王書   作:につけ丸

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097:救世の神剣ロンギヌス

「立つ鳥跡を濁さずとは言うがな」

 

 祐一が亜光速で飛び去ったあと静かな浅瀬でアレクは呆れを込めて呟いた。アレクも吸引の稼働をやめ、狼や従僕もヴォバンからの呪力供給がなくなり消えている。

 あれほど凶悪な呪力が渦巻いていたのに当の本人がされば静寂のみが残った。

 

 なんというか一極集中を体現したような技だ。

 目標(ターゲット)以外、目もくれず被害もないのは最早驚きより呆れてしまう。

 

 とはいえ三王が遊び散らかした島は目も当てられない。小島の砂浜など、まるで遊び終わって片付けられていない子供部屋。あと片付けなんて考えていない。

 

 流石は後から考えるエピメテウスの落し子と言える。命をかけて命を弄んだ戦士たちは後のことなんて考えられない。

 

『開け、冥界の門。母なる大地の姉にして冥界の女王、畏るべきエレシュキガルの版図へと下り、我は今こそ死を超える』

 

 口もないのにヴォバンの唱える聖句が聞こえる。

 散体したヴォバンの足元にいつの間にか降り積もってた灰が舞い上がる。灰吹雪はまたたく間に人間となり、苦々しい表情の老魔王となった。

冥界の黒き竜(Otherland's Dragon)』──冥府神イナンナから簒奪したという復活と変身の権能だ。

 

「ちっ、忌々しい……」

 

 最初に吐き出した言葉はそれだった。

 

「木下祐一といったか。あの小僧は……まあ、あの勢いでは戻って来れまいな。敵を仕留めたかどうかすら確認もせず戦場を去るとは。サルバトーレめの馬鹿者と少し毛色は違うが、馬鹿者なのは変わらんな」

 

 ぶつぶつと並べる老人の小言がうっとおしい。

 とはいえ若干トーンが上がり、昂っているらしい。

 呪力は盛大に減じてはいるが肉体的にはすべて元通り。緑の邪眼すら治っているヴォバンだが──額には王冠じみた聖痕(スティグマ)が刻まれていた。

 

 パチン。

 

 ヴォバンの尽きせぬ戦意に反応して、同じく王冠の刻まれたアレクが指を鳴らした。途端に周囲の砂浜がうごめく。『迷宮』がより深く構造を変え、霧が発生する。

 

「なんのつもりだ?」

 

「『聖秘儀』とやらを執り行っているあの列島に、更なる混乱を呼ぶ魔王など渡らせる訳にはいかんからな」

 

「頭でっかちの秘密主義め。戦の風情を介さぬとは同族の風上にもおけんな? 忌々しく腹立たしいことだが……今の私は満足している」

 

「満足、か。とてもそうは見えんが?」

 

「これは余韻というものだアレクサンドル・ガスコイン。このまま無理やり続けても興が冷めるというもの。私としては闘争心を満足させてしまった……とはいえ食事で腹を満たしベッドで眠りたいのだがな。この海をUターンするというのも面倒とは思わないか?」

 

「それでは日本の地を踏むのを諦めるという意味にはならないだろう……」

 

 アレクは肩を竦め、近くの岩に座り込んだ。

 それから召喚の魔術で呼び出したキャンプセットで、焚き火を開始し、紅茶を入れ始めた。

無貌の女王(Queen the Faceless)』──半人半蛇の使い魔を呼び出し、激しい戦いで海中にプカプカ浮いてる魚介類を取ってこさせる。

 いい感じに焼けた魚やタコをブツ切りにし、鍋を振ってコメの水気を飛ばし、凄まじい勢いで海鮮チャーハンを作り出した。

 ヴォバンが胡乱な視線を向けてくるが気にも止めない。

 アレクは快適さを求めるなら妥協はしない。そのためなら因縁のある魔王にだって飯を振る舞うくらいわけない。

 

「以前から重ね重ね思っていだが、呆れるほど神経質な男だ」

 

「貴様が飯を食いたいと駄々をこねるからだろう。寝床は勝手に用意しろ。どうせ同族どもは、どんな場所で寝ても変わらん」

 

 何故か最古の魔王と黒の王子は、浅瀬の岩に座り込んで感想戦という訳では無いが海鮮チャーハンを貪り食いながら言葉を交わしていた。

 

「……まあ、私の口に入るにふさわしいとは言わんが、悪くはないな」

 

「ふん。この一皿で貴様を翻意できるなら易いものだ」

 

「ふむ。しかし興味がある。普段はまともに戦わぬ貴様が、ここまで乗り気とはな」

 

 アレクの言葉を華麗に無視したヴォバンは食事の手を止め、そのまま額の王冠に触れた。

 

「この痣の出現も気になっていたところだ。魔導を知る従僕どもも知らんようだし、一番事情に精通しているのは貴様らしい。話してみよ。聞いてやる。ややもすれば私は日本への来臨を諦めるかもしれんぞ?」

 

「バカバカしい。自分の素行を振り返ってみろ。言葉で翻意できるなら、貴様の数世紀単位で引き起こした乱行の数々が歴史に刻まれているはずがないだろう」

 

「戦いたくなければ言葉でやってみせろということだ。拳のやり取りは流儀ではないのだろう?」

 

「チッ!」

 

 本日最大の舌打ちが出た。

 別にやり込められた訳では無いが、いつだって戦いは攻める方がイニシアチブを握るものだ。だから防衛側に回っている自分がその分不利なだけだ。そういう事なのである。

 

「その額の"聖痕"あるいは"王冠"は……()()()の参加資格のようなものだ」

 

「ゲームだと?」

 

「3,4ヶ月前のことだ。魔の三柱事件(ベルゲン・トライアングル)と前後して……俺の組織『王立工廠』の情報網にこんなものが引っかかった」

 

 アレクはそのまま召喚の魔術で携帯端末を取り出すと、アプリを開いてSNSを起動し、ヴォバンに投げ渡した。

 

 ヴォバンが画面に表示されたアカウントの投稿を見て──途端、顔を顰めた。

 

 

『【緊急メンテナンス】

 ただいま、ゲーム実装のため日本列島の緊急メンテナンスを実施しております♪ #&! 

 メンテナンス中は()()()をご利用いただくことができませんので、ご注意ください! @%*

 終了日時は6月中旬前後を予定しております♬ ♬+?!』

 

 

『【イベント紹介】

 緊急メンテナンス終了後、復活イベント『旭日昇天の聖秘技』を開催します!♪ #&! 

 まつろわぬ神と魔王の入り乱れる殺し合いを、ぜひお楽しみください♪ @%*

()()()の報酬として『最後の王』の称号を獲得できるので、ぜひお楽しみに♪ +?!』

 

 

『【ピックアップガチャ】

 緊急メンテナンス後、イベント期間限定ガチャ『夜の胎児たちの蠱毒』を開催します!♪ #&! 

 開催期間中は、★王冠★を持った『王』たちが殺し合う他、勝ち上がった『王』はまつろわぬ神カンピオーネ関係なく世に『救世主』として排出されます! *+?! 

 ぜひこの特別な機会をお見逃しなく! @%*』

 

 

 

「…………。なんだこのふざけた文章は…………」

 

 なんというか流行に疎い爺婆が無理やり流行に乗っかったような文章。人を馬鹿にしすぎた文章だが、見過ごせない。

 ヴォバンもこの界隈にいて長い。

 精通しているとまではいかないが、馴染み深いワードがそこかしこに散りばめられた文章を無視できない。

 このSNSの投稿は、いわゆる万バズしていて人々の目にも触れられていた。

 

】ライリナイト @Ricerich628

『なにこれどゆこと? てかTLに何回も表示されるんだけどバグ?』

 

】ダシアン重海苔 @4=bulestick

『なんのソシャゲか表示しないのは理解不能。広告にしても悪質すぎんだろ』

 

】フローラ春月 @SpringFlora

『他のリプ欄のやつら神殺しとか魔術とか真面目に考察してて厨二病と陰謀論者湧きす、ぎぃ〜!』

 

 コメント欄には戸惑ったような様子が散見される。

 

「日本には大昔から度々、不可解な流言飛語が流行るらしい。日本の呪術界の元締め……正史編纂委員会の検閲すらくぐりぬけてな。以前までは本のなかに紛れ込むような形だったが──今回は毛色が違う。SNS上に同じ内容の投稿が何度も流れてくるといった手法だ」

 

「メンテナンス……とあるが?」

 

「その投稿が始まった時と同じくして、日本に二柱のまつろわぬ神が現れ蠢動しはじめた。俺や草薙護堂への接触、何柱ものまつろわぬ神の招来……それをメンテナンスという言葉で評していると考えるのが自然だ」

 

「つまりこの日本をゲームに相応しい場所へ変化させるためにメンテナンスしている。そういう事か。今は7月半ば──6月中旬に終わるメンテナンスは終了し、ゲームは実行されたわけだ」

 

 なんとも馬鹿げた話だ。

 だが半月でまつろわぬ神が三柱も現れた異常事態……その理由の一端を知った。

 

「それ以上の情報は俺も知らん。だがこの日本列島を覆う異常事態、まつろわぬ神やカンピオーネの数に比例して激しさを増すと考えていい。王冠を戴冠した『王』が殺し合い、血を流すほど、主宰たるまつろわぬ神を喜ばせるだけ。侯爵、貴様のようなはた迷惑な連中がいればいるほど、面倒臭さが跳ね上がっていくという訳だ」

 

「言葉がすぎるが、間違ったことは言っていないな。それで? その二柱とやらの名は割れているのか?」

 

「まあ、ここまで付き合ったから教えてやる。神々の名は──」

 

「善哉善哉。新たに二人も"神殺し"が到来したのは重畳だのぉ」

 

 ──身体が活力を獲た。

 のっそりと二王の茶会に見知らぬ老人が顔を出した。身体の大きな、白髪白髯の老人であった。

 

「ふん。この島はギリギリ日本ではないはずだが?」

 

 顔見知りらしいアレクが鼻を鳴らし──まつろわぬ神へと問いかけた。

 

祭壇(日本)でなくとも、『王冠』が刻まれれば関係ないわぃの。その者はゲームの参加者となろうて。頭のいいおぬしじゃ、薄々気づいておったんじゃろぉ」

 

「チッ」

 

 今度はヴォバンが問いかけた。

 

「まつろわぬ神か。名はなんだ? 多少は私の興味をそそるに名乗るにふさわしい名だと嬉しいものだが? ……望み薄ではあるがな」

 

『まつろわぬ神』なのは間違いない。しかし、これまで戦ってきた強敵の予感が感じられない。

 擦り切れた表情、やつれた蓬髪、背に背負った大剣は根本から存在せず柄だけが覗く。身体だけは大きいがどう見ても老い先短い老人だった。

 

「ロスタムという」

 

「ほう……。ハッタリにしても大きく出たな? 糸車のからくり糸で雁字搦めの《運命》に翻弄された英雄とは」

 

《廻る天輪》《苦痛を終わらせた者》《悲劇の英雄》──そして《ペルシャ最大の英雄》ロスタム。神話や魔術にそこまで精通していないヴォバンでも、さすがに聞いた名だ。

 日本ではそれほど知名度はないがペルシャでは最大の英雄。例えばギリシャのヘラクレス。例えばケルトのクーフーリン。例えば日本のヤマトタケル。

 そういう神話体系を代表するような大英雄クラスの神格。

 

 その来歴はイランの地で栄えた古代の帝国パルティアまで遡れるという相当古い神格だ。特に東イランでは七世紀あたりから絶大な人気を誇る。

 

 かつて木下祐一とウルスラグナが激突した最終決戦の地イラン──ペルセポリス。

 その少し北にあるナクシェ・ロスタムという巨石の遺跡には、アケメネス朝からササン朝の歴代の王たちを刻んだレリーフがある。

 しかし今ではナクシェ・ロスタム(ロスタムの絵)として知られる。

 これはイランの人々が石碑に描かれた人物を英雄ロスタムだと数千年単位で()()()していたから名付けられ定着した名前だという。

 

「アフガニスタンには"ロスタムの名はロスタムより優れる"という諺があるらしいな? 人の名前や評判が、実際の能力よりも優れているときに使われる。つまり意味は()()()()だ」

 

 そう言いながら、ヴォバンの気配が変わった。

 

 先程まで身を伏せていた狼が立ち上がるように。尽きせぬ戦意と闘争心の塊である老王は、手に握ったフォークを握りつぶした。私物を壊されたアレクがため息をついた。

 たとえ休息の真っ只中でも速やかに戦闘態勢へと移行できるのがサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 

「典型的な《鋼》……それに『最源流』と言うやつか。──だがそれにしてもみすぼらしい。名前負けした身体だな」

 

 彼の体軀は大きい。象と比肩できそうなほどだ。

 だが衰えている。獅子と謳われた世に二つとなき肉体も名残を残すのみだ。

 ……錆び切っているのだ。剣の刃と同じく《鋼》の性も鋭くても、使い続ければいつかは刃こぼれしてしまう。無敗の軍神だって、いつかは錆びに侵され折れてしまうもの。

 

「呵呵呵、そうか貴公が狼王か。そっちの『雷光の王』からお噂は予々(かねがね)聞いておるよ。まあ生きれば老いる。死と破滅は必ず訪れよう……それが世の倣いであるからして」

 

 そしてロスタムは切り替えるように手を叩いた。

 

「ま、この話しはええじゃろう。……『はじまりの王』はすでに倭国へと入ったか。今一度、顔を合わせみたかったが仕方ない」

 

「あの小僧と知り合いか」

 

「一度のう。さて、()()()に参加を表明した神殺しは"四人"。いい塩梅じゃ──では始めようかのぉ」

 

 ロスタムはカンピオーネたちが身構えるより早く、気怠げな動作で口笛を吹いた。

 そして宣誓を果たす。

 

 途端、ヴォバンとアレクは瞠目した。

 

剣神の宿星に奉る。凶星の悪鬼ども……神殺しの魔王どもの殲滅を誓わん。《運命》の担い手よ、老雄ロスタムの願いを聞き届けたまえ

 

 

 ──『盟約の大法』

 

 

 ここに明後日の方向に飛んでいった祐一がいれば、こう叫んだかもしれない。だが不在であるためカンピオーネたちは初めて垣間見る……自分たち(カンピオーネ)への殺意に怖気を抱いた。

 殺意は大きさは呪力の大きさ。まつろわぬ神やカンピオーネの数人分を遥かに上回る莫大な呪力があふれ出す。

 

「なんだこの、いや──! ……我は告げる! 生あるものはすべて平等であると。罪人も聖人も、凡愚も英雄も、無垢なる子供もその母も、我は等しく火の糧としようっ」

 

 目減りした呪力を燃やしながらヴォバンがチャーター機の上で行使した『劫火の断罪者(Red Punishment)』を発動する。天来した業火が、キャンプセットを燃やし、無人島ごと炎上させる。私物が燃える光景にアレクの顔が歪んだが、彼も神速で回避しきった。

 

「ほー……劫火の権能か。使うのがちと遅かったの」

 

「無傷とは……な」

 

 老いさばらえたはずのロスタム。

 しかし今は見違えるほど豪奢な装いであった。莫大な呪力を内包し、武人然と鎧を着込み、カンピオーネ二人と相対する。

 分厚く豪奢な鎧の前ではヴォバンの劫火の権能でさえ有効打になっていない。英雄ロスタムの鎧『虎皮の外套(パランギーナ)』──火や水、そして武器を無効化する神域の鎧だ。

 

 ──オォォォオオオオオオォォン! 

 

 鎧の分厚さに遠隔での攻撃は通らないと悟ったヴォバンは人狼へと変身し、虎の鎧を着た猛獅子のごときロスタムへと飛びついた。

 されどロスタムは落ち着き払った姿勢で、兜を脱いだ。白い蓬髪がこぼれ──うごめく。

 

「ザッハークは肩から蛇を出したが、貴様は髪から生やすか!」

 

 ペルシアの伝承には蛇王ザッハークという王がいた。かの邪智暴虐なる王は、異形で知られ両方の肩から蛇が生えていたという。ロスタムは英雄の家系(ナリーマン)に生まれながら、蛇王ザッハークの血脈でもあった。

 ロスタムの白髪が、白い神馬へと変化する。老雄ロスタムの戦いをずっと支えてきた仲間だ。かつて木下祐一が友としたラクシェ以上に神々しく、力強い。

 そして神馬ラクシュはただの馬ではない。竜の特徴を兼ね備える勇敢にして獰猛なる竜馬。いかに暴君ヴォバンでもたやすく倒せる相手ではない。

 

「我が父は白髪のザーム。死を想わせる白髪は魔ゆえ同じく魔なる竜馬を抱えるには髪が相応しいかと思っての──我が友ラクシュよ。しばし悪鬼を相手をしてやれ」

 

 銀の狼と白き竜馬の争いを尻目に、ロスタムは瞑目しながら言霊を称揚していく。《鋼》の言霊が打ち合う刃のごとく殷々と虚空に轟く。

 

「聖秘技の流血に群がる魔王ども……」

 

 ロスタムの儀式はつつがなく執り行われる。

 

嵐と災厄の運び手たる"東方の王"よ

 

人に仇なす灰銀の毛並みもつ"暴君"よ

 

何人も追いつけぬ孤高に世を眩ます"雷光の王"よ

 

辿り着けぬ地を目指し永劫流浪する"はじまりの王"よ……

 

やんぬるかな。弑逆された神々は戻らず、悪鬼どもは世に蔓延る。悪神アーリマンのもたらす末世の闇を切り裂き、神殺しの魔王どもを鏖殺するため──救世主の到来と、剱の新生を願う

 

 ──キー! 

 ロスタムの口笛を聞きつけた霊鳥シィムルグが天より飛来し、そしてそのカギ爪で抱えていた『物』をロスタムの前に運ぶ。

 ヴォバンの『劫火の断罪者(Red Punishment)』で中空に立ち止まったアレクが、飛翔する巨大な鳥の神獣を看破した。シィムルグはなにか巨大なものを運んでいた。

 

「鳥の神獣、英雄ロスタムを援助したという霊鳥シィムルグか! だが……なんだ、あれは? 丸い石……いや、卵か?」

 

 その物体は、丸く、輝きを秘めた『卵』だった。

 ロスタムが使った『盟約の大法』──それに比肩しかねない途方もないエネルギーを内包した『卵』──。

 神話世界の謎を数多く解き明かしてきたアレクでさえ不審につぶやく。それも当然だ。

 

 この世界では誰も知らない。

 

 天地人を知り尽くし全知に近しい天上の神々であればともかく異世界で生み出された物など──人の世では誰も知らなくて当然。知っているのは同じく異界から現れたカンピオーネ──木下祐一以外知りえない。

 あれは、かつてトルコで億千万の瞳メタトロンがいと高き全知全能の神の招聘を願い、そして失敗した儀式の残滓。メタトロンですら呼び出すには格の足りなかった神の卵。

 だが、それはロスタムと布袋の手によって補修され、改造され、世に顕れようとしていた。

 

 神の新生を運命付けられた『卵』は──今この時、その宿命を果たす。

 

「──哈ァッ」

 

 劫、劫、と火焔の広がる地で、裂帛の気合とともに老雄ロスタムが刀身の存在しない剣を『卵』へ伸ばす。刃なき剣は、当たり前のように『卵』を傷つけることなく、やすやすと『卵』へ触れた。

 ロスタムが微笑とともに言霊を口ずさむ。

 

焔と剣より生じよ! 

 

刃のなかの刃よ。汝は魔王殲滅の刃。汝は白き救世の光明! 

 

汝、救世主の振るう刃にして救世主そのもの。汝、救世主を殺し──救世をなす皇子の御剣となれ!!! 

 

 

 しゃらん。

 

『卵』がはじけ、なにもなかったはずの柄の先には刀身があった。金色と鉛色の入り乱れる刃のゆらめきは、先刻、祐一が放った『旭の秘憶(メフレ=ガン)』に酷似していた。

 金と鉛だけでなく青や赤に白など……七色に輝く。

 

「神の分身にして神の骸『救世の神剣』──生まれながらに骸である、これをなんとするか? ふぅぅむ、救世主を殺める刃……か」

 

 ロスタムは白髯を撫でながら『救世の神剣』へ銘を贈った。

 

「ならば──()()()()()()()とでも名付けてみるか」

 

「……ロンギヌスだと?」

 

 ロスタムが救世主殺しの刃が高々と掲げられ、極寒の冷気がほとばしる。これは、かつて神の子が処刑された聖穢入り交じる丘──ゴルゴタの丘の気配。

 余人であれば目を盲い、命を喪う、壮絶な陰気の高まりにアレクが柳眉をひそめ──

 

 

「──()()()()()

 

 

 竜馬ラクシュが塩の柱となり、ボロボロと崩れる。髪が半分以上消え去ったロスタムが、顔にかかる乱れた蓬髪からヴォバンを見据えた。

 祐一の『輝く瞳(Mittron glaukopis)』によって封じられていたヴォバンの権能『ソドムの瞳(Curse of Sodom)』が解禁され、エメラルドグリーンの眼光がきらめく。

 

「いいだろう! 名前負けの英雄風情が大口を叩いたものだな!」

 

 最古の魔王は『救世の神剣』を前にしても獣の笑みとともに牙を向いた。『虎皮の外套(パランギーナ)』が変色し、塩と化す。

 

「キリスト教の聖人を殺めたロンギヌスを名乗のだけの器量があるか──この古き混沌王(アナーク)たるヴォバンが見定めてやる!」

 

 ヴォバンが獰猛にロンギヌスとロスタムへと接近する。だがそれは悪手だった。彼は逃げねばならなかった。

 あれは天敵。聖絶の言霊という大騎士や聖騎士の位階にあるテンプル騎士だけが納められる、神の憎悪と絶望の言霊に酷く似ている。卑小なる人間が天上の神を傷つけられる戦闘魔術(コンバットマジック)に酷似している。

 

 しかし、あれは根本から違う。

 あれの獲物は神ではない。その刃の切っ先が狙うのはカンピオーネ。

 

 ──魔王滅殺を祈念した魔滅の刃。

 

 ゆえに、邪眼の視線がかき消される。

 

 

 ──七閃七光。

 

 

 もう朝だと言うのに、星座が夜空に輝く。聖剣ロンギヌスの一閃に呼応して星々が光輝を放つ。──土星、太陽、月、木星、火星、金星、水星──強烈に空に磔られ、七つの流星が降りそそぎ天を焦がす。

 類なき聖なる力の膨張。

 七の乗倍を重ねに重ねた神力が、加速度的に跳ね上がって行く。

 

 ダ、ダダ、ダ、ダダダンッ!!! 

 

 離れ小島は今度こそ灰燼に帰し、有り余るエネルギーが魔王たちを鏖殺せんと無尽の極光を放つ。

 

「星々は神の武器として作られた。星座は我々が悪しきアーリマンの眷属を滅ぼすため創造された善の光の武器。警戒せよ魔なる『獣』よ、おぬしらは常に星々に──見張られていることをな」

 

『その程度で私を害せると思うなぁ!! 竜蛇の冥王イナンナの復活に……刮目せよ!』

 

 アレクサンドル・ガスコインはすでにいない。離脱を図ったらしい。

 しかし気にはしない。ヴォバンは『冥界の黒き竜(Otherland's Dragon)』を行使し、青白い光を放ち──これまでの狼ではなく巨大なブラックドラゴンへと変身した。

 

 これこそ『冥界の黒き竜(Otherland's Dragon)』の真の力。

 

 強力だがなかなか扱いの難しい権能だ。

 この百年近く、自分が傷を負った時の治癒方法としてしか使って来なかったが……それには理由がある。

 

 肉体と魂を分離させ、その魂がブラックドラゴンになる。当然、魂の抜けた肉体は無防備になるため最大の弱点を生み出すことになる。

 普段なら死者にでも預けるのだが、そうもいかない。

 しかし流石にここまで追い詰められれば使わざるを得ない。

 島という陸地が消え去った今、天を飛翔可能なブラックドラゴンしか選べなかったとも言える。

 

『オォオオオオオオオ!!!』

 

「言うたはずじゃぞ。火は『虎皮の外套(パランギーナ)』の前に無力だと」

 

 竜顎を開いて火焔を放つがロスタムは躊躇せずに接近した。

 老雄ロスタムは海面を蹴り上げて大きく跳躍すると、空から降下してくるブラックドラゴンへ聖剣ロンギヌスの刀剣をさらけ出した。

 

 

「詰みじゃ」

 

 

 チン、とすでに鞘に納められた音が中空に響く。獣の反射神経すら超えた剣閃が過ぎ去った。

 ヴォバンの黒き翼と鱗の首が根本から切り払われ、海へと落ちていく。最古参のカンピオーネはここに敗北を喫した。

 

 完敗であった。

 

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