地球連邦政府備忘録   作:神山甚六

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 ……お待たせいたしました。えー史実の戦記ではなく仮想戦記をお探しとか。それも大戦前ではなく、大戦後に書かれたものを。えぇ、確かに取り扱っておりますが……正直申し上げて、久しぶりですね。その手のジャンルの名前を聞いたのは。大戦前はいざ知らず、今では一部の根強い需要を除けば、一般には流行らないものですからねぇ。もっぱら軍事関係の専門書を仕入れるついでに取り扱うぐらいです。いや本当に珍しい……

 いやいや、そういうつもりで申し上げたわけではありません。どうかお気を悪くしないでください。実のところ私も大戦前の仮想戦記ブームに乗っかる形で、その手の本は多く取り扱いましたから、御気持ちはよーくわかります。まぁ、お掛けになってください。

 実は今でもいくつかとってあるんですよ。ほら、『ジオン独立戦争記』に『連邦艦隊を殲滅せよ!』。いやぁ、懐かしいですねぇ。戦争直前までは、この手の「連邦vsジオン」をテーマにしたものが月間どころか週刊ペースで出てましてね。

 変わり種で言えば何といってもこれですね。『決戦!ムンゾコロニー』です。各界の専門家達がシュミレーションの一環という形でギレン・ザビの「斬首作戦」をテーマにしたオムニバス小説をまとめたものなんですが

 ……そうそう、戦略戦術研究所の研究員が匿名で寄稿していたことが週刊誌にすっぱ抜かれたやつですよ。ジオン外務省が連邦政府に抗議して、回収騒ぎになったやつです。プレミアものですよ?値段が付くかどうかは知りませんがね。

 大戦前の出版社や版元の多くが倒産したこともあって、この手のものは殆どが絶版です。大手だと権利を引き継いでいるところもあるんですが、ものがものだけに電子書籍の取り扱いもありません。単純に需要がないんですよ。もし探されるのでしたら古本屋やリサイクルショップで探されるか、古書市を見て回られるか。あるいは好事家を直接当たられるかですね。本屋の店主としては大きな声じゃ言えませんけど、どうしてもとおっしゃるのならネットで海賊版を探すしかありませんな。

 お客さんはこうした戦前のものは?……なるほど、あまり読んでおられない。だと思いましたよ。いや、深い意味はありません。人を見る目とまでは己惚れていませんが、それでも商売柄ね。なんとなくわかるんですよ。

 タイトルから御想像が出来ると思いますが、70年代は両国間の政治的緊張の高まりを反映してリアル路線が受けていました。当時は私も大いに儲けさせてもらったものです(笑)……そうですね。あくまで個人の印象になりますが、割合としてはジオンが勝利するのが7割、連邦が勝利するものが3割ぐらいでしたか。地球やサイド3の書店なら、これがもっと極端な割合になったのかもしれませんが。ジオンが勝利する作品は、漠然と政府が気に入らないという読者層にウケていた印象があります。

 こういう出版物を取り扱う商売をしていますと、開戦前の戦記ブームは愛国心を煽りたい、あるいは政権支持率のために連邦とジオンの両国政府が後押ししていたなんて陰謀論もよく聞きます。真相はわかりませんけど、そんなことをする必要すらなかったと思いますよ。両国の草の根の国民感情は、一触即発という感じでしたから。

 実はね。私はこう見えても地球出身でして。ロンドンの大手出版社に勤務していたんですけど、独立した出版社を立ち上げたくて75年にこっち(サイド6)に移住してきたんですよ。

 ここは大戦中は中立コロニーでしたが、当時はまだジオンのシンパが多く、随分と肩身の狭いもしましてね。創業したはいいものの、開戦による物流の途絶とか物資統制の影響もありましてね。古巣の系列の本屋に流れ着いたわけなんですが。

 まぁ、そんなわけで商売柄、社会情勢や流行にはアンテナを立てておかなきゃならないんですよ。業績が悪ければすぐに首を切られる立場ですし、何より売れ筋商品に関わることですからね。個人的にこの手のジャンルも好きでしたから、人より詳しい自身はありますよ。

 後世の歴史家がなんと表現するのか知りませんがね。あの時代……といっても数年前のことですが。公共の電波や言論空間では戦争回避だの融和政策継続だのという言説が主流でしたが、サイレント・マジョリティは加熱していましたね。

 掲示板やSNSでの罵り合いや炎上は日常茶飯事。敷居の低い民間の小説投稿サイトなんかもっと過激で、口にするのもはばかられるようなタイトルばかりで。内容も宇宙人を奴隷にするとか、アースノイド家畜化計画とか……むしろ両国政府が過激な言論をヘイトスピーチとして取り締まる事に対して「言論の自由に対する侵害だ」とする反発もあったぐらいですから。

 お客さんもわかると思いますけど、今でこそ仮想戦記ジャンルが好きと言おうものなら、周囲から「開戦支持派だったのか」とか「戦争を期待してたのか!」とか批判的な目で見られますけど、そういうのとは少し違うんですよね。あくまでフィクションであって……

 こういう言い方は適切ではないかもしれませんが、現実政治のフラストレーションを解消する娯楽として楽しんでいただけなんですよね。実際に武力制裁を望んでいた人もいたでしょうけど、多くの人は現実のハードルを理解していましたから。だから娯楽小説の中だけでも、嫌いな奴がコテンパンにされているのを読んでみたいとか。そういう感情が近いんですかね。

 私はね。開戦前にあれだけ仮想戦記がブームになった一因として、国家同士の戦争というものに対する漠然とした憧れがあったと思うんですよ。

 地球連邦軍は汚い戦争-対テロや麻薬カルテル摘発、分離独立勢力の弾圧といった民間人を巻き込まざるを得ない治安戦を長らく繰り返してきました。今でもそれをテーマにしたノン・フィクション物は山のようにあります。身内同士の争いだからこそ、どうしようもなく汚いものも嫌なものも見せつけられるわけですよ。

 しかし国家同士の戦争であればどうでしょう。中世期の戦場にあったとされる騎士道や武士道なるものが見られるのではないか。敵対しつつも互いに敬意を忘れない、そんな古きよき伝統が復活するのではないか。戦場の中でこそ人としての尊厳が回復されるのではないか。そう考えていたのかもしれませんね。

 戦争が発生するにしても、もっと綺麗な戦争が行われるのではないかと。そんな具合に多くの人が考えていたのは間違いありませんね。

 ところが実際に戦争が始まると……戦記作家や専門家の予想など、ものの見事に外れてしまいました。

 4つのコロニー群が同じスペースノイドに、それも独立を主張する勢力に殺害される。少なくとも私が編集者なら、そんなプロットを提出した段階で却下していましたよ。ましてやコロニーを地球に落とすだなんて……あれでサイド6の世論は大きく硬化しましたから、よく覚えています。ある戦記作家が冗談めかして嘆いてましたよ。「これじゃリアルじゃなくてSFだ」とね。

 それまでの連邦軍の汚い戦争など、まるでお遊びにしか見えない。現実の国家間の戦争とはこれほどまでに悲惨なものなのか。人間はここまで主義主張や仰ぐ旗が異なるだけで、残酷になれるものなのか。彼だけではなく、多くの戦記作家が筆を折ったのもわかる気がします。

 いやすいません。この手の話をするのは久しぶりなもので、私1人が盛り上がっていたようです。

 一時期ほどの盛り上がりはありませんが、この手のジャンルに根強い需要があるのも事実です。購買層や読者層は兵器オタクや戦史マニア、歴史愛好家に移りましたがね。例えば一年戦争初頭にジオン軍が地球侵攻作戦ではなくルナツー攻略作戦を実施していたら、あるいはジオン軍がザクではなくヅダを正式採用していればとか、そうした考察物が多いですね。

 ……私のお勧めですか?そうですね。

 ではこの『ザビ家三国志』はどうです?全3巻でちょうど読みやすいですしね。これはギレンとドズル、そしてキシリアの3人が中世期古代のチャイナの君主の幽霊にとりつかれてしまい、サイド3の覇権を巡って争うという……

 え?ふざけてるのか?とんでもない。私は大真面目です。

 ……もっと真面目なものがいいんですか?それはまた、お客さんも物好きですね。

 だってそうでしょう。現実の戦争があれだけ悲惨なものだったんです。あれ以上にリアルな戦争なんて、少なくとも私は娯楽小説として読みたくありませんよ。

- サイド6「リボ・コロニー」本屋の店長と顧客の会話 -


宇宙世紀0083年11月12日 北米 ケープ・ケネディ宇宙空港 待合応接室~ペガサス級強襲揚陸鑑『アルビオン』艦橋

 -…選挙戦も残すところ2週間を切りましたが、政権交代は確実な情勢です。11月9日から10日の間、ダブリン中央放送と同盟通信社、および提携する世論調査会社5社が共同で行った選挙戦中盤の情勢調査によりますと、与党会派「2月12日同盟」に参加する諸政党は各地で大きく議席を減らす見込みで-…

 

 -…与党会派は候補者調整に失敗した欧州諸国や旧ロシア、アフリカ各国の各選挙区で苦戦が目立ちます。また保守系の政党連合が強固な地盤を築いていた大洋州や東南アジア沿岸地域では、共和国融和外交を批判して離党した保守系議員が結成した対ジオン強硬派の新党「79年1月10日の記憶」が、地元の退役軍人協会や遺族会などの支援を受けて順調な戦いを見せています。特にコロニー落下の被害が大きかったオーストラリアやパプアニューギニアでは議席の過半数を占める勢いで…

 

 -…穏健な政治勢力の壊滅、そして反連邦的傾向を有する地域政党の勃興。これが今回の選挙戦の特徴です。「2月12日同盟」を形成した主要な3つの政治勢力。すなわち保守系会派、自由主義政党、社会民主主義勢力は、先の大戦により支持層の中核であった都市部の中間層、既存の経済界や大企業の労働組合、あるいは地方や地域社会が大きな被害を受けたことで、その政治的影響力を大きく後退させました。

 

 -…世論調査によりますと、政権不支持の理由に政治不信と政策への不満を上げた有権者の多くが、より過激な主張を訴える極左、あるいは極右政党の支持に流れていることが確認出来ます。中央における政治的混乱を背景に、民族資本が主導して行われた復興事業により生じた地域格差は「地球全体の地域の特性を生かした均衡のある発展」を掲げる連邦政府への信頼を屋台骨から揺るがせています。こうした民族資本の「成功」が、地域通貨の導入を目指す勢力に都合よく利用されているという批判は…

 

 ……極左と極左の躍進が問題の本質ではありません。彼らの受け皿となるべき3つの政治勢力。保守系会派、自由主義政党、社会民主主義勢力が「2月12日同盟」という大連立会派を結成しながらも、なんら成果を出せなかったという点。そして彼らの政治的な後退により、穏健な政治思想を有する有権者の受け皿となるべき政党が存在しない選挙戦の構図が問題なのです。総選挙で3勢力が壊滅的な敗北を喫するのではないかという観測は日に日に強まっており…-

 

 …一方、上院にあたる中央議会議員選挙ですが、広範な選挙区による選挙運動の難しさや、新党乱立によって多数の新人候補が立候補したことから、知名度や組織力で勝る現職の多くが有利な戦いを進めています。一部の改選に留まる上院では、既存の政治勢力が議席を減らすことが確実されていますが、多数派を占める構図には変化がないと見られており、下院とのねじれ議会を指摘する声も出ています。世論調査の結果を受けて、混乱が続く市場関係者の間からは「まだ想定内だ」という見方が出る一方、総選挙後の首班指名選挙に対する不安から…-

 

 -…極左過激派政権、しからずんば極右反動政権!残念ながら選択肢はこれしかありません。鶏が衰えたから卵が産まれないのか、卵が腐っているから親鶏が成長しないのか。議論はあるでしょうが、今の問題はそこではありません。中道派なるものは支持層である中間層と共に消え去った。この事実にいかに向き合うかが問題なのです!……今や自由主義者は絶滅危惧種、保守主義は化石扱い、社会民主主義者に至っては反動勢力と手を組んだ裏切り者扱いです。もうどうにもならない!こうなっては少しでもましな選択をするしかありません!(じゃあ君はどれがましだと思うんだね!)……貴方ね、少しは自分で考えなさいよ!!

 

 ……パーセントの下落となりました。株安の連鎖が止まる気配は見られません。12月のクリスマス商戦への悪影響を指摘する声もあり…-市場不安は選挙戦にも影響を与えています。事前には与党候補の優勢が伝えられていた選挙区のいくつかが接戦区に転じ、あるいは野党候補が猛烈な追い上げを見せています。

 

 ……ただ何れの会派も単独で連邦下院の過半数を占めるのは難しいとみられ、選挙後の連携が焦点となりそうです…-

 

「もう結構だ」

 

 応接待合室の壁掛けTVに映し出された番組を、運行再開の情報収集をするために忙しく切り替えていた自分の秘書官に対して、ブレックス・フォーラは不機嫌さを隠そうともしない険しい表情でその行動を止めさせた。

 

 連邦宇宙軍の緊急通達により、ケープ・ケネディ宇宙空港は大気圏内と大気圏外を含めた全ての運航が不可能となった。コロニー落下の影響により異常気象が続くとは言え、北半球の11月の寒さは骨身に染みる。そのため空港待合室のブレックス一行を含めて、空港内には運行再開を待つ人間で溢れており、足の踏み場もない。ホテルを確保出来なかった人々は空港職員から提供された毛布やカイロで寒さを凌ぎながら、空港ロビーを臨時の宿泊所として使用する有様だ。

 

 にも関わらずTV画面の正面を陣取るブレックスの周囲に人影が少ないのは、いかにも偏屈そうな哲学者風の老人が杖をつきながら瞑想しているからか。あるいは老人の背後に目にも鮮やかなブロンドの美女が控えているからか。連邦議会議員でありグラナダ自由改革同盟(GFRA)の代表である彼を警護するための屈強なSPが周囲を警戒している事も一因ではある。

 

 だが最も大きな要因は、この集団の中心でブレックス・フォーラが近寄りがたい威厳を漂わせているからだ。

 

 元軍人というだけあり、このルナリアンは長身で肩幅が広い。54歳とは思えないリーゼントスタイルの豊かな金髪が、もみ上げを通じて髪の色と同じ顎鬚まで繋がっている。地元では常に胸元を広げたシャツスタイルと気さくな人柄で知られるが、議会では政敵への舌鋒の鋭さから「グラナダの獅子」と渾名される気性の激しさを有している。

 

 そんな人物がしかめっ面でTVを睨みつけているのである。彼を中心としてドーナッツ状の空間が出来るのも当然であった。

 

「ここでTVを見ていても、我が党の候補者の票が増えるわけでもない」

「ならばさっさと地元に戻られては如何かな?」

 

 言葉の端々に苛立ちと焦燥を滲ませるブレックス。これに目を瞑りだんまりを決め込んでいた老人が、ブレックス以上に不機嫌な声で皮肉っぽく応じた。

 

 伸びるに任せた髭と髪を自分で適当に散髪したかのような東洋系の男性である。どう見ても仙人か、あるいは隠者のような風体をした老人が、ニュー・ホンコン経済界を影で牛耳るとされるルオ商会の会長であるとは、初見の人間には想像も出来ないだろう。

 

「ルオ会長。そのような意地の悪いことをおっしゃらないで頂きたい」

 

 性格の気難しさと偏屈さが顔の表情に滲み出たかのようなルオ・ウーミンに、ブレックスは苦笑しながら応じた。

 

 ザンバラの銀髪に意志と経験を物語るように額を横切る深い皺、そして繁るに任せたかのような両の太眉。輪郭に沿うように生える髭は頬から鼻下、下顎まで繋がっている。一歩間違うと浮浪者にも見える。だが見るものが見れば、この老人が只者ではないことは直ぐに理解出来るだろう。

 

 古びてはいるが薄汚れても擦り切れてもいない服は、かつてコミュニスト政権が発足するまでチャイナの政権を担ったエスタブリッシュメントが常用していたという道袍と呼ばれるものだ。それを現代風にデザインし直したものであり、生地も仕立ても一流の仕事によるものだ。

 

 つまりそれが理解出来る人間にしか、この老人は自ら言葉を掛ける価値を認めない。

 

 そしてそれが理解出来る人間は、安易にこの老人に話しかけるような下手は打たない。

 

 地縁血縁、そして人脈を重視する華僑らしい合理的な考え方といえばその通りなのだが、付き合いの長いブレックスですら「何とも意地が悪い」と老人の言動には鼻白まされる事が多かった。

 

 東洋においては大人(人格者)の証明とされる立派な眉を僅かに顰めながら、ルオ老人は瞑想を続けたまま、このルナリアンに尋ねる。

 

「このようなところで、大事な話が出来るのかね」

「このようなところだからこそですよ、会長」

 

 自らが率いる政党の金主(スポンサー)であり、月面経済界と強いパイプを持つ地球経済界の巨人に対しても、ブレックスはあくまで一有権者以上の接し方をしない。同じ自由主義を信奉する同士であり、かつ交渉相手として対等なパートナーであると見なしているからこそ、必要以上に媚びることも威張ることもしないというのが、彼の信念でもあった。

 

 そうした言動が、有権者やマスコミから「月面経済界の代弁者」として見なされるようになって久しい。自分が変わったのか、それとも社会が変質したからか。政権離脱を表明した会見からまだ1日。周囲には記者団の視線やカメラを嫌というほどに感じる。

 

 内心の感情をおくびにも出すことなくブレックスは足を組むと、膝の上で両手を組み合わせながらルオ老人の疑問に答えた。

 

「彼らも貴方の不興を買うほど愚かではありません。まさかこんなところで重要な話し合いなどしないだろう。誰もがそう考える。だからこそ自由に振舞うことが出来るのです……それに会長も『金でルナリアンの票を買った』などと、痛くもない腹を探られたくはないでしょう」

「……抜けぬけとよく言う。貴様の虫除けに私を使っているだけではないか」

「相身互いと言うではありませんか」

「共生?寄生か片害共生の間違いであろう」

 

 手にした杖で床を叩くと、老人は閉じていた瞼を開いてブレックスの顔をじろりと見据えた。

 

 対等だからこそ、言葉としてはっきりとさせておかねばならない。東洋人でありながら阿吽の呼吸の類の曖昧な考え方を蛇蝎のごとく嫌うルオ老人は、契約を尊ぶ西欧資本主義社会の申し子でもあった。

 

「選挙中にも拘らず、随分と派手に動いてくれたな。お陰でいくつかの陣営や候補への献金が無駄になってしまった」

「状況は切迫しています。事後承諾になってしまったことに関しては申し訳なく思いますが、やむを得ない判断かと」

「……代表の政治判断に異議を挟むものではない。それを前提に聞くのだが、この決定は総選挙後では駄目だったのかね?」

 

 金主(スポンサー)の率直な疑問に、ブレックスは「あのまま会派にとどまれば、与党内部における生贄の羊に選ばれていた」という見解を伝えた。

 

 与党会派「2月12日同盟」の代表院内総務として、上院での閉会審査を求める野党との交渉責任者だったブレックスの下には、軍から最新の情報が随時届けられていた。月へのコロニー落としが阻止出来るか。与党議員として誰よりも強硬に古巣の連邦軍を突き上げていたブレックスであったが、コロニーが軌道変更した経緯を知らされて即座に政権離脱を決定した。反対する議員に有無を言わさず力でねじ伏せ、これを強行するという早業である。

 

「月面都市全体、少なくともフォン・ブラウンの5000万市民には頼りにならない連邦軍よりも、批判を恐れず自らの責任で行動を起こしたAE支社の行為は英雄的な行為でしょう。しかし連邦政府と軍からすれば、薄汚い利敵行為にほかならない」

 

 先の大戦に将官として従軍したブレックスは、地球在住者と宇宙在住者の政治的和解、そして宇宙移民計画の再開による地球環境の改善こそが戦後の地球圏に必要不可欠であるという考えに至った。その為には宇宙移民政策を先送りにしてでも、戦後復興による地球圏の安定が必要不可欠と考え、大戦直後の総選挙で政界に復帰。既成政党の大連立である「2月12日同盟」にルナリアン系自由主義政党を率いて参加した。

 

 ブレックスはこの3年間「地球と宇宙の仲裁が可能なのは、双方の考え方を理解出来るルナリアンをおいてほかにはない」という自身の信念に従い、政治行動を続けてきた。

 

 彼を支えたのは月面都市の経済力と政治資金である。綱渡り的な外交の末に大戦の戦禍を免れた月面都市は、地球圏において戦前以上の発言力を獲得することに成功。戦後復興のイニシアチブを左右する立場に登り詰めた。

 

 ブレックスはそれを梃に将来的な宇宙移民のレールを敷き、アースノイドとスペースノイドの和解を推進するつもりであった。そのために政界の汚泥を泳ぎ続け、時には泥水を率先して啜った。必要とあれば政治的な理想を捻じ曲げてまで妥協する事で、与党内の調整役を果たしてきた。

 

 ところが今回のフォン・ブラウンの行動は、連邦政府という枠組みの中でルナリアンの主導権を確立しようとするブレックスの構想を根底から揺るがしかねない重大な「背信行為」であった。

 

「ジオン残党と連携したことで、ルナリアンは連邦政府のみならず、サイド3の共和国からも敵視される可能性が出てきました。状況は深刻です」

「だからこそ政権内部に残るべきではなかったのかね。君の行動は日和見だと批判されている」

「いくつか理由はあります」

 

 ブレックスは咳払いをして続けた。

 

 例えば総選挙後まで現在の会派に残留したとする。第1会派に躍進することが予想されているのは欧州環境統一戦線(UNFF)。欧州と名前はついているが、旧欧州連合の環境政党を中心に、各地の環境政党や政府の役割を重視する財政出動派の左派系政党が加わった会派だ。

 

 UNFFを筆頭に野党会派は選挙戦において好調を維持しているが、実際に単独で過半数を獲得するのは難しいと見られている。更に上院選においては与党会派が現有勢力を維持する見込みが強く、ねじれ国会になることが予想されている。

 

 とはいえ政策に柔軟性のある穏健派与党会派と、主義主張の明確な過激な環境政党会派が手を組むことは難しい。それはブレックス自身が与党会派の幹事として経験したことだ。

 

 水と油の両者を結びつけるものがあるとすれば、外的要因=共通の敵しかない。

 

 都合よく双方から敵視されるに足る重大な裏切り行為が今回発生した。両者が手を握れば、経済力があっても独自の軍事力を持たない彼らは、圧倒的な少数派に落ちぶれる。

 

「なるほど、共通の敵としてのルナリアンか」

 

 ルオ老人が得心したように深く頷き、ブレックスは真剣な眼差しで応じる。

 

 月面都市は合衆国閥との関係が深い。問題となっているAEも、元々は北米の家電メーカーが母体だ。アメリカ経済界は、地球では数々の規制と政治的なしがらみによって実現不可能な新自由主義的-というよりもリバタリアン的な政策を月面都市開発において大胆に行い、結果として現在の繁栄の礎を築いた。

 

 こうした経緯から月面都市と旧アメリカ閥の政治勢力や軍人は現在でも深い関係にあり、ジョン・コーウェンはその人脈を動員して連邦軍再建計画を連邦議会での可決に導いた。月面都市と旧アメリカ閥を繋ぐのがアナハイム・エレクトロニクスであり、新型ガンダム開発計画を受注。連邦軍から開発資金を得たが、当然ながら反対派からすれば受け入れられるものではない。

 

 そしてAEの開発したMSが奪われ、観艦式襲撃事件が発生した。

 

 既にデラーズ・フリートの軍事行動の背景にはジオン残党のスパイが関わっていたことが明らかになっており、新型ガンダム開発計画の責任者であり、連邦軍内の親ルナリアン派のコーウェン将軍は政治的に失脚した。

 

 そして月面へ向かっていたコロニーは、AE支社長の「独断専行」によって月面都市への落下を免れる代わりに、今この瞬間も地球へと向かっている。

 

 目端の利くものであれば、だれが次の政治的なスケープゴートにされるかは明らかだ。だからこそルナリアン政党の多くはブレックスの「政治的裏切り」に異議を唱えなかった。ブレックスはこうした政治的な経緯をルオ老人が理解しているという前提の上で、さらに続けた。

 

「人身御供にされる前に、政権を離脱する必要がありました。私の政治生命だけならばともかく、連邦政府内部における今後のルナリアンの政治的存在そのものに関わる重大問題です」

「選挙戦中に逃げ出した卑怯者という汚名を背負ってでも、連立交渉の主導権を確保するか。確かに政治的な発言権は維持出来るかもしれぬ。だがフォン・ブラウンのしたことが消えるわけではない」

 

 ブレックスは「会長、これは元々が負け戦なのです」と告げ、経済人たるルオ老人の価値観に沿うであろう考え方で、自分の政治決断を正当化した。

 

「不採算事業や投資の損切りの難しさは、会長ならばわかっていただけると思うのですが」

「……敗軍の将は兵を語らずという言葉もあるが、随分と口の回ることだ」

「今の私は政治家ですので」

 

 悪びれる様子もなくブレックスは嘯く。その口調とは裏腹に表情は峻厳かつ真剣そのものだ。

 

「オリンピックではありませんが、参加し続けることに意味があるのです。より正確に表現するならば、地域予選を突破して参加資格を獲得することに価値があるというべきでしょうか。逆風であれ順風であれ、どのような選挙でも一定数の議席を確保出来る組織と実力がある。その実力があると判断されれば、初めて交渉の椅子に座り続ける事が出来るわけです」

「『2月12日同盟』に参加していた既成政党は総崩れだ。この中で現有勢力を維持するのは、並大抵の苦労ではなかろう」

「御理解と御支援を賜り、感謝しております」

「感謝は言葉ではなく、態度で示してもらいたいものだな」

 

 ルオ・ウーミンは杖でコツコツという音を響かせながら、背後のブロンドの美女から書類を受け取る。そしてゲンナリとした表情で、議席の増加や躍進が予想される会派の名前を数え上げた。

 

「欧州環境左派会派の『欧州環境統一戦線(UNFF)』、反連邦ポピュリスト会派の『急進左派同盟(RLA)』、南米の反連邦系の極右政党が集まった『南アメリカ統一会議(SAUC)』、連邦政府の解体と州政府の権限強化を訴える『東亜連盟(TAL)』、名前の通りの『共産主義者同盟(CA)』、新左翼とトロキストの……胸糞が悪くなってきたな」

 

 現在の『2月12日同盟』は議会の保守派から自由主義政党、民主社会主義政党までのまともな政治勢力を網羅した大連立会派である。まともな政治勢力がダメになれば、その受け皿になるのはまともではない連中しか残らない。自明の理とはいえ、この老人には受け入れられるものではない。

 

 ルオ・ウーミンは親から引継いだ商会と華僑人脈だけで現在の地位に上り詰めたわけではない。宇宙移民政策の停滞と同時に低成長時代に突入した地球経済のカンフル剤として、当時の政府首脳にニューホンコンの経済特区構想を働きかけたのも、ジオン侵攻による地球圏経済の混乱に数々の手練手管を駆使してその地位を守りぬいたのも、戦後復興において中央政府の干渉を排除して、民間主導の地域経済秩序を作り上げたのも、すべてはこの老人の卓越した交渉手腕と政治力の賜物である。

 

 そんな「資本主義経済の権化」「ニューホンコンの妖怪」と呼ばれる老人には、先ほどの政治勢力の主義主張を受け入れられるはずもない。ルオ老人は嫌悪感も露わに吐き捨てた。

 

「これでは何のために参謀本部を突き上げて南洋同盟の坊主を殲滅させたのか、わかったものではない」

「私としてはあのやり方は支持出来るものではありません」

 

 権力者というよりも、強者の弱者に対する自然な酷薄さを見せた金主(スポンサー)に、ブレックスは最低限の敬意を実行に移すために-彼の内心からこみ上げる嫌悪感を意識して飲み込みながらも反論する。

 

 ルオ老人は幾度となくこの一件では目の前のルナリアンから根本的な認識の差があることを告げられていたが、一切関心を払わなかった。ルオ・ウーミンとはそういう人物であり、いつものように淡々と自分の考えを述べる。

 

「インド洋や紅海の水上航路の重要性を考えれば当然であろう。狂信者共にアジアからアフリカに通じるシーレーンを握らせてなるものか」

 

 今は無き南洋同盟は、小乗仏教の一派とされる南洋宗が組織した反政府組織である。大戦中は反ジオン活動を幅広く展開。戦後はインド州政府の混乱を付く形で南インドから中東各地にかけた沿岸部沿いに独自の勢力圏を築き上げ、連邦政府からの離脱を宣言した。

 

 この時、連邦政府インド方面軍と宇宙艦隊の任務部隊が連携して行った南洋同盟に対する鎮圧作戦の凄惨さは、西暦末期のメキシコにおける麻薬カルテル殲滅作戦、あるいはチャイナのCCP政権後に発生した分離独立政権に対する弾圧作戦に匹敵すると批判された。避難民のキャンプごと吹き飛ばす強硬姿勢は、与党会派「2月12日同盟」においても深刻な政治対立を生じさせた。

 

 そして経済界からロビイストを通じて南洋同盟の即時武力弾圧を働きかけたのがルオ老人である。これに対してブレックスは一貫して武力弾圧に批判的な立場を貫いてきた。

 

 ブレックスは事態収拾に自分が与党の中で労を取ったか、あるいは政治的労力を費やしたかを問題としているわけではない。分離独立主義者を武力弾圧するやり方は、彼の政治信条に大きく反しており、鎮圧作戦がインド洋の環境に与えた悪影響は断じて看過出来るものではなかったからだ。

 

 このようにブレックスは多くの政治信条や経済政策でルオ老人と認識を共有しているが、相容れない点も多い。

 

 ブレックスは自由のためなら死んでも構わないと公言する自由主義者であり、旧アメリカ流の市民の武装の権利と、政府に対する抵抗権すら自然権の一部として認めるべきという考えの持ち主だ。

 

 一方のルオ老人は資本主義経済の健全な発達には、自由な言論とそれを保証する民主的な政府が必要不可欠であるという思想の持ち主だが、チャイナは歴史的に政府が治安維持能力を喪失した時代が長く続いたため、治安を回復するためには一時的な自由の制限や武力弾圧もやむなしという割り切ったスタンスを維持してきた。

 

 ブレックスが連邦国民の自発的な決断による宇宙移民政策の再開を訴えれば、「強制移住でなければ不可能だ」とルオ老人は冷笑するし、そもそもこの老人はニューホンコンという、自身の生涯そのものとでも言うべき経済帝国を放棄するつもりなどない。

 

 地球環境の改善こそ最優先されるべき政策と考えるブレックスに、ルオ老人は「有権者を喰わせてこその政府だ」とにべもない。

 

 むしろそうした相違点がありながら、互の主義主張を理解した上で是々非々の付き合いと政治同盟を継続出来ているのがブレックス・フォーラの政治家としての面目躍如というべきかもしれない。もっとも本人は自由主義者としての本文だというだろうが。

 

「政治は可能性の芸術という言葉もあります」

 

 ブレックスの発言に、ルオ老人は再び眠たげに閉じかけていた瞼を開く。

 

「済んだことはもうよい。問題はこれからのことだ。実際に選挙戦の見通しはどうなのか」

「我が党は現有議席を確保できる見通しはつきました。ですが与党会派は大敗。UNFFが大幅に議席を伸ばすでしょうな」

「その理由は?」

 

 ブレックスはおどけた様に肩をすくめた。険相でありながらこうした仕草に妙な愛嬌があるのが、このルナリアンである。

 

「先ほど会長が述べられたとおりですよ。内実や政策はともかく、あの組み合わせの中ならUNFFが最も穏健かつ国家観があるように思えます。強盗殺人犯と強盗致傷なら、後者がまともに思える理屈ですがね」

「エレズム的傾向の環境主義者である君からすれば、UNFFは有効な交渉相手ではないのかね」

「御冗談を。あの男が背後にいる政党などと」

 

 ブレックスの顔から表情が消えた。第三者のルオ老人からすればエレズム同士の近親憎悪のようなものではないかという思いはぬぐえなかったが、これ以上このルナリアンと政治論争をするつもりもないので、その先を指摘することはしなかった。

 

「……それで」

 

 大人げないと考えたのか、それともこれ以上自分の思考をその人物に割くことが耐えられなかったのか。ブレックスは口元だけで笑みを浮かべると、背後で存在感を振りまいている女性に視線を向けた。

 

 無論、赤いスーツの美女を口説くためではない。ブレックスからすればルオ老人よりも、この女性と会談することが本来の目的であった。

 

「今回の一件、私としてはフォン・ブラウンとしては自己防衛のやむを得ない手段であったと考えている。自己の存立と多くの人命が危機にさらされ、連邦軍がそれに有効に対処出来なかった。緊急避難としては情状酌量の余地がある」

「ありがとうございます」

 

 ブレックスの基本的な政治的立場の表明に、ブロンドの豊かな髪を持つ女性は感情というものが感じられない声で謝意を口にする。

 

 当然ながら今述べた言葉はブレックスの本心ではない。ジオン残党とAEのフォン・ブラウン支社に何らかの共謀があったのではないかと考えるのが自然だし、彼自身もその疑いをもっている。

 

 しかし事態がこうなってしまった以上、この主張が連邦政府や連邦軍、そしてAEやルナリアンにとって最も傷が少ない説明になる。自由主義的な立場をとるルナリアンの政治的立場を代弁しなければならないブレックスにとっても、これ以外につじつまを合わせる説明は思い浮かばなかった。

 

 だからこそAEとしての対応と責任を、ルナリアン政党の代表として糾問しなければならない。再び瞑想を始めたルオ老人の配慮に謝意を示しつつ、ブレックスは険しい口調でAEとのパイプ役である才媛を問いただした。

 

「いずれ連邦軍の責任追及が始まる。輿論の風当たりも厳しくなることが予想されるが、アナハイムとしては今回の事態をどう決着させるつもりなのか」

「ご安心下さい」

 

 地球圏最大の企業にして創業決出身のアナハイム・エレクトロニクス会長であるメラニー・ヒュー・カーバイン。この専制君主の懐刀として知られるウォン・リーの娘であり、ルオ老人の息子に嫁いだステファニー・ルオは、ブレックスの視線を正面から受け止めながらも、顔色ひとつ変えずに言ってのけた。

 

「社内の事案ですので、社内で決着をつけます」

 

 

 地球連邦軍は、その発足当初から主導権争いが続いた。特に次世代のフロンティアとして位置づけられていた宇宙軍のそれはすざましく、衛星軌道艦隊は合衆国色を嫌う加盟各国への生贄として意図的に弱体化させられたほどである。

 

 西暦末期、こうした事情を背景に連邦政府内での主導権を一挙に握るためロシアとチャイナは共同で「ラプラス計画」を宇宙開発委員会理事会に提出した。

 

 「宇宙移民計画を推進する連邦政府の中枢施設こそ、宇宙空間にあるべきである」とする美辞麗句の建前とは裏腹に、両国は連邦加盟各国の反米意識を煽り、かつアメリカ1強体制を嫌う欧州各国の支持を取り付けて多数派工作にも成功した。最終的にはアメリカ出身の初代最高行政会議議長(連邦首相)のリカルド・マーセナスが了承したこともあり、宇宙開発委員会においてスタンフォード・トーラス型の宇宙ステーション首相官邸「ラプラス」の建設が決議された。

 

 これにより両国、および艦艇建設を請け負った欧州企業連合は、宇宙軍の主導権争いで先行することになる。

 

 一方で自国が設計立案したスペース・コロニーにも拘らず、スタンフォード・トーラス型は「脆弱である」という理由でアメリカは猛烈に反対した。自国出身のリカルド・マーセナスの裏切りに「多混血児のキメラ野郎」と激怒したもの、こうなっては後の祭りである。同国と連携した日本が「重力が安定しており、かつ警備のしやすい月面都市こそ、新たな首相官邸の場所にふさわしいのではないか」とする逆提案を行ったが、むしろ米国の影響下にある月面都市への移転案は、冷笑で迎えられるだけであった。

 

 そして米国の警告は「ラプラス事件」により的中することになる。

 

 米国の研究機関が事前に警告していた通り、同型のコロニーは内部の居住ブロックや循環システムは快適な居住環境を優先するあまり、重力制御に関する重要区画が各所に点在しているため、その警備と管理は著しく困難を伴った。そのため宇宙警備艇による外からの警護に頼らざるを得ないなど、有事や災害に対するダメージコントロールに対する備えが、あまりにも脆弱であった。

 

 そのためラプラス事件調査委員会は、当初に発生した爆発をテロと断定したが、テロではなく事故であったのではないかという説も根強く存在する。

 

 ただ同委員会の出した結論として、爆発の本流は加速度的に全体を巻き込むまでに成長し、短期間のうちにコロニーを崩壊させたということだけは間違いない。そしてリカルド・マーセナスとその支持者を物理的にも、そして政治的にも消失させたことも。

 

 以後、旧アメリカとその影響下にあった移民問題評議会が宇宙移民計画の主導権を握ることになる。宇宙空間における人類の脆弱性を、こうもまざまざと見せ付けられては、誰も反対出来るはずがない。もっともコロニーの構造を物理的衝撃に対して強化したことが、その後のコロニー落としなる大規模質量兵器構想に繋がったのは、皮肉というほかはないが。

 

 当然ながら連邦宇宙軍における建艦思想は同様の傾向をたどった。

 

 中世期の水上艦艇全盛期の時代から、居住性を無視してまで被害対策を重視してきたのがアメリカであり、このアメリカと正面から海軍戦力で殴り合いをした日本である。ダメージコントロールは実戦による修正と経験を積み重ねがなければ、単なる机上の空論である。両国がおびただしい血と犠牲を払って経験したこの分野における技術の蓄積は圧倒的であり、たちまち宇宙軍における主導権を取り戻した。

 

 宇宙艦艇におけるダメージコントロールの発想は、大気圏内の水上艦艇よりも水中を潜行する潜水艦のそれに近い。水上艦艇や潜水艦での浸水制限や防水作業をする前に、乗組員が宇宙空間に吸い出される、あるいはそうでなくとも僅かな穴から空気が排出されて窒息死する危険性が伴う。機密性の確保という点に関して言えば、潜水艦よりも著しい技術的なハードルが待ち構えていた。潜水艦運用の経験をつんだ米日両国ですらそうだったのだから、他の国は推して知るべしである。

 

 だからこそ連邦宇宙軍は、奇怪な形態をした宇宙艦艇を独自に建造し始めたジオン軍を冷笑した。

 

 優良人種を自称する連中でありながら、スペースノイドであるはずなのに、あまりにも宇宙というものを知らない。ブロック構造にしてエンジン部分を本体から切り離すなど、ミノフスキー粒子の雲があるとはいえ、レーダーによる自動管制の主砲や誘導兵器であるミサイルで狙い撃ちをしてくれといわんばかりではないか。肝心の居住性やダメコンを犠牲にしてまで格納庫のスペースを設けて積み込んだのが、あの巨人共である。「宇宙人とでも戦うつもりなのか」とあざ笑ったのも、当時のまともな教育を受けた軍人であれば当然であった。

 

 相手を侮った代償は、自らの生命と市民の犠牲という高い代償で支払わされることになる。

 

 それは先の大戦を現場で生き抜いた佐官クラスには自明のことであり、エイパー・シナプス大佐も忘れた事は一度たりとてない。

 

「総員、第2種戦闘配置。繰り返す、総員第2種戦闘配置」

『各所、閉鎖用具のチェック急げ!先の戦闘で損傷した隔壁補修には限界がある。非戦闘員にもノーマルスーツを着用させるように。酸素ボンベを切らせて窒息死なんて無様な真似、させるんじゃねえぞ!』

「重力ブロックの荷物チェックを徹底させろ」

 

 『アルビオン』の艦橋で飛び交う指示を確認しながら、シナプスは自分のノーマルスーツの気密性のチェックをしつつ艦内放送による命令を繰り返していた。サラミス級やマゼラン級ならば「重力ブロックのチェック」という命令はありえない。それをあえてしなければならないのがペガサス級である。

 

 ペガサス級は大型重力発生装置により、艦内に重力スペースが存在している。本来の連邦軍艦艇の乗組員は無重力を前提としてマグネット付の靴やペンケース、タブレット端末を使用している。にも拘らずペガサス級の重力ブロックに慣れてしまうと、無重力の感覚を忘れて行動する乗組員が、時間の経過とともに増加する傾向がある。幾度となく注意をしても、戦闘により外壁に近い区画が損傷するたびに、凶器と化した文房具で負傷する乗組員は絶えない。

 

「スペースノイドだ宇宙世紀だと誇ったところで、結局は人類は重力から逃れられぬ生き物なのだろうな」

 

 『アルビオン』の艦橋に居座り続けるジャマイカン・ダニンガン参謀長に、シナプス大佐は「かもしれませんな」とだけ答えた。

 

 時折(というよりもかなりの頻度で)嫌味を呟く以外は、仕事を手伝うわけでもなく、かといって邪魔をするわけでもない。ブリッジクルーらは明らかに彼を厄介者と感じていたが、出て行けとも言えない。そのため仕方なくシナプス大佐がジャマイカンの相手を務めていた。

 

 艦隊参謀長が『アルビオン』に乗艦している理由は、司令部幕僚の人員を分散させるためだ。独立部隊の指揮官としてのシナプスの力量は、ペデルセン艦隊司令代理やジャマイカンも理解していたが、単艦による作戦行動と複数の艦艇によるものとでは、おのずから勝手が異なる。

 

 つまり『ツーロン』あるいは『アルビオン』のどちらかが撃沈されたとしても、残された幕僚により作戦行動が継続可能にするための措置だ。

 

 どうせならリャン作戦部長代理が来てほしかったというブリッジクルー男性陣の恨みがましい視線に、シナプス大佐は気が付かないふりをしている。

 

 なおシモン軍曹が「馬鹿ばっか」と言ったとか言わないとかいう話も聞こえたが、それこそシナプスにはどうしようもないことだ。

 

「人は産まれつき楽をしたがる生き物だ」

 

 相変わらず自分に対する感情に鈍感なジャマイカンが、人を苛立たせる甲高い声で発言する。

 

「かつて中世期の水上艦艇全盛期においても、水上、あるいは水中での生活は3ヶ月から半年が限界だったと聞く。2000年以上も重力に育まれてきたものを、たかが1世紀にも満たない経験と歴史で上書き出るわけがない」

 

 ジャマイカンのそれはステレオタイプなスペースノイド批判にも、あくまで一般論を語っているだけにも受け取れる。シナプスは当たり障りのないように「哲学論争ですかな」と応じるが、それを自分に対する揶揄と感じたのか、ジャマイカンは「はんっ」と鼻を鳴らした。

 

 シナプスも当初はこの対応は機嫌が悪いか悪意の現れと捉えていたのだが、どうやらこれが素だというのだから、なんとも困ったものである。

 

「宗教論争かもしれんぞ。サイド3の革命家、あるいはザビ家は殉教した預言者というわけだ」

「ザビ家は絶えてはいないでしょう」

「ジャブローの地底で、あるいはアステロイド・ベルトで何が出来るというのだ」

 

 ジャマイカンの言うように、元突撃機動軍司令のキシリアはジャブローの軍刑務所で厳重な監視下にある。そしてドズル・ザビの息女は残党軍勢力に擁立されて「アクシズ」にいるとされている。

 

 アクシズは先遣艦隊を派遣してきてはいるが、この3月に死去したマハラジャ・カーンの後継を巡る騒動の余波が尾を引き、威力偵察に留まるだろうというのが情報部の分析だ。ジャマイカンとシナプスも同様の報告を受けている。

 

 だがそれを額面通りに信じる人間は少ない。

 

「だが所詮はあの情報機関の分析だ。開戦前に連邦の勝利間違いなしと能天気な報告書を上げた連中のいうことなど、まともに信用出来るかどうか」

「その点に関しては同意します」

「……ならば今までの私の話には腹の底で舌でも出していたか?」

 

 「そのようなつもりは」とシナプスが辟易しながら答えるよりも前に、ブザーが『アルビオン』の艦橋に鳴り響いた。

 

 旗艦であるマゼラン改級戦艦『ツーロン』からの艦隊全体に向けた放送受信を知らせる音であり、ブリッジクルーらは作業の手を止めて注目した。

 

『……全艦艇に告ぐ』

 

 オットー・ペデルセン大佐の声が『アルビオン』を含めた艦隊全域に響き渡った。同時にジャマイカンが不愉快そうに眉間にしわを寄せる。その顔を見ながら「バスク少将はよくこれだけ個性の強い連中をまとめていたものだ」とシナプスが妙な感心をする中でも、放送は続いている。

 

『まもなく本艦隊は、予想される敵警戒ラインに突入する。総員、ノーマルスーツを着用せよ。5分後の10:45に時計あわせ。「沈黙のコロニー」作戦を開始する。同時に通信封鎖を解除。総員、第1種戦闘配置に移行せよ。繰り返す。まもなく本艦隊は-…』

 

 繰り返される通信を聞きながら、シナプスとジャマイカンは自らの時計を確認した。予定していた誤差の範囲内とはいえ15分遅れだ。もはや僅かな時間も惜しい。

 

 そうシナプスが思考を巡らせた瞬間、通信員のジャクリーヌ・シモン軍曹が旗艦からの新たな通信を伝えた。

 

「艦長、艦隊司令代理より入電です」

「こちらに繋げ」

「了解」

 

 シモン軍曹の返答と入れ替わるように、正面モニターにペデルセン大佐のいつもと代わらぬ、面白みのない四角四面の顔が映し出される。ノーマルスーツを着用していると、どこぞのコロニーの技術指導者のようだ。ただシナプスの隣に立つジャマイカンと同様に眉間に皺がよっているのが、常日頃と異なっていたが。

 

『……参謀長、シナプス艦長も。よろしいか』

「艦隊司令代理、如何なされましたか」

『それが……』

 

 シナプス大佐の疑問に、珍しく言葉に窮したような態度で応じたペデルセン大佐は、ジャブローからの長距離レーザー通信を受信したことを明らかにした。シナプスとジャマイカンからすれば「何を今更」という話であり、2人は顔を見合わせる。

 

 先日バスク少将がコンペイトウ鎮守府からのワイアット大将とのレーザー通信を意図的に断って以来、艦隊は各地からの度重なる通信を受信しながら「通信装置の不具合」を理由に、以前のワイアット大将とヘボン少将の命令を有効と判断し、独立した艦隊行動の法的根拠としてきた。「あれだけ大規模な送信が出来るのに、受信だけが出来ない理屈があるか!」とジャブローは激怒していることだろう。

 

 そんなことをしていれば協力を得られないのは当たり前ではある。

 

 しかしバスク分艦隊はともかく、職業軍人たらんとするシナプスですら、ジャブローの命令に素直に従うわけには行かない理由が存在した。

 

 ジャブローは「内通の疑いのあるAEの製作したガンダム試作3号機使用の即時停止と機体の封印」を命じてきている。理由としては至極最もかもしれないが、あの巨大MAと対戦した現場としては、対抗可能なのは試作3号機しかないという結論しか導き出せない。

 

 シナプス大佐は悩みに悩み抜いた苦渋の決断として「命令を受領していない」という子供だましのような理屈を押し通すしかないというジャマイカンの提案を、独立索敵行動集団司令である自身の責任において支持することに決めた。

 

 同時にペデルセンとシナプスとの間で、その責任が自分達2人にあることも確認済みだ。

 

 そして「現在、この艦隊において最も階級が高いのは自分である」という、なんともひねくれた言い回しで艦隊司令部の決定を追認したジャマイカンは、怪訝というよりも不信感すら感じさせる声色で艦隊司令代理を詰問した。

 

「どういうことかね、艦隊司令代理。これまで同様、無視すればよいだけの話ではないか」

『……まぁ、見てもらったほうが早いですな。そちらにも送ります』

 

 通信端末の着信音が鳴り響き、ジャマイカンとシナプスは画面を確認する。

 

 瞬間、通信文に目を通して理解したシナプスの顔面が石仏のごとく硬直した。そしてペデルセン大佐の怪訝な態度が、怒りに言葉が詰まりそうになっていたからだという事が、彼にも理解する事が出来た。

 

- Where is Basque?Where is Task Force fleet of Basque?The World Wonders! -

 

- バスク任務艦隊は何処にありや?バスク任務艦隊は何処にありや?全世界が居場所を知らんと欲す! -

 

 シナプス大佐はこみ上げる不快感のまま怒鳴り散らすよりも前に、まずは参謀長の様子を伺った。

 

 予想通りというべきか、この「コック帽ヘッド」は全身を震わせながら、手にした通信端末をすざましい形相で睨み付けている。今にも液晶画面にヒビが入りそうだ。パサロフ大尉ら『アルビオン』のブリッジクルーも艦長達のの異変に気がつき、作業する手を一瞬止めたほどである。

 

 上司の考えている以上に、部下は上司のマイナスの感情に敏感なものである。作戦開始が間近に迫ったこの時に部下を不安にさせるなど、あってはならない。そう教育を受けたペデルセンやシナプスも自分の感情をコントロールする事に努めていたが、人目がなければどのような態度に出ていたか。わかったものではなかった。

 

 つまりこの文章は、そういう類のものである。

 

 中世期の米日戦争における日本の敗戦を決定付けたレイテ沖海戦において、米海軍の猛将ウィリアム・ハルゼーに当時の太平洋艦隊司令部が送ったあまりにも有名な命令文。ジャブローの宇宙艦隊作戦部から送られた通信は、意図的にそれを真似したものであった。

 

 猛牛ハルゼーはこれを読んで激怒したという。2回同じフレーズを繰り返した後、後者に無意味な文句を入れるのは暗号を隠すため。だがよりにもよって「The World Wonders(全世界が知らんと欲す)」とは!

 

 大英帝国の詩人テニスンが高らかに賞賛した『騎兵旅団突撃』は、クリミア戦争におけるバラクラヴァの戦いにおける騎兵旅団の勇猛果敢な戦いぶりを今に伝える。イギリス人のみならずアメリカ人なら誰もが口ずさめる民謡だ。

 

 だがテニスンの賞賛とは裏腹に、現代ではイギリスの軍事史上における最も愚劣な戦闘としての評価が定着している。その上、ほぼ全滅とも言える大損害を出しながら、戦争自体はイギリスが勝利したため、愚劣な戦いを指揮した指揮官は出世しているという胸糞の悪くなるようなエピソードつきだ。

 

 猛将イメージとは裏腹に、アナポリスへの入学許可が出る前には名門バージニア大の医学部に合格していたというインテリのハルゼーが激怒するのも当然である。自分が一体いつ、勲章稼ぎのために部下を犠牲にしたというのか!

 

 とはいえ実際に原案を起草した下士官は、単にその場で思いついたフレーズをつけただけというのが真相らしい(諸説あり)。

 

 だが今、この艦隊に送られた「これ」は、明らかに先例が意図せずに揶揄するような文面になってしまったものではない。

 

 勇敢な軽騎兵はバスク分艦隊、帰らない兵隊は「グレイザー・ワン」作戦における損害を揶揄している以外の解釈が不可能だ。

 

 その上で中央の統制に従わない貴官らは、兵士らの犠牲の上に出世するつもりか?-…とまぁ、明確にして純粋な悪意と挑発が行間から読み取るまでもなく書かれている。

 

 どれほど鈍い人間であっても-それこそバスクのような無意識の確信犯であっても、これを読めばジャブローの不快感は相当なものであることが理解出来るはずだ。

 

 確かに自分達はジャブローの、中央の統制を意図的に離脱している。それは少なくとも艦隊司令部は了承していた。中央の作戦部が統制下に置こうとするのは当然であろう。そして実際に「グレイザー・ワン」作戦は、撤退時期の判断の遅れにより損害が増加したことも否定出来ない。

 

 だが自分達の指揮を批判するだけならともかく、コロニー落下作戦阻止のために戦い、命を散らした将兵を悪し様に侮辱するとはどういうつもりなのか。まして自分達がいつ、そのような下種な感情で行動したというのか。これがフランス流のエスプリだとでも言うつもりか……

 

 物事には許容出来ないものが確かに存在する。シナプスは奥歯を割れんばかりに噛み締めた。

 

「シモン軍曹」

 

 そのためジャマイカンが起こしたアクションへの反応が、わずかに遅れた。

 

「返信の用意を」

 

 激情に支配されかけていた頭では咄嗟に反応出来ず、シナプスはジャマイカンの顔をただ見返していた。

 

 突如名指しで呼びかけられたジャクリーヌ・シモン軍曹はといえば、艦長と参謀長の顔を見比べて戸惑うばかりである。

 

『……参謀長、一体どういうおつもりですか』

 

 そして沈黙するアルビオンの艦長に代わり、ペデルセン大佐がモニター越しにジャマイカンに対して、その理由と真意を問うた。

 

「アリバイ作りだよ。それにそろそろ返信しておかねば、ジャブローが五月蝿いだろうしな」

『しかし、それでは、このフザケた内容に!』

「しかしも案山子もない」

 

 短く、そしてぞっとするような冷ややかな口調で、ジャマイカンはペデルセン大佐の反論を切り捨てた。

 

「この場の3人の作戦指揮が無能だったかどうかは、最終的にはジャブローの作戦部が検証することだ。それに異論を挟む余地はないし、また戦傷者に対する補償や行賞は人事部門の専権事項である」

 

 軍人であれば誰もが承知しているわかりきった事実を淡々と列挙すると、ジャマイカンは口元を右手で覆い隠すようにして口髭を撫でた。

 

「だが存在しない人間を裁く法律がないように、実在しなかった事件を裁ける人間など存在しない」

 

 シナプスとペデルセンが何か反論するよりも先に、ジャマイカンがいささか口調を早めながら続けた。

 

「このジャブローからの不愉快極まりない通信文が指摘するような事実など、この世のどこにも存在しない……そもそもあの閣下が戦死した部下を交渉材料にして出世するような器用な真似が出来るのであれば、私も苦労しなくて済むのだがね」

 

 「落下するコロニーの中に無反動砲片手に突進する人に、そんなことが期待出来るものか」とMIA(作戦行動中行方不明)に判定されている人物と最も長い付き合いの参謀長は、何時ものように吐き捨てるような口調で締めくった。

 

 相変わらずの憎まれ口ではあるが、明確な怒りの感情の奥底に垣間見えるものに、シナプスとペデルセンは内心で安堵した。

 

 もっとも、この場に彼の士官学校の後輩であるマオ・リャン作戦部長代理がいれば、また異なった見解を両大佐に示したかもしれない。

 

 曰く「ジャマイカン・ダニンガンという人は、正当な職務権限によるものであれ単なる噂レベルであれ、他人に評価されることを生理的に不愉快に感じる質」なのだと。

 

 そんなことを知る由もないシナプスだったが、返信することに関してはペデルセン大佐と同じく彼も反対であったため、ジャマイカンに進言した。

 

「参謀長。ですが通信封鎖中ですぞ。相手にこちらの位置を知らしめることにもなりかねません。敵艦隊の正確な規模がわからない以上、無用な危険は避けるべきかと」

「その危険性はあるだろう」

 

 ジャマイカンはあっさりとその可能性を認めたが、それ以上の利点があるとの考えを続けて述べた。

 

「だがどちらにしろ、相手もこちらの存在に気がつく頃だ。ならば封鎖を続けるよりも、おおっぴらに長距離レーザー返信をすることで、こちらの存在と援軍の可能性を敵にアピールするべきではないかね?」

 

 この指摘にペデルセンとシナプスは考え込んだ。奇襲攻撃のアドバンテージを捨ててでも得るものがあるかと問われれば疑問が残るが、今回ばかりはそうとも言い切れない点がある。

 

 「グレイザー・ワン」作戦時はコロニー・ジャックを行った部隊とデラーズ艦隊本体に挟撃される可能性を考え、こちらは艦隊行動を抑制せざるを得なかった。

 

 今回の「沈黙のコロニー」作戦は、その攻守を逆転させ、逆手に取ったものだ。

 

 相手はコロニーの護衛のために、手持ちの全兵力を1箇所に終結させている。これに対して、こちらはコロニーの後方、ベイブロックの反対側から仕掛けるわけだが、ルナツーあるいは地球衛星軌道艦隊からの援軍があると誤認させることが可能な状況にある。そうすれば敵はありもしない正面からの敵を警戒するため、全戦力でこちらに当たることが出来ないだろう。

 

 実際にはソロモン鎮守府は艦隊編成に手間取り、ルナツー鎮守府は敵からの奇襲攻撃を警戒して身動きがとれない。地球衛星軌道艦隊に至っては動向不明と来ている。

 

 しかしデラーズ艦隊もソロモンについては想定内だろうが、まさかこの状況において遭遇戦ならともかく、1個戦隊規模の艦隊が単独で行動しているとは想定しないだろう。

 

「経験則とは経験したがゆえに思考パターンを縛る」

 

 平凡な秀才であるジャマイカンは自分の経験も踏まえて告げた。

 

「ブリティッシュ作戦当時、衛星軌道艦隊は全滅も辞さない覚悟で前面に戦力を押し出した。当時の失敗についての記憶があるかぎり、彼らの行動は制約される。こちらがあくまで先遣艦隊であると誤認させることが出来れば御の字ではないか」

『その点については了解しました。ですが通信内容が敵に傍受されている可能性もあります。こちらが単独で動いていることを悟られる危険性も』

「……ならば、相手が傍受した無線を解読しても、意味のわからぬことを返してやればよい。幸いにしてジャブローの通信文はあまりにも有名すぎて、逆に罠であることを疑うレベルのもの。暗号通信なら解析に手間取るであろうしな」

 

 ハラスメント攻撃とはいかにもこの人らしいと2人の大佐は考えたが、賢明にも言葉にはしなかった。

 

 ジャマイカンは後ろを振り返ると、通信席のシモン軍曹を下から見上げるような格好で、新たな命令を下した。

 

「ジャブローに返信だ。とびっきりの暗号と無関係な定型文で雁字搦めにしたものをな」

「了解しました。それで返信内容の起草はどうされますか」

「起草などいらぬ。ただ一言だけでよいからな」

 

 人を罵倒することに関しては右に出るものがないとされる頭脳を存分に働かせるまでもなく、ジャマイカンは右手の親指の腹で自らの口髭をなでながら、今もっとこの場にふさわしいと彼が確信する簡潔にして明瞭な返答を、即座に生み出した。

 

「『Nuts』だ」

 

 「は?え?…あの…」と、戸惑い気味に聞き返したシモン通信員に、ジャマイカンは出来の悪い生徒を見る教師のような目付きをした。

 

そしてあっけにとられる2人の大佐を尻目に、もう一度だけ苛立たしげに繰り返した。

 

Nuts!(馬鹿め)だ!」




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