煌々たる日之出の到来──。
女神の領域たる永劫の闇を燃やし尽くす天上の劫火がフロイエン山に降ってきたのだ。本来であればこの一撃は地母神アテナ覆滅のため放たれたものではない。フロイエン山のもう一つの戦場で、サトゥルヌスを討ち果たすために抜かれた陽光の刃であった。しかし、アテナとチェリーは躱すこともせず、それどころか愚かしく渦中へ飛び込んだ。
胸中にあるのはただ一重に"決着を"という決意のみ。
人間にここまでの辛酸を舐めさせられ、挙句に時間切れでの勝利など三海に覇を唱えた女神アテナの誇りと自尊心が許さない。
アテナの沽券に賭けてこの人間を喰い破り、完膚無き勝利を収めることで、自死すら考えた己を赦す事ができる。そして萎えた己を立ち直らせた少女への返礼と罰となるのだ!
「オ、ォオオオオオオオオ!」
太陽はアテナにとっての最大最悪の弱点。さしものアテナも苦悶を上げ、しかし、見事に凌いでいた。その手に"絶対"を誇る二帖の楯が握られていたために。
右手には大鎌を変化させた光を遮断する闇の障壁。左手には絶対防御を誇るアイギス。
アテナの自慢の楯でもって太陽に対峙した。大人気なくとも全力で、チェリー・U・ヒルトを縊り殺す。獅子は兎を狩るにも全力を出すという……アテナは少女を兎程度には認め、故にこそ本気で相対した。
対するチェリーは、一切の防御をもたず青白き陽光に飛び込んだ。
「──────────────」
声にならない大音声が響き渡った。アテナの比ではない絶叫をほとばしらせ、馬鹿げた苦痛が少女を苦しめた。常人であれば絶命まで追いやる激痛に心折られるに違いない。……だが、彼女は折れない。そしてこうでもしなければ勝機はない。地力で劣っている自分がアテナを上回るにはアテナ以上の度胸と無茶をしなければ。
それに防御を選んでは唯一打倒の武器が納得しない。
この
だからチェリーは身一つで飛び込んだ。防衛の術も纏わず、悪神を浄化してきた太陽王の劫火に身を投げた。
アテナは瞠目した。なんという愚かしさ。
命知らずの少女は命を投げ捨てていた。弱点である太陽に灼かれながら、一歩を踏み出す。血反吐を吐きながらアテナへ肉薄する。さしものアテナも楯を握る力が増し、動揺をみせ──だが、止まらない。
がつん、がつん! 雄叫びをあげながらハルパーを振り下ろして、二帖の楯を殴りつける。アテナが苦悶を浮かべる。
なんなのだこの娘は! アテナが理解できないものを見るように瞠目し、執拗なチェリーの打撃に耐えきれず、二帖の楯の間に小さな隙間が生まれた。焦りを覚えながら、隙間を塞ごうとし──
「Hi,Athēnā……!」
隙間をこじ開けて薔薇色の曙光とともにチェリーがずるりと這い出してきた。苛烈な太陽光に気を取られた……一瞬の隙をついてチェリーは己が支配力をアテナの闇へ伸ばす。
チェリーにも楯があったなら、防御を寸毫でも考えていたなら、アテナにも付け入る隙があった。だがこの眼前の狂った乙女は吹き出す血塊がまたたきの間に蒸発する炎熱地獄で、苛烈な意志を瞳に宿らせ突き進んできた。
──見事。
敵の攻撃を防ぐ時、握りしめる手をゆるめれば盾が飛ぶのは当然。アイギスも闇の障壁も、太陽の猛威を受けて吹き飛んだ。それでもアテナへの強襲はまだ終わらない。
「アタシの縄張りに手ぇ出した報いを受けなさいッ」
太陽の槍とともに懐へ飛び込んできた少女に対応できず──アテナの頬に少女の拳が突き刺さった。それを皮切りに日輪の蹂躙が本格的なものへと変わる。
二人の意識と視界が白に染まった。
太陽の蹂躙が終わった。
神馬の運んだ日輪が帰り、空はふたたび夜が覆った。焼き尽くされ原型を失った荒れ野で、人型の物体が倒れ伏していた。
それも、二つ。
驚くべきことにチェリーとアテナは未だ肉体を保ち、塵に還ってはいなかった。だがどちらも虫の息……いや、片方は息をしていない。
見よ、空を。徐々に白み始めている……日の出が近い刻限が近い。少女の裡に宿り、生を保証していた《光》が揺らめき翳っていく。
「ま、だ、だァ……!」
先に立ち上がったのはアテナ。鎌を杖としながらもかの女神は立ち上がった。やはりどれだけ人間が神に近づこうと神との地力の差は大きい。
少女は立ち上がれない。意識を保つのがやっとだった。不甲斐ない少女へ向けて、アテナは悲痛な声音で叫んだ。
──何故立たないチェリー・U・ヒルトッ!?
──見よ、妾は立ち上がったぞッ!
──妾に煮え湯を飲ませ本懐すら奪われ……それでもなお……
──立ってみせたぞッ!
悲愴と失望を織り交ぜた、血を吐くような叫びだった。
──貴様はそこまでの器であったか!
見下ろされチェリーに意識はあった。
うるさい。アテナの半身である彼女にはアテナの叫びは余すことなく伝わっていて。
でも疲れていた。
指のひとつも動いてくれないのだ、声のひとつも出てくれないのだ、息のひとつもできやしないのだ。……だが。
──ごめんなさいアテナ、無様を晒して。
──ああ、待ってなさい。
──すぐに立ち上がる。
──あなたに勝ってみせる……
意志のひとつも翳っていないのだ。
彼女はなにを思ったか《光》のもたらす生命の躍動を自ら拒んだ。今にも尽きそうな、神具から伝わる生命の火と己の生命の火。どちらを最後に頼るかなんて迷うことなどなかった。
急速に萎えて崩壊していく自身に構わず、己が意志のみで大地を踏んだ。目を開き、大地に手をついて、よろよろと立ち上がった。
「それでこそッ」
アテナの歓喜が聴こえる。でも精一杯だった……もう一歩も動けない、武器を振るなんてとてもではない。
けれど"諦める"なんて、縁遠い感情など一切心にはない。勝利と反骨心だけが苛烈に燃え上がっていた。
顔をあげて敵を睨み据え、威嚇するように犬歯を剥き出し──犬歯で噛み締めた
ヒルト家。大昔に欧州へフン族が来週した折に興った家と言われ、チェリーの一族たる開祖はテュールの剣や騎馬の民と竜をひきいし大王であったと逸話が残る……それが本当であれば魔術師たちのなかで王族の如く扱われる家だ。
そして家が残ったという事は、子を為したという結果が必要だ。本来であれば"異種族交配"では子はできにくく、何十人も女を囲っていた王でも長らく子ができなかったと言われている。しかし偶然か、またまた、運命の悪戯か。いくつかの要因はあったにせよ、ともあれ開祖は子を為した。底知れぬと称された魔女との間に、子を為した。
話によれば豊かな……いや、豊かすぎる才を備えた子だったという。そして過ぎたる才は身を滅ぼすのは世の常。
だから開祖は妻との子にひとつの物を与えた。
それを考えついたのが、開祖だったのか妻だったのか、真相は歴史の闇の中であるが……兎も角、己の有する"力"の中から、魔女の才を抑えることに特化した道具を創り出した。
子に与えたペンデュラムの名を──『ルドラの鏃』と呼ぶ。
彼女が幼少より携えていた神具は、巫女を守護する物ではなく、力を吸い尽くす『鋼』の武具なのだ。数千年続く一族の呪力を喰い尽くしても、太陽の光を喰らってでも、胸元のペンデュラムはまだ満足しなかった。ならば。
──いいわ、大食らいッ!
──アタシのベッドをすべて賭けるわ!
総てをつぎ込んでやる。満腹だと吐き出すなよ、と豪快に笑いながら、最後に残った生命の火と、贈られた『ミスラの火』を焚べた。
「──ルドラの矢よ! 日輪の輝きを寄越しなさいッ」
アテナと互角で千日手になるというのなら、別の力を使わなければならない。その認識は彼女とアテナのあいだで同一の見解だ。
そしてチェリーは、ビアンキの残した言葉の端から胸元に下がるペンダントが、まったく別の神から由来する武器なのだと看破した。
掲げた鏃が光と化し、焔と閃光の矢を放つ。闇と冥府を司るアテナの天敵たる太陽の箭を!
「おのれ、偽りのアテナが真なるアテナを上回るか!」
「いいえ、違うわ!」
傲岸に、尊大に、雄叫びをあげるのだ。勝利の勝鬨を歌うのだ。偽物だとか本物だとか、関係はない。そうだとも、勝ったのは──
「勝ったのはこの
○〇●
黄昏色の空。
二日月が顔を出してはすぐに姿を隠そうとする霜枯れた夜に、その学校の校舎では大きな篝火が焚かれ、橙の光に照らされた白煙が空に昇っていた。
どうしたことか、ベルゲンに住まう総ての住民に新月の夜の記憶はなくて、目が覚めるとベルゲンを取り囲む七つの山が緑を取り戻していた。
つい先程まで"ベルゲンは死んだ"なんて噂が流れていてから、人々の顔には笑顔がもどった。
それはとある少女の通う学校も同じで"
学校中の生徒のみならず近所の住民も巻き込んでの大騒ぎだった。
そんな様子を校舎の裏山から眺めつつ、祐一は寝っ転がりながら星を眺めていた。昨日までベルゲンを共に駆け抜けた少女の姿は隣にない。
彼女の命の刻限である日の出も迎えてしまった。サトゥルヌスと戦ったあとになって思い出し慌てて探したが、死体も見つからなかったのは……そういう事なのだろ。
アテナの気配も、ゴルゴネイオンの気配も消えてしまった。サトゥルヌスの言葉を信じるならばアテナは目的を達せられなかった、とのことだがその顛末は知る由もないし知る気もなかった。
ただベルゲンはアテナの気まぐれか、石の呪いが解呪されていて、平穏を享受している。それだけで十分だった。
でもそれを望んだ相棒はいなくて、祐一は目を瞑って、かつての相棒に黙祷を捧げ……
「ここに居たんだ」
「んぁ? ……え? あ、ああ」
驚きすぎてそんな言葉しか返せなかった。
焚き火も星明かりも届かない薄暗い影から、身を起こすように少女が現れて「生きてたのか」とかそんな安っぽい言葉が出そうになって口を噤んだ。
どんな経緯があったか知らないが彼女は生きているのだ。亡霊としてでも、幻覚でもなく。大地に足をついて。
なら、それ以上の言葉は侮辱になると思った。
アタシは今の今まで寝てた……いいえ、多分死んでたみたいけど……。アンタは違うんでしょ?
と物騒なことをサラリといいながら眼下に広がる賑やかなお祭りを指差した。
「あっち。行って楽しんできなさいよ」
お前は、と問いかけようとして気づいた。よく見てみると彼女が影に隠れていた理由が明らかになった。
彼女の服装はボロボロで人前に出れる格好ではなかった。
祐一は身を起こしてブレザーを脱ぐと、彼女に放って渡した。彼女は、ありがと、と皮肉を言うでもなく肩に羽織った。
「大丈夫よ、異邦人のアンタだって誰もダメだって言わないわ?」
「いいよ、俺は。ここで見てる。……約束も誓いも守れなかったし……折り合いも悪いしな」
そ、と草むらに彼女も声を下ろして篝火の明かりが彼女を照らし出した。
月光を宿す銀色の髪がたなびく。瞳は闇色の紫紺に染まっていた。
以前から整った容姿だったのは知っていた。
でも今の彼女は人並み外れていて、どこか神に連なるものの無機質さが介在していた。もしかしたら人から外れたのかも知れない。祐一は巻き込んでしまった少女の末路に目を落とした。
「家に……帰ったか?」
「まだよ。言ったでしょ、さっきまで寝てたのよ? それも死にかけて」
返す言葉も見つからず、チェリーも言葉を続けなかった。しばしの間、二人の間には沈黙が下りて。
──As I was a-gwine down the road,
──With a tired team and a heavy load,
──I crack'd my whip and the leader sprung,
──I says day-day to the wagon tongue.
オクラホマミキサーの愉快げな音楽が聞こえてきた。どうにもさっきまで二人の間にあった、どこか重苦しい雰囲気には合わなくて。どちらが先だったのだろう。二人で肩を揺らして大笑いしてしまった。
「はい」
「なんだよ」
ひとしきり笑ったらチェリーが何かを寄越してきた。それは彼女が首に下げていたペンデュラムのようで……見覚えがあったが、形が変わっていた。
「アンタが贈ってくれた『ミスラの松明』って……大切なものだったんでしょ? 死にかけた時にね、見えたの。アンタとアンタと同い年くらいの子が金色の馬に乗って旅をしているのを」
「…………!」
「もうあれは返せないみたいだから……だから、アタシの大切なものを受け取ってよ。交換、って訳じゃないけど、それでも、受け取って欲しいわ」
祐一は目を瞑って、俯いた。その言葉は、祐一の胸を打った。
「ああ……そうか……」
報われない旅だった。誰にも知られず、自分の胸にだけ秘め、忘れ去られるだけなのだと思っていた。そうして義母が知ってくれて……そして今、義母以外にも逝ってしまった友との旅を知ってくれている人がいる。
だったら、もう十分だった。友との絆を贈ったことに、もう、なんの後悔もなかった。
「ほら、立って」
いつの間にかオクラホマミキサーは終わっていて、どこかタンゴを思わせる陽気なものへと変わっていた。農民たちが収穫を祝ったり、春の訪れを喜ぶ歌だった。
踊りましょ、と祐一の胸中なんてしらぬとばかりに手を取って立ち上がった。釣られるように立ち上がってしまった祐一だったが困惑を隠せず、頬をかいた。
「い、いや……俺踊ったことなんてないし……」
「あら、レディに恥をかかせるのが日本の男の子の嗜みなのかしら?」
目を細めて笑みを消しきれない彼女は首を傾げながら問いかけた。服もボロボロで、一見しても誰か分からない髪も姿も変わり果てた少女の願いだった。
聞いてやらねば男が廃るぜ、とエオから肩を叩かれた気がして、わかったよ、と小さくうなづいた。
手と手をとって、えっちらおっちら歩いて回って踊って、下手ね、と彼女が笑えば、うるさい、と不貞腐れてそっぽを向いた。
「ねぇ」
「なんだ」
手を引かれ同じ方向を向いて、目は合わせずに問いかけられた。
「サトゥルヌスはどうしたの」
「たおした」
「そ」
だからもうベルゲンは大丈夫。わざわざ言葉にしなくても肩の下がった彼女を見たら必要はなかった。
「なあ」
「なに」
揺れる銀の髪と隠れざる蛇の気配。
手をとって同じ方向を向いて、目は合わせずに問いかけた。生き残ったとはいえ変貌を遂げた少女に。
「……お前も家に帰らないつもりなのか」
「そんなわけ無いじゃない。アタシはアタシよ」
音に合わせてチェリーがくるりと回って、頬に指をあて、笑った。毅然として、凛として。迷いなど一片も見せずに言い切っった。
そうか……そうだよな、と小さく何度もうなづいて。どうしたのよ、と不思議そうな彼女に笑いながら。
「いや、俺も帰ってみようかなってさ……」
「家に帰るのなんて当たり前でしょ」
本当に、その通りだ。別に難しく考えなくてよかったんだ……自縛自縄になってただけで。
帰りたい。帰ろう。あの場所に。サトゥルヌスの計略は神々との闘争で霞んでいた望郷を思い出させた。
「俺も、家に帰るよ」
カラッとした間抜けていて明け透けな笑顔。大人びた印象を受けたが、きっとこちらの方が素なのだろう。
「なんだ、普通に笑えるんじゃない。そっちの方が好きよ」
下手なダンスを踊る彼の腕をとって、頬にキスを落とす。馬鹿みたいに紅くなる相棒をからかって愉快な笑い声が木霊する。
そんな二人の最後の夜だった。
これはどうでもいい作品語りなんですが、チェリーは神を殺すしか能のない祐一くんと対比で、総てを持ちながら総てを守りきるというコンセプトで創作したキャラでした(家族、友達、神具、才能、血筋etc……。
彼女の存在と三つ巴は最初期のプロットから考えていて、まあ当初の想定より大幅にズレてしまいましたが書ききれて満足しています。
オリキャラという異物が原作に入り込んだらバタフライエフェクトで全く新しい神殺しが生まれる作品がひとつはあってもいいよなーっていう私の逆張りと偏見から生まれたキャラでもあるので、眉をひそめられる読み手さんも多いと思います。すみません。