリーを連れ出したビアンキは人通りの少ない道のベンチに腰を下ろした。むっつり口を引き結んで、なにか印を切るような仕草をとって、チェリーは黙したままぼんやりと眺めていた。

 

「なにしてるの?」

 

 何かをやり終えたビアンキは答えず、少ししてやっと息を吐いた。

 

「人払いと防諜の結界だよ。魔術は秘匿が基本なのは常識だろう……まさか知らないのか?」

「……えっーと、ママがそんなこと言ってた気がするわね…………。ねぇ、もしかして本を漁っても魔術の情報がなかったのってそういうこと?」

 

 その様子に埒が明かないとため息をついて、彼の方から話し始めた。

 

「当然じゃないか。科学が幅をきかせてる時代に、魔術が実はあったなんて言ったら大騒ぎになるだろう」

 

 少しだけ間を置いて、ビアンキは問いかけてきた。

 

「……ぼくは君からいただいた、いや奪った、か。ともかくメダルの件で糾弾してくるとばかり思っていたけど、そうじゃないのかい?」

「……そうね。アタシもそうしたいのは山々よ……でもね、あなたに話があるの。他でもない、魔術師であるダヴィド・ビアンキにね」

「なるほど。感情ばかりが先行する猪女かと思ったが存外、冷静さは備えているらしい」

「こ、今度こそ、張っ倒すわよアンタ……!」

「ふん、冗談だ。それで、話とは?」

「ゴルゴネイオンって言えば分かる?」

 

 ビアンキは後悔した。やはり迂闊に関わるべきではなかった。言霊は実際にあって、無意識でも作用する。脳裏に描かれた染み付いた、まつろわぬ神との邂逅などという馬鹿げた恐怖劇を思い出すだけで、震え出した指を噛み締め押さえつけねばならない。

 

「ちょっとアンタ震えてるじゃない」

「……ッ侮らないで、もらいたいね」

 

 指で唇を拭いつつ息を吐けば、震えは次第に去っていった。

 

「僕なりの推測だが、君ははじめ異界と言ったな……。それは夜に起きている異変のことなんだろう? そしてゴルゴネイオンが関わって、君は巻き込まれている、だから情報が欲しかった。そうなんじゃないか」

「さすが魔術師。話が早いわ」

「僕も地相術に携わる徒として、この地で起きてる異変について()()()程度は把握しているつもりさ……何が知りたいんだ、早く終わらせてしまおう」

「一切合切を、よ。ゴルゴネイオンだけじゃないわ。あなたたちの言う()()について知りたいのよ」

 

 神の存在を知っていたのか、とビアンキは苦味を帯びた表情を浮かべた。

 

「不本意だけどここ数日で、アタシの環境は変わったわ。アタシ自身もね。……まだ数える程しかないけど、あなたたちの霊視って呼ぶ現象も起きてるの。それでみえてしまうのよ……観たくなくてもね」

 

 霊視を何度も受けているチェリーは十分な知識はなくともトロールや人狼をはるかに超える存在がいる事実に、薄らとだが勘づいていたのだ。

 そして母や父、祐一の口の端からもれる単語を繋ぎ合わせてたどり着いたのだ。秘すべき真実に。

 

「なるほど。それで神の存在にたどり着いた、と」

「最初はなんのことだかちんぷんかんぷんだったけどね。……でも、アタシは知らなくちゃいけない。だからあなたに危害は加えないわ、アタシの欲しい情報を知ってるあなたにはね。

 教えてちょうだい。ベルゲンで何が起きているのか、誰が居て、何を起こそうとしているのか」

 

 ビアンキの口は引き絞られ割られることはなく、風に揺れる街路樹に視線を送るばかりだった。

 

「アタシはこの街が好き。守りたい。でもなあんにも知らないままじゃ駆け出す方向も、拳を振り下ろす先だって分からない。

 ベルゲンで起きてる事件をパパやママも、それにアイツだって、詳しいことはなんにも教えてくれないの。だからアタシは自力で探し出さなきゃならない。ベルゲンを守るためなら憎いアンタにだって頭を下げるわ」

 

 目を瞑って、小さく息を吐いた。

 

「勘違いするな。このぼくがきみの告白に胸打たれただとか義侠心に突き動かされたとかじゃない。これは盗みを働いた罪の清算からくる忠告で懺悔だ」

「それじゃあ……」

「──ベルゲンにはおそらくニ柱のまつろわぬ神がいる」

「二柱……。つまりそいつらがベルゲンで争ってるっていうの?」

「ああ。それも君が所持していたメダル……ゴルゴネイオンと呼ばれる"神具"を欲したゆえの争いなんだ。ゴルゴネイオンは神代の魔導書とも言われる代物でね、不朽不滅にして神の半身ともいえる高位の神具だ。神々が狙うなんて当然のことだったろうね」

 

 自嘲気味にビアンキ肩をすくめた。なにか思うところがあったらしい。

 

「神々の争いって、止められないの? 魔術師のあなたでも?」

 

 当然の疑問だった。

 

「世界中の軍隊を向こうに回しても敵わないそうだ」

「世界中?」

「そう。世界中の軍隊、魔術結社、武術組織、それら全て糾合し、たった一柱のまつろわぬ神に挑んでも無傷で勝利する。例え核兵器を使ったとしてもね」

「そんな馬鹿げた存在がふたつもいるの?」

 

 誰もが言っていた"ベルゲンが滅びる"という言葉が信憑性を帯びてきた。神なんてものの前評判どおりの出鱈目さに目眩がしそうだった。

 

「そう、二柱も。だがそれは()()()、であったらの話だ」

「え?」

「君はカンピオーネを知っているかい?」

「カンピオーネ……チャンピオンってこと? たしか、イタリア語で勝者って意味よね?」

 

 なんとなく授業で習ったことを反芻しつつ答えた。ただ、ビアンキが何故そんな単語を口にしたのか訝しみながら。

 

「意味はそれだけじゃない。我々魔術師の間ではカンピオーネとは極めて重要な意味をもつ称号でもある」

「称号?」

「そう。人の身でありながら神を弑逆し、まつろわぬ神に対抗する手段を得た絶対の覇者……神殺しを為し、神の権能を簒奪したフェノメノ、あるいは魔王に贈られる称号なのだ」

「まつろわぬ神のお次は、神を殺した人間ですって?」

「信じられないかもしれないがね。だが間違いなく存在するんだ。欧州だけでも三人。イタリアにはとんでもない大バ……失礼、剣の王が。イギリスには神速の黒王子が。東欧には最古の魔王が、と言った具合にね」

「眉唾も大概ね。神様殺すなんて、どんな人間なのか予想もできないわ」

「時たま現れるのさ、そういう特異な存在が。特に今の……世紀末と呼ばれる時代にはね」

 

 防音の術も、人払いの術も、自らなの手で張ったというのにビアンキは背をかがめて声を潜める仕草をとった。

 

「実際にぼくは会ったのさ、その魔王殿にね。僅々では御三方の王にお会いした。一人はイタリアに君臨する剣の王に。もう一人は同地イタリアで誕生なされ、かつての師によって引き合わされ……我が身の恥を晒すようだが……イタリアを追われる羽目になった」

「分かってきたわよ。……ベルゲンにいるのはまつろわぬ神だけじゃない。だったら、もう一人は」

「ああ、ぼくは期せずして拝謁の栄誉を賜ったのさ。このベルゲンでね」

「…………」

「推測だが今世紀に誕生した方々とも、日本の最新の王とも違う、まったくの無名の王だった。これは恐るべきことだ……先月にも七人目の王が新生し、魔術界はてんやわんやの大騒ぎになったというのに相次いで()()()の王が人知れず誕生していたことになるからね。欧州のみならず全世界の魔術界を震撼させる大事件だ」

 

 チェリーには魔術界だとか、七人目や八人目の王だとか、正直どうでも良かった。なにせ目前に、確固とした脅威が迫っているのだから。目線で話の続きを促した。

 

「ぼくは幸か不幸か、若き魔王陛下とまつろわぬ神の戦いの場に居合わせた」

 

 ぼくが君からメダルを奪ったすぐにね、というビアンキの言葉を彼女は驚きをもって受け止めた。

 もしかしたら自分が倒れていたすぐ近くで神と魔王とやらの戦いが起きたかもしれないというのだ。

 皮肉を言うでもなく、身を乗り出して俯くビアンキを覗き込んだ。

 

「どうなったの?」

「死にはしなかったさ。生き残った代償がなんなのかは見てわかるだろう?」

 

 車椅子に視線を送り、分厚い包帯を巻いた足を軽く掲げた。

 そして間近で見たからこそ、まつろわぬ神の真名を看破せしめた。彼は驚嘆すべき偉業をなしたというのに驕るでもなく謙虚に語った。

 

「あの時のぼくは為す術なく、半生を捧げたはずの熟れた術の行使だって望むべくもなかった。得意の観相すら見ることはできなくて……でも必要なかったんだ。

 観相なんてなくてもわかるほど、まつろわぬ神は不吉を体現した"奈落そのもの"といっていい存在だった」

「奈落そのもの?」

「奈落とはすべからく死者の赴くべき場所である。そして()()のなかにある昏く深淵い底……。つまり()そのものがまつろわぬ神だったんだ」

「大地に、死……?」

 

 言いながら頭の隅っこでチラチラとなにかが視えた気がした。輝かしき太陽の凋落と玉座を追われる老いさばらえた老人の姿が。

 チェリーの考え込む様子に構わず、ビアンキは投函の術でとあるものを呼び出した。それはひとつの地図だった。ただの地図ではなく、砂礫や草木、水をふんだんに使った立体的な地図で、実際の地形を反映したものなのだと一目で判った。

 

「大地と死の権能を司る神はあらゆる神話体系で散見されるため特定は困難を極める……だが、ぼくにはひとつだけ心当たりがあった

 かの神が武器としていた鎌にも似た剣。剣というにはいささか特徴的すぎ……だから思い至った。あれは神話で語られるハルパーと呼ばれるものではないか、と」

 

 地面に置かれた地図にビアンキは砂を振りかけた。イタリア、それもローマと文字のはしる場所に落ちた粉は、驚くことに盤上をズルズルと這い回りはじめた。

 

「これは僕がまだ、イタリアにいた頃手に入れたものでね。ローマのとある神殿から発掘された石版を粉末状にしたものだ」

「神殿……っていうと神様の祀られる場所よね。ならそこには神様の力が宿ってる……?」

「そう。まつろわぬ神はおびただしいほどの力の塊だからね、極小の台風といってもいい。追跡も容易なものさ、容易とはいうものの命懸けではあるがね」

 

 ビアンキの語りを聞き流しつつチェリーは盤上の粉を注視した。イタリアを北上しはじめた粉は、ドイツを通り過ぎるとデンマークまで一気に昇った。

 

「ハルパーとは湾曲した剣であり、鎌と言い替えてもいい。鎌は実った麦を刈り取るための道具で、命を劫掠し富を得るための聖なる祭具。現代では死神のイメージと結びつき死神もつ武器とされているが、それ以前はとあるローマ神話の農耕神のアトリビュート……ヘルメス神の杖だったり正義の女神の天秤のように関連を持つものだったという話だ」

 

 そして海を渡った粉は、北欧のある国にたどり着きチェリーがよく知る名の記された街で止まった。

 ──ベルゲン。この街だ。

 

「神殿の名はサトゥルヌス神殿。神もまた祭り上げられた神殿に準ずる神なのだろう」

「じゃあベルゲンにいるのはサトゥルヌスって神様なのね。聞き覚えがあるわ……ローマ神話に出てくる神様よね? 我が子を喰らうサトゥルヌスって絵画はアタシでも知ってるもの」

「サトゥルヌス神が何故ゴルゴネイオンを求めているか、そこまでは流石に分からない。どのような深淵な考えがあるかなど人の身である僕たちに知る術はないからな」

 

 前進したのを確かに感じ取った。二柱のうち、ひとつの正体が暴かれたのだ。

 

「じゃあもう一柱の方は?」

「……名は僕でも分からなかった」

「へぇ。名前以外はあたりは付いてるって言い方ね」

「そうだね……確信はないが……」

 

 ビアンキにもったいぶるつもりはないのだろうが、一々躊躇いを見せる彼の話し方は焦れったくて仕方なかった。

 

「ゴルゴネイオンを欲する神は限られている。ゴルゴネイオンは()()()系譜の女神のみ、原初へ至らせる道標でね。だから限られた神々しか欲することのない神具なのだ」

「とある系譜……。それに纏わる女神様がもう一柱の神様、ってこと?」

「少なくともぼくはそう睨んでいる」

 

 そこで首を傾げた。

 

「ゴルゴネイオンが原初へ至らせる道標? って言うのはわかるけど……どうしてそんなものを神様が欲するのよ? よく分からないわ」

 

 こちら側に来たばかりの素人なら当然の疑問だろうね、とビアンキはイラッとする笑みを浮かべた。

 

「チェリーと言ったか。きみはまつろわぬ神がなぜ"まつろわぬ"と呼ばれるか知っているかい」

「さぁ。でも言葉の意味を考えたら、服ろうことのない……従わない神様ってことになるのかしら? 

 だったらそうね、従わない神様はきっと主に従わない異教の神様ってことじゃないかしら。……あるいは、言葉遊びだけど異郷の神様だったりとか?」

「おもしろい解釈だな、そして少しだけ正鵠を射ている。まつろわぬ神々は神話という異郷からやってくる……君の異郷の神というのもあながち間違いではいのかも知れないな」

「それで正解は?」

「まつろわぬ神は現実ではない神話の世界から現れるのさ。神話に語られる存在でありながら神話にまつろうことのない神。それ故に──まつろわぬ神」

「…………」

「そしてまつろわぬ神はぼくたちの知る神話から外れようとする……いや、すでに外れた存在なのさ。彼らは文字通り神話から"抜け出した"存在だからね。

 神話内にいるべき彼らが現実にいる……それだけでもう神話に叛いていることを意味し、まつろわぬ性を獲得してしまう」

「神話に従わないから"まつろわぬ"神ね。結局、言葉遊びじゃない」

「どうやら君とぼくとでは認識大きな齟齬がありそうだな。話しを戻そう。……そうしてまつろわぬ性を獲た神々は、神話に縛られていなかった自由な姿に立ち返ろうとする。おそらく今回の一件もそれが顕著に現れたものだろう。

 ゴルゴネイオンとは、神代の魔導書であり数多くの女神にとって、原初に近い、いにしえの自由だった己に立ち返るための道標なのだから」

 

 身勝手な話だ。

 人に祀られ人に試練と無償の愛を与える神が、自儘に欲しい物のために周囲のことは考えず奪い合い、絶大な力を己のためだけに振るう。

 チェリーは事件の真相に近づき、争うものたちの動機を思案するたびに、原始的というより幼さを、激情的というより純粋さを、そして生々しい人間らしさを覚えた。

 胸元で十字を切る。信心はあまりないが自分の奉ずる神だけは、人に仇なす存在ではなく愛を与える存在であってほしいと願わずにはいられなかった。そうでなければあまりに救いがないではないか。

 

「結局、最後の一柱はサトゥルヌスに似た相をもつ女神かもしれないってこと以外分からないのね」

 

 息を吐いて思考を現実に戻す。

 頬を人差し指の腹でとんとんと叩きながら、ビアンキの言葉を噛み砕いた。

 

「まぁだいたい分かったわ、神様ってのは基本的に神話とかなかった時代の自分に戻りたくて仕方なくて……それでゴルゴネイオンはその昔の自分が事細かに書いてある道具。

 つまり神様の設計図みたいなもので、だから力ずくでも奪い合ってる、ってところかしら」

「…………君の設計図という表現に物申したい気持ちはあるが、よすがだったり、標榜だったり、難解な言葉では理解ができないというなら、それでいい」

「なによ、シロウトなりに噛み砕こうとしてるのよ」

「変に例えを持ち出して、物事を矮小化すべきではないとぼくは思うがね……特にこの一件に関しては……」

 

 小さく息を吐いて、ビアンキは表情を引き締め、これまでの総括をはじめた。

 

「大地の神サトゥルヌスと、ゴルゴネイオンを追う地母神。そして神殺したる八人目のカンピオーネ。これら三柱の超越者が相食み、闘争の舞台となっているのがベルゲンの現状だ」

 

 つまりは、三つ巴。

 彼の推測は神の視点から見ても多くの正鵠を射ていた。ビアンキの術師としての腕は確かなのだろう。

 

 ふと。

 

 彼の話に聞き入っていたチェリーに思い至るものがあった。ゴルゴネイオンを拾う以前の記憶を。あれはビアンキにも祐一にも出会う以前、ブリッゲンで……──? 

 その瞬間、海馬から脳の中枢へ激烈な痛みがはしった。ふらつく頭を抑えながら横切ったのは月を溶かしこんだ銀の髪。

 チェリーは思い出せなかった。嘗ての記憶が。思い出すなと耳目が叫び、脳が悲鳴をあげ、触覚が荒野の冷たさを思い出しせた。

 瞑目と沈黙のなか己が裡を探りあげ、記憶の扉に行き着いた。記憶を遮る扉は、固く、重い。

 手をかけ、懸命に押し、隙間から覗いた月の光にも似た光明が、視界を焼いて。

 

「ゴルゴネイオンを追ってる女神って……」

 

 疑問が口からでるより早く、何者かの、針の鋭さをもった視線に気づいた。

 

 それもひとつやふたつではない。

 身体ごとかぶりをふって、視線を翻した。どうして気づかなかったのか、こちらを見やっていたのは闇にうごめく無数の──金色の眼。

 

 気づけば日はとっくに暮れ、夜を迎えていた。始まるのだ、今夜の狂宴が。

 

 おびただしいフクロウの群れが、地を這うネズミに向けるものと同質の視線で二人を見下ろしていた。

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