夏休みが始まって早数日。
学生が各々の青春を消費する中、俺は今日も今日とて羽沢珈琲店へと足を運んでいた。客としてではなく、一店員として、だ。
「…いらっしゃいませ」
午後の地味に人の多い時間を抜けたらゆったりとした時間が流れ始めたように感じる。当初は多少困ることもあったが、バイトが決まってからは暇な時間を削るようにここに通っていたために勝手が分かるようにはなっていた。慣れとは良くも悪くも凄いものだ。
「やっほ〜結羽先輩!」
「…四名様ですね。こちらへ」
「五人ですよ!そんなんじゃクレーム来ちゃいますよ!」
害悪な客は客として見てはいけない。俺の中での鉄則である。
そして今日も練習を終えたAfterglowの連中が害悪女を連れて来店した。ちなみにこいつからクレームを受け付ける気は全くない。
「あ、そう…」
「結羽先輩、今日もありがとうございます」
「来る度に様になっててモカちゃんがっかり〜」
お前はお前で俺に何を期待していたんだ。
羽沢の
「さて木崎くん。せっかくだしコーヒー淹れてみるかい?」
「……え、マジすか」
少し余裕のある時にマスターに色々教わりながら淹れてみたりはしているのだが、実際に出すとなると少し困る。まだ入り始めて間もない上に、本気も本気、本格派のマスターが出すコーヒーと素人もいいところの俺が淹れるそれでは圧倒的な差があるだろう。いくら顔見知りのあいつらでも躊躇うものだ。
「実際に出してみて感想を聞いてみるのも大切だと思うね。淹れてもらっている私からすれば、いい味は出していると言える」
「…それは嬉しいんすけど」
「せっかく学んだんだ、ここらで使ってみてもいいだろうさ」
マスターはそう言うが、コーヒー単体の注文は美竹と宇田川。他はカフェオレ(とひまりはケーキもセット)だが、誤魔化しが利かないのが美竹というのはなかなか精神的にきつい。二言三言交わした後に俺は折れ、恐らく七日程度に及ぶ短期集中特訓の成果を初めて店頭で披露することになった。
さて、俺はネルドリップという手法でコーヒーを淹れるのだが、ドボドボとお湯を注ぐものだと思っていた俺はその作業の繊細さ(言い換えるなら面倒臭さ)を聞いた時は絶望したものである。
使う道具も覚えなければいけないし、淹れ方も適当では済まされないし、控えめに言わずとも大変だ。慣れればそれも楽しんでできるものだろうか…
「…一応やり方は覚えてますが。本当にいいんすか俺にやらせても」
「大丈夫さ、それにつぐみ達も糾弾などしないだろう。その辺りは私が保証する」
何故か無駄に高く買われているような気がしてならない。過度な期待は破滅を
用意したネル*1に粗挽きの粉を入れ、教わった通りの動きで、少しずつ湯を注いでいく。マスターが監督する練習でも思ったが、ネルに湯を注いでいる時に出る泡が実は好きだったりする。あくまで俺の好みではあるが。
さて、二度目のお湯を注ぎ終え、サーバーに抽出したコーヒーを氷の入ったグラスへと投入する。これが美竹の分。そもそも手際の悪さがマスターと比較するせいで目立ってしまうし、そのせいで本来あるべき風味とかが変わってしまいそうだ。
「…あの、カフェオレは任せていいすか。二層にできる気がしないんで」
「そう言うと思ったよ」
エスパー羽沢さんは俺が頼むよりも先に準備を始めており、グラスは既にコーヒーを注ぐだけという状態。俺の周りのサイコメトラー増えすぎなのでは…
マスターが綺麗に仕上げたカフェオレを大きめのトレイに乗せ、一応最後に温度を確認だけして持っていく。相変わらず談笑を続けているところに水を差すような気持ちになるが、こいつらの注文だから届けないわけにはいかない。
「アイスカフェオレのお客様…それからこちらがアイスコーヒーになります。そして食べると体重がどんどん増えるケーキセットです」
「最後の最後で台無しです!あと体重のことは言わないでください!ほんとに!セクハラですよ!」
カビゴン・ヒマリに健康上の注意を促し、俺はその役目を一旦終える。だが俺は感想を聞かねばならん、特に美竹と宇田川にはな…
「…あんたなんでまだそこにいるの」
「いちゃ悪いかよ。感想を聞きに来ただけだ」
相変わらず捉えようによってはアグレッシブな言葉をいとも簡単にぶつけてくるメッシュ。勘弁してくれ。
「感想…ってこれ木崎先輩が淹れたんですか!?」
「ああ…と言ってもドリップだけ、だぞ」
つぐん家も先輩が継ぐのかな、と軽口を叩く宇田川にそんなわけねえだろ、と思いながらコメントを催促する。
宇田川曰く、いつもと変わらないらしい。しかし美竹はというと…
「…少し違う気がする。けど、あたしは嫌いじゃない」
「具体的にどう違うのか知りたいが…」
教わったやり方をなぞるようにしてるのに、淹れ方ひとつとっても美竹が分かるくらい変わるのか。奥が深すぎるだろう。味と言うよりは舌触り(?)とかかもしれん。
「感覚だよ。あたしもそんなにコーヒー通じゃないから」
素人でも何か感ずるところがあったというわけだ。しかしどうせここで出すなら完コピまでしないとダメだろう、と思う。
「そうか。まあ悪くないってことはわかった、礼を言う」
「…あ、あの!結羽先輩、私にもコーヒーを一杯…」
カウンターへ戻ろうとしたら羽沢がコーヒーの追加注文をする。…え、カフェオレ全然飲んでねえじゃねえか。
「いやカフェオレ飲めよ。つーかお前砂糖とミルク投入しないと飲めないだろ」
「うっ…」
「も〜〜先輩のニブチン〜」
「結羽先輩、本当に人の気持ちが分かってないな〜!!」
俺は羽沢にまともなことを言っているのに大人しくしてた青葉とひまりに無駄にディスられる。意味がわかんねえ…
「今飲む必要はねえし…上がったらマスターに頼んで淹れてやる、それでいいだろ」
それ以上は特に何を話すことも無く、淡々と業務をこなし、最後に客の去ったテーブルを片付けて今日は上がらせてもらった。その間、あいつらはやたら盛り上がっていたが、その中身は俺の知るところではない。
「…待たせたな」
「お疲れさまです!」
母親に少し遅くなる旨を伝え、俺はまた業務外でコーヒーを淹れて店の奥…まあつまるところ羽沢の家に邪魔をする。このリビングも入るのは何度目かになるのか…
「バイト、もう慣れましたか?」
「まあ教わったことはな…ある程度」
「そっかぁ。よかったです」
砂糖とミルクをぶち込んだ激甘コーヒーをちびちび飲んで、羽沢は「うん、いける」と呟く。そりゃ俺が焙煎してるわけでもないし、こっちの過程でもそんな下手なミスしてないし当たり前か。
「お前にそう言ってもらえるなら本望だな、珈琲店の娘さんよ」
「ブラックは飲めませんけどね」
こいつがブラック飲めないなんて本当に面白い巡り合わせである。運命って凄いわ。
「悪いが母親が飯作ってるんでな。そういう意味でも、お前ん家に悪いって意味でも長居はできない」
「そうなんですか。気を遣わせてすみません」
別に、と答えて俺は点けてあったテレビに目を遣る。この近辺…と言っても電車で数駅の、そんなところを特集していたようで、よく見る顔のタレントが何かを食べている。グルメってやつか。
「美味しそうですね」
「何だこれ…パンケーキか何かか?」
「そうですね…あ、見てください!ふわふわしてますよ」
かなりソフトなパンケーキなのか、フォークとナイフが面白いくらい生地に沈んでいく。さすがに切りにくいにも程があるだろ。
「…食いづらそうだな」
「う〜ん、ちょっとだけ、ですけど。ありますね。でもふわふわなのは好きです」
「そういうもんか」
仕事でそれを食している奴等はオーバーリアクションでその良さを伝えてくるが実際はその三〜七割程度の旨みしかないだろう。まあその反応で視聴者の心に語りかけるのが仕事だから当たり前か。
「そ、そうだなぁ〜、結羽先輩、もしよかったら一緒に食べに行ってみませんか?ついでに買い物もしたいですし、なんて…」
見事にハートをキャッチされた羽沢、最近は外のそういうモノに触れていないのだろうか。ひまり辺りに振り回されてそうだがな…
「…お前練習あるだろ。しかも買い物なんて俺がついて行かなくても適任がいる」
「あう…そうじゃなくて、私は結羽先輩と行きたいな〜って。せっかく今一緒にテレビを観て話してるわけですし…」
…そう来るか。面倒臭さが勝るのならば簡単に断ることもできるが、こいつ相手だと何故か断れないというのが経験上分かりつつある。気まぐれから始まった関係だが、そういうのも案外悪くないと思っている自分がいる…のかもしれない。自分のことがよくわからない以上は断言するのは控えるべきか。
「…面白くねえと思うけどな。シフト入ってなければ今んとこ暇だから合わせる」
「じゃあ明日行きましょう!善は急げ、ですよっ」
「急過ぎねえか…いや待て、お前俺のシフト把握してんのか」
張り込みでもされてんのか?
「い、いえっ!確かさっきお父さんに聞いたような気がします!絶対そうです!決してシフトを眺めたりなんてことは…!!」
完全にクロだろ…羽沢、まさか変態的な趣味を所持しているとは…
「…悪い。聞かなかったことにしておく」
「うう…すみません…」
失態を晒し手で顔を覆う羽沢、見る人が見れば嗜虐心なり保護欲なり色々な感情が掻き立てられるのだろう。誰とは言わんが青葉とか青葉とか青葉とか。噂してると本当に察知されそうで怖いからやめておくが。
「あの、それで、明日で大丈夫ですか?できたら午前からが嬉しいです」
「ま、暇だしいいだろ…開店頃にはここに着く、コーヒー飲んでから行きたい。つーわけだ、待ち合わせはここで」
一瞬、現時点で何か大事なことを見落としている気がしたが、大丈夫だろうか…
取り敢えず明日の朝はいつもより早く起きなくてはならないし、多少身嗜みも整えなくてはならなさそうだし、朝から外に出なくてはならないしと色々大変である。だから一杯のコーヒーくらい許せよ。
「…甘くない方がいいな」
ガムシロップ、ミルク、砂糖は必要ない。変に甘く成り損なったコーヒーは俺の口には合わない…はずだからな。甘いものは嫌いじゃないが、甘さの主張が変な方向に行っているモノは好きにはなれないからな、なんて思いながら羽沢の前にあるグラスを見つめる。
そこにある液体は、口にしたなら直ちに──それこそ俺が飲める程には──甘味が舌を支配するように思えてならなかった。
次回こそはデートという大それた名前の休日を過ごさせたいと思います。夏の暑さでやられて色々加速している二人を生温かく見守ってください。
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