王書   作:につけ丸

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089:巨神の意地

 閃光が駆け抜けた。仕掛けたのは祐一、開放した権能は太陽の瞳。一切の不浄を許さぬ滅相の瞳だった。

 "観る"という動作は何よりも先に来る。故に最速の攻撃足りうる素養があった。

 

「闇を捨て去った余はもはや光など怖れぬ!」

 

 死神の大鎌すら失ったサトゥルヌスは無手だ。己が肉体のみで祐一の眼光へ挑み手刀で切り払った。

 雷切どころか光すら切り捨てた。出鱈目だ。時の王たる彼に速度など意味を為さないといえど、こうも容易く切り捨てられるとは。おそらく死の神としての職能を喪いそのリソースは『鋼』の神性に振り分けられたのだ。戦闘能力も格段に向上している。

 容易に踏み込めば取って食われると思わせるほどに。警戒レベルを最大に上げ叢雲を八双に構え……サトゥルヌスは祐一の警戒など取り合わなかった。

 

「祖を同じくする光明から別れ、唯一神に膝をついた天使より簒奪した権能。そなたは"太陽"と豪語する瞳は、真の太陽に敵うか──?」

 

 初手を様子見に使った祐一とは対照的に、サトゥルヌスは大きく仕掛けてきた。散りばめられた光の粒子が円を形成し、暗黒を映し出す。

 既視感と直感が囁く。あれは時空の扉だ。

 自分がヒューペルボレアからこちらへ渡ってきた折にくぐったものと同じで、ラグナや奈落の軍勢を呼び出す際に現れるものと同質の機能をもつゲートなのだと。

 ならばあの奥に見える光景は、サトゥルヌスの召喚するものの住まう場所。

 読み取れ、あの予備動作から情報を読み取るんだ。

 目を眇めて闇を見据え……しかし闇があったのもつかの間、すぐに切り替わった。

 拍子抜けした祐一は、直後、目を()()()()。最初に感じたのは極大の光。祐一の輝く瞳という太陽さながらの瞳でさえ視力を失うほどの極光。

 

「──は?」

 

 祐一は驚愕とともに、サトゥルヌスが一体何処……いや、なにを招来したのか看破した。

 権能であり太陽神の一端ですら眩ませるもの! 見えぬものなしの瞳を焼く眩い光! そんなもの世にひとつしかない。

 つまりは──()()()()()()である! 

 

「馬、鹿、か、お前ぇぇぇぇええええええええ!!!」

 

 太陽!? 太陽をぶつけてきやがったのか!? 此処でェ!? 

 確かに祐一にも『白馬』という太陽の欠片をぶつける権能はある……確かにあるのだが……断じて、正真正銘の太陽をぶつける訳では無いのだ。勢い余って地球が滅亡しそうな威力は流石にないのだ! 

 加減しろバカ! 叫びたい気持ちを殺して、対処に追われた。コズミックなスケールから繰り出される大熱波が大気を焼き焦がし、祐一を喰らわんと牙を向いたのだ。

 逡巡などもってのほか。一も二もなく『鳳』の手札を切ろうとし──疑問が湧いた。

 

 ここで退いたらベルゲン……どころか北欧が吹き飛ばないか? 

 それは走馬灯だった。正直、思い出したくもなかったが過去、怨敵ヤマトタケルがヨーロッパで仕出かした大災害を思い出した。

 太陽は地球の倍する質量をもち、太陽フレアだけでも地球を飲み込む広さと威力があるという。それで地球は無事で済むのだろうか──否である。

 

「こん、ちく、ちょぉぉぉおおおおおおお!」

 

 祐一は決断した。ー『輝く瞳(Mittron glaukopis)』を全開にして真なる太陽と拮抗させる。

 突如、欧州の夜に光が生まれ昼同然になり、世の魔術師達が北欧での異変に気付いたのだが、それはそれとして祐一は現状打破に思考を巡らせた。拮抗は不味い。権能にも呪力にも限界はあるのだから。

 呪力が一気に目減りしていく。ただの一手でサトゥルヌスは一気に有利になってしまう……それでも祐一は止められない。サトゥルヌスの祐一の性格を読み切った作戦勝ちであった。作戦とは。

 

 どうにかしなければ……! と、そこで一つの思考に繋がった。自分は隻眼だ、と。

 元々、この権能を簒奪する以前から隻眼で、『輝く瞳(glaukopis)』を簒奪すると共に快復した……だったら試す価値はある。

 瞳が無くなったのは権能の消失を意味しない。権能の根源は己が呪力であり、太陽。故に拮抗ではなく──融和を選択せねばならなかったのだ。

 

 祐一は一度目を瞑って、両の瞼を見開いた。右の瞼から空洞の眼窩が現れ、同時に太陽光が降り注いだ。

 ブ、ボボッ! 光線が少年の前でわだかまり、熱の塊となって火球へと変じていく。眩い光輝は根こそぎ祐一の瞳に奪われていった。

 その日、太陽が日食さながらに光が消失し、地球は北半球のみならず南半球までも少しばかり夜に閉ざされた。

 ふたたび目を開いた後には生え揃った双眸。大量の冷や汗をかいてしまったが凌いだ。太陽すら退けた自分を褒めてやりたい気分もあったが、咄嗟に叢雲を構え──強襲。

 

「凌いだが、それでこそ我が宿敵」

「わざわざ、瞳を取り戻してくれるなんてな! これもどうせ想定内なんだろう!」

「左様! アテナとの小競り合いでそなたは瞳を消費してしまった……余が打ち倒すそなたは万全のそなたでなければ意味がないッ」

「は! 言ってくれるぜ」

「そなたの奪われた智慧の剣も、余ならば取り戻すことも容易だぞ?」

「敵に塩を送るのもそこまでにしなッ、剣が鈍る!」

「その意気や良しッそれでこそ我が好敵手!」

 

 祐一は死域へ入った。剣を構える。大上段。八双の構えを捨て去った。命を捨てた。

 サトゥルヌスの全力を垣間見て、自分がまだサトゥルヌスを甘く見ていたことを悟り恥じた。

 命を投げ捨てるこの構えこそ、サトゥルヌスへ対峙するに相応しいと思った。

 最源流の『鋼』を内包する祐一と、時と『鋼』以外削ぎ落としたサトゥルヌスの戦いが野山を砕く。刃の嵐が吹き荒れる。拳の弾雨が舞う。

 サトゥルヌスは徒手空拳をつらぬき、手刀と貫手、殴打で神刀と渡り合った。祐一は苦渋を浮かべた。武器というアドバンテージがあろうと、『鋼』としての武もあるが未来視による先読みが刃の接近を許さず掠らせない。

 前傾姿勢をとって剣を振れば、躱される。未来視で、構えただけの拳が頬に突き刺さる。右脚で横っ面を蹴りあげようとすれば、待ち構えていた肘と膝で挟み撃ちにされる。容易く背後を取られ、貫手が脇腹を貫いた。

 全ての挙動が見透かされている。

 過去のサトゥルヌス戦など児戯だったと悟らせるほど剣は外れ、相手の拳はおもしろいほど決まった。

 

 これじゃぁ、駄目だ。鼻をおさえ鼻孔に溜まった血を抜く。どうせ生殺与奪権を握られているようなものだ、愚かしく自分の命を護っても仕方がない。

 出し惜しみもなしだ。今度こそ『鳳』を行使する、ただし神速域には入らない。

 

「ほう、此度はウルスラグナの権能……『鳳』に化身したか」

「……」

「神速とはそのままただ単に速度をあげるものもあれば、距離や時間を歪めるものもある。強大な権能で法則をねじ曲げるのだ。そして『鳳』は後者の部類に入る。それも到達時間を限りなく縮めるものだ……つまり囁かながら時間操作の権能でもある」

 

 祐一は剣で口元で隠しながら下唇を噛んだ。全知への脅威は十分に理解していたつもりだったが、手強いなんてものじゃない。まるで子供と大人が喧嘩しているような歴然たる差があった。

 

「余の未来視にもいささかズレが出るやも知れぬ。侮りはせぬよ……そなたは神殺し。可能性の化け物。そのズレをこじ開け、勝機とする勝利餓鬼。それを発端に倒れた余がいることも識っておる」

 

 サトゥルヌスが何かアクションを起こす前に祐一は疾駆した。懐に入って腹部をかっ捌こうとして──指の腹で止められる。

 驚愕で瞠目する。神速で振るった剣を指で止めるなど如何なる武神も躊躇う難事だ。完璧なタイミングと完全な動作、そして運さえ噛み合えば確かに可能性はある……が、出来るかどうかは別だ。サトゥルヌスの底知れなさに総毛立つ。

 サトゥルヌスが硬直した祐一の目を覗き込んだ。深淵と狂気を介在させた瞳からはなにも読み取れない。

 

「弱いな。命を捨てても余の前に手も足も出ぬとは……いささか買いかぶりが過ぎたかな」

「ッ!」

「それでは──故郷を焼かれるのも、やむ無しというもの」

「…………なんだと」

 

 声が低く唸った。獣の唸り声だった。

 それは祐一にとって聞き捨てならない言葉。決して帰らぬと誓いながら忘れられない祐一にとっての聖域。

 挑発でも乗るしかなかった。故郷を焼かれるなどと。虚言であっても許すことは出来ない。

 

「故郷が焼かれる、と言ったのだ。何度でも言うぞ、そなたの故郷は焼かれる。そなたの親兄弟友同胞総ては死に絶える」

「巫山戯るな!」

「余は策を弄そうとも虚言は弄さぬ。故郷は略奪され劫火に焼かれ、滅びの浮き目にあう。それもヤマトタケルと王国の聖なる劫掠──トーイン(襲撃)によって」

 

 ヤマトタケル。

 その名を聞いた途端、総ての猜疑は千の言葉を語るよりも信じるに値する答えとなって彼を一撃した。

 奴が来る。奴が来る。奴が来る──故郷に。

 祐一の全身に悪寒と震えが走った。彼の神は祐一にとって忌むべき存在であり、憎むべき存在であり……いや、簡潔に言うならばトラウマだった。

 

「本当に来るって言うのか……あいつが……」

「逆に問おう。来ない理由があるか?」

 

 祐一の剣が完全に止まった。沈痛な表情を浮かべて苦悶した。

 これがサトゥルヌスの揺さぶりならば、大したものだと叫んで唾したかった。今すぐにでも此処を飛び出して、故郷に舞い戻りたかった。

 しかしサトゥルヌスが薄く笑う。

 

「意趣返しだ。かつて余が去ろうとし、鎖を繋げたそなたへのな。余がそなたを打倒した後、草薙護堂や麗しき神殺しという大敵が控えているように、そなたにもヤマトタケルや因果律の道化どもと相見える未来が待っている」

「…………」

「そう思えば 、そなたは先刻のような腑抜けた剣は振るえぬだろう? 命を捨てだけの剣など揮えぬだろう!」

 

 ああ、そうだ。ここで終われない。終わってたまるか。闘志と活力が満腔より溢れて風を作った。

 

「それでこそ我らの死闘は成る──さあ時としての力は十分に見せた。ならば余のなかに眠る巨神(クロノス)としての力を見るがいい!」

 

 クロノス。ギリシャ神話の神で、かつてはウーラヌスを降して全宇宙を統べた神王だ。子たるゼウスに敗北しタルタロス、或いは、カピトリヌスの丘に追われた逸話が残る……サトゥルヌスと同一視された神。

 ローマ人は神話をギリシャから輸入し、神々もそれらに対応する形になった。ゼウスならユピテルが相応となる神で、クロノスであればサトゥルヌスが相応する。

 ならばサトゥルヌスも巨神(クロノス)としての力を揮えるのだ。

 

「天空神ウーラヌスより余は王位を簒奪した。ならばそなたが化身し、天空を飛翔する『鳳』の羽根をもいでしまおう」

 

 直感と悪寒が、距離を取れと叫んだ。しかし遅い。己の内から『鳳』の絶叫が聞こえ、両翼をもがれた神鳥を幻視した。

 

「隙だらけだぞ木下祐一! 『戦士』を奪われたのも己の不甲斐なさ故だったのは忘れたか!」

「クソ!」

 

『鳳』の羽根はサトゥルヌスが獲て、サトゥルヌスは神速に入った。速い。いや、速さもさることながら変幻自在だ。

 緩急をつけ、神速から停止を繰り返し、姿を消しては再び現れる。まるでこれが本来の使い方だと言わんばかりにサトゥルヌスは祐一を翻弄し、ついでと言わんばかりに右肩を砕いた。絶叫しながら片膝をつき、たまらず権能を行使した。

 

「草原を駆け抜け威風を散らせ、蒼き大王の前肢よ!」

 

 狼を呼び出す。『 聖武帝の稜威(domination over the world)』。

 逃げ出そうという祐一にサトゥルヌスが腕を振る。神の意思に応えて大地が盛り上がり、祐一の進路上に剣山が誕生した。それを突き破って、天空を駆け抜ける。

 

「逃げに徹するか!」

 

 サトゥルヌスの叫びが胸を打った。己の不甲斐なさが口惜しい。

 血が滲むほど奥歯を噛んで──愕然とした。後方から膨大な神力の高まりを察知したのだ。

 サトゥルヌスが逃げを許すはずがない。全知であれば必ず先の手を打つ。そして祐一には見えた、天を覆うほどの光の粒子が輝いているのを。

 

「そなたが稲妻に匹敵する速度で逃げを打つと言うならば、余は、頭が星を摩し、手を一方に伸ばせば西の涯、他方は東の涯にも達する()()で壁としよう」

 

 天が堕ちてくる……いや、大地が広がっているのだ。ガイア(大地)の歓喜に呼応して。天を降せと叫んでいるのだ。

 

「来ませい、"ガイアの怒り"よ!」

 

 光の粒子の先に、()()()が居る。火を放つ赤加賀知の眼光が、ひび割れた夜空から這い出してくる。腿までは人の形を保った異形が、粒子の扉に手をかけてずるりと蛇がのたうつように顔を出す。

 

「さぁ、木下祐一よ! 応えてみせろォォ!」

 

 サトゥルヌスの咆哮が忘我しそうな祐一を現実に引き戻した。眼前の光景があまりにも非現実で、空想に逃げたのか本気で疑った。

 しかし敵がいる。宿敵がいる。サトゥルヌスが居る。ならばここは間違いない現実なのだ。

 

我ら(巨神族)の意地ッ、最後の足掻きッ! 我ら(巨神族)と、我らを奉じ敗北し虐げられた人間の怒りが生み出した希臘最大最強の威容を見るが良いィ!」

 

 ───"怪物"テュポーン、招来。

 

「サトゥルヌス、お前!」

 

 星にも等しき巨神が、堕ちてくる。世界を容易く呑み込む巨体が北欧を押し潰さんと降ってくる。

 逡巡などなかった。身体が無意識に動いた。ここで動かねば、ヤマトタケルの大切断のごとき破壊が起きる。それを許せば……己が居た次元と同じく()()()()()()()

 

「──────」

 

 口訣は絶叫だった。言霊は咆哮だった。聖句は祈願だった。呪力だけではなく生命の根源(オド)すら権能に叩き込んだ。

 余力など一切考えない一点突破。現状祐一が持ちうる最大級の一撃でテュポーンへ吶喊した。

 一条の閃光がテュポーンの胴体に突き刺さり、勢いを殺しきれなかった巨神が"く"の字に折れる。

 

「お、ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおっっっ!」

 

 それでも止まらない。完全に脅威を消し去るまで祐一の進撃は止まらない。果たしてテュポーンを光の先へ突き返した。余力は少なく、だが、休む暇もない。

 遥か大地の上でサトゥルヌスが、空の戦いを見上げていた。距離はそれこそ天と地ほど離れている。それなのに──目が、合った。

 

「我が末弟を押し返したか。その一騎駆けはやはり恐ろしい……「──しかし、足が止まってしまえば木偶だ」

 

 サトゥルヌスが眼前に現れた、それも、光の粒子を伴って。祐一は悟った。テュポーンは陽動だったのだ。あの巨神を足止めだけに使ったのだ! 

 ……サトゥルヌスは端からテュポーンで決着をつけようなどと考えちゃいない! 

 

 騎乗していた狼を影に戻し、大気を足場にステップを踏んで距離をとる。

 光の粒子がサトゥルヌスに随伴しつづけ、とぐろを巻いている……アレはまずいッ、距離を置こうと跳躍し見てしまった──サトゥルヌスが銃を構えている姿を。あの銃には見覚えがある……あれはビアンキからチェリーが受け取っていた銃だ。

 何故、今あれを。

 疑問に思うより早く撃鉄が鳴り響いて、()()()()が発射され……触れた途端、意識は白に溶けた。

 

 

 

 

 ○〇●

 

 

「サトゥ……ッ!」

 

 飛び起きて走り出そとし──盛大に転けた。

 

 ドンガラガッシャーン! 頭から箪笥に突っ込んで家中に豪快な音が鳴り響いた。畳の敷かれた床に身を横たえて、打った場所を擦る。

 っ痛ぇ……ってかここ何処だ? 辺りを見渡す。

 ここは木造建築の屋内で、小さな部屋のなかにいるらしい。どうにも寝かされていたようで手元には指に引っかった毛布があった。

 

「ここって……」

 

 知らない場所、()()()()

 見覚えがあった……すぐには気付けなかっただけで。だってここは二度と帰らないと決めて、二度と敷居を跨ぐことはないと諦めていた場所。

 此処は家だった──懐かしい故郷の我が家だった。

 

「何やってんだよ兄貴。朝っぱらからうるさいぞ」

「祐、二……?」

「は? なに寝ぼけてんのさ?」

 

 引き戸を開けてひょっこりと顔を出したのは、弟の祐二だった。何故、という疑問が溢れるより先に目頭が熱くなって毛布で顔を隠した。懐かしい匂いだった。記憶に残った自分の布団の匂いだった。

 震えた。

 ふざけるな。ふざけるな。ふざけるなサトゥルヌス。

 

 なんなんだこれは。

 

 

 実家だった。母も父もいた。愛犬の桔梗もいた。

 慣れ親しんで記憶に染み付いた景色は、眼前にたしかにある光景と寸分の狂いもなくて、逆に脳が混乱してしまう。

 二階の子供部屋から下りて、一階に行くと父が家の仏壇の前でお経を唱えていた。信心深い人ではないけれど習慣だからと笑って、欠かさず念仏を唱えるのが日課だった。線香のにおいが鼻先へきて、まだ幼い時は正座する父の膝にのって念仏を唱えていたなと記憶がよみがえった。

 母は弟と朝食を食べていて、さっさと食べなさいと促されて席についた。記憶と全くおなじで混乱が酷くなった。箸を使うのは久しぶりで、少し覚束ない手つきで口に運んでいたら"お母さんの作ったご飯が気に入らないの"と母に睨まれた。

 記憶で知ってる母そのままだった。

 疑問が渦巻いて、母から今日は学校だと言われてブレザーを渡されバックを持たされると逃げるように玄関を出た。

 庭先には桔梗がいて、出掛ける時は一撫でしていくのが日課だったから、それを期待して膝に飛びかかってきた。

 毛皮の模様も、獣臭も、毛触りも、はしゃいで噛み付いてくる仕草も、全部既知のものでおかしくなりそうだった。

 学校へは徒歩で通学していた。距離が遠ければ自転車通学が許されるのだがギリギリ範囲に入ってなくて祐一は徒歩だった。

 

「おう祐一! 今日も歩きか!」

「…………。秀?」

 

 自転車に乗ってあらわれたのは親友の荒木秀信だった。

 乗っている自転車が可哀想なほど大柄で、磊落な気性を隠す気がない故郷の友人の一人。大きな手で今日も背中をばしばし叩かれた。痛みは本物で懐かしいものだった。

 

「なんじゃあ、たった一日で親友の顔も忘れたとや? 薄情なやっちゃのう」

「……すまん」

「は、とことんらしくなかの」

 

 ケツん乗れさ、と言われて腰掛けると人1人を背負ったというに抜群の安定感で漕ぎ出した。大柄でいつも制服をパンパンにしている彼の背中は大きく、でも知っていた。

 腕が太すぎてよく制服を破いてしまって、特注にしなくちゃいけないから小遣い減らされた、と落ち込んでいたのを覚えている。

 

 白南風が髪をさらう。風のささやきが世界の奥行を語った。此処は本当にサトゥルヌスの作り出した空間なのだろうか……疑念が渦巻いて呼吸を潰すような唸り声を出していた。

 友人の顔が、いや、故郷の顔ぶれが記憶のそれと同じどころかそれ以上の彩度と精度をもって祐一を一撃しつづけた。

 心のやわらかい部分を引き裂きながらも、痛みの後にはしる快感が、どうにも脳裏に焼き付いて、求めてしまって避けがたかった。

 

「お、おいおい。祐一、靴のまま校舎に入るやつがあるか」 

「え?」

 

 ああ。そういえばそんな習慣もあったな、と思った。思考の海から浮き上がったらもう下駄箱にいて、リノリウムの床を土足で歩いていた。

 ずっと海外生活……と言っていいのか分からないが日本から離れていて忘れていたな、と笑って。

 

 ショックを受けた。

 

 変わってしまった。忘れたくないと思っていたのに、気づかないうちに。顔面から熱が失われていくのを感じて蒼白になっているのだろうか、とぼんやり思った。

 

「お前今日おかしかぞ、帰って休んだらどうや?」

「…………。そうだな、そうさせてもうらうよ」

 

 先生に……言っといてくれ。そう言い残して足早に校舎を抜けた。秀の視線を背に受けたまま。

 近所の顔見知りが挨拶してくる。忘れ物したのかと巡査が声をかけて。原付に乗った秀のおやじさんが手を振ってきた。

 全てを無視した。避けるように進んで家から遠ざかって、自分と幼馴染みたちしか知らない通り道を走って、町の喧騒から逃げた。家には戻らなかった。山を登った。

 

「なんなんだよこれぇ……ッ」

 

 お気に入りの山のてっぺんで故郷を見下ろすと、耐えきれずに崩れ落ちた。

 

「なんだってこんなに懐かしいンだよ此処は……! 匂いも風景もみんなの顔も、全部一緒なんだ……糞がッ巫山戯んなよッ!」

 

 梅の木に縋りつく。手触りも忘れかけていた枝の形も葉の色も鮮明になって目の前にあった。

 

「此処は故郷じゃないんだよな、頼む戻してくれ、戦場に! 頭が……頭がおかしくなりそうだッ!」

 

 くずおれたまま項垂れて叫んだ。これは精神攻撃なのか、だったらもう十分だ、やめてくれ。

 仕向けた下手人であるサトゥルヌスにすら懇願し、どれだけ時間が経っても、救いの手は現れなかった。

 

 

 時を置いて、家に戻ると桔梗が飛びついてきた。わんわん、と聞き慣れた鳴き声で祐一を呼んで、仕方なしに傍によって撫でてやる。

 

「もう帰らないって決めたのにな」

 

 呟きに構わず桔梗はなんでか撫でていた右腕に噛み付いてきて、右腕に佩いた叢雲がいたらどう反応したのだろうと笑った。

 ここは故郷そのものだった。違和感を感じ取れない郷愁を慰めてくれる素敵な場所だった。

 それが虚飾と汚穢に満ちた世界でも。祐一は現状を受け入れた。家出する気になれなかった。

 受け止めた想いと力を腹に溜め込んだ。

 

 

 

「喧嘩しよう」

 

 秀信に空き地に呼び出され姿を現すと、彼は腕を組んで言い放った。

 

「なんで」

 

 だ、と困惑気味に問いかけようとしたら最後まで口にする事なく秀信の拳が頬に突き刺さって吹っ飛んだ。秀信の吼笑が轟いて、祐一は頬を抑えながら立ち上がった。よくも、と。

 

「おいどんの喧嘩にそがんたいそうな理由が必要かぃ!?」

 

 すると秀信の叫びが突き刺さった。

 でも荒木秀信という友は人間という範疇から逸脱した、例えれば時代を間違えて生まれた傑物だった。でもだから、木下祐一という存在と友誼を結べた。しかし人間でしかなく……そうか、と唐突に悟った。自分はいま神殺しの身体じゃない。なら、コイツとガチの喧嘩ができるじゃねぇか! 

 

「いらねぇなぁ! やろうぜ!」

 

 祐一は深く考えるのを止めた。そうだった、ウジウジ考えているのだって"似合わない"とパルヴェーズにも言われたじゃないか。

 秀信は両拳を構えて、殴りかかった。空手で言う山突きという二撃必中の拳だ。

 顔面への一撃は首を振って、腹に向かった拳は手のひらで受け止めた。防御は反撃。拳に打ち込まれた力の流れを、そのまま貫手として秀信に返す。白刃取りで止められ、馬鹿げた膂力で投げ飛ばされた。

 2.3メートルほど飛ばされて流石、と笑っていると眼下で不穏な動きをする秀信を捉えた。こうか? と呟いて息を吸いながら地面を蹴りあげた。

 内息で力を溜め、地面を蹴った反動を力と変える。それは『気』の基礎中の基礎で。

 秀のやつ、俺でも一週間はかかった『気』の使い方を見様見真似の一発で! 

 

「やっぱお前バケモンだよ!」

 

 巨体が数メートルも跳躍して迫る姿は素直に恐ろしい。それでも臆さない。『鋼』と鎬を削った祐一には見慣れた光景でもあった。

 祐一は愉快げに笑いながら鉄槌さながらの蹴りを掴んで、体を捻って地面に叩きつける。

 

「おいがバケモンなら、おいを投げ飛ばして笑うお前はなんや!」

 

 と秀信は全く気にした様子もなくすっくと立ち上がって呵呵大笑した。

 友の明け透けな大笑いを聞いて、耐えきれず笑みを吹き出す。なんだか吹っ切れた気がした。家出する前の、まだ無邪気で純粋だった頃の自分に戻れた気がした。

 

「なぁ秀! 最強の守りってなんだと思う!」

「後ろ向きじゃのぉ! 攻撃こそ最大の防御」

「はは! お前らしいや!」

 

 拳戟と打撃音がそこかしこに響いて、祐一は友の想いと記憶を腹に溜め込んだ。

 

 

 お気に入りの山にまた呼び出された。今度は別の友人で正木隆と言った。秀信といい勝負のガタイの良さで、彼もまた時代を間違えて生まれた少年だった。

 胡座をかいて、町を見下ろす。口数は少ないが彼がなにか話したい時、上機嫌な時はこうして語らうのが常だった。

 

「ふ、ボコボコにやられたらしいな」

「俺だってやり返しました〜! ぷっぷくぷ〜!」

「そうか。だがこれは染みるな。失敗だったか」

 

 そう言って懐からおもむろに出した代物を、二人の間に置いた。人を殴り殺せそうな品のある一升瓶だった。

 

「吟醸じゃん! って、どうやって買ったんだよ?」

「少し足を伸ばしてな。地元でもなければ子供には思われん」

 

 確かに190cm越えの巨漢を14歳だと思う人間はいない。

 

「金は?」

 

 ふっと笑って誤魔化した。祐一もニヤっと笑って隆の持ったお猪口に注いでやる。町を眺めながら、少しだけ世間話をして、記憶に差異や誤差もなくて……此処が居心地良くてたまらない。自分が戦士であった過去すら忘れそうになる。

 

「なぁ……最強の守りってなんだと思う?」

「守りか」

「ああ」

「どんな目に会おうが……最後まで立っていることだな」

「そっか」

 

 一息に呑み込んだ隆からお猪口を渡されて、受け取ったら注いでくれた。祐一も一気に呷って、喉を焼く酒精は傷口に染みた。

 

「それじゃあやるか」

「は?」

「まあなんだ。俺はお前や秀ほど勝ち方に拘らない」

 

 唐突な言葉に言葉を失っていると、隆が口角を釣り上げる不器用な笑みを浮かべた。獣じみた笑みだった。

 

「だからなかなか勝ちを拾えん好敵手が弱っているのなら、叩く」

「こ、こんにゃろ……」

 

 あとはいつも通りだった。

 祐一は友の強かさを腹に溜め込んだ。

 

 

 

「あはは。酷い顔だ」

「う、る、さ、い」

 

 今日は田中秋文に連れられ大型ショッピングモールを引きづり回された。

 

「はいこれ持って」

「怪我人だぞテメー」

「僕は殴らないから許してよ。

 それにさ、祐一くんも秀信くんも隆くんも勇気くんも、みんな頑固なくらい服一着しかお洒落しないじゃない。制服かジャージがあったら死んでも着てそうなくらい無頓着なのどうかと思うよ」

「そ、そ、そんなことはないぞ?」

 

 目、泳いでるよと秋文は笑って商品を眺めはじめた。彼は祐一の旅を知らないはずなのに、的確に痛いところを突いてくる。勧の目、と言うやつだろうか。

 穏やかで平凡な風だが侮れない。そんな少年だった。

 小一時間してベンチにぐったりと腰掛けた。人の買い物に付き合うことほど疲れることない。

 服なんてちんちん隠せれば襤褸切れや腰蓑だけでもいいと思っているナチュラルボーン蛮族な祐一にとって苦痛でしかないのだ。

 

「お疲れ様」

「もう付き合わせんなよ」

 

 肩を揺らして秋文はにっこり笑った。こいつ……と苦笑いして。

 

「変な質問するんだけど。秋はさ、倒せない敵が出てきたらどうする」

「本当に変な質問だね」

「そう言ったろ」

「そうだけどさ。……うーん、倒せないなら戦わない。話し合えばいいんじゃないかな?」

「話し合いかぁ……めんどくさいな。殴った方が早そうだ」

「その蛮族思考ホントにどうかした方がいいよ?」

 

 馬鹿とは言わない友人の優しさに苦笑いしつつ、祐一は友の優しさを腹に溜め込んだ。

 

 

 

「この青い電線が低圧線っていって100/200Vの電気が流れててー、上の黒い線が6600Vくらいあるから気を付けてね」

「それは分かったが……俺は一体何をさせられているんだ?」

 

 祐一は友人のひとり森勇気とともに、電柱を登っていた。どこから調達したのかヘルメットを被ってひょいひょいと猿みたいに登っていく。

 どうせろくでもない事なんだろう、と半眼でついて行きながら天辺に到着した。

 

「で、何しに来たんだ」

「ここからだと見えるんだよ!」

「なにが」

「女湯!」

 

 パコん! 一も二もなくぶん殴った。

 ほら見ろこれだ、野放しにしてたらろくな事をしないが、監視しててもろくな事をしない。

 サムズアップして白い歯を見せる友人をここから突き落とせと心が叫んだ。

 

「はぁ……もういいよ。なあ、勇気はさ、全部知ってる敵と戦わなくちゃならなくなったら……どうする?」

「相手より早く殴ればいいじゃん」

「ダメダメ。全部攻撃は見透かされて防がれちまうんだ」

「それかー、だったら……」

 

 うんうんと考えいる勇気を眺めながら答えを待っていると、地面の方から大声が叩きつけられた。

 ヘルメット返さんかい悪ガキども! という言葉に友人を振り向けば、姿はなかった。

 

「あ、てめ!」

「わはは!」

 

 どんなバランス感覚と身軽さがあれば可能なのか、電柱の1番上から伸びる電線……架空地線をタイトロープに見立てて隣の電柱に走っていた。

 祐一が自分も、と立ち上がろうとすると勇気の眼光に怪しい光が点った。

 

「させない! ──必殺ッ"1万キロカロリー・血糖値スパイク"ッ!!!」

「ブハッ!!」

 

 どこから取り出したのかシュークリームを手にした彼は、素晴らしいアンダースローで投げつけ、見事祐一の口の中に叩き込んだ。

 

「さっきの答え! 僕なら相手の手の届かない場所まで逃げるよ、今みたいにね!」

「そーはよ!!!」

 

 シュークリームの甘みを味わいつつ、下の方で叫んでいる現場作業員のおっちゃんをどう宥めるか頭を痛め、祐一は友の奔放さを腹に溜め込んだ。

 

 

 何日も経って、心に巣食うのは敵の倒し方だけだった。どこまでいっても神殺しなのだと、そう悟らずにはいられない自分の惨状に苦笑いを零した。

 

「ありがとう……ここが何処だがわかんねえけど答えは見つけたよ。行ってくる」

 

 俺は前に進む。死地でもなんでも前へ。

 腹に貯めた力を解き放つ。激烈な力の奔流が祐一の瞳に集中収束し、こめかみから目にかけて血管が浮かぶ。目は対象を詳らかに観測する器官だから、まがい物の真実は"見"にて破られる。

 

 破邪の瞳がサトゥルヌスの神力を断ち切った。

 

 

 ○〇●

 

 

 夢。夢を見ている。

 なだらかな荒野に自分だけがいて、さくさくと小気味良い音を鳴らして歩を進めていた。地面にはまばらに淡雪が降り積もり、渺々とした大地を踏みしめ進んでいる。

 太陽は姿を見せず、辺りは少し薄暗い。

 ふと、彼が足を止めた。目の前にはいつの間にか断崖が聳えたっていて先へ進むには登るしかない。

 顔をあげる。影がさした顔が顕になり真紅の瞳が覗く。苦癖っ毛の黒髪には白髪が交じり、学生が着るようなブレザーには少し不釣り合いだった。

 右手には忽然と現れた刀を手にし、彼は──敵の前に立った。

 

 断崖の上には人影があった。ひとつではない。両の指ではおさまらない数の人影。

 雲に隠れていた太陽が顔を覗かせる。光が未知を切り払う。人影を知っていた。人ではなかった。神だった。

 ヤマトタケル。

 ニニアン。

 布袋。

 ロスタム。

 見覚えのある神々だけでも半分には至らず、まつろわぬ神群に祐一はたった"独り"で対峙していた。

 夢。これは夢だ。

 けれど決して幻想などではなく、いつか起こりうる未来の映像なのだ。

 

「お前たちとの戦いはまだ()()()

 

 祐一は彼らに向けて言い放った。

 

「先約があるんでな……帰らせてもらうぜ。でもいつかお前らは倒す。だって俺は──"神殺し"なんだから」

 

 そうだ、己はどこまで行っても"神殺し"。在るべき場所へ、弑する神のいる場所こそ自分の居場所。神々と逆縁を結ぶからこそ戦場は棲処であった。

 神殺しの『獣』は不敵な笑みとともに首へ黒い剣を添えて自刎した。

 

 

 ○〇●

 

 

 視界はあるべき場所へ戻っていた。戻ったのだ、戦場へ。目の前にはサトゥルヌスが傲岸に立ち、ふらつく祐一を睥睨していた。

 

「……甘い夢、ってやつか……」

 

 昔、イランの荒野で似たような夢を見た記憶があった。あの時は、父と母と弟がいて……今度は故郷だけじゃなく出逢った人達まで。

 いい加減、自分の女々しさに頬が焼かれそうになる。

 

「でも……。感謝するよサトゥルヌス……少しだけ昔を思い出せた」

 

 祐一の言葉にサトゥルヌスは視線を向けるだけで、すぐさま襤褸を翻して貫手を構えた。

 

「……よく、戻ったと賞賛すべきか」

 

 湧き出る宿敵の殺意に懐かしさすら覚え、叢雲を大上段に振りあげ──悟った。腕が、鈍ってやがる!? 

 

「夢だと思ったか。しかし実際にその身体を、実在する"未来"へ送り込んだ……神殺しとしてではなく、人の子としてな」

 

 あの日々はそのまま現実だったってことか! あの時間……およそ数日の間、カンピオーネでなくなってた。つまりカンピオーネであるあらゆる恩恵が寸断されていた事を意味する。

 カンピオーネに新生すると身体だけでなく神経や思考すらも変容する。常に戦いに備え、休息時や眠っている間でも戦いが思考の片隅にあるのだ。それが一時、人の身体となった。つまり。

 常在戦場が崩れ……──っ! 

 

「必殺の一撃を揮うは──()()

 

 サトゥルヌスは必勝の策は成った。

 膨大な神力の開放。光の粒子が周囲に煌めき、その先には人影がいくつも立っていた。人ではない。眷属でもない。神殺しの肉体が反応している。あれら総てが──紛うことなき神。

 

──テーテュース

──オーケアノス。

──コイオス。

──クレイオス。

──ヒュペリーオーン。

──イーアペトス。

──テイアー。

──レアー。

──テミス。

──ムネーモシュネー。

──ポイベー。

 

 そして──巨神(クロノス)であるサトゥルヌス。

 

 

 ティタノマキアを引き起こしゼウス率いるオリンポスに喧嘩を打った十二の神々による絶大な猛威が無防備な祐一を襲った。

 

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