王書   作:につけ丸

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084:謀略

 夜を回っても、朝を迎えても、日が昇り切ろうとも……異界が現れることはなかった。

 

 ブリッゲンを離れ、チェリーの家に行きもせず夜を明かした。

 

 宣誓を為した人気のない広場のベンチにひとり、祐一は俯いていた。

 

時刻は午後三時ごろか。そんな普段ならティータイムに洒落こんでもおかしくない時間帯に彼はいた。苦渋を孕んだ表情を湛えて。

 ドクン、ドクン。

 口元をおおって、異常なまでに目を見開く。時間を刻むほど心の臓の脈動は強さを増し、激しい焦燥感が臓腑を焼いた。

 

『異界が現れぬ、とはな……つまり』

 

「──神に、嵌められたッ!」

 

 胸中に吹き荒れるのは屈辱と悔恨だった。

 なぜ安穏と神の策謀を受け身に構えてしまっていたのか。

 

『"異界は毎夜必ず起こる"ものだと勘違いしていたようだな……。"因果逆転の宣誓"によって結果が固定された歪みで生まれる。そう()()させられていた』

 

「じゃあ、一体なんなんだって言うんだッ!? 異界の生まれる理由ってのは……!」

 

 三つ巴による霊的な影響? 

 馬鹿な。三つ巴の舞台となってさえ崩れなかった異界が、その程度で揺らぐはずがない。

 

 異界の発生を感知できなかった? 

 あり得ない。魔術師でも勘付く大規模な異常を見逃すとは考え難い。

 

 三つ巴以外の第四の介入者が現れた? 

 それもない。現状介入できる超越者などまつろわぬ神か同族しかおらず、その上彼らは台風だ。それほどの力の動きに気付かないわけがなく、況してや決戦の近いこの火薬庫(ベルゲン)で潜伏など不可能だ。

 

「何故もっと思慮深く、何故もっと疑い深くなれないんだッ」

 

『もとよりおぬしや(オレ)は猪突に突き進み、刃を冴え渡られるのが本分』

 

「くそっ」

 

 所詮猪武者の祐一は血を流さんばかりに拳を固め、まつろわぬ神々の策謀に気づけなかった己に忿怒を向けた。

 暗幕に覆われた真実は知的とは程遠い彼には見通せず、しかしながら対する智慧の女神も、全知の老神も、嘲笑うかのように総て見通している。

 

 だからこそこの現状。

 もどかしい気持ちを抑えるように深く息を吸う。呼吸は生命活動のために必須の動作で、容易に安心を得られる動作だ。意識しながらただ呼吸を繰り返すだけで心は鎮静に向かった。

 

「違いはなんだ? 昨日とそれ以前の違いだ。そこを探れば何かわかるかも」

 

 祐一は落ち着いて、昨夜と昨夜以前との違いを比べることにした。

 

「やっぱり三つ巴か?でも……」

 

異界の中で、とはいえ神々と神殺しが全力でぶつかり合ったのだ……それがベルゲンに影響を与えてしまった可能性も十分に考えられる。

 だがそれは違う、とささやく直感がその結論へ安直に飛びつくのを躊躇わせた。

 

『もっと遡ってみるか。異界が生まれたのは……異界化が初めて起きたのは?』

 

「校舎で人狼が歪みとなった夜、じゃないか?……あれが最初だったはず……?」

 

 たしかに異界という蛇と夜の気配が満ちる空間に誘われたのはあの日が最初だった。自分の眷属が手から離れ、宣誓という歪みを一身に受けて"偽物のゴルゴネイオン"になってしまった……。

 だから歪みという核が生まれ、異界が生まれたのだ。トロルの夜も、リンノルムの夜も、ヴァレモンの夜もそうだった。

 異界化の起きなかったのは宣誓の夜と昨夜。それ以外は必ず異界化が起きている。

 

『異界は、"夜と蛇"の二つの気配が満ち満ちた空間。我らとは真逆ゆえに、我らが引き起こたものではない』

 

"太陽と鋼"

それこそ祐一と叢雲の気配だ。

 

「異界ってのは"夜"と"ゴルゴネイオン"の交錯によって引き起こされる現象だっていうのか?」

 

『確かに夜は間違いない。しかしゴルゴネイオンでは筋が通らぬ』

 

 そこへ叢雲が割って入ってきた。否定の言葉とともに。

 

「筋って?」

 

『これまで偽のゴルゴネイオンしか現れず、偽のゴルゴネイオンが異界の核だったならば、昨晩の三つ巴で異界が崩壊してしかるべきだ」

 

たしかに。あの戦いは偽物なんかで対応できるほど生易しいものではなかった。

 

「神々とおぬしの全力ですら崩壊しなかった、あの異界を造り出すには"偽物のゴルゴネイオンでは役者不足だ"と』

「役者不足、そうだな」

『うむ。考えてもみよ。神々の大戦すら許容する異界が、矛盾にて生じた歪みたる"偽わりの古の《蛇》"で生み出される道理なし』

「それじゃあ、もっとおかしいじゃないか。異界化には本物のゴルゴネイオンがなければいけなくなる……あの異界にはゴルゴネイオンはあっても偽物しかなかったんだぞ?」

 

 "歪み"は"偽物のゴルゴネイオン"で、人狼の時も、トロルの時も、リンノルムの時も、白熊の時も現れて……

 

「──ん? "()()"の、ゴルゴネイオン?」

 

 ちょっと待て……()()って一体なんなんだ? ふとした疑問だった。

 偽物のゴルゴネイオンはいつからあった? 異界化とともに出てくるものだったか? 異界と偽物のゴルゴネイオンはセットだと思っていた。

 

でも異界の核が"本物のゴルゴネイオン"だったら。

 

「宣誓の夜、俺はサトゥルヌスと戦ったんだ。そしてその発端は"偽物のゴルゴネイオン"だった……」

 

 ダヴィド・ビアンキが所持していたチェリーのペンダントを、祐一も、ダヴィド・ビアンキも、そしてサトゥルヌスさえも、本物のゴルゴネイオンだと()()した。彼らには間違いなくゴルゴネイオンに見えていたのだ。

 

「だったら俺はあの宣誓の夜、異界化していたってことに気づいてなくて……いや、俺とサトゥルヌスが戦った舞台は間違いなく現実だった。

 戦えば分かる。異界に入り込んだときのあんな()()()()()()()()()()()()()()()()()()早々間違わない。だったら異界化はまず起きていない。……でも偽物のゴルゴネイオンは現れた」

 

『なんということだ。(オレ)たちはとんもない勘違いしていたようだな……』

 

「まさか異界化と偽物のゴルゴネイオンの発生の条件は"別"にあるのか……?」

 

 異界化は、"夜"と"古の()"の交錯によって。

 歪みは、叢雲の言葉を借りるならば矛盾によって。

 

『先刻も申したように偽物は偽物だ。偽物のゴルゴネイオンではあれほどの異界を生み出すには格が足らぬのだ』

「だったら……」

 

 だったら、簡単なことだ。

 

 異界の中には──本物のゴルゴネイオンが存在したのだ。祐一が気づかなかっただけで異界のなかに在ったに違いない。

 

 その動かぬ証拠こそ、三つ巴すら耐えうる異界の顕現なのだから。

 

『しかしそれでは異界のなかに二つのゴルゴネイオンが……真作も贋作も在った、ということになるぞ』

 

 そこで、はた、と思い出した。俺はいつから異界のなかにゴルゴネイオンは偽物しかないなどと思っていた? ゴルゴネイオンの所在が思いつかないなどと思い込んでいた? 

 

 

「──いつからだッ!」

 

 

 祐一は誰に向けるでもなく叫んだ。

 

「俺はいつからッ! 本物のゴルゴネイオンは異界になくて、偽物のゴルゴネイオンしかないなんて認識になったッ!?」

 

 そして連鎖するように記憶が励起した。以前、サトゥルヌスが語ったモイライとテュポーンの神話を。

 テュポーンの逸話は勝利の果実が無常の果実だと誤認していたから敗北した。それを今の現状に当て嵌めるなら偽物が本物に入れ替わっていたから、祐一は勝利から遠ざかった。

 因果を覆したのならば、大元である運命からカウンターのごとく運命をねじ曲げられるのは道理だとサトゥルヌスは語り、そしてそのねじ曲げられた運命とは、別の物体をゴルゴネイオンだと誤認させるものだとサトゥルヌスは偽物のゴルゴネイオンという確固たる証拠とともに提示した。

 それは祐一がベルゲンを駆け回るなかで根幹となる考えになっていた。

 

「サトゥルヌスッ! あいつ……ッ!」

 

 落ち着け、落ち着け、と心に念じる。雑念や激情は思考を鈍らせる。だから必死に走り出したい衝動を堪えた。

 

 異界の時と同じように整理しよう。

 偽物のゴルゴネイオンがあったのは宣誓の夜と、次の人狼の夜──? 

 

「──初めて異界に迷い込んで人狼が歪みだった夜に……偽りのゴルゴネイオンなんてあったか……?」

 

 座っていたベンチを転がすほど勢いよく立ち上がった。

 

「俺は、いつから"歪み"が"偽物のゴルゴネイオン"とイコールなんだと認識するようになった?」

 

 トロルの夜だ。ゴルゴネイオンが異界のなかにあると睨んでいた自分は探すまでもなく、トロルの目がゴルゴネイオンになっているのを見つけて……。

 

「それも異界で──幽世に限りなく近い世界で?」

 

 叢雲は異界は"幽世に似た世界"なのだと。祐一もはじめ幽世だと勘違うほど似通っていたのだ。

 幽世は肉体よりも精神が上位にくる世界で──それは異界にも適用される、としたら? 

 つまり()()が大きな役割を果たす世界だとしたら。

 

 歪みとは結局のところ矛盾だ。

 

 例えば、"存在しない"ものを"存在する"と()()した末に生み出されたものなのでは? 

 

 暗幕が揺れている。

 真実を覆い隠していた分厚い布が、取り払われようとしている。

 

 そうだ。こんな誤認による矛盾だったら偽物のゴルゴネイオンという歪みは生まれるんじゃないか。

 ──"本物のゴルゴネイオンが自分以外にゴルゴネイオンがある"と思い込んでしまったら。

 

「誤認していた……異界の核であり主であるゴルゴネイオンが……。それも幽世に近い……認識が大きな力を発揮する世界で……」

 

 そして異界を生み出し統べる主が、創造した空間に法則をもたらすのは道理。

 

 異界の主は祐一では無い。

 

 だって祐一という神殺しはいつも異界に現れてはいた……いたが来訪者でしかなかった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人狼のときは目が覚めたら異界だった。

 トロルやリンノルムの時も発生しを察知し、飛び込んでいった。白熊王の時なんて気づけば異界となっていた。

 そして。

 

「誤認していなければ歪みは生まれない……なら真相を知っているはずのアテナやサトゥルヌスは外れる?」

 

 全知の神と知恵の女神が、己の使命の真っ只中に起きている現象を誤って認識などするだろうか。

 それどころか詳らかに理解し、己が目的のため利用するに決まっている。

 

「いや待てよ……。そもそも異界の主が()()していたってことは、そこには意思がある。思考がある……?」

 

 誤認が()()()には現状をある程度認識していなければならず、そして()()ができなければならない。

 

「だったら……あくまで道具でしかない意思のない神具も主じゃ……ない?」

 

 ゾワ、と髪が逆立つほど総毛立ち、汗腺からしとどに粘性を帯びた汗が噴き出した。

 真相に気づきたくない想いと、辿り着かなければならない使命感、という相反する想いが肉体に震えを呼んだ。

 

「歪みが生まれるには異界の主が誤解"しなければ"ならず……誤解しなくちゃならないなら、思考が"できなくちゃならない"」

 

 総てが繋がった気がした。思わず天を仰いで叫んだ。

 

「……だったら異界の主は、まさか主ってのは──()()、なのか……!?」

 

 自分じゃない。さっきも言った通り異界へは訪れただけだけの来訪者でしかないし、自分はカンピオーネで太陽の相をもっていて、夜から生まれる異界に真っ向から相克する存在だから。

 

 思い浮かんだのは少女の貌だった。

 

 人にあり余る巫女としての才をもった、巻き込まれただけのただの()()。そう、思っていた。

 

 なんという迂闊。いっそ自害したくなる程の恥辱を覚えた。サトゥルヌスの遅効性の毒は、臍下丹田だけでなく脳まで犯し、少女をも飲み込んでいた。

 全て神の手のひらで踊らされ、いいように道化を演じていたのは自分だった。

 

 そうだ、異界の主はいつだって──

 

「居るじゃないか……いつも、総ての夜に異界に現れて、無いはずのゴルゴネイオンを"在る"と誤認していた()()が!」

 

 ──隣にいた。

 

 

「畜生ッ!!! じゃあゴルゴネイオン持っているのは──」

 

 ッ!? 背後から急襲してきた一矢を直感で避けた。こんなタイミングで、攻撃を仕掛けてくる者など二人しかいない。

 そして矢の一矢、それだけで祐一は悟った。おそらくこの絵図を描いたであろう蛇の知恵を宿した食わせ者。

 

「──まつろわぬ……アテナッ!」

 

 街灯の上に、その少女はいた。その立ち姿は壮絶な美しさを孕んでいて、獰猛さと蛇じみた狡猾さを混在させた笑みを湛えていた。

 

「テメェ! あいつに何しやがった! 昨夜やっぱりテメェはあいつになにか碌でもない事をやりやがったんだなッ」

「フフ、妾は虚言は弄さぬ。昨晩、妾は間違いなくあの娘になにもしてはおらぬよ」

 

 アテナは飄々と嘯いた。そしてすぐさま酷薄な笑みで面貌を彩った。

 

「だが神殺しよ。──あの娘と出逢ったのが己が先などと、何時から思い込んでいた?」

「なん……、だと!?」

 

 可憐な容貌からは想像できないほど凄惨な笑みを浮かべ、アテナはネタばらしを朗々と語った。

 

「あなたと娘が出逢うほんの数刻前に、妾と娘は出逢っていたのだ。妾はそこであの娘に目をつけた。あなたの予想は全くその通り。あれほどの逸材放っておくなどあり得ぬ。

 そしてあなたが妾と出逢ったあとだったからこそ、あの娘の変調に終ぞ気付くことはなかった」

「お前は……いったい、何を……ッ!」

「昂っておるな神殺し。だがそういきり立つな、なんのことはない。妾はただ、己の神話にそった行いをしたまで」

「神話にそった行い?」

「左様。優れた素養をもつ者に加護を与え、導くことこそ妾の本懐。ならばあの娘にも加護を与えただけのこと……」

「ンなわけねぇだろうが! 俺の化身たちが言ってるぜ……テメェはよからぬ事をやりやがったてな! 答えな、アイツになにしやがった!」

「おお。なにやら義憤の怒りと正義の光を感じるぞ? 叡智を司る妾が囁いておる……そなたの瞳に隠れ、内にも忌々しい太陽を宿した権能を備えておるな? この地より遥か南東の……」

 

 答えようとしないアテナに、祐一は横殴りの一刀を繰り出した。

 

「猛るな。まだ宵には早い」

 

 容易く躱され、大きく跳躍した。アテナはすぐ近くにあった別の街灯へ着地した。

 

「先刻、語った通りだ。妾はこの地で出会ったあの娘にささやかな加護を与えただけだ。ただし、妾には使命があった……ゴルゴネイオンをこの手に取り戻すという使命がな。

 故にあの娘には英雄や巫女に與えるような愛し子としての加護ではなく、ゴルゴネイオンを守護する守り手としての加護を與えたのだ」

「守り手だと?」

「左様。宣誓によりゴルゴネイオンは今宵に至るまで妾らのものには決してならぬ因果が生まれてしまった。しかし、その法則には抜け道があるのは知っておろう?」

 

 知っている。あれは宣誓の夜にサトゥルヌスが示し、祐一もそれをもって偽りのゴルゴネイオンを奪取したのだから。

 

「俺たち三人じゃない……眷属でも、協力者でもいい……。別の誰かに持たせること……」

「然り。故に妾は一計を案じた。手に入れられないなら決して見失わないすぐに手の届く場所に納めておけばいい、とな」

 

 あなたの考える通りあの娘はゴルゴネイオンを持っておる、とアテナは今度こそ真実を語った。

 

「妾がそう仕向けたのだ。守り手の加護とはつまり古の《蛇》を納めるに足る"匣であれ"という妾の願いだ。そして娘は我が願いの成就のためその身を徐々に変質させていった」

 

 アテナは真実を語り、だが、それが何になる。

 時、既に遅し。

 アテナの仕込みは終わってしまっている……過去は覆せない。時の神ならぬ身の祐一には。

 

『氷解したぞ。地脈の竜が現れた夜に、膨大な力を呑んでも小揺るぎもしなかったのは"匣であれ"とおぬしが願ったからか』

「遥か極東の鋼よ、その問いに妾は是と答えよう。妾としてはこの地が死に染まろうが枯れ果てようがどうでも良かったのだが……異界が生まれ、妾の眷属にして地母に属する愛子とも呼べる子も形となったのでな、助力したまでのこと」

『悍ましい。白熊王の夜、三つ巴におぬしが誘引されたと述べたのは、娘の前にふたたび現れたサトゥルヌスに慌てて駆けつけたからか。昨夜も共にいたのは匣の点検と言ったところか』

「饒舌だな最源流。そして総て肯定しよう。異界にて我が祖父殿が、匣である娘の前に二度も立った時はさしもの妾でも焦りを覚えたものだ」

 

 ああ、異界といえば……。アテナは口元を隠してほくそ笑んだ。矮小で愚かしい人間の無様を嘲笑うように。

 

「あなたの行動は逐一フクロウを通して見ていた。フフ……古の《蛇》を求め、求めているものは目の前にあるというのに、右往左往するあなたは滑稽であった。なかなか面白い寸劇であったぞ……」

 

 殺す。今すぐここでたたっ斬りたい。だが今は相棒が先だった。神速で飛んでいって彼女の宿したゴルゴネイオンを──

 

「無駄だ」

 

 思考を読まれたか、アテナが断じた。

 

「肉体が変質したと言ったであろう。変化は完了している。比類なき才を秘めていたあの娘はこれまで以上に、蛇と大地に結びつき、蛇たるゴルゴネイオンは娘の心臓と()()()となったといっても過言ではない。

 別かとうとすれば即座に心臓は破け、娘は死に至るだろう」

「…………」

「そなたにゴルゴネイオンの所在が看破されてしまおうが構わなかった。強かな戦士と認めはするが菓子のごとく甘いそなたはあの娘を殺せぬ。殺されるのも許容はできぬ」

「…………」

「後悔しても遅い。時はとっくに逸しておる……宣誓の夜、あの娘の心臓にゴルゴネイオンは埋まっていた。あなたと祖父殿が戯れている間にすべては終わっていたのだ」

「…………」

「宣誓の夜。そなたの瞳があったが故に異界は生じなかったが"偽りのゴルゴネイオン"は在った……理由は簡単だ。

 あれはゴルゴネイオンを埋め込まれた娘が魔術師に"ゴルゴネイオンを奪われた"と誤認したからだ。そして娘の首飾りは贋作となり、祖父殿はあなたへの仕込みとしたのだ」

 

 アテナの語る間、祐一は俯いていた。決して目を合わせなかった。そうでもしなければ赫怒を煮詰め、腹に溜めたものが一気に溢れ出しそうだった。

 

「あなたから深い怒りを感じるぞ。意志の化け物だな。あなたが何故人の身でありながら神を弑逆できたのかその一端を垣間見ているぞ。あなたは激情にて弑するに到ったか」

 

 だが。

 

「そなたがどれだけ猛ろうと、あれは今宵死ぬるが定め。何故ならば今宵、ゴルゴネイオンは我ら三柱のいずれかが手にするのだから。

 そう、己が咽喉で、己が口で、己が意思で──宣誓しただろう神殺し?」

 

「お前……は」

 

 黙り込んでいた祐一が重い口を開いて、すぐに閉じた。叢雲の切っ先をアテナに向けた。

 アテナが苛立たせているのはわかっていて、だが祐一には衝動を止められなかった。

 ここで踏みとどまれるならば、神など殺してはいない。エピメテウスの落し子などと呼ばれてはいない。

 烈火の瞳が眩い陽光を放ち始める。

 

「……忌々しい太陽の光。おのれ、三つ巴でも苦渋を飲まされたその双眸をえぐり抜き、木っ端微塵に砕きたくなる」

「…………」

「今宵、この北欧の地が騒乱の戦場となるのは必定。しかし未だその機運は満ちず……しかし、神殺しよ。あなたが望むのであれば手助けしてやろう──最高の形でな」

 

 不穏な言葉にハッとして駆け出した時には、アテナの姿はとうになく梟の羽だけが舞っていた。

 

「ッ、しまった!」

 

 アテナがどこに行くかなんて疑問を挟む余地もない。奴の目的地などひとつしかない。

 騒乱の中心たるゴルゴネイオンがある場所。つまり──チェリーのもとだ。

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