クロスロード   作:resot

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第3話 もう嫌なんだ

あまりにも退屈な午後のひととき。

それが、今行われている授業に対して、針宮翔太が感じている唯一の感情であった。

 

 

6限、古典。

この悪魔の言葉は全国の高校生を苦しめ、片っ端から欲の谷に突き落とす。ある者は睡眠、ある者はよそ事、あるものは放課後の寄る場所の想起。

 

とりあえずこの時間に古典入れたの誰だよ。出てこいっての。

 

 

 

ちなみに翔太を襲っている欲求は、わかりやすく言えば睡眠欲だった。

 

 

(ねっむ。)

 

 

 

とはいえ、この学校で授業中に寝るわけにはいかない。全国トップの私立高校、味沢高校。ここの生徒である以上、むしろ寝ている生徒の方が目立つ。授業に取り残されることを考えたら、そんなことしてる場合じゃない。知ってる限り授業中に寝る輩は、親友で天才の尚人だけだった。

 

翔太は寝ないように足を上下に動かしながら、意識を保つ。そして、ペンをくるくると回すことで何とか頭を働かせて乗り切る。

それが自分に与えられたオーダーだ。

まさにグランドオーダー。

 

 

そんなくだらないことを考えつつも、何とか意識を壇上に向ける。

別に勉強に対して投げやりになっているのではない。現に、今日も朝5時半に起きて世界史と日本史をざっと確認した。今日は世界史日本史両方ある時間割で、両方小テストがあったから。まあ、この二教科は得意だ。

現に、20点満点でどちらも18点だった。決して勉強への意欲がないわけじゃない。

 

 

ただ、どうも気が引けてしまうのだ。

 

 

 

(こいつが20点とりやがるしなぁ。)

 

 

 

チラリと隣を見ると、隣の席の女子生徒が真剣な目で授業を受けているのが見える。凛とした目が真っ直ぐに黒板に向けられ、時折ペンがノートを叩く音がはっきりと聞こえてくる。そこに雑念は一切ないように感じた。

全く、こいつは6限でもこれか。流石だな。

 

 

 

 

 

 

花村京香。

味沢にはどの学年にもナオみたいなやつが数人いるが、この女子生徒もそのうちの一人だった。その成績も当然ナオに匹敵するレベルの東大合格間違いなしのスーパー高校生。

 

 

 

 

そしてそんなやつと隣なのは、学内最底辺の翔太だった。

 

 

どういう運命だ。

 

 

しかも、この高校は基本的に席が一年間変わらない。更に言えば、こいつは去年も翔太の隣。翔太としては、日ごとに才能の差を見せつけられて完全に萎える毎日だった。

 

いかんいかん。ただでさえ苦手なのだから。しっかり授業を受けないと。翔太は慌てて前を見る。

 

 

壇上に立ち、チョークを握っているのは古典担当の若い女教師、若松先生。今日読んでいるのは、有名かどうか知らないが、古典ではよく取り上げられる伊勢物語の一節だ。

 

 

伊勢物語は、簡単に言えばモテる男、もといリア充の日記である。

だが、それがどうしたってんだ。

 

 

 

翔太は、国語という教科が苦手だ。

特に古典。そもそも長文を見るだけで嫌気がさすし、何を書いていいのかわからない。模試というのは、国語の冊子だけいつも分厚くて、見るたびに前の失敗を思い出してしまう。そんで、嫌気がさす。完全に負のスパイラル。

文法とか暗記事項はほぼ大丈夫なのに、本文に入った瞬間に読めなくなる。

何がダメなのかわからない。

だからやる気もあんまり出なくて…。

 

 

「ちょっと、針宮くん?大丈夫?」

 

 

机に体を預けてそんなことを考えながら先生の話を聞いていると、隣で声がした。

 

 

見ると、花村の顔がこっちを向いている。少し細いが、それでも大きな目に、授業中だからだろう、抑えながらも、透き通った声。

 

顔のパーツのバランスがいいとは言えないが、まあ、どこにでもいるレベルの美人といった感じの顔だった。

そんな花村は大変心配そうな顔をしているが、あいにくこっちは眠いのと退屈なだけ。

 

 

「あ、わりい。眠いだけだ。何?心配してくれたのか?」

 

「そ、そんなわけないじゃない。それよりも、授業中にそんな風でいいの?」

 

「よかねえけどさ。」

 

「針宮くんも志望、東大なんでしょ?だったら頑張らないと。」

 

「わあってるって。そんなの言われなくても知ってるよ。」

 

 

 

ふん、と前を向いてまたいつもの真面目な顔に戻る。

 

 

(ちくしょう。わかんねえんだよ。)

 

 

実際、割と真面目に授業は聞いているのだ。でも、何が今この物語の中で起きているのかわからない。わからないから、どうしようもない。

 

どんな模試をやっても、足を引っ張る教科はある。だが、そのせいで落ちるなどたまったものではない。

 

 

 

何とか、打開したいが…。

 

 

 

ただ、実を言うと打開策は、可能性は、あった。

 

ーーー今は、それに賭けるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校が終わると、翔太はすぐ荷物をまとめる。

 

 

「針宮くん、お疲れ様。」

 

「おう、お疲れ、花村。」

 

「明日も頑張りましょう。

なんかわかんないとこあったら聞いてね。」

 

「おう、ありがとな。」

 

 

とりあえず微笑んでおいた。愛想でもなんでも、好意にはきちんと笑顔で返す。親から教わったことだった。

 

 

つーかやめろ。そんな憐れむような目で笑うのは。

 

 

「勉強、ちゃんとするんだよ?」

 

「へいへい。」

 

 

まあ、全国屈指の天才にこんなこと言ってもらえるだけありがたい、か。

 

「わからないとこがあったら聞いて」とか言われて残念だが、翔太は自分から花村を頼る気は無い。ただでさえ、最底辺の自分の隣でやる気が削がれることだろう。バカの隣で勉強するというのは、きっと疲れることなのだと思う。さっきだって、自分に声をかけていて、授業がきちんと聞けているとは思えない。

 

 

ただでさえ、わかんなくて唸ってる時には声をかけてもらえてる。

 

 

せめて自分から迷惑をかける気はなかった。

 

 

(俺も頑張らなきゃな。)

 

 

その雰囲気だけ、そう思わせてもらえれば十分だ。

 

 

「上からだな。でもありがとな。」

 

「…どう、いたしまして。」

 

 

花村は何だかんだいいやつだ。最後歯切れ悪くなって下向いちゃったけど、なんかあったかな?

ま、いいか。

 

 

「おーい、ハリ!」

 

 

入り口を見ると、尚人が笑顔で手を振っている。あまりに声が大きくて、ドアの脇の子がびくっ!と肩をあげた。

全く、尚人は声が大きすぎる。

 

 

「うるせえって、ナオ。行くから!んじゃあな、花村。」

 

「ハリ…ハリくんか。」

 

「花村?」

 

「ん、んん?!何でもないわよ!じゃあね!」

 

 

ふん、とそっぽを向かれる。つっけんどんにされたことに、翔太は首をかしげる。

 

 

(何だ、この人。)

 

 

よくわからないことも多いけど、花村は天才。これは変わらない。

 

 

(まあ、いっか。)

 

 

翔太は逃げるように机に座った花村を横目に、カバンを肩にかけて、尚人の元へ向かう。頭を抱えてぶつぶつと何か言う花村は、間違いなくなんか悩んでるっぽかった。

でもまあ、そんなに気にしなくていいか、と思いながら翔太は目を切る。

 

 

(…ま、花村の考えなんてわかってもついてけねえだろうしな。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にしてもよ、週末の模試、めんどくせえよなぁ。」

 

下校しながら、尚人がかるーく言う。

それを聞いて、翔太は顔をしかめた。たしかにこの週末には模試があって、それがある意味、志望校との距離を図り、今年の方針を決める模試である。

 

 

何が言いたいか、というとめんどくせえで片付ける軽い模試じゃないってことだ。

 

 

「お前…やる気あんの?」

 

「当たり前だろ。」

 

「めんどくせえって、お前…。」

 

「それとこれとは別だって。」

 

 

(はあ、全くこいつは…。)

 

 

翔太はやれやれと言いたくなるところだった。尚人と翔太はあまりにも違う。どうしてこんなに差がついたんだろう。何が間違ってたんだろう。

小学校からずっと一緒だった。同じものを見てきたし、同じ授業を聞いてきたはずだし、同じように勉強を重ねてきたように思う。でも、いつからだったろう。

 

翔太の前をいつのまにか走り出した尚人は、気がついたらもう届かなくなって、ついていけなくなっていた。

伸ばした手を振りほどかれ、繋がれていた手は宙ぶらりん。

 

 

それでも、ナオはこうやって翔太と帰ったりもしてくれるし、何より…

 

 

「なあ、ハリ。」

 

「何?」

 

「お前には絶対負けねえ。」

 

 

ーーーライバルとしても、見ててくれる。

 

 

「…嫌味っすか?尚人さん?」

 

「なわけないじゃーん!俺、お前が東大目指してくれて嬉しかった。俺の友達で、プラスライバルのお前が同じとこ目指すなんて、最高じゃんか!」

 

「全く、嫌味がすぎるよお前。」

 

 

クハッと笑って、翔太は尚人の肩を押した。

尚人から受ける刺激は大きい。

もちろん、こんな話をするたびに思う。なんとかしてこいつに追いつきたいと。

 

だから、どんなにそれが難しくっても。

 

 

絶対、譲らない、譲りたくない。

 

 

「あ、俺そろそろ塾だ。わり、じゃ、また明日!お前もがんばれよ!」

 

「へいへい、サンキュー。じゃな。」

 

 

てをふると、ナオは笑って、角を曲がって行った。

 

 

「さて…そんじゃ、行くかね。」

 

 

まあそうは言ったものの、まず翔太には勉強の前に片さねばならないものがある。それに向けて、頭を切り替えた。

 

道をまっすぐ進む。その先、100メートルくらい先に見えるミニストップ。そこが翔太の目的地だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませー。」

 

 

店に入ってきたのは若い女の人。春物のコートを着ているけれど、なんとなく顔が赤い。

 

 

(それ暑くない?もうだいぶ気温高いよ?)

 

 

なんて思いながら目を移すと、おにぎりを持ってやってくるおじさんが今度は翔太の前に立つ。

 

 

「はい、ありがとうございます。」

 

 

即座にレジを通していく。

 

 

そう、翔太ははコンビニの店員としてバイトをしていた。なぜかというと、理由は簡単。うちにお金がないからだ。

 

 

父親は単身赴任。母は体が弱いから働けない。

別に生活に困るレベルではない。だけど、父親含めて2世帯ある以上、針宮家の家計の支出はバカにならない。よって、翔太は遊ぶお金、平たく言えばお小遣いを自分で稼いでいた。

 

 

というわけでコンビニでバイトしながら勉強するのが翔太の生活ということになっている。まあ、当然時間も吸われる。塾にも行けないし、そもそもそんな金もない。俺の成績が伸びない原因もそこに一理はあるだろうし、実際きつい。

 

 

でも、親に随分お世話になっているし、こればかりは仕方ない。

それに生まれた家の境遇にいちいち文句を言うのは野暮だ。

おまけに翔太にはなんとなーく察していることもある。花村や尚人のような本物の天才がうじゃうじゃひしめく私立味沢高校。

 

 

きっと同じ状況でも、彼らは点を取るだろう。

 

 

それがわかっているから、言い訳や弱音なんて吐いている時間が無駄だ。

 

 

 

母親はそんなことしなくても、と言ったけれど、結局翔太は譲らなかった。

体の弱い母を働かせるわけにはいかないし、自分がそれでは納得いかない。この成績で東大といい、自分はどうも意地になる節があるのがわかる。

 

 

でもまあ、そんな男のプライドというやつが許してはくれなかった。

 

 

「ありがとうございました!」

 

 

お客さんを送り出す。

 

 

あまり大きな声を出すタイプではないが、意外と張ろうと思えば声、張れるんだよな。

 

その声との対比で、誰もいなくなったレジ周りが、やけに静かに感じる。

 

 

 

だが、そのせいで、聞こえたくない声が聞こえてしまった。

 

「彼、受験生でしょ?」

 

「勉強、大丈夫かな。」

 

…………。

 

 

おそらく、俺の後のバイトの人だ。俺のバイトは8時までで今は7時45分。

 

うるさい。

わかってる、そんなの。

別に大丈夫だなんて思ってなどいない。

それでも曲げるつもりはなかった。

 

 

 

自分を応援してくれる人がいる。

自分を、もっと先へ進めと焚きつけてくれるやつがいる。

 

(きっとこんなハンデ、乗り越えてやっからな。)

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ただいま。」

 

玄関の扉を開けると、ふんわりと芳香剤の匂いが漂ってくる。

玄関に置いてある四角い白い箱から出る匂いが、いつも帰ってきた俺を迎える最初のもの。

そして次は、

 

 

「おかえりー!」

 

 

という、母親の声だ。

 

ここは、都内のとある住宅地。その端の方に立つ一軒家が翔太の家だ。

翔太は一人っ子で、父が単身赴任のため、結果的に今ここに住むのは翔太と母だけ。まあ賑やかでもない、普通の生活だ。

 

 

リビングに入ると、美味しそうな匂いが漂う。

 

 

「お帰り。ご飯できてるよ。」

 

「ありがとう。」

 

 

母親は、バイト帰りの時、いつも9時ごろにご飯ができるよう調節してくれる。いつもありがたい。

でも、そんなことより、翔太は机の上に置かれた白い箱の方が気になった。

 

 

「気がついた?届いてたわ。」

 

「マジ?後で見てみるわ。」

 

 

かるーく流して荷物をリビングに下ろす。上着を脱いで、リュックの上に置くまで、翔太の振る舞いはいつもと変わらない。ただ、心の中はついに来たか、と自然とワクワクするのを感じていた。

 

 

「あ、ご飯注いでくる。」

 

「助かる。いただきます。」

 

 

そのまま食卓についてご飯を食べる。

 

 

「翔太、学校はどうなの?」

 

「まあ、ぼちぼちかな。」

 

 

そんな取り留めもない会話を、母親としながら生姜焼きを頬張る。

 

 

「まあ、頑張ってやってるけどね。なかなか上手いこといかないのも事実かなぁ。」

 

「そう。頑張らなきゃね。あの『レフチュール』もついてるんだしね。」

 

「そう、だね。」

 

「ほら、食べな!元気出さんと、明日も頑張れんよ!」

 

「うん、ありがと。」

 

 

 

翔太が始めたのは、『レフチュール』だった。正直塾というのはバイトをしている翔太にとって大変にハードルが高い。だから彼が目をつけたのが通信教育…その中でも特に評判の高いレフチュールだった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

部屋に戻ると机のど真ん中にドカリと箱を置く。その拍子に机の上に置いていたプリントがひらひらと机の下に落ちた。散らかった机の上に顔をしかめながらプリントを拾い上げる。

 

 

勘違いしてほしくないが、わざとちらけている。

 

 

(…そんなことより。)

 

 

 

箱の横には赤い字で「レフチュール」の文字。

 

毎年さまざまな塾に混じり、実績を上げ、東大をはじめとする難関大へも多くの合格者を出している通信教育。それがこのレフチュールである。まあ、そうは言ってもこの東京でとってる奴なんてあんまりない。

 

 

東京には塾が溢れているし、わざわざコレで勉強する必要もないからだ。

 

だが、バイトをできるだけ長くしていたい翔太に、塾に長く通える時間などあるはずもない。

 

 

だから翔太は親に無理を言ってレフチュールを頼んだ。塾に行かずとも、これなら高いレベルで勉強ができるから。

 

 

(よっしゃ、やってみますか。)

 

 

まあ、英語とかからやってみるか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓を開けると暖かな空気が入ってくる。すっかり春も東京の街を覆って、なんなら夏の香りすらするこの季節。ついでに翔太の家は小高い丘の上にある団地の端。よって、家の窓からは東京の夜景が綺麗に見える。

 

 

 

(………難しすぎるだろっ!)

 

 

 

はっきり言って、大変に難しかった。

 

 

英語はそんなに苦手意識がない科目。それなのに、なんだよこれ、と文句の一つも言いたくなる難しさだった。

長文問題なんか特にひどくて、全くわからない。空欄補充、どれ入れても同じに見えるんだが…

 

 

いや、何か決め手があるはずだ。単語とか、文法とか、それなりに力を入れてきたし、学校のテストの点も2年生からは伸びている。

 

現に選択肢の中で意味がわからない単語はない。なのにわからない。

 

 

これがほんとの「難しい問題」・・・

 

 

 

「ああもう。」

 

 

 

ふとそんな言葉を口にして、目を遠くに向ける。赤、青、緑。黄。色とりどりの光に包まれ、大きなビル街のシルエットが浮かび上がる。

 

 

 

何年も見ている景色。

だから、今更綺麗なんて思わない。

だけど、もしも、今年の受験がうまくいったら。この景色も違って見えるんだろうか。

 

 

 

一年後、自分はここから、どんな景色を見ているんだろう。

東大に行った人間の景色を、ちゃんと見ていられているのだろうか…

 

 

 

その時だった。

 

不意に、頭の中が真っ白になる。

 

 

「な…」

 

 

声を上げる間もなかった。

 

頭の中に何かが流れ込んでくる。

 

いつか見たような気がする光景だった。

目の前に続く砂地の道。

両側には一面に原っぱが広がっている。鮮やかな緑か、風に揺られている。

いつ見たんだったか、この光景。

 

 

すると突然風が吹いた。

その風に背中を押される。

 

声が出ない。

 

そして、その道の先にはたしかに誰かがいた。

 

 

ーーーおまえは?

ーーーおまえは、誰だ?

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