王書   作:につけ丸

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083:不和

 二柱のまつろわぬ神が退いたあと、幾分か快復した祐一は、狼を呼び出してチェリーの通う学校を訪れていた。

 よ、っと。音もなく着地したあと大きく伸びをした。さっきまで乗っていた狼が影に沈んでいく。祐一自慢の権能のひとつだ。"類稀な騎乗技術"と"軍勢の召喚"を可能にする大王チンギス・ハーンから簒奪した第二の権能『聖武帝の稜威(domination over the world)』である。

 普段なら盟友ラグナを喚ぶのだが、昨夜の戦いで消耗している。軍神ウルスラグナから簒奪した権能『勝利する者(Parviz)』は多彩で戦略の幅が大きく広げられるといえど、厳しい制約が課せられていてひどくピーキーだった。といってもミスラの松明という神具のおかげで幾分か緩いものとなっているのだが。

 

「ん、なんだ。元気そうじゃないか」

 

 目線をぐるりと回して、一人の少女を見つけた。昨夜相棒を逃してそれっきりだったが、彼女はいつものように登校していた。

 それを見下ろしながら生徒で賑やかな学校の屋上で、一安心、一安心、と心のなかで呟く。

 あぐらをかき、座禅の姿勢になった。

 

 呼吸を重ね、気を巡らせ、身体を整える。

 それと同時に階下の雑踏に耳を傾ける。会話の端々に上がる話題は普段通りで、異界の戦いの影響はないように思えた。

 ここから見えるベルゲンの様子も変わらない。だが遠くから眺めているから分からないだけで小さな綻びはそこら中にあって、聴こえる会話にも不穏な言葉が混じっているのに気づいていた。

 停電や配管の破裂、地盤の歪み、岸に打ち上げられた魚……生徒らはハッキリと認識していなくとも昨晩確かに()()()が起きたのだと薄々察しながら、しかし、それを振り払うように普段通りの日常を努めていた。

 見て見ぬふりとも違う、"何か"の存在を感じ取りながらも粛々と災いに対処する。どうにもそれがまつろわぬ神々と人の付き合い方のようだ。

 

「それが正しいのか、変わっているのか。俺にしたらちっと違和感はおぼえるけど……勉強にはなるな」

 

 異なる次元から訪れた神殺しは、力なき人々が生き残るための処世術を察しながら呟いた。空をながめて、まつろわぬ神の猛威に耐えるしかない故地の人々に思いを馳せる。

 

「せっかく異次元くんだりまで来てるんだ。俺も何かを得て、役に立ちそうなもん持って帰らなきゃな。

 そのためには──燃えさかる焔は双眸。砂を焦がし、塵に還すもの。聖なる億千万の瞳が不浄を祓い清めよう」

 

 権能を行使し、瞳を開眼する。それだけで空にまばらにあった雲は掻き消え、快晴となった。

 中欧にてとある大天使から簒奪した一切の不浄を赦さぬ瞳『輝く瞳(Mittron glaukopis)』。敵は悉くが闇と冥府を司る神であり、戦いの鍵を握るのはこの権能と言っても過言ではない。

 さらに指を尖らせて手の甲を裂く。当然、鮮血が吹き出し、赤に染まる。

 しかし飛び散った血が地面へ落ちるその寸前で、青白い火となり傷口にも血の代わりに火が駆けた。そうして火の収まった後には無傷の肌が残った。

 かつて彼がまだ人間であった頃『ミスラの松明』という神具を手に入れた。それは神殺しへと新生した時点で肉体へと同化し、ミスラと関わりの深い彼の権能へ大きな影響を与えるに到った。

 そしてヒューペルボレアで光を持ち帰り、ミスラの松明は火となり権能にさえ準ずるものとなった。ミスラの火は太陽と同義であり、持ち主に不滅を齎すものでもある。闇を持ち帰った不死なるサトゥルヌスと対を為す、宿主に不滅の與える神具であった。

 

「違和感もない……権能はもう十全だな。いつでも、やれる」

 

 決戦を。

 最後の一言を声に出さず、拳を固めるだけに留めた。手から力を抜くと、身体を床に投げ出して空を仰いだ。青い空だった。

 

「ベルゲンを訪れてもうそろそろ半月……約束の日も、もう明日か」

『気負うておるのか?』

 

 独り言ちた言葉を叢雲が拾って、問いかけてきた。苦笑しながら首を振る。

 

「なわけないさ。俺は勝つだけだよ……でもベルゲンにはなんだかんだ居着いちまったからな、ちょっと寂しいなって」

『ならばこの一件が終わったあと、休めば好い。おぬしは此処に至るまで艱難辛苦を耐え抜いて来たのだから』

 

 叢雲の言葉にさらに苦笑を深めた。

 第三の権能といっていい叢雲。主となる権能は偸盗を軸にしたコピーや合成能力で、武の才すら齎すカタログスペック上では戦闘方面に大きく偏った権能だ。だが、祐一というまだまだ青い神殺しにとって一番の真価は、鉄火場はもとより、こういった日常のフォローや助言にあった。

 過去、どういう経緯があったかは詳しくは知らない。だがヤマトタケルとの対話不足による失敗もあって祐一に甲斐甲斐しく世話を焼いた。最源流たる叢雲が、争い以外でも口を挟む異常事態はそれの表れに他ならない。

 神々との殺し合いが宿命づけられた彼に好き好んで手助けようとするお人好しは少ないし、命を狙ってくるものの方が圧倒的に多い。そんな、右も左も分からない状態で正しい知識や真っ当な指南を授けてくれる存在など皆無で。ましてや慮ってくれる存在など。

 だから叢雲という相棒のありがたさは権能という目に見える力以上のものがあった。

 ありがとう、と笑って首を横にふった。

 

「でも布袋……いや、因果律の道化といったほうがいいのか? ……にヒューペルボレアへ飛ばされて放浪してもう二ヶ月近いからな……」

『しかし、帰り方のあてはあるのか?』

「それなんだよ……。ヒューペルボレアからはサトゥルヌスの権能を叢雲が間借りしたから来れたようなもんだし、帰り方どころか次元の超え方なんてそうそうある訳ねぇよな……でもま、どうにかなるだろ」

『ほう、その心は?』

「トルコの天使、覚えてるか? 次元の果てにまで飛ばしたっていうのに、あいつは帰ってきた……それも5分も掛からない時間で。あいつの中でどんなに永い時が流れていたとしても、な」

『可能ではある……が、それは彼奴の狂的な執念があったゆえに。おぬしが為すことが出来るかどうか。分の悪い話であろう』

「それでもやるのさ。俺は帰る、絶対に、死んででも。そして強くなってな……因果律の道化は俺に比類なき困難が訪れるといった。でも俺はその苦難を撥ね退けて、呑み込んで、さらに大きくなってやる……」

 

 異なった次元に行くなんて機会は今だけだろう。

 天使の前例を鑑みれば時間を気にせず遊興に耽れるのも今だけだろう。

 記憶を取り戻し、ヒューペルボレアを駆け抜けてきてからずっと思っていた。

 俺は弱い。ヤマトタケルに因果律の道化をはじめとする一癖も二癖もあるまつろわぬ神々……奴らに対抗するには足りないものが多すぎると。

 ならば力を付けねば、武器を研がねば。

 因果律の道化は自分を地獄へと落としたつもりだったらしいが、己にとって現状はボーナスタイムに等しい。

 草薙護堂との出会いを皮切りに、カンピオーネの流儀や世界の裏側の知識、これだけでも元の場所では得られない凄まじいアドバンテージだ。

 あいつは時間無制限の修練場に送り出してくれたんだ……だったら俺は有難く強くなることに励むだけさ。目を眇めて、犬歯を剥いた。

 

「それに、一期一会。帰っちまったら多分二度とこっちの世界に来る事もなさそうだからな……此処で見たものは心に焼き付いえておきたいんだ。魔術師、なんて輩が町中を闊歩してんだぜ? 考えられねぇよ、何人か攫いたいくらいだぜ」

『クク、我らの世には呪い師は幽世にでも行かねばおらぬからな。しかし攫うならば……おぬしには奇縁あるではないか』

「あん?」

『娘のことよ。(オレ)はあれに類稀な素養はあるとは思えど、我らの戦いに足を踏み入れてくるなどと思ってはいなかった。あれほど胆の据わった女子なんぞ(オレ)は知らぬ。攫うならば(オレ)はあれを推挙しよう』

 

 叢雲の言葉は全くその通りだった。

 巫覡としての才が彼女は抜き出ている。人間には過ぎた力で……それもまつろわぬ神や神殺しにさえ通用するほど。欲しがる者は後を絶たないだろう。彼女が自分の故郷である世界に来てくれればどれほどの益になるか……それは今現在の戦いでも十分に証明されていて。

 ふと、祐一ははじめてチェリーに対して欲が湧いた。まつろわぬ神々や魔術師たちが彼女に向けるものと同種の欲が。

 首を振って、邪まな考えを霧散させる。

 彼女の目的は故郷ベルゲンを護ることだ。だからきっと彼女は自分の誘いには乗らないだろう。祐一に手を貸すことはあっても、次元の壁を越えてまでは……。

 件の人物を見つけようとして首を巡らせ……

 

「…………あれ、アイツどこに行った?」

 

 ○〇●

 

 

「もう準備は万端ね」

 

 腰に手を当てながら満足気にうなづいた。

 チェリーは授業が終わると、校舎のなかにある広場に顔を出していた。お祭りの準備だ。例年行われるイースター休日のあとのささやかなお祭りだが、どこかの人外健康優良男児によって想定以上の規模になってしまった。開催は明後日だというのに気の早い者たちが露店でホットドッグを売っていて、焚火を熾して騒いでいた。

 苦笑いを隠せず、ここにあいつがいればもっと騒がしくなったのだろう、と思考がよぎった。期せずして脳裏に現れた相棒に、少しだけ驚く。

 

「もう、ユーイチの奴、午後になっても会わなかったけど死んでないでしょうね?」

 

 どこか拗ねたように道端の石ころを蹴った。戦いが本格化する前に狼に連れられ戦域を離れて息をひそめていたのだ。それから朝日とともに異界が解かれると件の相棒を探してはみたのだが、結局見つからず寝不足のまま日常へ戻っていた。

 不思議なことに両親はなにも言って来ず、チェリーもやぶ蛇は突つきたくなかったので触れなかった。

 ベットで白い天井を見上げ、悶々としながら睡魔に身を委ねた。疲労もあってか寝付きは嫌に良くて、でも頭の片隅にはを見ることも許されなかった事実が少しだけ引っかかって心に痼を残していた。

 戦場に居て何も出来やしなかったどころか、足手まといだっただろう。けれど理屈ではないのだ。誰かがベルゲンの為に戦っている、それが相棒と認めた人物なら尚更で、自分の力不足にため息が出た。

 それに契約の期日も、今日を含めてあと二日しかない。神々と神殺しの三つ巴が約束され、ベルゲンの去就が問われる時刻は二十四時間と少し。こんな調子でいいのだろうか、という想いは全知ならぬとも日常の裏を知る少女には当然の疑問だった。

 

「とにかく。サッサとあいつを見つけ出して昨日の顛末を聞き出さなきゃ──」

「チェリー」

 

 呼び止められた。淡い金髪にパイロットジャケットを着込んだ気だるい印象をもつ少女リヴだった。

 

「あらリヴ、どうしたの?」

「……」

「え、っと……具合悪い? この頃、地脈のせいで……じゃなくて季節の変わり目で体調崩す人が多くなってるっていうし気をつけてよ。

 アタシはお祭りの準備も担当のところはだいたい終わったから申し訳けど今日はここで帰るわね。……あ、あと明日なんだけどもしかしたら手伝いに来れないかも知れないから…………」

「"あいつ"の所に行くの?」

「───」

 

 友人の言葉に絶句して、視線を巡らせる。いつも気怠気な目は少しだけ剣呑さを宿していて、有無を言わせない気迫に呑まれそうになってしまう。Barneskole……小学校のころから仲の良いリヴ、でもこんな表情は見たことがなかった。

 

「あいつに会っちゃ、ダメ」

「会ったらダメって……もしかして前の事を気にしてるの? 大丈夫よ、あの時はアタシが動転しててリヴを誤解させちゃっただけなんだから」

「そうじゃない」

「どうしたのよ……あ、でも、それにね。アタシはあいつに会いに行くわけじゃなくて息抜きにいくのよ? 最近いろいろあって気が張ってたからブリッゲンで潮風でも浴びてこようかなって」

 

 あなたも来る? と問いかけたけれどリヴは剣呑な目をいつの間にか止めていて、表情を見通せないほど深く俯いていた。唇が動いたのはどれくらいの時間が流れてからだろう。

 

「だって」

 

 それ以上の言葉は出てきそうになくて、どうしようもなくて、ごめんなさい、と一言添え逃げるように彼女のもとを離れた。

 ただ。肩越しにちいさな声が聴こえた気がした。

 

 ──あいつからは死臭がする。

 

 

 

 ブリッゲンを訪れていた。頭が煮詰まったり、嫌なことがあればベルゲンでも賑やかなこの場所へ足を運ぶのは彼女の常だった。

 それにゴルゴネイオンを取り巻く契約も終わりが近い。契約の終わりは、三つ巴の終焉を意味するに違いない。事件の全貌を知らない彼女だったがそれだけは理解していて、同時に、今日登校して日常を送れたのは嵐のあとの凪で、凪は嵐の前の静けさでもあるとも理解していた。

 だったら普段通りをするだけよ、チェリーはブリッゲンを思うまま散策することにした。常在戦場などという言葉はあるが、常に気を張っていられる人間などいないのだ。

 要は切り替え。スイッチをON/OFFするように心を入れ替えることが肝要なのだとチェリーは思う。

 最近はゴタゴタしていて来れなかったブリッゲン、雑貨屋に顔を出し、露店を冷やかし、いつものベンチに腰掛けて雑踏を眺めた。

 

 普段通りに身を置いてなお、やはり、非日常の光景が思考の隅にこびりついて。戦場に立てない弱い自分というしこりと、リヴの顔が常に這いまわっていて。ちっとも気が紛れなかった。

 ふと、道行く人の中に銀を垣間見た。よく見ればそれは銀光を編んだような髪で、小柄な少女だった。

 銀髪の下には黒瞳があって、セーターと青いニット帽という出で立ちの少女。

 なぜだろう、見過ごせない。それに既視感があった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 それもこのブリッゲンで、それもこのベンチで。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 慌てて立ち上がり、少女の傍に駆け寄った。眼前に立って……間違いない。自分はこの少女を知っている。確信だった。

 

「あなた。何処かで会わなかったかしら?」

 

 二言の言葉を捻り出すのに大きな労力と強い決意が必要だった。なぜなら銀の少女は、ひどく圧倒的で、相対するだけで切り裂かれる感触をおぼえる美しさがあったから。

 目線が自分を捉えるために動く。ただそれだけで月が落下してきたのだと錯覚した。押し潰されそうな圧迫感は質量を伴っていて、肺から空気を追い出して、骨を軋ませた。

 

「ほう。多少は目付きが変わったか」

 

 返された言葉がチェリーの思考を硬直させた。なにせ全くの初対面であると言うのに、少女はまるで以前出会ったことがあると言うように小さな笑みさえ添えて言葉を返したのだから。こんな少女と出会っていない、出会っているはずがない。出会っていたら存在感の暴力さながらの少女を忘れるはずがない……本当に? 

 自分に疑問が浮かんだ。忘れるはずがない。遭っているという確信もある。でも忘れている。

 

 ならば答えは一つ。おかしいのは──自分なのだ。

 

 そうだ、銀の少女と相対している"この"感覚は初めてではない……。さらに言えば喉にまで何かが出かかった感覚も初めてではない。

 ゴルゴネイオンの事件に巻き込まれて以来、幾度となく呼び起こそうとされ、しかし、全て阻まれふたたび忘却の霧へ包まれえいった過去。だが今なら見える。夜霧が阻んでいたものは──銀の少女なのだから。

 

「あなた、五日前にブリッゲンであった子よね? …………いいえ待って。もっと大切な何かを忘れてる……?」

 

 記憶。記録。過去。地上と冥府を統べた女神の歴史が、()()()

 以前は未熟だった。阻まれてもいた。盗み見ることを赦されなかった。……でも今は違う。女神に纏わるあらゆる歴史に一切の壁も扉も錠もなく開かれていている。かつて北アフリカのリビアで信仰を得た古き太母女神。やがて女神は民族の移動とともにエジプト、カナン、地中海にまで信仰を広げ、ギリシャにまで招聘され崇拝を受けるまでになる。

 信仰の薄まった世でも今だ世界に名を轟かすオリンポスの十二神が一柱。その神の名を──

 

「まつろわぬ、アテナ……」

「然り。そなたの言葉通り妾はアテナ。そしてこの北欧の地でゴルゴネイオンを求める三柱のひとつでもある」

 

 霊視による体力の消耗か、息が切れる。みっともなく喘いで一目散に逃げ出したい衝動を殺して、気丈に胸を張った。言葉は一度目では出てこなくて、二度目でやっと喉が鳴った。

 

「……ここで、事を、起こすつもり?」

「否と答えよう」

「信じられないわ」

 

 鉄塊じみた重圧がさらに増す。

 蟻だった。かの女神の前ではあらゆる人間が蟻に身を窶す、そこに例外はなくオリンピック選手も、軍人も、魔術師も総じてちんけな蟻になる。まともに対峙できる者など人間ではない、それができる者はどこか壊れているのだろう。だから神を殺す機会をつかみ取れるのだ。

 

「異なことを言う。そなたが信じようが信じまいが妾は止まらぬし、指先を振るうだけでそなたの愛する土地は灰燼に帰すだけ」

 

 酷薄な御言葉にチェリーは悲壮な覚悟を固めた。自分の抵抗など壁に投げたヨーグルトのようなものだろう。しかし黙って見過ごす、などという選択肢は取れなかった。

 

「そう気色ばむな。常ならば女神たる妾を不遜にも咎めた罰として、前言の通りに文明をいにしえの時代に回帰させても良い。が、しかし。そなたには妾らの聖戦を恙無く執り行う戦場をしつらえた功がある。ならば妾はその功に免じ見逃すとしよう」

「戦場、しつらえた……?」

「フ……そなたは知らずとも良い。それとあなたの問いだが……そなたも知っていよう? 妾は昨晩、三つ巴の大戦を為した。二柱の強敵を相手取り、戦塵に塗れ、しかし戦神たる妾はそれなりに満足しておる」

「……」

「妾はアテナ。闇と大地を総べる女王。故に大戦を終え、それから日も沈まぬうちに我が神威をひけらかそうとは思わぬ。

 我求めるはゴルゴネイオン。妾は古の《蛇》を希求する。しかし、いかに使命に燃えていようと闇と大地をしろしめす女神としての振る舞いも忘れてはならぬのだ」

 

 アテナの言ってることは正直半分も理解できなかった。

 

「いいわ、あなたの言葉を信じる」

 

 だが、彼女が今暴れる意思はないということは理解できた。それだけ確認できれば肩からドッと気が抜けて、深い息が出た。

 今日はOFFのつもりだったのに何故タイトロープを全力疾走する羽目になっているのか、運命とやらを操っている者がいるなら文句を付けたい気分だった。

 

 こうなったら何が何でもOFFを味わってやる……! でもこの女神さまも無視できないし……。

 そんな二つの思考が悪魔合体し、チェリーは唐突にあたりをキョロキョロと見渡して……

 

「ね、あなた暇だったらクレープ食べてみない? ちょっとお腹空いちゃって……あ、でも神様ってクレープなんて食べれるのかしら……?」

 

 この申し出にはさしもの智慧の戦女神さまも虚を突かれたように目を瞬かせた。

 

 

 露店で二人分のクレープを買ってベンチに腰かけた。出来立ての生地と生クリームの芳香がたまらない。早速口に運び……となりをふと見てみると、女神さまも口に運んでいて、もっきゅもっきゅと食べる姿はなかなか愛らしい。

 そこで思考を読まれたように……実際読まれたのだろうが……アテナが鋭い視線を向けてきた。

 

「なにやら不快な思念を感じたぞ」

「あはは……。ね、それよりどうかしら? アタシのおすすめなんだけど」

「悪くはない。しかし甘味も天然由来ではなく、賢しらにも鉄を組み、結晶とした人の生み出したもの……地母の女神たる妾の口には合わぬな」

「ふぅん」

 

 はじめ大地に属するから彼女だから鉄で拵えた科学調味料が嫌だと言っているのだと思った。けれど違うんだろう。彼女は嫌いなのもっと別、それは……

 

「あなたって……人があんまり好きじゃないのね」

「左様、だが当然であろう。人は妾をはじめとする母たる地母神からの恩を忘れ、忌々しい天空神へ容易に鞍替えした。

 人は己にとって有益であるならばそれまでの縁など総て忘れ去れて飛びつく恥知らず。その上で厚顔無恥にもアテナイの守護女神に据えたのだ、好きになる道理がない」

「そう……。でもアタシは守りたいわ……人をね。いいえ、こう言うべきかしら? ベルゲンに住んでいる人達を」

 

 女神に面と向かって否定されようとチェリーは毅然と応対した。確固たる意志とともに。

 

「……都市の守り神に据えられた身とはいえ、守護女神たる妾にはそなたの心意気は好ましく思える。妾に使命がなければ、そなたともっと深く語らい、あるいは愛し子として加護を与えていたかもしれぬな」

「最初にあった時もそう言ってたわよね。加護なんてちょっとよく分からないものいらないけれど……」

「妾は崇高にして何者にも阻むこと赦されるぬ使命の只中におるゆえな。しかし妾の加護は不要と申すか、数多の戦士英雄らが欲した戦女神の加護を。ふふ、しかしそう断られればいっそ小気味よい……その不遜、今ばかりは許そう」

「ふふ、なにそれ。でも……ずっと思ってたけど、そんなにゴルゴネイオンが大事なの? 街を壊してでも、人を足蹴にしてでも?」

 

 アテナは目して語らず。視線のみが胸元に向かった。

 おそらく首から下がるペンダントに目線が落ちたのだろうか、とペンデュラムの形をしたペンダントを握った。

 幼少のころから肌身離さず付けているもので、人に過ぎたる才を持つ彼女には文字通りこれが無くしては生きていけない半身と言ってもいい宝物だった。

 だから、アテナの言わんとするところを、チェリーは察した。目の前の女神もそうなのだ……生誕してから常に共にあった半身こそがゴルゴネイオンなのだ。

 

「そうね……アタシもこれがなくなったら、きっと……」

「──何してる」

 

 割り込んで来たのは祐一だった。音も、気配も、気取らせず次の瞬間にはもう剣を構えた姿で立っていた。

 漆黒の刃はアテナの首筋に向けられて、眼光は剣呑そのもの。彼のときおり見せる戦士の、それも全開の姿がそこにはあった。

 

「どうやら潮時のようだ」

「あ、待って……」

 

 言葉を待たずにアテナは闇に溶けた。後に残ったものなど何も無く、鳥が羽ばたいたのだと悟った。

 それでも祐一は警戒を解かず、辺りを見渡したあと、チェリーの肩を掴んだ。

 

「お前! アイツに何もされなかったのか?!」

「なによ。アタシたちはただクレープ食べてただけよ……」

「──ンなわけねぇだろうが!」

 

 祐一の怒声がブリッゲンに轟く。道行く人が一斉に振り向いたが一顧だにせず肩を握る力を強くした。

 

「相手は"あの"アテナだぞ! まつろわぬ神は人間なんて糞にも思っちゃいねぇ!才能のある人間なんて使い勝手の良い道具なんだよッなにもされてない訳がない!」

 

 ここまで怒りを露わにする彼は初めてで、少しだけ気圧されそうになった。肩に食い込む指が痛い。馬鹿力、と小さく罵る。

 

「お前、今なんに巻き込まれてて、誰に狙われてるのか分かってんのか!? 自分の立場ってモンをいい加減分かれよ!」

「ちょっと、痛いってば……」

「あいつらはお前が護りたいっていってるベルゲンをぶっ壊そうとしてるんだ……! 昨日の戦いだって異界だったからいいものを、現実だったらベルゲンは終わって」

「──痛いっつってんのよッ」

 

 肩を握った手を強引に振り払った。そのまま彼から距離を置いて、指差した。

 

「アタシは、アンタと対等の契約を結んだわ。でも、仲間でも、味方でも、ましてや小間使いになったつもりはないわ!」

「お前ッ!」

「アンタの言い分に全部"はいそーですか"って頷づいたりしないわ! アタシが嫌だったら突っぱねる、それが対等ってもんでしょう!」

「こ、こんのッバカ女ッ!」

「バカとは何よ! アホユーイチ!」

 

 中指突き立てて走り去った。

 去っていく背を見つめながら自分の短慮を恥じてため息をついた。

 何時からだろう、まつろわぬ神となるとカッなってしまう自分が出来上がっていて、戦いの時にもそこに付け入られたのは一度や二度ではないのに。

 

「だけどチェリーもチェリーだ、目的も分からねぇ敵と仲良くしようだなんて。アテナがヤマトタケルみたいな奴だったらどうするんだ……」

 

 歪みもどんどん強力なものになってるのに……こんなんで乗り切れるのか? 一抹の不安が胸に巣食った。

 

 

 ──その日、いくら待っても異界が現れることは無かった。

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