地球連邦政府備忘録   作:神山甚六

5 / 16
 ……緊急ニュースをお伝えします。緊急ニュースをお伝えします。

 本日グリニッジ標準の21時頃、コロニー公社の管轄下にあるコロニー、アイランド・イーズとアイランド・ブレイドが移送中に衝突事故を起こしました。事故原因は現段階では不明とのことです。

 この衝突事故を受け、フォン・ブラウン市危機監理当局は、コロニーの予想進路を計算しました。それによりますと……

 ……え?

 し、失礼しました。危機監理局が天文台と共にコロニーの予想進路を計算した結果、アイランド・イーズは……月へのしょ……衝突コースに乗った模様です。

 ……具体的な落下場所、および落着予想時刻は、現段階では不明です。し、市民の皆さんは、落ち着いて防災無線および当局の発表に従い、地下シェルター及び下層階への……ひ、避難の用意をしてください。

 繰り返します。コロニーが……月に落ちます!

- フォン・ブラウン市公共放送の緊急ニュース速報 -


宇宙世紀0083年11月10日 南米ギアナ高原地下 連邦軍本部ジャブロー~AE社宇宙ドック艦『ラビアン・ローズ』

 50年代と60年代の軍備増強計画は、それまで大気圏内の治安維持任務が中心だった地球連邦軍のあり方を一変させた。

 

 ラプラス事件以来、20年近くに及んだ建国期の動乱(統一戦争)において、連邦軍は分離独立勢力や犯罪組織との「汚い戦争」に対応するため、軍管区ごとの統合軍に対して大幅に権限を付与。中央の指示を待たずとも、各軍管区ごとの判断で機動的に動ける体制を構築した。

 

 これにより治安回復において一定の成果を挙げたが、中央の統制が弱体化する副産物をもたらした。この弊害は、連邦軍の数々の不祥事ー対テロ作戦における軍規違反や、深刻な人権侵害として噴出。反連邦勢力の勢力弱体化に伴い、世論の厳しい批判にさらされる事となった。

 

 また宇宙軍は、実戦経験が豊富な大気圏内の4軍(陸・海・空・海兵)に比べて、「隕石と宇宙人が仮想敵」として軽視された結果、予算が最低限のものに抑制された。こうして連邦軍は「4強1弱」の体制となった。

 

 つまり文字通りの「地球連邦軍」であった。

 

 30年代以降、スペースコロニー建設が本格化したことで、宇宙在住者が地球在住者を上回るようになった後も、この体制は変わらなかった。

 

 状況が大きく変化したのは50年代である。

 

 スペースコロニーを拠点とする新たな分離独立勢力の台頭に直面した地球連邦政府は、これを「人類統一政府を揺るがしかねない新たな脅威」であると認識。そして「4強1弱」の連邦軍では、新たな「脅威」に対処不可能であると結論付けた。

 

 こうして連邦政府の足掛け20年近くにも及ぶ軍事予算の支出と軍政改革によって、地球連邦軍は中央集権的な大規模正規軍ーかつてのアメリカ合衆国軍やソビエト連邦軍のような強靭な組織に生まれ変わった。

 

 特に具体的な仮想敵を獲得した宇宙軍は、予算と人員の両面で優遇されたことで、質量共に拡大が目覚ましかった。地上軍から幕僚団と共に宇宙艦隊へと転身したレビル将軍が代表例だが、これは同時に大気圏内の4軍内の派閥構造が宇宙軍にも持ち込まれたことを意味していた。

 

 この軍備増強計画において、宇宙軍拡大と並ぶ目玉プロジェクトが、南米アマゾンにおける地下要塞の建設と連邦軍総司令の設置計画。通称「ジャブロー」計画である。

 

 ジャブロー計画は、発表の当初から「人類史に類を見ない無駄な公共事業」であるという財政面からの懸念や、「熱帯雨林への深刻な環境破壊をもたらす」という反論しようのない正論によって厳しく批判された。ジャブローの具体的な場所が軍事機密として秘匿されたことも、マスコミと環境団体からは不評だった。

 

 それでも連邦政府と国防委員会事務局は、連邦軍の中央集権化にはジャブロー計画が必要不可欠であるという判断から、計画を強行。南米大陸アマゾンの地下に無数に広がる天然の鍾乳洞を利用して、常時数十万人が居住可能な地下都市を建設すると、60年代を通じて世界各地に点在していた5軍(陸・海・空・海兵・宇宙)の司令部機能を、段階的に集約させた。

 

 人類史に残る一大プロジェクトの成功は、ジャブローを頂点とした新たな地球連邦軍が成立したことを意味していた。そのため「ジャブローへの完全移設をもって、地球連邦軍が実質的に誕生した」と定義する政治学者もいる。

 

 ひょっとするとジャブローの本質を誰よりも理解していたのは、連邦軍から「最大の危険分子」と見なされていたギレン・ザビであったかもしれない。

 

 現在公開されているジオンの最高戦争指導会議の議事録によれば、ブリティッシュ作戦の検討会議において、コロニー落としの最終目標をジャブローとすることに誰よりもこだわっていたのはギレン・ザビであったという。

 

 ギレンが恐れ、そして連邦軍の地球圏一極構造を崩すためにジャブローの破壊が必要不可欠であると決断するに至らせたものは何か?

 

 それはアレクサンダー大王やローマ帝国、モンゴル帝国といった、かつての世界帝国が成し遂げられなかった「偉業」を可能とした、政府と軍の中央集権化を支える情報通信ネットワークであった。

 

 既存の国家や国営企業、そして民間企業が、西暦時代から莫大な資本投資をすることで維持してきた重層的な通信網や衛星ネットワークのインフラと運用ノウハウの上に、連邦軍は地球圏全域に展開する軍を一元的に管理・運用するシステムを作り上げることに成功した。

 

 このシステムが一夜にして機能不全に陥った経緯は、今更語るまでもない。ギレンはコロニー落としによるジャブローの物理的な破壊には失敗したが、連邦軍の一極構造の打破には成功したと言える。

 

 だがミノフスキー粒子の登場によっても、ジャブローの戦略的価値は完全には損なわれていなかった。

 

 地下要塞としての堅牢さや秘匿性、周辺地域からは完全に独立した都市インフラ(十万単位の人口が年単位で自活可能)を有していたことから、ジャブローには最高行政会議や連邦政府加盟国の臨時政府が相次いで発足。大戦中から現在に至るまで、連邦軍の最高司令部として機能し続けている。

 

 戦争末期のジオン地上軍の猛攻をも耐え抜いた地下都市にとって、最大の敵は何だったか?

 

 それは周辺の過酷な自然環境や、ジャブロー要塞を維持するための莫大な整備費、あるいは自然破壊に反対する環境団体、そしてコロニーを落下させてジャブローを破壊しようとしたジオン軍……

 

 ではなかった。

 

 先の大戦を通じてジャブローで聞かれた嘆き節は、次のようなものだ。

 

「今は宇宙世紀だぞ!だというのに、いつまで中世紀のようにペーパー資料を手にしながら会議を進行し、紙台帳によって行政事務を執わなければならないのか!」

 

 ギレン・ザビが破壊したのは、システムの「信頼性」と「情報」であった。

 

 開戦と戦域の拡大により、連邦政府と連邦軍の公的記録ー住民登録や年金の納付状況、社会保障番号、連邦軍の軍籍や公務員の人事査定に至るまで、ありとあらゆるデータが電子的に、あるいはサーバーごと物理的に消失した。

 

 そのため中央政府や11の州政府、ジャブローが運用するデータリンクシステムは、表面上の運用は再開されても、失われたシステムへの信用性が回復することはなかった。

 

 莫大な時間と予算、そして人員を費やして運用してきたシステムがダウンするという悪夢に、ジャブロー勤務の将兵達は悲鳴を上げた。

 

 そしてそれまでは機械に任せていた連邦軍に所属する何百万という部隊の統制と何十億という将兵の管理ー個別の人事査定から恩給事務に至るあらゆる面において、人海戦術で遂行しなければならないという現実に頭を抱えた。

 

 連邦政府が全くの無策であった訳ではない。この事態が長期化することを予想していたことから、電子データの復旧作業と平行して、バックアップとしての紙文書の使用拡大を決断する。

 

 無論、既存のシステムを完全には放棄出来ないので、同時併用ということになる。

 

 仕事量が単純に2倍となった彼らが、ジオン公国打倒の急先鋒になったのは言うまでもない。

 

 「ジャブローにおける最大の死因は過労死」という笑えないジョークは、こうして生まれた。

 

 そして終戦から3年近くが経過した現在、連邦最高行政会議の閣議を始め、各省庁の次官会議から各州政府に地方自治体のレベルに至るまで、「紙」は第一線で活躍し続けている。

 

 その副産物として、大戦前から非効率であると批判されていた連邦政府の官僚機構は、一層の硬直化が進んだとされる。

 

 書類の形式さえ整っていれば、どんな馬鹿馬鹿しい内容であっても承認されるという類いの話は枚挙にいとまがないが、むしろ形式をチェックする体制を構築しただけでも、驚異的な回復力というべきだろう。

 

「まったく、ジオンはよくよく祟ってくれるものだ」

 

 統合参謀本部副議長のジーン・コリニー宇宙軍大将はそう呟くと、用意された自分の席に座った。

 

 頭上から照らされる照明の光に眉をしかめながら、コリニーは連邦安全保障会議事務局が用意した紙資料にざっと目を通す。

 

 予想通りとはいえ、その内容に目新しいものは何一つない。

 

 コロニー公社の管轄する廃棄コロニーが2基、ジオン残党にジャックされた事、2基が人為的な衝突を起こし、うちひとつが月面への落着コースを打取っている事、コンペイトウから発信したステファン・ヘボン少将率いる艦隊が、コロニーに到着する予定時刻……

 

 これらは全て宇宙軍が提供した情報であり、地球連邦宇宙軍の制服組トップである宇宙軍総参謀長である自分にとっては既知のものばかりだ。

 

 内容に事実誤認がないかを確認していたコリニーは、足早に入室してきた安全保障会議事務局長に座ったまま目礼すると、部屋全体ー大会議室を見渡した。

 

 ジャブローの連邦軍本部第3ビルは、大戦中は臨時の最高行政会議議長公邸を兼ねていた。この第2大会議室は、10を越える同様の施設のなかでも、臨時政府と最高幕僚会議による戦争連絡会議が幾度となく開かれたという由緒ある部屋だ。

 

 だが過去の歴史的経緯を含めて、自分が今いる場所が連邦政府の最高意思決定機関であるという事実は、コリニーに何ら感慨を与えるものではなかった。

 

 臨時連邦議会が開催された事もあるだけに、舞台装置の外に設置された固定の椅子を使えば、200人近くの人員を収容可能だ。

 

 だが現下の情勢は緊急を要するため、大画面モニターを背にした部屋の中央部だけが使用されている。

 

 そのせりあがった部屋の中央には、円形の赤い絨毯が敷き詰められている。そして絨毯の中央には連邦政府の象徴たる地球がデザインされており、それを取り囲むようにコの字型の長いテーブルが設置され、出席者の数に合わせた人数分の革張りの椅子が用意されていた。

 

 さながら円形の舞台装置から少し離れた場所に、裏方である書記官らが座る個人用のテーブルと椅子のセットがあり、各出席者の随行である秘書官や補佐官が顔を付き合わせている。

 

 緊急というわりには悠長な事だ。コリニーは内心、冷笑を浮かべていた。

 

 現在、この第2会議室で断続的に開催されている連邦安全保障会議は、そもそも最高行政会議議長(連邦首相)直属の、外交安全保障政策に関する意思決定を行う行政機関である。

 

 その目的は大きく分けて3つ。

 

 第一に、連邦政府側と連邦軍の軍政・軍令部門との緊密な連携と情報交換。

 

 第二に、中長期的な安全保障政策を立案し、最高行政会議議長に答申すること。

 

 そして第三は、危機管理事態が発生した場合、政府の求めに応じて必要な助言行うことだ。

 

 今回はこの第三に該当する事案だ。

 

 最高行政会議議長の要請により、コリニーを含めた政府首脳と軍の高官が召集されてから、早くも4時間近くが経過しようとしている。

 

 そして何らの進展を見られない会議の御題目を嘲笑うかのように、中央の机の上に用意された人数分の灰皿からは、うず高く積まれた様々な銘柄の吸殻の山が、燻った煙を高く昇らせていた。

 

 有史以来最大の民主主義国家を自称する地球連邦政府。その最高意思を決定するはずの大会議室において、唯一の多様性が煙草の銘柄とはな……

 

 コリニーの脳裏を埒もない考えがよぎるが、それに同意するものは誰もいない。

 

 紫煙に曇る会議室。その中央背景の楕円型の大型モニターを背にするように、コの字の縦にあたる座席に、コリニーを含めた3人が座っている。

 

 中央には連邦安全保障会議の事務局長、左に宇宙軍総参謀長(統合参謀本部副議長)である自分。右側には陸軍出身の現統合参謀本部議長。

 

 連邦安全保障会議事務局長から向かって左側には、4人の政府側出席者。

 

 手前から連邦議会与党会派の院内総務に、連邦政府の宇宙行政担当の総務委員(副首相)。国防委員会の若手論客として知られる副議長に、首相補佐官(経済政策担当)。

 

 これと相対するように、向かって右側には4人の高級軍人ーこちらは連邦軍制服組の代表だ。

 

 手前から空軍の参謀総長に、海軍の代表として大西洋洋上艦隊司令官。宇宙軍省の調整担当参事官と、ジャブロー基地総指令である空軍少将。

 

 民主的かどうかはともかく、連邦の現状を象徴した光景には違いあるまい。そもそもこの場にいるべき安全保障担当の首相補佐官がサボタージュを決め込んでいる点に、連邦の体質が体現されているのだろう。

 

 口元に浮かびそうになる冷笑と、肥太った南米のモグラへの苛立ちを打ち消すと、コリニーは手元の資料を捲った。

 

 ジオン共和国(サイド3自治政府)を通じて、デラーズ艦隊が連邦政府に突きつけた要求一覧が列挙されているが、何度目を通したところで、その荒唐無稽な内容に変化があろうはずがない。

 

 ギレン総帥暗殺犯であるキシリア・ザビの引渡し、サイド3の傀儡政権の解散、連邦宇宙軍の地球衛星軌道とルナツー以外からの全面撤退……

 

 果たしてジオン共和国の大使はどのような表情で、このデラーズ艦隊からの要求リストを連邦の高等弁務官に渡したのか。

 

 コリニーは途中で読むフリをすることすら億劫になり、書類を机に投げ出した。

 

「話にならん、どうやってこの要求をデラーズは呑めというのだ?」

 

 会議の口火を切ったのは、日和見を決め込むゴップ元帥の後任である統合参謀本部議長である。

 

 陸軍出身ということで連邦加盟国から地球圏の治安回復を期待されての就任だったが、降伏した旧ジオン公国地上軍の武装解除と本国への帰還事業を除けば、期待されたほどの実績を上げているとは言い難い。

 

「しかも、月へコロニーを落としたところで、連邦は揺るぎもしないものを」

 

 これに続けて頬のたるんだ大西洋洋上艦隊の提督が、マスコミに漏れれば間違いなく政治問題化するであろう発言を平然と行う。

 

 本来であれば、連邦政府側の出席者は、提督のルナリアンへの蔑視発言を叱責してしかるべきであろう。現に彼らは、この場で発言の当事者の更迭を決定するだけの正式な権限を持ち合わせているのだ。

 

 しかるに誰一人として、海軍高官の不穏当な発言を叱責しようとしない。

 

 辛うじて連邦議会与党会派の院内総務が「真意はともかく、今政局に悪影響を与えはしては……」と、弱々しい声で軍の代表の顔色を窺うように応じる。

 

 ルナリアン系の自由主義政党が、現在の与党連合を支える重要な基盤であることは周知の事実だ。

 

「政権は維持したいと?」

 

 あくまでも、そしてどこまでも政局本位の発言しか返せない政府側に、右手で頬杖をついた宇宙軍省の参事官の口から、嘲笑に似た失笑と共に皮肉が零れた。

 

 失望とは、相手に希望や期待を抱いているからこそ発露する感情だ。コリニーも含めて、この場にいる連邦軍の高官は、今の文民政府に何かを求めることなど出来ないということを、経験として知り尽していた。

 

 大戦終結により、連邦政界では多くの既存の主流派政治家が、緒戦の敗戦責任や、ジオン地上軍との協力関係を追及されて失脚。「愛国的」な経験の浅い若手や、理想家肌の非主流派が、その後釜に座った。

 

 新たな各党各会派の指導者達は、たちまち経験不足と調整手腕の欠如を露呈した。そればかりか、自分達の基盤を固めるために、復興計画の策定や連邦軍再編に関する議論などの重要議題を棚上げにして、更なる戦犯狩りと、ジオン占領地域における協力者の断罪に熱中した。

 

 こうして政局を優先した結果、連邦議会は、最高行政会議の各委員会を通じた官僚機構からの提案に唯々諾々と従う追認機関と化してしまった。

 

 有権者の視線は冷え切り、与党会派を始めとした既存の主要政党の支持率は、軒並み低空飛行を続けている。

 

 にも拘らず、貴方達はなおも政権に居座ろうと言うのか?

 

 いや、居座れると思っているのか?

 

 こうした思惑を隠そうともしない軍の高官らの冷ややかな態度に、国防委員会の若い副議長が声を上ずらせながら「月の重要性について、認識が一致していると申しているのです!」と反論を試みる。

 

「ふっふっ、これぞシビリアン・コントロールですな、はっは!」

 

 当落線上はおろか、落選濃厚な若手政治家のスタンドプレーに付き合うほど、今の連邦軍は暇ではない。国防族の若手論客として知られる彼の熱弁も、口髭を生やした空軍参謀総長の皮肉混じりの嘲笑で迎えられるだけであった。

 

「ところで、新たなる邪魔者。アクシズからの艦隊への対処」

 

 自らの行動を開き直って強弁するだけの胆力を有さない連邦政府側の出席者が、一応に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる中、安全保障会議の事務局長が、まるで熱のない事務的な態度と口調で、話題を本題に引き戻した。

 

 事務局長と統合参謀本部議長の双方から発言を促されたコリニーは、宇宙軍としての見解を述べ始めた。

 

「中立を保つなら期限付きで認めてやればいい。態々敵に回すこともあるまい。見たまえ」

 

 コリニーは手元のコンソールを操作して、背後の大モニターを起動させる。

 

 地球を中心とした簡略化した地球圏の地図が画面に映し出されると、コリニーは画面を振り返りながら説明を続けた。

 

「現在、月に向かうコロニーはここ。そしてコンペイトウの残存艦隊」

 

 コンペイトウ鎮守府からは21:35、ステファン・ヘボン少将率いる追撃艦隊が出港したことも付け加える。

 

「最大戦速の艦隊はコロニー落着寸前に敵を捕捉、これを撃滅。コロニー移動用の推進剤に点火させれば、やつらの意図は挫け去る」

 

 コリニーの説明に、連邦政府側の出席者から、安堵の溜息とざわめきが零れる。が、当のコリニーは、表面上の慇懃さを崩さないまま、内心「暢気なものだ」と嘲笑を浮かべていた。

 

 実際のところ、コンペイトウ鎮守府領海の艦隊は容易に動かせる状況にはなく、主導権は依然としてテロリスト側にある。この状況では、正攻法の追撃作戦では、月へのコロニー落着を阻止出来るかは微妙なラインであるというのが、コリニー(=宇宙軍参謀本部)の判断だ。

 

 宇宙軍でなくとも、この場にいる高官であれば、同じ結論に至っていることだろう。

 

 だが実際には、口ひげを生やした空軍の参謀総長も、頬の垂れた大西洋洋上艦隊司令官も、腕組みをして黙り混んでいるジャブロー基地総指令である空軍少将も、政府側の不道徳とも言える創造力の欠如に呆れることはあっても、それを目の前の政府側出席者に指摘しようとはしていない。

 

 無論、それはコリニーも同じだ。

 

 この場において、連邦宇宙軍内部の潜在的な敵対勢力ーワイアット派の宇宙軍省の調整担当参事官に言質を与える危険性を犯してまで、政府側に忠告する必要性、もしくは選挙の不安材料を与える意義は、コリニーには見出だせない。

 

 ましてや中央情報局ではなく、宇宙軍情報部が独自に工作した「奥の手」について説明することは、最初から考慮もしていない。

 

 仮に失敗したとしても、最終的な責任は拘束したコーウェンか、ワイアットに押し付ければよいと、知らぬふりを決め込むコリニーの視線の先では、件の参事官が胡乱下な眼差しをこちら側に向けている。

 

 コリニーは、核攻撃阻止に失敗したワイアット大将と観艦式を取り仕切るワイアット派の式典事務局幹部を更迭した後、人事部門に図ることなく追撃艦隊の指揮官にステファン・ヘボン少将を指名した。

 

 これは、宇宙軍総参謀長としての正当な職務権限による独断によるものだ。

 

 中世期からの加盟国宇宙軍に起源を持つ、栄光のナンバーを背負う正規の宇宙艦隊司令長官には、艦隊運用の経験が豊富なワイアット派の将軍が多い。

 

 そうした将官を差し置いて、コリニーと同じフランス組のヘボン少将を抜擢したということは、事態収拾をコリニー派が主導するという意思表示にほかならない。ワイアット派は面白くないのだろう。

 

 そしてコリニーは彼の態度から、事態収拾後に彼を参事官から更迭することのみならず、宇宙軍の主要人事からワイアット派を一掃することを改めて決意した。

 

 そもそも観艦式の冒頭演説で仏英戦争の故事に触れ、コリニーを挑発したのはワイアットである。あの似非英国紳士とて、宇宙艦隊主導によるデラーズ艦隊の掃討が成功していれば、コリニーら欧州閥を宇宙軍から一掃していたのだろうから、お互い様というものだろう。

 

 コリニーの出身国であるフランスは、中世期の第3共和制時代には植民地帝国と呼ばれ、イギリスと世界の覇権を争った。

 

 そして地元の支配階級を維持しつつ、分断して統治したイギリスと違い、フランスは世界各地の植民地や入植地を、徹底的にフランス式へと作り変えることを選んだ。

 

 そしてフランスという国は、常に銃口から政権が誕生してきた。

 

 自分達フランス閥中心の欧州組が主導権を握ってこそ、反乱を起こした「植民地」を正しく指導することが出来る。コロニストの子孫であるアメリカの成り上がり者や、それに媚びへつらう時代遅れの大艦巨砲主義者には、到底不可欠な芸当だ。

 

 そのためには連邦軍における主導権を一刻も早く握る必要がある。そして目の前の政権亡者が選挙で破れた後は、連邦軍が政府を導く……コリニーの視線は、すでにデラーズ後を見据えていた。

 

「海賊退治も、ここまでですな」

 

 コリニーの胸中を知るはずもない宇宙行政担当の総務委員(副首相)が、心ここにあらずといった態度で、机に頬杖をつきながら応じる。

 

 現与党連合の調整役を果たしてきた彼は、総選挙に出馬せず政界引退を表明していた。至って健康とされる老人が、政界や世論の過激化に嫌気がさして引退するという噂は、事実であったらしい。

 

「しかし、解せません」

 

 性懲りもなく若手の副議長が再び発言し、コリニーも含めた連邦軍側から冷ややかな視線が向けられる。

 

 しかし彼は先ほどとは違なり、彼は明快に(あるいは自身に向けられる感情に気が付いていないだけか)、自らが感じた疑問を軍の高官達にぶつけた。

 

「奴らはコロニージャックの際、何故、推進剤を使用しなかったのです?態々、コロニー同士の衝突など……」

「ふっ、点火するだけのエネルギーを持ち合わせておらんだけだ」

 

 コリニーはとっさにそう反論したが、侮っていた相手からの思いもがけない鋭い指摘に、思わず唸り声を上げそうになった。

 

 それを笑いで強引に誤魔化したが、案の定というべきか、ワイアット派の参事官が腕を組んで首を傾げていた。

 

 確かにコロニー同士を衝突させると言う複雑な計算をするよりも、コースを設定した後に推進剤に点火させたほうが確実かつ安全だ。前提となる数字や計算式をひとつでも間違えば、コロニーは月への落下コースを外れて明後日の方向へと飛んでいきかねない。

 

 そして2度3度とコロニージャックをするだけの余裕は、デラーズ艦隊にはない。

 

 にも拘らず、何故そのような回りくどい、かつ危険性の高い方法を選択したのか。

 

 コリニーは内心に芽生えた不安感を打ち消すように、必要以上に強気な姿勢と態度で断言した。

 

 これに対して先の宇宙行政担当の副首相が「はっはっは」と生気に欠ける笑いで応じ、そして続けた。

 

「空は静かに限る」

 

 

『き、き、きっ……バスク、貴様!一体、貴様は、一体、どういうつもりだぁああああ!!!』

 

 コンペイトウ鎮守府の『バーミンガム』からの長距離レーザー通信による回線を接続した途端、連邦宇宙軍参事官のグリーン・ワイアット大将の怒号が、『アルビオン』の艦橋全体に響いた。

 

 画面一杯に朱に染まった顔を押し付けんばかりの剣幕に、エイパー・シナプス大佐はキャプテンシートから転げ落ちそうになったが、シナプスの前方に直立不動で立つバスク・オム少将は、平然とこれに応対していた。

 

「これはこれは閣下。まずは御無事で何よりです。コンペイトウにおける速やかな救難捜索活動に敬意を表しますぞ……そうそう、閣下が取得された情報に基づき、わが艦隊は作戦行動を開始しました。閣下の情報提供に感謝致します」

 

『だ、私は、そうではなくて、そうではなくてだな!?貴……な、貴様な!私の名前でだな!』

 

 醜態じみたワイアット大将の狂乱からは、4年ぶりに開催された観艦式の式典冒頭において、連邦宇宙軍を代表して祝辞を述べた時の自信にあふれた英国紳士としての余裕を見つけることは難しい。

 

 そしてワイアット大将が言葉に詰まっているのをいいことに、バスクは意図して相手を苛立たせるかのような口調で、一方的に話続ける。

 

「現在、我々はガンダム試作3号機を受領し、月へと向かうコロニーを追撃するべく準備を整えておるところであります。ステファン・ヘボン少将率いるコンペイトウからの追撃艦隊と挟撃を仕掛ければ、必ずやコロニー落下を阻止出来ると、このバスクは確信しておりますぞ。どうぞ御安心あれ」

 

『……だ、あ、きっ、貴様ぁあああああ!』

 

 もはや言葉にならないワイアットを、参謀肩章をネックレスのようにぶら下げた太った参謀が羽交い絞めにして画面から引き離し、痩せ型のノッポな副官が『閣下!お気を確かに!』とチューブ入りの紅茶を渡している。

 

 暗礁宙域の捜索を一時的に中断せざるを得なくなった経緯もあり、シナプスはワイアット大将に思うところがあったのだが、2人のやり取りを見ているうちに、そうした感情はどこかへ消えてしまっていた。

 

 モニターには、ワイアット大将がチューブから激しい音を立てながら紅茶を一気に吸い上げる姿が写し出されている。

 

 その容器を、たまたまその場に居合わせたと思わしきホワイト少将(コンペイトウ鎮守府・事務主計総監)の顔に叩きつけたワイアット大将は、ようやく他人にも理解出来る、聞くのもはばかられる様なスラングだらけのキングス・イングリッシュによる罵倒を開始した。

 

 そしてそれがひと段落すると、再びバスクに噛みついた。

 

『貴っ様ぁ、どの面下げて、そのようなことを!よくも、ぬけぬけと私の前に現れたものだな!?』

 

「通信を頂いたのはハーミンガムからなのですが?」

 

『誰っが!そんな!話を、している!!』

 

 センテンスごとに区切りながら、自分の座る椅子の両脇のコンソールを交互に殴りつけながら離すワイアット将軍。

 

 そういえば先週のアースお宝鑑定団に中世期のブリキの玩具が出ていたが、ちょうどこんな動きをしていたなぁと、シナプスは聊か見当違いの思慮に耽っていた。

 

「いやぁ、宇宙軍大将であられる閣下の御威光はさすがですな。各基地からの兵器接収や、予備兵の動員も迅速に進んでおります。コロニー公社も我々に快く協力を申し入れておりますぞ」

 

『見え透いた嘘をつくな!コロニー公社から私に対して厳重な抗議があったわ!ジャブローの宇宙軍省と憲兵隊本部、月面都市連合参事会にグラナダ商工会議所、月面化学産業連合、サイド6自治政府に、アナハイム・エレクトロニクス、それに北米航空宇宙防衛司令部や、戦略ミサイル部隊からも……ついでにあの蝸牛を食べる野蛮人からも、直接嫌味を言われたがなぁ!!!』

 

 シナプスはワイアット大将の正確な記憶力に感服した。通信中でなければ拍手を送りたいところである。

 

『貴様は一体、私の名前で、そこで、何をしているのだぁあああああ!!!』

 

「あー、どうも通信状況が悪いようですな。もう一度、言ってはいただけませんか?」

 

 耳に手を当てて大仰に首を傾げるバスク少将。

 

 キャプテンシートの背後で、シモンズ軍曹が「プッ」と吹き出す音がシナプスの耳にも聞こえた。シナプスも状況が状況でなければ、軍医のモズリー先生にお願いをして愛蔵のブランデーを引っ張り出したいところだ。

 

 ちなみに新造の大型戦艦であるバーミンガムはミノフスキー粒子散布下においても艦隊指揮を行うために強力なレーザー通信装置を完備している。そのため通信状況は非常に良好だ。

 

『お、お、己りゃあああ!!!』

『閣下、閣下!お気を確かに!』

『急激な感情の高ぶりは心臓によくありませんからな。はい、ひっひっふー、ひっひっふー』

『私は妊娠などしておらんわぁ!!!!』

 

 あまりに頓珍漢な宥め方をしたホワイト少将は、ワイアット大将に顔面に空の紅茶の容器を叩きつけられて、その場にひっくり返ると画面から消えた。

 

 普段の英国紳士をかなぐり捨てて、感情と歯茎をむき出しにして叫ぶ連邦宇宙軍大将。

 

 こうはなりたくないものだと、シナプスは他人事のような感想を持った。

 

『きさまら、二度と軍艦に乗れないようにしてや-』

 

「あーもしもしもしもし?……うーむ、どうも通信状況が悪いようですな。回復次第、また連絡致しますので。それでは」

 

 モニターからワイアット大将の映像が消えると同時に、ブリッジに爆笑が響いた。パサロフ大尉などは、ノーマルスーツを着用する手を止めて、腹を抱えて笑っている始末である。

 

 シナプスはさすがに自分も一緒になって笑うわけにはいかず、咳払いをして巨漢の将官に注意をした。

 

「少将閣下、あまり挑発されては困ります」

「軍法会議上等と、憲兵隊に殴りこみをかけようとしていた男が、何を言うのかね」

 

 確かにその通りなのだが、この巨漢に言われると、シナプスとしては釈然としない。また、ブリッジに居合わせたアナハイム・エレクトロニクスのクレナ・ハクセルが、手を口に当ててクスクスと笑っているのにも閉口した。

 

 『アルビオン』と別行動を取っていた間のバスク艦隊の行動を知らされたシナプスは、その内容に絶句した。

 

 直前に受領した作戦命令書の骨子を拡大解釈して、独自にコロニー落下を阻止するための作戦行動を開始していたという点では、『アルビオン』とバスク艦隊の間に大きな差はない。

 

 ただ、試作3号機の受領とAE社への物資補給依頼に利用していた「つつましやか」な『アルビオン』とは異なり、バスクのそれは、かなり性質が悪かった。

 

 元々、バスク艦隊がワイアットから与えられていた秘密指令の骨子は、暗礁宙域における『バーミンガム』とジオン残党軍との秘密交渉の環境を整えること。その不確実要素である『アルビオン』を監視し、会談場所から引き離すことにあった。

 

 とはいえ事が事だけに、口頭での了解するのはバスク艦隊側からすれば受け入れられない。失敗した場合、ワイアット側から全責任を押し付けられないからだ。

 

 かといって謀略の部類に属するであろう命令を、官僚的、かつ全く解釈の余地がない正規の作戦命令書で出すのも都合が悪い。ワイアット派のリスクが大きい上に、例え成功したとしても、他の派閥に付け入られかねない。

 

 かくしてワイアット派の参謀が苦心した結果、次のような内容が観閲官名義でバスク艦隊に送信された。

 

- 高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処せよ -

 

 そしてバスク艦隊は、意図的にこれを最大限に拡大解釈して見せた。

 

 推進剤や補給物資や武器弾薬をかき集め、ジャックされたコロニーの追撃を独自に開始。その間にもコロニーが地球落下コースに変更された場合に備えて、旧知の間柄にあるルナツー鎮守府のダグラス・ベーダー大将に駐留艦隊に動員をかけさせ、北米防空司令部や戦略ミサイル部隊に警戒を呼び掛け、民間会社に対しての臨時徴用を片っ端から打電等々……

 

 それらをすべて「グリーン・ワイアット」の命令として行ったというのだから、これを知ったワイアット大将は烈火のごとく怒り狂った。

 

 「高度の柔軟性とは、どういう意味か」との関係各所からの問い合わせに冷や汗を流しつつ、肝心のバスク分艦隊を血眼になって捜索していたが、バスク艦隊は先ほどのレーザー通信まで通信封鎖中なのをよいことに「見解の相違である」と完全無視を決め込んでいたのだ。

 

 その元凶たる人物は、今はシナプスの横で、砂糖を親の敵のように混ぜ込んだコーヒーを飲んでいる。

 

 ジャマイカン参謀長は「あれだけ砂糖を投入するなら、黒い絵の具を水でといても同じことだろう」だと悪態をついていたがが、オットー・ペデルセン副司令を始め、誰からも同意されなかった。

 

 ともあれ戦略物資補給の一環として試作3号機が利用出来るのなら接収しようと『ラビアン・ローズ』に『ツーロン』を接舷させたバスク少将一行は、AE社からさっそく事情を聴き出した。

 

 「警備中隊には私が話をしよう」と自ら名乗りを上げた司令官は「やめておいたほうがいいのでは」というジャマイカンの意見をいつものように無視して、まずは噂の試作3号機を視察するためにMAデッキへと向かった。

 

 そこにはいつぞやの、あのソロモンの悪夢と相打ちになったというガンダムのパイロットとAEの女性技術者、そしてそれを取り囲む完全武装の警備兵。

 

 そして中央には、突きつけた拳銃の安全装置を外そうとしていたナカト少佐である。

 

 あとはもう、お察しである。

 

 民間人に対する取り調べという名前の違法逮捕と監禁、発砲未遂の現行犯で「逮捕」された警備中隊は、今はツーロンの独房に放り込まれている。

 

『なんでも証言しますわ!』

 

 AE側の責任者であるクレナ・ハクセル女史が鼻息荒くバスクと握手を交わす横で、いきなり拘束した憲兵隊を放り込まれたチャン・ヤー艦長代理は魂消ていたが、ペデルセン大佐の忠告に従って、何も見なかったことにした。

 

 ともあれ邪魔者を物理的に説得した『アルビオン』は、現在は試作3号機とその武器弾薬を積み込む作業に従事している。22:00には『ラビアン・ローズ』を出港する予定だ。

 

 バスク分艦隊が『ラビアン・ローズ』を拠点に集結するということもあり、バスク艦隊から再び共通の作戦行動を打診されたシナプス大佐は、これまでの経緯を水に流して受け入れていた。

 

 とはいえシナプスはもろ手を挙げて歓迎したわけではない。職業軍人たらんとする彼からすれば、バスクの強引なやり方に思うところがあったからだ。自ずと会話はぎこちないものにならざるを得ない。

 

「シナプス大佐」

 

 ブリッジ要員が慌ただしく駆け回る中、作戦会議を始めるまでの短い待ち時間を潰すためにキャプテンシートに掛けたシナプス大佐に、バスクがブリッジ正面のモニターを向いたまま語りかけた。

 

「貴様は私のやり方が気に入らないだろう」

「……いえ、そのようなことは」

「隠さずともよい。バーミンガムの一件であれだけ私に反抗した男が、このようなやり方を是とするわけはないからな」

 

 逆三角形の筋肉の盛り上がった将校の背中に、シナプスは言葉を選びつつ答えた。

 

「……率直に申し上げまして、個人的には受け入れがたく感じております。軍高官の発言内容や命令書を拡大解釈し、勝手な作戦行動を続ける。これでは軍閥政治ではないですか」

「貴様はどうなのだ?」

 

 その体躯には似つかわしくない静かな声で、バスクは問い返す。

 

「直属の上司たるコーウェン中将は規律違反の疑いで拘束されている。試作3号機を受領する権限が、今の君にあるのか?」

「独断専行と批判されることも、その責任を追及されることも覚悟しております」

 

 キャプテン・シートの側にいたクルーらが、軍法会議も覚悟しているという決意を明らかにした艦長の言葉に息を飲む。

 

 だが、シナプスは構わず続けた。

 

「その私からしても、閣下の行動は度が過ぎているかと」

「たしかにな」

 

 シナプスの予想に反して……いや、予想通りと言うべきか。バスクは自分の非を驚くほどあっさりと認めた。

 

「私のようなやり方が許され続けるのなら、連邦はいずれ軍閥国家となるだろう」

「ならば何故……」

 

 シナプスの詰問するような口調を遮るかのように、バスクは「だがな」と発言する。

 

 彼はそのまま振り返ると、険しい表情のシナプスと視線を合わせた。

 

 そしてバスクは彼の代名詞ともいえる、分厚く赤いゴーグルを自分の手で外した。

 

「もはやこの目は裸眼では何も映すことはない」

 

 そう語る彼の厳めしい顔に似合わない小さな目は、灰色に濁ったままだ。そして永久に回復することはない。

 

 バスクは退役を奨める軍医の提案を拒否し、裸眼では何も見えないに等しいという視力を目薬と特製の視力矯正付きゴーグルにより補い、辛うじて現役に留まったという。その後の活躍は、あの戦争経験したものであれば誰もが知っている。

 

 そしてバスクが語ったのは、彼の視力が失われる前の光景であった。

 

「今でも瞼を閉じると、目に浮かぶ光景がある」

 

 灰色の小さな目を閉じたバスクの脳裏に浮かぶ光景。おそらくそれは自分と同じ光景であろうとシナプスには予想がついた。

 

「私は今でも昨日のことのように思い出すことが出来る」

 

 そうだ、自分も思い出せる。

 

「先の大戦初頭、一週間戦争と呼ばれた戦場の片隅に私はいた」

 

 そうだ、自分もその場にいた。

 

「そして見ているだけであった」

 

 そうだ、自分も見ていることしか出来なかったのだ。

 

 サイド2の8バンチコロニー、アイランド・イフィッシュ。

 

 2000万人近い住民は毒ガスにより殺害されたという。今となってはその死体を誰も確認することが出来ない。

 

 核パルスエンジンを装着させられ大量質量兵器と化したコロニーは、2000万人の死体とともにジャブローへの落下軌道に投入された。

 

 ティアンム中将指揮する衛星軌道艦隊や正規艦隊の残存部隊は必死の抵抗を続け、南極や北極を始め地上各地からの核ミサイル攻撃も加えられた。

 

 結果としてコロニーは大きく3つに崩壊。それぞれがユーラシア大陸の極東シベリア管区のバイカル湖、北米大陸中央、そして最も大きい破片がシドニーを地上から永遠に消し去った。

 

 再び目を開いたバスクが、灰色の眼がシナプスを見つめる。

 

 糾弾するためではなく、慰めるでもなく。ただ事実を確かめるために。

 

「シナプス大佐、君はあの時、どこにいた?」

「……サラミス級の艦長でした」

 

 シナプスは第4艦隊の残存戦隊とともにティアンム提督の直衛戦力として、落下するコロニーの表面にミサイルと主砲を叩きこみ続けた。

 

 そして、ブリッジから落下するコロニーを見ていることしか出来なかった。

 

「私は衛星軌道艦隊所属のサラミス級の副長だった。乗艦のブリッジで呆然としていただけだった」

 

 アイランド・イフィッシュが大気圏で分解し、地表の空気を切り裂きながら地上に激突した様を、ただ見ることしか出来なかった。そうバスクは、自らの感情を押し殺したような低い声で語った。

 

 そうか、この人も私と同じだったのか。シナプスは唐突に、目の前の巨漢を理解出来た気がした。

 

「シドニーを消し去った光を見た直後、艦にミサイルが直撃して気絶。気がついた時には、ジオンの捕虜だ。地球に落下するコロニーが、私が裸眼で見た最後の光景となった」

 

 その光景について語る時のバスクは、自身の視力が永遠に失われたことを語った時よりも悲痛な色がにじみ出ている。

 

 そしてシナプスは相手が見えていないにも関らず、相手に通じると信じ、自らもそうであると小さく頷いていた。

 

 あの時、自分が感じたものと同じ感情の激流。永遠の絶望と身を切り裂かれるような悲痛、そして自分自身の経験や存在が全て否定されたかのような圧倒的な無力感。それをあの時、同じ場所で味わった。

 

 エイパー・シナプスには-あの場にいた全ての連邦軍人には、それだけで十分だった。

 

 気がつけばブリッジにいたクルーや、艦橋に報告に上がってきたアルビオンのMS部隊のパイロットらも手を止めて、バスクとシナプスの会話に耳を傾けていた。

 

「あの時、私は何も出来なかった」

 

 そうだ。あの時の自分も同じであった。

 

「普段は軍人だと威張り散らし、これだけ恵まれた体をもちながら何も出来なかった」

 

 そうだ。あの時の自分は何も出来なかった。

 

「あの時ほど、自分の力の無さというものを痛感させられた事はない」

 

 そうだ。あの時ほど、自分自身の力のなさを思い知らされた事はなかった。

 

 「ジオンに受けた拷問よりも辛かった」と、バスクは独語する。

 

「確かに私の行動は、独断専行などではなく軍閥政治そのものだろう。士官学校や大学校で学んだ民主主義の軍人として、許されざる行為であることも承知している」

 

 普段の豪放磊落さは影を潜めてはいたが、静かに決意を語るバスクに、シナプスを始め、クルー達は聞き入っていた。

 

「だが、これだけは信じてほしい」

 

 光すら感じることが難しいとされる目で、バスクは艦橋のクルー1人ひとりと視線を合わるようにしながら言った。

 

「私はゴーグル越しでも、あの光景を二度と見たくはない。ただそれだけなのだ」

 

 

 0083年11月10日 グリニッジ標準22:00

 

 バスク分艦隊と独立索敵行動集団『アルビオン』、『ラビアン・ローズ』を出港。




・宇宙軍なのにレビル「将軍」のこじつけ設定
・コジマ中佐エアコン嫌いの真実(嘘)
・ホワイト少将の元ネタわかる人は相当なガンダムオタクだと思います

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。