いつの間にか深い眠りに落ちていた明日人はいつも通りの時間に目を覚ますと違和感を感じた。今日始まるであろう処刑があるからとかではなく明確な違和感。
「居ない……」
ここ数日部屋の隅で大人しくしていた存在が元から居なかったと言わんばかりにぽっかりと抜け落ちていたのだ。
いやしかし、どちらかと言えば彼の存在の方が異物であったので今の状況の方が本来あるべき状態なのだが、何故か明日人はその事に違和感を覚えた。
かと言ってそれを気にしたところで処刑が無くなるわけでも彼が帰ってくる訳でもない。気乗りはしないが早めに事を済ませて広場へ向かうべきと判断し「まあ、いいか」と、いつもの様に朝食を掻き込むと家を出ようとしたその時だ。
元々建付けが少し悪くなりつつあったドアがついに開かなくなってしまっていた。何者かが反対側から押さえつけているような、そんな感じだったが力を入れて押してもうんともすんとも動かない。早めに行こうと思っていたのに少し意地になってしまったのかもうそれなりの時間ドアと格闘した末、ようやく窓の存在を思い出した明日人は乗り出すように窓から脱出すると動かなかったドアの向こう。そこに見覚えのある人物がどっかりと座り込んで眠っているのを発見した。
「灰崎?」
あれだけドアを叩いても起きなかった人物は名前を呼ばれたことに反応して目を開く。そして、目の前に明日人がいることに気がつくと目を見開き取り繕うかのように髪を整えると呆然としていた明日人をキッと睨みつけた。
「なんか用かよ」
やっとの事で出てきた言葉がそれかと明日人は呆れたが、意外と可愛げのあるところを知った気分になったので気持ちを相殺しながらその質問に答えた。
「用はないけど、ここ俺の家の前。灰崎こそ、なんでこんな所に?」
「別に……鬼道の野郎に頼まれて仕方なく」
「鬼道さんに? 頼まれたって何を」
「お前の護衛だよ。俺は“狩人”だからな。人狼がお前を殺しに来ないか一晩中見張ってた」
「一晩って、ずっと? いつから?」
いつの間にか質問に返すだけではなく、質問責めになっていたのに気がついた明日人はそこで口を
「詳しくは覚えてねーけど、月が向こうの方にある頃だったから、十時ぐらいだろ」
指さされた方角は確かに今の時期ならだいたいそのぐらいの時間だろう。またもや意外性というか月を見るなんて事をする性格だと思っていなかった明日人は思わず笑みを浮かべてしまった。
「灰崎って、なんか思ってたイメージと違った」
「あ? なんだよいきなり。気持ち悪ぃな」
げぇっと顔を歪めて見せるが、あまり悪い気がしないのか本気で嫌がっている素振りではないのが伺い知れる。喧嘩っ早く、周りに怒鳴り散らしていたのもあくまで彼の一面であり、本当は素直で真っ直ぐな少年なのかもしれない等と明日人は自分の中の彼のイメージを改めようと思った。
「ンなことより、広場。行くんだろ」
「ああ、うん。そうだった」
灰崎が立ち上がるのを横目に見ながら、家を出た目的を思い出して早足で広場へ向かう。その途中、一つ気になったことがあったのでついでだと思い明日人は灰崎に問いかけた。
「一晩中見張ってたって言ってたけどさ、俺の家から誰か出ていかなかった?」
その問いかけの意味が分からなかったのか、灰崎は必死に考えるような素振りを見せたが直ぐに首を振った。
「いや。夜は窓も気にして見ていたが、誰かが来る様子も出ていくこともなかった。お前に見つかった時は寝ちまってたが、人狼の活動時間中はずっと見張ってたからな。信用しろとは言わないが、お前が生きてるってことはそういう事だ」
「そっか。そうだよね。気にしないで」
いつの間にか消えていた彼。灰崎が見張りを始めた時間と明日人が眠りに着いた時間はそう空いたものではなかったはずだ。それなのに灰崎の目を掻い潜って彼は家を出たのだろうか。どうやって? そもそも彼は本当に存在していたのか? そんなことを考えているうちに二人は広場へと辿り着いていた。
広場には立派と言うべきか大袈裟と言うべきか、よくもまあ用意出来たなと誰もが心に思っただろう処刑台が、そびえ立っていた。
先端を輪っかにされたロープが風に揺られて命を刈り落とさんとフラフラとしている様を見上げながら、自分の首がその輪を通っているところを想像して明日人は目を逸らした。
「皆さ〜ん、おはようございま〜す」
誰しもが明確に非日常を実感している中、唯一変わらぬトーンで趙金雲は手を叩きながらいつもの様に現れた。もはや非日常の中での通常が浮きすぎていてギャップで気分が悪くなるぐらいだ。
どよめく村人達をものともせず、日常を演じようとしているそれはもはや歪にしか映らず、疑心暗鬼に陥っている村人達を煽る結果になってしまっているが、狂い始めた歯車は戻ることは無い。おかしいことに慣れつつある全員はそれがおかしいと声を上げることすらしなくなっていた。
「皆さんも既にわかっているかと思いますが、人狼が現れてしまいました。そこで昨日、鬼道クン達に相談したところ一番怪しいと思った人物に皆さんで投票してもらって、一番票を獲得した人を“処刑”しようと思いま〜す☆」
何度聞いても突拍子のない言葉に、吐き気を覚えながらも明日人は事の成り行きを見送った。一度で皆が理解できる訳では無い。むしろこれを素直に受け止めて「はいそうですか」と言える人物の方が少ないだろう。
手が挙がることは無いものの、不安がどんどん広がっていくのは村人同士の会話で感じることが出来た。
「すみません、質問してもいいでしょうか」
やっとと言うべきか、待っていたと言わんばかりのタイミングで手を挙げたのは、灰崎や鬼道のように村の外からやってきたうちの一人、風丸だ。
控えめに、されどしっかりと挙げられた手からは彼の謙虚さと責任感の強さが伝わってくる。
「いいですよ、風丸クン」
「ありがとうございます。先ほど人狼と言いましたが、この村ではその存在はあくまで御伽噺の一部ではなかったのでしょうか? それに仮に人狼が存在するとして、何故怪しいだけで処刑を? それはむしろ村人の数を減らすリスクを負うことになりかねず、人狼の思う壷ではないでしょうか」
その意見は最もだった。何人かその言葉に頷き、同意するように非難の視線を趙金雲に向けたが、その質問に答えたのは投げかけられた趙金雲ではなく村の問題児──不動明王だった。
灰崎が来てからというものあまり名をあげなかったが、真偽の分かりにくい言葉で村人を困らせる事の多かった彼は問題児として村では通っている。そんな彼はここぞとばかりに風丸の意見に食いつくと舌舐めずりをした。
「これだからイイコチャンはつまんないねぇ。人狼ってのは人に化けんだろ? 村人が減るリスクはあるけどよォ、相手の数もわかんない上に見た目で判断出来ないときた。それなりのリスクを負って抵抗する覚悟がねェと人狼を排除出来ねぇってこったろ鬼道クン?」
「……その通りだ」
名指しされた鬼道が答える。
「生半可な覚悟では人狼を排除することは出来ん。風丸の意見は最もだが、それでは甘いんだ。既に被害は出ている」
「──ってコト。これからはもう少し発言に気をつけねェと、人狼の餌食か……アソコで首を吊ることになるかも知んねぇな?」
なーんてな、とカラカラと笑いを残しながら処刑台を指さした不動は興味が薄れたのかその場から姿を消した。完全に質問を流されてしまった風丸はなんとも言えない表情を浮かべながら挙げていた手を拳に変え、グッと胸元で握りしめている。
「他に何か質問はありませんか? ああ、安心してください。質問をしたからと言って怪しいだとか思いませんから」
完全に静まり返ってしまったのを見計らったのか、趙金雲が発言するが先程の一連を聞いて手を挙げられる程勇気のあるものはいない。発言したところでもう処刑が行われるのは変えられないとみんな悟ってしまったのだ。昨日明日人が何も言えなかったように、全員それを受け止めることを選択したのだ。
「いきなりのことで怪しいと言えど仲間のウチから一人を選べなんてなかなか出来ることではないと思いまぁす。なので、投票は今すぐに、ではなく太陽が完全に登りきるまで──もといお昼になるまでそれぞれ話し合って決めてください。ただし、必ず誰かに票を入れること。自分に入れるのももちろんいいですが、自分が人狼だと思う人に票を入れてくださいネ。では、解散」
解散を告げられ、どうしたものかと頭を悩ませている明日人の元に氷浦と万作、そして岩戸と剛陣という仲良しメンバーが集まってきた。
「よう、明日人。珍しく今日は朝イチじゃなかったじゃねーか。なんだぁ? お前が人狼なんじゃねぇのか?」
このメンツの中で唯一の年上である剛陣はそう言いながら明日人の肩を小突いた。あまりにもツッコミにくいボケに明日人は苦笑いで返しながら「まさか」と答える。
「剛陣先輩、そう言うの今は笑えませんから」
そう言いつつ、明日人から剛陣を引き剥がしたのは万作だ。呆れ顔のまま、引き剥がした剛陣を睨みつける。しかし、怒っていると言うよりかは時と場合を考えろと叱っているようだった。それに先輩と敬意を払っているところから、冷めた対応ではあるものの愛があるからこその発言だと受け取れるだろう。当の本人である剛陣も「そーかそーか」と反省しているのだかよく分からない返しをしていた。
「それにしても明日人が朝イチじゃないのが珍しいのは確かだ。昨日も気がつくと居なくなっていたし、体調でも悪い?」
氷浦が心配そうに明日人の顔を覗き込むが特に変わった様子もなく「へーき」と笑う明日人の顔を見て、安心したように微笑んだ。
「それにしても大変な事になったでゴスねぇ。人狼が本当に存在しているなんて恐ろしいでゴス」
その巨体を大きく震わせた岩戸は顔を青白く変色させ、げっそりとしていた。
「その事なんだけど、みんなは本当に人狼を信じてる?」
「え? そりゃ信じたくはないけどこうなった以上信じざるを得ないって言うか。明日人はまだ信じてないのか?」
明日人の問いに真っ先に答えたのは万作だ。しかしそう答えた万作自身の言葉も信じざるを得ないという程度のもので、実は人狼ではありませんでした〜なんて告げられればコロッと意見を変えるだろう。それはここにいる誰しもが同じなようで、明日人の言葉を待っている。
「信じてない……わけじゃない。実際にこれが人狼の仕業ならいいなって思うよ。そうじゃなきゃ、この村の誰かが人殺しをしたことになっちゃう。そんなのは嫌だ。でも、なんか変な感じでさ。本当にこれでいいのかなって」
「……驚いた。明日人の事だから人狼を意地でも見つけて改心させてやる! って騒ぐかと思ってたんだけど」
「なんだよそれ。そうしたいのは山々だけど、そうしたって何も変わらない。死んだ人は戻らないし、人狼が人になれる訳でもない。だろ?」
氷浦の発言に今までそんな風に見られていたのかと苦笑を浮かべたが、さすがにそこまで考え無しに行動するほど明日人もバカではないと自分に言い聞かせるように言った。その言葉に「確かに」と返され、氷浦の中の明日人のイメージが少しでも変わってくれればいいなと切に願いながら、明日人は言葉を続けた。
「誰に投票するかはもう決めたの?」
誰しもが遠ざけていた本題を切り出され、少し和みつつあった雰囲気は一転。緊張が駆け抜けた。ぎこち無い空気のせいでか、自然と呼吸もしずらくなった。
「俺は、灰崎に入れようと思う」
その空気を断ち切るように発言したのはまたしても万作だ。
「アイツが来てからというもの何かと問題が起きている気がするし、何より元々村の者じゃない。人狼として疑うには十分だ」
万作の言うことは間違いなかった。確かに村人の中に人狼がいるというのは考えづらい。村人の誰かが人狼なのだとすれば、何故このタイミングで動き始めたのか検討もつかない。となれば、村の外から来た人物の中で最も疑われてもしょうがないほど目立っていた灰崎に矛先が向くのも納得だ。しかし、明日人はそれは違うと感じていた。
確かに乱暴で、言葉遣いも荒ければ人を遠ざけようとしている所もあるが、今朝のやり取りでそれが彼なりの、不器用なりのコミュニケーションだということを明日人は知っていた。その性格から人との関わりが極端に少ないせいで人との接し方、距離感が分からないだけで、本来はとても素直で真っ直ぐな感情を持った人物だと直感的に捉えていた明日人は気がつけば「違う」と声を上げていた。
「灰崎は確かに乱暴だし、村の人じゃないし、問題起こしてばっかりだけど、アイツは違う。俺、聞いたんだ。灰崎は狩人だって」
「狩人……なーんか聞いた事あんなぁ。ああ、思い出した! 人狼から村人を守る役割だって昔円堂のヤツから聞いた事あるぜ」
「円堂さんから?」
円堂。かつてこの村にいた凄腕のハンターで、剛陣曰く親友だそうだ。しかし、彼は一言「特訓に行ってくる」と言い残したまま、まだ村に帰ってきていないのだとか。明日人達も噂程度にしか聞いたことの無い存在だったが、所々で話を聞くに彼は相当な伝説を残しているそうで、彼を語るとき誰しもが憧れの視線を向けていたのだけは知っている。
「灰崎君がその狩人ってことは、みんな灰崎君に護って貰えば解決するんじゃないでゴスか?」
「そう簡単に出来れば処刑なんて話出てないだろ。恐らく、護れるのは一人……そして灰崎自身誰が人狼なのかはまだ分かっていないじゃないか?」
「そんな〜……。ガックシ、でゴス」
などと、まるで漫才のようなやり取りをする氷浦と岩戸を放っておいて、どこか納得出来ないと言いたげな表情を浮かべたままの万作は明日人のことを見た。
「灰崎が狩人だって確証はない。明日人のことを疑うわけじゃないんだが、それは誰から聞いたんだ?」
「今朝、灰崎自身から。それに鬼道さんもそう言ってたんだ。灰崎は狩人だからって」
「ふぅん。でも、それじゃ信頼足りえないな。本人が嘘をついている可能性がある上に、鬼道さんも村の人間じゃない。どちらかが人狼、もしくはどっちもが人狼で何かしらラインが出来ている可能性もある」
「ライン?」
「協力してる可能性があるってことだよ。例えば、灰崎が人狼だったとして鬼道さんが人間だとする。そして、二人の目的がこの村の壊滅だとしたら灰崎は人狼だけど鬼道さんを殺さずに自分が動きやすいように利用する。そう、例えば自分を狩人だと発言してもらうことで自分が人狼だという可能性から遠ざけて貰う、みたいなね」
「それは……」
「明日人と灰崎の間に今朝何があったのかは分からないけど、可能性的観点から言えば万作の言う通り灰崎が一番怪しいって俺も思う。村の人を疑いたくないって言うのもあるんだけど」
万作と氷浦の言い分が分からないほどバカではないが、昨日のあの怒りに燃えている灰崎の瞳を思い出した明日人は彼が嘘を上手くつける性格ではないと内心確信していた。今朝、質問にあっさり答えたのもその確信に一役かっている。そして、野坂の占い。あれもまた灰崎を人間だという気持ちに傾けさせていた。
しかし、それを伝えたところであくまで明日人の勘。主観的なものでしかない。灰崎が狩人であるという確証にはならない。占いに関しては、まだ信用せざる理由が見つからなかった。
「おい、稲森」
そんな時。噂をすればなんとやら。
そこに姿を表したのは灰崎本人だった。
元々疑心でピリピリしていた空気がさらに突き刺さるような冷たさに変化する。万作も氷浦も噂のご本人の登場により、その表情を一層険しいものに変化させていた。
「もう少しで時間だが、お前はもう決めたのかよ」
しかしそんなことはつゆ知らず、灰崎は無視するかのように明日人にだけ声を掛ける。また下手に突っかかっていくのではないかと内心焦っていた明日人はホッとしながらも首を横に振った。
「ったく。見た目もヘナチョコだが判断までヘナチョコだな。ま、人の命が掛かってんだ。そんぐらい真剣なのは悪かねーけど」
「そう言うお前はもう決まってるのかよ、灰崎」
「あ? 誰だお前」
無視されたことに苛立ったようで、先に仕掛けたのは万作だった。
「俺はお前に入れる。明日人を懐柔出来ても俺は騙されないからな」
「懐柔って……」
「好きにしろよ。そういうルールだ。ま、群がらねェと何も出来ない雑魚になんか興味ねぇよ」
灰崎は万作を睨みつけると煽るように鼻先で笑った。灰崎の眼中には万作などのっけからなかったかのようだ。
しかし煽られた万作は言葉に乗せられるように身を乗り出そうとし明日人は慌ててそれを止める。
「灰崎も万作もやめろよ。こんな言い争いしたって人狼は見つかりっこない」
「ハッ。甘ちゃんが。せいぜい仲良しごっこでもしてろ。鬼道がわざわざ護れって言うから気にはしていたがやっぱり気に食わねぇ」
「灰崎……」
「明日人、行こう」
少し縮まったと思った距離は、一気に広がっていく。万作に腕を引かれて遠くなっていく灰崎の背を見送る。その背はどこか寂しそうで、なのに明日人が伸ばした手は届くことはなく、ただ空を掴むその手を明日人は呆然と見つめることしか出来なかった。
そうして、結局話し合いがうまく纏まらないまま、ついに処刑の時間である正午を迎えてしまった。
ぞろぞろと集まり始める村人達の表情は暗く、決していいものでは無い。当たり前と言えば当たり前だ。これから自分の票によって人が死ぬのだから。
明日人は周りをぐるりと見渡す。どうにも今朝と比べて人数が少ない。興味がないのか、はたまた良心による抵抗なのかそれは分からないが、逃げたことを責めるなど誰にも出来ないだろう。
「さて、何人か姿が見当たらないようですがどうしたんでしょうかね? まあ、そんな時は投票権の放棄と見なし自身に票が入ることにしましょう。では、時間です。皆さん今から配られる紙に一人の名前を書き、この箱に入れてくださ〜い」
何処から現れたのか。趙金雲の子分である自身を子分と名乗る少年が素早く全体に紙を回していく。なんの変哲もないただの紙。しかしここに名前を書くことにより、場合によってはそこに書かれた人物の命を奪いかねない危険な紙。薄く軽いこの紙に今、どれほどの重さがあるのだろうか。
ぐしゃり、とその紙を握りしめると明日人はそこに自身の名前を迷いなく記入した。
(誰かを疑うぐらいなら自分が死んだ方がいい。ルール上問題もないし、これで死んでも俺は──)
そこで、思考が止まる。
俺は。
仲間の死を見なくて済むからなのか、自分に痛手がないからなのか、自己犠牲に満足できるからなのか。分からない。どう転がろうとそれは結局結果論だ。
自分が死んだところで人狼の猛攻は続くだろう。明日人は何となくそう思っていた。
シワシワの紙に書かれた明日人の名前は同じくグシャグシャで辛うじて読めるであろうという程度だ。まるでその文字は今の明日人の気持ちを表しているかのようで不安定に見える。
もう一度紙を握りしめるとそれを投げ捨てるように投票箱に入れると、同じく票を入れに来た灰崎と目が合った。
一秒、二秒。
そんなに長いこと視線が重なっていた訳でもないのに、何故か永遠に感じるようなそんな雰囲気の中。氷浦の呼び掛けにより、それは解かれた。
「明日人、行こう」
どうやら睨み合ってると思われたのか、灰崎から明日人を守るように氷浦は入り込むとその腕を引く。その力は小柄な彼から想像もできないほど強く、長年付き合ってきた明日人も少し予想外だったようで半ば引っ張られる形で投票箱から離れる。視線が解れたことで灰崎もようやく動き始めたが、明日人達を追うようなことはなかった。
投票箱の前、票を入れようと出来た人集りから抜けた二人はようやく腕を解き深いため息をついた。
「大丈夫?」
明日人の問いかけに、氷浦は「大丈夫」と答えるがその顔は緊張している時のように強ばっていた。どうやら灰崎を前にして、うまく顔を作れなかっただけらしい。
「明日人の方こそ大丈夫? 灰崎に何か言われてたんじゃないのか?」
「俺は平気。灰崎とも喋ってないよ」
「そう。結局明日人は誰に入れたの?」
「……俺は。俺に入れたよ。例え怪しいと思っても誰かに投票なんて、俺には出来なかった」
「ふふ、明日人らしいや」
そう頬を一瞬だけ緩ませると、氷浦はどこか遠くへと視線を向ける。あまりにも唐突な行為だったが、その光景は明日人にとって見慣れたものだった。霊媒師である祖母から受け継いだ霊能を持つ氷浦は死者と会話が出来る“霊能者”なのだと幼い頃から本人に聞いていたからだ。
死者の魂を祓うことが出来る霊媒師と違い、ただ死者の声を聞くだけの彼は時たまこうして虚空を見つめ死者と会話をし始める。会話と言っても直接的な声に出すものではなく、直観的なテレパシーのようなものらしい。だから見ている側は何を言っているのか聞こえないし、またその姿を見ることも無い。ただ、ぼんやりとしているように見えるだけなのだが、氷浦は会話していたのだといつも言う。それが本当のことなのか、虚言なのか。死者の声を聞けない明日人にとっては分からないが、氷浦が言うのならきっとそうなのだろうと思う。
「なんて?」
目を閉ざしたのを見計らって声を掛けると、疲れ切った顔のまま氷浦は「うーん」と唸り声を上げた。
「人狼の姿を見たけど、よく分からなかったって。見覚えのあるような、知らないようなそんな感じだったって言ってた」
「相手は杏奈さんだったの?」
「うん。もう死んで時間が経ってしまってたし俺の力不足であまり喋れなかったけど、最期は笑ってた。こんな死に方だったけど悪くなかったって。それから大谷さんにごめんなさいって伝えて欲しいってさ」
「そっか……」
人狼の姿が捕えられなかったことが残念だったのか、杏奈の最期が笑顔だったことが嬉しいかったのか、よく分からない複雑な表情のまま明日人は短くそう呟いた。
氷浦が霊能者であることを知っているのは明日人と万作、岩戸と剛陣のいつもの四人と霊能を引き継ぐ要因となった氷浦の祖母だけ。本人は他にも何人かにその話をしたそうだが、信じてくれたのがこのメンバーだけだったそうだ。それ以降喋ることでもないと判断したのか、自身についてはあまり他人に話したがることも無い。
それが明日人の知る、霊能者氷浦貴利名だ。
「そろそろ投票が終わるみたい」
言われて投票箱の方を見ると、集まっていた村人達は疎らになっていて皆投票を終えたようだった。
(そう言えば、氷浦は誰に入れたのだろう)
完全に聞くタイミングを逃してしまった明日人は、ちらりと氷浦の横顔を見た。相変わらずの感情の読めない表情。
今朝万作と共に怪しいと言っていた灰崎に入れたのだろうか? それとも別の誰かなのだろうか?
今更それを考えてもあの箱に入った投票結果は変わらないし、氷浦自身に聞く勇気もない。開示されていく投票結果を呆然と眺めるしか今は出来なかった。
そして票が開かれていくのを眺めてどれぐらい経ったのか。いつの間にか全ての票が明るみになり、ついに本日処刑される人物が決まってしまったようだ。
酷く喉が渇く。
何度も生唾を飲み下しながらその結果を待つ。昨日の雨のせいか飲み下しすぎた唾のせいかはわからないが、喉は渇いているのに酷くジメジメとした異物が突っかかっているかのような感覚に襲われ呼吸が酷く乱れる。
早く終わって欲しい気持ちとその瞬間が永遠に来て欲しくない気持ちがせめぎあい、どれほどの時間が経ったのだろうか。他人にとっては刹那に等しかったのかもしれない。
趙金雲がいつになく真面目そうな顔をして人柱になる人物の名前を読み上げた。
「投票の結果、最も票を獲得したのは大谷つくしさんです」
重々しく告げられた名に、自分ではなく安心した者。驚きの声を上げる者。自身がそこに名を綴ってしまったことによる後悔を噛み締める者。それぞれの反応により、均衡していた空気はガラリと変わった。
そして、人柱として名を挙げられ混乱を隠せないつくし本人は、何故自分の名を告げられたのか。今から自身の身に起こることを理解出来ていないのか、目を見開きポカンとしている。
「私……?」
つくしは周りを見回した。
助けを求めるように、誰かに説明を求めるように。
何度も何度も視線を右往左往させ、誰かを探すように。
小動物が天敵と出会ったかのような動きをしきりにしてみせるが、そんな彼女と目を合わせようとするものはいない。
当然だ。投票と言う多数決で決まったことだ。多くのものがあの紙に、あの箱に、つくしの名前を記して入れたのだから。後ろめたさや疑心、何となくなどそれぞれの気持ちはあるだろう。そして、そこに誰かの名前を書く意味をみんな知ってやったのだから。そんな人達がこれからその行為によって犠牲になる彼女の目を、助けてと言わんばかりのサインを受け取れるわけがなかった。
ようやく事態が飲み込めてきたのか。つくしは処刑台に目をやる。ズンとそびえ立つ己の魂を刈り取らんとする物を見て、彼女は口元に笑みを浮かべた。それはもう、生きることを諦めるような、最期ぐらいは笑顔でいようという彼女の気丈さから漏れたもののような、なんとも言えない笑顔で彼女は誰に言われるでもなく、フラリと導かれるようにその縄の前に立つ。
そして縄にそっと手をかけ引き寄せると、輪の部分に自分の首を通し微笑んだ。
「杏奈ちゃん、ごめんなさい。私、復讐出来なかっ──」
誰にも聞こえない小さなつぶやきと共に一筋の涙が頬を伝った。
ギシッ。
縄が引っ張られ、歪な音が広場に響く。
ギシッギシッと繋がれた身体が振り子のように動く度、縄は悲鳴をあげるがそれが切れることはない。物言わぬ抜け殻となった身体を支えながら、縄は切れることなくゆらゆらと慣性に従って揺れていた。
人狼により命を奪われた杏奈。
そしてその人狼を排除するために人柱として祭り上げられてしまったつくし。
こうして村から二人の人物が命を落とした。
あまりそれぞれと話したことがなかったとはいえ、人を失う悲しさを知っている明日人は「ああ……」と小さな悲鳴にも似た声を上げながら膝から崩れる。
死んだ。
人が、死んだ。
何故?
人狼が現れたから?
母を失った時はあれほど涙が溢れたというのに、今の明日人はただ呆然と地面を見つめているだけ。他のことを考えて思考が混乱しているからなのか。母の時に一生分の涙を流してしまったせいなのか。心が壊れてしまっているのか。自分が死ななかったことに安心しているからなのか。明日人自身も何故こんなにも悲しいのに泣けないのか分からなかった。
横にいた氷浦の嗚咽を聞きながら、地を見つめまるで死を考えないようにと思考が段々と移り変わっていく。
人狼を見つけなきゃ。
そうしないとまた人が死ぬ。また人が死ねば処刑は続き、そして次は横にいる氷浦が万作が岩戸が剛陣が、自分の親しい人があそこに立つことになるかもしれない。そうなった時、自分が泣けなかったら。
泣けなかったら、どうなるというのだろうか。
次々と駆け抜けていく良くない思考を振り払うように明日人は首を振り立ち上がる。
いつまでもこのままじゃ、良い方向には進めない。
決意を決めたように拳を握ると、明日人は隣で今だ肩を揺らしている氷浦の背を撫でた。
「あす、と……」
「氷浦、お願いがあるんだ」
「お願い?」
人が死んだと言うのにやけに落ち着いている明日人を前に、何故こんなにも落ち着けるのだろうかと疑問に思いながらも氷浦は言葉を返す。明日人は母の死によって死に慣れてしまっているのかもしれない等とその事を少し悲しく思いながらも、彼からの頼みとあれば断れない氷浦は涙を止め、頷いた彼の目をジッと見つめた。
「今から死んだつくしさんの声を聞いて欲しいんだ」
明日人のお願いを聞いた氷浦は「え?」と情けない声を上げる。
「氷浦なら出来るよね?」
「出来る、けど。どうして?」
「どうしてって、そりゃ。つくしさんが人狼じゃなければまた人が死ぬよ?」
淡々と告げられた言葉に氷浦はガツンと頭を殴られた気分になった。
また、人が死ぬ。
そんなことを淡々と告げる明日人に、そしてまだこの事態が解決し切っていないということに胸が締め付けられるような、絶望に叩き込まれて行くような気持ちの悪い感情が渦巻く。
今目の前で自分を見ている彼は誰だ?
ここの所、人狼の噂が出てきてから何となく明日人が変わってしまったように思う。振る舞いや言動こそはそんなに変わらないものの、彼が纏う雰囲気というか何か悪いものに取り憑かれているというか、大事なものを置いていってしまっているような。元々真っ直ぐすぎて不安定なところがあった明日人だったが、その不安さがさらに増したような。
ああ、でもそんなことはどうだっていいのだ。
確かに、彼の言う通りこの処刑は人狼を吊るための装置で、そこに人狼が吊れなければまた人狼は人を殺す。そして人狼が人を殺せばまたあの処刑が執り行われ自分たちの手でまた村人を葬らなければならないのだ。
自分のこの力が少しでもそれを食い止められる希望になると言うのならば、そして、その力を使って欲しいという親友の頼みであれば。
「わかった。俺の力が村のためになるんだよな。つくしさんの声聞いてみるよ」
氷浦は自身の涙を拭うと立ち上がった。
明日人に何があってそんなに変わってしまったのかはわからない。それでも、二人が親友であることに変わりはなく、変わってしまったとしても明日人は明日人であると氷浦は信じていた。
村人達の手によって丁寧に降ろされたつくしだったものに向かって氷浦はそっと手を伸ばした。そして彼女の身体に重なるように伸ばしたその手を何かを握りしめるように強く結ぶとそれを引き抜いた。
ふと意識が抜けていくような不思議な感覚に襲われながら焦点を合わせる。そこにはかつてのつくしの姿をした亡霊のような何かが佇んでいた。
『大谷さん』
声に出さずに呼び掛ける。
その声に気がついたつくしだったものは振り返ると生前を思わせる笑顔を浮かべた。
『私、死んじゃったんだね』
つくしは切なく笑う。
自分の身体だったものを見つめながら、死を受け入れるように。
『それにしてもちょっと驚いちゃった。氷浦くんって死んだ人とお喋り出来るんだね』
『ああ、うん。ばあちゃんから授かった能力で』
『氷浦くんのお婆ちゃんって確か霊媒師だったっけ? それで、何か聞きたいことでもあるの?』
いきなり本題を切り出されて、氷浦は一瞬ドキリとした。が、霊というものはそういうものである。生というしがらみから解放され、肉体からも開放された魂は、偽ることをしない。だからこそ、生きている人間を相手にするよりかよっぽど楽だった。
『聞きたいこともある。けど、その前に伝えたいことがあるんだ』
『……』
『御門さんから。ごめんねって』
『どうして』
生きている間に伝えてあげたかった伝言。能力に不足があったが故にこのタイミングで告げることになってしまったその言葉を聞いて、つくしは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
『どうして杏奈ちゃんが謝るの!? 私は復讐を果たせなかった! 杏奈ちゃんを殺した人狼を見つけることも出来ずにこうして死んじゃった……!』
ボロボロと泣き始めたつくしの魂は不安定にゆらゆらと揺れる。雫が波紋を産むように、涙が頬を伝う度にその存在は消えそうなほど震えた。
復讐を果たせなかった彼女は自己嫌悪に似た感情を爆発させる。氷浦はそんな死者の感情に触れながら、グッと気持ちを抑える。
『御門さんは最期、笑ってたよ。復讐なんて望んでなかったんだ』
『そんなことない。だって、杏奈ちゃんはあんな姿になっちゃったのに……』
『魂は嘘をつけない。信じて』
『だったら、私がした事はなんだったの? 私、私……』
感情を抑えられないつくしは早口で捲し立てるように言葉を発する。
『野坂くんを殺そうとしたの』
衝撃の事実と言うべきだろうか。
彼女の口から発せられた言葉は耳を疑うようなそんな言葉だった。
いつも温厚で、皆を支えてくれていた彼女が? 人を殺そうと、それも野坂を?
混乱しきった氷浦は言葉が上手く出てこない。その様子を見て、つくしは失笑した。
『杏奈ちゃんは野坂くんを気にかけてるみたいだったから、人狼である野坂くんはそれがウザくなって……だから、惚れてるのを利用して野坂くんは杏奈ちゃんを殺したんだって。いつも家にいるのも怪しいし、杏奈ちゃんが殺された時真っ先に野坂くんを疑った。それに野坂くん杏奈ちゃんのお葬式の時泣いてなかったんだよ!? そんなの、疑うしかないじゃない。だから昨日の夜野坂くんを殺すつもりで家を訪れたの。でも西蔭くんに止められて、逃げる時に色んな人に刃物を持っているところを見られて……。だから、この投票結果だったの。自業自得だよね』
人を殺そうとした罪の意識。
復讐を果たせなかった虚無。
だからあんなにもつくしは死へ抵抗がなかったのだろうか。
自分の知らなかった事情を知った氷浦は絶句していた。人の死によってこんなにも人は変わってしまうのかと。そして、変わってしまった彼女がどこか今の明日人と被って見えてしまい、嫌な予感が背中を駆け抜ける。
氷浦の感情が揺れる。
するとつくしの姿が背景に溶け込むように薄れていってしまう。
時間的にも、氷浦の気持ち的にもこれ以上つくしと話すのは限界のようだった。
それに気がついたのか、つくしは諦めたような笑顔を作り氷浦を見た。そんなつくしと目が合う。
何か、言わないと。
何故かそう思ってしまった氷浦は口を開くが、案の定言葉は出ない。そのまままごついていると風に攫われるようにつくしの姿をした魂はフッ掻き消えてしまった。同時に、氷浦の意識も真っ暗になり、誰かに支えらるような包まれるような温かさが衣類越しに伝わってきて、よく知っている声が名前を呼んでいた。
「氷浦……氷浦!」
いつもより気だるそうな氷浦の身体を支えたのは明日人だ。本日二度目の能力行使に身体も精神も疲れ切ってしまったのだろう。いつもなら寸でのところで倒れるようなことはないのに、意識を失う程酷使してしまったことに明日人は内心焦りながらも何度も彼の名前を呼んだ。
反応はないものの呼吸はしているため、死んではいないだろうがこのまま目が醒めなかったらどうしようかとオロオロとしていると丁度そこに坂野上が通りがかった。
「どうしたんですか!? とりあえず俺のゲストハウスに来てください。ベッドをお貸ししますので」
そう言って坂野上は氷浦の肩を抱えると急ぎ足で自身のゲストハウスへと案内する。急ぎ足ながらも氷浦の身体を労わってゆっくりと進むところから彼の人の良さが出ていた。
氷浦をベッドに横たわらせると一息つき、用意された椅子に明日人は腰掛けた。
「それで、一体どうされたんですか?」
「えっと」
明日人は少し戸惑いながらもここまでしてもらったのだからと、氷浦の霊能者としての能力のこと、その力の使いすぎで倒れてしまったことを簡単にまとめながら伝えた。
その話を坂野上は真剣に聞き「なるほど」と声を上げる。
「カッコイイですね! 凄いなぁ氷浦さん」
同じ村の人ですら信じてくれなかったことをあっさりと認めながら、輝いた瞳で未だ眠る氷浦に視線を送る坂野上。純粋に憧れの眼差しを送る様子は彼の単純さを表すようだった。
「坂野上は信じてくれるの?」
「俺はこの目で見たので。あんな風に会話するんですね」
倒れる少し前から二人の様子を遠目に見ていたようで、坂野上はあっさりと答える。
「俺、この村には円堂さんを訪ねてきたんです。でも入れ違いになっちゃって、こんなことに巻き込まれて。村の人間じゃないから信用ないかもしれませんが、この村の為に俺も何かしたいと思っています」
「そっか……」
彼の言葉には嘘がない。
そう思わせるほどには真っ直ぐな感情の篭った言葉だった。
「じゃあさ、坂野上は誰が人狼だと思うの?」
明日人のその問いかけに坂野上は目を見開く。「うーん」と悩みながら、腕を組む。
「そもそも、人狼って本当にいるんでしょうか?」
「村の人を疑っているの?」
「そうじゃなくて、村の外から来た……えーと、それも俺たちみたいに今村に滞在していない第三者的な存在が居たりしないかなって」
「第三者……」
「そうです。明日人さんはこの前お仕事で村の外に出てましたよね。その時に村に今いる人以外の姿を見ませんでしたか?」
言われて明日人は先日氷浦と野坂と共に出たことを思い出すが、それらしきものの記憶はない。首を横に振って応えると坂野上は残念そうに眉を下げた。
「そうですか。でも、そういう可能性もありますよね。村の外で潜む謎の人物! その人が人狼の仕業に見えるようにしている、のかもって俺は思ってます」
あくまで俺はですけど、と付け加えるように言う坂野上と同時に氷浦が目を覚ましたのかベッドが軋む音が響いた。
「氷浦!」
「明日人……? ここは」
「俺のゲストハウスです。調子はどうですか、氷浦さん」
「平気。そうか、あの後倒れたのか」
意識と記憶はハッキリしているようで、頭を押さえながらも氷浦はゆっくりと倒れる前のことを思い出した。つくしとの会話。自身の知らなかった事実の話。
言葉を上手くまとめられずぐちゃぐちゃになりながらも、その事を明日人に話した。当然、そこにいた坂野上もその話を聞いていたのだが、本人は知っていたのか大して動じる様子は見せなかった。
「それ、本当です。俺大谷さんに投票しましたから。野坂さんのことは知りませんけど、夜に包丁を持って逃げるように走る姿を見て、それで」
聞きもしないのに、坂野上はそう言うと申し訳なさそうに目を逸らすが何も知らない彼からすれば目の前で見たことが全てに映るだろう。彼女は人間だったが、氷浦と言う霊能者がいなければその事実を知ることは無く、結局は結果論なのである。
そして明日人の方はと言うと、何かを言いたげに表情を曇らせながらも言うべきかどうかで迷っているようだった。しかし、自分が頼んでそしてこのような結果になったことに対して少し思うところがあったのか、一度深呼吸をすると意を決した様に言葉を吐く。
「俺、これから野坂の所に行くよ。占いのこと、そしてつくしさんのことを聞きに」
明日人と氷浦、そして坂野上の三人は野坂の家の前まで来ていた。
つくしが言っていたことを確かめたいのと、彼の占い師の能力の事。それらを明日人は自分の手で確認しておきたかった。
コンコンと扉をノックすると、まるで来ることが分かっていたのかのようなタイミングで西蔭が扉を開けた。
「入れ」
低く、その声は響く。
三人は恐る恐る家に入ると小さな声で「お邪魔します」と断った。
「やあ、明日人君。待ってたよ」
昨日訪れたままの場所、水晶玉が置かれた机の前で頬杖を付きながら野坂は微笑み、三人の姿を捉える。その余裕そうな声は、三人が訪れることを予期していたかのように感じた。
座るように促された先には小さなテーブルを囲むように四つの椅子が用意されており、それぞれ明日人、氷浦、坂野上と腰掛けると空いた席に野坂が腰掛ける。西蔭はさも当然かのように野坂の後ろに控えたが、お茶を用意するようにと命じられて直ぐに奥へと消えた。
「さて、今回の要件は何かな? 凡そ、今回の投票についてだとは思うけど」
あっさりと野坂は言ってのける。
あまりにもサラッと言ってのけるので三人ともギクリと身体を固めた。
「ふふっ、やっぱり。そんなことだろうと思って少しカマかけてみたんだ。こんなにもわかりやすいとは思わなかったけれど」
その反応を見て、野坂は楽しそうに笑った。
「じゃあ、やっぱり……」
「うん。つくしさんは昨晩僕のことを殺そうとした。それを西蔭が追っ払ったけど、少し騒ぎになってしまってね。どうやら杏奈さんと仲良かったことに嫉妬しての行動ってことになってるみたいだけれど、本当の所は違うんだろう?」
「そこまで知ってるのか」
昨晩の事情を知らなかったとは言え、本人から聞いた事実ですら野坂は知っているかのように話す。その姿に氷浦は驚きながら、頷いた。
「信じてくれるかどうかは分からないけど、俺死者と話せる能力を持っていて、さっき大谷さんと話をしたんだ。どうやら杏奈さんに気に入られていることを野坂がウザがっていると捉えてたらしくて」
「それで僕が杏奈さんを殺したと思った、か。なかなか悪くないね」
自分の話を、それも良い様に話していないのに何が面白いのか野坂は微笑んだ。その笑顔が何処か歪に見えて、明日人は不安になる。
「それで、俺たちその事を確かめたくて……」
「そうだね。正直杏奈さんの事はどうも思っていない。死んでしまったのは可哀想だと思うし、良くしてもらっていたこともあるけれどそれをウザいと思ったこともなければ、殺したいと思ったことも無いよ。だから、つくしさんの考えは的外れだったって訳だけれど、この疑心暗鬼の中そう考えてしまったのも無理はないと思う。特に彼女は杏奈さんと仲がよかったみたいだから」
淡々と心中を語る野坂は表情を崩さない。
「だからといって、僕を殺そうとしたのは不味かったね。僕には
「野坂は……」
「ん?」
がたんっと明日人は立ち上がる。あまりの勢いに椅子がそのままひっくり返ったが構うことなく、明日人は野坂を睨みつけた。
「占い師だって言ったじゃないか。彼女が人間であること、俺達がここを訪れることがわかってたようにつくしさんがお前を殺しにやって来ることぐらい分かってたんじゃないか!?」
氷浦と坂野上は事情が呑めないのかポカンとしているが野坂は「へぇ」と短く感嘆の声を上げる。それが余計に明日人を腹立たせたのか、明日人は野坂の胸倉に掴みかかった。
「落ち着きなよ。占いはそこまで万能じゃない。一日一人占うぐらいが限界だ。君達がここに来るのが分かっていたのは、単なる推理であって占いの結果じゃない」
掴み掛かられたにも関わらず、野坂は冷静に答える。そこにお茶を用意していた西蔭がやって来て事態を見ると、お茶をテーブルに置き野坂と明日人の間に割って入った。
第三者が現れたことで明日人も少し頭が冷えたのか、手を離すと二、三歩たたらを踏むように後ろへ下がる。
「すみません、ちょっと分からないんですけど占い師ってどういうことですか?」
事情が呑み込めないまま放置されていた坂野上がここぞとばかりに手を小さく上げて、おずおずと質問を飛ばした。掴まれたことで乱れた衣服を直しながら、野坂は「ああ」と思い出したように答える。
「信じて貰えるかは分からないけれど、僕は占い師の家系でね。占った人が人間か人狼かが分かるんだ。とは言っても、能力にも限界があるから全員を一気に占ったりだとかは出来ないのだけれど」
と、説明しながら野坂は明日人を見た。その目は説明も無しに彼らを連れてきた無責任さを責めるような、信頼していた彼にまだ信頼されていなかったことに諦めたかのようなどんよりとした濁りが映っている。そんな瞳に見られた明日人は、先程の言動もあってか反射的に目を逸らしてしまった。
そんな明日人の反応を見て、一つ溜息を吐きながらも野坂は水晶玉に手を翳した。
「僕はこの力で村を救う。でも、こんな御伽噺のような話を信じてくれる人は少ないだろうと思って秘密裏に事を進めていたんだ。せめて確証を得られるまではってね」
「なるほど。つまり、氷浦さんと野坂さんの能力と合わせれば俺達村人も人狼に対抗出来るってことですよね!」
坂野上の言葉にそこにいた全員がポカンと口を開けた。その様子に何かおかしな事を言っただろうかと坂野上は慌てたが氷浦がようやく事を理解したのか、ポンッと手を打つ。
「ああ、なるほど。俺の霊能者としての力を使えば、野坂の占い結果に信憑性がつく。そうすることで人狼を炙り出せるってことだな」
「霊能者……?」
今度は野坂が首を傾げる番だ。あまり外に出ない彼にとって、村人同士の事情というのは疎いもので氷浦の能力についても、その祖母のことについてもあまり知っていなかったようだ。霊能者という能力は御伽噺や野坂の先代の日記にもなかったもので、彼の知り得る情報源にはなかったのだろう。
氷浦は占い師として隠れて行動していた野坂への情報公開のお返しのように、自らの事、そして霊能者としての力についてを簡単に野坂に伝えた。
「へぇ、そんな力を使えるなんて面白いね。確かに後手に回ることにはなるけれど、氷浦君と僕のこの力を合わせれば先代の日記にあった通り、人狼を除けることが可能かもしれない」
などと感心する野坂は、身を縮こませるようにして椅子に腰掛けている明日人を再び見る。
占い師としての野坂、霊能者としての氷浦。そのどちらもの情報を持っているのにそれを開示しなかったことに疑問を浮かべたのだ。
明日人がもっと早く能力について話してくれていれば、つくしさんのことも救えたかもしれない、と思ってしまい首を振る。起こってしまった事を今更考えてしまっても仕方が無いし、ここで明日人を責めたところで先に進むことではない。依然として明日人に警戒の視線を送る西蔭に視線を写しながら、野坂は氷浦の能力と自身の能力を上手く使うための作戦を提示した。
「これはあくまで僕の意見なのだけれど、坂野上君には悪いけれどどうしても村の人が人狼だとは思いたくないんだ。だから、怪しむ候補として、ここ数日村の外から来た人たち──つまり、ゲストハウスに居る人たちを僕は疑っている」
素直な言葉に、名指しされた坂野上は少し悲しそうな表情を浮かべたが、野坂の意見を受け入れたのか直ぐに真剣な表情に戻る。
「現在ゲストハウスにいるのは、灰崎君、鬼道さん、坂野上君、風丸さんの四人。そして、その中で僕が占った灰崎君は白。人間だと出た。だから今僕が一番疑っているのは……」
容疑者に挙げられている坂野上が唾を飲み込む音が響く。ここで疑われていると言われたらどう反論しようかとも考えていた。
「鬼道さんだ」
が、それは杞憂だったらしく告げられたのは処刑を考案した本人、鬼道だ。
自分に容疑が掛からなかったことに安心したのか大きく息を吐いた坂野上に「よかったな」と声を掛けながら氷浦は野坂に先を促す。
「疑う理由としては、処刑というやり方があまりにも過激すぎること。そして、さっきも言ったけれど村の外からきた人物であることが上げられる。だから今晩僕は鬼道さんを占うつもりだった」
「そこで君達に協力して欲しいのだけれど……もし占いの結果で鬼道さんが白、つまり人間として出たとしても、鬼道さんに投票して欲しいんだ」
しかし、その後に告げられた野坂の発言は、あまりにも予想と掛け離れたものだった。
鬼道が
そんなことを平々凡々と言ってのける野坂に驚きながら単純にその意味を飲み込めなかった三人は呆然としていた。しかし、その反応も野坂にとっては予想の範疇だったようで、柔らかく笑みを浮かべて見せるとその理由を話し始めた。
「僕の能力については理解してもらえたとは思うけど、正直確証足り得る証拠がない。何より人間であったつくしさんに疑われていた身だ。つまり僕が嘘をついていて、つくしさんの言っていた通りだったらどうする? 西蔭も僕の味方で一緒になって村を全滅させようとしていたら?」
途中名を出された西蔭が野坂の名を呼んだが、黙っていろと言わんばかりの視線により直ぐに口を噤む。この言動により、野坂と西蔭の力関係もハッキリし、野坂の言うことも可能性の一つとして入ることになる。
「氷浦君の能力は信用足り得るものかもしれないけれど、ポッと出の僕の能力なんていくらでも嘘がつけるからね」
そう語る野坂の言葉に、明日人は少し引っ掛かりを覚える。あの先代の日記は本物だった。そして野坂自身もそれを信じて明日人に話をしてくれたはずだ。なのに今更それをなかったことに話を進めていく野坂に何か試されているかのような気持ちになって、明日人はさらに身を縮こまらせた。
「とにかく、坂野上君の言う通り第三者という可能性もいいけれど、何もわからない以上、様々な可能性に目を光らせて置いた方がいいだろう。だから僕はあえて自分が人狼のである可能性も提示した。そして、その上でのさっきのお願いになるんだけれど、僕の能力が本物かどうかを見極めて貰うにはこれが一番だと思ってね。鬼道さんには申し訳ないけれど、氷浦君に見てもらってもし鬼道さんが白ならば僕の能力の証明になるし、黒ならば人狼が吊れた上に僕という嘘つきも吊れる寸法だよ。悪くない提案だと思わないかい?」
「確かにそうかもしれないけど、どうして野坂は自分が疑われるのにその話をしたの?」
おずおずと小声で呟くように言う明日人に視線を向けながら野坂は答える。
「さっきも言ったけれど、もう既に疑われている身だからね。それと付け加えるなら疑いを晴らすには目に見える疑いの提示とそれの打開策を立てて実行に移すのが一番だからだよ。力の証明と疑心の打開。君達の手を汚すことにはなるけれど、同時にこなせると思ったんだ」
力強く答える野坂に覚悟を決めたのか。坂野上は強く拳を握ると頷いた。
「もう既につくしさんに票を入れてしまった身です。村の外から来た俺が野坂に加担するというのはなんだか媚びを売っているみたいですが、俺もこの村のために動きたいです。可能性を絞れるなら俺は協力します」
相変わらずの真っ直ぐさに気圧されながらも今度は氷浦も頷いた。
「俺の力を信じてくれた野坂のことを信じたい。それにこんな状況が続くのならばいつかは汚れるものだし、覚悟を決めるよ」
「自分は野坂さんを信じています」
西蔭もその流れに便乗するように呟く。
そして明日人に視線が集まるが、まだ選択出来ないのかあわあわとしながら視線を右往左往させる。反対だと言い出せる雰囲気でもなければ、反対する理由もない。それに野坂を信じたいと言う気持ちもあれば村の人間を疑いたくない気持ちもある。突然村に現れ、処刑という仕打ちを持ち込んだ鬼道のことを怪しんでいない訳でもない。しかし、本当にそれでいいのだろうかと言う気持ちもあり、明日人の心の中は揺れに揺れていた。
一言、自分も野坂を信じたい。
そう言って明日、鬼道に投票すればいいだけだ。だが、占いの結果によってはそれは人を殺すことになる。
人を殺したくない。
でも野坂を信じたい。
そんなジレンマを察したのか野坂は手をパチンと叩くと明日人に向かって指を指した。
「じゃあ明日人君は占いの結果が黒の時だけ鬼道さんに入れてくれればいいよ。その代わり白だった場合は誰に入れたか教えてくれないかな? そしてその理由を。そうすれば票が割れて鬼道さんが確実に処刑される可能性は下がるし、僕の力の証明はしにくくなるけど次に怪しい人の候補が出来る。二人はそれでもいいかな?」
それは明日人にとっては申し分ないほどの譲渡された条件だった。その反面、既に決意を決めた二人にとっては申し訳ない条件にもなっていた。が、二人はそれを快諾すると明日人に笑顔を向けた。
「難しい選択ですもんね。こんな状況ですし、俺は構いません。俺が決めたことですし」
「俺も。怖いけど自分の意思でやるって言ったから」
その二人の答えを聞いて、野坂は明日の手筈を簡単に伝えると時間も時間ということで今日は解散という事になった。半ば追い出されるかのように野坂の家を出る際、明日人のみ野坂に引き留められる。
「明日人君」
その声は少し震えている。
西蔭は空気を読んだのか、氷浦と坂野上だけを見送りながら自身も外へと姿を消していた。
「どうして二人に占い師のこと、話をしていなかったんだい?」
「それは」
話していた最中、野坂が最も聞きたかったであろうこと。明日人にだけ伝えた自身のこと。それを訪れる前に二人に話しておいてくれれば良かったのにと疑問を抱いたことだ。
信じてくれていないから?
単純に話す時間がなかったから?
信用しているが故に自身に説明させたかったから?
その理由を何となく聞いておきたかったのだ。
口論になった際は勢いで睨みつけてしまったが、話さなかった理由が彼なりにあるはずだと冷静になった今なら考えられた。その理由がもし、最初に考えていたものであっても受け入れられるだろうと思い直し、その疑問を口にした。
「言っても良かったのかどうか、悩んじゃって。勝手に言いふらしていいものなのかなってさ。結局、カッとなって言っちゃったんだけど」
そう言って明日人は苦笑を浮かべた。
その回答に少しホッとしながら、野坂は明日人の背を押した。
「そっか、信用されてないわけじゃなかったのか。ごめんね、いきなり引き止めて。気をつけて帰って」
「うん? ああ、野坂も気をつけて。また明日」
押されるがまま明日人は野坂の家を後にする。外には坂野上と氷浦、そして西蔭が出てくるのを待っていた。明日人が出てくるや否や、西蔭は直ぐに家の中へと戻っていく。
何か話してたのかと問う氷浦になんでもないと返しながら、明日に備えるため各自解散という流れになった。坂野上は自分のゲストハウスに、氷浦は今日のことを万作達に伝えるために寄り道をするという事だけを明日人に伝えると手を振って別れた。
一人になった明日人も大人しく家に帰ろうと帰路に向かったが、自身の家が見えた辺りで何か違和感を感じる。村外れにあるせいか、家の周りは村ほど明かりがなく帰る時はいつも真っ暗なのだが、今日はほんのりと明かりが見えている。誰かいるのだろうかと思ったが、用事がなければそうそう人が来るような場所でもなく、不審に思いながらも歩を進めると、どうやら明かりがついていたのは明日人の家そのものだったようだった。
現在一人暮らしであるはずの我が家に光が灯っているのは明らかにおかしい。朝は明かりをつけた覚えもなく、今日は一日ずっと外にいたはずだ。なら、誰が明かりを?
どきり、と心臓が高鳴る。
母が生きている時のことを思い出す。昔はこうして外が暗くなるまで遊んで、明かりの点ったこの家に帰っていた。
何故かその事を思い出してしまって、母が帰ってきているのではと、むしろ行方不明になっていた父が帰っているのではないかと思うと鼓動が早くなる。
齧り付くようにドアノブを回すとそこに想像していた人物は居なかった。
藍色の目。深い海の色をした髪。
目の前にいるのは、今朝姿を消したはずのあの日助けた影のような少年だった。