とある科学の永久機関 作:弥宵
世の学生が夏休みに浮かれ、そんなものは関係ない大人達が悲鳴を上げる八月上旬。
うだるような暑さは今少しなりを潜め、爽やかな風が頬を撫でる早朝のことだった。
「『木原』が動いただぁ?」
心地よい微睡みを蹴散らした無粋なモーニングコールの主から、世間話のようにさらりと飛び出した話題。
無視を決め込むにはいかんせん物騒極まりないそれを耳にするなり、日輪は一瞬で意識を覚醒させた。
「こんなタイミングで出張るなんてどこのどいつ―――テレスティーナ=木原=ライフライン? ……あー、アレかぁ」
面識はないが、名前自体には覚えがある。
典型的な『木原』であり、格付としては中の下程度。
「あんな小物じゃなぁ……
それでも念のため―――という選択肢もあったが、今は少しばかり時期が悪い。
寄り道にかまけたばかりに、本道に差し障りが出るようでは本末転倒だ。
「とりあえず放っとけ。監視も今はいい」
端的に指示を投げて電話を切る。
完全に目が覚めてしまったが、これといって予定もなければ大抵の店はまだ開いてもいない。
かといって二度寝するような気分にもなれずに仕方なくベッドから起き上がると、同時にパサリと紙束の落ちる音がした。
「………………チッ」
顔を顰めつつも拾い上げ、適当にテーブルの上に投げ捨てる。
寝起きの気分は、あまり良くはなかった。
「んー……」
一口に気分転換といっても、その種類は多岐に渡る。趣味に打ち込むもよし、惰眠を貪るもよし、遠出でもして新鮮な環境に身を置くもよしだ。
とはいえ、基本的に怠惰一直線の日輪である。モーニングが売りの喫茶店も開かないような早朝から、わざわざ外出するなどという選択肢はないに等しい。
そんな訳で、悠々自適にネットサーフィンの時間なのだった。
「『脱ぎ女の目撃情報途絶える』、『第七学区で局所的な停電』、『学生寮で火災発生、犯人は高位
広大な電子の海へ飛び込むにあたって特に目的地などは定めず、芸能人のゴシップから暗部絡みまでジャンルを問わず無作為に目を通していく。先日の
「(情報サイトと言やあ、『不死鳥』とかいう悪趣味なヤツがあったっけな。削除済みの過去ログも検閲に引っかかった違法ページもまとめて保管されてるって話だったか)」
そんな魔窟の存在が頭を過ぎったりもしたが、別段覗く気にもならないので再び記憶の片隅へと押し込める。探し物をするには優秀なサイトではあるが、今は本気で何かを調べている訳でもない。
そもそも今の目的は気分転換なのだから、わざわざ気分を悪くするような真似をしては本末転倒にも程がある。
「……あん?」
そんなこんなでしばしネットサーフィンに興じていた日輪だったが、その視線がふと一点で停止した。
今しがた開いていたのは、学園都市で日々勃発する騒動についてのまとめサイトだ。内容としては大して珍しいものでもなく、インターネットらしく都市伝説レベルの
日輪の目に留まったそれも、一見するとそんな眉唾ものの一つであるように思われたのだが。
「『第八学区に謎の光柱』……ご丁寧に動画付きときた」
記事の更新日時は、七月二九日の午前一時となっている。その数十分前に録画されたらしき映像が添付されており、そこからは確かに天へと昇る巨大な光柱が見て取れた。
その光の発生地点は一軒の民家のようだった。周囲は住宅地と呼べるほど建物が密集している訳ではないが、それでも研究所や発電所のようなものは見受けられない。
加工の痕跡もなく、複数の目撃証言がコメントとして寄せられていることから、信憑性はそれなりに高いといえるのだろうが……
「(光源は何だ? 第八学区っつったら教職員用の区画だぞ。
こんなことができるとすれば、第五位が全身全霊の自爆をすればあるいはといったところか。第四位では火力が足りるか怪しいところだ。
かといって第五位が死んだなどという情報は出回っていないし、他の
「(そもそも、こいつは電気とか炎に伴った光には見えねえな。どっちかっつうと発光する粒子の集合体ってところか。いよいよ正体が見えなくなってきやがったが、さて)」
超能力者の仕業ではないという前提を置いたはいいが、ならばそれ以外の手段で実現可能かと問われれば首を捻らざるを得ない。周囲へ無秩序に破壊を撒き散らしていない辺り、少なくとも自然現象でないことは確実だろうが。
「わっかんねえなぁ……まあこれ一つで特定しろってのも土台無理な話か」
学園都市製のカメラがいかに高性能とはいえ、動画一本を流し見た程度で得られる情報には限界がある。映像解析の専門家でもない日輪ではこの辺りが打ち止めだった。
現状で考えられる可能性は新種の光学兵器か、未知の能力者か、あるいは動画自体が日輪が見抜けないほど精巧に作られた
「(どのみち結論は変わらねえ。今日びここまで怪しさが役満キメてる与太話ってのも珍しいくらいだが)」
少なくとも、この映像が本物だと仮定するなら確実なことが一つ。下手にこの件に深入りすれば、またぞろ面倒事が降りかかってくるだろうということだ。
「(こいつの正体が何かなんてのはさしたる問題じゃねえ。それなりに『裏』に潜って長い俺が何一つ正体を推測できねえ、その時点で厄ネタなのはわかりきってんだ)」
こんなあからさまな地雷を踏み抜いて、わざわざ余計な面倒事を背負い込むなど冗談ではない。ちなみに根底にある理由が、リスク管理というよりも単なる骨惜しみであるということは言うまでもない。
仮に巻き込まれたとして対処できないとは思わないが、それでも極力関わりたくない―――そんな感じの心境である。
「ま、暇つぶしのネタとしちゃあそこそこ面白かったな」
そろそろ日も高くなってくる頃合だ。気分転換もこの辺りで十分だろう。
ブラウザを閉じ、パソコンの電源を落として椅子から立ち上がる。軽く伸びをして身体をほぐし、さて何をするかと考え始めたその時だった。
ピロリン、と。
日輪の携帯端末が着信音を鳴り響かせた。
メロディからして電話ではなくメール。早朝から叩き起こされた記憶がフラッシュバックし、せっかく持ち直した気分が再び下降気味になりつつも端末を手に取ってみると。
「またかよ」
思わず溜息が零れた。
メールの差出人は『
先程は電話だったのに今度はメールというのも妙な話だ。先の件も多少優先度が高くはあったが、別にメールで済ませられなかった内容ではない。
何か理由があるのか、単なる嫌がらせなのか、この男ならばどちらもあり得そうなのがまた困ったところだ。
もっとも、そんなことに意識が向いていたのも本文を開くまでのことだった。
そんな些事を気にしていられないほどに衝撃的な内容が、そこには綴られていたのだ。
「……おいおい、マジで言ってんのか」
曰く、学園都市製の人工衛星『おりひめⅠ号』が地上からの攻撃によって撃墜されたとのこと。
おりひめⅠ号といえば、『
それが失われたということは、実験が成功するという『確証』を得られないことを意味している。予測演算に頼りきっている研究者どもは今頃阿鼻叫喚だろう。
そして日輪自身にも、この情報を無視できないだけの理由があった。
「クソったれが、釣りだったら承知しねえぞ……!」
悪態をつきつつも、頭の中では既に幾通りもの可能性を導き出しては切り捨て最適化を進めている。
こればかりは面倒臭いの一言で片付けてしまう訳にはいかない。『
地上からの攻撃。人工衛星を撃ち墜とすほどの威力と射程ともなれば、確実に痕跡が残っているはずだ。ましてこの衛星は学園都市製、そこらのロケットを適当に撃ったところで破壊できるような代物ではない。
攻撃の発生源として、可能性が高いのは学園都市内部。直線距離が近いこと以上に、アレを撃墜しようと考える輩などこの街の人間以外にいないだろう。『外』の敵対勢力の仕業にしては、行動がド派手な割に得られる成果が中途半端だ。
どこの誰が、一体何の目的でそんな真似をしたのかなど見当もつかないが―――
「………………つーか、おい」
思い当たる節は、ある。
何の因果か、今しがた目にしてはいなかっただろうか。
「っ……!」
まさか、と否定を掲げる
衛星が撃墜された日時は、七月二九日の午前一時前。
再び先程のサイトを開き、例の映像から座標を特定して光柱の昇る角度を計算すると―――見事に『おりひめⅠ号』の周回軌道と重なっていた。
「は」
先程は敬遠した『不死鳥』のページを開く。『第八学区』『光柱』で検索すると、似たような動画がいくつも引っかかった。
これで動画の信憑性については一定の信頼を得られたといえるだろう。
「はは」
あまりに条件が揃いすぎている。
あるいは、意図的に気づかせようとしているのではないかと勘繰るほどに。
「ははははは! はははははははははははははは‼︎」
これが誰かの掌の上だったとして、日輪のやることは何ら変わりはしないのだから。
「誰かは知らんが感謝しねえとな……
光柱の正体? そんなものに興味はない。
下手人の思惑? それも知ったことではない。
重要なのは、
自分でやるのはリスクが高すぎたが、勝手に消えてくれたのならばこれを利用しないという手はない。
再演算がもはや不可能である以上、考える頭を失った研究者達は目の前の結果を受け入れるほかない。
つまり。
たった一つ、こちらの意に沿った結果を挟み込んでやるだけで。
機械が導き出した『完璧な計画』は、どうしようもなく破綻する。
「さあて、『下克上』といこうじゃねえか」
普段の仏頂面からは想像できないような凄絶な笑み。それは獲物を威圧する猛獣のようでもあり、残虐の限りを尽くす悪鬼のようでもあり。
あるいは、己を鼓舞する挑戦者のようでもあった。
薄く開かれた窓から吹き込む風が、テーブルの紙束を再び床へと転がした。
左上をホチキスで留められただけの、十数枚程度のコピー用紙。何度か捲り返したらしき折れ目がついており、雑な扱いのせいかところどころに皺が残っている。
その表紙には、ただ一語。
『