一匹狼の見る夢   作:織倉こた

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第二夜 「信頼」

 ユラユラと水面に揺られるような感覚の中。

 深い深い闇の中、一筋の光が差し込んだ。

 ぼんやりとしている意識の中でそれを掴もうと必死に手を伸ばすが、それには届かない。

 光がどんどん遠のいていく。

 行かないで。

 声にならない叫びを上げながら、遠のく光に腕を伸ばすが光を掴めないまま光を見失う。

 再び深い深い暗い闇の中で一人、ぽつんと取り残された自分は何故ここにいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 人が死んでも自分が生きている限り朝は来る。いつもと変わらない朝。しかし、今日はいつもと少し変わっていた。

 明日人の目の前には彼がいる。

 今まで部屋の隅で縮こまっていたはずの影。

 彼は明日人の視線に気がつくとにこりと笑った。

 昨晩、一星充だと名乗った彼は何事も無かったかのように明日人に朝食を振る舞うと今日からは自分も村に降りると言って準備をしていた。しかし、今の村の状況を考えるとそれは危険な行為だと明日人は咎めたかったが、上手く言葉が見つからずに気がつけばいつも村に降りる時間になってしまっていて、いつの間にかしっかりと外見を整えた一星は急かすように明日人の手を握る。

「明日人くん、そろそろ時間ですよ」

 今更家にいろと言って口論になると面倒だと考えた明日人は大人しく腰を上げると急かされるまま村へと足を運んだ。

 

 

 村に着くやいなや目に入ったのは俯き涙を流す氷浦と岩戸、そして怒りをぶつけるように地面を何度も足で叩くように地団駄を踏む剛陣の姿だ。しかしそこにもう一人、いつも居た人物の姿が見当たらない。

 嫌な予感がジワジワと迫ってくる中、明日人は恐る恐る泣き喚く友人らの元に近寄ってみるとその先にようやく見当たらなかった人物の姿が見えた。地面に横たわるようにしているその人物の顔は蒼白で、いつもの血色のいい肌は何処へやら。変わり果ててしまったその人物の周りは赤く染まっており、それが血だと言うのを理解するのにかなりの時間がかかってしまった。

「万作……?」

 名前を呼ぶが返事はない。

 故途切れた人形のようにピクリとも動かない万作は既に息を引き取った後だった。

 胸には大きな爪のようなもので引っかかれたような傷跡とそれ以外にも抵抗したのかあちこちに切り傷が痛々しく残っている。その傷跡から大量の血を流し絶命している万作の姿を見た明日人は大きく目を見開き、呼吸を忘れたかのように唖然としてしまっていた。

 昨日まであんなに元気に会話をしていたのに。どうして。

 膝から崩れ落ちると同時に涙が溢れる。

 ボロボロと流れる涙に、昨日は泣けなかったクセにどうしてこうも今は涙が流せるのだろうかと自傷気味な笑みも零れる。笑っている場合ではないのに笑ってしまう人がいると言うが今の明日人のような気持ちなのだろうか。なんで、何故、どうしてと考えながらも涙と乾いた笑いが止まらない。

 感情が壊れてしまったかのように泣きながら笑う明日人の肩に手を置いたのは一星だ。何を言うわけでもなく、ただ慰めるかのように置かれた手によって現実に引き戻された明日人は泣くのをやめると立ち上がる。

 今回もこうして犠牲者が出てしまった以上、またあの処刑が始まる。ここで壊れてしまってはまだまだこの先続く悲劇に耐えられなくなってしまうだろう。「大丈夫」と誰かの問いに答えるわけでもなく呟くと案の定現れた村長、趙金雲の方を見た。

「残念ながら、本日も被害が出てしまいました……。今日は亡くなった万作くんを弔い、その後投票タイムとしますので、弔いながらも投票先をしっかり皆さんで話し合って下さいねぇ」

 と、幾分か他人事のように告げる趙金雲。

 そしてその言葉通り速やかに葬儀の手配を進めていく周りの人々は、もうこの非日常だった日々に適応してしまったのだろうか。テキパキと段取り良く行動を進めていく。

「よう、明日人」

 いつもの前向きな元気さは何処へやら。ようやく泣き果たしたのであろう剛陣が明日人に声を掛ける。その呼び掛けに他の泣いていた二人も明日人の存在に気がついたようで、涙を必死に拭うと駆け寄ってきた。

「おはようございます、剛陣先輩。それから、氷浦もゴーレムも。……その、こういう時どうすればいいんでしょうかね」

 沈黙。

 いつもならこういう時万作がいの一番に質問に応えてくれていた。しかし、もうそれもなければ、あの声も聞けない。目の前で村人の手によって埋葬される万作だったものを眺める度に、もうこの世に万作が居ないのだと知ら示されているようで、いたたまれなくなる。

 それはここにいる全員同じようで、閉ざした口を誰も開こうとはしなかった。ここで答えてしまえば、万作がいなくなったのを認めてしまうようでそれが怖かった。

 だから、明日人も答えを求めなかった。

 ひょっとしたら万作が起き上がってきて、冗談だからそんな顔をするなと言ってくれそうな期待をまだほんの少し抱いてしまっていたからだ。

 もちろんそんな奇跡のような喜劇のようなことは起こる訳もなく、せめて安らかに眠れるようにと閉ざされた瞳の上に最後の土が被された。

 速やかに行われた葬儀。墓の前に手向ける花を添える頃には全員完全に落ち着いており、話題を逸らすように今日の投票についての話になっていた。

 既に昨晩、氷浦によって野坂の話を聞いていた面々は未だ姿を見ない野坂のことを話題にしている。

「ところで、その昨日言ってた鬼道に入れるっつー話だけどよ、その肝心の野坂はこんな時に何やってんだよ」

 剛陣の言葉に、岩戸も不安そうにその巨躯な体を縮こまらせている。

「葬儀にも出ない、投票時間は迫ってる……大ピンチでゴス」

「まあまあ、みんな落ち着いて。きっと野坂にも事情があるんだよ。坂野上も誘って、野坂の家に行こうよ」

 そんな二人を落ち着かせるように氷浦が諭すと同じことを考えていたのか、ちょうど坂野上が此方に手を振りながらやってきた。

「皆さん、この度はその、万作さんのことご冥福をお祈りします。それで、昨日の野坂さんの話を皆さんも聞いているんですよね? 時間も時間ですし、野坂さんの家に行きませんか?」

 氷浦と同じ提案をしながら、既に足は野坂の家に向けている。投票までの時間が押しているせいでか自然と全員急ぎ足になりながら野坂の家へと向かっていた。

「入れ」

 いつも通り西蔭に迎え入れられながら、五人は家に押し入るようにお邪魔すると狭い家の中、ベッドの中に苦しそうに横たわる野坂の姿があった。

「やあ、いらっしゃい……。すまないね、こんな姿で。少し体調が著しくないようでこの姿で失礼するよ」

 いつもの様に気丈に振舞ってみせているが、苦しそうな呼吸やその表情から少しどころかかなり体調が良くないのが伺える。外に出ることは愚か、体を動かすことですら困難そうなその様子に押しかけた一面は各々心配気な表情を浮かべる。

「占いの結果を聞きに来たんだろう? 時間があまりないようだから、結果だけ伝えるよ。鬼道さんは……白だった。紛れもない人間だ」

 しかし、心配を掛けまいとか、野坂は本題を切り出してはいつもの様に淡々とそれを告げる。起きだそうとしているのを西蔭に咎められながらも上体を起こし、対面する。いつもの儀式めいた仰々しい姿ではない、就寝用の軽装の彼は体調も窮まってかいつもより弱々しく見えるがその目だけはいつもの変わらない真っ直ぐな目をしていた。

「投票自体は君達に任せる。昨日の手筈通りに投票しようがしよまいが、誰が誰に投票したかなんて簡単に偽れるからね」

 一人一人の顔色を窺うように見て、最後に明日人と目を合わせる。まるで君はどうする? と問うような視線に明日人が俯くのを見て「ああ、そうだ」と野坂は言葉を続けた。

「昨日聞きそびれていたのだけれど、投票に来なかった人の分はどうなるのかな? 昨日は僕も西蔭も投票に行けていないんだけど」

「投票に来なかった人は自分に票が入るようになってるみたいです。でも開票は村長と子分さん任せですので、実際どんな風になっているかは分からないですけど」

 野坂の問いに答えたのは坂野上だ。

 その答えに「なるほど」と一つ返事で返しながら、体調が悪化したのか野坂は酷く咳き込んだ。

「野坂さん、いい加減横になってください」

 その様子を見て、西蔭が誰よりも早く野坂に駆け寄ると上体を支えた。もう少しとわがままを言いながら抵抗する野坂を半ば無理やりベッドに押し付けると、邪魔だと言わんばかりに明日人達を睨みつけた。

「野坂さんはこの通り体調が優れない。用が済んだのならば、早々に出ていってくれ」

 抵抗する力もないのか、あまりの形相に諦めたのか。野坂は大人しくベッドに収まりながら困った笑顔で面々に目配せすると、手を小さく振る。そしてそんな西蔭に追い出されるように野坂の家を出た五人は、家の外で待っていた人物と目が合った。

 一星だ。

 ずっと外で待っていたのだろうか。彼は出てきた明日人達に笑顔を向けると「お疲れ様でした」と声を掛ける。

「一星……」

「誰だ、こいつ。明日人の知り合いか?」

「あっ、初めましてですね。一星充です。明日人さんに危ないところを助けて頂いてからしばらくお世話になってました。これからももう少しお世話になる予定なので、よろしくお願いします」

 訝しげな表情の剛陣の言葉に答えたのは問いかけられた明日人ではなく一星本人だ。昨晩、明日人が帰ってきた時と同じく満面の貼り付けたような笑みで剛陣に近付くと握手を求める。流れるような動作に気圧されたのか、求められるがまま握手をし返すと驚いた表情のまま明日人に視線を投げかける。そんな視線を受け取った明日人は明日人で、まだお世話になる、という聞いた覚えのない言葉に苦笑を返すので精一杯だった。

 そこで広場の鐘が鳴った。

 昨日にはなかった鐘の音。

 しかしそれが投票の始まりを告げる鐘の音だと村の誰しもが直感的に理解した。

 大きく村中に響くその音にそれぞれの思惑を抱えながら処刑台の前に皆が集まる。もちろん、顔ぶれは昨日と同じようなもので居ないものもいる。そんな中、明日人は昨日はいなかったはずの人物を見掛けて少し驚きながらもその人物に話し掛けた。

「ヒロトがこんな場に出てくるなんて珍しいな」

 明日人に呼ばれた吉良ヒロトは鬱陶しそうに振り向くとお前かと言いたげな目線を送る。

「おー。居ちゃ悪ぃみたいな言い方だな。タツヤが来い来い言うから来てやったンだけどよ、やっぱつまんねーから帰っていいか?」

「ダメだって言ってるだろ。まったく。村の決め事には参加しないと。それに、参加しなかったことでヒロトが疑われて死ぬのも嫌だ。ちゃんと村人だって証明もしなきゃ」

 明日人との会話に入ってきたのは、いつもヒロトの隣にいる基山タツヤ。基山は家に帰ろうとするヒロトを引き止めるように否めると、ヒロトの腕を掴む。その力が強かったのか、気持ちに負けたのかは分からないが、ヒロトは観念したように「へいへい」と答えると、帰るのを諦めたようだ。

「んでよ、稲森はなんか用があったわけ?」

「ああ、いや。珍しいなって思っただけ。こういう村の行事……ってわけじゃないけど集まりに参加しないからさ」

「こんなつまんねーことに興味はねぇよ。ただ、今回はタツヤがあまりにもうるさかったから来ただけ」

「そ、そっか」

 ヒロトの後ろで睨みを効かせる基山に目をやる。明日人の視線に気がついたのか、一瞬だけ微笑みを見せたが、直ぐにヒロトの監視へと戻ったようだ。

 二人は昔馴染みのようで幼い頃からよく一緒にいる。しかし、性格がまったく正反対と言ってもいいぐらい二人は極端で、本人達もたまにそこで衝突をしているようだ。優しくみんなから頼られる基山。雑で自分勝手なヒロト。が、それが上手く互いにハマったのか喧嘩なりなんなりはよくするが、互いに認めあって居るようだ。

「そろそろ投票が始まるよ。稲森くんは戻らないのかい?」

 そう言われて処刑台を見る。子分が昨日と同じ投票用紙を手に抱え、準備をしているのが見えた。また、と軽く手を振って明日人は氷浦達の輪に戻った。

「どこいってたんだ?」

「珍しい顔を見たからさ、ちょっと挨拶に」

 氷浦の問いに答える間にいつの間にか用紙を配り歩いていたはずの子分が目の前に現れて「どうぞ」と用紙を渡してきた。何故か自然とお礼の言葉が出てきながらもそれを受け取ると、用は済んだとばかりに「ささっ」と擬音語を自ら発しながら子分は離れていく。

「それで、明日人くんは今日誰に入れるんですか」

 なんの疑いもなく、さも当たり前のように投票用紙を渡された一星が呟くように明日人に囁いた。彼の視線は明日人ではなく投票用紙で、何かを考えるようにその目を伏せている。

「……今日も自分に入れようと思う」

 その答えを聞いて、一星は呆れたようにため息をついた。

「やっぱ変なやつ」

 聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でそれだけ呟くと、一星はそこに鬼道の名前を記入した。そして投票用紙を丸めると箱に投函する。後は結果を待つだけだ。

 全員の投票が終わり、票が開封されている間に明日人は一星に問いかけた。

「そう言えば、一星は誰に入れたの?」

「僕ですか? 僕は……鬼道さんに。昨日色々な方のお話を聞いて、鬼道さんに票を固めると聞いたので」

「そう……」

 そう言えば昨日は村の方に挨拶に出ていたと言っていた。それなのに村で会わなかったのを少し不思議に思いながらも、そうこうしているうちに投票結果が出たようだ。

「本日の処刑は鬼道君に決まりました」

 二度目にして既に皆慣れてきたのか、昨日ほどのどよめきはない。慣れたのか、村人では無いからなのかは分からないが、名前が告げられた瞬間しんと静まり返った。しかし、その結果に一人納得出来ない人物が趙金雲に掴みかかる。その人物────灰崎はその長い髪を振り乱しながら、声を荒らげた。

「なんでそうなるんだよ。鬼道は村の為に頑張ってんだろうが! 何か不正でもしたんじゃねぇのか!?」

 掴み掛かられながら、趙金雲は首を振ると憐れむような瞳で灰崎を見る。

「不正を疑うのならば確かめて見ますか〜? 確かめたところで結果は変わりませんけど」

 そう冷たく言い放ちながら、開封された投票用紙が詰められた箱を子分に持ってこさせる。それが逆に煽ってしまったのか、灰崎は掴みかかったまま拳を振り上げた。

「灰崎」

 それを止めたのは鬼道だ。振り上げられた拳を手で制すように触れるとそのまま下げさせ、灰崎の前に立つ。その毅然とした姿に灰崎は何も言えずに大人しく従うしかない。鬼道本人のために怒っていたのに、本人に止められてしまったのだから。

「ハッ、大した腰抜け野郎だぜ。飼い慣らされた犬見てぇだな」

 が、その様子を見ていたヒロトが灰崎に向かって煽るように言うと、再びその瞳を怒りに燃やしながら灰崎はヒロトを睨みつけた。睨まれたヒロトはと言うと、何事もなかったかのようにヘラヘラと笑みを浮かべ、挑発に乗ってきたと言わんばかりの態度である。

「なんだよお前。急にしゃしゃり出てきて人を犬呼ばわりとはいい度胸じゃねぇか」

「はん。人狼じゃなくて人犬ってか。ワンワン吠えてまあ、元気な事で」

 売り言葉に買い言葉。鬼道の処刑について講義していたはずが、いつの間にか二人は睨み合いながら互いに罵倒の言葉を売り買いし呆れたように二人の間に当の鬼道と基山が割って入る。一旦二人は口喧嘩を中断しながらも互いに睨み合うことはやめなかった。

「自分で言い出した処刑(こと)だ。投票の結果そう決まったのであればそれに従うのが責任と言うものだろう。否、しかしまあ、いざ死が迫るとこうも冷静になれるものなんだな」

 と、鬼道は今だ睨み合いを続ける灰崎に呟いた。その声は珍しく少し震えているようで、その言葉が強がりなのだと灰崎は気がついた。しかし、本人がそう言うのであれば、そう決意を決めたのであればそれを引き止めるのは、義に背くことになるだろう。ヒロトに向けていた視線を一度鬼道に向けると唇を噛み締めながら俯いた。

 そんな灰崎を見て、鬼道は柔らかに微笑むと肩を軽く叩くと処刑台に向き直る。

 目の前に聳え立つ大きな処刑台に鬼道は緊張したように唾を飲み込む。ゴクリと喉がなり、今までの色々な思い出が甦っては消えていった。これが所謂走馬灯というものか、などとそれを他人事のように感じながら震える足で一歩一歩と縄に近寄っていくその途中、ぞくりと何者かの視線を熱く感じて歩みを止める。処刑を見守る村人達の中、こちらを見ながら口元に笑みを浮かべている見知らぬ人物が目に入った。

 一星だ。

 一星は処刑台に歩み寄る鬼道を見ては好奇に満ちた瞳と笑みを浮かべていた。誰もが苦痛に耐えるような表情を浮かべている中、やけに歪に映るその笑顔に鬼道は違和感と嫌悪感を同時に感じた。

 急に歩みを止めた鬼道に気がついた灰崎は鬼道と同じように村人達へと目を向ける。そして鬼道と同じように一星の姿を見つけては、首を傾げた。

「誰だ、あいつ」

 もう既に一星の表情に笑みはない。周りと同じように処刑の行く末を見守るなんとも言えない表情になっていた。灰崎の目にはもうただの見知らぬ村人としてしか映っていなかったが、鬼道の目にはその笑顔が焼き付いて離れない。

 まるで処刑を待ちわびていたかのようなあの表情。

 一星の他にも好奇の目で処刑を見守っている人物はいる。しかし、その中でも一際目立つのが彼だった。

「鬼道君、どうかされましたか? 今更怖くなったとかありませんよねぇ」

 まるで動かなくなってしまった鬼道を急かすように趙金雲が声をかけた。その問いに弾かれたように顔を向けると一星を指さし、早口で問いかける。

「いえ、そんなことはありませんがあの、彼は一体……」

 指された指先の方を見てそこに見えた一星の姿を確認すると、趙金雲は短く「ああ」と頷いた。

「彼は一星君です。この前の土砂崩れで怪我をした所を稲森君に助けてもらったとかでそれからお世話になっているそうです。昨日挨拶に来てくれましたよ」

 それがどうかしたのかと言いたげにサラリと答える。

 その言葉を聞いて、鬼道は何か信じられないものを見るかのように目を見開いた。

「土砂崩れ……怪我……」

 灰崎と共に人狼を追ってこの村に来た時の天気は大雨。山奥にあるこの村の近くでは多くの土砂災害があったそうで、所々道が閉鎖されていたりした。怪我人や死傷者はあまり確認されていないが、あの時追っていた人狼も確か土砂崩れに巻き込まれかけて怪我をしたはずだ。そこを詰めていたのだが見失い、近くにあったこの村に匿われたとふんで滞在していたのだ。

 あまりにも、出来すぎている。

 あの時は暗く、人狼の姿をあまり良く確認できていない。しかし、向こうが夜目が効きこちらの姿を知っていたのならば? 先程の笑みにも納得が行くのではないか?

 嫌な予感だけがぐるぐると思考して行く。

 もし、ここで自分が吊られてしまえばそれこそここまで頑張ってきたことが全て無駄になる。しかしここで彼が人狼かもしれないと発言したところで信じてくれる人物はほぼほぼ居ないだろう。既に処刑されることが決まってしまった自分の身であいつが人狼のだと声を上げたところでそれこそ自分が人狼だと疑われても仕方のない事なのだから。

 もう既に処刑台(この場所)に立った時点で、ここに祭り上げられてしまった時点で負けは決定してしまっているのだから。

 唇を噛み締める。

 何故もっと早くに気が付かなかったのかと。

 せめて彼の存在を知っていれば、このようなことは起こらなかったかもしれないのに。

 そろそろ待たされることに緒が切れたのか、先程のまで不安そうに見守っていた村人達が口々に責め立てるように鬼道を急かした。やるならやれと、早く終われと、追い込むように騒ぎ立てる。

「くそ……っ」

 そんな声に急かされるように、鬼道は舌打ちをすると囃し立てる村人達に睨みを効かせている灰崎に近寄る。

 何事かと灰崎が耳を寄せると鬼道はこう呟いた。

「一星だ。あいつが俺達の探していた人狼だ。あいつからお前がこの村を守り抜け。絶対にだ」

 それを聞いて、灰崎の顔色が変わる。

 そして明日人の横で心配そうに事を見送っている一星を見た。他の村人達と変わらない普通の人間。なのに何故、鬼道は彼を人狼だと言い放ったのか。

 再び鬼道の方を見ると、もうそこに鬼道の姿はない。

 処刑台の縄に手をかけ、己の首にその縄を通すところだった。

「待て鬼道!」

 まだ聞きたいことがある。そう叫ぼうと手を伸ばしたが、灰崎を見る鬼道の顔がとても穏やかで声が上手く出てこなかった。まるであとは任せたと言わんばかりのその表情をどう捉えればいいのだろうかと。そう悩んでいるうちにその首に縄が掛かり、伸ばしたその手の先で、鬼道は処刑台から飛び降りた。

 しばらく苦しむようにもがく様に腕を動かすその生々しい様を眺めているうちに、だんだんと力なくその腕が垂れる。その間、灰崎は何もできなかった。何も言えなかった。

 ただ、目の前で苦しむ仲間の姿を呆然と眺めているだけ。

 どうして、鬼道が。

 どうして、目の前で死んでいるのが。

 彼なのかと。

 考えているうちに膝が床に着く。

 こういう時、どういう表情をしたらいいのだろうか。そう考えているうちに、物言えなくなった鬼道の体は村人達の手によって処刑台からやや乱暴に引きずり下ろされていった。

 鬼道の葬儀も相変わらず迅速に行われた。

 しかし、参列したのは数人ほどで灰崎は鬼道の眠る墓標をただただ眺めながら、拳を握りしめる。

 どうして、こうなったんだと自分を責めながら墓石に向かって大きくその拳を振り上げながら、行きどころのなくなった拳を下げては俯いた。手向けられた花が自然と目につく。こんな時なのに鮮やかな花々が何故か恨めしく思って、行き場のない憤りをそのままぶつける。

 何度も何度も花を踏み潰しては、どうしてこんなことをしているのかと自分でも分からなくなったのか、灰崎は狂ったように笑い声を上げる。

 その様子を見ていた明日人は、手向けに来た花を落とすと灰崎を羽交い締めにしながら止めた。

「何やってるんだよ灰崎! 鬼道さんのお墓だぞ!」

「うるせぇ、お前に何が解る!」

 しかし、抵抗した灰崎に思いっきり突き飛ばされると勢いよく尻もちをつく。その際、グギッと足が嫌な音を立てた。その音に灰崎は我に返ったのか、ハッとしながら明日人に向き直る。

「わ、わりぃ。そこまでするつもりじゃ……」

 そう言いながら倒れた明日人に手を差し出すと、申し訳なさそうに瞳を揺らした。

「平気だよ、これぐらい。それより、灰崎の方こそ大丈夫か?」

 差し出された手を握りながら立ち上がると土を払い、先程落とした献花を拾い上げる。そして、灰崎に踏まれた花と一緒に添えるとそのまま墓の前で手を合わせた。

 質問に答えず、灰崎は明日人の背中を眺めながら己がやった行為を冷静に考えては舌打ちをする。

 墓の前で一体何をしでかしてしまったのか。

 そう思うと自己嫌悪で心が澱んでしまいそうだった。

(灰崎こそ、大丈夫か?)

 先程問いかけられた言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 大丈夫なわけが無い。ずっと信頼していた師を目の前で失ったようなものなのだから。

 そう、強がっていた自分に気がついて、いつの間にか灰崎の目から自然と涙が流れ落ちていた。

「なっ、灰崎泣いてるの?」

 黙祷を済ませた明日人がその様子に気がついたらしい。顔を覗き込むように心配そうな表情を浮かべては静かに涙を流す灰崎を見た。

「ちげぇよ、これは……汗だ」

 誤魔化すようにそういうと慌てて涙を拭う。

 そんな雑な誤魔化しにも関わらず、明日人は何も言わずに「ふぅん」と興味なさげに呟いた。ここでからかわなかったのは彼なりの気遣いなのかも知れない。

「それより、あんがとよ。鬼道の見送りに来てくれて」

 話題を変えるように灰崎はそう呟いた。もう今日も日が暮れる。まだ色々なことが始まって二日目だと言うのに長い長い時間を過ごしたような気分だ。

 これでこの村で四人目の死者になる。

 理不尽な、死ななくても良かった人達の死だ。

 それは村の人も村の外からやってきた人も変わらない。尊い命。

 それがこんなにも簡単にあっさりと失われてしまった。

 明日人はそれがとても悔しかった。何故、こんなことになったのかと何度も何度も墓標を見ては唇を噛み締めたぐらいだ。

「別に。鬼道さんだって人間だ。ちゃんと最期まで弔ってあげるべきだよ」

 そう答えた明日人に少し驚きながら、灰崎は鬼道の墓を見た。怖かっただろうに逃げ出さずに死んだ鬼道。目の前で、柄にもなく少し震えながらも最期まで立ち続けた彼のことを思い出しては、また涙が溢れそうだった。

「ああ、そうだな。アイツは最期まで立派に人狼と戦った。すげぇよな」

 溢れそうになった涙を寸で止めながら、灰崎は決心したように空を見る。日が落ちかけた空は相変わらず綺麗で、こんなにも残酷なことが行われているのを忘れてしまいそうだった。

 空気を吸う。こんなにも血にまみれた残忍な場所でも空気は変わらず美味しい。

 色々と変わってしまったのに、こうして変わらないものもあるのだと、当たり前のことを忘れてしまっていた。

「なあ、明日人」

 不意な名前呼びに驚きながら、首を傾げながら明日人は灰崎を見る。

「……少しだけ、話を聞いてもらってもいいか?」

 少しだけ震える声で灰崎はそう言った。

 

 

 話を聞いて欲しいと言う灰崎にゲストハウスに招かれた明日人は少し緊張しながら案内された椅子に腰掛けていた。人の家に招かれるのが別に初めてではなかったが、まさか灰崎にこうして招かれるとは思っていなかったからだ。

 お茶を入れると言って一人キッチンに向かった灰崎を待ちながら、明日人は部屋を見渡す。ゲストハウスは村の外から来た客人に数日家そのものを貸すために村長である趙金雲が用意したもので、賃貸だからだろうか部屋にはあまりものが置かれておらず殺風景な印象を与えられた。明日人の家と同じく最低限の家具、こちらに来る時にもってきたのであろう一括りの荷物。そして、鬼道の分の荷物だ。

 ゲストハウスにも限りがあるということで二人は一緒にここを借りていたようで、その荷物の主が今いないということを思い返して明日人は目を背ける。

 そしてちょうどいいタイミングで湯気の立つ二つのカップを手にした灰崎が現れた。

 灰崎はカップの一つを明日人の前に置きながら無言で向かいの席に腰を下ろす。一口だけカップに口をつけると、早く飲めと言わんばかりに明日人を睨みつける。

 睨まれた明日人も灰崎に倣うように出されたお茶を飲むと、暖かい液体が身体をめぐり少し冷えていた身体を温めてくれた。

「そう言えば、話って何?」

 話を切り出すタイミングを伺っていた明日人はカップを置きながら問いかける。灰崎は少し悩んだように眉間に皺を寄せながらも、カップを置いた。

「鬼道のこと、少し話しておきたくてな」

「鬼道さんのこと?」

 何故今更自分に、と思いながらオウム返しをする明日人の方を向きながら灰崎は一つ呼吸を整える。

「この村が人狼の事をどう思っているかは理解した。その上での話だから信じられないかもしれないが……鬼道は“占い師”だったんだ」

 決心したよう吐き出された言葉は、明日人にとって少し予想外のものだった。

「アイツはこの村を助けようと、人狼を見つけようと色々と見て回っていた。その結果考えたのがあの“処刑”だったんだが、まさかこんな形になるなんてな。ホント笑えねぇよ」

 まるで独り言を言うように語る灰崎を眺めながら明日人は息を呑む。

 鬼道も占い師だった。

 それはなかなか衝撃で、思いもよらぬところで爆弾を投げ入れられた気分だ。しかし、それならそれでどうして灰崎は今頃自分にだけそれを教えたのだろうか。

「鬼道さんも占い師だったんだ……。でも、なんでそれを今俺に?」

「鬼道“も”? この村じゃ人狼も占い師もみんな御伽噺なんじゃないのか?」

 明日人の言葉に俯いていた灰崎は顔を上げる。その顔は驚いたように目を見開いており、食いつくような勢いだった。

「人狼が現れるまではそうだったよ。でも、現にこうして人狼がいて、そして占い師もいた。俺は灰崎の話信じるよ」

「それはいい! 鬼道もってどういうコトだよ。他にも占い師がいるのか!?」

 掴みかかるほどの勢いで机に前のめりになった灰崎に少し怖気ながらも、明日人は頷いた。

「あ、ああ。野坂って知ってる? 普段あまり外に出ないんだけど、アイツも占い師だったんだ。占った結果、灰崎も鬼道さんもどっちも人間だったって……」

 おっかなビックリな様子で答える明日人を見て冷静になったのか、灰崎は再び席に着くと大きなため息をついた。疑われたのが心外だったのか、自分達が人間だと言うのは当たり前だと言わんばかりのため息だ。

「なるほどな。ちなみに鬼道の占い結果は、不動と剛陣だ。どちらも人間だったみたいだがな」

「不動さんはまあ、分かるとしてどうして剛陣先輩なの?」

「昨日の夜、不用意に出回っていたらしい。人狼がでたって言うのに夜に出歩くのは怪しいだろってな」

 確かに、夜で歩いて怪しまれるのは当たり前だ。人狼の活動時間は夜、皆が寝静まったころなのだから、そんな時間に出歩いて人狼をだと怪しまれてもおかしくない。現につくしさんはその姿を大勢に見られ、ああして処刑されてしまったのだから。

「でも、多分それは……」

「ンだよ」

「剛陣先輩はハンターなんだ。猟師って言うのかな。人狼に対抗するために誰かの家を見張ってたのかも」

「ふぅん……」

 言われて少し考える素振りを見せたが、剛陣の思っていた想像と合わなかったのか灰崎は眉間に皺を寄せた。

「それより、灰崎はどうして狩人なんてやってるんだ?」

「は? いきなりなんだよ」

「何となく、気になって。ハンターも狩人も似たようなものだけどさ、剛陣先輩は狩りが好きでハンターになったって言ってた。灰崎にもそういう理由があるのかなって」

「……別に大した理由じゃねぇよ。昔、村を人狼に襲われた。その復讐だ」

 唐突な問いかけに一瞬顔を歪めたが、話すことがなかったからなのか、拒否する理由が見当たらなかったからなのか素直に答える。そして過去を思い出すかのように灰崎はそのまま語り始めた。

 

 

 

 

 

 とある村に幼い少年と少女がいた。

 二人は家も歳も近く、自然と仲良くなっていき二人でよく遊びに出かけたり、家の中でままごとをしたり食事を共にしたりすることが多かった。

 そして、順調に二人は成長していったある日。とある村人が死体となって発見された。その傷跡から人狼の仕業だと誰かが言い、家の外に出かけないようにと互いの両親に咎められた二人は人狼が見つかるまでの間、家族以外誰とも会わず引きこもるような生活を送ることになった。

 たまたま家の備蓄は有り余っていたので、引きこもる生活にはなんの不自由もなかったが、代わりに何も話題になることは無くいつ人狼が現れるのかと怯える生活を村人達全員は強いられることになっていた。

 疑心暗鬼が広がる中、いよいよそれぞれの備蓄も少なくなってきたというタイミングで村の外から人狼を探してやってきたという人間達がやってきた。名前は円堂、豪炎寺、鬼道と言う三人だ。歳は少年達とほぼほぼ変わらないにも関わらず、彼らは人狼を追い詰めるエキスパートなのだそうで、彼らの助力を得ることにした村人達は引きこもるのではなく、人狼を見つけ出し戦うことを選択した。

 久しぶりに会った少年と少女は再会を喜んだが、長い間家族以外と顔を合わせていなかったためなのか、数ある備蓄での生活が厳しかったのか、少女は以前よりも憔悴しきっており別人のようになっていた。

 人狼を探すのが始まって暫く、ようやく人狼が見つかったと報告があった。

 人狼は最近若い村娘と結婚した村の外の人間だったそうだ。

 が、人狼だとバレたその青年は追い詰められた時、近くにいた少女に襲いかかった。不意なことで誰も反応できなかったのと、少女に抵抗する力もなく、少女はそのまま息を引き取った。

 その後、円堂達三人と村人達が必死で押さえつけ人狼を処すことに成功したが、目の前で幼馴染を殺された少年は人狼に対して深い復讐心を持つようになった。

 その少年の名前は灰崎凌兵。

 後に村に来た鬼道と共に狩人として人狼から村を護る側として立つ人間になる男だった。

 

 

 

 

 

 灰崎は一通り過去、自分の村で起こったことを話終えると様子を見るように明日人の顔を覗き込んだ。その顔は何とも言えない表情をしていて、思わず覗き込んだこちらがギョッとしてしまうほどである。

「なんて顔してんだよ」

 終わったことだ、気にするなと言葉にはしなかったがそう伝えるように揶揄いの言葉を投げると、明日人は「だって」と渋るように声をしぼめた。

 目の前で二度も親しい人を亡くしたのだ。

 気にするなと暗に言われてもそんな話を聞いてしまうと気にせずにはしょうがない。明日人も母を目の前で亡くしているのだから、辛さは分かるつもりだった。

「ま、そんな感じだ。その後豪炎寺に狩人のことを教えて貰って、俺は次こそ茜のような犠牲を出さないようにって……思ってたんだがな」

 茜。それが幼馴染の少女の名前なのだろう。

 どこか愛おしげにその名前を呟いたあと、灰崎は思い返すように遠い目をした。

 護るために手に入れた力を上手く発揮できず、犠牲を出さないようにと誓ったはずがまたしても目の前で人を亡くした。自分の不甲斐なさに苛立ちが隠せず、自然と長い前髪をわし掴むとそのまま掻き乱した。

「灰崎の話は分かった。嫌なこと思い出させてごめん。でも、鬼道さんは円堂さん達と行動してたんだよね? なんで、灰崎と一緒に?」

「別に、勝手に話したのは俺だし気にしてねぇよ。ああ、鬼道の野郎はよくわかんねぇけど、円堂さん達が村を去ろうとした時村に残るって言い始めてな。それからは人狼を探して共に行動するようになっただけだ。まあ、人狼探しのイロハとかはアイツに教わったし、ちょっとした師匠……ってやつだったのかもな」

 ふ、と表情を緩める。

 しかし、何かを思い出したのか急に険しい表情をすると明日人の肩を勢いよく掴んだ。何事かと驚いていると、灰崎は慌てた様子で早口に言う。

「アイツだ! 一星、一星を知らないか!?」

 何故灰崎からその名前が、と思っているうちに正気に戻ったのか。灰崎はハッとしながら手を離すと出かける用意をし始めた。

「どうしたんだよ急に」

「一星だ。鬼道が、最後に言った。人狼はアイツだって」

「一星が? でも、どうして灰崎達が一星を知ってるの?」

「鬼道が処刑される直前、見つけた。んで、聞いた。なんで鬼道が急にそんなことを言ったのかは分からねぇが、聞いてみる価値はある」

 そう言いながらトントンと準備を進めていた灰崎は最後に愛用の弓矢を背負うと、まるで飛び出すような勢いで出ていこうとするので、明日人は慌ててそれを止めた。

「待ってよ。一星が何処にいるか知ってるの? それに聞くって言ったってそんな直ぐにでも危害を加えれるような格好で言ったってダメだよ」

「うるせぇ。先手必勝なんだよ、こういうのは」

「だったら、一緒に野坂のところに行こう。占って貰えば人狼かどうかわかるし、ついでに明日の話し合いもしようよ。まだみんな灰崎のことをよく思っていないかもしれないけど、目的は一緒だろ」

 その提案が意外だったのか、ドアノブに掛けた手を止め灰崎は明日人の方へ振り返った。

「いいのかよ、そんな簡単に信じて」

 その言葉は明日人に向けられたものではなかった。いや、向けられていたのは明日人なのだが、まるで自分に問いかけるようにそう呟かれた言葉に明日人は頷く。

「もちろん。仲間だろ?」

 

 

「君が灰崎君か。初めまして」

 差し出された野坂の手をぶっきらぼうに握り返しながら、灰崎は周りを見渡した。そこには今朝と同じメンツの七人が揃っており、それぞれ灰崎に向けて思うところがあるような視線を送っていた。あまり歓迎はそれていないのだと元々分かっていたが、こうもあからさまだと逆に笑えて来てしまう。

 自然と口元に笑みが出てしまっていてのか、剛陣がそこに噛み付いた。

「な、何がおかしい! さては俺らを笑いに来たな!?」

 その声は震えていて、精一杯絞り出した言葉なのだと直ぐにわかった。それが尚更おかしくて、指摘されたにも関わらず笑みは後から後から零れていき、声を出して笑ってしまっていた。

「おい明日人! こいつ大丈夫かよ!?」

「ええ〜と……。緊張してる、のかな」

「クク……、してねぇよ馬鹿かおめェは」

 剛陣と明日人の会話にしっかりとツッコミを入れながら、未だに不安そうに視線を送ってくる氷浦と岩戸、坂野上に向き直るとバツの悪そうな顔をした。

「お前らが俺の事をよく思っていないのはわかる。が、目的は一緒だ。ガラでもねぇが……協力、してやってもいい」

「灰崎!」

 どこまでも上から目線な灰崎を咎めながらも、きちんと言葉にできたことを嬉しく思ったのか明日人は微笑んだ。灰崎は灰崎で舌打ちをしながら目を逸らすと癖なのだろうか。手で前髪を掻き乱していた。

 その灰崎の素直な言葉に氷浦達は驚きながら同時に申し訳ない気持ちになったのか視線を下げる。が、素直な気持ちに押されてか氷浦が声を上げた。

「ごめん、灰崎」

「あ?」

 謝られた理由が分からなかったのか、逸らした視線を氷浦に戻すと威嚇するように目を細めかけて、慌てて正す。

「俺たち……今日の投票鬼道さんに入れたんだ」

 しかし、氷浦のその言葉に正した目を再び細めてから勢いよくその胸倉に掴みかかった。

 ガタンッとあまりの勢いにそのまま積まれた本達を崩しながら壁にもたれるような形になる。慌てて明日人と剛陣、西蔭が割って入るが灰崎の力は強かった。

「どういうことだよ。占い結果は人間だったのに、なんで鬼道に入れた!」

 吠えるようにそう叫ぶ灰崎を見下す形になりながら、足が浮いてしまうほど胸倉をキツく掴まれた氷浦は上手く声が出ない。苦しそうな表情だけが返ってくるが、それが尚更癇に障ったのか。灰崎はさらにきつく締め上げていった。

 明日人達も焦って早く降ろそうとするが三人掛りでも灰崎はその力を緩めなかった。

「その事については僕から説明するよ」

 見兼ねた野坂が三人に離れるように言いながら灰崎の強く握られた手に手を重ね、離すように指示した。逆上しきっていた灰崎は荒い呼吸のまま、しかし少し理性が戻ったのだろうか。氷浦の表情を見てゆっくりとその手を緩める。

 解放された氷浦は酷く咳き込みながら地面にへたり混んだ。

「占いのことは聞いたんだね。その通り、鬼道さんは白だった。でも、占い師の力なんて信じて貰えるわけがない。この村の御伽噺は君も聞いた事ぐらいはあるんじゃないかな? だから僕は僕の能力を信じてもらうために鬼道さんに投票してもらった」

「意味がわかんねぇ……。鬼道が人狼だったならまだしも、人間だぞ!? なんでわざわざ人を殺すような真似を」

「そこにいる氷浦くんが霊能者だからだよ」

 まだ熱の冷めきっていない灰崎に物怖じせずに、野坂は答えながら氷浦を指さした。座り込んだままの氷浦は名前を出されたことに今だ苦しそうな顔のまま灰崎を見る。

「霊能者……?」

「彼は死者の声を聞けるそうだよ。そう言えば、鬼道さんのことについてまだ聞いていなかったね」

 まるで考える時間を与えないように早口にそう告げると野坂は氷浦に手を伸ばした。その手を借りて立ち上がった氷浦は、まだ話を理解出来ていない灰崎を横目に見ながら鬼道と話した内容を思い出す。

「鬼道さんは、人間だった」

 その一言は、重く伸し掛るようにその場の鬼道に投票した者達に響く。そう、自分達は人を殺したも同然なのだから。

「俺達が鬼道さんに投票したことを伝えたけど鬼道さんは何も言わなかったよ。何か策があるんだろうって、そう言ってくれた。だから、俺達は絶対に人狼を見つけなくちゃいけないんだ」

 グッと拳を握る。

 野坂は重々しく話してくれた氷浦を見て、灰崎に目を向けた。

「これで僕が占い師の力は本物だと証明されたはずだ。明日の動きを決めて占い先を確定させよう」

「待て。どういうことだ? この、こいつの死者と話せるって話は本当なのか?」

「本当だよ」

 野坂に向けられた質問に答えたのは明日人だ。

「氷浦とはずっと昔から付き合ってきた俺は知ってる。霊媒師のばあちゃんから能力を受け継いで、ずっと頑張って悩んできたんだ。今更それが嘘だってことはないと思う」

 その言葉を語る明日人の瞳は真っ直ぐで、直感的に灰崎もそれが嘘ではないとわかった。そんな能力は直ぐに信じれるのに占い師の能力は疑うなど変な話ではあったが、ここがそういう村だっただけなのだ。今更ここで噛み付いても鬼道は戻ってこない。ならば、今ここにいるメンツを生かすのが鬼道の望みなのではないだろうか。

 そう考えれるほどに冷静になった灰崎は「そうかよ」と一言述べるとそっぽを向いた。

「灰崎君もそろそろ落ち着いたかな? 鬼道さんの件に関しては本当に悪いと思ってるよ。みんなの手を汚してしまって、大事な人を亡くしてしまった。けど、今更僕達は立ち止まれないんだ。次を見るしかない。それで、明日人君は結局誰に投票したんだい?」

 思い出したかのように話題を振られた明日人はドキリとしながら野坂を見た。そう言えば鬼道に投票しないのであればあやしいと思った人物を上げてくれと言われていたのを思い出したのだ。しかし、明日人は自分自身に投票しているし、誰かが怪しいなどと疑いたくもない。言葉に詰まりながら、小さな声で自分にと答えるので精一杯だった。

「自分に? 変なことをしたんだね。それで、鬼道さんに君に入れない場合の僕のお願い覚えているかな? 誰が怪しいと思う?」

 案の定、問いかけられた質問に明日人は口を噤んだ。

 自分に入れたと述べた時点で野坂は薄々彼が人を疑える人間ではないということに気がついていたのだろう。ここで口を噤んだ明日人のことは少し予想していたようで、諦めたようにため息をつくと、次いで灰崎を見た。

「灰崎君は誰に投票したんだい?」

「……不動ってやつ。初日に処刑に関してやたらと肯定的だったからな。普通村人だったら人が意図的に死ぬこのやり方を好むやつなんて居ねぇ。それを炙り出すのも処刑を提案した一つだった」

 灰崎のその言葉に、初日の処刑を発表した時のことを思い出す。風丸が意見を飛ばした時に乗っかるように発言した不動。確かに、風丸の意見は最もなものだったのだが、彼はそれを否定しまるで人狼が有利になるかのように上手くまとめてしまっていた。

「なるほど。確かにあの流れでの発言はまるで人狼側に有利を働くようだった。じゃあ今晩は不動さんを占うことに……」

「いや、占うなら一星だ」

「一星……? それは一体誰だい?」

 外に出ていない野坂は一星の姿を見ていないようで、急にでてきた知らない人物の名に首を傾げた。

「明日人くんの所でお世話になってる人らしいでゴス。なんでもこの前の土砂崩れで怪我をしたとかで」

 答えた岩戸の言葉に野坂は明日人を見る。

 言葉には出さないが、相変わらずのその視線に明日人は苦笑いを返すことしか出来ない。

「そんな子がいたのか。でも、残念。僕の知らない人は占えないんだ。その一星君を呼んできて貰えないかな?」

「それが、投票の後から姿が見当たらないんだ」

 まるで明日人に頼むような問いかけに、明日人はポツリと呟いた。灰崎も目を逸らしながら舌打ちをしている。

「そう。じゃあ今日はその一星君を占えない。だから今回は不動さんを占うことでいいかな?」

「その必要はねぇよ。不動は既に鬼道が占った。結果は白だ」

 灰崎のその言葉に明日人以外の全員が目を丸くした。

「まさか、鬼道さんも……」

「ああ、あいつも占い師だった。あまり不用意に明かして惑わすのも良くないだろうって秘密裏に動いてはいたがな。だから、お前が一星を占えない理由も納得出来る」

 思いもよらぬ事実に、投票先として指定してしまったことに後悔が生まれてしまう。村の外の人間がまさか、力になってくれるかもしれなかった能力持ちだったなんて予想していなかったからだ。

 もちろん野坂の日記にも他の占い師の家系があるなど書いておらず、完全にその可能性を見落としてしまっていたようだ。

「本当に悪いことをしたね。……そう言えば、どうして灰崎君はその、一星君を人狼だと疑おうと思ったんだい? まるで彼が人狼であることを確信してるかのような口調だったけれど」

「一星君は普通のいい人だったでゴス! 投票の時、紙を落としてしまったんでゴスがそれを拾ってくれて……」

 まるで庇うかのような岩戸の発言。しかしその言葉を制するように坂野上は彼の肩に手を置いた。それに反応して岩戸は続く言葉を飲み込んだ。それを見て、灰崎は口を開く。

「鬼道が、アイツが人狼だと言ったんだ。それが占いの結果だったのか勘だったのかは分からねぇ。でも、俺も何となくそう思ったんだ。一星は怪しい。早々に見切りを付けておくべきだと」

「一星君とまだ会えていないから詳しく彼を知っている訳では無いけど、土砂崩れと怪我、人狼の現れたタイミングを考えれば確かにその一星君が怪しいというのも分からなくはない。早急手を打った方が良さそうだけれど……」

「占わなくてもいい。鬼道のことを悪いと思うのならアイツに投票しろ。それがきっと鬼道の願いだ。それで被害が収まれば鬼道の言ったことは本当であいつも報われる。悪くねぇだろ」

 その発言にここいる一同は言葉に詰まった。

 確かにその通りだ。人間だった占い師だった鬼道の言葉。疑心を掛けてしまったことで奪ってしまった命。せめて、その最期の言葉ぐらい信じてもいいのではないだろうかと、一同の心は傾きかけていた。

 事実、先ほど野坂も述べた通り一星の登場タイミングは色々と人狼の動きと合致している。怪しさで言えばかなりの黒だ。占いはその人の本質を見抜く能力である。その占い師であった鬼道が怪しいと思ったのであれば、充分疑いの余地はあるだろう。

 皆が黙り、無言で意見が固まろうとした時、ようやく西蔭が動き始めた。

「野坂さんの体調は未だに完全ではない。時間もいい。意見が固まったのであれば、そろそろ出ていけ」

 そう言われ窓の外を見るともう日は落ち、夕飯の時間が近づいていた。お腹も空いたのか、皆は思い出したように立ち上がる。

「ごめん、野坂。お邪魔しちゃって。占いは野坂に任せるよ。俺は……一星に入れる。鬼道さんのこと、せめて最後の言葉ぐらいは信じたいんだ」

 そう言って、氷浦は拳を握りしめる。

 その言葉に同意するように、他のメンバーも頷いた。

「それが償いになればいいんですけど」

 坂野上のその言葉は少しだけ後悔が滲んでいるように聞こえたが、気持ちは同じのようでそれだけ伝えると野坂の心配だけ声を掛けるとすぐに自分の家へと帰って行った。それに続くように一人、一人と消えていく。最後に残ったのは灰崎と明日人だ。

「灰崎君、明日人君」

 そんな残った二人を野坂が引き止めるように呼ぶ。出ていこうとしていた二人は少しだけ顔を見合わせると野坂の方へと振り返った。

「明日からは僕も投票に参加できるように頑張るよ。それから一星君をここに連れてきて欲しい。できるかな?」

 その発言に一番驚いていたのは傍で聞いていた西蔭だ。恐らく野坂の体調を心配しての驚愕だったのだろうが、野坂自身の発言に対しては意見出来ないのかしないのか、彼はグッと堪えるように野坂を見つめる。

「ああ、わかってる。ま、その前に投票でおっちんじまうだろうがよ」

 ヘッと吐き捨てるように灰崎は答え、明日人も呼応するように頷いた。

「絶対に連れてくるよ。それじゃ、野坂。明日は元気になるといいな」

 手を振り、扉を閉める。

 もうすっかり外は暗くなっていた。

 人狼は今日も人を殺すのだろうかと、灰崎と二人明日人は肩を並べながらぼんやりと思いながら空を見上げた。


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