神社の入り口付近から、境内の中を見渡す。境内は祭りに訪れた人々の大軍によって埋め尽くされていた。芋を洗うような混雑というのはこういうものを言うのだろうか。あいにく、芋を大量に洗ったことはないので良く分からない。そもそも境内の面積があまり広くないようなので余計に混雑しているように感じる。ちょっと気を抜くと他の三人とはぐれてしまいそうなくらいだ。
「思っていたより、本当に人が多いですね」
「…いやあ、私もここまでとは思ってなかったよ」
ぽつりと如月さんが呟いた言葉に、提橋先輩は苦笑いしながらそう返した。おいこら企画者。そりゃまあ、予想していたら何か対策できたのかと言われれば多分何もできなかったわけだけど。それに、提橋先輩ではないが僕もここまで混むとは思っていなかった。
「どうします?これだけの人混み、うかつに動きまわるとはぐれるかもしれませんね」
「うむむ、どうしようかなあ…」
「とりあえず居場所を決めて、そこに陣取っちゃいます?今日のメインは神楽だと思うので、それを見る場所だけは確保する感じで」
ちょっと境内の奥に目を向けると、今日の神楽をやるための舞台らしき社殿が見える。本殿の横に建てられていて、少し小さいが紅白幕や紙垂が吊られている社殿。たぶんあれだと思う。既にだいぶ人が集まっているが、今のうちに場所を確保しておけばそこそこ近くから見ることができるだろう。そう思って提案してみたのだが、提橋先輩の反応は芳しくない。
「いやあ、でもこの神社も調べた限りちょっと見所があるみたいだし。神楽だけっていうのも勿体ないからちょっと歩いて回っては見たいんだよね」
そう言って、提橋先輩は境内の奥の方を指差す。そこには、本殿より少し奥まった場所に建てられただいぶ小ぶりの社があった。
「例えば、ほらあれ。ここの主祭神は咲川っていう近くの川の流れを司る神さまらしいんだけど、あっちの小っちゃな社はその神様の荒魂の側面を祀ったものなんだって」
「…摂社というやつですね」
「おお、さすが小和田君、詳しいね。分かんないけど、そうなのかな?」
「まあ、多分そうです。俺も父に聞いただけでそんなに詳しくはないんですけど」
謙遜する小和田だが、それは十分詳しいと思う。その父親がそれだけ常日頃から神社について語っているのか、あるいは小和田自身もなんだかんだ寺社のことが好きなのだろうか?
「いやいや、それだけ知ってれば十分詳しいって言えるよ。私なんて今回調べるまで祭神が複数あることも知らなかったし。摂社ってもの知らないし」
「えっと、まあ、普通の人よりは多少詳しいですけど…」
「もう、自信持って!」
そう言って背中をバシバシ叩く提橋先輩に、小和田がちょっと赤くなる。
「まあとにかく、その摂社とか?あとは、お手水の所も結構素敵な感じになってるらしいし」
「お手水…ああ、あれですか?」
鳥居の少し奥に見える手水舎を指す。提橋先輩の言を信じるのであればそこも何か見るべき感じになっているらしいが、ここからだと良く分からない。
「ん?あ、そうそう。あと、もちろん本殿も見てみたいし。だから、ちょっとは頑張って回ってみようかなって」
「むむ、なるほど…まあ、気を付けて回ればはぐれたりはしないでしょうか」
楽しそうに話す提橋先輩の様子を見ると、まあ折角のことだしと僕も神社の中を回ってみたくはなる。色々と見るべきところがあるとはいえそれほど大きな神社でもないので、ゆっくり見て回ってもそれほど時間がかかるわけでもない。神楽が始まる時間まではまだ一時間くらいあるので十分だろう。これだけの人混みで四人という人数だとはぐれそうな気もするが、まあゆっくりと回っていればそれほど心配するような物でもないのかもしれない。なんて考えていたら、何かを思いついたような表情をした提橋先輩が口を開いた。
「そうだ、皆で手を繋いでみよっか?」
「いやいや」
それはちょっと考えたけど、流石に小恥ずかしい。そう思って即座に否定したのだが、そんな僕を見て提橋先輩はにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「恥ずかしいんだ」
「…いや、そりゃあ恥ずかしいですよ。この歳にもなって手を繋いで回るなんて」
「そうかなぁ、神楽君が恥ずかしがり屋なだけじゃない?」
「そんなことないと思いますけど。ねえ?」
如月さんと、ついでに小和田の方を向いて同意を求める。なんだか僕を揶揄うのが楽しそうな提橋先輩はもう僕の話を聞いてくれないだろうが、この二人なら僕と同じように手をつないで歩くなんて反対してくれるだろうと思ったのだ。思ったのだが…
「…えっと、私は別に構わないですよ?確かにこの人混みは手でも繋いでないとはぐれそうですし」
「まあ、俺も別に…」
まさかの裏切り。いや、提橋先輩とやたら気が合う如月さんはもしかしたらとは思っていたけど、小和田まで。というかお前は提橋先輩と手を繋ぎたいから賛成しただけだろ、小和田。視線合わせようとしないし。
「ふふ、これで恥ずかしがり屋さんが誰か分かったね」
「ぐう…」
ただ、二人の思惑はどうであれ僕が四面楚歌であることには変わりない。ますます楽しそうににんまりとした笑みを深める提橋先輩の様子に、僕は呻くことしかできない。万事休すだ。ニマニマと笑う提橋先輩の笑顔を見ながら、ため息を一つ。こうなっては仕方ないので覚悟を決める。
「…分かりました。そこまで言うなら――」
「なんて、冗談冗談。やっぱり手を繋ぐなんて恥ずかしいもんね、あはは」
「は…?」
ぱたぱたと顔の前で手を振りつつ急に前言を翻した提橋先輩の言葉に、思わず口からガラの悪い疑問符が飛び出る。どうやらこの人は自分でも手を繋いで回るつもりは無かったらしい。そりゃそうだ。なんでただの大学のサークル仲間で仲良く手を繋いで歩く必要があるのか。そして、なんで自分でもそう思ってるくせにそのネタで僕を揶揄ったのか、この人は。
「提橋先輩?」
「ほらほら、時間も惜しいしさっさと行こう!」
「え、あ、はい」
「…了解です」
「……ちょっと、先輩?」
さっきまでの問答が無かったかのように二人に声をかけて境内の中に向かう提橋先輩に抗議の声を投げかける。当然のように無視される。いやまあ、別に謝罪が欲しいとかそういうわけではないんだけど。別にちょっと揶揄われたくらいで怒ったりはしないし。ただ、ちょっと仕返しするくらいは許されると思う。そう思った僕はこっそりと提橋先輩の斜め後ろに忍び寄り、フラフラと揺れるその手をきゅっと握ってみた。なお、これは復讐であり決して提橋先輩と手を繋いでみたかったわけではない。
「えい」
「…ひゃわっ!」
ちょっとした悪戯くらいの気持ちだったのだが、効果は覿面。僕が手を握ったとたん提橋先輩はビクッと跳ねて僕の方を振り返る。顔が一気に赤くなった提橋先輩は僕の手を振りほどこうと握られた手を振るが、いまいち力の入っていないその動きでは大した力を入れていない僕の手であっても全く振り払えない。しばし僕の手と格闘した提橋先輩は、赤い顔で助けを乞うような視線を僕に向ける。
「…恥ずかしがり屋さんがもう一人」
思わずそんな言葉が口をつく。それを聞いた提橋先輩は、ぐうと唸って俯いてしまった。予想外の反応に思考が停止する。仕返しのつもりでやったことだが、さっくりと適当にあしらわれるか振りほどかれるかして終わりだと思っていた。こんなふうに恥ずかしがられると、こっちまでどうすればいいのか分からなくなる。そしてそのまま数秒、互いに何のアクションも取れずに固まってしまった。
「あの、ラブコメしてないで早く行きません?」
と、如月さんがじっとりとした視線で僕を睨んで、そんなことを言う。その言葉と彼女からそこはかとなく感じる圧力にハッとして提橋先輩の手を離した。
「あ、えっと、ごめんごめん。そうだね、時間もないし」
「いえ、別に私としては好きなだけそうしていて頂いてもいいんですけど」
じゃあなぜ遮った。とは言わない。ただでさえ結構な圧力を放っているのにもっとひどいことになりそうだ。
「…いや、うん。とりあえずさっさと境内を回っちゃおっか」
「う、うん、そうだね。のんびりしすぎると神楽が始まっちゃうし」
「白々しい…」
「さ、さあ最初は手水舎からだね!なんでも切り出した岩が良い感じに苔むしてて素敵らしいよ!」
僕たちの弁明というか誤魔化しを聞いてもちっとも圧力を減ずることなくじっとりとした視線を投げかけ続ける如月さんを務めて無視して僕たちは鳥居をくぐる。後ろで小和田が呆れたようにため息をついているが、それも無視。ここで混ぜ返すとややこしいことになりそうなので。
そう言えば、とふと考える。提橋先輩が揶揄ってきたのが原因ではあるが、色々ふざけていたせいで人混み対策を全くできなかった。これはちょっと注意してはぐれないようにしないといけないかもしれない。とは言え、人が多少多かろうがそれぞれが互いの居場所を気にしながら移動していけばそうそうはぐれたりはしないだろうとは思う。そう心の中で結論付けて僕は気にせずに境内の中を進んでいった。
はぐれた。
***
提橋先輩とはぐれた僕は何故か小和田と二人きりになっていた。最悪の組み合わせである。神はいないのか。いや、ここは神社なんですけど。
「なんでよりにもよってお前と…」
いや本当に。小和田がこぼした愚痴に内心で同意する。口に出さなかったのは要らぬ口論の種にしないため。僕だって少しは気を付けようと思っているのだ。大抵は我慢しきれないだけで。でも、流石に今回は小和田と言い争っている元気はない。なにせ、気を付ければ大丈夫と思っていたのに、僕たちは境内に入って即座にばらけてしまったのだ。
境内に入ってすぐ、良い感じに苔むした岩で作られた手水舎の水盤を見た如月さんは、さっきまで放っていた圧力が嘘のようにテンションが急上昇した。ちょっと意外ではあるが、小和田を質問責めにしていたあたり普通に寺社仏閣に関心があるのだろう。ともすれば軽いともいえる性格とは裏腹になかなかいい趣味をしていると思う。
ただ、今回は彼女の趣味の良さが災いした。如月さんの喜びように釣られたらしい提橋先輩は次第に如月さんと一緒にわいわいと騒ぎ出し、後ろについていた僕たちを一顧だにすることなく境内の中を進み始めたのだ。もちろん僕たちもボケっと彼女たちを見送っていたわけではない。でも、ウキウキと軽い足取りで進む二人を単に直進するのも一苦労な混雑ぶりの境内で追うのはちょっと難しかった。急いで進んだせいでぶつかりそうになったおじさんに謝って、何かのサークル仲間らしい集団に行く手を遮られてちょっと遠回りして、などとやっているうちにすっかり彼女たちを見失ってしまったのだ。
もちろん、スマホで連絡を取れば合流は容易い。先に行った二人は社殿や何かを見て回っているので、適当な場所で待ててもらえば良いわけだし。そう思って連絡を取ってみたのだが、帰ってきたメッセージは割と無慈悲なものだった。
――もういっそ、それぞれで見て回ればいいんんじゃない?あとは最後に神楽の場所で合流すれば。
…いや、まあ確かにそうなんですけど。ここで合流してもまたはぐれたりすれば無意味だし、どうせ最終目的地は決まっているわけだし。ただ、残りの一時間弱を小和田と二人きりで過ごすのはちょっと勘弁願いたい。小和田も同じだと思う。そう思って提橋先輩の提案に反対してみたのだが、どうやら彼女の中では決定事項らしく既読もつかない。まあ、あの感じだと二人でそうとう盛り上がっているだろうから無理もないのかもしれないけど。
そんなわけで、めでたく僕と小和田は仲良く二人で境内を回ることになった。
誰か助けて。
「…合流は無理そうだし、大人しく見て回ろうか」
「…まあ、そうだな」
ため息交じりにそう言った僕に対し、小和田が若干不服そうに答える。気持ちは分かる。実際のところ、気の合わない小和田とはここで分かれて単独行動をするという手もある。どうせ最後に合流するのだから結果としては大した違いにはならないはず。小和田も僕と二人で行動するのは気が進まないだろうし、そう提案すれば拒否はされないだろう。ただ、元々四人行動からはぐれて二人になったところを自分からさらに二手に別れるというのも妙な話だ。それに、もしも最終的に合流に失敗してしまったとしたらいよいよ始めから一緒に行動しておけよと言うことになる。それは間抜けな話だ。だから、本当に気に食わないが小和田と二人で境内を回るのがベストだと思う。小和田のことはガラの悪い解説員か何かだと思っておこう。
「ねえ、解説員さん」
「…誰が解説員だ、誰が」
おっと、しまった。ついつい思考が漏れ出してしまい、またぞろ小和田と口喧嘩になるんじゃないかと冷や汗が背を伝う。しかし、予想に反して小和田はその軽い反論の後には何も言ってこなかった。はてなと思いその顔を盗み見てみると、小和田は右に左にと視線を彷徨わせており、その表情は心なしかウキウキとしているように感じる。なるほど、やはり父親の影響で彼も寺社には関心があったのだろう。だから今の小和田は結構浮かれていて、僕の些細な軽口など気にもならないのかもしれない。
――いや、だったらさっきの駅でも不満は流してもらいたかったんだけど。
ため息交じりに苦笑し、心の中だけでそう不満をこぼす。まあ、その浮かれ交じりの気分でも看過できないような事を僕と如月さんが言ってしまったという事なのだろうが。ただ、そうであればいよいよ何が悪かったのかは指摘してもらいたい。これでは注意することも難しい。
なんてことを思いながら、小和田の歩みに合わせて境内を進む。向かう先は本殿。こんな小さな町の、と言っては流石に失礼だが、とは言え予想していたよりだいぶ立派な社殿である。近づくにつれてちょっと緊張してきた。
「…そう言えば、参拝の作法とかってよく知らないんだけど、注意することってあるの?」
「まあ、俺も別にそこまで詳しいわけじゃないけど。一応、気を付けるべきことはあるっちゃある」
若干今さらな感のある僕の問いに、小和田はさして気分を害した風もなくそう答える。いつもだったら皮肉の一つくらいは言われるだろうに、今日は特に何もない。やはり、今はそれなりに機嫌が良いようだ。
「例えば、鳥居をくぐるときに一礼をするとか、参道はなるべく端を歩くとか」
「げ、さっき鳥居をくぐるときそのまま通っちゃったけど」
そう言われてれば視界の端で小和田が礼をしていた気がする。
「あ~あ、失礼な奴だ」
「…知らなかったんだよ、それ」
「そうだろうな」
僕の釈明に小和田はふふんと鼻を鳴らす。バカにされているのは分かるが実際しくじっているので反論もできない。
「…他には、例えば本殿でお参りするときとかは?」
「いくつかポイントはあるが。まあ、気にしなくても良いんじゃないか。気持ちだよ、気持ち」
そう言ってケラケラ笑う小和田に抗議の視線を向ける。だが、小和田はそんな僕の様子を見てもけろりとしている。こいつ、自分は良く知っているからって。なんて思っていたのが伝わったわけではないだろうが、小和田はチラリと一瞬こちらに視線を向けると再び口を開いた。
「…まあ、気持ちだ大事だってのは本当だよ。作法ばっかりに気を取られても仕方ない」
「いや、とは言ってもあんまり礼儀知らずなのはダメでしょ?」
「そりゃあそうだけど」
そう言った小和田は、ちょっと挑発的な視線をこちらに向ける。
「じゃあ、お前はそんな礼儀知らずな態度を取るつもりなのか?」
む…
「…そう言われればそりゃ自分なりに気を付けはするけど」
「それでいいんだよ、それで。下手に形だけ気にしても馬鹿馬鹿しいだけだ」
「気持ちがあれば作法は関係ないって?」
「まあ、形式が整ってるに越したことはないけど…お前だって、形だけ綺麗な作法で内心バカにされたらムカつくだろ?」
「いやいや、バカにされたらムカつくのは当たり前だよ」
思わず揚げ足を取るような反論を言ってしまったが、小和田が言いたいことは分かる。ここで付け焼刃の作法を聞いてその通りに実践してみようとしたところで、それに気を取られて気持ちの方が疎かになってしまっては逆に失礼だという事だろう。極端に言えば慇懃無礼になってしまうというところか。
「…了解。まあ、自分なりに礼を尽くすことにするよ。二礼二拍手一礼くらいは知ってるし」
「最初からそうしとけ」
「うっせ」
小和田の軽口にそう返して小さく笑う。いつもだったら確実に突っかかっていただろうなと思う小和田の言葉に、今日はそれほどの苛立ちを感じない。さっきは小和田のことを浮かれているなんて評したが、多分僕も結構浮かれているのだろう。そして、そうやって適当に軽口を叩き合っていると、いつも言い争いをしているのが馬鹿らしく思えてくる。本当に、自分はつまらない意地を張っていただけなんだなと。
「あ、小和田。あのジグザグの紙の飾りはなんていうの?あの注連縄についてるやつ」
「紙垂。これくらいは一般教養の範疇だと思うけど?」
「いやいや、普通は名前まで知らないって」
多分、小和田も同じようなことを思ったのだろう。そして、一度気付いてしまえばなんてことはなく。そんな風に、普通の男友達そのままに、僕たちは色々と会話しながら境内を進んでいった。
***
境内をぐるりと一周。一通りの社殿を見て回った僕たちは、当初の予定通り神楽殿の近くで合流した。提橋先輩に指定された場所に向かってみると、如月さんが「先輩、こっちこっち!」などと言って手を振っているのが見える。今もまだテンション高めな如月さんの様子に苦笑しつつ二人に近づく。すると、如月さんがサッと小和田を捕えて何やら話し始めた。零れ出る会話を聞いてみたところ、どうやら境内で見た物について色々と聞いているみたいだ。
「私たちは神社のことはほとんど分からないから、境内を回ってる最中も『小和田君がいたら』って二人して言ってたんだ」
するりと僕の横に陣取った提橋先輩がそう言って如月さんの行動を説明する。
「確かに、あいつの知識は凄かったですよ。大体全部の疑問について解説してくれましたし」
「あ、やっぱり?流石だ、小和田君」
ふふ、と提橋先輩は穏やかに笑う。その笑顔は、単に小和田の特技について感心したという以外の感情が籠っているようにも見えた。
「…お節介を焼いていただいたおかげで、意外と普通に話せるもんだってことも分かりましたし」
それに気づいたのは小和田と一緒に境内を回っている途中だった。来る途中に提橋先輩が言っていた「仲良くしてほしい」という事と、都合よく僕と小和田の組ではぐれたこと。それに、よく考えると提橋先輩が別行動を提案してきたのもわざとらしい。提橋先輩はどちらかというと頑張って合流しようとするタイプである。恐らく、如月さんがはしゃいでいるのを見てこれ幸いとわざわざはぐれるように進んでいったのだろう。
「あら、何のことやら」
僕の言葉を聞いた提橋先輩は、そう言って軽くおどけて見せる。僕も別に問い詰めようとか責めようとか思っていたわけでもないので良いのだが。むしろ、小和田と和解する良い切っ掛けになったのでお礼を言いたいくらいである。この様子だとお礼の言葉は要らないみたいだが。で、そうであれば僕も自分の意地を押し通すつもりはない。提橋先輩と会話するために放置していた小和田を如月さんの魔の手から救い出すことにした。
「ほら、如月さん。そろそろ神楽が始まる時間だから小和田を離してあげて」
「あ、神楽先輩。先輩は小和田先輩の解説を聞かなくていいんですか?」
「さっきまで沢山聞いたし、いいよ。小和田も解説ばっかじゃ疲れちゃうでしょ」
「むむ、確かに。じゃあ自重します。あ、小和田先輩、最後に一つだけ…」
「やめなさい」
そう言ってなおも解説をせがむ如月さんを小和田から引きはがす。自重とは何だったのか。そんな如月さんのペースに巻き込まれたせいで小和田もこの数分の間にだいぶ疲れたような顔になっている。分かる。ハイテンションの時の如月さんって疲れるよね。
「…まったく、楽しむのはいいけど周りの迷惑にはならないようにしようよ」
「あはは…ごめんなさい。テンションが上がっちゃうとどうしてもブレーキが効かなくって」
「知ってる」
たはは、と困り顔で頬を掻く如月さんにそう返す。反省したようなそぶりを見せているがこれは今回が初めてではない。彼女との付き合いがここ半年足らずの僕でさえそう思うのだから相当だ。とは言え、迷惑という程の物でもないし欠点という程の物でもない。付き合うとちょっと疲れるけど、仕方のないやつで済まされる範疇だ。
「ほら、そろそろ始まるから。流石に神楽は落ち着いて見ててね」
「はあい。分かってますよ」
本当だろうか。そわそわと落ち着かない風の如月さんを見るとどうにも疑わしく思えてくる。そして実際、ほんの一、二分も経たないうちに彼女は再び口を開いた。
「そう言えば、神楽先輩って神楽先輩ですよね」
どういうことだ。
「…なにそれ、悪口?」
「あ、いえいえ、そうじゃなくって」
ワタワタと両手を振りながら如月さんが弁解する。いや、今言い方では何か揶揄されたようにしか思えないわけだが。そりゃ僕は僕だよ。殻を破って中から提橋先輩が出てきたりはしない。
「いやその、先輩も『神楽』なんだなって、それだけです」
「…ああ、そういう」
その言葉を聞いてようやく得心が良く。情報量は先ほどと対して変わらないのだが、意図は伝わった。つまり、今から見る神楽と同じ名字をしているなという事なのだろう。うん、何と言うか…
「…どうでもよすぎる」
「うぅ、そんなバッサリと…」
「いや、言われた本人としてはそんな感じだよ」
一応『神楽』という名字になった経緯なんかもあるだろうから、一概に偶然の一致とも言いきれない。とは言え、そんなものは遥か昔の出来事であって、仮に元々神楽師だったから『神楽』になったという経緯だったとしても、今は僕の家にその名残など全くない。もちろん、僕もそんな経緯があるかどうかなんて全く知ってない。
「あれですよ、ほら。実はご実家に代々伝わる神楽があってそれを先輩も継承しているとか…」
「ないない」
世の中意外と変わった人生を歩んでいる人は沢山いるとはいえ、僕はその例には…いや、そう言えば漏れないな。あの太っちょの木の精、オットーはどう考えても普通の人生で巡り合うもんじゃない。マジか。いつの間にか変わった人生族に足を踏み入れていたとは。
じゃなくて。
そう、僕の人生もなかなか――不本意ながら――変わってるとは言え、流石に実家に秘伝の神楽が伝わっていたりはしない。もちろん、舞うこともできない。オットーのことを除けばごくごく普通の一般人なのである。
「なあんだ、残念」
「…何が?」
「いえ、神楽先輩が神楽をできるんだったら、皆で見に行けば楽しいのになって」
「やめい」
ニヤニヤと笑う如月さん。神楽を舞えなくてよかったと思う。このニヤニヤ笑い、もし僕が神楽師だったらそれこそサークル全員で見に来ようとするだろう。冗談じゃない。
「ほら、そんなくだらないこと言ってないで。もう始まるよ」
「はあい。くだらない後輩は黙ります」
「いや、ちょっと、如月さんがくだらないって意味じゃなくて」
なんて、弁解するような言葉を口にする僕に対して如月さんはなんの返答も返さない。こっちも見ない。ただ、横目にこっちの様子は伺っているらしく、その目は愉快そうに細められている。これは揶揄われているやつだ。わざわざ宣言通りに黙って、僕の慌てている様子を楽しんでいるのだろう。そう気づくとちょっと悔しい感じがして、何とか知らんふりをする如月さんを反応させたくなってくる。だったらここはひとつ、さっき小和田から聞いた神楽の裏話をして気を引いてみよう。ちょっとだけ聞いた限りでもかなり興味深かったから、きっと如月さんも気に入るに違いない。
「…ねえ、如月さん。さっき小和田に聞いた話なんだけど――」
「先輩、もう始まるので黙りましょう」
「はい」
ダメだった。さっきの意趣返しとでも言わんばかりに会話を打ち切られてしまった。ただまあ、神楽がもう始まるのは本当の話だけど。
実際、神楽殿の奥に楽人の方々が来て演奏の準備をしている。あと数分もすればいよいよ神楽が始まるのだろう。そう思うと再び心の内からワクワクとした感情が湧き出てくる。神楽というものは名前は大体誰でも知っているが見たことがある人はほとんどいないというものの典型例だ。その上、僕たちのような音楽サークルの人間にとってみれば、自分たちが普段触れているものとは違う音楽体系などというものは興味をもって当たり前なのである。…いや、当たり前は言いすぎか。ただ、今日のこのメンバーはめいめいに神楽への期待を持っているようである。僕ももちろん神楽にはかなりの興味がある。今日は既に色々あったので神楽から思考が外れていたが、こうしていざ始まるともなればその気持ちが再燃してきた。
そしていよいよ神楽が始まった。初めは神楽笛。奏者が楽器に一礼をして始まりの旋律を奏でる。朗々とした、空を舞うような優雅な笛の音。神楽の始まりを告げるその調べに、会場から拍手が送られる。そして、笛の音色に重ねるように二つの太鼓とかね――手平鉦を打つ音が響き渡る。たった四つの楽器によって作り出される音楽は、しかしそのシンプルさとは裏腹に非常に華やかな印象を感じさせるものだ。鳥のように優雅に羽ばたく笛の音と、清浄に光り輝くようなかねの響き。そして、その二つの音色を包み込むように豊かな太鼓の音が空間に満ちる。雅な音楽と書いて雅楽。その十数秒の演奏でなるほどと納得するには充分であった。ほう、と口から感嘆の吐息が漏れ出る。心が洗われるようというのは正にこのこと。
そんな僕の感動をよそに神楽は続く。神楽の初めに現れた演者は、昔この地方で暴れまわっていたと言い伝えられる荒神を演じるものであった。その姿そのものは人が仮面と和装の装束を身に着けているだけのものであるはずだ。だが、滑るように移動する足さばきや聴衆を威嚇するような激しい動作によって、人と変わらないはずのその姿がまるで異形の怪物であるかのように見えてくる。その演技力に内心舌を巻くが、よくよく考えてみればあり得ない話でもない。落語なんかは扇子一つを様々な小道具の代わりとして扱い聴衆に話を伝えるし、音楽だって音という限られた媒体で奏者の感情を伝えている。そういった実例を鑑みれば、仮面と限られた衣装だけで怪物を演じ切る技術というのもあながち人間離れしているというものでもないのかもしれない。まあ、驚くほど高度な技術であることには違いないのだけど。
そうやって関心するうちに、物語は佳境へと入っていく。荒ぶる神に苦しめられた人々は何とかその神を鎮めようとしたようだ。神楽殿の奥から、弓を持った数人の武人を引き連れて剣を持った武人が現れる。剣を持った武人は、かつてのこの土地の権力者だろうか。剣を持った武人は、ますます激しく舞い荒ぶる神を打ち倒そうとする。だが、いくら剣で切りつけ矢で打ち抜いても神は意に介さない。それどころか、神が手に持っていた木の枝の束を振ると、集まった武人たちがたちまちに打ち倒されてしまう。武人たちはますます激しく攻撃を加えるがまるで歯が立たない。返す刀で打倒されてその数を減らすばかりだ。やがて、刀を持った武人だけが最後に残り、悔しそうに荒魂のもとから去っていく。
迫真の舞に手に汗握る。昨日の夜に動画サイトで公開されている神楽をいくつか見た時もそれなりに感心したものだが、実物を見るとその感動はより大きい。舞の技術云々というよりも、実際に目の前で奏で舞うところを見ているというのが大きいのだろう。僕たちのやっているクラシック音楽だって同じことだ。今はCDどころか動画サイトでさえたくさんの演奏を聴くことができ、コンサートに行かなくても様々な音楽を楽しむことができる。だが、それでもやっぱりコンサートで聞く演奏は一際大きな感動を引き起こすものなのだ。
やがて、女性役の楽人が舞台に現れる。そしてその横には先ほど神に敗れた武人いて、女性が生贄を申し出たことに対して反対の言葉を述べる。もう一度戦力を整えて、今度こそ神を打倒すると主張しているのだ。だが、女性はその武人の言葉をはねつける。力押しで神を鎮めようとしても敵うはずがないと言うのだ。そして、実際に手痛い敗戦を経験した武人はその女性の言葉に反論できない。結局、押し切られるように女性が生贄となって神を鎮めることになった。
そのシーンを見て、思わず提橋先輩の表情を伺ってしまう。荒ぶる神を鎮めるためとはいえ、死すべき定めでもない女性が自ら生贄となることを志願して死を選ぶストーリー。はたして、もっと長く生きたいと思っても生きることができない提橋先輩にとってみれば、とても残酷なことなのではないのだろうかと、そう思ったのだ。でも、横目に覗き見た彼女の表情は、別にその筋書きに大した感慨を持っているようではなく、ただ単に神楽というものへの感動だけが移っているように見えた。
――考えすぎだったかな。
視線を戻すと、神楽の場面はさらに進み、いよいよクライマックスが近づいていた。生贄を申し出た女性は剣を持った武人を伴って荒ぶる神のもとへと近づいていく。いつの間に着替えたのか、その装束は黄色のものへと変わっていた。そしてその手には稲穂を持っている。荒ぶる神は手に持つ枝葉の束を振り払い、女性と武人を打ち倒そうとする。武人はそのひと振りで後ろに倒れこんでしまうが、女性は全く動じない。なおも近づく女性に、神は狼狽したように後ずさる。すると、神の前で女性が稲穂を捧げ持って傅いた。女性は自らを神への供物とし、それを代償に怒りを鎮めてほしいと申し出る。それを聞いた神はなおも女性を枝で打ち据えようとするが、やはり女性は意に介さない。やがて、根負けした神は手に持った枝をすべて剣を持った武人に手渡すと、女性とともに神楽殿の奥へと消えていった。そして、それを見送っていた武人は、神の後姿に向かって捧げ持つように枝葉の束を掲げる。やがて神と女性の姿が完全に消えると、武人も立ち上がり観客のほうへと受け取った枝葉を掲げ示す。そして、ぐるりと神楽殿の舞台を一蹴した武人は、音楽の終わりとともに神楽殿の奥へと消えていった。
***
祭りが終わり境内から出ても興奮冷めやらない僕たちは駅へ向かう道中すっと神楽の話題で持ちきりだった。
「いやあ、すごかったねえ」
提橋先輩がしみじみといった感じでそう呟く。そして、その呟きは僕たちの総意でもあった。神楽というものを皆初めて見たからというのもあったし、この地方に伝わる特別な神楽だったというのも感動を増す理由の一つではあったと思う。実際、事前に動画サイトで見てきた神楽でもそうだったし始まる前の神主さんの説明でも言っていたが、一般的な神楽は勧善懲悪の内容となっているみたいだ。その一方で、この神社の神楽はこの地方の伝承を舞の形にした側面が強く、悪を打ち倒すことが目的ではないという変わったもの。正直な話ストーリーとしてはあまり魅力的ではなかったのだが、楽人の人たちの熱意に満ちた演技によってそういったことはあまり気にならなかった。
「そうですよね、すごかったですよね!あの神様の演技とか!」
「うんうん。演じている人は人間なのに、本当に怪物がいるみたいだったね」
「まあ、神様に怪物って言っちゃうのはちょっとあれかもしれないですけど」
「…まあ、あれは荒魂、つまり荒ぶる神の一側面だから怪物的というのもあながち間違っていないかもしれないけど」
「あ、さすが小和田先輩。詳しいですね!」
「いや、そりゃあこれくらいは…」
特に盛り上がる提橋先輩と如月さんの二人の会話に小和田が補足を加える。そういう律儀なことするから如月さんに目を付けられるんだが。案の定、小和田の補足を聞いて目を輝かせた如月さんが小和田を次々と質問責めにしていく。もう何回も見た光景だ。助け舟を出そうかとも思ったのだが、今回は小和田が不用意に口を出してしまったのが原因であるし、僕も祭りの雰囲気に充てられてはしゃいだ分だいぶ疲れているのでいまだハイテンションな如月さんの相手は遠慮させてもらいたい。というわけで、今回は見捨てることにした。
「…楽しんでもらえた?」
そんなこんなで小和田に付きまとう如月さんという図を傍から眺めていると、いつの間にか隣にすいと近寄ってきた提橋先輩にそう問いかけられた。
「ええ、もちろん。想像していたよりもずっと楽しめましたし。やっぱり生で見ると迫力が違いますね」
「そう、よかった。自分でもちょっと強引なお誘いになっちゃったかなって思って心配してたんだ」
「…別に、そんなこと気にしなくてもいいと思いますけど」
「え、気になるよ。だって、つまらない企画に無理矢理誘って時間を無駄にさせちゃったら悪いじゃない」
「その考え方は先輩らしいですが…でも、それは誘いに乗るほうの自己責任って気がします」
「でも、先輩の誘いって断りづらいでしょう?」
「それでも、行くと決めたのはこちらですから」
「ふうん?真面目というかなんというか…」
若干あきれた風な表情で提橋先輩が苦笑いする。まあ、何でもかんでも自己責任という論調は自分でもちょっと言いすぎな気はしている。とはいえ、やっぱり自分のことを決めるのは自分自身しかいないと思うのだ。
「まあでも、そういう考え方は嫌いじゃないよ。他人に要求するのはちょっとダメだと思うけど」
「いやいや、もちろん自分の生き方に対する気概ですって」
「分かってるよ。神楽君、頑張り屋さんだもんね」
そう言って、提橋先輩が僕の頭を撫でてきた。その予想外の出来事に一瞬思考が停止してしまう。数瞬の後、状況を把握した僕は提橋先輩の手を振り払って少し距離をとった。さすがにこれは恥ずかしい。
「ちょっと先輩!やめてください!」
「あ、ごめんごめん。つい、ね」
「つい、って何ですか、もう」
「いやあ、撫でやすい位置にあったからね」
提橋先輩はそれなりに長身なのであまり身長の高くない僕と並ぶと割と悲しいことになる。頭が撫でやすい位置にあるのかどうなのかは僕には分からないが、少なくとも無理なく手が届く位置に見えているのだろう。男としてちょっと勘弁してほしいけど。そんな抗議の気持ちを込めた視線を送ってみるのだが、提橋先輩はニコニコと笑っているばかりで意にも介さない。
「ん、なあに?」
「…はあ、何でもないです」
「あは、なんでもないのに私のこと見つめてたの?照れちゃうな~」
そう言って、提橋先輩はケラケラと笑う。その能天気な笑顔とその表情に含まれる揶揄いの意図にちょっとイラっと来てしまって思わず手が伸びる。ちょうど信号待ちで立ち止まって上を見上げる提橋先輩の頬をむにっと抓む。柔らかい。温い。
「ひょわっ!」
すると、見る間に真っ赤になった提橋先輩は変な声を上げつつ僕から離れて飛び退った。そして、僕が抓んだほうの頬を手で押さえつつ逆の手の指で僕を指してパクパクと口を開閉する。仕草からすると何か講義の言葉を言おうとしているようだが全く声になっていない。
「どうしたんですか?人のところを指差してはいけませんよ」
「……このぉ」
提橋先輩は責めるような視線でかろうじてそう口にするが、真っ赤になった上に涙目では迫力はない。ふふん、と鼻を鳴らして視線を返すと、ますます赤くなった提橋先輩はむくれて黙り込んだ。よし、勝った。
「…あの、私たちお邪魔でしょうか?」
なんて満足していたら、隣からじっとりした目で如月さんが睨み付けていることに気づいた。その奥の小和田も「何やってんだこいつ」的な視線をこちらに向けている。
「あ、いや、ごめん。別に邪魔とかそういうのはなくて…」
「いえいえ、いいんですよ、別に。四人で来たのに勝手に二人の世界に入ってんな、とかそんなことちっとも思ってませんし?くだらない後輩はちゃんと黙りますし?」
「ごめんって」
「ふんだ」
さっきの軽口まで持ち出して面倒くさい拗ね方をする如月さん。かったるい。如月さんは「二人の世界」と言ったが、先に小和田と二人で話し込んでいたのは如月さんの方では?…とは思うが口には出さない。正論は人間関係において大した意味を持たない場合が多いのだ。たとえ小和田すらも「何言ってんだこいつ」みたいな目を如月さんに向けているとしても。そも、ここで余計なことを言ってこれ以上拗ねられたら本当に面倒なのだ。
「ねえ、如月さん。これはさっき小和田に聞いた話なんだけど…」
「神楽先輩は女の子を口説くときに他人の言葉を使うんですね」
「いや、口説いてないけど」
「…提橋先輩のことは口説いてたくせに」
だから口説いてないっちゅうに。
「とにかく。さっき小和田に聞いた話によると、神楽の中には五行思想の影響がみられるようなものもあるらしいよ。そう聞くと、今日の神楽も一部はそうだったのかも」
「知りません」
「例えば、水の神様が枝葉の束を持っていたのは『水生木』で水が木を育てるからだとか、剣で切りかかっても倒せないのは『金生水』でむしろ神様の力を強めちゃうからだとか」
「それはただの深読みでは?」
如月さんはそっけない様子で言葉を返す。ただ、彼女としては冷たい態度をとっているつもりなのだろうが、そもそも反応がある時点でこちらのものである。如月さんは素直な質なので、彼女が興味を持ちそうな話題をいくつか提供すればそのうち機嫌も治るだろうと思う。これは、この半年程度で把握した如月さんの扱い方の一つである。
「いやあ、自分では結構いい読みだと思ってるけど。ねえ、小和田先生?」
「先生じゃねえよ。…まあ、多分そこそこいい線いってんじゃねえか?俺も詳しくは分からねえけど」
話題が少しでも広がればと小和田にも話を振ってみたのだが、思いのほか素直に賛同をもらえた。ちょっと前までは不倶戴天とまでは言わずともそれなりの相性の悪さを感じていたのだが、今日の一件で若干関係が改善したような気がする。とりあえず、神社に詳しい小和田の賛成を得られたことで如月さんも僕の話に興味を持った感じだ。
「む。…神楽先輩はともかく小和田先輩がそう言うならそうなのでしょうか」
「ともかくって」
「あらごめんあそばせ」
「いやまあ、いいんだけど」
クスクスと如月さんが笑う。相変わらず僕にかける言葉はちょっとそっけないが、表情と雰囲気はだいぶ柔らかい。どうやら機嫌は大方良くなったみたいだ。
「そういえば、ここの神楽ってちょっと変わってますよね。神主さんもそう言ってましたし」
「ああ、確かに。多分ふつうは勧善懲悪の筋書きなんだけど、ここのはそうじゃないし」
「…いや、確かにそういう意味では変わってるんだが。ただ、一応神楽の基本的な部分は押さえた作りになってると思うぞ」
「基本的な部分?」
「神楽は奉納のための演舞だってことだよ」
「奉納…さっきの神楽が?」
小和田の解説に如月さんと二人首を傾げる。奉納のための演舞、そう言われてもピンとこない。何せ、さっきの神楽のストーリーは荒ぶる神を鎮めるために女性が生贄となるというもの。まさか生贄を奉納する演舞というわけでもあるまいし、奉納とつながるような要素は思い当たらなかった。隣に目をやると、やはり如月さんも同意見のようでうんうん唸りながら首を傾げている。
「良く分からん。小和田解説員、説明を頼んだ」
「誰が解説員だ。…さっきの神楽で女性の役が稲穂を持っていただろ?あれは多分、収穫した稲の奉納を現してるんじゃないか?」
「あ、そういえば持ってました!」
「むむ、振ったりしてなかったからスルーしてた…」
「神楽はボーっとしすぎな」
「うっさい」
確かに自分でもちょっと思うけど。
「それに、武人が枝葉の束を渡されるところも。あれは多分、奉納に対する恩寵として林業の権利か何かを得たってことじゃないか?歴史的には川の氾濫を抑えることで林業が可能になったとかで」
「おお、さらにすごい考察が。さすが小和田先生!」
「だから先生はやめろって…」
テンション高めに小和田を褒めちぎる如月さんに対して、小和田はちょっと嫌そうな感じにそう答える。多分、今日色々聞かれたときはずっとあんな感じだったのだろう。辟易したといった感じだ。
「いやでも、今の考察はすごいと思うよ。流石だね」
「あ、いえ。そもそも合ってるかどうか分かりませんけど…」
「良いの良いの。こういうのは考察することそのものに意味があるわけだし。ね、小和田先生?」
「ちょっと、提橋先輩まで…」
いつの間にやら復活したらしい提橋先輩までもが小和田を揶揄う。ただ、提橋先輩に話しかけられたこと自体に対しては嬉しそうにしている。現金な奴だ。
「しかしそうか、あれは奉納の神楽だったんだね。気付かなかった」
「いや、この時期にやる祭りと言ったら収穫祭に決まってるだろうが」
「む、言われてみれば確かに」
「神楽、ボーっとしすぎな」
「うっせ」
「…まあ、神社に特別な由緒があればその日に祭りを行うらしいから必ずしも収穫祭とは限らないんだが」
「なんだ。じゃあ僕は無罪じゃないか」
「いや、普通に考えれば収穫祭なのは変わらねえよ」
「むむ」
小和田がにやりと愉快そうに笑う。今回は別に僕を馬鹿にしたような感じではないけど。まあ、僕の失態に対するちょっとした突っ込みみたいな気持ちなのだろう。ただ、提橋先輩と如月さんが後ろでひそひそと話して苦笑いしているあたり二人も刺さってしまったみたいだが。
なんて話しているうちに駅に着いた。この駅を通る路線は一種類だが、さっき聞いたところによると僕だけ反対方向らしい。そんなわけで、今日はここでお別れになる。
「みんな、今日は私の誘いに集まってくれてありがとね」
提橋先輩が駅の前に着いたところで小和田と如月さんのほうを向いてそう言った。僕が逆方向に住んでいるからここで解散ということにするのだろう。そっちの二人はまだ提橋先輩と同行することになると思うけど。
「いえいえ、こちらこそお招きいただいてありがとうございます。私も神楽なんて初めてだったので楽しめました」
「俺も知識では知っていたけど実物は見たことがなかったので。ありがとうございました」
「いいのよ。私も大勢で行ったほうが楽しいし。いい思い出になるでしょ?」
そう言って、提橋先輩がふっと笑う。その微笑みにちょっと含みがあるように感じたのは、はたして気のせいだったのだろうか。
「はい、これはなかなかの思い出ですね!友達に自慢出来ちゃいます!」
「俺も友達にそう言うのが好きそうなのが何人かいるので、話のタネになりそうですね」
「そうでしょそうでしょ。神楽君も。さっき聞いたら楽しんでくれたみたいだったよね」
「ええ、今日は楽しかったです」
「うん、よろしい。じゃあ、ちょっと名残惜しいけど今日はこれで解散かな」
予想していた通り、提橋先輩が解散を宣言する。これで、僕は一人寂しく帰路に着くことになるわけだ。いや、流石にこれくらいで寂しがったりはしないが。
「はい。今日はありがとうございました。…って、よく見たらもう電車来ちゃいますね」
「おっと、マジだ。先輩はどっちですか?」
二人の声につられて駅の電光掲示板を見ると、確かに小和田たちの家の方面い向かう電車があと二、三分で来るみたいだ。一方で僕の方は出たばかりらしく十五分待ち。ツイてない。そう思ってため息をついていると、隣から予想外の言葉が飛び出した。
「あ、私は逆方向だから。ここでお別れだね」
あれ?と内心首を傾げる。確かさっきちょっと聞いたときは提橋先輩も小和田たちと同じ方向だと言っていた気がする。いや、そんなに注意してい聞いていたわけではないから聞き間違えただけかもしれないし、あるいはこっちに何か用事があるのかもしれないが。小和田たちも特に疑問に思ったわけではないようで、むしろすぐにでも来てしまいそうな電車に気を取られて急いで改札の奥へと消えていった。
「ではでは、また部室で~!」
「お疲れ様です」
駅舎の中へと入っていった二人を見送った後、提橋先輩の方へ顔を向ける。まだ時間は十分にあるとはいえ、彼女は駅の中へと向かうそぶりを見せない。それがちょっと気になって、その疑問がそのまま口から飛び出した。
「…提橋先輩はこのあと何かご予定が?」
僕のその問いに、提橋先輩はしばし何の反応も示さずにどこか遠くを見つめ。そして、徐に僕のほうに振り返って、こう言った。
「ねえ、この後ちょっとお話しできない?」