新しいゲームを始めたいシロです。
この章から暫く過去回想になります。
9月12日、月曜日。
「合唱コン…ね」
クラス委員が前に出て取り仕切るのは合唱コンクール…クラス一丸となって歌を披露するという行事についての話である。
二学期が始まり暫く経ってから我らが2年3組は楽曲投票と伴奏、指揮者決定を行うことになったわけだ。学年共通で設けられたこの学級総合科目にその機会を投入したのはいいが…
「結羽、今年こそは伴奏やるよな?俺が指揮者やってやるから!」
「何の解決策にもなってねえよ。俺はやらないからな」
この
俺こと木崎結羽は才能があるとは言えないまでも、ピアノの経験があるために中学の合唱コンクールの伴奏程度はこなせると思う。やりたいかどうかは別として。
「だってめんどくさいだろ。歌う側なら多少サボってもバレないしな」
学校でまで歌う側に左右されて同じパートを何度も弾くことになるのは勘弁だ。小学生の頃は何となく推薦されては伴奏を務めていたが、今となっては代わりはいくらでもいる上に男子が学校で伴奏をするのは恥ずかしいとさえ思う。ただ一般に行われるコンクールであれば問題は無い。
しかし俺の意思は悲しくも、簡単には突き通せない理由があるのも確かだ。
「去年の伴奏者がこのクラスには一人もいないので、ピアノの経験がある人はぜひ立候補してほしいんですけど」
クラス委員のありがたきお言葉により、凛の放つ熱量が上昇していく。指揮者とか絶対向いてねえと思うし、俺も伴奏なんてやりたくないんだから仕方ねえだろ。
そしてクラス委員殿のお言葉により、同じ小学校を卒業した奴らが何人かこちらに目配せをし始める。ああ、絶対に嫌だね。
「結羽、お前これはモテるチャンスだぞ!不機嫌顔のお前でもついに春が…」
「殺すぞ。ついでに言うと今は秋だ」
失礼極まりない発言を訂正もしないアホと無限に言い合いをしていると、クラス委員から注意される。いや、俺何も悪くなくねえか?
「…はぁ」
結局のところ、こういう時にも俺に幸運は訪れないらしく。本当にツイていないな、と感じざるを得ない。溜め息は自然と出てくるに至る。
さて、小学校の同期と睨み合い…もといアイコンタクトにより俺の確固たる意思が伝わったと思うので、睡眠をキメたいと思う。いや、もう本当に何も進展しないまま座ってるのって辛いから。
「あ、あの。私、伴奏やります」
そう言って挙手したのは雲村。中学で別の小学校から合流して来た女子で、去年は別のクラスだったな。聞いた話によると部活は美術部らしい。
「本当ですか。他に候補者がいないなら雲村さんで決定しますがいいですか?」
頷くクラスメイトの中、肯定の沈黙を貫いた俺もさすがに雲村の方を見る。これは無理させないで俺がやった方がいいのかと思い始めた。が、立候補するということは経験者ではあるのだろう。練習すればそれなりにこなせそうだし、何も言わないでおくとしよう。
「で?お前は指揮者やるんだろ。モテるぞ」
「俺指揮者やります!!」
「単純バカか」
クラス委員が話を進める前に挙手をする凛。なんでこうも考え無しに動けるのか疑問だ。
「じゃあ指揮者は黒川くんでいきます。あとは曲の投票結果ですが…」
楽曲は『証し』。卒業シーズンでも何でもないのにこの選曲、さすがの知名度といったところか。『明日への扉』とかそういうのでもよかったのに。
「…凛。頼むから俺たちに恥をかかせるなよ。指揮台に登ろうとしてコケるとかナシだからな」
「いや今思いっきりフラグ建てたよな!?」
本番まで、およそ二ヶ月。11月10日、木曜日が来るべきその日である。
9月26日、月曜日。部活に所属していない俺は、居眠りの罰として教師の雑用をさせられた上に追加課題を出されていた。眠気には逆らえないんだから仕方ないだろうに。生理的欲求なんだぞ。
「はぁ…やっと終わりか」
四階にある数学準備室に課題を提出しに行く途中で、吹奏楽部の音の合間に微かにピアノの音が聞こえてくる。この曲は…
「『証し』…?」
間違いなく、俺たちの合唱曲だった。スムーズとはお世辞にも言えないぎこちない音色ではあるが、正しく弾こうという意思は汲み取れる。
なぜみなが部活に没頭するこの時間に曲が聞こえてくるのか少しだけ気になったが、まあ恐らくはウチのクラスの誰かだろう。そしてこれまた恐らく、そいつは伴奏を任されている雲村なのだろう。
俺は課題を出すのを後回しにし、音楽準備室へ向かう。音楽室は文化部カースト最上位の吹奏楽部が占拠しているから、そこにはいないだろうと踏んだ故の行動である。
「…精が出るな」
そして読み通り、そこにはピアノに相対する雲村真奈がいた。いつもの真顔の俺に対し雲村は驚いた顔をしている。
「木崎くん?どうして…」
「たまたま聞こえてきたからな。これの提出に行く時に」
俺はプリントをちらつかせながら言う。雲村はなるほど、と憐れみを僅かに込めてそう言っていたと思う。
「お前、そういえば伴奏だったな」
「そうなんだよ。だから練習中」
「へえ。偉いな」
まだ先だと言うのにがんばるもんだな。
アレか、クラスでの合わせ練習がある時に弾けないと不味いからか。テノール(男声)に自動的に分類された俺は全く練習などしていないが。
「…弾くの、久しぶりなのか」
何となく、音を聴いてそう思った。もう暫くは弾いておらず、感覚を忘れているのだろうと。
「…うん。もうね、本当に何年も弾いてなかったの」
昔ちょっとだけ習ってたんだ、と俯きながら言う雲村。
そりゃ悪い事をしたな、と申し訳ない気持ちになる。
「ちょっと貸してみろ」
だから、俺はピアノの前に座る。雲村と入れ替わった後、楽譜を流し見する。別段おかしなところはないようだし、このままいけるだろうか。これを弾いたことはあるが、暗譜まではできている自信がないから見ながら弾くに越したことはない。
「…もしかして」
「…もしかしなくても、だ。手本を見せてやる」
さして上手くもない身で上から目線で披露するのは気が引けるものの、実際俺の方が今は上手いのだから手本と言っても間違いはないはずだ。
ペダルに足を置き、感覚を掴む。実の所俺はこのフットペダルを適切に踏むのが苦手なのである。多少のミスは許して欲しいし、ぶっちゃけダンパーペダルさえ使わずに弾くまである。
一つ深呼吸をし、鍵盤をやや優しめに押す。簡素な音の組み合わせが一つのメロディを紡ぎ、やがて室内を支配する。吹奏楽の音もグラウンドの掛け声も、今は聴こえない。まるでこれ以外の音がこの世界から消えてしまったような錯覚に陥る。それがまた俺の指の動きを滑らかにする。気配でしか感じないが、雲村もそれをただ見ているだけのようだ。
指は半自動的に楽譜をなぞるように動いていくが、それでも下手なところは下手だなと感じる。そう思ってもそれで止まらずに、最後まで弾ききらなくてはいけないのがキツいが、一つの作品を届けるのに未完成なままではいけないだろう。欠陥があっても形としては最後まで仕上げなくてはならない。
一応楽譜通りに弾き終え、自分なりには結構下手くそだったなと感じる。絶対もっと上手くやれるもんだと思ってたが故にショックではある。
「…とまあこんな感じだ。参考になるかは別だがな」
演奏から解放された俺は雲村に言う。見様見真似が簡単にできれば苦労するような奴ではないのだろうが…放課後、精力的に練習する奴へのささやかなエールと…損な役回りを押し付けた詫びとでも言うか。
「すごいね…今からでも伴奏交代しない?」
「却下」
こいつには悪いがそれは嫌だ。
「そうだよね。…ねえ木崎くん」
「何だよ」
思えばただ贖罪のつもりだっただけではなく、同じクラスのよしみということもあったのかもしれない。
「今日もたまたまここに来ただけなんだ。練習に身が入らないというか」
それだけだった関係性が、一つの道草と音楽で変わってしまいそうだった。
「木崎くん想像以上に上手くて、私感動したよ」
それに俺は気付けていたのか、今となっては定かではない。ただ褒められたことが嬉しかっただけなのかもしれないし。
「だから…よかったら練習、付き合ってくれないかな?」
経緯はともかく、俺が選んだ選択肢は…
「…わかったよ、手伝ってやる。アドバイスなんてできないけどな」
三年後に俺が選ぶ結末と同じ道筋を示すに他ならなかったのだった。
ご読了ありがとうございます。
最新話にしおりが挟まってたり、お気に入りが増えたり、UAが増えたり、そういうのがとても嬉しいなと感じられる今日のこの頃です。
また次回お会いしましょう。