アリアビートル 作:いも
人通りが少ない路地で自動販売機を見つけ、思わず安堵の息をついてしまう。左手に持つトランクのひんやりとした感触を感じつつ、駆け足でそこへと向かう。周りを確かめ誰もいないことを確認すると、堂々と、さもそれが当然かのようにトランクを自動販売機の横に立てかけた。これで今日の仕事は終わりだ。ジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出し、真里亞の番号を見つけ出して、間違えないように慎重に押す。以前、誤って他の番号にかけてしまった時に面倒な事態に巻き込まれてしまって以来、余計に慎重になった。まさか、間違い電話をかけることによって、麻薬密売に関わる羽目になるとは。
「もしもし、どう? 仕事の調子は」
「無事、終わったよ。流石にトランクを運ぶだけの仕事はとちらない」
「どの口が言うの。不運な七尾君は、どんな仕事もとちるじゃない。新幹線の件、忘れたんじゃない?」
「あれはびっくりだった」
3ヶ月ほど前、新幹線にあるトランクを盛岡まで運ぶ、という仕事を結局放り投げてしまった。だが、あれは仕方がないと思う。
「今回は、”簡単だったでしょ? ”って言わないのか?」
「言わなくても分かるでしょ? ただトランクを運ぶだけ何だから。新幹線にも乗らなくていいしね」
「飛行機は乗ったけど。それに、簡単な仕事なんてない」
「私の仕事は楽よ」
「それは良かった」
「それで、今は何をしているの?」
「何って」
ちょうど仕事を終えて一息ついたところなのだ。特に大して何もしていない。
「なにも、強いて言うなら飲み物を買ってる」
「ふーん」
どこか不満げに喉を鳴らした真里亞は、何やら小さくぶつぶつと呟いている。
「何か問題でも?」
携帯電話を頭と肩に挟み、上の方にあるお茶のボタンを押す。ガタンという音と共にお茶が落ち、取り出し口をカタカタと震わせた。お茶を取り出そうと身をかがめると、突然頭上から、景気のいい電子音が聞こえてきた。トランペットのような、パンパカパーンという言葉が、正しくふさわしい音だ。
「えっ」
「どうしたの?」
目の前の現実にしばらく理解が出来なかった。これは、夢なのじゃないかと思い頬をつねるが、鈍い痛みが走る。
「真里亞、落ち着いて聞いてほしい」
「何? また何か失敗したの? 怒らないからいってごらん」まるでマリア様のように優しい声だ。
「自動販売機で当たった」
「……ごめん、なんだって?」
「だから、自動販売機で当たったんだ。もう一本貰える」
声が興奮で震えそうになるのを感じたが、真里亞の返事はあけっらかんとしたものだった。
「はぁ、どうでもいいわ。確かに君からしたら奇跡かもしれないけど」
「そうだ。奇跡だよ、これは」
「新幹線内で、たまたま人を殺しちゃうくらい奇跡だね」
真里亞の軽口も、どこか頭に入ってこなかった。確かに自分は今まで不運にまみれた人生だった。だとすれば、その分の幸運がこれから訪れるのではないか。運を使い切る、とは言うが、だとすれば自分の運は一つも使われずに溜まっているはずだ。それが、これをきっかけに溢れ出るんじゃないか。
「でもさ、なんか怖いね、それ。また何か起きそう」
「そんなことは」
無いとは言えなかった。これまで自分を悩ませてきた不運が、経験が何かあると警鐘を鳴らしている。おまえは、こんな幸福を受け取っていい人間じゃないぞ、と。
「もしかすると、また誰かを怪我させちゃうかもよ。新幹線の時みたいに」
「縁起でもないこと言うなよ」実際、あり得そうで怖い。
「まあ、その時は“実は、柔道部員で、咄嗟に”っていえば許してもらえるよ」
また連絡すると一息で言い切り、携帯をしまう。目の前の自動販売機を見る。一円も入れていないのに、全てのボタンが薄緑色に光っていた。恐る恐る同じお茶のボタンを押す。すると、先程と同じように小気味のいい音と一緒にお茶が出てきた。良かった。そう思い、お茶を回収しようと小さく屈むと、頭上からまた音が聞こえてきた。それは安っぽいトランペットの音ではなく、先程聞いた、プラスチックと金属の衝突音だ。
あれ、何やらおかしいぞ。と思った時にはすでに遅く、自動販売機から細かく何かを擦るような音が聞こえてきたと思えば、お釣り受け取り口に大量の小銭を吐き出した。それは、酒を飲みすぎた中年男性のように、一度止まり、また吐き出すという事を繰り返し、やっと止まったかと思えば、足元には中々の額の小銭で溢れかえっていた。
とりあえず、トランクに小銭が被らないようにしようと、屈みながら手を伸ばした時、ふと視界の端に映るものがあった。嫌な予感がする。ゆっくりと、慌てず冷静に振り返ると、そこには二人組の男女がいた。一見すると兄妹に見えるが、純日本人風の兄の方とは違い、妹の方は薄桃色の髪をツインテールにしており、顔だちも何処か西洋じみている。二人とも制服を着ているのを見ると、どうやら学校帰りらしい。
「あ、自販機荒らし」
「え」
兄の方がこちらを指さしながら、少し顔を顰め妹に耳打ちしながら近づいてくる。確かにその口は“捕まえるぞ”と動いていた。
「待ってくれ、俺はただジュースを買おうとしただけだ。金銭をとろうだなんて思っていない」
何もやっていないという事をアピールするために、手を頭上で組み自分の無実をアピールする。
「いいえ、あなたは悪事をしているに違いないわ。私の勘がそう言っているもの!」
ピンク髪のツインテールの少女が、懐から見覚えのある物を取り出した。銀色に輝いているそれは、子供が持つには過ぎたものだったが、偽物には見えない。そう、自分が持っているようなモデルガンではなく、正真正銘の拳銃だ。
「……勘弁してくれよ」
ほら、やっぱり何か起こったじゃない。と真里亞の薄ら笑いが頭に浮かんだ。
「それで? 本当にわざとじゃないのね?」
「だから、さっきから言っているじゃないか。あれは、不運な事故だって」
運ばれてきたコーヒーを飲みながら、何度も言ったセリフを繰り返す。結局のところ、学生二人にあっさりと捕まってしまった。逃げようとも考えたが、銃を保持した怪しい学生二人組に背を向けるほど、無鉄砲ではない。まさか、喫茶店に連れていかれるとは思わなかったが。
もしかして、同業者だろうか。自分を標的としているのかもしれない。噂で子供の同業者の話を聞いたことがある。だが、あれは小学生の男の子だったはずだ。
「でも、怪しい」男の方が、訝し気にこちらを見つめていた。整った顔立ちをしているが、どこか陰気臭い。
「俺からしてみれば、君たちの方がよっぽど怪しいよ」いつでも動けるように、腰を少し浮かせる。ウエストポーチに手を触れ、少しだけチャックを開けた。
「子供が銃を持っているだなんて」
ふん、と不機嫌そうな声が響いた。少女が腕を組み、つまらなそうに銃を手で回している。意図的に見せつけているというよりは、癖でやってしまっているのだろう。銃に一切の注意をしていない。
「私たちは武偵高の生徒よ。銃ぐらい持っているわ。それと子供じゃない。いい? 子供じゃないのよ」
「ブテイコウ?」聞き慣れない単語が出てきて、思わずたじろいでしまう。
「部対抗リレー、みたいな?」
「はぁ? 武偵高よ武偵高。東京武偵高校。まさか知らない訳は無いわよね」
知らない奴なんて人間じゃない、といった様子で彼女は舌を出した。ブテイコウはどうやら高校の略称のようだ。自分たちの高校に余程誇りを持っているのか、もしくは自分たちの世界しかないと思っているのか、30前のおじさんが自分達の高校の名前を知っていると信じて疑っていない。そんなもの、知っている訳が無いのに。
「落ち着けよ、神崎。誰だってお前が武偵高といったら驚く」男は口角をあげて、声を漏らした。嫌な笑い方だ。
「な、何でよ」
「だって、お前はどう見ても高校生に見えないから」
「このバカキンジ!」
仲睦まじい若者が乳繰り合っているうちに、ゆっくりと腰を上げた。腕時計に目を落とす。帰りの飛行機の時間までは後1時間だ。ここから歩いても空港までは10分あれば着く。普通に考えれば、余裕なはずだ。
本当に? 本当にそうか? このまま喫茶店を出て、空港へと行き、少しの時間を待合室で潰して飛行機に乗り込む。この単純な作業を、きちんとこなせるのか?
簡単な仕事でしょ、と微笑む真里亞の声が頭に響く。ああ、そうとも。簡単なはずだ。
言い合いをしている二人を尻目に、七尾は自動ドアへと足を進めた。誰かがコーヒーを自分に零すことも、足を引っかけることもなく、自動ドアへとたどり着いた。ほっと胸をなでおろした後に、思わず苦笑いしてしまう。どうしてこんな些細な事で緊張しなければならないのか。まるで幼児じゃないか。そんなことより、口喧嘩が激しさを増している二人に気づかれないかを、確認した方がいいに決まっていたのに。
そんな事を考えていたからだろうか。七尾は目の前の自動ドアが開いたことに気がつかなかった。
前を向くと、男が立っていた。黒のジャージとニット帽に目が行くが、それよりも頬に張られたテープが印象的だった。何のためにそんな物を貼っているのだろうか。
自分が邪魔で店の奥に行けないのかと思い、すみませんと端へ避ける。だが、男は自分と同じ方向に体を寄せる。ゴール前のフォワードを何とかして止めようとするディエンダーのように、七尾の進路を塞いだ。おや? と思った時には、相手は既に懐からナイフを取り出していた。
肩を強くつかまれ、強引に引っ張られる。そのまま左腕で肩をくまれ、右手に持ったナイフを首元に突き付けられた。
「動くな!」血走った目で、男が店内を見渡す。ナイフの先が首に触れ、チクリとした痛みが首に走った。
「金を出せ!」
この男はなぜ喫茶店に強盗に入ったのか。店内が静まり返っているが、皆恐怖で動けないのだろうか。ナイフを持つ手が震えているから、自分とは違い素人なのだろう。そんな考えが脳裏をよぎったが、それよりも真っ先に、またか、と思った。
また、トラブルに巻き込まれてしまった。
「おい! ぐずぐずするな。こいつがどうなってもいいのか!」
静かな水面に石を投げ込まれたように、にわかに店内が騒めきだす。おそらく店長だろうか、小太りの男性が目を白黒させながら、必死に指示をとばしている。その店長を中心に、目に見えない何かが伝染し、怯えるような、焦るような気配が店内を包んでいた。目の前の女の子なんて、既に声をあげて泣き出してしまっている。
だが、そんな異様な雰囲気の中、妙に落ち着き払っている人物がいた。ブテイコウ所属と言っていた、あの二人だ。落ち着いている店内では騒がしい癖に、こういう時には落ち着いているのか。そう思うと、苦笑いをしてしまう。
アリアと呼ばれていた少女が、何やら手を奇妙に動かしている。野球のキャッチャーが股下でやるような、素早い動きだ。七尾には意味が分からなかったが、相方のキンジという男子には伝わったようで、小さく頷いている。
「おい、そこのガキ、うるせぇよ!」
男が、近くにいた少女を睨みつけた。中学生だろうか、大きな声でわんわんと泣いている。近くにいた母親が、少女を抱きしめて、ごめんなさいごめんなさいと謝っていた。
男の雰囲気が変わった。目に映っていた恐怖が消え去り、愉悦と侮蔑が溢れ出ている。口元はだらしなく開き、剃り残しの髭に涎がこびりつく。小さく笑う声が耳を突いた。唾を口内で泡立てるような、下品な音だ。
これから男が何をしようとしているのか、七尾は理解できてしまった。ふと、昔の知人を思い出す。紺のハンチングを被った、痩せこけた男だ。女子供をいたぶるのが好きだったそいつも、獲物を前に同じような顔をしていた。
男がこちらから注意を外し、右足をゆっくりと上げた。その目は真っすぐ哀れな母子に向いている。つられて母子を見る。泣き叫ぶ子供を、母親が抱きかかえて必死に謝り続けている。その体は小さく縮こまり、カタカタと震えていた。ごめんなさいごめんなさいという言葉が耳から離れない。
頭の中の何かが、弾けた。嫌な記憶が奥底から溢れ出る。大声で泣いている少女が、昔の自分に重なる。
右足を母子へと突き出そうとしている男の肩を掴んだ。男は不機嫌を隠そうともせず、こちらを振り返る。手にもったナイフを高々と振り上げた。
目の端で、キンジと呼ばれた少年がこちらに走ってくるのが見えた。懐から銃を取り出そうとしている。
男が勢いよくナイフを振り下ろす。右肩を狙ったそれを、左に重心をかけて、かわす。ナイフに力を入れすぎて、男が体勢を崩し、前のめりになる。すかさず相手の右腕を掴み、左足を強く蹴り飛ばす。呻き声と共に地面に倒れ込んだ男の上に、座り込むように体重をかけ、右腕を手前に引き込む。ぽきりと子気味のいい音が響き、男が大きな悲鳴をあげた。
店内が再び静まり返った。慌てふためいていた店長も、泣き叫んでいた女の子も、ポカンと口を開け、呆気にとられていた。
次の瞬間、歓声が爆発した。音が衝撃をもって、小さな喫茶店をビリビリと震わせる。よくやった、かっこいいぞ兄ちゃん、という声があちこちから聞こえてくる。店の前の通行人が、何事かと警察に通報するかもしれない。
だが、それよりも気になったには、例の二人の反応だ。またもや辺りの反応とは正反対に、冷静で落ち着いている。先程と違った点といえば、敵意を向けている相手が、足元でうずくまっている男ではなく、自分だという事だ。
どうやら彼らにとっては、只の自販機荒らしから、いきなり強盗犯の腕をへし折る奴、に危険度があがったようだ。
失敗した。強盗犯の隙を突き、とっとと逃げておくべきだった。そうすれば、二人も自販機荒らしのことなど、強盗犯によって忘れ去っていただろう。
真里亞の、お人好しが、という嘲笑が頭をよぎる。何とかして誤魔化さなければ、また真里亞にどやされてしまう。
「じ、実は」
歓声が止んだ。ライブでボーカルが次の曲のタイトルを叫ぶ前のような、そんな緊張感が場を覆う。まだか、まだ叫べないのかと、訴えかけられているかのようだ。残念ながら、今からいうのは只の言い訳だ。
「実は、柔道部で咄嗟に、ついね」
咄嗟に相手の腕をへし折る柔道部がいる訳ないだろ、という声が聞こえた。キンジ君の声だ。
全く持ってその通りである。