王書   作:につけ丸

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009:砂礫の波

 今日も今日とて旅は続き、町を出てから5日ほど。あれほど険しかった地形も少しずつ移り変わって行き、町を出た時の様なたおやかな丘隆地帯が続く土地へと二人は歩を進めていた。

 辺りにはゴツゴツとした砂礫に溢れ返り、そこを縫うように細々と背の低い草が生えている。不毛な土地……イランの地ではダシュトとも呼ばれる風景だ。

 イランの土地は、不毛な場所が多い。

 不毛な土地と言えば沙漠が真っ先にイメージに浮かぶだろうか。イランもまた沙漠を多く抱えた国である。

 イランの沙漠は多くの人がイメージするような、風紋が浮き上がる砂が主体の砂漠ではなく、ゴロゴロとした大きな岩が散見できる岩石沙漠や、土や粘土で覆われた土漠が主だ。

 

 まあ、何が言いたいかというと、人が住むには厳しい土地だと言う事だ。

 そんな土地でも、やっぱりどこかに人は居るもので、祐一達は、何度か遊牧民、或いは少数民族と呼ばれる人々と邂逅しては、友誼を結ぶ事に成功していた。

 まあ、大体パルヴェーズのお陰だけどな──全世界の言語、全てを扱えるんじゃないか? そんな疑問が湧くほど、パルヴェーズは流暢に言葉を操るのだ。

 言葉が通じるという事は異境の地であるならば、これほど心強い物はない。相手に意思疎通が出来ると言う安心感を与えられる。それに決して話の通じないバルバロイでは無いと胸を張れるのだ。

 まあ祐一もまた、頼りっぱなしは嫌だ、とボディランゲージで華麗に舞い、彼らの笑いを誘っていたが……。

 

 バローチ族、アフシャール族、カシュガイ族……数日の旅先で、出会った人々だ。

 どの民族も、思い思いの衣装を纏い、極端に水の少ない地域でも、逞しく生活していた。

 パルヴェーズはそんな光景に、感慨深そうに、ともすれば慈しむ様な目を向けている事が多い。そんな彼に話し掛けるのが躊躇われて、彼の胸中は分からないままだった。

 だが、祐一にはちょっと気になる事があった。

 それは、ここ最近出来た、ほんの少しの違和感。

 この5日の旅の間、彼らが進んだ道はなかなか馬鹿に出来ない距離だ。全て徒歩とは言え、身体能力が高い次元にある少年達だからこそ成し得たこと。

 

 その進んだ道の途中でも、名も知らない小さな町や”ミナーブ”と言う大きな街、多くの人々が営む場所はあったのだが相方のパルヴェーズが街へ向かう事に難色を示すのだ。

 結局、ミナーブに近づこうとも、ミナーブ郊外にある城塞跡から、遠目に街を眺めるだけであった。

 それとなく、パルヴェーズに聞いた事もあったが、「大地を思いの儘に石くれで覆い、空を汚す醜いからくり。奢侈に溺れる人間……。あまり近付きたい場所ではないのう……」そういうパルヴェーズだったが、それだけでもない気がした。

 結局、パルヴェーズの真意は分からず仕舞いだった。

 

 そのお蔭で、祐一はここ数日『文明』と言うものに全く触れられていなかった。

 

「うー……、人工物、人工物……」

「またか小僧……」

 

 言語に精通するパルヴェーズが理解出来ない呟きを、焦点の合っていない目で呻く祐一。それを若干辟易した様子で見るパルヴェーズ。

 どうやらここ数日、何度も見受けられる光景らしい。

 幽鬼の様な表情で、キョロキョロ辺りを見渡す祐一。

 だが果てしなく茶色の沙漠が続くばかりで、文明の残り香すら無い土地。人工物など望むべくもなかった。

 

「街が見えた!」

 

 蜃気楼です。こんなやり取りが何度も繰り返されているのだ。

 パルヴェーズが呆れるのも当然である。

 と言うか祐一は、かなーり限界に来ていたとも言えた。

 歩けども歩けども、見えるのは砂ばかり。そんな状態なので当然だが、風呂にも入れず、寝るにも苦労する夜。

 

 ───そして極めつけはパルヴェーズだ。

 この水も滴る、蠱惑的とも言える少年に、祐一は毎夜毎夜、精神をゴリゴリ削られていた。憔悴する祐一。

 そして、パルヴェーズ本人に自覚は──ない。

 

 以前の過ちを繰り返すにはいかない……! 

 ホモじゃない、ホモじゃない……。おっぱい無いから、だいじょーぶ。ここ最近、そう自分に言い聞かせてる姿が散見できた。

 

 そんなこんなで家出する時より精神を病んでいるようにも見える祐一。

 せめて何かで気を紛らわそうと試行錯誤している内に、方向性を見失い、何故か人工物欠乏症を患う事になったと言う次第である。

 まあ、最初は良かったのだ。

 鍛錬と勝負事で、ストレス発散が出来ていたのだから……。

 

 しかし、パルヴェーズが自負する様に、勝利の具現者のような彼に負けが続き、ついにはあの『ハルウララ』に連敗記録が並んだ所で祐一は挑むのを控え始めた。

 祐一自身としてはまだ挑むのをやめてはいないつもりだが、欠片も勝ち目がない勝負はちょっと勘弁して欲しかった。

 

「うっ……!こ、これはワシの記憶か……?」

 

そう呻き、祐一のここ最近の記憶が甦る。

 

 

 ○◎●

 

 

「おぬしの拳は、素直過ぎる。虚を突くのじゃ!」

 

 そう宣ったパルヴェーズの鋭い拳が放たれた。

 マズ……ッ! 死神の鎌を連想させるほど鋭い拳に、バックステップで避ける事も出来ず、気付けば手で防いでいた。

 瞬間、快音が響きわたり手がはじけ飛んだかとほどの衝撃が襲った! 

 痛っッてェー!? 思わず叫ぶ。しかしその攻撃自体がブラフだった。

 防いだ手に意識が奪われ気付かなかったが、腹部に拳が当てられていた。思わず口元が引くついた。本命は腹部への一撃……という訳ではない。顔面と腹部を狙った二撃必殺だったのだ

 その後には打ちひしがれ膝を付く祐一と、勝ち誇るパルヴェーズの姿があった。

 

「その身体は木偶か? 木偶でなければ、一捻りに投げ飛ばされる筈がない!」

 

 クソったれェ! 手をクロスし、守りを固めていた祐一。なんとかパルヴェーズの殴打を凌いだはいいが、今度は守りを抜けてきたパルヴェーズの貫手が脇腹をしたたかに突いた。

 堪らず守りを解き、破れかぶれの一撃を見舞う。

 だが、その判断は完全に誤っていた。

 予定調和のごとく見切ったパルヴェーズが、祐一の手を取り、たった二本の指で投げ飛ばして見せたのだ。

 

 ○◎●

 

 ぐ、ガガガガガ……! 数々のブロークンでハートな思い出が心の中に溢れ、気を抜けば白目剥いて地面に膝をついていた。

 時を待つんだ……! 完全に負け犬の遠吠えである。

 気を取り直し、前方を見ればなにかキラリと光るものがあった。

 

「何か見えた!」

「はぁ……また……、ふむ? 今度は本物のようじゃのう?」

 

 今なんか輝く物が見えた! と言って駆け出す祐一。

 パルヴェーズはその千里眼とも言える眼で、祐一の妄言が間違いないと、少し驚きつつ確認する。あんな会話に何度も付き合わされたのだ、当然である。

 果たして祐一の見つけた物(?)は、人工物で間違いは無かった。

 

「おおおお!!!!! ……なにこれ?」

 

 それは、ピラミッドの様な形をした建物だった。

 高さは5、6m程度だろうか。石で出来た白い建物で、四方に人が入れそうなほどの穴が開いている。

 よく見ると、この建物一つだけではなく並ぶようにして同じ建物が一直線にどこまでも並んでいるのが見えた。

 後に聞いた話だが、この建物は連結貯水槽(アーバンバール)と言って、カナートから街に運ばれた水を溜めたり、前述の四方から開いた口から、地表を流れる雨水を貯水槽に溜めるらしい。

 イラン各地で見られる、水が少ない地方の知恵である。と言っても、昨今の近代化により、この様な昔ながらの施設はどんどんと使われ無くなって居るが……。

 

 そんな事を知る由もない祐一は、好奇心に任せて、貯水槽の周りや中身を探索し始めた。

 

「おおっ! パルヴェーズ! 中、めっちゃ涼しいぞ! それに、奥に水もある!」

「ふむ。なるほどのう、力無き只人共が、少しでも水の女神の恩寵を受け取る為の知恵と言う訳か。ふふ、小賢しくはあれど、生きる為の糧を獲ようとする行為は好ましいのう」

「パルヴェーズ! 俺ちょっと、水浴びと洗濯してくるな!」

「やめんか、小僧」

「ぐぇ!」

 

 阿呆な相棒のあんまりな行動に、流石のパルヴェーズも待ったを掛ける。飲料水と言う訳では無いのだから、あまり問題は無い様に思えるが、生活用水には変わり無い。

 この汚れ塗れの相棒を好きにさせるのは如何なものか……? そんな思考の元、パルヴェーズは祐一の首元を引っ掴み止めたのだ。

 

「水ー! 水ー!」

 

 ゴネる祐一。彼もまた何日も風呂に入れず、ブレザーも洗えず仕舞い。綺麗好きで無くとも、嫌気が差すのは当然である。

 対象的にパルヴェーズは、泰然自若としており、彼の身体には汚れが付かない法則でもあるかのように、綺麗なまま。

 めちゃくちゃ理不尽じゃないか! と嘆く。

 彼らの主張は平行線のまま続き、そしてパルヴェーズが、

 

「仕方無い奴じゃ。ならば今度川か泉があれば、そこで共に汗を流すとしよう」

「…………やめろぉ!」

「どうしたいんじゃ、おぬし?」

 

 今日、何度目かの呆れを見せるパルヴェーズ。

 一瞬心揺れた祐一は、御歳14歳。思春期真っ盛りの、純情少年だった。

 

 ○◎●

 

 そんな調子で、旅を続ける二人。

 貯水槽がある場所を皮切りに、いつの間にか大地には草木が生え始め、視界に入る景色にも緑に覆われた箇所が目に付き始めた。

 もう近くには大きな港街があるらしい。名を”バンダレ・アッバース”。

 

 ふーん……海が近いのか。

 船が突風により吹き飛び、海に漂流した事を思い出す。あれからもう一週間も経ったのか。

 水の気配を欠片も感じない、海は海でも砂礫の海にいた祐一は、どこか感慨深そうに地平線を見据えた。

 ……それにしても、暑い。感慨に耽る余裕も無く思う。

 思考回路が焼き切れそうな暑さだ。

 まるで砂利を敷き詰めて、炎で熱したフライパンの上をただひたすらに、歩き続けている感覚。

 湿度も尋常じゃない。

 止めどなく出る汗と相まって、サウナの中にいる気分になる。それも、サウナストーブの石に、自分の汗を振り掛けている様なオマケ付き。

 

 空を見上げ、キッと睨む。おのれぇ……彼奴(太陽)が、憎い……! 

 正直、今すぐにでもシベリアか南極辺りに逃げたいのが本心の祐一。だが……。

 ちらり。隣の相棒を見る。

 件のパルヴェーズはいつも道理の涼しい顔だ。むしろ太陽の光を浴びて、どこか溌剌さすら感じる。

 この少年はこれほどの猛暑の中にあっても光り輝いてる。

 ク、クソ……ま、負けんぞ……! 流石に、これ以上負け越す訳にはいかない! 

『ハルウララ』すら越えた連敗記録保持者、木下祐一は心に誓う。そして勝手に勝負を始める祐一の姿があった。

 

 まあ祐一を、弁護する訳ではないが、いつも惨敗と言う訳では無いのだ。

 鍛錬を初めて数日と言う所だが、心眼をある程度任意で使えるようになっていたし、これまでの旅で飛躍的に忍耐力や体力も付き始めている。

 また、パルヴェーズから教えて貰った内功も、使いこなし始めた彼は、確実に成長していた。

 パルヴェーズに見事な戦士の相を持っていると、賛辞されるほど優秀な戦士なのだ。

 実際、あのパルヴェーズにも肉薄する事は多々あった。

 でも、何か足りないんだよなぁ……。これは最近の祐一の悩みでもあった。

 惨敗はしないが、勝ちが無い。あと少しなのだ。あとちょっと、何かを掴めればパルヴェーズの鼻を赤し、己の名を刻める。

 そう思えど、届かない。

 その少し……が、酷く遠く感じる。頭をどれだけ捻っても答えは出ないままであった。

 

 よし、気分転換しよう。煮詰まった祐一は、隣を歩く相棒に話し掛けてみた。彼は三秒以上脳を酷使すると死期が早まると名高いアホだった。

 

「なあなあ、パルヴェーズ。何でここら辺って、こんなに暑いんだろうな?」

「ふふ、なんじゃ、小僧? 流石のおぬしも、この暑さに参り始めたか?」

「ちがわい! ……えと、あのピラミッド辺りから、めちゃくちゃ暑くなったじゃないか。だから何か理由があるのかなぁって思ってさ。暇つぶしだよ、暇つぶし」

「ふふ。まあ、そういう事にしておこうかの。ふむ、暑さの理由か。それならば大体検討はついておる。あそこを見よ、小僧」

 

 パルヴェーズは、遥か前方を指差し、祐一を促した。

 しかし、彼が指差す方向には、いつの通りの丘が並んでいる光景しか見えなかった。

 おかしい所が見受けられず、小首を傾げる祐一。

 

「うーん。何も見えないぞ?」

「ふむ? 小僧には、あの山脈が見えぬのか?」

「山脈?」

 

 目を凝らすが、祐一の目には、そんな山など欠片も見えなかった。

 ふと、気になって、懐から地図を取り出す。

 前に立ち寄った町で、あの親切な叔父さんに貰った、イラン全土を簡単に示した地図だ。

 この二人旅は現在地不明なのが、パルヴェーズのおかげで常態化している。

 そのため、地図なんて使う機会が無かったのだ。意味が無いので。

 

 遊牧民の若者から聞いた、近くにあると言うバンダレ・アッバースを現在地と考えてから、パルヴェーズの指差す方向を辿る。おそらく、北西の方角。そこを、指で辿っていく……。

 ……あれ近くに大山脈なんて文字はないぞ? 。

 それから指で辿っていき……シラーズ、イスファハーン……そしてイラン国境付近に……ザグロス山脈。数百㎞先にそう描いてあった。

 

「見えるかっ!!!」流石の祐一も吠えた。

 ははは、とパルヴェーズが愉快そうに笑う。それを半眼で睨み付ける祐一。

 ひとしきり笑うとパルヴェーズは、それはおぬしの勘違いじゃ、とまだ笑みを残しながら切り出した。

 ホントか? そんな言葉を顔に貼り付ける問い返す。

 

「うむ。山脈と言っても、その様に遙か彼方の山を指している訳では無い。我が言う山脈は、このペルシアの果てから、このホルモズガーンまで伸びる大山脈、全ての事じゃ。まあ、権能を使えば、おぬしの辿った土地も、見えぬ事も無いがの」

「ええ……。見えんのかよ……。てか、どっちにしろ、俺には見えないって」

 

 祐一は、パルヴェーズの自己申告に、ちょっと引き気味で零した。

 相変わらず人間離れしてんなぁ。自分の事は、棚に上げそんな事を思う祐一。

 

「で、その大山脈がどうかしたのか?」

「うむ。どうやら、その大山脈が、北部の湖と、西部の海から吹く、水気を含んだ風の恩寵を遮っているようじゃ。故に、ここは生きるに厳しく、試練多き土地となっておるのじゃ」

「ほーん、なるほどなぁ。よく判るよな、そんな事。俺なんか、暑いってしか思わなかったぞ。やっぱ、パルヴェーズって頭良いんだな」

「なに。視野を広く持ち、順序立てて考えて行けば、自ずと答えは導き出される。森羅万象を知りさえすれば、知恵を捻らずとも良い事じゃ」

「それが、頭良いって事じゃないの? 俺だったら、すぐこんがらがって、訳分かんなくなるし。わはは」

 

 いつの間にか、暑さを忘れ、そんな遣り取りをしながら進む二人。そうして、進んでいると、パルヴェーズが突然、耳をそばだて始めた。

 

「うん……? すまぬが、小僧。今、微かに傷付き、助けを求める声が聞こえた。我は先に行く! 後から追いついて来るのじゃぞ!」

「あっ、ちょっと待てって! ……たくっ、落ち着きが無いの、お前も一緒じゃないか!」

 

 祐一の静止の声も聞かず、パルヴェーズは風の如く走り去る。それを祐一は呆れ気味に見て、自分も直ぐに駆け出した。

 

 予兆は、なかった。

 

「はぁっ……はぁっ……。クソっ! 全然追い付けない……。どんな身体してんだよ、あいつ!」

 

 パルヴェーズを追い掛けて全力疾走する祐一。いつもなら、直ぐに声の場所に着くか、少しずつ近付けるのだが、今回は声の場所が遠いのか、風のように速いパルヴェーズに、毛ほども追い付けず、見失い掛けていた。

 

 異界の法則に長じる魔術師や、地質学の碩学泰斗であれば、あるいは気付けたかもしれない。

 

「い、の、ち、を燃やせええええええ!!!」

 

 負けん気、根性、気合、を燃料に、悲鳴をあげ始めた身体を叱咤し動かす。

 例え、どんな勝負でも全力で挑むのが、祐一と言う少年だ。それが、自分で勝手に始めた勝負だとしても。

『獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす』のだ。まあ、相手は兎どころか、マンモス級だろうが……。

 

 周辺の異常なほどの神力の高まりに、尋常ではないの地殻の動きに。

 

 全力疾走する祐一だが、ここは沙漠。

 ゴロゴロと、石や岩が剥き出しの土地である。

 如何に悪路を走り慣れた祐一出会っても、

 

「のわあああああ!!!」

 

 ガラガラガラガラ……。こんな感じで足をとられ、転ぶのが必定であった。

 

 大地に根を張る草木、地を這う虫、広大な大地、青い空。その全てが異変を感じ取り、動ける者は少しでも遠くへ逃げ、動けない者はただのひたすらに身体を震えさせていた。

 ……気付かなかったのは人間だけであった。

 

 精魂尽き果てた、と言う体で寝転び、空を見上げる祐一。もうパルヴェーズの姿は影すら見えない。

 遠いなぁ……。これまで祐一は何度もパルヴェーズに勝負を挑んでいた。

 しかしまるで霞の様に勝利は掴めず、見えていた筈の彼の背中は、気付けばまた見えないくらいに、遠ざかるばかりだった。

 勝ちたい。そう思えども結果が付いて来ない。

 

 だが、一人だけ気付いた人間が居た。類稀な運と鋭い洞察力を持った少年、木下祐一だった。

 

 寝っ転がったまま、空に手を伸ばし、拳を握る。瞑目する。そうしてとある感情が、去来した。

 諦めようかな。そう思った瞬間、パルヴェーズの寂しげな表情が浮かぶ。

 

「ははは」

 

 ふざけんな。

 俺はあいつに勝つまで絶対諦めない。諦めたらそこで俺はゴミにも劣る、負け犬になっちまう。

 それは、絶対にお断りだ。

 

 ───突然の出来事だった。

 

「なんだ!?」

 

 違和感で祐一は、跳ね起きる。恐ろしい感覚がした。全身の穴と言う穴に槍を付き入れられる感覚。

 足が竦み、全身に悪寒が駆け抜ける。

 祐一はこの感覚に、何度か覚えがあった。

 

(───何度か?)

 

 唐突に浮かんだ疑問。しかし考える間も無く、異常が祐一を襲った! 

 

 ゴゴゴゴゴ……!!! 

 

 大地が、鳴動する。

 振動と共に、祐一の身体が揺さぶられ、ゴム鞠の様に身体が弾む。立っていられず、思わず四つん這いになって止むのを待つ。

 だがそんな悠長な事を、異常事態は許してくれなかった。

 次いで振動とは違う、激しい衝撃が襲った! 

 まるで巨大隕石が止めどなく、大地に衝突するかの様な凄まじさ! 

 辺りを見渡す。隕石が衝突した訳でも、何処かで噴火が起きている訳でもない。だが地震大国出身の祐一ですら、これほどの揺れを体感した事は無かった。

 

 ふと今度は視界の遙か先に、なにか見えた気がした。

 サッと振り向き、その『なにか』を確認する。

 

 ───その正体は”津波”であった。

 

「ウッソだろッ!?」

 

 はるか遠くでもわかる、見上げる程の波高を持つ巨大な津波だ。見渡す限りの地平線を埋め尽くしながら迫る、圧倒的な異常現象だった! 

 

 祐一の心は、絶望寸前だった。明確に死を覚悟するほどに。

 

 それほどこの津波は異常だったのだ。何せこの津波、海から出来たものではない。

 ───大地が捲り上がって出来ているのだから!

 

 ッゴォォオオオオオオッ!!! 

 砂礫の大津波が、祐一を飲み込もうと迫り来る! 

 

「こんなのってありなのかよッ!?」

 

 あり得ない光景にクレームを叩きつけるように吐き捨てる。祐一には目の前の津波が、現実だと認識出来なかった。

 だがどれだけ目を凝らしても消えはしない。それどころか刻一刻と迫り、否が応でもにも、現実だと突き付けられる。

 祐一にはあの津波が、死神の鎌に見えて仕方が無かった。死神の鎌は、己だけでは無くあらゆるモノを鏖殺して歩を進める。

 野生の名も知らない獣や鳥たちが巻き込まれ、鮮血を撒き散らし、引き裂かれるのが克明に見えた……。

 まるで未来のお前だと言わんばかりに! 

 

(どうするどうするどうするどうする───!??)

 

 思考が、から回る。いつの間にか答えの出ない袋小路に陥っていた。

 辺りを見渡すが何もない荒野が広がるばかりで、影に成りそうな岩すら……見つからない。

 クッソ! くるなクルナ来るな……! 

 どれだけ拒もうとも、時間は進む。しがみつき時間が止まるならどれほど幸福だろう? 忙しなく辺りを見渡し、滲む視界の中で思う。

 刻一刻と、津波が迫る。

 

(……死ぬのか?)

 

 やめろやめろ……! どれだけ乞い願おうともするりと手の平から時間は抜け落ちていく。流れ出る水を篩で掬おうとするようで……時は祐一の手をすり抜けて流れていく。

 刻一刻と、津波が、迫る。

 

(なにか……なにか、ないのか……!)

 

 ほんの少しでも良い。何か活路は無いのか……! 

 辺りを、必死で、見渡す。

 しかし、ただ……視線が滑って行くだけ。

 何も……見つけられない……。

 時間は、無情だった。津波が、迫る! 

 

(手は……何か、手は無いのか!)

 

 

 嫌だ。死にたく無い。悔しくて、涙が出そうだ。

 足が竦む。全身が総毛立つ。足の甲に、ボルトを縫い付けられた様に、足が地面から離れない。

 ……前にもこんな感覚があった気がする。

 あれは……。その時だった。

 ───ヒュンッ! 風切り音。

 津波の中から、石が出てきたのだ。その石は、一直線に祐一に向かい……ゴツンッと。

 先走りなその少し大きい目の石は、祐一の頭部を強かに殴打した。

 

「痛ってぇぇ……!」

 

 あまりの、痛みに頭を抑える祐一。蹲る様に、顔を抱える。そして、俯いた瞬間だった。

 

(カナート……?)

 

 地面の隙間から、遥か地下に続く、空洞が見えた。

 それはこの地によく見られる、地下水道だった。

 どうやらかなり以前に掘られたカナートらしく、地下水が枯れたか、水脈が変動したかで、廃棄になっているものらしい。

 それが今さっきの地震で、地表から見えるほど、はっきりと顔を出している。

 だが、祐一には、そんな事どうでも良かった。今度は、目的を持って、辺りを見渡す。

 

 …………! 見つけた! 

 カナートの入口……丸い井戸! 

 

(あそこに飛び込めば……もしかしたら!)

 

 しかし、井戸は、迫る津波を挟んだ場所にある……。

 だが、逡巡してる暇は……ない。

 生きる術はこれのみ! 全てを、これに掛ける! ───乾坤一擲だ!!! 

 おおおおおおお! 祐一は吼え、全力で駆け出した。

 地面が揺れて走りにくいことこの上ない。

 疲れ果てた身体が、辞めてくれと、懇願し、悲鳴をあげる。

 

 叱咤激励する。

 頑張れと。あと少し、踏ん張れと。

 ここで、死にたく無いと。

 ここで終わったら、俺はクソでしか無いと……! 

 

「気張れぇえぇぇ!!!」

 

 果たして津波が祐一を襲うより早く、井戸に辿り着く。しかし、井戸の穴は、長年の年月による風化で、埋まっていた。

 だが、祐一の心に絶望は無かった。なら──

 津波は、もう眼の前に迫っていた 

 

 ───飛べぇぇぇぇぇ!! 

 逡巡もなく、そのまま助走を付け、飛び込む祐一。井戸の穴に向けて、全体重を掛け跳躍する。

 

「だりゃああああああ!!!」

 

 ───だがそのとき祐一は、魔が差してしまった。

 助かるかも知れない。そう思った、ほんの少しの……気の緩み。ほんの少しの、好奇心だった。

 祐一は、井戸から視線を外しちらりと、迫りくる土くれの津波を見たのだ。

 

 そうして視てしまった。───目が、合った。

 津波の裂けた隙間から覗く、瞳。

 

 虚ろな目だ。黄色い耳と、黄金に輝く角持つ、雄々しい牛頭。筋骨隆々とした肉体の、半人半牛の巨人の姿がはっきりと見えた。

 

 身体が竦む。恐怖が、一瞬で祐一を蝕んだ。どれだけ、顔を背けようとしても、動かない。

 逃げろ! 身体全てが、そう全力で警鐘を鳴らす。

 言われるまでもなかった。

 必死に、地面よ近づけ! と念ずるが時間はこんな時だけ、とてもゆっくりに過ぎて行く。

 視線が重なったまま時が過ぎる。

 恐ろしい……。祐一の心は、恐怖で溢れ返った。

 だが祐一は、気丈にも恐怖を殺し、迫る魔物を睨んだ。

 

(怖く、なんて……ない!)

 

 しかし牛頭の魔人は、そんな祐一を見下ろし、見定めるように見やっては口角を吊り上げ……嗤ったのだ……。

 

 視えたのは、そこまでだった。

 丸い井戸が近づく! 必死に顔を動かし、あの異形の魔物から視線を外す事に成功する。

 そして、井戸に全体重を載せ、飛び込んだ! 

 ───ガラガラァ……。

 僥倖だった。 おそらく地震で地盤が緩んでいたのだろう。

 着地した瞬間から、塞いでいた土は崩れ、重力は祐一を地下へ導いた。祐一の目論見は、上手く行ったのだ。

 

 あの、不気味な魔物から逃げられる! 

 津波から助かる喜びよりも、恐ろしい魔物から、逃げる事に成功した喜びが、いまの祐一には勝った。 そこでふと腹部に違和感を覚えた……何か食い込む様な不快感。

 腹部に手を、当てる。……今度は掌と腹部に強い異物感。

 え? と不思議に思って、視線を落とす。

 

「は?」

 

 ───巨礫があった。

 縦長の鋭利な巨礫が、ブレザーを貫きを腹部……左脇腹に突き刺さっていたのだ。

 脳が理解を拒否する。全身の血の気が引いていく感覚が襲う。顔が青褪めているのが、よく分かった。

 

 そして口の中に、鉄のような苦味が広がった。

 

 腹部を中心に、白いシャツが赤黒く染まっていく。信じられない。必死で目を背けるが、そこで痛覚が、己の役目を思い出したかの様に、狂乱を始めた。

 

「う、わっぁああああぁっ……ぐぁあっ!」

 

 ───ゴシャッ! 絶叫をあげそうになった祐一。だがそれより先に地下へ……硬い岩盤の上へ強かに衝突し、そこで彼の意識は闇へ呑まれていった。

 

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