Chapter1【絶望的姉妹】
「あー、つまんない。絶望的につまんないんだけど」
江ノ島盾子は呟く。言葉とは裏腹に、彼女の瞳からは既に退屈の色は霧消している。一滴の冷たい汗が、私の背を這うように伝う。誰よりも近い場所で彼女を観察してきた私には察知できた。既に彼女は何かを企てているのだ、と。そしてこの会話は言わば一つの布石、計画は動き始めているのだ。
「ど、どうしたの盾子ちゃん、何がつまらない?」
吃りつつ私は訊ねた。もちろん普段から吃っている訳ではない。それがどうして、双子の妹の前では極軽度の吃音が顔を出す。慣れとは恐ろしいもので、いつしか私は、その醜態を恥じ入ることすら忘れてしまっていた。
江ノ島盾子は、分からない?そうか分からないかぁ、と私の問い掛けに返す。彼女はひたすらに無表情で、自身の付け爪を長い間眺めていた。あらゆる角度から嘗め回すように爪を観察し、それから私の方を向いた。
「何がつまらないかって? えーっとね、キミのことだよ?」
相変わらず彼女の顔には表情が無かった。見開かれた双眸には怒りの色も笑みも無く、だからこそ、その言葉の残酷さは幾倍にも増した。これが江ノ島盾子なのだ、と頭では理解していても、私は口をつぐむことしか出来ない。
しかし、江ノ島盾子という名の絶望は私の安堵へと直結していた。彼女の棘が私を安堵へと導き、私の安堵は<超高校級の絶望>である彼女の棘を一層鋭く尖らせる。だからこそ、次の瞬間に彼女は包み込むような甘い微笑みを私に向けたのだろう。
いつも莫迦にされる私だが、恒常的にそうある訳ではない。彼女の笑顔の裏に、私は微かな羞恥心を垣間見た。気付けば私の頬は緩んでいた。それが江ノ島盾子を加速度的に憤怒へと導くことを知っていながら。
「要するに、残姉! ただひたすらに残姉! 私の姉だってのが信じられないくらいに一途に残姉なのよ、お姉ちゃんは!」
まさに機関銃のよう。鉛のように重い言葉の弾丸を、彼女は一片の容赦も無く立て続けに放った。
「うぅ……ひどいよ盾子ちゃん、残姉残姉って……」
「ねえ、戦刃さんさあ」
「ど、どうして今さら少し突き放すの……? もしかしてお姉ちゃんに愛想が尽きたの……?」
ちげえよって、もおーいちいち言わせんなバカ姉!と彼女は怒りを顕にする。こんなふとした瞬間に私は<江ノ島盾子>に直面するのだ。それは<超高校級の絶望>にとっては唯一の瑕瑾だった。
だが、そのたった一つの彼女の弱みに、私は何よりも親和の感情を持った。愛おしく、それ故に私が守らなければならない、と。
「あー久々に調子狂っちまった。これ以上あれこれすんのも面倒だし本題に入るわ。フェンリルだっけ? お姉ちゃんって傭兵部隊に所属してたんでしょ?」
「う、うん。でも、それが一体……?」
目の前でくつろぐ妹から自身の右手に、私は視線を移す。幾多もの命を灰へと返してきた小さな甲には、荘厳な狼の頭が彫り込まれていた。<超高校級の軍人>、戦刃むくろの存在の証明。傭兵部隊<フェンリル>に所属し、ひたすらに生ききる。たったそれだけのこと。その間だけ私は、<残姉>というレッテルからの解放を感じることができた。
「さすがは残姉さん……。ここまで言っても何一つ理解していないなんて……」
江ノ島盾子という存在は時に激しく移り変わる。語調も仕草も全く異なる複数の彼女が、一時の内に幾重にもなって私の前に往来するのだ。そんな時に決まって私の胸に形成される、重くて黒い感情こそが真の絶望というものなのだろうか。
さておき私には断言できる、ここまで放恣な人間は他にいないと。彼女の患う病的な飽き性の対象は、他人や世界をも超越して自身にすら及んだ。先ほどまで切なそうに髪先を指で弄んでいた彼女は、打って変わって陽気な態度で、要するにさー、と口を開く。
「戦場での生活で研ぎ澄まされたモノは、実際ここじゃなーんの役にも立ってないじゃーん?」
「そっ、それは……」
この希望ヶ峰学園に在籍する生徒は皆、〈超高校級〉の才能を持っている。私と同じ78期生で挙げれば、〈超高校級の探偵〉や〈超高校級のプログラマー〉、果ては〈超高校級の暴走族〉なんて様変わりした才能の持ち主もいる。しかし、かく言う私の〈超高校級の軍人〉というステータスも、ここでは何の役にも立たないのは抗いようのない事実だった。
「と言うわけでぇ……そんなお姉ちゃんの能力を活かした絶望的なプランを思いついちゃったのー!」
「その無垢な笑顔が逆に怖いよ盾子ちゃん……」
寄宿舎――戦刃むくろの部屋には、江ノ島盾子の独特な笑声が響いていた。