一匹狼の見る夢   作:織倉こた

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前夜 「噂」

「──すみません。助けてください。追われているんです」

 暗闇から突如現れた彼はそう告げると、びしょ濡れにも構わず押し入るように家へ転がり込んできた。何度も転んだのか、その姿は泥に塗れ整った顔立ちが台無しになる程だ。雨が降り始めたのはさっきでない。随分長い間彼はその追っ手から逃げてきたのだろうか。

 ベッドと必要最低限のものしかない部屋の隅、小動物のように身体を丸めながら荒い息を繰り返す彼は一瞬だけ此方を伺うように視線を動かしたが直ぐに膝に顔を埋めるように蹲った。

「大丈夫。何も聞かないよ」

 そう答えるように呟くと彼は安心したのか、警戒したのか。再び顔を上げる。星空のような深い藍色の瞳と目が合い、一瞬何か惹き付けられるような不思議な感覚に陥った。

「……君は」

 ──この出会いがこの村の狂い始めた第一歩だと彼に手を差し伸べた俺はまだ、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

「明日人」

 グングンと前を行く幼馴染を呼び止めるように氷浦は名を呼んだ。呼ばれた本人は何故呼ばれたのかと不思議そうに足を止めては振り返り、氷浦の後続にいた少年に目を止めて「あっ」と声を上げた。

「ごめん、野坂。つい何時ものペースで行っちゃってた」

 明日人は彼のために少し戻った氷浦に支えられるように歩を進める野坂の顔色を伺う。眉を下げ、支える氷浦とは反対側から彼を支えると両側を固められた野坂は申し訳なさそうに表情を歪めた。

「気にしないで。ついて行きたいと言ったのは僕だ。僕の方こそ二人の仕事の邪魔をしてごめんね」

 村人全員で今日仕事を分担し決められた仕事をそれぞれこなす。今日の明日人と氷浦の決められた仕事は木こりの仕事だった。そのためちょうど良い木を探しに村外れの方まで来ているのだが、珍しく野坂がそこに同伴したいと言い始めたのだ。

 身体の弱い野坂は、普段仕事をこなすことが出来ず家で引きこもっている事が多いのだが、本人がたまには仕事を経験したいと言い始め世話役の西蔭の反対を押し切って二人に着いてきていた。

 西蔭に「野坂さんに何かあったら許さない」と釘を刺された二人は、額に汗を浮かべ今にも倒れそうな顔色をした野坂を見てどんなお叱りを受けるだろうかと不安に思いながら適当なところで腰を落ち着けることにした。

「それにしても最近村が騒がしくなったよな」

「そう?」

 氷浦の呟きに心当たりのない明日人は腰に下げていた水筒を取り出して、水を煽ると野坂にそれを渡す。水筒を受け取った野坂は他人のものという事で少し躊躇していたが、喉の乾きには勝てなかったのか直ぐに喉を潤した。

「そうって、ほら。灰崎が来たり……普段あまり村の外から人が来ることがなかっただろ? それがここ最近で片手で数えきれない程増えた」

 元々閉鎖的だった村に突如の来訪者。それだけでも珍しいのにその来訪者が一人ではない。人が増えて騒がしくなった、と言うよりは珍しい事態に村人全員がザワついているという方が正しい。

「……確かに。それに噂だけれど人狼が現れたって話もある。飽くまで噂、だけどね」

 明日人に水筒を返しながら飽くまで、を強調しながらそう返したのは野坂だ。噂は噂に過ぎない、とでも言いたげな様子だ。彼は話題にはしたもののその噂を信じていないのだろう。

「人狼……か」

 しかしその噂に少し引っ掛かりを覚えたのか、明日人は受け取った水筒を握りしめ少し俯いた。その手は少し震えているようにも見える。

「婆ちゃんから聞いたことある。人間の姿をして人を騙し、夜な夜な人を食い殺すんだっけ。御伽噺だよ。野坂の言う通り飽くまで噂だ。大丈夫だよ、明日人」

 その震えを恐れと受け取ったのか、氷浦は落ち着いた声でそう告げると立ち上がり、呼吸の整った野坂を引っ張り起こすと仕事の先を促した。立ち上がる二人の姿を伏した瞳で追いながら、同じく立ち上がった明日人は「だよな」といつもの笑顔を浮かべると目的の木がある場所へと三人肩を並べるように再び歩み始めた。

 

 

 

 仕事を終え、任された以上の木を抱えた三人は暮れつつある日に目を細めながら村へ帰ると、どうやら広場で何やら揉め事が起きているらしく人集りが出来ているのを目にした。普段あまり他人に干渉しないこの村での揉め事は珍しく、何事かとわざわざ顔を出しに家から人が出てくるほどである。

 抱えた木を村の指定の位置に置き、しっかりと仕事を完遂した三人は輪の外で見知った人物が溜息をついているのを見かけた。

「万作、どうしたのこれ」

「おかえり。いや、例の厄介者がまた難癖を付けたとか何とかで」

「難癖?」

 万作はそれ以上は呆れてものも言えないといった風に輪の中を指差す。指された指の先──輪の中心にいるのは一人の長髪の少年、先程も話が上がった来訪者。灰崎だ。

 灰崎は村長である趙金雲に馬乗りになるような形で掴みかかり何か怒鳴り散らしている。ガヤに掻き消されて輪の外からは何を言っているのか断片的にしか聴こえないが「人狼」「狩人」「占い」など、聞き覚えのあるようなないような単語が彼から発せられていた。

「もうやめてください!」

 いよいよ灰崎の拳が振り落とされそうになっている所で現れたのは、村で一番綺麗と噂されている少女、神門杏奈だ。彼女は自慢の髪を掻き乱しながら輪を割って駆け寄ると、突然のことに呆然としている灰崎から趙金雲を引き剥がしキッと睨みつけた。

「人狼なんていません。御伽噺を持ち込んでこれ以上村を掻き乱すようなら此処から出て行って下さい」

「おやおや、珍しくお怒りですね〜」

「村長もやられっぱなしで恥ずかしくないんですか!?」

 怒りの矛先が突然自分にも向いたことにしょんぼりと肩を落としたが、特に堪えた様子もなく趙金雲は立ち上がると何事もなかったかのようにパンパンと手を叩いた。

「皆さ〜ん! もう日も暮れます。お仕事お疲れ様でした〜。それぞれ家に帰ってしっかり休むように」

 その一言で、集まっていた野次馬達は直ぐに散っていき、広場には趙金雲、灰崎、杏奈、明日人、氷浦、野坂、万作の七人だけが取り残される。

「野坂さん」

 不意に背後から低い声が響き、振り返るとそこには野坂の普段からの世話役である西蔭が少しばかり遅れて仕事を終えて帰ってきたようで、少し呼吸を乱しながら立っていた。

「西蔭、おかえり」

「はい。ただいま戻りました。野坂さんは怪我は有りませんでしたか?」

「僕は平気。二人が守ってくれたからね。西蔭の方こそ今日はお疲れ様」

「ありがとうございます。さあ、日も暮れた事ですし帰りましょう。今日は疲れたでしょう」

 まるで飼い猫のように野坂に懐く姿は、大柄である西蔭から想像出来なかったが慣れてしまえばその光景も当たり前になる。明日人と氷浦、万作の三人は苦笑を浮かべながら二人の背を見送ると同じく場に残された灰崎がいつの間にか三人の後ろに構えていた。

「お前……」

 灰崎はスッと明日人を睨みつけると、鼻先が触れるほど近寄り直ぐに離れた。その顔は嫌悪に満ち溢れており、明日人は何かしたかと不安になった。

「クセェな」

 そう短く吐き捨てると、灰崎は自分に用意された家に戻っていく。

 唐突なことに驚きながらも明日人は氷浦と万作に視線を送ると二人は首を横に振った。

「大丈夫だよ、明日人。そんな臭わないから」

「ああ、そうだよ。大丈夫だ」

「えぇ……?」

 フォローなのかイマイチ分かりにくい二人の言動に困惑しながらも、誰もいなくなった広場を三人は後にしそれぞれの家で仕事の疲れを癒した。

 

 

 

 朝。

 いつもの時間に目が覚め、朝食を口にする。

 そこに会話はなく、何事も変わらないいつもの日々だ。

 朝食を終えたらいつも通り仕事の取り決めのため一度広場に集まる。そこで仕事を与えてもらい、こなして、帰る。それがいつもの一日だ。

 味のしない朝食を流し込むようにして食べ終えると村の広場へと足を向ける。いつもこの時間なら人が疎らで、仕事まで暫く暇を潰さなければいけなかったのだが今日は昨夜に引き続き広場が少し騒がしい。

 妙な胸騒ぎを覚えた明日人は早足に広場へと向かうと杏奈と仲のいい娘、つくしが泣き崩れているのがわかった。ぞろぞろと集まってくる人の視線を気にせずに彼女は何が悲しいのか、ずっと泣き続けている。

「どうしたの?」

「わからないでゴス。朝起きたら既にこうなってたでゴス」

 ゴーレムこと岩戸は、明日人の問いに困り果てたようにそう答えた。どうやら彼も事情を知らないらしい。何事かと考えているうちに、広場にはいつの間にか全員が揃ったらしく趙金雲がその恰幅のいい腹を擦りながら人集りを割って歩いてくる。しかし、その表情はいつものひょうきんなものではなく、いつになく真剣で明日人は思わず唾を飲み込んだ。

(──ああ、嫌な予感がする)

 何故かあの時の藍色の瞳が明日人の脳を過ぎった。

 冷えた、誰も信用しない、あの瞳を。

「……昨晩、杏奈さんが何者かに殺されました」

 村人全員に聞こえるように伸し掛るようにその言葉は響いた。

 ヒュッと声にならない息が喉を駆けていく音。明日人の隣にはいつの間にか氷浦がいて、大きく目を見開きながら呼吸することを忘れたかのように動きを止めていた。

 人狼なんて御伽噺だ。

 昨日の会話が頭をグルグルと過ぎる。

 そう、村長だって言っている。何者かに、殺されたと。これは人狼の仕業ではない。誰かによるものだと。

「ハッ! 呑気なもんだな」

 それぞれが思惑を馳せている時、そう叫んだ人物は一斉に村人達の視線を集めながらも気にした様子はなく、むしろ面白いものを見つけたかのように口元に笑みを浮かべていた。

「灰崎……」

 名を呼んだ明日人に気がついたのか、灰崎は明日人を一瞥してすぐに興味を失ったかのように泣き崩れていたつくしの前に立った。ようやく現実を受け入れられたのか、落ち着いてしまったのか、涙が枯れてしまったのかは分からないが泣く事をやめたつくしは焦点の合わない瞳で灰崎を見上げると力なく縋るように彼へと手を伸ばす。

「杏奈ちゃんが……」

「知ってる」

「殺されて」

「知ってる」

「私は」

「何処にある」

「どうしたら」

「その女の死体は何処にあるんだっつってンだろうが!」

 ビクリ、とつくしの肩が跳ねた。

 同時に他の村人もようやく事情が把握出来て来たのか、つくしを守るように灰崎との間に割って入っていく。それを煩わしく感じたのか、拳を振り上げ始めた灰崎の動きを止めたのは同じく村の外からやってきたのだと言う、鬼道だ。

「やめろ、灰崎」

 落ち着いた、しかし重みのあるその呼び掛けに軽い舌打ちをしながら渋々と灰崎は振り上げた腕を下ろす。言葉一つで落ち着かせた鬼道はまるで猟犬を飼い慣らすハンターを彷彿とさせた。

「でも、鬼道。これは」

「分かっている。既にこちらで調べさせて貰った。お前の役割は狩人だろう。ここでその護るべき対象を傷付けてどうする」

「チッ。別に本気じゃねぇよ。んで、どうだったんだよ、調べた結果は」

「……残念ながらと言うべきか、こちらにとっては当たりと言うべきか──“黒”だ」

 黒。

 それは“当たり”を意味する言葉だ。鬼道の口振りから察するに、この黒は村人達にとってあまり良い意味合いがあるとは思わない。

 ドクン、と明日人の心臓はさらに鼓動を早めた。

 嫌な予感がする。

 早くなる鼓動に合わせて、全身にものすごい勢いで血液が巡回し脳も嫌な方へと思考を回転させていく。

 隣にいる氷浦もいつものポーカーフェイスばりの変わらない表情を珍しく青ざめさせていて、今にも倒れそうなぐらい身体を揺らしていた。

 灰崎と目が合う。

 何故かやましいことなどないのに、明日人はその視線を逸らしてしまった。

「これは、“人狼”の仕業だ」

 御伽噺から現実へ。

 その存在を昇華させた人狼は、この村を破滅へと確実に落とし込んでいくのだろう。

 

 

 

 その日、杏奈が殺された日は村人総出でお葬式が行われた。

 葬式と言っても簡単なもので、土を掘りそこに遺体と花、彼女が好んでいた服等を一緒に埋める土葬だ。遺体は悲惨にもズタズタで顔が辛うじて彼女だと主張していると言ってもいいぐらいのものだったらしく、彼女の死体を運びこむのに誰が適任かと議されたぐらいだ。結果、狩猟を得意とし遺体の処理をよく任されている剛陣、遺体を調べた鬼道、そのサポートとして灰崎の三人が協力して彼女の遺体を埋葬したらしい。

 もうすっかり土の山となった杏奈だったものを明日人は見下ろしながら、架けられた十字架にそっと触れる。あまり彼女と接点がなかったとはいえ、同じ村人の死というものはやはり何か堪えるものがあった。

 後ろに控えていた氷浦に名前を呼ばれ、思い出したかのように花を添えると彼女の死が本当なのだと実感出来てしまい涙は出ずとも心の中に何か穴が開くような、虚無感に似た何かに襲われる。

 何も、残らない。

 彼女が生きた証も、そこにいた証も全てこの墓だけ。彼女と過ごした思い出はあるものの、記憶なんて曖昧で、簡単に忘れてしまえる。

 いつか自分も、みんなもこうなるのだと思うと何故か恐怖心に襲われた。

 花を手放し自由になった両腕で震えを押さえるように自身の肩を抱えると手を重ねるように現れたのは野坂だった。

「野坂」

「大丈夫かい、明日人くん。震えていたようだけれど」

 平気、と声に出そうとしたがどうやら思っていたよりも滅入ってしまっていたらしくそれは言葉にならない。曖昧な表情のまま、震えた唇を野坂は心配そうに眺めた。

「僕の家においで。温かいものを出してあげよう」

 そのまま肩を抱くように野坂は自身の家へ明日人を案内した。

 

 

 

 真っ暗な部屋の中。いくつもの珍しい蔵書が乱雑に置かれている真ん中にフワリと怪しく光る水晶に目を奪われた。

「おかえりなさい、野坂さん。それと……稲森か」

 水晶に奪われていた目を慌てて動かすと、いつの間にか入口近くに立っていた西蔭がいつもの変わらぬ表情で迎えてくれた。いつの間にか、と言うよりか明日人が気が付かなかっただけで彼はずっとそこに立っていたのかもしれない。

「ただいま。明日人君に何か温かい飲み物を淹れてあげてくれないかな?」

「わかりました。ちょうど昨日の仕事の時に手に入れたお茶があります。野坂さんの分も御用意致しましょう」

「助かるよ、ありがとう」

 感情のない表情のまま、西蔭は奥の部屋へと消える。まるで明日人がそこに居ないかのような扱いで、少し安心したような居心地の悪いようななんとも言えない気持ちのまま明日人は手招きされた水晶の前まで歩を進めた。

 この村では珍しい高級そうなそれをまるでボールで遊ぶかのように掴みあげると、野坂はその中を覗き込むようにと明日人の眼前に掲げた。

「何か見えるかい?」

 問われ、目を凝らしてみるがその中に写るのは反射し反転した自分の姿とその奥に透ける野坂の姿のみ。ただの綺麗な丸い塊だ。

 首を横に振るのが予想通りだったのか「そう」と短く告げると水晶を元の位置に戻し、何やら思考し始め、完全に置いてけぼりになってしまった明日人はぐるりと部屋を見渡した。

 明日人の家とは違い、本やら何に使うのか分からないアクセサリーなど飾られているのか放置されているのか分からない程あちらこちらに散らかるように置かれたそれらはどれも珍しいもので、一体どこから手に入れたのかと一瞬考えたがそれを聞いたところで何か損益になる訳でもなければさほど興味があることでもなかったので明日人はただ、じっと部屋を見つめる。

 そうこうしているうちにお茶が出来たのか、程よい香りと共に西蔭が三つのカップを盆に乗せ現れた。考え込む野坂を見ては少しだけ頬を緩め愛おしそうに見つめ、西蔭は一つのカップを明日人に、そして一つのカップを野坂の手元にそっと置いた。

「ありがとう」

 無言で渡されたカップを受け取った明日人は西蔭に礼を述べる。

 感謝の意だけ受け取りながらさも同然といったように野坂の横を陣取ると、西蔭は自分の分のカップに口付けた。見習うように明日人もお茶を口に含むとハーブ独特の香りと苦味がスッと鼻を突き抜けていくのと同時に身体の芯が暖かくなるのを感じる。

「ところで、野坂はどうして俺を呼んだの?」

 身体が温まったことで緊張が解れたのか、明日人は今だにお茶にすら手をつけようとしない野坂にそう問いかけた。問いかけられたことにようやく本来の用事を思い出したのか、野坂は顔を上げ明日人を見つめると言いづらそうに何度か視線を右往左往させながらも、決心したように口を開いた。

「今まで西蔭以外に話したことがなかったのだけれど、これ以上は隠していても意味が無いと思って」

 これは前置きだ。

 明日人は野坂の言葉を待つ。

 そこまで言って、また言葉に詰まりながらも野坂は自分を見つめる西蔭と明日人の視線に観念したかのように言葉を紡いだ。

「僕、実は占い師なんだ」

 その言葉と共に差し出された水晶の中に映し出されていたのは、一人の人間。昨夜から何かと問題を起こしている灰崎の姿が映し出されていた。

 占い師。

 母から聞いた御伽噺にそのような役職があると聞いたことがある。人狼に対抗する村人のうちの一人。それが占い師であると。一日のうち一度だけ村人を選び占うことでその人物が人狼なのか村人なのかを診断できるらしい。

 しかし、それもたかが御伽噺だと思っていた明日人は、野坂の告白に動揺を隠せなかった。

「なんだよ、それ。人狼も占い師も御伽噺だろ? なんで、そんな」

「御伽噺じゃない。今この水晶に映る灰崎君が見えるだろう? 彼は人間だ。そう占いの結果に出ている」

「でも……!」

 人狼なんて居ない。占い師だって全部御伽噺だ。だってそんなの、認めてしまえば御伽噺が御伽噺では無くなる。占い師もそして人狼も、全てが現実になってしまう。

「稲森!」

 突然の怒声に明日人は肩を震わせた。

 先程まで黙りを決めていた西蔭の顔には怒りが滲み出ている。飲み干されたカップを積み上げられた蔵書の上に置くと西蔭はその威勢のある表情で明日人を睨みつけた。まるで蛇に睨まれたカエルのように竦んでしまった明日人は動きを止め、西蔭の出方を伺うがその間に野坂が入り込む。

「西蔭も明日人君も落ち着きなよ。西蔭、お茶のおかわりを。明日人君も一度僕の話を聞いて欲しい」

 野坂に命令され渋々と言った様子だったが、空になったカップを回収すると西蔭は再び奥の部屋へと姿を消し、視線が解かれた事で力の抜けた明日人は情けなくその場にへたり混んでしまった。

「明日人君」

 そんな明日人に手を差し伸べながら、野坂は一冊の本を水晶の横に置いた。先程まで灰崎を映していた水晶にはもう誰も映されていない。僅かな光を反射して輝いているだけだ。

「これが、僕の家に代々受け継がれてきた言わば日記のようなものなんだけれど、ここに僕の役割である占い師について書かれている。最初は僕も先代のお茶目な悪戯だと思っていたんだけれど、これを読めば君にも分かってもらえるんじゃないかと思って」

 適当に腰を下ろした明日人は差し出された本──日記に目を通す。随分古いもので所々頁が抜け落ちてしまっていたが、野坂の言いたいこと。そして、これが御伽噺では無く現実なのだと言うことだけは伝わってきた。

 本の中身を要約するならば、古い昔この日記の著者である野坂の先代である占い師はその役職の力を使って人狼を退けたと有り、その力の使い方と村の結末を丁寧に手書きで記されていた。

 つまり、過去にも今のこの村のように人狼が現れ村人は自らの役職を使い団結し、人狼を退けたのだ。その後、その話を語り継いでいくうちに危機が薄れ、信じないものが出てくるうちに現在の明日人たちもよく知っている“御伽噺”に形を変えてしまったのだろう。

 なんてことだ、と明日人は声を漏らした。

 あまりにも現実離れした事実を突きつけられ、頭を抱えてしまう。これが御伽噺ならどんなに良かっただろうと、読みながら何度思ってしまったことかと。

 野坂は何も言わなかった。

 考える時間が必要だと思ったからだ。

 彼もこの話を西蔭以外にしなかったのは、信じてもらえないとタカをくくっていたのかもしれない。それとも今の明日人のように下手に困惑させたくなかったからなのかもしれない。

 今となってはその野坂の考えも明日人には理解出来なかった。

「本当にこれが事実なの? 裏良く合わせた作り話って可能性は?」

「……君がそう思うのも無理はないと思う。けど、僕のこの力は本物だ。それに、万が一これが作り話だとすれば」

 間。

 言いにくそうに、野坂は一度口を閉ざしたがここまで言ってしまえばもう後戻りも今更隠そうとしてもその事実に辿り着くのも時間の問題だ。

「杏奈さんを殺したのは、この村の誰かってことになる」

 だから、と言葉を続けた。

「僕は人狼を、この日記を信じるしかないんだ」

 

 

 

 野坂の家を出た後、ポツリポツリと降り始めた雨が明日人を襲った。まるでタイミングを見計らったかのような雨に失笑しながらいつもならこの時間はみんな仕事に出かけていて誰も居ないはずの広場に数人集まっているのを目撃する。

 降り出した雨にも構わず、その人物達は会話に夢中になっているのか雨宿りするという頭がないのかその場から動かない。

 同じように動かない明日人を最初に見つけたのは、例にもよって灰崎だった。

 自分たちのことを棚に上げて雨に打たれている明日人を馬鹿にするような視線を向けると、それに気がついた鬼道と趙金雲も明日人に視線を向ける。そしてこっちに来いと言わんばかりの手招きをされ、仕方なく明日人は招かれるままその三人に加わった。

「稲森くん、丁度いい所に来てくれました」

 いい所とは、と思いながらも灰崎達に興味があった明日人も丁度話す機会を設けられたことに感謝していた。

 相変わらず灰崎から向けられる視線は馬鹿にされているような見下されているようなものだったが、昨日のような嫌悪感はなく幾分か友好的に見れるのは傍に鬼道(ストッパー)が居るからだろうか等と考えていると趙金雲が話を進め始めた。

「実は彼ら、人狼を追ってこの村にやってきた凄腕ハンター達なんですよ。そ、こ、で、ですね。杏奈さんの死体を見てもらった所、なんと! 今回のこの事件の仕業は人狼のせいだったことが判明しました! いや〜、まさか御伽噺だと思っていた存在がこうして出てくるなんて怖いですね〜。そしてですね、彼らが言うにはまだこの村に人狼が潜んでいるとの事でして、どうしようかと悩んでいたんですが。稲森くんも何かいい案ありませんか?」

 相変わらずよく喋るなぁなどと口にはしないが、いい案も何も明日人には今何も考えられる状態ではない。野坂に言われたことを考えるだけで精一杯だった。

 俯きながら首を振ると、おやおやと困った()()をする趙金雲に苛立ったのか、それとも明日人の行動に苛立ったのかは分からないが、灰崎が声を上げる。

「めんどくせぇ。わかってんだろ、お前達は俺達の提案に乗るしかない。そうしないとこの村が全滅するんだからな。人狼の対処法は俺達が一番よくわかってる」

「対処法?」

 対処法があるならば何故明日人に案を求めたのか。きっとその対処方法が好まれないものだったからだろうと想像はつくが、わざわざ人狼を追ってやってきた二人のやり口が気になった明日人は苛立ちを隠しきれていない灰崎の目を見た。その目は復讐に燃えているような、後悔に沈んでいるようなよく分からない感情が渦巻いているように見える。

 その感情を見透かされたと思ったのか、今度は灰崎が目を逸らす番だった。

「それは俺から説明しよう」

 二人の視線が擦れ違うのを見てか、手を挙げたのは鬼道だ。

「稲森と言ったか。お前は人狼をどう思う」

「どうって……」

 御伽噺の存在だと思っていた。そう思いたかった、と答えるべきなのか。野坂の言葉を信じていると答えるべきなのか。明日人の中の答えはまだ決まっていない。野坂を疑っているわけでも信頼していないわけでもないが、長年根付いた考えというものはそう簡単に変わるものでもないのだ。

「まあいい。この村の傾向はここ数日でこちらも理解した。御伽噺の存在として伝わっているらしいがそれは間違いだ。人狼はいる。俺達がその証明だ」

 元より答えは求めていなかったのか、鬼道は淡々と言葉を続けた。

「事実、俺も灰崎も過去に……いや、この話は今はどうでもいいな。とにかく、これは御伽噺でも妄言でもない。警告だ。人狼はこの村にいる。そして着実にその牙をこちらに向けているのは間違いない。その矛先はお前はもちろん、俺達も例外ではないだろう」

 信じないのであればそれはそれでいいがな、と付け加えながらもその瞳の奥の闘志は嘘をついているようには見えなかった。

「鬼道さんの言うことはわかりました。気をつけます。でも、村人じゃない鬼道さん達も標的って人狼の目的は一体何なんでしょうか?」

「ンなこと気にしたって、俺達には関係ねぇ。人狼の考えることなんざ、大抵ロクでもないことだろうからな」

「灰崎」

「チッ」

 口を挟んできた灰崎を黙らせながら、鬼道は話を元に戻した。

「目的は分からない。ただ、灰崎の言う通り人狼の思惑などこちらで考えても無意味だ。今考えるべきことは人狼の排除。俺達はそのためにここにやってきたのだからな」

 排除。

 普段聞くことの無い過激な言葉に明日人の胸は酷く痛む。しかし、鬼道達の言うことも最もなのだ。

 変わってしまった日常を取り戻すには、その要因を取り除くしかない。それが最適解なのだから。

「それで対処法の話だったな。前置きが長くなってしまったが、村長。話してもよろしいでしょうか?」

「ええ、まあ。どの道明日には皆さんにお話する事です。今更稲森くん一人に話そうが支障はないでしょう」

「わかりました。──単刀直入に言おう。明日から誰か一人、村人全員で怪しいと思った人物の処刑を執り行う」

 思考が、停止する。

 今、目の前で淡々と告げた人物はなんと言ったか。

 しょけい。

 ショケイ、処刑……?

 同じ言葉が何度も回った。何度噛んでも噛みきれないガムのように何度も何度もその言葉は明日人の脳を蝕んだ。

「待って下さい! それって、村の誰かを怪しいから殺すってことですよね!?」

 その問いかけに頷きだけが返ってくる。

「だから私は言ったんですよ、稲森くん。何かいい案はありませんか、と」

「そんな……。やりたいことは分かります。でも、こんなの」

「なら、いい案を出してみろよヘナチョコ」

 明日人の言葉を遮るように発言したのは灰崎だ。その目は昨日と同じ嫌悪感に満ちたどす黒いものと共に明日人の姿を映している。

「自分じゃ何も考えられないくせに意見だけは一丁前ってか? 甘えてんじゃねぇ。人が死んでいる以上、こっちは既に後手に回っちまってる。何もわかってないならお前から判らせてやろうか、ああ?」

 灰崎の言う通りだった。

 既に死人が出ている。それは明日人も今朝実感したはずだ。この目で確かに杏奈の死を見届けたのだから。

 このまま放っておけば第二の、第三の被害者が増え続けるかもしれない。何もしないよりかはより多くの人が生き残れるように対策が必要だ。

 しかし、だからといって冤罪かもしれない村人を無意味に縄にかけるのは正しいことなのだろうか。否、実際その人物が人狼でその行為に意味があるものだったとしても既に村で広がりつつあるこの疑心暗鬼の状態は簡単に覆るものでは無いだろう。むしろ、今のこの状況こそが人狼にとって望んでいたべき状態なのでは、と思考してそれこそ無意味だと明日人は悟った。

 人狼の思惑が分からない以上、何を考えてもこちらの推測でしかない。推測は時に無駄な先入観を生み出し、その行動を通常な思考に制限を掛けかけない。

 処刑を上回る程のいい案がない明日人にとって、それ以上の口論はただの甘えであり、それ以外の何者でもなかった。

 急に大人しくなった明日人を見て、怒りのぶつけ所を失った灰崎はバツが悪そうに舌打ちをして自分に宛てがわれたゲストハウスへと向かおうとした。その途中、鬼道に引き留められたかと思うと何やら耳打ちをされていた。耳打ちをされたやいなや、灰崎はその表情を歪め心底嫌そうにしながらも大人しく従うことに決めたのか、小さく頷けばその背は小さくなって行った。

「残念ですが、稲森くん」

「わかっています。俺の方こそ力になれなくてすみません」

「……きみの気持ちが分からないほどこちらも非道ではありませんが、コトは既に動いてしまいました。流れる川を塞き止めることが出来ないように、動き始めた思惑を止めるのは容易ではありません。ですが、我々も川を止めることは出来ずともそれに対策することは出来るはずです。それがこのような形になってしまったのは残念ですが、懸命な貴方ならわかってくれると信じていますよぉ」

 

 

 

 もうすっかり日も暮れ、非日常な長い一日がようやく終わりを告げようとしていた。

 部屋の隅にいる黒い影は相変わらず何も言わない。明日人もその存在を無視するかのようにベッドに潜り込む。

「    」

 会話はない。

 そこにいるのは一人なのだから当然だ。今までも、これからもずっとそうだ。母が死んでから、ずっと。

 明日人は布団を頭まで被ると目を瞑る。

 起きたら全て夢だったら良かったのに。

 母ちゃんの温かいご飯を美味しいって言いながら食べて、毎日暗くなるまで遊んで、そして眠る。

 そんな馬鹿なことを願ってしまうほど、明日人の現実は有耶無耶になってしまっていた。

 明日になったら始まってしまう。

 人狼、占い師、処刑、排除。

 聞きなれない単語がまだ頭のどこかでぐるぐると回り、睡眠を妨げる。

 ああ、どうか。願わくば。

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