王書   作:につけ丸

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091:ただ一度の決着

 意識があった。脳が残っている。

 息ができた。肺が残っている。

 視界が生まれた。目が残っている。

 音が聞こえた。耳が残っている。

 拳を握った。手が残っている

 

 ──なら、戦える。

 

「生き残った、か。我が必勝を期した一撃を受けて」

 

 祐一の身体には分厚い黒鐡の鎧で覆われていた。一部の隙間もなく聖なる鋼と蹄の鎧を身にまとい絶命必至の一撃を凌いだのだ。

 

「侮りだったか……そなたは《光》や《闇》がなくとも異様なほど()()()()のだと。そなたの次元にて『救世の神刀』の担い手たるヤマトタケルから逃げおおせたのも、そのしぶとさ故だったな。誇れ。この未来に辿り着いたそなたは少ないぞ」

 

 サトゥルヌスの言葉が聴こえる。でも何故だろう、聞き覚えが……いや、()()()()()()()

 次の言葉はなんだったか。ああ、そうだ……俺が攻撃を凌いだ種明かしをしたんだったか。

 目に違和感があってたまらず、何度も瞬いたせいだろうか? ……世界が二重にブレて観えた。

 

「ここで天叢雲剣を消費したか。頼りになるが、そなたの化身を盗むのは骨が折れると聞き及んでいるぞ。一度の戦闘で一度使えばもう使えぬはずだ……それは化身も同じだったか」

「…………」

 模倣したのは『駱駝』か。過去……いや、未来と言うべきか。そこで幾度か見た。『雄牛』であれば膂力と鉄腕を與え、『駱駝』であれば頑強な鎧と予知さながらの直感をもたらすものとなる。必殺で臨んだ一撃を耐えたのはそれゆえ……しかし」

 

 もう動けまい。

 サトゥルヌスの言う通りだった。倒れて仰向けになったまま空を見上げて、しかし、心は凪いでいた。

 地面に倒れ横たわった祐一にサトゥルヌスが忍び寄る。途端、土が盛り上がって見事な直刀が現れた。『鋼』としての神性が、大地を血に染めるための刃を与えたのだ。

 

「…………ああ、そうだ」

 

「まだ諦めぬつもりか? ──っ!!」

 

 トドメを刺そうと不用意に近づいたサトゥルヌスは反射的に飛び退った──怖れとともに。

 祐一は答えた。サトゥルヌスの問いに。

 しかし、それは言葉にしたあとの過去の質問ではない……言葉にする前の()()()()()に対してだ。つまりは。

 

「識っておるぞ……そなた、未来を読みはじめたな? 

 太陽の神性を宿す徒が一様に宿す目。かつて我が祖たる光明は、監視者であり契約の神であった。シャマシュと呼ばれた太陽神は天罰神であった。そしてそなたの故地にも"お天道様が見ている"という言葉があったな? 

 太陽神とは東西に関わらず多くの者は監視者なのだ」

「…………」

「この土壇場で掌握したか……そなたも権能の祓魔も太陽も、表層に過ぎぬ。その真価は、現在も過去も、そして未来すらも見透かす千里眼」

「御託はいいサトゥルヌスッ殺りあおう!」

 

 喉を枯らして咳き込み、叫んだ。血を唾と一緒に吐き出す。

 動けば動くほど身体中の孔という孔から血とオドが噴き出す。しかし構うものか。よろよろと大地に片膝をついて、満身創痍のまま立ち上がる。

 いつもの事だ。俯いて、前かがみになって、叢雲を杖にしながら大地を踏み締めた。

 

「俺とあんたの楔は、枷は、絆は」

「──違うぞ木下祐一ッ」

「言葉で語られるほど安いものなのか!?」

 

 ──疾ッ! 

 サトゥルヌスが身構える前に瞬歩法で肉薄し、真っ向から攻めかかる。

 

「だったらァア!」

 

 回避も許さず、どてっ腹へパンチが突き刺さった。

 これまで一度だって通らなかった一撃が、いともたやすく。

 サトゥルヌスが膝をつく。彼にだって余力は少ない。先刻の一撃は、必殺を決意した全力の攻撃だったのだ。神々をテュポーンを含め、十二柱もの神を招来するなどいくらサトゥルヌスでも多大な消耗を要する難事だ。

 動きのにぶったサトゥルヌスは、未来を読み始めた祐一の攻撃を躱しきれない。

 

 どんなに消耗し、不利に陥ろうが、サトゥルヌスは時の王。これまではそれでも関係なかった。だが、そうも言ってられない。

 

 見よ、あの獣を。

 満腔から吹き荒れる絶え間ない闘志を。

 気を抜けば気圧されるほどの鬼気に、しかし、サトゥルヌスの表情にはただただ喜び勇んだ歓喜だけがあった。忌々しさも憎々しさも介在してはいなかった。

 

「ついに開眼したか。その瞳こそ──『輝く瞳(Mittron glaukopis)』の本領こそ余の予知に対抗しうる、唯一の手段! いくつかの未来で余はそなたとその瞳に敗北を喫した!」

「あんたが手に入れられなかった太陽だからなぁ!」

 

 技もへったくれもない目一杯の力で振り下ろした剣をサトゥルヌスは巨腕で受け止めた。

 対等だった、この時より。互いに呪力を減じ十全とは言い難い。そして一方的なアドバンテージも消え去った。

 頭突きせんばかりに額を近付けあって睨み据える。ここからの勝負は気合いと根性と意地だけだ。

 

「だが未だ勝利には程遠い!」

「だが近づいたさ! 見えるぞ……アンタの見えてない未来がなぁッ」

 

 本番だ、祐一は奥歯を噛み締めた。

 だけどこれこそ──俺と奴が望んだ戦いなんだ! 

 大地を踏み込む。反撥する力が足を伝わり胴で倍され殴打にて放たれた。ぱん、と水風船の割れる音が響く。拳とサトゥルヌスの手のひらが打ち合わされた音だった。

 祐一の拳を投げ捨て、巨体をどう折り曲げれば可能なのか、背丈が倍はあるサトゥルヌスが懐へ潜り込んでくる。

 強かな殴打が祐一の腹部へ打ちこまれ、そのまま空中に掬い上げられる。

 

「手で庇ったか」

 

 サトゥルヌスの言葉通り、腹部に突き刺さる前に手を差し込むことに成功していた。代償は小さくない。手が痺れ、骨にも罅くらいは入っていそうだ。それでも震える掌に喝を入れるように拳を固める。

 地上で異変が起きた。凄まじい爆音と巻き上げられた土砂、姿のないサトゥルヌス……それだけで祐一は後方からの手刀を看破した。

 頭上高く振り上げられた手造りの刀。しかし神剣にも劣らぬ鋭さを誇る。凌げたのは『駱駝』の直感と『輝く瞳』のおかげに他ならない。

 完璧なタイミングで右腕を掲げ、ガードが間に合った。叢雲と『駱駝』が合力した手甲がガリガリと削られていく。『鋼』ですら意に介さぬ破壊力。これが生身だとすると骨まで達していたと悟り、ゾッとするものが背筋を這った。

 しかしチャンスが生まれた。下へ力が流れるなら、反撥する力が上行く……つまりはカウンター。『駱駝』の本領発揮である。

 異常なまでに力を蓄え膨れ上がった太腿が、爆発力を生み、怨敵を縊り殺す一陣の脚風となった。

 サトゥルヌスへの有効打。さしもの彼の神も許容範囲を超えたのか、吐血して苦悶を浮かべた。

 

「まだァ!」

 

 叫んだのはどちらだったのか。空中での長い長い肉弾戦が始まった。落ちていても地面に激突する前に空に吹き飛ばされ降り出しに戻る。三次元的な挙動で肉弾戦……いや最早、空中戦といってもいい戦い。

 血が吹き出し、歯が折れようと、彼らは満足だった。

 嗚呼、終わってくれるな。これこそ落魄せしサトゥルヌスが望んだ終わりのある終わりの見えない戦い。

 怨敵よ、死んでくれるな。宿敵よ、止まってくれるな。願いを込めながら全力の殺意を以て、少年に殴り掛かる。

 そして祐一もまた良く応えた。サトゥルヌスの血潮は煮えたぎる熱湯じみて祐一の戦士としての心を焦がした。

 誉れである。戦場で、華だの無粋だの、貴卑だのと言うつもりもないが……この大敵と巡り合い、宿敵と見初められた幸運に感謝した。

 

 もつれ合い、サトゥルヌスが祐一の腕を掴んだ。取った、と思った。そのまま地面に叩きつけんと腕を振り──しかし、先に投げ飛ばされたのはサトゥルヌスだった。

 敵を投げ飛ばすには、腕で掴まなければならない。しかし、逆にいえば、手を離さなければ相手に()()()()()()状態と同じだ。祐一は戦場勘でそれを思いつき、豪快にサトゥルヌスを投げ飛ばした。

 大地へ叩きつけたのは祐一、叩きつけられたのはサトゥルヌス。ダイナマイトの爆発さながらの轟音と衝撃が吹き荒れ、無理やり着地させたサトゥルヌスの両足の骨を砕き切った。

 

「見、ごとォ!」

 

 それでも折れぬ。倒れぬ。諦めぬ。

 身体中の骨が砕けようと、肉が削がれようと、五感が奪われようと──敗者の王は倒れない。

 勝たねば。常勝不敗を掲げるならば、誇りある敗者の王に恥じぬ勝利をせねばならない。

 

 祐一を起点にして覇気と呪力が弾け飛ぶ、若き神殺しは此処で勝負に出た。

 

「往くぞッサトゥルヌス! ──我がもとに来たれ勝利のためにッ!」

 

 東方より(きた)る。外道覆滅の化身──『白馬』推参。

 絶叫ごとき言霊を吐いて聖なる方位たる東を背負って──西で待つサトゥルヌスへ。

 此処まで来た、此処まで来た、ヒューペルボレアから始まったサトゥルヌスとの因縁。何度死線を超えたか分からない。何度倒したという確信を得たか分からない。

 それでも彼は足掻いて足掻いて、最後には再び立ち上がった。まるで神殺したる己がまつろわぬ神にやってきたように。

 泥臭く、ヘドロを吸ってでも、偏に使命を果たさんが為に。

 

 だが、此処で、必ずッ! サトゥルヌスの想いを踏み躙ってでも祐一は退かない。呪力を叩き付けるように注ぎ込む。

 帰らねば、帰りたい、帰り着く──故郷へ! 皮肉にもサトゥルヌスの必殺の策は祐一の狂気的な郷愁を呼び覚ました。

 

「ぐ、ぅおおおおおおおおおおお!!!」

 

 フロイエン山を完膚なきまでに破壊する聖なる一撃がサトゥルヌスへ到達し、今度こそサトゥルヌスは絶叫を上げた。

 

「懐かしき聖なる光輝ッ、慾さずにはおられぬ熱! 堪らぬ! 我が身が、我が身が焼ける──()()()ッ」

 

 余は太陽への未練を捨て去った! 

 肉体が完全に溶解する前に、地面に沈みこんだ。祐一は驚愕した。あの太陽に焦がれ使命に魂魄すら捧げたサトゥルヌスが、太陽を目の前にして逃げを打ったのだ。

 直後、大地が震えた。地震ではない。巨大なものの身震いで、地面が動かされているのだ。闇を捨て去り、時も破られたサトゥルヌスに残った最後の神性の発露──。

 大地(ガイア)の殻を蹴破って這い出て来た『鋼』を宿す大いなる()()。その身は凹凸のないつるりとした鋼鉄を纏い、面貌すらも、のっぺらぼうを思わせるほど装飾のない……ただ敵を倒す為だけに生まれた『鋼』の武神であった。

 

「「「オォォォオオオオオオオオオ! ──木下祐一よ、我が想いに応えて魅せよォォオオオオッ」」」

 

 何重にもやまびこが折り重なったような大きな声がベルゲンを揺るがす。それを一身に受けるは、圧倒的に矮小短躯な一人の少年。

 巨神はその巨躯に見合わぬ俊敏な動作で祐一へ肉薄し、撃滅の拳を振り上げた。拳の大きさなど電柱の高さにも匹敵する。何の衒いもなくシンプル。故に恐ろしい。あれをまともに喰らえば死は免れない。

()()()、温存していた切り札は──ここで! 

 

「鋭く近寄り者よッ契約を破りし罪科に鉄槌を下せ! 来い──ラグナァァアアアッ!」

 

 影が黒に塗り変わり、異界の扉が開く。影はまさに砲塔、祐一の放つ巨人殺しの石たるラグナが一直線にサトゥルヌスへ激突した。

 拳の矛先が入れ替わる。祐一からラグナへ向かい、拳の一撃でラグナの半身は文字通り消し飛んだ。

 それでも倒れぬ。祐一の盟友にして不屈の化身たる『猪』は倒れない。盟友たる祐一の意を汲んで──咆哮。

 

 ───ォオオオオオオオオオオオオオオンンンンッッ! 

 

 音の鉄槌が質量を宿してサトゥルヌスの巨体を浮かす。間髪入れずにラグナが長大な牙で掬いあげた。見るものがあれば瞠目は必須であろう、サトゥルヌスの巨体が空に放りあげられた。大地の子であるティターンは空では力を発揮できない。ヘラクレスに持ち上げられ縊り殺されたアンタイオスのごとく。

 ダメ押しに腹部へラグナの牙が突き刺さる。巨神の力が大きく減していく。

 

 それでも、まだ終わらない。まだ奴は死なない。

 ならば往かねば。"路"があるのなら。気力もあるのなら。──敵も見えるのならば! 

 からんと乾いた音を立てて纏っていた駱駝の鎧を放り投げる。邪魔だ。護りなど必要はない。

 手に持つは、たった一本の───愛刀のみ! 

 祐一は"路"をひた走った。敵の元へ到るためにラグナの背を駆け上がった。

 直上に聳える巨体へ向けて、躊躇もなく前進した。加速、加速、加速。重力が反転したのかと見紛うほど圧倒的な加速。ブルジュ・ハリファを頂点から落下して駆け抜けるかのごとく──サトゥルヌスの元へ! 

 

「ッサァァアアアトルヌゥゥゥウウウスッ!!!」

 

 血反吐とともに宿敵の名を叫ぶ。奴はまだ倒れていない。倒れるはずがない。立ち上がらないはずがない。

 この手で引導を渡していないのだからッ! 

 

「木下祐一ィィイイ────ッ!!!」

 

 大音声がベルゲンに残響する。巨神の体から瘤が生まれ、瘤を砕いてサトゥルヌスが飛び出した。

 サトゥルヌスは時の神。祐一の前に時の権能は破れたとはいえ、権能は行使できる。ならばここから逃げ出して再び挑戦を乞う、あるいは、幽世で隠遁するという選択肢も取れた。

 フ──無粋! サトゥルヌスは口元で弧を描き、敗色濃厚の戦いに躍り出た。

 

 大地を蹴りあげ五指を振り上げ。地より昇るはサトゥルヌス。

 跳躍しながら剣を掲げ。天より降るは木下祐一。

 

 迎えるは、最後の交錯。

 

 今こそ『極地』へと──絶対不変の〝決意〟を以て! 

 祐一の剣の腕は確かに叢雲の補助があってこそ。だが、彼が戦場で血肉と変えた技量や師の教えまでそうだった訳では無い。

 温存していた総てを解放する時が必ず来る。故にこの場所に到るまで秘めていた。激情の剣が血潮と汗を蒸発させる。心眼によって精彩さを増した世界が広がる。

 サトゥルヌスの貌が、予想より早く目の前にあった。相手が早いのではない、自分が速すぎるのだ。

 サトゥルヌスは速度に取り合わなかった。五指を揃えて貫手の形とし、速すぎて繊細な制御のできない祐一の到来を待ち構えた。

 おそらく最適解。祐一の視界にも見える未来の映像のなかでサトゥルヌスの貫手に刺し貫かれた己が見えた。そして狙い違わずサトゥルヌスの貫手が、祐一の首を捉えた……皮を剥いで、肉を削ぎ、頸動脈へ達して。

 

 だが、そこまでだった。

 

 まだ首は繋がっている。なら、まだ戦える。剣を振れる。前に進める。

 

「俺の勝ちだサトゥルヌス───」

 

 白光一閃。

 おお。サトゥルヌスは感嘆してしまった。己を必ず殺すという余すことなく己に向けられた殺意に、未来を追い続ける宿敵の姿を……そして嗚呼、見よ。

 久遠の時のなかで、あれほど殺し合った我らですら放ち得なかった雲耀の一振を。

 

 サトゥルヌスは、ふと、思ってしまった。あの一振の前になら、死んでしまってもいいと。遍在する時であるサトゥルヌスを何人も弑することは不可能。しかしサトゥルヌス自身が合意してしまった。眦を、下げてしまった。

 雲耀の刃が見事に首を捉えサトゥルヌスの首を──斬り飛ばした。

 

 

 

 

 ○〇●

 

 寂寥感が溢れた。

 

 大敵は倒れ、喜ぶべき慶事だ。

 なのに何故だろう?

 

 決して膝を折ることのなかった敵が潰え……。崩れることない壁が崩落していくのに一抹の寂しさを覚えずには居られなかった。

 宿敵の首が泣き別れする姿を目に焼き付け、最後に残った力が喪われていく。

 敵の討滅と、勝利を確信し──

 

 

 「──……?」

 

 

────時

───間

──が

─引

─き

──伸

───ば

─────さ

─────────れ

 

──────────世界は止まった。

 

 色も音もしない。

 意識と目線以外の総てが静止した世界。対峙するものの息遣いだけが聞こえる静寂かな世界で、灰色の王が祐一をおだやかな瞳で見下ろしていた。 

 

「時間を……止めたのか?」

「否。時間の流れを限りなく緩慢にしただけ……我らは須臾の中にいる」

「どうして」

「そなたと……どうしても、そなたと語らいたかったのだ。余は使命に魂魄をも捧げた身。死の間際にしか語り合うこともできなんだ」

 

 不器用だな。

 戦いの熱が身体中から抜けきっていく錯覚を覚えた。もう戦意はとうになくて、穏やかさすらもってサトゥルヌスの目線を受け止めた。

 

「俺もだよ。あんたにずっと聴きたかった……あんたは総てを見通せたんだろう? それに時の神で、死の神ですらあった。全力のあんたなら、俺だって労せず倒せたんじゃないのか?」

「フ……それは買いかぶりというものだ木下祐一。所詮、余はユピテルやゼウスなどの主神には何歩も劣る三流神……」

 

 胸が締め付けられた。自尊心を無くした神とはこんな表情もできたのか、と思った。

 憑き物が落ちたとはきっと今の彼を言うのだろう。

 久遠の旅を終え、最期(いやはて)の地へ辿り着いてしまったもの貌なのだ。かつて悠久の果てにトルコへ舞い戻った天使を想起させた。

 

「だが、その未来がありもした。そなたを降し、草薙護堂を排し、麗しき神殺しも打ち破る未来が……」

「だったら、何故?」

「私怨だ」

「私怨……? 俺への、か?」

「それもある。だがそれだけではない……木下祐一、そなたは余の辿った道程を最もよく知るもので、最期を看取るものでもある。

 それを踏まえて問う。余の人生をどう思う?」

「どう思うって……」

 

 酷いものだと思う。オブラートに包まずに言うならそれが一番当て嵌る。

 自分もそれなりに酷い環境にいるとは思うがサトゥルヌスは格別だ。輝かしい栄光からの転落、転落、転落。そして最後には敗北。言葉もない。口を開こうとして、制された。

 

「言わずともわかる」

「……すまん。ガキの俺にはいい言葉が見つからない」

「フ……それでよい。神を弑逆し、因果に操られるそなたを以てして、かける言葉見つからない程の生だったと」

 

 サトゥルヌスは寂しげに零した。

 

「しかし、余は最後に敗北しようとも歩みきってみせたッ!……それだけは誰にも汚せぬし否定は出来ぬ!」

「ああ。あんたは強かった。あんたの生き様は穢さねぇ。それだけは誰にも否定はさせない……あんたにだってな」

 

 ふっと翁が笑った。祐一も。二人が二人とも称え合う。

 ここに酒があれば小気味よい音とともに乾杯していたような気安さだった。

 

「礼を言う木下祐一。その言葉は余が帰るべき場所へ帰っても胸に刻み、誇りとしよう──……だが望んだ訳では無い。復権を望んでいたし勝利も希求した。しかしそのどれもが必ず骸を晒す終いとなった」

 

「だからこその私怨」

 

「このような運命を寄越したモイライどもに全知たる余は復讐を目論んだ」

 

 知っている感情だった。祐一自身、そう思えばこそ因果律に喧嘩を打っているのだから。

 

「聴かせてくれサトゥルヌス。全知のあんたが何をしようってんだ?……俺だって《運命》やって奴が憎いのは同じだ……お前の想いを持っていけるかもしれねぇ」

「良き益荒男よな、そなたは」

 

 死に向かい、灰色となったサトゥルヌス。けれどその時、その言葉を吐く一瞬だけは、勝者である祐一でさえ身構える程の熱を帯びていた。

 

「──"不可知の未来"へ、辿り着くこと」

 

「不可知の未来?」

 

 耳慣れない言葉だった。けれど何となく……因果律に関する言葉なのだろうと直感があった。

 

「左様。運命神すら見て見ぬふりをし、全知すら思考を及ぼすことを厭う……そんな未来があるのだ。故に余はその不可知へ辿り着くことこそ──復讐になると踏んだ」

「…………」

「そして。聞け木下祐一。"不可知の未来"──そこに至れる手段と可能性はただ唯一ひとつだけ。──可能性は()()()()()()()()()()()

「俺に?」

「──そなたも知りえておろう?そなたの世界は滅ぶことを」

「………あれは本当なのか?」

「誤魔化すな木下祐一……そなたも心の奥底では悟っていよう? そして、その真実と因果はもはや誰にも覆せぬ。そしてそなたの故郷にもトーイン(襲撃)は必ず訪れる」

「!」

 

 戦いのなか、サトゥルヌスが言及した故郷への襲撃。あれが本当ならばヤマトタケルとの戦いは必定だろう。

 そうか。思ったほど祐一の動揺は少なかった。

 今更焦っても仕方がない。祐一は一呼吸置き、サトゥルヌスに質問をぶつけた。全知を称するサトゥルヌスへ。

 

「ヤマトタケル。あいつは一体なんなんだ」

「あれは求道者よ。貴種流離の鬼。偸盗の成れ果てたる、弑した他の神と同化していく権能によって……真なる己を見失ったと()()()()()()()求道者」

「思い……込んでいる?」

「そう。彼奴に"真の己"などという答えなど何処にもない。そなたも幽世で虚空の知識を探ったのであろう」

 

 幽世の王国で霊視をしたときに見たヤマトタケルの淵源。あれはひどく空虚だった。

 

「……ああ。智慧の剣を鍛えるためにヤマトタケルの追い求める本質、ってやつを俺は覗こうとした。……でも、何もなかった。そこだけがポツンと穴が空いたように抜け落ちてた。あれは俺が未熟で才能がないせいだと思ってたけど」

「いいや。それが真実なのだ。ヤマトタケルという英雄に確固たる来歴などありはせず、真なる己などないのだから」

「己がない……でもあいつは求めてる」

「そうだな。強いて言うならば、答えのない答えを求めて永劫彷徨い歩くことこそ彼奴の答えなのだ……」

 

 ズン、と右手に握った刀から冷え切った鉄の温度が伝わってきた。

 

「…………叢雲」

 

刃に顔はない。『鋼』に表情は必要ない。

しかし心はあるのだ。祐一は痛ましげな視線を叢雲に送った。

 

「だが求道者ゆえにやつは強い。そなたの次元において《最強の鋼》と呼んでも差し支えないほど……そなたの右腕に帯びた天叢雲剣を失い征服神としての資格を失陥しようが変わらぬ真実」

 

 少しだけヤマトタケルという不気味な神を知れた気がして、やはり理解が出来そうになかった。木下祐一というか人物から酷く遠い場所にいる存在に思えてならなかった。

 

 重苦しくサトゥルヌスは目を眇めた。

 

「全知たる余が保証しよう。異様、だ。そなたの故地は」

「異様つったって、わかんねえよ」

「例えば……此処だ。草薙護堂の故地たるこの次元はまつろわぬ神や神殺しが跋扈するとはいえ、健全に運行されているといえる。神を弑する魔王が生まれようが、それは神々人の世に顕れる以上、起こりうる奇跡……しかし翻って、そなたの次元はどうだ?」

「…………」

「『天人離間の大法』という神どころか呪力の存在すら許さぬ結界を張り、人間の楽園を築き上げた。ゆえに神殺しも生まれぬ。それだけでも狂っているというのに……件の大呪法を何者が、何故成したのかを窺い知る"道"さえ閉ざされている。知り得たのは妄執と狂気のみ。時という表層からはそれだけしか読み取れなんだ」

 

 自分の故地が狂っている。

 薄々気づいていたが遍在する時であり、総ての時空を知るサトゥルヌスのお墨付きをもらってしまった。

 

「滅びの確定された世界……しかし余は仮説を立てた。もしや時間軸が存在しないのではなく、未だ誰も到達していないのではないか?と。現在から未来に繋がった時空があらねば余は知ることは出来ぬ……ならば因果の道化どもによってその"道"を抹消されているのではないか、とな」

 

 因果律の道化。

 世に適度な刺激をあたえ因果律を楽しませる道化に身をやつしたものたち。狂気的なまでに道を阻む布袋の姿をした誰か、あれが滅びを避ける未来を閉ざしているのかもしれない……そうサトゥルヌスは言っていた。

 

「故に不可知の未来だ──フフ、心躍らぬか木下祐一?運命が否定し、因果が拒む、誰も到達しえぬ時間軸……その先に誰かが到る逆縁こそ、運命への余の復讐だ。そして鍵となるのは──”因果破断”」

「!」

「因果律の紡いだ不動の順縁をくつがえし逆縁を為す、あの力こそ到達不可能なはずの"不可知"へ至る唯一の鍵」

「だけど俺は」

 

 扱えない、という言葉にする前にサトゥルヌスに止められた。酷く柔らかい口調で、生徒にものを教える教師のようにサトゥルヌスはささやいた。

 

「行使していたよそなたは。我らは”因果逆転の宣誓”を為した。それこそ因果破断の証明。如何に強大な三柱のまつろわぬ神と神殺しが揃おうと因果は覆すことなどままならぬ」

「あの宣誓が……」

「どうやらアテナの思惑通りにならず、我ら三者の元にはやはりゴルゴネイオンは現れなかった。……とはいえ曲がりなりにも因果を歪められたのはそなたが居たからこそ」

「……」

「ゆえに因果破断だ。草薙護堂にも言われたであろう……鍛えよ、と。少し先の未来……ベルゲンを離れた後、そなたは出会うであろう。最強足らんとさせる《鋼》の神に。打倒するにはそなたせよ。その程度の力がなければ、そなたの世は滅ぶと心得よ」

「また滅びか。世界滅亡のバーゲンセールだな……」

「クク……それこそ"この世は因果律の御覧になられる夢に他ならない"だ。世界の滅亡などありふれたもの……」

 

 サトゥルヌスは言葉を切った。語ることを語り終えたのだ。世界が加速……いや、本来の速度へ戻っていく。サトゥルヌスの皮膚が、端から徐々に灰色に変色していく。何度か見た……まつろわぬ神の死だ。

 

「余の復讐をそなたが引き継ぐかどうかは自由! だが継ぐというのならば」

 

「──木下祐一よ! 我が宿敵よ!」

 

「──進め、未来へ!」

 

サトゥルヌス(過去)を糧とし、踏み越えて、()()()へたどり着け!」

 

「そなたの呪われし道先に──幸多からんことをッ!」

 

 祝福の言葉を投げかけて、口を引き結んだ祐一に笑みを浮かべながらサトゥルヌスは滅びた。灰色の王が遺灰さながらに崩れていく。

 

 

 

「"不可知"の未来、だって? ……馬鹿だよ、あんたは」

 

 残された祐一は少しだけ瞑目し、肩を揺らしてゆらゆらと笑った。

 

「なあ、だってさ、あんたのいう復讐には決定的な穴があるじゃないか……。あんたが言ったんだ、自分の使命は決着をつけることだって」

 

 サトゥルヌスの目的は貫徹している。

 彼は死の間際までその使命を決して翻すことなく、望む場所へ辿り着く未来の一点しか見ていなかった。

 

 復讐など……望んでいなかった。

 

「あんたは、もう、やり終えてた。総てを俺との決着に捧げてた……これ以上もこの先もないくらい余力も残さず。取ってつけたような言葉くらい……それくらい……命のやり取りをすれば()()()()

 

 大きく、大きく、ため息をついた。

 

「復讐なんて、嘘じゃないか」

 

 やりきれなさとサトゥルヌスという偉大な敵に改めて感謝を送る。

 あれは自分への(はなむけ)なのだ。

 

 これから苦悩と苦痛の旅を往く勝者への……。

 

 さらばサトゥルヌス。

 そして、ありがとう。

 かしゃん。肩に去来する重み。この重みは、いつも苦手だ。

 

 いつだって神々は祐一に何かを見出し、祝福(呪い)を残し、満足しながら去っていく。

 本当にいい迷惑だよ。

 

 曙光が闇夜を切り裂いて、サトゥルヌスの総てが塵へと帰っていく。まるで太陽という故郷へ帰っていくように。

 朝日が目に染みて、眩しくて堪らなくて、手で(ひさし)を作って……彼はしばし自分の顔を隠した。

 

 

 偉大なる敗者の王は散った。

 神王の座を奪われ追われながらも、辺境の地で王を崇める敗者を束ね、黄金時代を統べた拝者の王は此処に本懐を遂げたのだ。

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