王書   作:につけ丸

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081:禍を転じて福と為す

 唐突に意識が覚醒した。と同時に身体の感覚が蘇ってきた。そこで初めて自分が仰向けの状態になっている事に気付いた。次いで、最初に目に入ったのは、太陽。水平線に沈んでいく、赤い夕陽だった。

 

 ここ……何処……? 記憶がひどく曖昧で、過去の記憶が思い出せない。

 確か船に乗っていて、空を眺めていた気がした。そのままボーッと記憶を辿ってたどって、やっと思い出した。

 アタシは船から海に投げだされた……んだったわね。風が吹いて、船が横転して。

 間違いなく悲劇が起きたはず。でもすべてが他人事だった。心が動かされず、なんだかDVDに収められた映像を見ている気分だった。

 もう一度夕陽を見る。

 空も海も大地も染め上げてしまうほどの力強さ、色彩の鮮烈さ。いつもそこにあったはずの景色だったというのに、間違いなく生まれて初めて見る迫力だった。

 

 しかしその鮮烈さが、彼女にひとつの確信を与えた。

 

 ──ここはきっとベルゲンじゃない。

 

 快晴。見事なまでに快晴なのだ。だからベルゲンではないのだろう。

 チェリーは知っている。ベルゲンに生を受け、まだ十年余しか経っていない身空であるが、街を取り囲む七つの山を練り歩き、特色豊かな港に足繁く通い、大地に親しみ、同じほど空を見上げた彼女にはわかるのだ。

 ベルゲンにこれほど強い太陽など存在しないと。

 

 これがベルゲンならば許容しがたい違和だった。

 赤道直下での雪。無音のニューヨーク。風のないモンゴル。まるでノルウェーに浮かぶ太陽そのものが別の国の太陽に取って代わられ見上げているような気持ち。

 でも故郷に馴染んだチェリーには分かった。先頃から快晴の続くベルゲンに浮かぶ太陽と、眼前の太陽は同質なのだと。

 すり替えられた別の国の太陽は、きっと荒涼とした乾いた国のもの。だからこそ湿潤で極北であるノルウェーとは合わない。灼熱の国は例えるなら……

 

「……ペルシア。神聖なる日輪の故地こそ……」

 

 口ずさんだ言葉は正鵠を得ていた。そうして充満していくイメージのなかで、硬質な地面の感触を覚えて身を起こした。

 そばには橙に灯る焚き火の炎が揺らめいていて、自分の向こう側には誰かがいた。視線を向けるより早く向こう側の誰かは口を開いて。

 

「おお。気付いたか、()()よ」

 

 涼やかな声が聞こえ──夢から醒めた。

 

 

 瞼をまたたいて身辺りを見回した。意識を失って目を覚ますのにもこの数日ですっかり慣れてしまっていた。焦りもせず冷静に情報収集に努めた。

 そばには祐一が座っていた。彼はブレザーを脱いでいた。

 頭に伝わる感触は、折りたたんだ上着を枕にしているようで、首を傾ければ彼の匂いが香った。鉄のにおいだった。

 身を起こそうとして、ふらついて地面に手をついた。

 

「よう」

 

 目覚めに気がついた彼が、穏やかな、それでいていたわるような声で覗き込んできた。

 紅く、赫い瞳はさきほどまで見ていたペルシアの夕陽に重なって、少しだけ見詰めて直ぐに逸らしてしまった。意志の篭った目をまともに見れなかった。

 きっと、先程の夢は夢ではなくて、誰かの記憶が紛れ込んだもの。そして誰かにとっての起源なのだ、と直感が語っていた。

 

「あなたの目は太陽なのね」

 

 恋のささやきにも似た言葉。けれど、チェリーは真実と本質を語っていた。彼の瞳は太陽そのもの。だから彼の瞳が翳ることのない限り、空には雲は現れない。ちょうど快晴の続くベルゲンのように。

 

「そうだな」

 

 目を伏せて小さく肯定した。

 寝かせられた場所は見覚えがあって校舎の裏山だった。彼女の生活圏の中心ともいえる場所……そして森はもう息をしていなかった。地面に手をつき触れている草木はすべて枯れ果てていた。水気も精気も抜け落ち、死骸を曝していた。

 大地は鼓動を止めて、空は濁っていた。陽光だけを放つ太陽だけがいつも通りで、(いびつ)そのものだった。

 ベルゲンは死んだ。おそらく都市も賑わいを失い人々も去っていくだろう。

 地脈が死ぬとはそういうことなのだ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 乾いて枯れた枝葉にすがりついて、少しでも潤そうと涙を零す。はらはらと流れた雫はすぐに降り終わって、荒い息へと変わった。

 悲しみは怒りへ。

 チェリーは糾弾せねばならなかった。騒乱と厄災の運び手を。誓約を破った戦士を。

 

「あなたの目的はなんなの……。あなたはアタシを、ベルゲンを護ってくれるって言ったわよね……だったら……だったら護りなさいよ! あなた強いんでしょ!」

 

 吐き出す言葉が止まらない。言うつもりのなかった言葉が喉奥から滑りだし舌を通って彼へ滑落していく。いつの間にか距離を詰めていて、彼の襟元を掴んで縋りついていた。

 

「アタシは知ってる……あなたがカンピオーネなんて()()()だってことを。まつろわぬ神を殺した怪物だってことを……!」

 

 超越者による三つ巴。魔術師ダヴィド・ビアンキの語ったベルゲンで暗躍する三勢力の一角は、目の前の少年であることはもうチェリーは悟っていた。

 自分よりもはるかに優れた技量と知識を誇る魔術師すら敬い、神使や神獣ですら躊躇も恐れも見せず立ち向かう胆力。それで気付くなという方が無理があった。

 

「どうして……? どうしてアンタが居ながらベルゲンが死んでいくの……誰かが傷ついていくのよ……。

 ──ちゃんと護んなさいよ! 人間の代表なんでしょ! 最強の戦士なんでしょ! なのにどうして……!」

 

 

「ああ。俺は強いよ」

 

 

 二人だけの空間は影ばかりで、尚更彼の双眸に埋まる紅玉は異様だった。一切の闇と不浄を赦さぬ炯とした瞳。

 獣は火を畏れる。

 太陽もまた火、ただ巨大すぎて捉えることができないだけなのだ。しかし人から少しずつ外れ始めたチェリーには、ほんの少しだけ全容を捉えることができた。できてしまった。

 

「でも……護りたかったものを護れたことなんて、一度もない」

 

 友達も。家族も。矜恃も。約束も。ひとつだって。

 俯いて唇だけがささやいた呟きをチェリーは聞き逃さなかった。烈火の双眸と視線が繋がる……たまらず縋りついていた手を離して少女は身をすくめた。

 

「それでも俺は戦い続ける。常勝も、守護者も、もう胸を張って名乗れないけど……救世主だって本当は心の底じゃなれるのかって疑ってるけど……諦められない。俺の目の届く場所で誰かが死んでいくのを見逃すことなんて、目をそらすことなんて出来やしない」

 

 怯えを浮かべながら身を離していく少女に、祐一は過去の自分と重ねてしまった。まだ人間だったころ、旅を始めたころの自分に。チェリーを通してバンダレ・アッバースで自分とパルヴェーズに訪れた出来事を見たのだ。

 ただ、立場は逆で今度は自分がパルヴェーズだった。

 だからチェリーの惑い、恐れる姿が、過去の秘めておきたい情けない自分のようで、それに少しだけあの時のパルヴェーズの心を理解した気になった。

 

「お前がやりたくないって言うなら、コンビは解消だ」

 

 祐一は立ち上がって、つとめて優しい声音でいった。あの時のパルヴェースを思い出しながら、そして友の思慮を追体験しながら。

 でも俺は、きっとお前にはなれないんだろうな。目を眇めて、鼻梁に皺が生まれた。

 勝つことも護ることも貫けなかった俺が、お前みたいになるなんて……きっとチェリーも俺にはなれない。

 

「お前は、家に帰れ」

 

 決定的な一言だった。

 

「あとはやっておくから……ベルゲンももう奴らの好きにはさせねぇ、今夜カタを着けるさ。地脈だって何とかする……だから帰れ、帰ってくれ。日常に。お前の帰れる場所も家族もなくなった訳じゃないんだからさ」

 

 頭を抱えてうずくまる少女を見つめる。

 

「やめて……止めてよ! ──もう、アタシにそんな言葉掛けないでっ」

 

 太陽さながらの双眸に見下され圧壊しそうだった。祐一と己に横たわる彼我の関係を言外に伝えるように重くのしかかる。太陽と同等の距離と質量を持っているかと錯覚するほどその差は大きくて。

 痛かった。千切れそうだった。踏み潰さそうだった。

 過去が呪わしい……青い衝動に身を任せて軽々に超常の争いに首を突っ込んだ己が呪わしかった。

 

「──私の友達になにしてる」

 

 不意に圧力が消え去った。

 ハッとして顔を上げると祐一はどこかあらぬ方向へ顔を向けていて、遅れて耳に残った乾いた音の残滓に気づいた。

 陽光が翳っていた。

 少年より頭ひとつ低く、でも毅然とした姿勢で立つ影が遮っていたのだ。……誰かが祐一の頬を張ったのだと遅れて気づいた。そして聞き覚えのある声は、常になく冷淡だった。

 

「リヴ……」

 

 姿はいつも通り。変わらない飛行機乗りが着るようなジャケットを着込み、でも体躯はいつもより大きく見えて。眼差しは熱く滾っていた。

 

「もう一度聞く。私の、友達に、なにしてる」

 

 罪人への弾指と等しい視線の鋭さで祐一を睨みつける。

 無言の祐一に業を煮やしたように手を振りかぶって、チェリーはその手を取った。リヴの瞳がまたたいて、強ばっていた肩から力が抜けた。

 

「いいの。もういいのよ。……ありがとう」

 

 リヴの頬にキスを落として、祐一に向き直った。

 目を合わせた祐一はどうしてだろう、ひどく羨ましそうな顔を浮かべていて……目を合わせた途端に視線を切って顔をそらした。

 

「ねぇ」

「じゃあな」

 

 止める間もなく、呟いて踵を返した。チェリーとリヴは言葉もなく見送り、彼の肩は小さく見えた。

 

 

 

 ブォン、ブォン、単気筒のエンジン音が大気を振動させる。一騎のライダーは街角で、住民が顔を顰めるのも構わず爆音を鳴らしながら街を走った。

 ひっぱたかれるのは、いつぶりだろう。張られた時の熱さはとうに過ぎ去って、今は引き攣るほどの冷たさがじんじんと伝っていた。

 ヘルメットに押し込められた祐一の表情は無を湛えていて、風の冷たさが頬から伝達されるたびに唇が震えた。

 上手くいかない。道が拓けない。

 既視感のあるどうしようもなさが、思春期真っ盛りの少年が抱く悶々としたものを腹に呼び込んで、自然とアクセルグリップをにぎる手に力が篭った。

 それから気の済むまで走って、不意にバイクを止めた。ヘルメットを叩きつけるようにシートへ置き、逃避行中の少年じみた近寄りがたさを撒き散らしながら欄干に凭れた。

 

 辺りはすっかり陽をなくして、微かな月光があるだけ。陰陽太極。弧を深くした弓張月が濃密な夜を呼び、月のアルベドだけが昼のよすがだった。欄干の真下に打ちよせる波だけが耳にとどく静かな夜で、祐一は目を瞑りながら力の充足と集中を計った。

 

『良かったのか』

「何がだよ」

 

 ただ、すぐに打ち破られた。右腕から伝わる問いかけに無視も居心地が悪くてぶっきらぼうに質問で返した。

 苛立ちは隠しきれなくて嘆息する気配を感じた。予想通りの返しだ、と言いたげな叢雲に顔を顰めた。

 

『あの娘のことよ』

「俺は悪くねぇ」

 

 言い終わって、自分が矮小になった気がした。でも理不尽さが心に巣食って、訂正することはなかった。

 だってそうじゃないか。誰しも完璧じゃない。それは人だけじゃなくてカンピオーネだってそうで、先達である護堂も、まつろわぬ神だってそうだ。自己防衛の理論武装をしていると、

 

『青いな』

 

 バッサリと斬られた。流石は鋼、痛いところを突く妙は心得ているらしい。

 うるせえ、とヤケになって怒鳴り返そうとしたが、また自分が小さくなりそうで仏頂面を深めるにとどめた。

 

『憎からず思っていたのだろう、あの娘のことを。躊躇いもなく危地へ飛び込んでくる姿を好いていたのだろう』

「なんで好いた腫れたの話になんだよ……」

 

 叢雲の口から男女の情を含む言葉が出てくるとは思ってもみなくて、大分毒気が抜かれてしまった。年の功なのか、それとも古兵ゆえなのか。戦場でなくとも冷静さを保つ秘訣を知っているらしい。

 

「俺にそういうのは分かんねぇよ。それに苛立ってたのだって……結構堪えるんだぜ? 自分じゃ手の出しようのない領域で、何も出来なくて、そんで糾弾されるの」

 

 土地神ともいうべき神獣を鎮めて地脈に戻すなんて芸当、生粋の戦士である祐一には逆立ちしてもできない。どう考えても縊り殺すか斬り殺すか殴り殺す末路を辿っていただろう。

 

「だから、あいつならもしかしてって期待して……結局、俺のポカであいつを傷付けちまった。俺はまつろわぬ神を殺すしか能がないのに、サトゥルヌスの壁にならなきゃいけなかったのに……尚更、堪えたよ」

 

 殴って倒して大円団……なんて展開は祐一の歩んで来た道にはそうそうなくて、まつろわぬ神の策に嵌められにっちもさっちもいかない状況に喘ぐのが大半を占めた。

 最後の最後で一矢報いることに成功してはいるものの……それでも鬱憤は溜まるばかりで。

 今だってそうだ。

 智慧の女神と全知といっても過言ではない時の神の術中に嵌っている気がしてならない。

 

 そんななか、明け透けで、奔放で。どんな苦境でもぶつくさ言いながら共に立ち向かうチェリー・U・ヒルトという少女は見ていて痛快だった。

 異界に巻き込まれても神殺しである彼に食らいついてくる胆力や知恵、どうしようもない状況でも活路をどこからか拾ってくる運と才能。そして家族や友達、そして帰るべき場所。

 神殺しだが神殺しでしかない祐一に、少女の持っているものは多く見えた。

 

「多分、あいつはさ……仲間でも、味方でも、なかったんだと思う」

『仲間でも味方でも、だと? 娘はあれほどおぬしに尽力し、命まで賭けたというのに?』

「ああ。パルヴェーズや、おっちゃん、エイルたち。あの人たちにみたいな温けぇもんもあったよ……でも、根っこじゃコイツは味方にも仲間にもなってくれないって思ってた」

『何故?』

「あいつの根っこは、結局、ベルゲンっていう故郷を守ることにある。最初から最後まで徹底してるよ。俺を助けるように動いているのも、俺にベルゲンを守れる武力があるからなんだ」

 

 だから、契約や協力関係を結べても総てを放り投げて助けようとはしないだろう。祐一がチェリーにそうしないように。

 

「俺、見てみたかった。エイルたちを殺した俺とは違って、まだ全部持ってるあいつが守り抜けるのか、俺と同じ末路を辿るのか……。そんで、同じだったらきっと……」

『だが離れるのか』

「まあな。守るって約束を破ったの俺だし。これ以上どんな面して会えって言うんだ」

 

 これでいいか、と叢雲に問いかけたが答えはなかった。少しはほぐれた頬に手を当てて、夜を待って──

 

 

 

 

 

「──見つけた」

 

 背に投げかけられた声に驚き、祐一は肩越しに黒髪の少女を捉えた。疑問が目をまたたかせて、隣の欄干に並ぶように凭れたチェリーに言葉を掛けられなかった。

 契約は破棄したはずで、友達と一緒に日常に返したつもりだった。祐一の顔は険しいものとなった。

 

「お願いがあるわ。もう一度契約を結んでくれないかしら」

「…………。なに?」

「だって、アタシが決めたことだもの。偉そうにベルゲンを守るんだってアタシ自身がいったのよ。それを翻すなんてできっこないわ」

 

 不用意な言葉をぶつけるのは憚られた。具体的に言うならば、一方的に否定し"帰れ"と告げる言葉を。

 

「だけどお前に何が出来る? 俺たちよりザコで知識もねぇじゃねぇか」

 

 慎重に煽るような言葉を選んで、翻意させようと試みた。彼女だって見たはずだ……サトゥルヌスの強大さを。それに伍する女神と神殺しの恐ろしさを察したはずだ。

 だというのに。

 

 トン、と。少女は軽やかなステップを踏んで祐一の目の前に立った。

 

「たしかにそうね。でも、あなただってそうじゃない」

「なんだと?」

「力はあるけど力だけしかない、って言ったのはアンタよ。昨夜だってあの蛇を斬るしか手段がないって悔しがってた」

 

 白皙の細い指で祐一の腕をとんとんと小突いた。稚気混じりに微笑を浮かべる少女は、変わりゆく友に懊悩した祐一と違って、一息にふところへ入ってきた。

 

「でもアタシは違うわ。力がない……でもだからこそあなたには出来ないことが出来る」

「あの時、やろうとしたことをまたやるってのか?」

「ええ。だから最後までカッコつけさせてよ」

 

 淡い月光の下で、微笑をつづける少女は王国で見かけたフェアリーさながらだった。

 けれど笑みのなかには紛うことなく染まることの無い決然とした色があって、翻すもりは毛頭ないのだと言外に語っていた。

 

「もう一度、契約を結びましょう。ベルゲンは守るのは変わらない……でももうアタシを守るのは止めてちょうだい。代わりにアンタはアタシの出来ないことを、アタシはアンタに出来ないことをやるの」

「……対等な契約を結ぶって言うのか、カンピオーネってやつだぞ俺は?」

「そうよ?」

 

 そうか、と彼は頷きもしなければ首を振ることもしなかった。

 夜が二人を染めて、対峙しあった。手を差し出したのは、祐一の方が先だった。挑むような笑みを浮かべて少女も手を伸ばした。

 

 手を取り合うのを合図と捉えたか──世界が変わった。

 歪みは一目で判った。白い熊だ。だが熊というには体躯は巨大にすぎ、ベルゲンを囲む山のひとつウルリーケン山が哀れにも寝所となっている。身を起こせば異界の夜空に浮かぶ月に届きそうなほどだ。

 フィルギャ。ヴァレモン……北欧において逸話もつ白熊があの神獣の正体なのだろう。

 双眸が鬼灯のごとく揺らめきはしって、二人を捉えた。すっくと身を起こした白熊は四肢で大地を蹴った。勇ましい歩武が鳴り響き、地面が小刻みに揺れている。まるで身震いするかの如く。

 

「見えるか?」

「ええ」

 

 白熊のなかにゴルゴネイオンが見える。チェリーの目には分厚い毛皮も重厚な筋肉も意味をなさず心臓の位置にあるゴルゴネイオンを見透すことが出来た。祐一は満足気にうなづいた。

 

「行くぞ」

 

 チェリーをバイクの後部に乗せ、市街地を抜け、山道を一気に走り抜ける。チェリーも口を引き絞って文句も言わず、彼の無茶な運転に付き合った。

 接敵まで1分もかからず、敵の接近に白熊は助走をつけ跳躍する要領で、逞しい前肢を大地に振り下ろした。木々の裂ける音と土砂の裏返る奇妙な音の二重奏ともに馬鹿げた質量の雪崩が壁となって迫った。

 

「すまねぇな。容赦なしだ」

 

 忽然と刀を取り出した祐一が、そのまま地面に刀身を突き立て"待"ってたぜェ!! この"瞬間(とき)"をよぉ!! の体勢になった。

 サトゥルヌスとの戦いから三日が経過していた。ならば馬鹿げた生命力を誇る神殺しがいつまでも死の呪縛に囚われている筈もなし。

 内部の死と太陽の均衡が傾き、死を押しやって権能を行使させる隙を作った。

 

「我は最強にして、すべての勝利を掴み取る者なり」

 

 チェリーは観た。大地から膨大な力の渦が祐一へ供給され、右腕へなだれ込んだのを。祐一が急ハンドルを切り、地面に突き刺した剣をごと盛大に振り上げた。

 瞬間、あらたな土砂の壁が生み出され大気のうねりと共に白熊の土石流を迎え打った。

 地面と地面による横綱相撲、という超常現象を目の当たりにしつつ、大地の壁は対消滅した。白熊は予想外のことに呆け、対する祐一はバイクから降り、前かがみになった。まるで獣が獲物に飛び掛る前準備のようで、事実それは間違いなかった。

 地面を蹴って、祐一はチェリーの視界から消えた。しかし白熊もさるもの、高速で駆け抜けてきた祐一に即応し、拳を振り上げた。だが悪手。待っていましたと叢雲も虚空に消し去り、振り下ろされた拳を取って小山ほどはありそうな白熊を投げ飛ばした。

 

「アイツでたらめね……」

 

 強い、とは思っていたがこれほどとは。縛られるもののない彼は強いのだとまざまざと見せつけられ、チェリーは呆れを覚えてしまった。祐一はそのまま一閃し、白熊は行動不能となった。

 

 白熊の輪郭が希薄になって力の塊だけが残った。

 ここからは彼女の仕事。白熊という地脈の塊はただの純粋な力と変わって彼女の眼前に。

 チェリーは最初、その力の塊を飲みもうとした。昨晩、誰かに導かれるままやったように……けれど、すぐに悟った。

 それではダメなのだ。それでは瞬く間に息切れしてしまう。それでは──

 

「──ベルゲンは本当に死んじゃう……」

 

 そうだ。ベルゲンの命脈は尽きかけている。……なら歪みという形で最後の一滴まで神獣という具象となり生まれた力を、裡に取り込めばベルゲンの滅びは早まるだけだろう。けれど力をベルゲンに戻せれば、少しだけ延命できるのではないか。

 息を整える。やってやる、胸に押し抱いた手を開いて、力へ手を伸ばした。

 力は力。ただ在るだけ。

 でも想いなら。ベルゲンを守りたいという意思を一滴でも落とせたなら。力は応えて想いへと変わるのではないか。

 さっき見た祐一の権能を反芻しながら地上にわだかまる力に触れる。

 

「ベルゲンにまします小さな神よ。どうか私の願いを聞き届けて」

 

 語りかける言霊が意思を生む。呼応するように右から左へ……ぐるりぐるりとゆっくりと回転を始め、鱗茎の薄皮が剥がれるように大地に満ちていった。

 

「──生きて」

 

 チェリーを通じて想いへと変遷した力は、循環をはじめ──。

 

 それからどれほど経っただろうか。巨大な力は姿を減じてメダルだけが残った。

 一息ついていると後ろから祐一が歩みよってきた。腕を組んで肩をすくめる彼に、ニッと歯を見せて笑った。

 二人の交わしたハイタッチの音が軽快に夜空に響いた。

 

 ○〇●

 

「あの白熊が歪みねぇ……おとぎ話に出てきそうな王冠被った白熊だったじゃない。もしかしたら白熊王ヴァレモンだったのかしら?」

「白熊王?」

「トロールの魔女の魔法で白熊に変えられちゃった王様よ。ま、呪いも解けてお姫様と三人の子供も作っちゃうんだけど」

「へぇ……そういやノルウェーはそういうの豊富だったっけ。子供のころ読み聞かせられた、がらがらどんもノルウェーの民話なんだったか」

「ふふん、うちの国ってスウェーデンと合併する前の時代の民話やおとぎ話を復活させるのに力を入れてるもの。……ユーイチはそうね、灰坊アスケラッドかしら。灰をつついてばかりの男の子が機転と運だけで王国の半分とお姫様を手にれちゃうのよ、ピッタリじゃない」

「国もお姫様はいらねぇなぁ……」

「夢のないやつ〜」

 

 さっきまでの不和はどこへやら、軽口を叩き合いながら歪みとなったメダルを見やった。

 

「よし、さっさと消して異界から出るか」

 

 

 

「──その必要は無いぞ木下祐一」

 

 光が死を迎えた。命が急速に生を吐き出し尽きた。言葉が冷気とともに耳を凍らせる。肉体が充足し、あらゆる細胞に内包する呪力が活性化する。

 声の主が誰かなんて分かりきっていた。気づけばチェリーを抱えて大きく距離を取った。

 

「ここで来るか……サトゥルヌスッ!」

 

 塞翁が馬。禍福あざなえる縄の如し。物語は障害なくして進まず、そして終わらない。

 故に──()()()()

 

 

「っ!」

 

 祐一の焦りを帯びた表情と死の気配に腕のなかのチェリーが息を呑んだ。不吉さを満腔より吐き出す白髪の老人。はじめてのまつろわぬ神との邂逅……本当にそうだったか? 

 

「フフ……今はそれでよい。チェリー・U・ヒルト」

「え?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 瞠目するチェリーとは裏腹に、祐一は焦りとは違う焦燥感に総毛立った。瞳をカッと見開きサトゥルヌスを凝視する。チェリーを下ろし、前傾姿勢のまま思考を巡らせた。

 まつろわぬ神であるサトゥルヌスが、仮にも人でしかないチェリーを見ている? 

 自然、チェリーを後ろへ押しやり庇う体勢になった。

 

「そなたらの不和も雨を以て固まった様子。その未来に到ったそなたらは多くない。まこと慶事である、時であり時を見上げ時を見下ろす余が寿ぐとしよう」

「…………」

 

 何を考えている。

 尋常ではないサトゥルヌスの様子に、吹き出す冷や汗が止まらない。白熊相手に権能を行使したのは失策だった。肉体の震えがはじまり意思では制止できない。先日受けたサトゥルヌスの死の呪詛に蝕まれたままなのだ。

 その上、背後の相棒も気にかけなければならない。圧倒的不利な状況に歯噛みする。

 それにサトゥルヌスの態度も妙だった。これまで相対してきたサトゥルヌスは時の神としての相を戦闘面でしか表さなかった……ともすれば死の相を前面に押し出していたのだ。

 

 だが今は違う。

 すべての過去現在未来を見通せる全知紛いの知識から企てた策謀をずるりと剥き出しはじめた。時の神に許された全ての時間軸への存在というアドバンテージを行使しているのだ。

 

 撤退。頭にチラついた唯一打開の策。恥も外聞もなく相棒を抱えて飛び出そうとし──

 

「これは褒美だ、受け取るといい」

 

 ──失敗に終わった。

 サトゥルヌスがしわがれた長い指を振った、ただ、それだけで。

 どさ、と後ろで誰かが倒れる音がして己の不覚を悟った……大地に身を横たえた相棒に駆け寄り、眼前の宿敵に気を取られすぎた自分を恥じた。

 

「サトゥルヌスッ、てめぇッなにを……!?」

「言ったであろう。褒美だと。娘は死んではおらぬ……ただほんの微かながら余の叡智を受け与えただけのこと。そういきり立つこともあるまい」

 

 サトゥルヌスの言葉通り、チェリーは直ぐに身を起こした。

 焦点の合わない茫洋とした目が異常を訴えかけていた。サトゥルヌスは紛い物の全知。しかしアカシックレコードを身に宿していることには変わりなく……ならばささやかとはいえ、知識を贈られて無事な人間などいるだろうか。

 自分の甘さに歯ぎしりしている所で、彼女の瞳に力強さが戻り、理性も帰ってきた。ふらつく頭を抑えて、祐一の手を振りほどいた。

 

「大丈夫。霊視で知識を渡されただけみたい……妙なものは受け取ってないわ」

「知識?」

「ええ、アンタ(カンピオーネ)のこととか、アンタが簒奪した権能とか、権能を十全に使えないこととか」

「────」

 

 祐一が息をのみ言葉を放つより早く、チェリーはブレザーのネクタイを引っ張った。

 首っ子を掴まれたように引かれて、頭一つ低い少女の目と艶やかな唇が目に入った。

 

「今からあいつ……サトゥルヌスって神様と戦うんでしょ?」

「あいつと俺は相剋だ……。そして出会っちまったなら……殺し合わないとならねぇ」

「なんの為に?」

「……あいつと俺、俺たち二人の業と訣別するために。約束と誓いのために」

「それはベルゲンも守るってことなんでしょ? だったら……」

 

 ネクタイを更に引かれ、身体を引き寄せられた。唇に柔らかな感触を覚えて、これでもかと目を見開いた。

 割られた口の隙間から吐息が送られ、舌から喉奥をすべって──これは経口摂取。

 神殺しは通常あらゆる魔術や権能を弾く特性を備えている。強大すぎる呪力に尋常の呪力や権能では太刀打ち出来ないのだ。

 だが例外がある。鎧さながらの特性も、内からならば素通りできるのだ……つまり口腔から魔術を注げばカンピオーネでも術が発動する。

 チェリーはそれをサトゥルヌスから教授された。無理な霊視によって一瞬気絶したが……知識と術を知ることができた。つまりは……サトゥルヌスの死毒を払う賦活と解呪の術を。

 

「だったら、構うな。アンタはアンタのやり方で、思う存分()んなさい」

 

 敵の策だろうが手立てがないならやるしかない。賦活の術を送り、期待と信頼を込めながら相棒の尻を蹴りあげた。

 

 

「睦言は語り終えたか?」

「趣味が悪いぜ。それにサトゥルヌス……あんた力を隠してたんだな。全知なんてとんでもないものを隠し持ってて……随分余裕じゃないか」

「余にも余の目指すべき未来がある。全知ゆえに目指すべき未来がな……だが青いな。見ていて微笑ましくなる光景だった。何度も未来を見通して垣間見てはいたが。……ほう、接吻も初であったな」

「なんでも知ってるらしいが出歯亀に使ってちゃ全知が泣くぜサトゥルヌスさんよ」

「クク、そう言うな。若人の恋路は老いさばらえ余には眩しく映るのだ。そなたなの色恋への潔癖さと殊勝さを余の愚息もひと欠片でも持ち合わせていて欲しいものだったな……そうは思わぬか? ──アテナよ」

 

 御名が零れた途端、気温が下がった。月光が勢いを強め、祐一だけではなくサトゥルヌスの口元からも漏れはじめた白い息を照らし出す。

 居る。神具の奪取を目論んだ最後の一柱が。

 彼らの傍に立っていた背の高い木の枝に、一匹の梟が止まっているのに気づいた。梟は羽を広げると瞬く間にその姿を変じて、銀の少女となった。

 

「繰り言を。……それに、いささか饒舌になったか祖父殿」

「もはや全てやり終え天命に任せた故。あとは因果の小車に身を任せるほかないのだ……舌がなめらかになる程度許して欲しいものだ」

「ふん、口は災いの元という。早晩、あなたのもとに災いが訪れよう、妾という闇と冥府を統べる災いがな」

「余そのものもまた不吉にして厄災なれば、より強い厄災が呑み込むだろう。ゆえにその心配は無用だ」

 

 アテナの手にいつの間にか漆黒の大鎌が現れ、サトゥルヌスは光を喰らうハルパーを構えた。祐一もまた叢雲を握って、呆れたように頭をかいた。

 

「約束の日は明後日。まだ新月には早いぜ……俺たち三人が雁首揃えてるあたり、どうしようもないな」

「違うな。妾らは誘引された、そこな老人によってな」

「…………」

 

 策謀巡るベルゲンに訪れた五日目の夜。

 故意か、偶然、必然か。

 今宵──三柱激突。

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