王書   作:につけ丸

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第八章 王書
094:魔狼王と蒼狼王と


 七月なかば。

 朝鮮半島を縦断し、日本海を横断するチャーターがあった。

 その一室にて、男は長いフライトを終えようとしていた。

 

 白面の老人だった。

 老人の名を──サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン

 広い額と、深く窪んだ眼窩を持ち、顔色はひどく青白い。知的な風貌に違わず、銀色の髪は綺麗になでつけられ、ひげも丁寧に剃り上げられている。どこぞの大学の老教授という出で立ちだが、ただの老人というにはあまりに語弊がある。的外れがすぎる。

 例えるなら”人の皮を被った狼”

 齢300を超えるとも噂される最古参のカンピオーネである。

 彼こそ天地開闢から閲しても瞠目するほど珍しい魔獣どもの一角。バルカン半島に本拠地を置くこの東欧の魔王は、今朝方早くにセルビアから飛び立った。

 

 チャーター機が向かう先は──

 

「御前、失礼します侯爵閣下。まもなく──()()に入ります」

 

 ──日本。

 アジアの東端にある島国だ。

 欧州が魔術の本場とすれば、立地的に辺境と言っても差し支えない国。これまで歴史の表舞台に立つことなく、ひっそりと歴史に刻まれ続けるだけの国だった。

 しかし、数ヶ月前日本人のカンピオーネが生まれたと世に知られてからはこの国は少々騒がしい。どれくらい騒がしいかと言うと、欧州の魔術師たちの間では──"魔界"とすら揶揄するものもいるくらいだ。

 喜悦と期待に任せてつぶやく。嗄れた色は一切なく、明晰で、知的で、秘密があり……そして歴史があった。

 

「半月に三柱のまつろわぬ神が現れ、交戦しただと? クク……新鋭の同胞──草薙護堂と言ったか。やつは余程()()()()な思いをしているようだな。多少は歯ごたえのある神と戦えれば良いが」

 

 豪奢な一室で退屈そうにグラスを揺らし、香り高い日本酒を傾ける。酸味の強いワインとはまた違う、淡い味わいが喉を焼く。

 

「この乾きを満たせれば重畳……ふむ。日本とやらの酒ははじめて飲むが、悪くない趣向だ」

 

 グラスを空にしたヴォバンへ、召使いが近寄った。

 姿勢折り目ただしく、破壊と混沌をもたらしてきた魔王のグラスにワインを注いでいく。その瞳に滲む、恐怖。一睨みすれば仮初めの死という塩の柱へと変えられかねない恐ろしさが透けえ見えた。

 つぃぃ、と。

 召使いにむけてヴォバンが視線を動かし、眼窩に埋まったエメラルドグリーンの瞳が、召使いに突き刺さる。

 去ね。言外に込められた意味を悟り、すぐさま平身低頭する。

 まるで時代錯誤な王族か貴族の"謁見"を終えたように顔を伏せて下がる。

 

 実際、魔術師たちの間ではカンピオーネは『王』だ。

 

 元々、魔術師の王(ロード・オブ・メイガス)などと恐れられていた神殺しは、悪業の限りを尽くしたヴォバンによってその恐怖と権勢を確固たるものにした。

 彼の作り出した暗黒時代がなければ人と魔王との関係はもう少し近しいものだったのではないか。そう思えるほど。だがヴォバンには関係ない。たとえ力無き人々がどれほど騒ごうが魔王たる我が身には虫ケラ以下の価値しかない。

 

「極東へと渡る時間も早くなったものだ。私が若い頃には数ヶ月、数年を要したはずだが。……思えば海を超えるのも随分と久しぶりだ。老い先短い我が余生を楽しませてくれればいいが……」

 

 ぽつ、ぽつ。飛行機の窓に雨粒が落ちる。

 にわか雨はすぐさま勢いを増し、チャーター機をずぶ濡れにさせる。ガタガタ揺れる機内で乗員が悲鳴をあげているのが聞こえる。

 天然自然のもたらす雨ではない──発生源はこの老魔王。

 はるか昔にアジア旅しているときに、天候を操る神を殺め簒奪した権能の発露なのだ。

 カンピオーネは闘争を予感すると、昂る。猛りを抑えきれなくなる。

 ゆえにヴォバンは嵐を呼ぶ。彼の意思を汲んで権能が嵐を呼ぶのだ。弾雨と雷光と嵐を引き連れ、子ブタの隠れる主屋も吹き飛ばす狼。

 

 それが『暴君』デエヤンスタール・ヴォバンの精髄。

 長い時を生き、大抵の娯楽は味わった。だが尽きせ闘争心は衰えぬ。手強い神々との戦いは無上の歓び。

 しかし強いまつろわぬ神どころか、まつろわぬ神自体そうそうお目にかかれる存在ではない。でなければ四年前に欧州の魔女や巫女を集めて、神を招聘する儀式などやるわけがないのだ。

 

「ああ、同胞たるカンピオーネも悪くない」

 

 ヴォバンと同じく神を殺めた同族たち。彼らは皆、侮ることのできない戦士だ。権能の多寡など関係ない。

 興趣をそそるが日本の新顔へこちらから出向き、味見するというのも古き魔王としての沽券に関わる。だが……今の日本の現状なら誰かしらと相食むことになろう。

 どうせ騒擾のニオイを嗅ぎつけ何人か同族がやってくる。

 そういうものなのだ。カンピオーネとは。

 

「それに……物足りなければあのマリヤと言う東洋人」

 

 グラスごしに窓を見て、その先にある島国を想う。想起するのは四年前に己が手で起こした神の招来の儀式。

 

「あの巫女を使って戯れに神を呼び寄せてみるのも悪くない。クハハハハハハハッッ!!!」

 

 ぎしり、とヴォバンの発する重圧が豪奢な一室を軋ませる。

 ヴァバンは周到な王だった。超越者どもの闘技場と転変した日本で、よもやとは思うが満たされなかった場合。

 保険だが、神の招来でもやってみようか。どちらに転ぼうとも退屈しのぎにはなる。

 哄笑が止まらない。隠れなき魔王の牙は目的地を目前にした。暴風をまといながら朝鮮半島を抜け、日本海に踏み込み──。

 魔狼王の戦いはすぐそこまで迫っていた。

 

 ……そう、すぐそこまで。

 

 

 

 ○◎●

 

 

 

 

()()()()()()()()()

 

 ちょうどヴォバンの座席直下。

 

 飛行機の胴体下部に、何やら黒い影があった。時速800〜900kmはある乱気流渦巻く機体の胴体にひっついたその影は──人間だった。

 およそ人が存在するにはふさわしくない場所だ。それこそ場違いすぎる。

 だが人影はよっぽど握力が強いのか、一本の"棒"に捕まりながら、チャーター機の外側にへばりついていた。

 

『おおぉん!!!』

 

 人影の"捕まる棒"から世を嘆く声が聞こえた。

 

『ゆ、有史以来、三種の神器にも数えられる由緒正しき最源流の神刀たる(オレ)を──と、"取っ手"扱いした馬鹿者はおらんぞ……!!!』

 

「うっせぇなぁ。しゃーねーだろ? こんな場所で立っていられねぇんだから。また数ヶ月歩き回るより、日本行きの飛行機に引っ付いてた方が楽じゃん。……あー、今通りすぎたの韓国だろ? たぶん」

 

 何をやってるんだこのバカは。

 バカ──もとい木下祐一はなんとなーく旅していてなんとなーく空を見上げて見かけた日本行きっぽい飛行機にひっつく事に成功。数時間ほどこの場所でくつろいでいた。

 

 この三ヶ月、ノルウェーはベルゲンから日本を目指してひたすら東へ東へいくつもの国に不法入国をかまして横断していたのだが流石に遠かった。

 中央アジアのカザフスタンを歩いているあたりで、そういや日本に行くには海超えなきゃじゃん! と気づいた祐一は慌ててフライトしている飛行機に飛びついて、叢雲をぶっ刺したのである。

 とはいえ。

 濡れそぼった髪を後ろに流しながら不審につぶやく。

 

「日本行きの飛行機引き当てたのはよかったけど……。妙な感じだな。なーんか嫌な雨も降って来たし」

 

 祐一のいる場所は、基本的に雨が降らない。

 とある天使から簒奪した『輝く瞳(Mittron glaukopis)』の影響で、祐一のいる場所は大抵雨が降らない。快晴になる。

 遊牧民や砂漠の民からしたら入国をお断りしたいはた迷惑な『王』は、だからこそ権能を無視した嵐を不審に思った。

 

『雨に濡れたくなければ、この鉄の鳥に乗り込めば万事解決するであろうが!』

 

「いやぁ、キツいでしょ。おれパスポート持ってねぇしよ。この飛行機けっこう小さいし、窓から割って入ったら犯罪じゃん……」

 

 不法入国も立派な犯罪である。

 というか気にするところはそこではない。

 

「韓国抜けたってことは下は日本海だろ? ……陸地見えたら日本じゃん。そろそろ降りる準備しておくか」

 

『ふむ。確かに懐かしき潮風と大地の薫風は我らが故地のようだな。人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける……か』

 

「なんそい」

 

 バチくそバリトン聞かせた叢雲の和歌を不審顔でみつつ、叢雲を"引き抜いて、刺す"を繰り返す。さすがは日本最高峰の刀である。金属製の船体もなんのその、奥深くまでめり込んでいく。

 "引き抜いて、刺す"。"引き抜いて、刺す"。

 

 どす、どす。

 この調子で胴体から尾翼まで移動して、そこから飛び降りるとしよう。

 

「てか飛行機の燃料タンクってどこなんだろうな? 油漏れたら大変だし、そこだけは気をつけなきゃ」

 

 どす、どす──どぷっ

 

「どぷっ?」

 

 やべ。叢雲をそーっと引き抜くと、油がとめどなく溢れてきた。逆さまだから重力に引っ張られて勢いよく噴出している。

 

「……てか、へぇー! 飛行機のタンクってこんな所に──」

 

 

「──あの傍迷惑な老いぼれの妨害をするつもりだったのだがな……」

 

 

 あるんだ! と言おうとして誰かの独り言が飛び込んできた。

 

「あん?」

 

 飛行機の下に、奇妙な青年が立っていた。

 

 それも胴体に足をつけて()()()に。 叢雲を取っ手代わりにして何とか立ってる祐一とは違い、まるで重力を感じない。

 重心も風も働いている気配はない。仕立てのいいジャケットや品のいいネクタイは微動だにしていない。

 というよりこれだけ乱気流に揉まれているのに、秀麗な顔にかかる髪の一本も揺れていない。

 

 第一印象としては、背が高い。祐一も年齢に比してそれなりに上背があるが、それよりも高い。ダークグレーのジャケットを羽織った青年で日本人ではない。おそらく欧州の人間。

 

 祐一は悟った。

 

「へぇ、アンタ──()()()か」

 

 がつん、がつん! 

 胴重力と暴風が邪魔だ。機体の胴体に足をめり込ませる。

 自由になった両手で叢雲を引き抜くと、夜闇より深い漆黒が弧を描いた。刀身を肩で担ぎながら、浮かべるのは褪せることの無い──戦塵にまみれた戦士の笑み。

 

「ヒューペルボレアの護堂さんにベルゲンのチェリー。アンタで三人目だ。もう獣臭いニオイも嗅ぎなれてきたぜ」

 

「ほおぉ……。俺以外にも同族を知っているような口ぶりだな」

 

 そう。黒い青年は『王』だ。祐一の同胞だ。

 エピメテウスの落し子、愚者の申し子、デイモン、ラークシャサ、堕天使、鬼神、魔王……様々な忌み名を冠するカンピオーネ。

 しかしまったく対照的だ。

 祐一が"愚者の申し子"とすれば、青年は"堕天使"。あるいは東洋の金剛杵を担いだ童子と、西洋の抜け目ない盗賊神ヘルメスがごとく。

 イメージは真逆だ。

 

「「…………」」

 

 ぶしつけな視線同士が行き交い、冷徹な目と烈火の視線が交錯する。

 

 先に口を開いたのは青年だった。

 

「黒髪の東洋人で赤銅色の肌。あとは鋭い目だったな。報告書を読んだ時は女史らしからぬずいぶんと分かりにくい表現だと鼻で笑ったものだが……なるほど、今なら理解できる。つまり貴様がルクレチア・ゾラが公表した八人目か」

 

「俺が八人目? ……ってことは俺以外に七人もいるのか? ふーん、賑やかでいいじゃねぇか」

 

「フン、鬱陶しいだけだ」

 

 青年が顔を歪めてそう吐き捨て、下を……チャーター機を指差した。

 

「さっきも言ったはずだが……このチャーターにはろくでもない耄碌爺が乗っている。貴様の実力など知る由もないが、どうせ権能も一つ二つがいい所だろう」

 

 そこで言葉を区切って厳粛な面持ちになった。少しだけ親切心すら見せながら青年は、祐一の地雷を踏み抜いた。

 

「ここから立ち去れ──いや、貴様は日本人か。ならば当分帰ってくるな。少なくともこの馬鹿げた祭りが終わるまで……。そうだな、八月が終わるまではな」

「…………俺に帰るなだと?」

「ふん。先達からの忠告を聞いた方が賢明だと思うがな。その方が楽だし、危険もない。無駄がないだろう」

 

 すぅ……っとさっきまで呵呵大笑していた顔から波が引く。担いだ剣、肩、頭髪から鬼火のような戦意が立ち上る。

 冷徹な瞳に抗するように目を眇めると、自然、緊張が生まれた。

 十メートルも離れた二人だが、逆に言えば十メートルしかない。二人に取って十分敵を屠れる殺害圏内。間合い、呼吸、呪力の練合い。

 二王は言葉少なく、しかし確かに殺し合いの前哨戦が行われていた。

 

「──ここは引いておけ、貴様も同胞ならば"負ける"のは趣味じゃないだろう?」

 

「えらく偉そうな(あん)ちゃんだな……」

 

 当然のように敗北を前提として即時退去勧告を叩きつけて来た。

 気ままな旅ではある。別にその祭りとやらが終わってから日本に行くのも否はない。ただ……

 

「ぜってぇーヤだね」

 

 歯列を剥き出しにして、ふてぶてしい笑いを浮かべた。我が旅路の障碍ならば祐一にとっては敵だ。我が道行きを阻む障碍はすべて打ち砕くべし。

 

「チッ、やはりカンピオーネか。家に帰るなという警告すら聞く耳を持たないとはとんだご同輩だな。倫理観や常識をどこかへ無くし、自分の命の保証もできない戦バカめ」

 

「なあアンタ……。さっきからなんでずっと褒めてくるんだ……?」

 

「……皮肉も分からんとは、さては剣バカと同じ類の人種か。話にならん」

 

 ──迅。

 そう言った途端、黒い青年から紫電がまたたき姿が消えた。疾風迅雷の速度。何度かその身で味わったことがある。

 

「……神速使いか!」

 

 何度も困らせられてきた速度。神やカンピオーネだってこの速度には敗北のきっかけとなりうる。それくらい強力なカードだ。

 祐一にも神速に至る権能は二つある。

常勝への旅路(Parviz)』の化身と『聖武帝の稜威(domination over the world)』。だがこの場面では適切ではない。

 こんな序盤でタイムリミットのある『鳳』を使う訳にも行かない。『聖武帝の稜威(domination over the world)』も神域の速度へ踏み込めるが、最初からトップスピードには及ばない。

 

 ──ならカウンターで、一刀のもとに断ち切るのみか。

 

 惑っていた切っ先を縦に逆立てる。腹をくくって攻めかかる。

 雷光と刀光が夜闇に瞬く。

 

 迅。迅。迅。

 ゴロゴロと稲光りの黒雲へ突っ込んだチャーター機の下で、雷光の『王』と黒刀の『王』が隙を探り合う。

 見えた。稲妻が祐一のそばを駆け抜けていく。

 神速で駆け抜ける青年の姿を心眼で射抜く。その体からは紫電が舞い、おそらく物理法則から抜け出したような姿。

 全身を稲妻に変化させているらしい。

 

 神速はさしもの神やカンピオーネでも負担が大きい。祐一だって『鳳』は心臓を痛めるし、『聖武帝の稜威(domination over the world)』も直線でしか動けない。

 

 青年もまた制約が課せられている。全身を稲妻に変えるという制約を。どう対処するか思案していると相棒から声を投げかけられた。

 

『祐一ぃ、(オレ)の見立てでは"あれ"の仕組みは単純だ。我が破魔をかざさば彼奴はたちまち人へと戻る。如何する?』

 

「……いや、いらねぇ」

 

 剣気を精錬し、呼気を循環させる。

 身体能力と集中力が天井知らずに跳ね上がる。そこに権能の影響はない。

 木下祐一はそもそも人間の時点で、人類史でも最高峰の身体能力を誇っていた。

 ──二足歩行の生物中最速の脚力。

 ──全速力で一時間以上走れる持久力。

 ──約5km先を見通せる視力。

 

 加えてカンピオーネとなり、さらに肉体のスペックは底上げされた。

 

 ──骨が露出するほどの負傷さえものともしない自然治癒力。

 ──現存するあらゆる魔術から身を守る魔術抵抗力。

 

 そして──眼球より軽い脳ミソで本能のままに戦う。

 

祐一はダチョウだった……?  

 

 ともかく極めてダチョウに近い若きカンピオーネは、叢雲からの提案を断っった。

 代わりに刀を腰だめに構える。呪力がうずまき、喉の奥から言霊が湧き上がる。

 

「術破りはこっちでやる、お前は剣を研げ」

 

『応』

 

「……一切の悪意と悪魔を焼き尽くす為に。我が燃えさかる焔と見透す瞳が不浄を祓い清めようッ」

 

 目を瞑って開き、次の瞬間には祐一の眼は"朱"に染まっていた。見たもの全ての邪悪を祓う、聖なる霊眼である。これと心眼を組み合わせれば見通せぬものなどない! 

 一条の稲妻が迸る。雷を発しながら青年が接近するのを直感で感じる。

 来た。

 祐一は自分自身が()()()()()()タイミングで青年の体当たりに対処した。祐一が避けれないなら、青年も同じく避けられない! 

 

「我が燃えさかり見透す瞳よ──晦冥(かいめい)の未来を照し出せ!」

 

「術破りの権能か! このタイミング──まずいっ」

 

「……!」

 

 青年の雷光状態が解除され、人間体になって飛び込んでいくる。飛んで火に入る夏の虫だ。

 魔術破りの破魔と霊眼。そして位階の上がった目がサトゥルヌスも打ち破る強力な未来視を為す。集中するほど何重にもズレていたピントが合っていく。未来が収束する。

 

 見出すのは──唯一無二の現在。

 

 雲耀の閃き──即ち、雷切。

 

 手応えあり。

 我が瞳は鮮血が見ゆ。だが。

 

「ちぃっ……浅いッ! あれを避けるのかっ」

 

「ぐ! 術破りだけでなく貴様も剣バカや怪力女のように俺の速さを見切れるのか! 面倒な手合いだなっ」

 

 首を切り飛ばすつもりだったが頭皮を撫でただけで終わった。頭部は小さな傷でも出血量が多いから目立つが、どうせ祐一と同じであればまあ軽傷だ。

 異常な回復力でもう傷は治癒しているに違いない。

 それに祐一も頬に雷撃傷が刻まれていた。あの一瞬の交錯で。 毛細血管が破裂し、枝を広げた樹木じみた赤い線が目元まで。

 明らかに頭脳タイプで戦闘は得意そうに見えない。だが、あれは見かけだけ。青年の根幹にはしっかりと戦士の相が根付いている。

 

「え、電げ──?」

 

 そう、青年はいつの間にか電撃を放っていたらしい。

 そう。電撃の玉を放って──? 

 

「あ」

 

 鼻先にオイルが垂れてきた。

 燃料タンクを神刀で突き刺し、挙句、両足で貫いているのだ。可燃性オイルでびしょ濡れになってるのは当然で──ぽいぽい。バチバチィ! オイルでずぶ濡れになった祐一へ……追加の雷撃が飛んできた。

 

「……そういや電気って発火し──」

 

 

 カッ! 

 

 

 ──GYAAAAAAA!!! 

 

 

 割りと自業自得な祐一の壮絶な断末魔とともにチャーター機が爆発炎上。黒煙をふかしながら、一気に高度を下げた。

 

 

 ○◎●

 

 

「侯爵閣下! 燃料タンクが原因不明の爆発が発生しました! 当機は海に緊急着陸を──ひっ」

 

 チャーター機の突然の爆発。

 何者かの攻撃かもしれない。とにかくスイートルームで寛いでいる主のもとへ胃痛を感じながら駆け込み、そして見た。

 エメラルドグリーンを爛々と輝かせ、三日月に笑う魔王の顔を。

 頬がない。人にあるべき頬が上下に千切れ、牙が剥き出しになっている。狼が──真神が大きく口を開け、涎を垂らして獲物を品定めしている。

 獲物。

 窓の外にのぞく獲物。

 千切れかけの右の主翼に対峙している濡れ鼠になった二人の『王』。

 あれこそ腹を空かせた肉食獣の前に放り出された肉。

 カンピオーネはおしなべて戦好きだ。そしてその戦好きを先鋭化させた魔狼王にとっての──極上の獲物。

 

「くく」

 

 獣の、生臭く、熱い吐息。ガラスが白く曇る。

 動物園で柵をして窓越しに隔てたられた先の、餌を眺める獣のようだ。

 だがここは動物園ではない。鎖に繋がれてもいなければ、何者にも縛られぬ『王』ゆえに気兼ねなくエサに喰らいつける。

 ヴォバンはあれらを堪能出来る。

 

 魔王は思ってもみなかった望外の幸運に久しぶりに感謝の念を覚えた。

 

 

 ○◎●

 

 

 雨が酷い。

 

 雨の多い英国は傘を差すという習慣があまりない。とはいえこれは辛い。さっきまでは時折鼻先に当たる程度だったが、今は目を開けていられないくらいだ。

 ちなみに飛行機はもう取り返しのつかない惨状になっている。どうやらオイルは主翼のエンジンにまで引火し、盛大に爆発したらしい。

 景気よく黒煙を吐いて火だるまになっているが、雨が降ってなかったらもっと酷い状況だっただろう。

 黒煙の中から、祐一がほうほうの体で出てきた。飛行機の主翼に焼け焦げた祐一がえづいて飛び出し、対する青年はまったく心配することもなく興味深そうなぶしつけな視線を送ってくる。

 

「ゲホゲホ、えっほえほ! 神速使いと戦うのは久しぶりだな。仁さんやヤマトタケル以来じゃないか? 全身火だるまになるし、死ぬかと思ったぜ」

 

「チッ、なりたてだと思ったが想定より戦い慣れているな。火だるまになっておいて死ぬどころか、飛行機から振り落とされず火傷も負っていないか」

 

「ま、ぼちぼちな。にしても(あん)ちゃん見かけによらず素早いなぁ……完璧に首を切り落とせたはずなんだけど」

 

ケルト(未開の首狩り)人か貴様は……ふむ、やはりその黒い剣は神具の類か。破魔の神格を秘めた代物のようだが……俺の術を解いたのはそれではないな。破魔の根源は──赤い目か」

 

「おお、そこまで分かんのか。……でも。へへ、まだ始まったばっかだぜ? 答え合わせにゃはえぇだろ?」

 

「だが分かっているのはその目が破魔の霊眼ということだ。つまり神速の間は貴様の視界には入れないと考えたほうがよさそうだな」

 

「へー……その言い方は神速以外に俺とやり合う手段があるのか」

 

「いや、正直に言うとない」

 

「あん?」

 

 自分の弱みを断言するような口調に不審をおぼえた。彼の明晰さは祐一も感じ取っていた。だから不自然な言動だった。

 そして青年は視線を動かした。剣をふたたび担いだ祐一に、青年は懸念を示すように──"驟雨とチャーター機の中"へと視線を巡らせた。

 

 ん? 

 

 その仕草に祐一は違和感を覚えた。

 しかし、青年はそんなことなかったように言葉を続けた。

 

「俺はもともと貴様らのようなカテゴリー(野蛮人)とは違う。ただ無駄で非効率だとは思うが、貴様らとは、()()でしか対話できないから付き合っているだけだ。話し合おうなどと無駄な努力をするのは俺のスタイルではないからな」

 

 なんかこの(あん)ちゃん凄いこと言ってんな。と青年の講釈を鼻くそほじりながら聞いていた祐一は違和感の正体に気づいた。

 

「俺は考えるより身体が先に動くタイプとは違う。それなりに準備しておくし、過不足があればそれなりに対応策を練っておく。つまりだ──」

 

 最初の邂逅時。

 戦う前に青年はなにか言っていたような気がする……このチャーター機には()()()()()()ものが乗っていると。

 

「貴様の()を潰す手立てはある」

 

 

──轟ッッッ!!! 

 

 

「なんだ!?」

 

 爆発が起きた。衝撃でチャーター機の胴体に備え付けられていた緊急脱出用の扉が景気よく海に放り出された。

 いや、爆発と言うには少し異様だ。なにせオイルの爆発音とは毛色が違う。オイルの匂いや焦げ臭さも感じない。爆風は突風さながらの洗練された鋭さを秘めていた。

 そして何より異様なのは爆発の起点はチャーター機の内側。()()から生まれたものだったから。

 

 

「──どんな馬鹿者どもが私の膝下で暴れているのかと思えば……」

 

 

 火災による煙がもうもうと立ち上る胴体から、一人の老人が出てきた。

 さっきまで爆発炎上していた機内から出てきたとは思えない整った出で立ち。

 それだけでも驚愕を禁じ得ないのに、老人の身のこなしは老いさばらえた人間のものではない。

 乱気流に揉まれながら異常振動する機体の上で、ゆらめくような鳥獣の身のこなしで歩み寄ってくる。

 

 祐一は悟った。

 

 あれも同族。確信がある。爆風のなかでも拭い去れない血風が、あの老人からは絶え間なく臭ってくる! 

 

「暴れていたのは貴様か、アレクサンドル・ガスコイン」

 

「暴れていたと言うには語弊があるな。とはいえそういえば侯爵どのは夜は早く朝は早い老人だったな。深夜の訪問となれば断りの電話くらい入れておくのが礼儀だったか」

 

「相変わらず捻くれた小僧だ」

 

 老紳士の知性を感じさせるエメラルドグリーンの目が、祐一の目を射抜く。

 知性? 何を馬鹿な。あれは所詮、見掛け倒しにすぎない。エサを求める熊やシャチが芸を覚えているだけに等しい。

 本性はその中に潜んでいる。見ろ、今にも飛びかからんとする獣のように爛々としているではないか! 

 

「捻くれ者の貴様がこんな場所にいるのは意外だったが……貴様とは何度も顔を合わせたことがある──しかし少年。君は見かけぬ顔だな……名乗るといい」

 

 

()()()()()()()

 

 

 瞬間。

 

 

「あ、ぐ!」

 

「ぬっ……!」

 

 ぱん、と音がして少年と老人の眼球が片方ずつ仲良く弾け飛んだ。

 祐一の右目から血が流れ、ヴォバンも左目から血を流す。祐一が後ずさり、ヴォバンがふらつく。

 思考より身体で理解した。

 ヴォバンと祐一が似通った権能を持っているのが災いした。

 視線は交わっても止められない。ノーガードでぶつかりあった視線が防御を無視してクロスカウンターをしてしまったのだ。

 

橋のホラティウス──ホラティウス・コクレス!?」

 

小YHVW──メタトロンだと!」

 

 そして邪眼と霊眼を完全掌握した魔眼の主たちは、簒奪した神の名前まで見通した。

 ローマ建国史に刻まれた英雄の名が祐一の脳髄を駆け巡る。ヴォバンもまたユダヤ、イスラムにまたがる強大な天使のきらめきを垣間見た。

 

「……く、くくくっ くはっ! はははっ!!!」

 

 赤く染まった視界で老紳士がその皮を投げ捨てたのは直後だった。

 ヴォバンが、その皮を破り捨てた。狼の皮をかぶった戦士(ウルフへドナー)ならぬ人の皮をかぶった戦士(マンヘドナー)が狂笑を漏らす。

 

「知らぬこととはいえ……謎多き天使メタトロンを倒した同族がいたとは、思いもしなかった。貴様は『王』へと成り上がってどれほど経つ? 一年か? それ未満か? 一柱しか神を殺めていないなどということはあるまい。……とはいえ」

 

 狂気。地獄の釜に沈んでいた魔物が顔を出した。

 

「──堪能させてもらうぞ」

 

 

 そして。

 

 

「『ソドムの瞳』を知ってからずっと考えていた謎が氷解したな。魔眼は同系統の権能とぶつかった時、どうなるのか……」

 

 青年……アレクサンドル・ガスコインと呼ばれた黒き王子が尊大に同族どもを睥睨する。

 

「魔眼を持つカンピオーネは今まで存在せず証明不可能だと思っていたが、答えは得た。これで俺も貴様に縛られずに神速を使える。……それに思いもよらない話を聞けた。俺以外にもイカれた天使を殺めた同族がいたとは。とはいえこの先へ進むと言うならば面倒だが相手をしてやる」

 

 伶俐。黒雲にひそむ稲光りが羽根のごとき影を映し出す。

 

「俺の研究テーマを貴様らにかき乱されるのは気に入らん」

 

 

 二人の『王』に槍玉にあげられながら、当の祐一はと言うと、彼も驚愕に目を見開いていた。

 

(メタトロン? 天使って誰? ……え、もしかしてアイツ? …………あ、あの金髪天使ってそんな名前だったんだ……)

 

 いい加減知っておけとトルコで戦った淡い金髪(オフゴールド)の天使が中指突き立てているのを幻視した。ま、なるわな。

 とはいえ。

 

「名乗れっつってたな。木下祐一だ。じっちゃん、アンタの名前は?」

 

「私の名を知らぬほどの世間知らずか。それに礼儀知らずでもあるらしい。──我がサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンの名を刻んでおけ」

 

「サー……デヤ……なに? 長くない?」

 

『サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンとアレクサンドル・ガスコインだ』

 

 外付け記憶装置兼解説機能付きインテリジェンスソードは今日も大活躍である。彼はそろそろAlexaならぬMlaxaと名前を改めた方がいいかもしれない。

 人名を三文字以上覚えられない奇跡を為した奇跡のアホは、世に覇を唱える『王』たちの安売りセールで売り出された喧嘩を鼻歌まじりに買った。

 

「アレク兄にデヤン爺か。覚えたぞ──じゃ、やるか」

 

 気負いなく、家に帰る気やすさで。

 

 神を弑逆した『王』らの殺し合いは始まった。




三つ巴編で知能が上がった祐一くんですが下方修正しています。
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