地球連邦政府備忘録   作:神山甚六

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(字幕ニュース)輸送中のコロニー2基が行方不明という一部報道について、コロニー公社幹部はコメントを拒否

 ……この時間は予定を変更して「デラーズ・フリート」を称する武装勢力の、一連の軍事行動に関する報道特別番組をお送りしております。

 つい先ほど、同勢力への支持を表明しているジオン公国軍退役軍人協会のHP上に、新たな声明文が掲載されました。声明文によりますと「核攻撃により、ソロモン要塞の連邦宇宙艦隊に甚大な被害を与えた」としています。これに関する国防省、及び連邦高等弁務官事務所からの正式な反応は、まだありません。

(字幕ニュース)連邦高等弁務官事務所のアデナウアー・パラヤ首席参事官代理「連邦政府はテロリストとは交渉しない」

 首相官邸前には……がいます。-?聞こえますか?

(字幕ニュース)グラナダ市とアンマン市が非常事態宣言

『ムンゾ・コロニーの首相府官邸前です。現在、官邸では緊急の内閣安全保障会議が開催されています。首相府長官は午前の定例会見で、共和国軍に対する動員令について「不測の事態に備えるための必要最小限の行動である」と述べました。グラナダ条約で定められた、連邦高等弁務官との事前協議が行われたのかについては、明らかにされていません』

『国防省幹部によりますと、共和国軍の護衛艦隊は、4個護衛群すべてが第2種戦闘配置で待機しているとのことです。これはUC0081年の旧公国軍残党勢力によるマス・ドライバー基地襲撃事件以来のことです』

(字幕ニュース)リーア外電:フォン・ブラウン市外壁周辺地区での暴動拡大。市当局の機動隊投入により負傷者多数

『自治警察は、共和国政府の管轄下にある各コロニーの反政府勢力の動向に神経を尖らせており、デラーズ・フリートの軍事行動を支持する反政府デモに対する、緊急事態の布告が焦点となっています』

『反政府デモへの自治基本法23条の適応に関して、議会野党会派は強硬に反対しています。閣内でもオレグ副首相を筆頭に、複数の閣僚が慎重な姿勢を崩していません。そのため現段階では、バハロ首相が緊急事態布告に踏み切るかどうかは不透明な情勢です』

(字幕ニュース)月面都市広域連合幹部、共和国軍の動員令に懸念を表明。月面自治都市会議も不快感

 サイド3から月面方面への航路および通信が封鎖されている件について、何か新しい情報はありませんか?

『はい。宙域航路保安本部の警備艇による航路封鎖および通信統制について、保安本部および共和国軍作戦部は、作戦行動中を理由に詳細なコメントを拒否しています。一部の専門家の間からはコロニージャックとの関連性を指摘する声も出ていますが、デラーズ・フリートの公式な犯行声明で触れられていないことから、あくまで憶測の域を出ておりません』

(字幕速報)連邦高等弁務官事務所前で爆発

『旧国慶節に行われた宣戦布告を分析した専門家によりますと、デラーズ・フリートの目的は依然として連邦政府の傀儡政府であるとするジオン共和国の打倒を目指していると推定され……』

『あっ、たった今、新しい情報が入りました。ムンゾ・コロニーの連邦高等弁務官事務所前で、爆発が発生した模様です。事故か事件かは不明です!』

(字幕)ムンゾ・ロマン劇場『コロニー妻、昼下がりの情事~家政婦アンドロイドは見た~』(再放送)はお休みします。ご了承ください。

- RNB(共和国国営放送)『報道特別番組』より -


宇宙世紀0083年11月11日 コンペイトウ鎮守府第4作戦会議室~連邦追撃艦隊旗艦・マゼラン改級戦艦『マレンゴ』

 地球連邦宇宙軍の重要拠点の一つであるコンペイトウ鎮守府は、旧ジオン公国時代には宇宙要塞ソロモンと呼ばれていた。

 

 コンペイトウの名称は一年戦争末期のチェンバロ作戦(ソロモン要塞攻略作戦)において、連邦軍最高幕僚会議がソロモンに付けた暗号名が由来である。作戦終了後も連邦軍関係者の間では一時的な通称として使用されていたが、それが81年に正式名称として採用された。

 

 ではそのコンペイトウの「名付け親」は一体誰なのか。

 

 多くの歴史家は、それがヨハン・イブラヒム・レビル将軍であることで意見が一致している。

 

 ところが、その決定の経緯に至るまでの将軍の考え方については、全く異なる2つの説が唱えられている。

 

 オデッサ作戦終了直後、宇宙軍作戦部から提出されたソロモン攻略作戦(チェンバロ作戦)の検討が開始された連邦軍最高幕僚会議の席上において「ジオンと同じ呼称は、作戦の秘匿上も問題なのではないか」という提案が、某幕僚によってなされた。

 

 この発言に関しては戦後に幕僚会議事務局の補佐官を始め何人かの関係者が同様の証言をしているし、議事録にも残っているので、間違いはないだろう。

 

 問題は、この提案を受けた時のレビル将軍の反応だ。

 

 まず大前提として、再建を果たした連邦艦隊がジオン本国に侵攻するためにはソロモン要塞を攻略しなければならないという認識を、連邦軍最高幕僚会議とジオン(宇宙攻撃軍作戦部)の双方が共有しているという皮肉な状況があった。

 

 大戦前に使用されていた宙域図や航路は、開戦初頭に大量に発生したデブリや、両軍が敷設した機雷原によって、全く役に立たないものと成り果てていた。

 

 そのため連邦軍の数の優位性を十全に発揮するために必要不可欠な大艦隊の展開及び運用が可能な航路や宙域は、ジオン公国軍が直接管理していたソロモンを経由したジオン本国、あるいは月を経由したルートに絞られていた。

 

 当時の連邦艦隊の数からいえば、抑えの艦隊を置いてソロモン要塞を無視してジオン本国か月面方面に進軍することも不可能ではなかったかもしれない。

 

 しかし仮にそうした場合、ア・バオア・クー、あるいはグラナダ攻略作戦中に、背後から衝かれる可能性がある。

 

 そしてミノフスキー粒子の雲の中、連邦艦隊が暗礁宙域を分散して進軍すれば、各個撃破を狙うジオンの思う壷だ。

 

 連邦艦隊全体としては無視出来る戦力であったとしても、最低限ソロモンの艦隊及び航空戦力は無力化されねばならない。そのためには要塞の攻略が不可欠であるというのが、ジャブローにおける最高幕僚会議の決定であった。

 

 対するムンゾの総帥府における最高戦争指導会議は、一部公開されている議事録を額面通りに解釈するなら「連邦軍が事前に攻略目標を明示しなかった」ことから、ア・バオア・クーを直接攻略するのではないか、あるいは艦隊を分けてグラナダを強襲するのではないかという懸念を捨てきれず(実際に連邦軍は公式にその可能性を否定しなかった)、宇宙における戦力を3つに分散した。

 

 これに関するザビ家内部の主導権争い等の政治的な要因に関する研究は、現在も続いている。

 

 ジオン本国では大戦中の言論規制の反動から、ギレン・ザビ総帥が連邦軍のソーラ・システムの存在を知りつつ、コロニー・レーザーの使用に関する政治的な諸問題を正当化するために黙認していた説、あるいはデギン・ゾド・ザビ公王が南極条約会議を御破算にしたレビル将軍への個人的遺恨から、自ら降伏の使者として「囮」となった説など、虚実入り乱れた陰謀論が花ざかりだ。

 

 唯一生き延びたキシリア・ザビの責任を問う声が最も大きいのは、言うまでもない。

 

 そして戦力分散に真っ向から反対し「ソロモン要塞における連邦艦隊との決戦」を主張していたのが、ソロモンにおいて宇宙攻撃軍を指揮していたドズル・ザビ中将だ。

 

 最高戦争指導会議におけるドズル中将の発言と宇宙攻撃軍作戦部の主張をまとめると、次の3点になる。

 

①大戦前とは異なり、連邦宇宙軍は経験豊富で優秀な船乗りを開戦初頭に多く失ったことから、練度が下がっている。その為、現状の連邦艦隊では未確認の破壊されたコロニーなどのデブリが散乱する宙域を抜けてのジオン本国への直接侵攻は不可能。グラナダ強襲も同じ理由でありえない。

 

②ジオンにより航路が比較的整備されているソロモン-ア・バオア・クー、あるいはソロモン-グラナダ航路を使わねば、連邦艦隊はその数の優位性を確保出来ない。後方兵站の拠点あるいは中継拠点としてルナツーは遠すぎるため、連邦軍はソロモン確保を必要としている。

 

③ブリテイッシュ作戦やルウム会戦のような艦隊決戦は、現状のジオンの戦力では不可能。そのため要塞という地の利を活かして戦う他に勝機はない。

 

 これは確認されている中では、ジオン公国の首脳部が最初に公式の場で戦略的な劣勢を認めた発言である。

 

 公国議会ではこのドズル発言を受けて、マツナガ議員(爆弾テロにより暗殺される)を中心に和平派に鞍替えする動きも出始めた。そのため連邦軍の各情報機関もこのドズル発言を承知していたと思われる。

 

 ソロモン攻略戦直前の最高戦争会議議事録によると、ドズル中将は同様の主張を繰り返していたことが確認されている。

 

 これに対して「連邦艦隊の練度は未知数であり、ルナツーには経験豊富な艦隊が残されている」「ソロモンに戦力を集中させれば、ア・バオア・クーやグラナダの防備が弱まる」「戦力を3分割すれば、仮にどれか一つを攻撃されたとしても互いに援軍を出し合う事が可能だ」などと本国や突撃機動軍からの政治的な反論-特に「挙国一致に反する」という意見にドズル中将が抗しえなかったことも、議事録から証明されている。

 

 つまり宇宙における連邦軍の反攻作戦の最初の目標目標は、ソロモンをおいて他にはない。繰り返しになるが、ここまでは攻められるジオン宇宙攻撃軍にとっても、また攻める連邦軍にとっても共通認識であった。

 

 そこで冒頭の呼称の提案に戻る。

 

 攻めるこちら側も、守る相手側も次の攻略目標を暗黙の了解で認識している。にも関わらず「ジオンと同じ呼称をしたくない」という発言者の意図と思惑を見透かしたレビル将軍は、すっかり呆れ果ててしまった。

 

 ちょうど目の前には幕僚会議事務局が用意していた卓上の砂糖菓子。将軍はそれを手にすると「これで良いと思うが?」と発言者に向かって吐き捨てた-これが1つ目の仮説。

 

 つまりレビル将軍は新しい名称を付けることにそもそも乗り気ではなかった、あるいは名称に興味がなかったことになる。

 

 ところが、もう片方ではレビル将軍の発言の真意がまるで異なってくる。

 

 元々、レビル将軍は嵩張らず長期間の保存が可能であり、かつ手が汚れずに糖分を簡単に補給出来る金平糖を作戦会議において常用していた。

 

 そして攻略作戦におけるソロモンの呼称変更の提案を受けた将軍は、間髪いれずに「これで良いと思うが?」と卓上にあったコンペイトウを指さした。それが最高幕僚会議の席上でも共有された-これが2つめの仮説だ。

 

 つまりレビル将軍が積極的にコンペイトウの名称を支持した、あるいは命じたことになる。

 

 該当すると思われる最高幕僚会議において、事務局が卓上に用意していたのはバナナマフィンと、ピーナッツ入りのチョコレートが掛けられた袋入りヌガー、そして七色の金平糖。これも何人かの軍事史家の手によって確認されている。

 

 両説は共に状況証拠でしかなく、確証がない。大戦終結後から公式・非公式を問わずに大量に出版されたレビル将軍の評伝においても、見解は分かれている。おそらく両論併記が最も多数だろう。

 

 たかだか3年前の出来事で、何故これほど見解が分かれているかといえば、出席者の多くが物故しているからだ。

 

 チェンバロ作戦を直接指揮したマクファティ・ティアンム中将とその司令部はドズル・ザビ中将と相打ちとなり、レビル将軍は自身の側近や第1連合艦隊の幕僚と共に、ソーラ・レイで吹き飛んだ。

 

 これにより後衛のわずかな予備艦隊に移動した幕僚を除いて、最高幕僚会議に出席した「レビル派」は文字通り消滅。実際の会議の雰囲気や空気を知る者は無論、将軍の政治的見解を代弁出来る将官が揃っていなくなってしまった。

 

「死人に口なしというわけだ。つまりは生きているガンダムのパイロットよりも、死んだ英雄のほうが使い勝手がいいんだろうね」

 

 連邦宇宙軍所属の特殊作戦部隊である対破壊工作特殊任務旅団(BGST)の旅団長であるカネサダ・ツルギ准将は、居並ぶ司令部要員を前に冗談とも本気ともつかぬ調子で、大戦における今は亡き連邦軍最大の英雄を評して見せた。

 

 現在彼らBGST(バーゲスト)の旅団司令部は、コンペイトウ鎮守府の第4作戦会議室を臨時の根城としている。

 

 観艦式が中止されるや否や、ツルギ准将はコンペイトウ鎮守府司令部にBGSTの職務権限をちらつかせることで作戦会議室の使用権を承認させた。その最大の障害となりえたであろう理論と秩序の信奉者であるステファン・ヘボンは、救援活動と艦隊再編に追われてそれどころではないことを見越してのことだ。

 

 混乱に乗じて強引に使用権を奪い取ったという表現のほうが正確なのだろうが、それに関してこの場にいる幕僚らは誰も疑問を差し挟まない。

 

 そして彼らを率いる旅団長は火の付いていない紙巻煙草を唇の右端にくわえたまま、円形のテーブルに両足を載せていた。背もたれに反り返るようにして両手を頭の後ろで組みながら天井を仰いでいる。

 

 混血が珍しくないこのご時勢、黒髪と濃いこげ茶色の瞳は、彼が純粋な東洋人であることの証左である。特徴のない黒縁の眼鏡に、剃られることなく延ばされた無精髭。上半身の軍服のボタンは胸元まで外されており、その上から同部隊のエンブレムである抜き身の剣を咥えた猟犬が刺繍されたスカジャンを羽織っていた。

 

「ワイアット流じゃないけど、かつてイギリスの宰相は『自分が書くのだから歴史は自分に好意的だろう』と嘯いたそうだ。なかなか言い得て妙だよねぇ」

 

 紙巻き煙草を咥えながら語る姿は、まさに不良中年と呼ぶにふさわしい。だがその四角い黒縁眼鏡の下では、ただでさえ細い目が普段よりも鋭く絞られていた。まるで極限状態における部下の対応を見極めるかのように。

 

 ツルギ准将の発言は、この部隊が看板として掲げる「任侠道」なるものはそぐわないようにも聞こえたが、直立不動で立つ幕僚からは異論が聞こえることはなかった。

 

「どのような形であれ、生きていればこそ本懐も成し遂げられる。それはデラーズ・フリートが証明してみせたばかりだけどね。いやぁ、やっぱり核は怖いねぇ」

 

 受け取り様によってはテロリストへの共感にも聞こえる発言である。しかし現にBGSTを含めた連邦艦隊は、つい先ほどまでジオン残党を呼び出す「餌」とされていた。それも軍事的合理性を追求したわけではなく連邦宇宙軍の正規艦隊の政治的立場を代弁するワイアット大将の政治的な合理性を重視した結果としてだ。

 

 自分達のあずかり知らぬところで自分と部下達の命をチップとして使われた挙句、その結果として核攻撃の危険性にさらされたのだ。最も仮に知らされていたとしても、自分たちを安売りするつもりもないツルギとしては受け入れるわけもなかったが。

 

「一歩間違えば僕達も、このコンペイトウを取り巻くデブリの御仲間になるところだったんだよねぇ」

 

 戦前から反連邦活動の取り締まりに従事してきたBGSTの隊員達は、誰も彼もが鍛え上げた期間と、潜り抜けた死線の数を証明するように筋骨隆々としており、中には軍服の上からでも刺青が認識出来る者もいる。その雰囲気は特殊部隊というよりも、マフィアか任侠組織の幹部のようだが、実際に彼らは「任侠部隊」とあだ名されていた。

 

 戦歴に裏付けられた自尊心と誇りの高さを持つ彼らが、軍内政治の道具として利用されて怒らないわけがない。

 

 しかし彼らは、その内心はともかく従順な羊のように大人しくしている。

 

 自分達が死にかけた程度のことで一々顔色を変えているようでは、このシノギは務まらない。同時にBGSTの隊員であれば火のついていない煙草を咥えた時の司令官が、如何なる精神状況にあるか、知らない者はない。

 

 それがどのようなものであれ、間違いなくカネサダ・ツルギはこの場にいる誰よりも静かに感情を高ぶらせていた。

 

「ジオン突撃軍は旧サイド1宙域に、本要塞を移送すると同時に、周辺の小惑星を砕いて人工的な暗礁と航行不可能な宙域を設けました」

 

 陸上アスリートのような体躯をした黒人女性の副官が、猛獣との距離感を測るように迂遠な物言いで口を開く。

 

「そしてチェンバロ作戦により新たに発生した多数のデブリ。航路上のデブリや岩礁は取り除かれましたが、それ以外はほぼ手付かず。意図的にミノフスキー粒子の散布を抑えることで、対空レーダー網と連携して監視を強化していたとはいえ、限度があります」

 

 客観的な事実を強調するのは、彼女自身の感情を宥めるためか。落ち着きのない子供のように、ツルギは突如として目を爛々と輝かせながら彼女を見た。

 

「晴れの舞台だというのに、双眼鏡片手の監視員だらけではいかにも格好がつかないか。それで2号機の接近を許してちゃ、世話がないけど」

 

 「結局、お金がないからだよねぇ」と身もふたもないことを言う司令官に、副官は硬い表情で頷く。

 

「金がないのは首がないのと一緒だよ?僕の故郷じゃ、幽霊は足がないものと相場は決まってるけどね」

 

 ツルギはそう言うと紙巻煙草を咥えたまま、口の両端だけを器用に釣り上げて見せた。

 

 任侠道だ何だと建前を弄り回したところで、彼らの流儀はいたって簡単だ。

 

 自分より強いものに従う。ただこれだけだ。

 

 弱い人間の言葉に耳を傾ける者は、この部隊にはいなかった。たとえそれが上官であってもだ。

 

 そして隊内の誰よりも、その価値観を信じて疑わないツルギ准将は、部下達の反応を確かめるように彼等の顔を見渡す。そして満足そうに頷くと、傍らに立つ副官に自らの意図を説明した。

 

「回りくどくて悪いね。いやね、何が言いたいかというとね。そもそも僕達の価値ってさ、命もいらず、名もいらず、地位もいらぬってやつじゃない?」

 

 「サイゴウ・ナンシュウと違って、僕らは金は要るけどね」とツルギは軽い調子で続けた。

 

 連邦軍は各国政府の軍を旧合衆国軍が吸収する形で創設された。その目的は「国内」の治安維持であり、国内の不穏分子や反政府勢力以外の「外敵」の存在は意識されていなかった。また地域、あるいは出身国の影響が根強く残されていたため、ラプラス事件直後ならいざ知らず、連邦政府による宇宙開発が軌道に乗り始めると、反政府勢力に対する正規軍の派遣や出動は政治的なリスクとコストに見合わないものになっていた。

 

 例えば連邦軍において軍人の遺体回収に関しては、旧合衆国軍の伝統を引き継ぐ形で細心の注意と敬意。それにふさわしいコストを払い続けてきた。何故なら近代国家にとって軍務に従事する中で戦死、あるいは傷病死した遺体を粗末に扱うことは、死者の尊厳や士気に関わるだけではなく、軍務の正当性に-ひいては組織の信頼性に疑問符を及ぼしかねない。そのため生きた兵隊よりも、死んだ兵士の遺体を重視することすらあるからだ。

 

「だからこそ、僕達のような存在が重宝されたわけなんだけど」

 

 「これだけ人の命が軽くなっちゃ、僕達の存在意義に関わるよねぇ」と、ツルギは誰に言うとでもなしに続ける。

 

 BGSTは大戦前から連邦軍が組織していた対テロリスト専門部隊であり、軍警察(MP)として幅広い捜査権限を認められている。早い話が連邦における汚れ仕事を担ってきた部隊だ。

 

 「軍機」の一言で、軍人でありながら戦死者を隠蔽出来る特殊任務部隊は、連邦正規軍の中でも有数の「実戦」経験を誇っていた。そして多くの部隊は人口の4人に1人が死んだとされる一年戦争の苛酷な環境にも、当然のように順応した。BGSTもその例外ではない。

 

 ところがあれだけの戦死者と行方不明者を出したにも関わらず、正規軍人の命の重さは変わらなかった。

 

 それと矛盾するようだが、民間と軍属を問わず、遺体回収作業は遅々として進んでいない。ルナツーやコンペイトウなど宇宙における軍事拠点周辺は例外であり、それ以外は破壊されたコロニーも含めて、終戦から3年以上が経過しようというのに、ほとんど手つかずだ。地上では居住不可能として放棄された都市に、遺骸が転がっているのも珍しくない有様である。

 

 一部の宗教団体や慈善団体、あるいは保険金支払いの裏付けをとるために調査会社が着手してはいるが、数十億という死者全体をカバー出来るものではない。そのため退役軍人協会や遺族会からの突き上げを受ける形で、連邦議会で大規模な遺体回収計画が立案されたが、その度に財政上の問題により却下、あるいは縮小された。

 

 そのためスペースノイドへの宥和政策を掲げる反戦派から、アースノイド至上主義まがいの綱領を掲げるものまで、連邦軍の退役軍人協会がそろって現在の与党連合の支持を取りやめるという前代未聞の事態が発生している。

 

 しかし人類史上最大の「内戦」の戦後においては、それらは政局のひとつの要素でしかなく、決定的なものにすらなっていないのが現実だ。

 

 仮に大戦前に同じ政策的判断を下していれば、最高行政会議は即座に総辞職に追い込まれていただろう。今となっては連邦政府の官僚主義を批判する評論家やマスコミですら「あまりにも多くの人間が亡くなったためだ」とする政府の公式見解を垂れ流すばかりで、消極的な賛成、あるいは追認をする有様だ。

 

「通俗的な言い方になりますが、死に過ぎたのでしょう」

 

 おそらく自分の死すらも数字として片づけてしまうかもしれない。そう思わせる口調で、ツルギの懐刀である細身の参謀長が続ける。

 

「軍属の遺体回収が優先されるのは、それが遺族年金に繋がるからです。生き残った連邦市民としても、自分達が居住する生活圏の経済再建を優先する意見が根強くあります」

 

 これに「僕達の飯のタネの理由が弱くなってるんだよねぇ」とつぶやきながら、ツルギは咥えた紙巻煙草を器用に唇で回転させてみせる。どこか道化を演じるような振る舞いであったが、参謀長を含めた幕僚らはニコリともしない。

 

 BGSTはジャパンのフリーランスの諜報網であったニンジャに起源を持つとされ、初代旅団長であったツルギ准将もニンジャであったと伝わる。その直系の子孫であり、かつ歴代の中でも特に狂人として名高い「ミラノの核弾頭」ことツルギ准将の発言を鵜呑みにするほど、BGSTの隊員達は楽天家ではない。

 

 何より火の付いていない紙巻煙草をくわえている旅団長の機嫌を損ねたらどうなるか。彼らは経験として知っていた。

 

「出入りじゃ負けるつもりはないけどね」

「閣下、失礼ながら質問してもよろしいでしょうか」

「いいよーん♪」

 

 何度かの躊躇いの後に発言の許可を求めた女性副官に、ツルギは気軽な調子で応じる。ツルギは首だけをゴロンと動かして視線を合わせるが、同時に副官は抜き身の日本刀を当てられたような気迫をあてられた。

 

「ヘボン少将の追撃艦隊への参加要請を断られたのは何故でしょうか」

 

 背中に冷や汗を流しながら訊ねる副官に、ツルギは一瞬だけキョトンとした表情を浮かべたが、直ぐに明確な答えを返した。

 

「あの腰巾着の下で、君は死にたいの?」

 

 珍しく強い口調で「僕は御免だね」と言い切ったツルギに、副官は言い淀んだ。

 

 ここで素直に引き下がるようではBGSTの司令部要員は務まらない。特異な信念に基づいた思考により独断専行することの多い司令官の考えを幕僚の間で共有させるのが自分の仕事である。そう考える参謀長は「よろしかったので?」と、幕僚らに理解させるための質問を重ねた。

 

 これにツルギは意外そうな表情を浮かべた。この程度のことも理解出来ないのかという失望からか、それとも他に思うところがあったからか。それは参謀長にも理解出来なかったが。

 

「参謀長は、僕と違う見解なのかい」

「腰巾着なのは否定しませんが、ヘボン少将が次の正規艦隊司令の候補であり、次期統合作戦本部長とされるコリニー派の幹部候補なのも間違いありません。ここで恩を売っておくのも、一つの選択肢だったのでは?」

「ま、それはそうだね」

 

 先ほどまで見せていた反応とは異なり、あっさりと参謀長の意見に同意したツルギであったが、直ぐに自らそれを否定した。

 

「プライドと能力は比例することが多いけど、反比例することもあるからね。コンペイトウ鎮守府が『マレンゴ』の一件で見せたやり方がどーにもね」

 

 そう続けると、ツルギは再び会議室の天井を仰ぐ。

 

 マゼラン改級戦艦『マレンゴ』はエイノー艦隊時代から『ブル・ラン』と並ぶ主力艦艇としてバスク分艦隊の主力艦であった。そして今はステファン・ヘボン少将が乗艦し、デラーズ・フリートにジャックされたコロニーへの追撃艦隊の旗艦として使用している。

 

 コンペイトウ鎮守府司令長官のステファン・ヘボン少将は、新たに鎮守府駐留艦隊に組み込まれたバスク分艦隊を相当持て余したらしい。先任はヘボンであるとはいえ、階級は同じ宇宙軍少将。バスクの大戦時代の戦績は一般市民に知れ渡っているが、同じくその独断専行と問題行動も連邦軍内部に知れ渡っている。

 

 おまけに無派閥の政治音痴とはいえ将兵の人望が厚いダグラス・ベーダー大将(ルナツー鎮守府司令長官)の後見があると来ている。ワイアット派の一大政治デモンストレーションである観艦式を前に、対立派閥として潜在的な緊張関係にあるヘボンは失点が許されない。そんな時に時限爆弾を抱え込むようなものだ。

 

 これでは統制も何もないと考えたヘボン少将が目を付けたのが『マレンゴ』だったらしい。

 

 駐留艦隊の旗艦を『ツーロン』から『マレンゴ』に移したいという申し入れは、鎮守府の良識的な宇宙軍将校の眉を顰めさせ、バスク分艦隊の将兵を激怒させた。

 

 マレンゴは中世期のフランスの英雄ナポレオンの愛馬であり、エイノー艦隊の旗艦として数々の作戦を潜り抜けてきた艦である。フランス出身の鎮守府司令の下心は丸見えというわけだ。

 

 そのような政治的な下心が全くなかったわけではないだろうが、ヘボンとしてはバスクが断ることを前提での申し入れである。「断るのならばこちらの言うことを聞いてもらいたい」という、一種の政治的デモンストレーションであった。

 

『構わんよ』

 

 まさか即断の上で回答されるとは想定していなかったヘボンに、バスクは続けて「いろいろと配慮をお願いすることになると思うが、よろしく」と言ってのけたらしい。

 

 ヘボンはその意味に気が付いたが、もう後の祭りである。現在に至るまでバスク分艦隊は独断専行を繰り返し、ワイアット大将と結んだかと思えば、今では諸悪の根源とされる『アルビオン』と共同作戦を実行中だとか。

 

「唯々諾々と従ったバスクもバスクだけどさ……僕は他人の玩具を横取りして自分が偉くなったと錯覚するようなやり方が気に入らないんだよね」

 

 暫く黙り込んでから、ツルギはポツリと呟いた。

 

「愚かな知恵者よりも、利口な馬鹿者、か」

「ゲーテですか?」

「シェークスピアだよ」

 

 副官の間違いを即座に否定すると、ツルギは彼女を見ながら言った。

 

「君ね。職務熱心なのは結構だが、もう少し文学的な素養を身につけないと嫁の貰い手もないぞ」

 

 片眼を瞑って下手なウインクをしながら嘯いたツルギに、副官は「セクハラですよ」と冷たく返す。

 

「残念だったね。ここ(BGST)じゃ、僕が法律であり道徳であり裁判官なんだよ」

「策士策に溺れるといったところでしょうか?」

 

 上司の戯言を無視して、参謀長がしゃがれた声で尋ねる。

 

「参謀長、だから愚かな知恵者なのさ。近くにいなければ、知恵者であろうと馬鹿者であろうと、それ自体は害にはならない。なまじ知恵があると自惚れた例が『バーミンガム』でふんぞり返っているじゃないか」

「さてどなたのことでしょうか」

「現実を取り繕っても、ろくなことにならないのは、先の大戦で人類が得た唯一の教訓だろうさ。それはそうと知ってるかい?参謀長」

 

 おおよそこの上司がこのような言い方をした時は、ろくでもないことを言い出すものだ。参謀長は長年の付き合いでそれを承知していたが、上司の機嫌をこれ以上損ねるわけにも行かないので「何についてでしょうか?」と応じた。

 

「僕もレビル将軍を見習って金平糖を食べるようにしているんだけど、安物だと袋の底には砕けた砂糖がたまるんだよ。それを金平糖にまぶしてから食べるのも美味いんだけど、大抵は粉だけが残るものさ」

 

 「まるでコンペイトウ周辺のデブリみたいじゃないか」と、ツルギ准将は自らの発言に「あはは」と笑った。冗談とも本気ともつかぬ司令官の発言に、幕僚らは沈黙で応じる。

 

「何だよ、何だよお前ら―、ノリが悪いぜ?」

 

 ツルギは紙巻煙草をくわえたまま、つまらなさそうに口を尖らせた。

 

「せっかく生き延びれたんだ。美味い酒が飲めるのも、いい女が抱けるのも、生きている人間の特権だ。もっとテンション上げて行こうぜ?」

 

 

 コンペイトウ鎮守府司令長官のステファン・ヘボン少将が、鎮守府駐留艦隊を中核に観艦式に参加した各艦隊の中から即戦力となる部隊を引き抜いて、ようやくのことで編成した2個艦隊を率いて鎮守府の第5ゲートを出たのは、日付が変わった11日。AM01:00のことである。

 

 マゼラン改級戦艦『マレンゴ』の艦橋中央。自分が座るにはいささか大きいキャプテンシートに陣取ったヘボン少将は、その報告に丸眼鏡を外すと、ハンカチで汚れを拭き取りながら、滑稽なまでに部下達に余裕を見せるかのように頷いて見せた。

 

 先発した2個戦隊から4時間近く遅れての出撃であるという航海参謀からの指摘に、ヘボンは再び同じ動作を繰り返した。

 

 そして艦列犇く騒然とした鎮守府領海を『マレンゴ』が出たのがAM03:30。

 

 ヘボンは三度、汚れてもいない眼鏡を拭いた。

 

 鎮守府領海外縁に『マレンゴ』が達したのがAM04:30。

 

 ハンカチを握るヘボンの手に力が入った。

 

「閣下、第7独立任務部隊に関する補給が、この先の宙域で行われており、第72戦隊が行動不能と……」

「いまさら何をいうか!!」

 

 手元からピシリと嫌な音が響くが、ヘボンは構わずにヒビの入った丸眼鏡を掛け直すと、参謀長に任命した小太りの要塞駐留艦隊の司令官を怒鳴りつけた。

 

「もういい!暗礁宙域をメガ粒子砲で焼き払ってでも、道を作れと伝えろ!!」

「閣下、戦艦の主砲程度では、デブリ帯に艦隊行動が可能な航路を形成することは不可能です。単艦程度なら航行可能かもしれませんが……」

「わかっているのなら、さっさと第72戦隊司令部と連絡を取り、新たな艦隊行動計画を策定せんかぁ!!」

 

 普段の冷静沈着、というよりもむしろ冷徹な印象を悪戯に他人に与える声色とは対照的に、ヘボンは生の感情をむき出しにして怒鳴りつけた。これに参謀長の背後に控えていた副参謀長(駐留艦隊副指令)は憮然とした表情を浮かべるが、すぐさま命令を実行に移すためにブリッジから退出していく。

 

 一事が万事、これである。臨時編成の合同艦隊では不測の事態が相次いで発生。大小にかかわらず案件が司令部へと持ち込まれていた。一々まともに相手をしていては、此方の身が持たない。

 

 ヘボンは軍帽を取ると、無地の楽譜のように綺麗に整えられたバーコード頭を右手で苛立たしげに掻き毟った。

 

 そうすることでようやく自身の焦燥と激情を押さえ込めたのか、このフランス人は努めて冷静な声色を作りながら、参謀長に幾度目となるかわからない質問を繰り返した。

 

「コロニーの月面落着の予定時刻は」

「12:10、プラスマイナス15分で変化ありません」

「落着予定地はフォン・ブラウン市周辺で間違いないのだな?」

「観測班によると、コロニーの軌道に変化は見られないとのことです」

 

 ひっきりなしにハンカチで額を拭く参謀長の報告に、再びヘボンは自らの腕時計に視線を落とす。

 

 現在の時刻はグリニッジ標準で11月11日の08:30。追撃艦隊の本隊がコロニーと接触するのは最短でも同日11:00と予測されているので、本体到着からコロニー落下予定時刻まで約1時間の計算になる。

 

 月の重力は地球のおよそ6分の1。コロニー公社からの報告から逆算した推進剤の残量から推定すると、幕僚達はコロニー確保後にエンジンを再稼動して加速することで月の重力圏を脱出することは可能であると結論付けている。

 

 しかしそのためには本隊が到着してから1時間たらずでデラーズ艦隊の残存を掃討し、その上でコロニーの管制室に乗り込まなければならない。

 

 決して不可能な作戦計画ではないが、確実に成功するだけの保証はどこにもない。

 

 人類が発祥した地球とは違い、大気という化粧のない痘痕面の月面にコロニーが落下すれば、その被害は計り知れない。当然ながらその場合の政治的な責任は、追撃艦隊を指揮する自分に被さってくる。

 

 このままでは政治的な責任を自分一人で背負わされることになりかねない。ヘボンは苦虫を噛み潰したような表情で続けた。

 

「フォン・ブラウン市内の状況はどうなっておるか」

「非常事態の布告により事態収拾にあたっておりますが、外出禁止令を無視して脱出を図る市民が絶えず、各所で暴動が多発しているようです。市警察と港湾当局が取り締まりを強化していますが」

「むしろ逆効果か」

 

 情報参謀から受け取ったフォン・ブラウン市当局からの通達文に目を通しながら、ヘボンは嘆息した。

 

 いくら同市がクレーター内部の固い岩盤をくりぬいて建設された人口の地下都市とはいえ、コロニー落下の衝撃に耐えられるとは思えない。シェルター構造となっている中心部地下奥深くの富裕層が居住する区画はともかく、表層部は間違いなく壊滅的な被害を蒙るだろう。

 

「如何にフォン・ブラウン市といえども5000万人の市民を一挙に避難させるだけの船舶があるとは思えませんが」

 

 そう付け加えた参謀長に対して、ヘボンは「わかりきったことをいうな」と言わんばかりに睨み付けながら反論した。

 

「最初から全市民が避難出来るのであれば、混乱など生じるわけがない。第一、避難出来るだけの船が仮に用意出来たとして、5000万もの避難民をどこに収容するというのだ?」

「……失礼しました」

 

 頭を下げた参謀長に、ヘボンは忌々しげに鼻を鳴らす。

 

 ブリッジの沈鬱な雰囲気にたまりかねたのか、若い作戦参謀が手を挙げ「実現可能性はともかく、打開策となるかは不明ですが」という前置きをしてから発言した。

 

「ジオン共和国の護衛艦隊に防衛出動を要請してはいかがでしょう」

 

 「この馬鹿者」という怒号が出そうになるのを、ヘボンは必死に飲み込んだ。

 

 政治的にかなり無理をして寄せ集めた臨時の艦隊であり幕僚である。この若い少佐が自分の流儀を踏まえていないのを責めるのは筋違いであろうとヘボンは自分自身に言い聞かせた。

 

 しかし込み上げる苛立ちは隠しようもなく、ヘボンはどことなく険のある物言いで作戦参謀に下問した。

 

「一応確認しておくが、いかなる名目で行うのだね」

「グラナダ条約で定められた防衛出動の要件に当てはまる漂流隕石やデブリの迎撃、治安出動での出動、あるいは臨時の軍事演習が考えられます。当然ながら高等弁務官事務所を通じての要請ということになるでしょうが」

「あるいは?それは頼もしい言葉だ」

 

 ステファン・ヘボンという人は典型的なフランス人であり、明快にして単純な論理の信奉者であった。つまりは平凡な努力を究極にまで突き詰めた秀才である。奇抜な考えや構想を否定し、どこまでも単純かつ誰にでも理解出来る仕事を積み重ねることで、この地位にまで上り詰めた。

 

 その為、ヘボンほど奇抜な考えや発想というものと相性が悪い人間も存在しなかった。

 

「てっきり私は、貴官がグラナダ条約などは無視しても構わないとでも言うのかと思ったが。統合作戦本部や高等弁務官の頭越しに、現地の司令官が共和国政府と交渉をする政治的な意味について理解していないのであれば、貴官は無能であるし、理解しているのなら貴官は軍服を着た無法者ということになる。その点では安心させられたよ」

 

 学者肌を称するヘボンが、その理性と理屈っぽさを悪い方向に存分に発揮して作戦参謀を手厳しく痛罵する。彼にとっては現状の苦境を打開するのに、その政治的な困難さを理解しながら奇策を提案した作戦参謀の考え方そのものが気に入らなかった。

 

「この際、共和国の艦隊が動く姿勢を見せるだけでもよいのです。そうなればデラーズ艦隊はコロニーの護衛艦隊を割かざるを得ないでしょう。一部でも戦力の分散に成功すれば、コロニー到着後の本艦隊の作戦行動が容易になります」

 

 批判された当人は顔を赤らめながら反証を試みるが、それはヘボンになんらの感慨も与えることはなかった。むしろ物分りの悪い学生を諭す指導教官のような口調で、この作戦参謀が意図的に無視する、あるいは軽視している事実を指摘した。

 

「……この際、貴官の提案を検討するために、月面都市とサイド3との外交関係等の要素を無視して議論しよう。こちらからの要請に、高等弁務官事務所を通じてバハロ内閣がそれに応じた……その時、サイド3で不測の事態がおこらないと、何故断言出来るのかね」

 

 艦隊が離れると同時にサイド3でデラーズに呼応したクーデターなりテロ事件が発生する可能性を指摘する司令官に、作戦参謀は気色ばみながら反論した。

 

「旧公国軍の不穏分子は、その多くが公職追放処分となっております。エギーユ・デラーズ大佐-中将を自称しているようですが、彼はギレン・ザビ総帥の親衛隊を率いていた人物です。優性人類生存説を金科玉条とする親衛隊と、ムンゾ自治政府時代からの伝統を持つ非政治的な国防軍とは水と油。国防軍主体の現役組がこれに応じる可能性は少ないかと」

「良心的なジオン軍人!」

 

 楽観的な見解を述べる作戦参謀に、ヘボンは丸眼鏡の下の目をわざとらしく見開くと、いかにもこの人らしい偽悪語法的な物言いで応じた。

 

「どうも君は牧場の隅に積み上げられた牛糞の山の中から、石炭を見つける美点の持ち主らしい。だが言わせてもらおう。終戦間際の首都でクーデター騒ぎをしていた連中の中に、1人でもそんな奇特な性格の持ち主が存在するのであれば、人類は今頃、羽の生えた鯨の化石でも発掘していたと私などは思うのだが。どうも君と私とは同じものを見ていても見解が異なるようだ」

 

 顔を染めたまま言葉に詰まる作戦参謀から視線を外しながら、ヘボンは自らの口でその先を語ることを避けた。

 

 軍事的合理性を追求するのであれば、作戦参謀の提案は自分が主張したほど一概に否定出来るものではない。むしろ検討して然るべきかもしれない。

 

 だからこそ、ヘボンとしては認めるわけにはいかない。

 

 現在の共和国政府は水面下での旧残党勢力とのパイプを維持しつつ、宇宙における連邦政府の忠実な代理人として振舞うことで存続が許されている。共和国軍の将兵の中に、デラーズやその他の残党勢力と通じる勢力を抱えているのは、公然の秘密だ。政治的な矛盾を内在しながらも、ダルシア・バハロと彼の政権を支持する高等弁務官事務所は、それらを黙認してきた経緯がある。

 

 仮にジオン共和政府で政変が発生した、あるいはクーデターなどの理由でデラーズ側に寝返ったとしても、最終的には相手に1個艦隊が増えるだけのこと。連邦艦隊の数的優位性は不変だ。

 

 むしろ問題なのはサイド3で内乱が発生する可能性である。1億5千万もの人口を相手に治安戦を挑むなど、正気の沙汰ではない。あの悪名高いBGSTですら躊躇するだろうと、ヘボンは顰め面で自らのこめかみを押さえた。

 

「貴官の進言は検討するべき価値がないとは思わないが、統合作戦本部や高等弁務官事務所がそれを認めるとは思えない。何故なら政治的な理由により実現の可能性か極めて乏しいからだ」

 

 自身の考えに没頭する司令官に代わり、参謀長が同僚達の前で面子を潰されたに等しい作戦参謀を宥める様に、ジオン共和国国防軍の政治的な価値について説明する。

 

 現在の共和国軍の護衛艦隊は、旧式のムサイ級巡洋艦やチベ級高速重巡洋艦が中心のわずか1個艦隊に過ぎない。往年のジオン軍と比べるまでもない小さな規模だが、その政治的な価値は計り知れない。

 

 生き残ったスペースノイドからは針の筵であるサイド3政府は、親連邦政策を採らざるを得ないからだ。

 

 故に連邦政府は、宇宙における尖兵として、破格の自治権付与と安全保障協力の引き換えに、厳しい軍備制限を課すことでジオン国防軍の存続を許してきた。

 

 とはいえバハロ首相が如何に政治巧者であっても、内閣が連邦政府と組んで残党勢力と戦うことを表明すれば、政権基盤の弱体化は避けられない。エルラン中将の先例もある。情報工作のつもりが、いつの間にか相手に取り込まれていないとも限らない。内戦とまではいかなくとも、このような「下らない騒動」でバハロ政権を磨耗させてよいと連邦政府や統合作戦本部が判断するとは思えない。

 

 連邦軍人-それも宇宙軍の高官であるステファン・ヘボン個人としては、自分が同盟国の軍事組織を信用出来ないし信頼もしていないとは説明出来ない。ましてサイド3がどうなろうと知ったことではないとは、口が裂けても言えるわけがない。

 

 口を噤み続ける司令官を前に、別の作戦参謀が月面都市とサイド3との外交関係について指摘した。

 

「それにジオン共和国と月面都市との関係もあります。一年戦争前であれば、ジオンは月面都市との関係なしには成り立たず、月面都市も心情的に独立派、あるいは地方分権推進の盾としてジオンを支持することが可能でした。しかし開戦当初の強引な政治介入とグラナダへの軍事進駐から、都市広域連合と自治都市会議は揃って反ジオンです」

 

 月面都市の行政機構である月面都市広域連合と月面自治都市会議。自由主義経済を信奉する地方分権派と、政府の更なる支出拡大を望む中央集権派。親宇宙と親地球など、政治経済で立場が異なる両者だが、ジオン共和国の軍事行動を認めないだろう。

 

 そう説明した作戦参謀に、年配の人事参謀が疑問を呈する。

 

「しかし月面都市にはジオン残党や、そのシンパも多い。現に自治都市への内政干渉だとして、連邦政府からの政治犯引渡し要求を拒んでいる事例もあるではないか」

「ジオン残党のシンパであることが、必ずしも現在の共和国政府支持とはなりません。先の大戦を通じて、ジオン本国は月面都市を必要とせずに自前で重工業から農産物の生産、サービス業まであらゆる分野を自前でまかなえるようになりました」

 

 終戦までフォン・ブラウンをはじめとした月面都市にとっての通商上のライバルはサイド6(リーア)だけであったが、戦後になるとここにはサイド3(ジオン共和国)が加わった。

 

 そしてジオン共和国だけが、あれだけの戦禍とスペースノイドの大量虐殺を引き起こしておきながら、地球連邦政府から政治的特権を認められている。これを憤慨する声は根強い。

 

「この間、発表されたグラナダ市長暗殺疑惑に関する報告書もある。これでは護衛艦隊の受け入れは難しいだろう」

「ルナリアンめ!自分達の頭上の上にコロニーが落ちようという時に!」

「スペースノイドがルナリアンを攻撃するとは思っていないのでしょう」

 

 最初に動員を提案した作戦参謀が憤慨するが、航海参謀が冷ややかな口調で応じる。地球出身者と宇宙出身者の区別なく、戦争の直接的な惨禍から無縁のまま金儲けを続けたルナリアンは、多くの連邦軍人からすれば侮蔑の対象ですらあった。

 

「最悪フォン・ブラウンに落下しても死ぬのは外壁近くの貧乏人とたかを括っているものかと」

「前の大戦を高みの見物で過ごせた連中らしい、楽観的な見解ではありますな」

「むしろクレーターを増やしてやったほうが、あの業突く張りのアナハイムも少しは反省するのでは?」

 

 あまりにも無神経な発言を繰り返す参謀連中に、ヘボンがその冷徹な寛大さを再び引っ込めかけた。

 

 それよりも前に生産性にかけるやり取りから距離を置いていた情報参謀が報告を始めたことで、司令部におけるこれ以上の軋轢は避けられることになったが。

 

「閣下、先ほどのバスク分艦隊からの第1次報告について、詳細がまとまりました」

 

 11日00:00に、コロニー『アイランド・イーズ』とその護衛艦隊と接触したバスク分艦隊と『アルビオン』の合同艦隊は、6時間以上もの戦闘の末、07:00に撤退を開始した。

 

 2個戦隊のうちサラミス改級が2隻撃沈。マゼラン改級1隻と4隻が大破し、MS部隊の損耗4割という、ほぼ半壊に近い損害との報告に、『マレンゴ』の艦橋に集まった幕僚らに驚きの声が溢れる。

 

 エイノー艦隊の後継者であるバスク分艦隊は、連邦宇宙軍有数の練度を誇る艦隊だ。それがこれだけの被害を受けたとあっては、ただ事ではない。

 

 そして詳細は不明ながらもコロニーに潜入したバスク少将のMIA(作戦行動中行方不明)の報告に、更なる衝撃が走った。

 

 艦隊司令であるヘボンとバスク少将との着任以来の因縁を念頭に置く何人かの参謀は、上官の反応をうかがうような視線を向けた。

 

 そして理性はあっても激情に欠けるとされる典型的な官僚気質のフランス人司令官は、因縁の相手のMIAの報告にも特に興味がなさそうな素振りで-あるいは意図的にそう見えるように振舞っていたのかもしれないが、書類に視線を落としていた。

 

 表面上は上官が平静を保っている以上、部下達としてもそれ以上言うことはない。幕僚らは胸中「さすがは明哲保身のお人といわれるだけはある」という嫌味を内心零しながら、戦況報告書の分析を開始した。

 

 デラーズ本隊は連邦正規軍の1個艦隊に及ばないとはいえ、合同艦隊を数で圧倒している。これが合流した以上、敵艦隊を殲滅してのコロニー確保は難しかっただろうという点で、ヘボンを含めた司令部の見解は時間を空けずに一致した。

 

 因縁があろうとも、それを戦況分析に挟むことはしないだけの理性はヘボンにもあった。

 

 敵本隊合流は戦端が開かれてから4時間後。それを考えるとコロニー・ジャックの実行部隊を早期撃破することも不可能ではなかったはずだが、それは結果論に過ぎない。

 

 ヘボンはそれを理由に批判などしようものなら、むしろ自分の恥になることはわきまえていた。

 

 挟撃の可能性がある中、敵MS戦力の撃滅と情報収集の時間を稼ぐための継戦を選択したのは、ベストではないがベターであるといえる。

 

 もっとも、その「やり方」に関してはヘボンも言いたいことがないわけではないが……

 

「コロニー外壁に新たな耐熱処理加工の痕跡か」

「はい。まず遠距離光学による撮影ですが、こちらをご覧下さい」

 

 情報参謀がブリッジの大画面を操作して投影させた画像に、艦隊司令部要員の注目が集まる。

 

 黒い宇宙の大海を泳ぐように進む巨大コロニー。1基あたり最大で1000万近くの人口を収容出来る人口の大地とくらべると、傍のムサイ級が玩具のようだ。

 

 コロニー再生計画の一環として、いくつかのコロニーを解体して剥ぎ取った部品により修復された外壁はフランケンシュタインを思わせる。

 

 故にその新たな「外皮」も、一見するとそれほどの違和感を感じさせなかった。

 

 しかしよく見れば明らかに取ってつけたように行われた一連の工事は、通常のコロニー外壁工事には不必要なものであることが見て取れた。

 

 撮影側(バスク分艦隊)からの艦砲射撃中にも、外壁にヤモリのようにへばりついた工作用MSが確認出来ると、参謀らの顔色が曇り始める。

 

「これは明らかにコロニーの大気圏突入時に発生する空気加熱、膨大な熱量とガスに備えたものです。

 

 情報参謀は画面が切り替わるのを待ってから、自身の見解を述べた。

 

「またこちらは『内部』からの写真ですが」

 

 画面が切り替わり、コロニーの大地から天頂を撮影したと思わしき写真が映し出される。こちらも突貫工事で行われたとおぼしき、コロニーのシャフトから延ばされた蜘蛛の巣のようなものが確認出来た。

 

「情報部によりますと、コロニー・ジャックを行った部隊は、指名手配中のジオン海兵隊のようです。バスク艦隊からの戦闘報告書でも裏が取れました」

「毒ガスをコロニーにばらまいた、あの連中か」

 

 汗かきの参謀長が強張った口調で吐き捨てる。

 

 数多の社会と人々の生活があった人工の大地を「大規模質量兵器」とするためにジオンの行った蛮行については、政治的立ち位置がどうであれ、まともな人間であれば生理的嫌悪感が先に立つ。

 

 国力に劣るジオンとしてはそれ以外の戦い方が無かったのだろうが、だからといってそう簡単に割り切れるほど、人間は単純な生き物ではない。

 

 ここまで情報参謀が説明した情報を前提とするのならば、デラーズ・フリートの狙いは明らかにも思える。

 

 月にコロニーを落とす場合、対空気加熱の用意など必要ない。

 

 ところが幕僚らの見解は綺麗に別れた。

 

「ブラフでしょう」

 

 航海参謀の一人がそう言い切ったが、驚く声は出なかった。

 

「コロニー公社から報告、またこれまでの推進剤の予測使用量から考えますと、計算上は重力ターンによる月重力圏からの脱出、および地球軌道へのコース変更は不可能ではありません。ですが現状、デラーズ艦隊は新たにコロニーの推進剤に点火するだけのヒト・モノ・カネ……必要なもの全てが不足しています」

 

 一口に推進剤と言っても、気象管制と重量制御の動力源も兼ねるコロニー移動用の巨大エンジンと、その機関部を再稼動稼動させるために必要な点火エネルギーは、艦隊が1回の会戦で使用するだけの量と、それらを一挙に使用するほどの爆発的な瞬間エネルギー、また衛星軌道上から特定の車の座席を打ち抜くかのような緻密にして複雑な計算が必要となる。

 

 例えば追撃艦隊の場合、状況にもよるがデラーズ艦隊を撃滅した後に、コロニーの管制室で移動用エンジンを最大出力で噴射させるだけでもよい。それだけでもコロニーは月の重力圏から脱出するだけの加速度は得られるし、コースから外れるからだ。

 

 ところがバスク分艦隊が可能性として報告する重力ターンを使用した進路変更の場合、その難易度は桁違いに跳ね上がる。

 

 点火するエネルギーが少なければ、コロニーはあさっての方向に飛んでいくだけであるし、タイミングが外れていても同じことだ。

 

 現行の軌道から地球へのルートを再計算して、エンジンを一挙に再稼動させる。

 

 それだけのパワーを新たに生み出そうとすれば全エンジンを一斉に再稼動させなければ不可能だが、連邦の正規艦隊であっても、通常はコロニーのエンジンをすべて稼働させるだけの人手と物資は保有していない。ましてピンポイントで地球を狙うだけの計算をするなど、ほとんど不可能だ。

 

 それがジオンの残党に出来るのか?航海参謀に指摘されるまでもなく、幕僚の全員にほぼ同じ疑問と疑念が共有されていた。

 

「ならば、これは何なのだ?」

 

 理路整然とした航海参謀の指摘も、目の前の画面に移された写真を前にしては説得力に欠ける。

 

 理論よりも先の大戦による記憶と感情が幕僚達の脳裏を再び支配しようとする中、航海参謀は反駁した。

 

「ブラフの可能性が高いと思う。いや、だからこそブラフとして成立するというべきか。実現可能性に乏しい陽動作戦に、こちらが乗ると考えるほど楽観主義者ではないだろう。こちらがジオン共和国の艦隊を動かそうとしたように、あちらも追撃艦隊の戦力の分散を狙っていると考えるのが自然ではないか」

「だが如何に可能性が低いとはいえ、重力ターンが行われた場合はどうなる。この艦隊は月面軌道上でデラーズ艦隊と3回戦うだけの推進剤なり物資はあるが、地球衛星軌道上へ向かうだけのそれはないぞ」

「繰り返しになるが」

 

 航海参謀はゆっくりとした口調と素振りで、他の参謀の顔を見回しながら続けた。

 

「今のデラーズ艦隊のどこに、そのような物資と人と時間があるのだ。時間は有限であり、人は元々少なく、物資は更に少ない」

「月面都市の協力者が協力をすればどうか」

 

 これに重力ターンによる地球への軌道変更プランの可能性を捨てきれない作戦参謀が指摘する。

 

「誰であれ自分の頭上にコロニーを落とされたくはないだろう。軌道計算の再集計だけでも月面都市で行い、衛星レーザー通信で連絡を取り合うことは不可能ではあるまい」

「可能性だけなら、幾らでも研究は可能だ。しかし現状、このコロニーのシャフトや外壁にくっつけられたものが何なのか、正確に理解しているものは誰もいないだろう。憶測でその可能性を語っているにすぎない」

 

 航海参謀が反論したように、ブリティッシュ作戦を始めとした一連の旧公国軍によるコロニー落としの作戦や情報は、その多くが終戦間際に廃棄焼却されている。残されたデータはジオン残党軍が保有していた。

 

 だからこそ、このような場面でブラフにしても真実にしても「脅し」として、あるいはジオン残党軍としての数少ないカードとして役に立つのだが。

 

「ジオン残党、それも親衛隊勢力と海兵隊ならばデータがあるかもしれない。そして再度、地球にコロニーを落とすかもしれない……確かにその可能性はある。しかしこの写真だけでは極めて低い可能性の一つに過ぎない。具体的なデータ、それを裏付ける確固たる情報ではないし、これだけでは、この艦隊の進路を変更するだけの確たる情報になるとは、私は言い切れないと思う」

「航海参謀の懸念は理解した。私を含めて、これがただの瓦礫である可能性がないとは言い切れないのは認めよう。しかし……」

「しかしもなにもない。諸君は現実を見るべきだ」

 

 航海参謀は作戦参謀の更なる反論を、鋭い視線と共に強い口調で遮った。

 

「先程、後方参謀が指摘したように、この艦隊には現行のルートを外れて地球衛星軌道に向かうだけの物資はないし、その補給計画も現段階では存在しない。しかし今この瞬間も月面に向かってコロニーが向かっているのは事実なのだ。作戦参謀の指摘するように月面から地球衛星軌道に向かうのだとしても、この艦隊に何が出来る?」

 

 現段階で出来ることはないとする航海参謀に、反論する材料を作戦参謀は持ち合わせていなかった。

 

「ジャブローの統合参謀本部なり各鎮守府等に警戒を促すことは出来るが、それ以上のことは、現状の戦力では不可能だ」

「だからこそブラフと考え、行動するしかないと?」

「そして月面に向かうまとまった戦力は、バスク分艦隊を除けば、この艦隊しかない」

 

 ハンカチで額をぬぐいながら、参謀長が議論を引き取った。

 

 連邦政府と連邦軍には、月面都市に対する防衛義務を果たさないという選択肢は存在しない。

 

 両社の政治的繋がりや経済的な関係はもとより、地球圏の統一政府であるという建国理念そのものを揺るがしかねない(だからこそジオン共和国は特異な存在なのだが)。その点はルナリアンへの潜在的な不信感こそあれ、幕僚らはヘボンが嫌味混じりに指摘しなくとも理解していた。

 

 バスク分艦隊からの報告書に、追撃艦隊司令部の見解をまとめた上でジャブローに送るというヘボンの決定に、幕僚の中から異論を挟む者はいなかった。

 

 あるいはここに官僚気質のステファン・ヘボンとその司令部の体質を見て取ることも可能かもしれない。

 

 現状のあらゆる情報から考えて、コロニーの重力ターンによる軌道修正など、現在の政権与党が選挙で勝つほどにありえないことだ。

 

 とはいえ仮に不測の事態が発生した場合、現場指揮官として責任を取らされるのは避けたい。

 

 派閥のボスであるジーン・コリニーに、トカゲの尻尾として切られないだけの、第3者の目にも明らかな必要以上の証拠を揃えて、判断を丸投げしたとも言える。

 

 そして寄せ集めの艦隊司令部故か、先ほどの作戦参謀と同じくその雰囲気をよく理解しない通信参謀が「ジャブロー経由ではなく、直接こちらからコンペイトウ鎮守府やルナツー等に警戒を促すようにしてはどうか」と提議した。

 

「組織を動かすには、それなりの手順と段取りというものがある」

 

 それまで黙り込んでいた司令官の回答に、情報参謀を含めて何人かは露骨に顔を顰める。連邦軍も官僚機構であることは間違いないのだが、司令官の発言はあまりにも官僚的な物言いに聞こえたからだろう。

 

 しかし当人はそうした部下達の反感を気にした様子もなく「以上だ」と議論を打ち切った。

 

 慌ただしくブリッジから退出する彼らの背中に一目もせずに、ヘボンは懐から折りたたみの櫛を取り出した。

 

 ヘボンが制帽を取ると、くしゃくしゃに乱れたすだれ髪が顕になり、何人かのクルーが笑いをこらえるように背を向けた。

 

 左手で絡んだ髪をヘボンは丁寧に解すと、手馴れた仕草で櫛の歯を通しながら参謀長に向かって告げた。

 

「撤退したバスク分艦隊の進路は」

「負傷者を収容後、AEのラビアンローズに向かうそうです。通信状況が悪く、第2次報告、およびこちらからの要請に対する答えもまだありません」

「……どこまでも忌々しい男だ」

 

 舌打ちをしながら、ヘボンは櫛を折りたたんで懐に仕舞った。

 

 もとよりヘボンは、自分がバスクのような人間とは相性が悪いのは認めている。

 

 無駄に大きな図体と癪に障る笑い声。豪放磊落といえば聞こえはいいが、軍内政治など歯牙にもかけないといった顔をしながら、やっていることはその正反対だ。

 

 あれだけ正規の命令指揮系統から逸脱する看板としてワイアット大将の名前を利用しておきながら、どの面を下げてこちらに通信をしてきたのか。一見すると戦闘情報をこちらに送って華を持たせたように思えるが、やっていることは自分達の手を汚さずにこちらに仕事を押し付けているだけだ。

 

 こちらが観艦式のために宇宙軍の先任順や学閥に地域閥にまで注意を配り、正規艦隊のワイアット派と派閥の領袖たる総司令部の意向に細心の注意を払っているというのに。どうしてあの男だけが組織の中で好き勝手に振舞いながら、その存在が許されているのか。ヘボンには当の昔に理解を超えていた。

 

 MIAというのも信じれたものではない。

 

「……ひとりの男に、こうも鼻面を引きずり回されてはな」

「さすがはギレン・ザビの親衛隊を率いていただけのことはありますな。ただのジオニズムの狂信者ではありません」

「思想はともかく、その戦術家としての評価は認めなければなるまいよ」

 

 参謀長の勘違いをヘボンはあえて訂正しなかった。

 

 これ以上、あのゴーグル男のことなど考えたくもなかったからである。

 

「連邦軍の正規艦隊にすら充当しない戦力に、こちらの鼻面を引き回されているわけだ。それは大戦中も同じことであったが、正規艦隊のお偉方には、まだそれが理解出来ていないようだ」

 

 暗にワイアット派を批判するヘボン。

 

 正規艦隊によるジオン残党軍の掃討作戦は総司令部からの横槍があったとは言え、明らかに失敗と断ぜざるを得ないとヘボンは認識している。航空戦力を削り取ることには成功したが、肝心のデラーズ・フリートの艦隊戦力は無傷のままだからだ。

 

 正面戦力同士による衝突なら万に一つも負ける可能性はないが、相手がデブリやミノフスキー粒子の雲に隠れて暗躍していては、どうにもならない。

 

 こうなると正規軍よりも、治安戦を主要任務とする特殊部隊の出番かもしれない。

 

 だがそれは、あのジョン・コーウェンの主張の正しさを認めることにもなりかねないことをステファン・ヘボンは理解していた。

 

 ヘボンはモニターに映し出されたコロニーの外壁工事の跡を見据えながら、独り言のように続けた。

 

「これで地球に向かった場合、我らはとんだ道化だな」

「道化で結構ではありませんか。月の連邦市民を見捨てたと後ろ指を指されるよりは」

「それもそうだが……そろそろ先遣部隊がコロニーと接触する頃か」

 

 ヘボンが腕時計を見ながらそう語った瞬間、『マレンゴ』の通信員が悲痛な叫び声を上げた。

 

「せ、先遣の第16戦隊、通信途絶!」




・大戦中の報道規制の反動で、無秩序なまでの表現の自由を謳歌するサイド3

・銀河英雄伝風に例える1年戦争後の地球圏

①ローエングラム朝銀河帝国(首都はオーディンのまま)=地球連邦
②バラート自治政府=ジオン共和国
③フェザーン+地球教=月面都市・サイド6
④銀河帝国正統政府=アクシズ

・むしろギレン率いるジオンが勝利した世界のほうがしっくりきそうな説明
・ジオン共和国軍がグリプス戦役で果たした役割とか、ネオ・ジオンがサイド3の割譲を要求した理由とか、色々想像出来る余地はまだある

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