王書   作:につけ丸

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086:女神と神殺し

 静寂に包まれるベルゲンで、まつろわぬ神とカンピオーネは対峙した。風切り音が吹き抜け、それを合図としたように戦闘開始の火蓋が落とされた。

 先手を取ったのは祐一。疾駆してアテナに肉薄しようとし、

 

「させぬよ」

 

 だがそれは叶わない。

 アテナが眼窩に宿ったゴルゴンの呪いを開放したのだ。石化だけではなく極寒の冷気まで伴った呪詛が、足を強張らせ、肉体を硬直せしめんと蝕む。

 呪詛というより蛇の毒。さながら蛇咬傷によって細胞ごと壊死するかのごとく身体が死に近づいていく。

 これにはさしもの祐一も足を止め、神殺しの肉体特有の抵抗力をあげることに努めた。だが、勢いが強い。真正面にいるアテナだけではない……注意して辺りを見回せば、地面に、壁に、影に、蛇の目が浮かび上がっていた。

 こいつら全部、アテナの目か!? 

 かつてペルセウスは蛇の魔物メドゥサを討伐した。それはメドゥサの眼窩におさまる一対の目に対策を講じればそれでよかった。

 けれど現在、祐一に向けられた目は十を下らぬ数であり、足も、手も、背も、三百六十度すべてがアテナの視界に収まっていた。

 

「退け、神殺し。新生しそれなりの死線をくぐって来たように見えるが、しかし、あなたでは妾に死をもたらすこと叶わぬ。……それは妾が祖父サトゥルヌスと互角を演じた三つ巴を知るそなたも知っておろう」

「ああ、あんたの智謀ってやつもな。……地母神って奴らとまともにサシでやり合うのははじめてだったか。アプスは従属神ってやつだったし、義母さんは義母さんだしなぁ」

 

 肩を竦めて、しかし──ふてぶてしく、大胆に、不敵に笑う。

 

「だがアテナさんよ。だけど一つ言っておくぜ……俺はな、地母神って輩には──滅法強いぜ」

 

 アテナ自慢の呪詛。なれどそれがどうした。しぶとさに掛けては神を凌駕する神殺しに、それだけでは致命打足りない。木下祐一は潰えない。

 

「汚れなき御身の為、光の柱たる我が名代となり剣となる。貴方の権を振るう先の一切の悪魔を焼き尽くす為に。我が燃えさかる焔と見透す瞳が不浄を祓い清めよう」

 

 聖なる浄眼を開眼した。この瞳の前にはあらゆる穢れはたちまち祓われ、闇も影も消え去ってしまう。光輝が闇を切り払って、アテナへと突き進んだ。しかし、アテナへ辿りつく直前に女神の影が体積を増していき、あらゆる光を阻む闇の障壁となった。

 

「あなたと同じように、妾もまたあなたの視界に入れば動きを制限されるか。面倒なことだ」

「名前も知らない天使さまから簒奪した『輝く瞳(Mittron glaukopis)』ってんだ……たんと味わっていきな」

「ふん、妾を愚弄するか神殺し? 天空の鳥王でもある妾の瞳を、その忌々しい光と混同するなど……耐え難い侮辱だぞ」

 

 最初、なんのことだ? と訝しんだ祐一だったが合点がいったのかおかしそうに失笑した。

 

「ああ、そういやあんたにも同じ異名があったんだったか。だけど名付けた人もあんたと戦うことになるなんて思ってなかったんじゃないか?」

「ほう? ならば妾と出会う以前に付けられた名か。名づけたというあなたと縁をもつ人物は中々見どころのある者のようだ」

「ああ、草薙護堂っていう王の中の王だぜ。ま、同族なんて一人しか会ってないけど」

「草薙護堂……ふむ、覚えておこう」

 

 まったく関係ないところに流れ弾が飛び、おしゃべりは終わりだとアテナが天を指さした。ただそれだけで太陽と共に光は追われ、夜が訪れた。目を瞬かせる祐一を尻目に、アテナは背から斑の浮かぶフクロウの翼を生やし空へと飛び立った。

 

「有翼の女神ニケは妾の従属神。その飛翔に主たるアテナが劣る道理もなし!」

 

 夜を自在に飛び交うフクロウはアテナの聖獣だ。本来地母神であり地に属する彼女だが、闇を統べる女王でもある彼女が思うさまに飛び回れる領域こそ夜空なのだ。

 追うしかない、か。

 天空はアテナの領域……だが祐一はその死地へ飛びこまねばならなかった。天を味方にし稲妻を放つ『山羊』は力の源である民衆が悉く仮初めの死という眠りに就いていて使用不可。

 おそらく弱点に刺さるであろう太陽を射つ『白馬』という手もあるが神殺しとしての直感が行使を躊躇わせた。『輝く瞳(Mittron glaukopis)』も空全体と広範囲になれば効果も薄れてしまい決定打になりえない。

 祐一は影から一匹の狼を呼び出すと、『 神鞭の騎手(Wargs domination)』を行使した。チンギス・ハーンから簒奪した騎乗技術を格段に向上させる権能は、優美さを備えながら自由に舞うアテナに劣るものではない。

 

「おお、あなたにも空を翔ける"足"があったか! 猪突にみえて存外小器用らしい!」

「やかましいわ!」

 

 フクロウの女王でもあり戦女神でもあるあのアテナだ、権能の補助があるといえど飛翔技術や空中戦では一日の長がある。権能の手助けはたしかに便利でありがたいものだが、結局のところ神々と戦いうるために補助輪を付けているようなものだ。渡り合えども素人である事実には変わりない。

 空に上がった途端、祐一は容易に翻弄されはじめた。鎌の黒い一閃。黒曜石の鏃をつけた一矢。極寒の冥府の風。三次元的に攻勢を仕掛けてくる空の支配者は一瞬でも気を抜けばたちまち死を賜うだろう。それほどの開きが彼我の間にはあった。それでもなお祐一が死んでいないのは補助輪のおかげだった。

 跨るものを通じて風の向きや最適なルート、騎乗するものの状態まで伝えてくれる補助輪があればこそ祐一はギリギリのところで踏ん張れていた。しかし、それも時間の問題……相手は智神であり戦神なのだ。ヒット・アンド・アウェイを繰り返し、捉えることを許さないアテナも、必ず決定打を放って祐一の命脈を断ちにくるだろう。

 

「狙ってくる。だったら……掌中の珠も砕け散った。血まみれの肺腑は地に落ちた、万物万象は四散し、世界の箍は弛んだ! さあ、無秩序を齎そう!」

 

 いくらアテナの飛翔技術が長けていようと神速の速さには追い付けない、それが祐一の手札のなかで唯一優っている点だった。

 俺は競わねぇ! 

 一気に神速域へ突入し、轟音を引き連れて空を荒らしまわる。音は光と同じように何もない場所では四方に拡散していく性質を持ち、そして同じように闇への恐怖心を薄れさせることもできる。ゆえに祐一はひたすら音をかき鳴らしながら、夜闇に潜むアテナに捉えられない速度で駆けに駆けた。

 たまらずアテナが闇から姿を現し、その指先から黒い本流を放った。漆黒の濁流は千を超える大蛇の姿に変じると、そのまま天を呑み込む勢いで規模を増し、神速域の祐一ですら回避不可能な面の攻撃となって迫った。

 ヒット・アンド・アウェイという点の攻撃から面の攻撃へ切り替えたのだ。

 

「──そいつを待ってたぜ!」

 

 咆哮とともに急反転。千の蛇が虎口を開ける濁流へ突っ込んだ。莫大な呪力を投入しながら流れに遡って黒い奔流の始点であるアテナ目掛けて一騎駆けを敢行した。

 視界は黒の奔流に覆われ、死毒が蝕んでくる。

 でも現状打破にはこれしかない。闇を統べるアテナは夜空ではなおのこと居場所が割り出ず、嬲り殺しのされるだけだったのだ……なら、どうせ死ぬのなら"死なばもろとも"の意気でアテナを撃滅するほかない。

 単純明快で愚直な答え。それが祐一の導き出した答えだった。

 

「おお! その意気や良し!」

 

 いっそ愚かといっていいほどだがアテナは「ここまで猪突を貫けば痛快よ」と嘆声を漏らし、喜び勇んで迎え撃った。

 両の手を大きく広げ、直後、一気に挟み込む仕草をとった。それだけで千を超す蛇の大群が圧縮され、神速で速駆けする祐一の足を鈍らせる障壁となった。黒の奔流の正体とは、地母神アテナの賜う死そのものだ。

 触れるだけで如何にカンピオーネであろうと被害は免れぬ死毒。そしてアテナの目論見通り祐一の足も鈍った。当然だ、そんな毒が眼球や口、耳に毛穴に至るまで穴という穴から入り込んでいるのだから。その間にアテナは万全の防衛を固めた。先ほどまで手にしていた鎌が、小柄な体をすっぽりと覆い隠してしまうほどの大楯へ。祐一は遡る奔流の隙間からその大楯を垣間見て、即座に看破した。

 アイギスか──! 

 守護女神たるアテナに誉れ高き無敵の盾あり。前回の三つ巴でも見せた絶対防御を誇るあの盾をここで投入してきたのだ。構うもんかッぶち抜く! 

 

「だりゃぁぁあああああああああああ!!!」

「ぐッ! やはり不滅を宿すあなたには妾の《死》であろうと足止めにしかならぬか! 隕石の落下にすら比肩する一撃──見事なり!」

 

 速度は落ちている。勢いは削がれている。熱量は下がっている。

 それでも『聖武帝の稜威(domination over the world)』は比喩ではなく世界を震撼させた大王から簒奪したもの。無敵のアイギスがあろうと全く無傷とはいかない。

 

「だが、その一撃をこの身に受けて妾も理解したぞ!」

「ッ!」

「テングリ……いや、チンギス・ハーンか。遥か東方の草原より来襲した最強最悪の侵略者、妾の領域たる地中海にまで版図を広げた劫略の大王を殺めたか! 不俱戴天の仇敵たる天なる神テングリを宿す軍神を殺めたのだな!」

 

 激しい戦闘中でも変わらぬ怜悧なる智慧に寒気を覚えた。戦いの神は掃いて捨てるほどいる。知恵の神もおなじように存在する。……だが両方を併せ持ち、智神としても戦神としても信仰を得る神となると途端に数を減らす。そして相対する敵としてこれほど厄介な敵もいないだろう。

 

「だがアイギスの守護を抜くことは能わず! そして妾はまだ余力を残しているぞ──わが写し身のひとつ、メドゥサよ! 今こそ怨敵の時を止めるがいい!」

 

 死毒と石化。二重の呪詛が祐一をかぶりつかんと毒牙を向けた。死毒だけで祐一の体表の四割は紫へと変わり、息も荒い。刻一刻と敗北の足音が大きくなっていく。……だが烈火の瞳に陰りはなし。

 祐一は騎乗していた狼から右手を離して、顔へと近づけた。訝しむアテナに構わず──()()()()()()()()

 

「狂ったか神殺し!」

「あんた言ってたろ! 俺の目ん玉抉り抜きたいってな、だから叶えてやったぜ!」

「これは!?」

 

 抜き取られた眼球が眩い光を放つ。太陽に等しい権威をもつ瞳が、闇と冥府を統べる女王の神威を打ち払う。

 

「我、不浄を赦さぬ三十六万五百の目、七十二の炎の柱。主の代理人、主の玉座に侍る御使い也───行くぞ叢雲!」

『応!』

 

 光は闇を祓うもの。目とは不確かなものを詳らかにするもの。『輝く瞳(Mittron glaukopis)』とは魔を浄化する権能であり──故に模倣すれば"破邪の劔"を化す。

 

「妾の神力が掻き消えていく、だとッ」

 

 確かにアイギスは無敵の盾だ。死毒も厄介で、石化もまた然り。

 だから祐一は真正面から対抗するのを止め、"兵糧攻め"に打って出た。かつてスロヴァキアの天使は邪視によって呪力を刈り取り、その瞳を簒奪したのなら模倣できない道理なし。神具も権能も、強力であろうと源である力がなければ木偶と化す。

 アイギスが力を失ったのを敏感に嗅ぎ取った祐一は、狼の四肢へ激烈なまでの呪力を注ぎ込んだ。ロケットの点火を思わせる激しさで再び速駆けは放たれた。

 交錯はあっけなく、力を失いふたりは打ち合わせしたように同じ格好で墜落した。

 

 激突しようと死には至らず、上空から地面に叩きつけられようと彼らは致命打になりえない。アテナと祐一は一瞬の気絶状態から覚醒し、よろよろと立ち上がった。どちらまだ闘志を萎えさせることはなく獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「クク……やはり戦いはよい。侮りはしていなかったがここまで楽しめるとは思っておらなんだ」

「ふん、失礼なやつだ」

「あなたや妾のような戦の輩にとっていくさ場での一時は、王宮で過ごす百日と千の言葉を交わすよりも勝る一時となる。今宵、はじめてあなたと果たし合いにて語らい理解しはじめたのだ。許せ」

「へぇ、まだ一時間も経っちゃいないと思うが……あんたは俺のなにを理解したんだ?」

 

 アテナの言葉を面白がるように問うた祐一に、彼女もまた口角を釣り上げた。

 

「あなたには()()()がある」

「おごり……?」

「そうだ。妾にはわかっているぞ。あなたと二度の戦いを経て、あなたはおそらく四つの権能を有する神殺しだ」

「……」

「ああ、権能の数を見抜いたから権能の数の多寡がどうという話ではない。妾がいいたいのはあなたの権能はすべてが、()()()を変化させる、または、異能を纏うものばかりだと言っているのだ。

 神殺しが我らの同胞から簒奪し発現する権能は十人十色でまったく統一性はないが、しかし、一応の法則はある。

 ふふ、意外そうな顔をしているな。

 ……教えて進ぜよう。なに簡単なことだ、法則とは気質や技能を反映する形で発現するというだけのこと。しかし、だからこそ神殺しの"人となり"というものが見えてくるのだ」

「俺の人となり?」

「そうだ。あなたの権能はどこまでも己"のみ"に帰結するものばかりだ。化身、騎乗技術、神刀、太陽の瞳……。あなたは他人を、人を信用していないのだな。他の神殺しと同じくあなたは傲慢さをもっておるよ。あなたにとって人は戦場にて轡を並べるに値しない、か弱く守るべき存在なのだ……故に戦場に立つのは己独りで良いと」

「──黙れ」

 

 それ以上の言葉を祐一は許容しなかった。ああ、まったく、正鵠を射ていると頷いてしまったからだ。

 それも仕方のないことだ。祐一の生まれた次元は、神殺しは祐一のみでありまつろわぬ神々が我が物顔で闊歩する世で人類の対抗手段足りえるものなど彼しかいなかった。

 立ち向かったものも居た、対策を講じたものもいた、轡を並べようとしたものもいた。だけど誰も帰ってこなかった。頼れると思った者には裏切られた。

 だからこそ彼は単身戦うことに特化した権能を獲得し続けるに至ったのだ。

 

「踏みにじられた過去を盗み見るだけでキレてたあんたが、人様の過去をなじるとはな」

「ふふ、これもまた戦の知恵だ。そう怖い顔をするな、妾を守護するものたちがいきり立つではないか」

 

 気付けば祐一は四方を囲まれていた……無数の蛇とフクロウによって。神であるアテナを守護せんと眷属たるものたちが集ったのだ。

 

「一人で戦う、か。そうかもしれねぇ……でもあんたはまだ俺の権能の全貌を見ちゃいねぇだろ──来たれ奈落の軍勢。大地を震わせ、天より駆けよ。死魔の軍靴を鳴らせ。一切の智慧を捨て、狂奔へと落ちろ! 栄耀栄華を奪い尽くせ!」

「ほう! まだそのような隠し玉をもっていたか!」

 

 祐一の後方から黒ずんだ銅の扉が現れた。これこそ『聖武帝の稜威(domination over the world)』のもう一つの側面。

 使用者を大群の長とする軍勢召喚の権能だった。敵の数が多くとも関係はない。軍勢を呼びだせる数に制約は一つだけ、敵と同数という一点だけである。

 

「まだだ」

 

 言うなりやおら祐一は懐に持っていた右目を掲げ──握りつぶした。

 陽光さながらの光輝が弾け、門に降り注ぐ。時を置かずして扉が開く。現れ出るは人狼の軍勢……しかし、その姿は常とは装いを異としていた。

 蒼銀の毛並みを薪とするかのように全身から青白い炎が立ち昇り、一歩を踏みしめるだけで同じ数だけ敵対者は後ずさった。

聖武帝の稜威(domination over the world)』だけでなく『少年』を行使し、祐一に絶対の忠誠を誓う戦士たちに加護を与えているのだ。外道覆滅の太陽の加護を。

 

「行け」

 

 祐一の短い号令により蹂躙は始まった。存在が弱点そのものと化した狼たちにアテナの従僕は為すすべなく、壁に打ち付けられた豆腐さながらに砕け散った。

 

 

「だが、それでもだ神殺し! 妾の見立てに間違いはない!」

 

 劫。蹂躙劇も呆気なく終わりを告げた。

 

「あなたのそれは敵軍と同数の軍勢を呼び出す乱戦封じの権能と見た。つまり、果たし合いを強制させる権能。意志なき眷属を従えることで余人の介入を封じようとする魂胆が見えるぞ!」

 

 大気を引き裂いた雷鳴によって太陽の天軍は滅び去った。下手人は当然アテナ。そしてアテナの誇るアイギスによって消し飛ばされたのだ。

 アイギスとは山羊の皮で造られた楯と言われている。またゼウスの身に纏う鎧の肩当ての部分だとも。

 山羊は祐一の化身がそうであるように雷との関わりが深く、ゼウスもまた天空神であり稲妻を司る神。

 ならばアイギスもまた稲妻を手繰る術を持っていると考えるのが自然だ。

 さてどうするか、神話に名高き不抜不落のアイギスをどう攻略するか唇湿らせ、しかしアテナは動かなかった。怪訝な視線を送る祐一から意識を外し、アイギスを止めて黙考する。

 

「我らの闘争はここまでのようだ。なかなか楽しめたぞ」

「あん……?」

 

 唐突な言葉に怪訝な声を出し、すぐに氷解した。戦いにのめり込みすぎて気づくのが遅れた。

 古の《蛇》を求める者はこの場にいる二人だけでは無い。失念していた。全知と謳われる彼の神が、新月の夜にまで動かないとは考えられない。

 

「サトゥルヌス!」

「出来ることならば万全のそなたと死合うてみたかった。そなたは剣を失っておる。叡智と戦士たる妾が、そなたに警戒を促しながら恐るるに足りずとも侮るのはそれゆえか」

「……見抜かれてたか。だがそりゃアンタも同じだろ? ゴルゴネイオンを手に入れた真のアンタとやり合ってみたかったよ」

「なに。今宵その望みは叶うであろう……あなたがそれまで生きていればの話だが」

「は、何言ってるんだ。あんたはゴルゴネイオンを取り戻せないに決まってんだろう」

 

 舌鋒を最後にふたりの姿は消え去った。これが彼らの──今生の別れとなった。

 

 

 

 

 ○〇●

 

 

 バイクが山道を疾走していた。運転手はヘルメットも被ら長い髪をさらけ出し風にされるがままにしながら、アクセルグリップを握った。運転手は誰であろうチェリーだった。

 彼女は父の倉庫から引っ張り出したバイクで、フロイエン山を向かっていた。引っ張り出した、というより言葉を飾らずにいえば盗んだバイクであるが。

 移動手段がこれしか残されていなかったのだ。祐一に一時とはいえ支配下に置かれた影響か、不思議なことにアテナの邪視から逃げおおせていた。

 バイクの免許など持っておらず運転も見よう見まねだったが、バイクを譲り受けるという野望を秘めていた彼女はちゃっかりと運転をマスターしていて、その証拠にこれまで一度もコケることなくここまで走らせていた。

 

 場所はもうフロイエン山の麓道。

 まばらに植わっていた木々が数を増し、アスファルトで舗装されていた道路がコンクリートに変わる。最後には何もない土だけの山道になった。

 当然、人の生活圏からも離れたものとなる。それが彼女の狙いだった。祐一の言を信じるならばゴルゴネイオンは自分が持っている……なら、自分こそが大戦の渦中であり、ベルゲンから離れてしまえば余波から守ることが出来る。悲壮といっていい覚悟だったが、チェリーは前だけを向いた。

 

 唐突に、夜が訪れた。先ほどまで傾いていたとはいえ確かに太陽が昇っていたのに、それが掻き消えた。

 ユーイチとアテナの戦いだ、超常現象の原因を看破した。光源はバイクのライトだけになり、草木が道にまで茂る山道を無理やり進む。オフロードバイクではないため思うようにいかない。転ばないは幸運以外の何ものでもなかった。

 それでもできる限りの速度を出し──そこで眼前にまつろわぬ神が現れた。

 

「──ッ!」

 

 声をあげる暇もなく反射的にハンドルを切った。それなりのスピードが出ていたのだ……無理やり捻った車体は慣性を流しきれず、チェリーもろとも空に投げ出された。

 ぐるり回る視界。そして衝撃。

 米神と肩をしたたかに打ち付け、目を開けば視界は赤く染まっていた。額が切れている。

 だが気にする余裕はない。赤に染まった視界でただ一点、死を煮詰めたような黒点はひどく異様に移った。黒点は老人……いや、まつろわぬ神は未だそこに佇んでいた。

 陰惨で濃密までの死の気配。黒曜の輝きを放つ鉄剣とはまた気配を異にした漆黒の大鎌。地母のどこか慈悲を残した闇ともちがう死臭。

 教えられなくても分かる。見覚えがある。この気配を知っている。あれがまつろわぬサトゥルヌス。アテナ、祐一と相食む三つ巴の一柱。

 サトゥルヌスが一歩踏み出した。ただそれだけで周囲に繁っていた草木は枯れ落ち、地を這うにいたった。

 

「娘、そなたは持っていよう……古の蛇を。余はそれを欲しておる。その胸を開き、差し出すのならば、褒美として安らかな死を賜うとしよう……」

 

 言葉は呪言だった。死を纏う言霊が、チェリーを捉え、心を折らんと心の臓へ手を伸ばした。

 

「いやよ……──嫌!」

 

 従ってなるものか、ここで終わるものか。その一心で、彼女はささやかな偉業を成した。つまり神言を退ける偉業を。

 チェリーは隠れる場所の多い木々の生い茂る林へもぐり込むように走り出した。肉体が入れるだけで肩が焼けるように痛い。間違いなく折れている。骨折はしたことが無い彼女だったが、これまで感じたことのない痛みに確信を覚えた。でもじわじわと痛みは引いた。極度の興奮状態ゆえかアドレナリンが大量分泌されているらしい。

 走って、見えない段差に足を取られる。立ち上がって、傍にあった枝でかすり傷を負う。

 すぐに悟った。林に入ったのは失敗だった、思うように進めないのだ。

 その上、樹木の枝葉は本来、光を得るためにその体積を広げる。光源の少ない夜において森のなかは一寸先も霞む闇の領域と化していた。

 空に不思議と大きくも妖しく輝く星明かりが、チェリーの縋る光源で……

 

「何よ、あれ」

 

 おかしい。なんだあれは。太陽や月がいつも浮かんでいるはずの天蓋には、巨大な輪を有した黄褐色の星があった。

 土星。

 欧州においては不吉の象徴として忌み嫌われる凶星に、天から見下ろされている。星光が道を照らしだしている。

 悟った時には遅かった。瞬きのあとには目の前にサトゥルヌスが立っていて……すべてがこの老人の掌中だったのだ。死手が伸びる。

 奇跡か、必然か。背中に風を受けながらチェリーは自分でも驚くほどの俊敏さで避けた。

 

「──ぬ。もう刻限はわずかだが未だ結果が訪れず……()()の余では古の《蛇》は手中に入らぬか」

 

 何やら得心した様子のサトゥルヌスに構わず距離をとって、向き合った。

 

「ほぅ、自ら死を選ぶか」

 

 返答は弾丸だった。ビアンキから受け取っていた銃を護身用に隠し持っていた、のだが。

 

「神様って銃も効かないわけ? どうやったら死ぬのよ」

「余に死は訪れぬ。死が余であるがゆえに。余の訪れこそが死なのだ」

 

 手を広げた。サトゥルヌスの背後で闇が衣のごとく翻り、老人の体躯を何倍にも大きく錯覚させた。

 

「余はゴルゴネイオンを手に入れられぬ。しかし、ゴルゴネイオンであるそなたが自ら向かってくるというのなら話は別。さぁ、我がかいなで抱いてやろう。そなたの宿すゴルゴネイオンを奪い去ってみせよう」

 

 サトゥルヌスの言霊と威風に晒されようと、チェリー・U・ヒルトは雄々しく尊大に笑った。

 追い詰めた? 馬鹿を言わないで欲しい、自分は誘い込むために……自分を餌として、人気の無い場所までまつろわぬ神を()()()のだ。

 

「いいえ、断固お断りよ! アタシが追い詰められたのは活路を手に入れるためよッ! ピンチってこれで十分でしょ──ねぇ()()()()!」

 

 それは約束。契約を結ぶ以前に交わした軽口にも思える口約束だった。

 来てくれる確証はない。到底信じられないようなただの軽口だった。だがチェリーはその約束に賭けた、それも全身全霊を賭して。

 祐一はアテナと戦っている。来てくれる保証は酷く低い。それでも、彼女は叫んだ。

 

「アンタ言ったわよね! アタシがピンチの時、名前を呼んだら来るって! ……なら、早く来なさいよ! アタシは今は人生最大のピンチってやつで、今にも死にそうよ!」

 

 風。風が吹いた。

 天から落ちる天籟が、サトゥルヌスとチェリーのもとへ──一陣の風が吹いた。

 

「──こんな偉そうな呼び方すんの、これからも多分、お前だけだぜ」

「ッ!」

 

 黒い『風』がサトゥルヌスとチェリーの間を疾走した。神ですら捉えることの敵わない風は刹那、サトゥルヌスの右腕が斬り飛ばした。

 握っていたパルパーごと右腕は彼方へ吹き飛び、サトゥルヌスがそちらへ気を取られていた隙にチェリーの首っ子捕まえて一も二もなく遁走した。

 

「クク……これはこれは我が祖父殿。あの娘に足元をすくわれたご様子」

「……アテナか」

 

 サトゥルヌスのもとの、もう一人の死神が訪れた。祐一たちを追う機会は失われ、チェリーの目論見は成功した。

 

 

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