「はぁい、篠ノ之箒」
あまり似合わない口調で、鈴音が箒に声を掛けた。
「……一体どうした。いきなりフルネームで呼んで」
操作していた携帯電話を、ポケットに仕舞い振り向くと、何処か厳しい気配を感じさせる笑顔の鈴音が、缶飲料を投げ渡してくる。
「お茶、缶の珍しくなったわね」
「ああ、もう大体がペットボトルだな」
「あ、奢りだから、少し話をしましょ」
近くのベンチに座り、プルタブを引き上げれば、小気味良い音がした。
口を付ければ、缶独特の冷たさが唇に伝わる。暑さを感じ始めた季節には、少し早い冷たさだったが、遠慮の無い冷たさが心地好かった。
「で、話とは何だ?」
「箒、あんた焦ってるでしょ」
疑問ではなく断定。友人付き合いを始めて、半年近く経つが、鈴音の笑顔とはこれ程に、うすら寒さを感じさせただろうか。
「……何をだ?」
「言っとくわ。馬鹿みたいな被害妄想に浸ってないで、とっとと現実見なさい」
「何だと……!」
被害妄想、その自覚は片隅にはあった。だが、それを認めたくなかった。鈴音の言い様に思わず、胸ぐらを掴みかかったが、それをすれば焦りを認めてしまいそうで、箒は自制し、言葉と視線でそれを否定しようとした。
「お前に……、お前に何が解る……!」
「……馬鹿ね、本当に馬鹿よ、箒。解らなかったら、それを知らなかったら、こうして話なんてしてないわ」
「何を……」
箒は、今すぐにでも彼女から離れたかった。理由は分からない。だが、鈴音の哀れむ様な視線から、ただ逃げ出したかった。
しかし、足が動かない。今逃げ出せば、確実に何かを失ってしまう。そんな予感が、箒の足をその場に縫い止めていた。
「箒、力が無いから一緒に居られない?」
「それは……」
「力があったら一緒に居られる?」
箒は何も言えず、ただ鈴音を見詰めた。優しげに諭す様に、鈴音は箒を真っ直ぐに見詰めていた。
「じゃあ、一夏が今の力を無くしたら、一緒に居られないわね」
「は?」
「だって、箒の考え方だと、箒が一夏と一緒に居るには、専用機っていう〝力〟が要るんでしょ?」
「あ……」
箒は唖然とし、鈴音がその手から、溢れ落ちそうな缶を受け止める。そして、缶をベンチに置くと、そっと箒の手を握った。
「箒、答えて。一夏と一緒に居たい?」
「……ああ」
「一夏と一緒に居るのに、力は要らないわ。ただ一緒に居ればいいの」
「だから、それは……」
「まだよ。まだ貴女は一緒に居ようとしていないわ」
ゆっくりと頭を横に振り、もう一度手を握り直す。
箒の考えでは、一夏と一緒に居るには力が要る。しかし、それは間違いだ。そうではない。一夏と、彼と一緒に居るのに、そんな力なんて必要無いのだ。
「誰かと一緒に居るのに、力なんて要らないの。ただ、一緒に居たいって思って、そうやって動けばいいの」
「だけど私は……!」
何も出来なかった。声にならない嗚咽を漏らし、箒は顔を俯けた。先の無人機騒ぎでも、ラウラ・ボーデヴィッヒの機体の暴走事件でも、箒だけは戦場に立たず、後ろから愛する者の危機を、見ているだけしか出来なかった。
だから、力を欲した。
愛する者と並ぶ力を
愛する者の隣に立つ力を
「箒、お願いだから、貴女は間違えないで……」
「鈴?」
「……ここで間違えば、もう二度と取り戻せないわ」
哀願とも、懇願とも取れる言葉に、箒は黙っていた。
ただ黙ったまま、ポケットの中にある携帯電話の、ディスプレイに表示された名前に、自分の愚かさを飲み込んだ。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「随分とご機嫌だな。呂・宝仙」
「あ、ラウラ。大丈夫?」
「ふむ、まあ動いても問題は無いな」
白のシャツと黒のズボンの、シンプルな姿のラウラが、襟に隠れた包帯を見せながら、治療の安定を伝える。
白い肌に巻かれた白い包帯が、痛々しさを伝えてくる。
「……ラウラ、湿布臭い……」
「ははは、流石にまだ湿布薬は手放せんよ」
「う、鼻がスースーする」
ラウラに鼻を近付けた宝仙が、鼻を押さえてしかめ面をすれば、ラウラは小気味よく笑った。
自分でもこの数日で、湿布と薬品の臭いが染み着いたと、そう思っていて、つい先程も同室のシャルロットに言われた。
「そう言えば、凰・鈴音はどうした?」
「ん、鈴音、箒と大事な話があるって」
「ふむ、そうか」
心なしか、肩を落とす宝仙。先程までの上機嫌は何処に行ったのやら、唇を尖らせている。
「ははは、どうした? 呂・宝仙、今度は随分と不満みたいだな」
「最近、鈴音が箒ばっかり構う……」
「ふむり」
さて、これに関してはどう答えたものか。ラウラは腕を組み、細い顎を擦り思案する。
篠ノ之箒が抱えている焦りと問題は、ラウラにも十分に理解出来るものであり、体験し解決出来たものだ。しかし、ラウラと違うのは、その答えを自分にではなく他人に求めようとした事だ。
「呂・宝仙、篠ノ之箒は嫌いか?」
「嫌いじゃないよ? 変だけど」
「変か」
「変だよ。一夏の事が好きなのに、一夏が嫌がる事ばっかりしてる」
「はっ!」
これには、流石のラウラも堪らず吹き出した。確かに、篠ノ之箒と言えば暴力と、そう言われていた。
今となっては、幾らか落ち着いて、その姿は影を潜めている。だが、一度着いた印象とは、そう簡単には拭えない。
「一夏が好きなら、好きって言えばいい」
「ふむ、確かにその通りだが、そう簡単にはいかんのが、難しいところだ」
「そうなんだ」
と、そこまで言って、宝仙が何かを思い出したかの様に立ち上がる。
「あ、水着!」
「水着がどうした?」
「臨海学校、鈴音が日本の海水浴は楽しいって」
「ほう、ちなみに何が楽しそうだった?」
「スイカ割り。スイカを割った子一等賞!」
「ははは、正解だ。今日はもう出るには遅い。次の休みにでも見に行くか」
「行く」
ラウラが笑い、宝仙が楽しみだと目を輝かせる。そろそろ鈴音の用事も済む頃だろう。ラウラは宝仙が真っ直ぐ帰る様に、見張りも兼ねて話でもしながら戻るかと、そう思って見た彼女は、うっすらと姿を見せる月を見上げていた。
「……変なの」
「どうした? 呂・宝仙」
「なんでもない」
変な兎、こっちに来たいなら来ればいいのに。宝仙の呟きは誰にも聞こえず、ただうっすらと月が見ていた。