ハラハラと、書類を捲る音が室内にあった。数枚の多くない枚数に綴じられた束を、彼女は一度机に置くと、溜め息を落とした。
「はぁ……、どうしてこうなるのかしら?」
机の上には山と書類が積み上げられ、手にしていたものも、その中に埋もれる一つに過ぎない。
だが、その内容は埋もれていいものではなかった。
「呂・宝仙に凰・鈴音、織斑一夏。そして、三機の無人機……」
頭を掻けば、手入れの行き届いた髪が乱れる。日々移り変わる情勢、だが出来る事なら、自分の在校中は平和でいてほしかった。
たまに起こる騒動、そんなささやかな波瀾でよかった。
なのに、
「おかわりは要らないわよ……」
ドイツとフランスからの書類を睨みながら、彼女、IS学園生徒会長更識楯無は呻いた。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
もぞりと、何かが蠢いたと、鈴音は知覚した。まだ朝早い布団の中、しかし鈴音は焦らない。
「……こら、
「うー……」
唸り、鈴音の胸に額を擦り付ける。寝惚けているのか、鈴音にしがみつき、しかしまた静かな寝息が聞こえ始めた。
「まったく、この子は」
丸まり己に抱き着く宝仙の背を、鈴音はゆっくりと撫でる。
「もう少しだけ、寝てなさい。今日は休みだから、ゆっくり寝ましょ」
おやすみ、私の
甘える宝仙の体温を感じ、鈴音は朝の心地好い微睡みの中に落ちていく。どうせ、今日は休みで外出もする予定は無い。
昼前まで惰眠を貪るのも、たまにはいいだろう。きめ細かく柔らかい、本当に猫の様な髪を手櫛で櫛梳る。
「りーいん」
「ふふ、どうしたの?」
「だれかくる」
猫の様な目が開かれ、扉の方向に向けられる。宝仙を抱きながら、鈴音が身を起こし、同じく視線を向ければ、指先に小さな痛みを感じた。
「大丈夫よ、
「う」
紫電にも成らない静電気が、呂虎の体から発されていた。
頭を撫でて、宝仙を落ち着かせてから、鈴音はノックが響く扉へと向かう。今日が休日で、まだ早朝の域だという意識があるのか、控えめな音だ。
「どちら様?」
「……朝早くに済まない。私はラウラ・ボーデヴィッヒ。凰・鈴音と呂・宝仙の部屋で、間違いないだろうか」
覗き窓から見えるのは、まず銀髪。それも珍しいくらいに、はっきりとした銀の髪だった。
そして、左目を覆う黒い眼帯と、その持ち主の小柄な姿。弱々しさは感じない。氷の様な冷たさと、刃の様な鋭さがある。
「……間違いないわ。で、何の用かしら?」
「ああ、ただの挨拶だ。私は明日から、正式にこの学園に編入する」
「それで?」
「まあ、国からの意向だ。あとは、個人的に私が呂・宝仙と話がしたい」
背後の宝仙が警戒している気配は無い。声からも敵意や、害意の類いは感じ取れない。
「いいわ、入りなさい。けど、妙な真似したら、只じゃおかない」
「私としても、敵対するのは本意ではない。それに、ちょっとした手土産もある」
扉を開けた先には、先程とは違う気さくな笑みがあり、手には上品なデザインの紙袋があった。
「呂・宝仙は甘味を好むと聞いた。日本製のドイツ菓子の詰め合わせだ」
「有難う、でも、自国のもの持ってこなかったの?」
「いやな、こう味的にもいいのが、見付からなくてな。しかし、日本はスゴいな。万国の味が手軽に楽しめる」
「鈴音、誰?」
鈴音が紙袋を受け取ると、部屋の奥から宝仙が顔を覗かせた。そして、ラウラを見付けると、警戒した様に目を細める。
鈴音が紹介しようと口を開いた時、ラウラが掌を見せてそれを止めた。
「お初にお目にかかる。私はラウラ・ボーデヴィッヒ。ドイツ人だ」
「鈴音、私ドイツ人初めて見た」
「そうだったかしら?」
にこやかに現れたラウラに、興味を惹かれたのか、呂虎はラウラの周りをキョロキョロと回る。
「ほら、
「あ、……呂・宝仙です」
「ははは、まあ宜しく頼む」
歯を見せた笑みで、ラウラが右手を差し出す。一瞬、それが何なのか、理解出来てなかった宝仙だが、握手だと気付くと、恐る恐るラウラの手を握った。
「ふむ、なるほど」
「?」
「なに、気にするな。呂・宝仙、君は甘味を好むと聞いている。土産を凰・鈴音に渡してあるから、後で楽しんでくれ」
「それなら、今からでもいいんじゃない? 今日は休みよ。だらけても、誰も文句は言わないわ」
鈴音の言葉に、ラウラは少し考える素振りを見せ、直ぐに頷いた。
「なら、呼ばれよう」
歯を見せた気さくな表情、扉の前で見せた冷たさは感じなかった。こちらが彼女の素なのかもしれない。
「わあ、鈴音。丸い」
「あら、ケーキ?」
「ツッカークランツ、確か日本語だと砂糖の冠だったか」
ドイツのバターケーキ、リング状のそれを鈴音が切り分け、今か今かと待ち構える宝仙の皿に乗せる。
「まだよ、
「うー」
フォークを構えた宝仙に、鈴音が待ったをかける。宝仙はそれを聞き分け、フォーク片手にウズウズと体を左右に揺らす。
自分、ラウラの分を切り分け、ペットボトルだが茶を用意する。
「はい、じゃあいただきます」
「いただきます」
目を輝かせて、ケーキをフォークで口に運ぶ。
「おいしい!」
「ふふ、そうね。なら、ボーデヴィッヒにお礼を言わないとね」
「ありがとう!」
「ははは、気にする事はない」
にこやかにラウラが言えば、宝仙は再びケーキに集中する。
ラウラはその様子を微笑ましく眺め、鈴音に向き直る。
「凰・鈴音」
「何かしら、ラウラ・ボーデヴィッヒ」
「実を言うと、私も呂・宝仙と同じだ」
「いきなりね。……つまり、ドイツにもバカがいたのね」
「私は
「……〝炉心〟は無いのね?」
「生体反応式縮退炉、通称〝
「本当、嫌な言い方するわね。……あの子、私の
「ああ、無論だ」
茶を一口飲む。寮の購買で買ったものだが、思ったより味がいい。また、後で買いに行こう。
鈴音がそう思い、宝仙に目を向ければ、既に己の分を食べてしまい、こっそりと箱にあるケーキにフォークを伸ばしていた。
「こーら、ダメよ
「でも鈴音、おいしいよ」
「美味しくてもダメよ。残りは明日」
「むぅ……」
むくれる宝仙の前に、ケーキが乗った皿が出された。
ラウラだ。
「なら、私の分を食べるといい」
「いいの?!」
「ボーデヴィッヒ、あまり甘やかし過ぎないで」
「ははは、凰・鈴音。実を言うと、私は甘味はそれほどな」
宝仙が再びケーキに集中するのを見て、ラウラは鈴音に己の眼帯を指し示す。
「炉心は搭載されてないが、私には
「また、いきなりね。制御は?」
「私は少々、出来が良くなくてな。眼帯無しでは厳しい」
湯飲みを置いて、ラウラ一つ吐息する。
「凰・鈴音、ドイツ本国は君達に対し不干渉、または協力を考えている。私はその窓口だ」
「へえ」
「信用も何も出来ないだろうが、頭の隅に留めておいてくれ。私個人としても、呂・宝仙を害意に晒したくない」
真っ直ぐに鈴音を見据えるラウラ。目に偽りは無い。
国云々は信用出来そうにないが、彼女個人は信用してもいいかもしれない。
「私の
「知っている。友を助ける為に、たった一人で死地に赴いた侠よ」
「…………」
鈴音が無言で睨み、ラウラは肩を竦める。
「ごちそうさま」
そんな剣呑な雰囲気を、宝仙の呑気な声がぶち壊した。
「あれ、鈴音どうしたの?」
「……何にもないわ。ほら、口の周りに着いてるじゃない」
宝仙の口の周りを拭き取る鈴音、その光景にラウラは、口の端を僅かに吊り上げる。
「では、そろそろお暇するとしよう」
「あら、別にいいのよ?」
「いや、まだ手続きが残っていてな。早く済まさねば、教官から御叱りを受けてしまう」
立ち上がり部屋を出る前、ラウラは呂虎を見る。
「呂・宝仙、何かあったら私も頼れ。私は君達の味方だ」
「うん?」
「ではな。ああ、後、私は一組に編入される」
「……分かったわ」
「バイバイ、また明日」
「ああ、また明日」
手を振り、微笑む。扉を閉め、部屋から離れたところで、機体のディスプレイを立ち上げる。
体に核兵器すら凌駕する、狂気を埋め込まれているとは、とても思えない。
だが、自機からの情報が、その現実を教えてくる。
……ISコアに縮退炉、仮に火が入れば、学園島だけで済めば奇蹟だな
ラウラもそんな事は起きてほしくないし、起こす気も無い。だが、考え無しな愚か者は、何処にだって居るものだ。
自分は織斑千冬に救われ、部隊に支えられた。なら、呂・宝仙は?
……凰・鈴音が全ての鍵だ。
彼女がそうだと言えば、白も黒になる。それだけ、呂・宝仙は凰・鈴音に依存している。
もし仮に、彼女にもしもの事があれば、呂・宝仙はその〝人中〟の性能を、遺憾無く発揮する事になるだろう。
「まあ、そんな事はさせんよ」
救い支えるのが凰・鈴音なら、その手助けをする者が居てもいいだろう。
ラウラは残る煩雑な手続きに、頭を悩ませながら、人気の少ない廊下を歩いた。