アリアビートル 作:いも
「腕をへし折る柔道部員なんて、いる訳ないじゃない」
「そんな事は分かってる」
真里亞の軽口によって胸から湧き上がる苛立ちを、ぐっと抑えた。手に持った携帯電話に力が入る。飛行機に乗ることはできなかった。警察の事情聴取に巻き込まれないよう、早々に喫茶店を後にしたのだが、空港までの道の途中で、あの二人に捕まってしまった。本日二度目の確保劇だ。なぜか誇らしげだった少女と、疲れ切っていた少年に連れられ、彼らの高校へと連行された。警察で無かったのは幸運だったとその時は思っていた。
だが、幸運と自分が縁遠い物という事を再び突き付けられることとなる。
「それにしても、あんたが武偵を知らないとは思わなかった」
「それは、君が教えてくれないからだろう」
辺りを見渡す。一見すると只の学校の教室にも見えるが、何故か扉も、壁も全て金属で出来ている。自分が今いる部屋は、尋問室と呼ばれているそうだ。なぜ学校に尋問室があるのかは分からない。ゆとり教育が廃止された影響で、尋問という授業が追加されたのだろうか。英、数、社、尋。響きは悪くない。
「あんたねぇ、私は一般常識を説明するほど暇に見える?」
「見える」
「そう。一応聞いておくけど、ケイサツって知ってる?」
「馬鹿にしないでくれ」
ほら、こうなるのよ、と魅惑的な声で真里亞は微笑んだ。電話越しなのに、楽しそうにしている彼女の姿がありありと分かる。
「まぁ、私の監督責任ってことで説明してあげる」
「ああ、マリア様。感謝いたします」小さな舌打ちが携帯電話から響いた。
「武偵ってのは、武装探偵の略称ね。まあ、簡単に言えば悪い奴を捕まえたり、困っている人を助けるのが仕事よ。正義のヒーローってやつね」
「何故探偵が武装するのか分からないけど、とりあえず君が正義ってのを嫌いだってことは分かった」
「別に正義は嫌いじゃないわ。武偵が嫌いなのよ。人も殺せない癖に正義を語るなんて、語るに落ちてるわよ」
「人も殺せない?」正義うんぬんの話に色々思うところはあったが、叩くと蛇が出そうなので止めておいた。
「逆に人を殺してもいい奴なんているのか」
「いる訳ないじゃない」
尋問室の扉を手で叩いてみる。ゴンというくぐもった音が小さくなった。随分と分厚く丈夫な金属のようだ。外側から鍵が掛かっているようで、びくともしない。鍵穴がないので、おそらく電子ロックだろう。
「それで? もっと詳しい情報は無いのか。例えば、尋問室の鍵の開け方とか」
「なにそれ。そんなの分かるわけないじゃない。もし知りたかったら、そこに入学する事ね」
「30代の高校生って、どう思う」
「もし実在するんだったら、ギネスブックに載るね。世界で最も情けない高校生って」
天井を見上げるも、金属じみた単色で、剛健そうだということしか分からない。ただ、脱出なんてさせる気がないのは確かだった。
「まあいいわ。それで今はどこにいるの? まさか武偵高にいるだなんて言わないわよね」
七尾は何も言わずに携帯電話を切った。真里亞にどやされるのを恐れたわけではない。金属製の壁の端に、ガラスで覆われた箇所を見つけたのだ。それは、半径3cmほどしかなかったが、今の技術では、カメラ、若しくは録音機を設置するには十分のスペースだ。もしかしたら両方かもしれない。
今の会話に不審な事、つまり自分が裏の世界の住民だという事を匂わせるような事を言っていないか、思い出そうとしていると、こつんこつんと高い足音が聞こえてきた。
落ち着いて、元いた席に戻り、腰を落とすと、ほぼ同時に扉が開かれた。
「調子はどう? 何か喋る気になった?」
「喋るも何も、最初から言っているじゃないか。俺は何もしていない」
「そう。良かったじゃない」
何が良かったのか、さっぱり分からない。
目の前に座った桃色の髪をした少女は、一枚の書類を机の上に置いた。文字は全て英語で書かれているため、読むことが出来ない。
もしかして、もう尋問は始まっているのではないか。そんな恐怖が身を蝕んだ。この一枚の紙を見ているうちに、自分の口が勝手に動き出し、情報を洗いざらい言ってしまうのではないか。あり得なくはない。確か、相手を自殺させる殺し屋もいたはずだ。名前は忘れたが、魚の名前だったような気がする。そんな殺し屋がいるのなら、催眠術が実在しても、おかしくはない。せめて、口から出る情報が、真里亞に対する不満だけでありますように、と願った。
「何をそんなに怯えているの? 私、そんなに怖く見える?」
「普通の人なら、一度銃口を向けられた相手をすぐに受け入れられない」
「普通の人なら、ね。あなたは普通じゃないんじゃないの?」
「普通過ぎて、周りが驚くくらいには普通だよ。こんなに普通の人がいたのかって」
「まあ、いいわ。それよりも、この書類を見てほしいの」
「見るも何も、英語は読めないんだ」
紙から目を離し、少女のほうに目を向ける。とても小さな、まさしくな少女だが、頬杖をつき、目を細める様子は、歴戦の刑事を思わせた。こんな言葉が存在しているかは分からないが、尋問慣れしている。
そう、と小さく呟いた少女は、なら私が内容を言ってあげると続けた。なんだか、嫌な予感がする。そして、こういう予感は、大抵の場合は当たってしまうのだ。
「新幹線はやて」
「え?」
「知らないの? つい最近あった、謎が多い事件よ」
知らない訳がない。トランクを持ち出す、という仕事だったはずが、いつの間にか周りは死体で溢れていた、あの奇妙な新幹線のことだ。その中の何人かは自分が殺した。こんな少女があの事件にかかわっているとは思えないが、用心するに越したことはないだろう。
「あなた、あの新幹線に乗っていたでしょう」
「いや」
「嘘をついてもだめよ。今時、そういうのは調べられるんだから」
小さく舌打ちをする。そういうのを調べられないようにするのは、真里亞の仕事のはずだった。全然だめじゃないか、何やってるんだマリア様と文句を言いたくなる。
「乗ってたけど、それがどうかするのか」
「もし、どうかされたくなかったら」
そこで少女は徐に立ち上がり、自分の背中側へと回った。振り返ろうとするも肩を掴まれ、椅子に押し込まれる。いつの間にか少女の顔がすぐ近くにあった。思わず、どきりとする。すぐ近くにいる少女に、思春期の少年さながら色めき立ったのではない。背中に固い感触を感じたのだ。何度も経験したことのある感触だ。ただ、それでも驚いた。
まさか、高校生が銃を押し付けてくるとは。
「私の言うことを聞いた方がいいわよ」
ただ、黙って頷くことしかできない。最近の高校生はこんなことまでするのか。自分の時とはえらい違いだ。もし、自分がこの高校に通うことができたら、そこそこ優秀な成績を残すことができたかもしれない。いや、そもそも。こんな頓珍漢な学校など、絶対に関わりたくはなかった。
そう思ってしまったのが、運の尽きだった。
「あなたにはしばらく、ここの生徒として過ごしてもらうことになるわ」
一瞬自分の耳を疑った。彼女は本当にそう口にしたのか、確信が持てない。それほどまでに、突拍子もないことだった。
「俺はもう高校に入れる年じゃ無い」
無理だ、と首を振りながら、懇願するように、彼女に頭を下げる。
「ギネスブックに載ってしまう」
何言ってんの、と冷たい声が、尋問室に響いた。