今回はP.T事件の時のお話。フェイトと立香がどんな感じで知り合ったのか…ですね。まぁ、いつも以上に書きたいところだけ抜粋している感じですが、そもそも事件にさっぱり関与していないのでこんなものかなぁ?
楽しんでいただければ幸いです。
P.T事件のこと? って言われてもなぁ……俺、特に関わってないよ、それでもいいの?
―――あ、いえ、聞きたいのは事件のことというよりもフェイトさんとのことというか……。
ああ、そっち? まぁ、そうだよね。あの当時、俺ずっと部屋の中にいたからホント何が起こってるのかとかさっぱりだったし。
―――当事者と同居していながら、まったく知らないっていうのも逆に凄いですけどね。
それ言ったら高町家の人たちも一応そうだけど?
―――ぅ、そうでした。じゃあ、それが普通? いや、少なくとも普通ではないと思うし……あ、せっかくなんでその前の話も聞きたいです。確か、事件の前からこっちとは繋がってたんですよね?
一応はね。確か、イリヤたちを召喚した頃からだから、第五特異点のあたりだったかなぁ? まぁ、そうは言ってもほとんど朧気で「そんなような夢を見た気がする」程度なんだけど。
―――そうなんですか?
うん。正直、不鮮明な上に断片的で、今振り返れば「アレがフェイトで、あっちがなのはだったんだろうなぁ」って思うくらいで、当時は……………ちっちゃな女の子のイメージばっかりで、自分の趣味嗜好にすごい不安を覚えたっけ、そういえば。
―――(地雷踏んだ!? 虚ろな目でブツブツ何か言ってるし……ここは話を逸らさないと!) え、えぇっとその……た、例えばどんなイメージだったんですか?
え? そうだな……草原と二人のちっちゃな女の子とか、なんか元気に喧嘩してる三人の女の子とか?
―――それってもしかして……。
フェイトとなのは…なんだと思う。あとは、こっちははやてだと思うんだけど誰かと料理してる様子なんかも見た覚えが……。まぁ、フェイトと出会う前にこういう夢を見たって話をして、それで“たぶんそうなんだろう”って推測しただけなんだけど。
―――そうなんですね……フェイトさんのはアルフと遊んでる姿かな? で、ママと一緒なのはアリサさんとすずかさんで、八神司令は士郎さんに料理を教わってるところ? ママたちにとって、幸せだったり大切な思い出だったりする場面ですね。
(実は結構……というか、悲しいイメージの方が多いくらいだったのは、言わない方が良いよなぁ)
―――なるほど……でも、じゃあ本当に断片的なイメージだけだったんですね。
なにしろ、大まかな背格好くらいで顔も怪しいから。
フェイト以外は草原なんて行く機会はそうそうないし、同じようになのはくらいしか誰かと喧嘩する機会がないから、消去法で特定してる感じだしね。最後のも、フェイトはともかくなのはなら十分可能性はあるから、俺が個人的に「そうなんじゃないかなぁ」って思ってるだけなんだ。
―――それで、プレシアさんを引き上げた後に海鳴に?
そういうことになる。それまでは正直「記憶喪失直後!」みたいな感じで、全然自分自身と繋がってない感じだったんだけど、あの時からは自分が誰で、どういう状況なのかはある程度把握できるようになったんだ。
正直、はじめはいつもみたいに誰かの夢に紛れ込んだと思ってたんだよなぁ。
―――それがいつものことっていうのも凄いですけど……でも、だからこそ驚いたり慌てたりせずにいられたわけなんですよね。普通、いきなり見覚えのない場所に脈絡なく放り出されたら混乱しますし。
まぁ、そうだろうね。そのあとのことは誰かから聞いたこともあるんじゃない? 場所が割と背の高いビルに囲まれた路地裏だったから、とりあえず状況確認がてら開けた場所に出ようとして……
―――そこでアルフの変身現場にバッタリ遭遇?
そうそう。とりあえず何とか誤魔化そうとしたんだけど、アルフの誘導尋問が見事で……
―――ノリツッコミみたいなやり取りだったって聞いてますけど、アルフに。
……………………………………………………すみません、見栄はりました。実際には「……見たね」「……いえ、拙者何も見ていないでござるよ」「ところで、狼ってやっぱり目立つかねぇ?」「そうですね、あのサイズだとどうしても……あっ!?」「やっぱり見てんじゃないか―――――――――――っ!!!」「しまった―――――――――っ!?」って感じでした。
―――立香さん……。
いや、その……うん、俺もまだ混乱してたんだよ。
―――そういうことにしておきますけど……それで捕まって、フェイトさんのところに監禁された、と?
そういうこと。理由も事情も教えてはくれなかったけど、あれはフェイトなりに俺をそれ以上巻き込まないようにって気を遣ったんだろうね。
―――フェイトさんらしい気もしますけど……そういえば、フェイトさんの第一印象ってどんなだったんですか?
……………………………………………これはオフレコにして欲しいんだけど。
―――はい。
…………暗い子だなぁって。
―――えっ? 第一印象それなんですか!? こう綺麗だなぁとか、可愛いなぁとかは! ほらそこ! 目を逸らさない!!
なんというか、綺麗どころには慣れてるというか……。
―――(そういえば、サーヴァントの人たちってだいたいみんな美形だったっけ。目が肥えるのもわかるけど……でも、未来の結婚相手の第一印象が『暗い』って……確かに、フェイトさんには聞かせられない)
もちろん、今ヴィヴィオが言ったような印象もすぐに持ったよ。それこそ「将来的には美の女神もかくや」とかね。実際、当時だってステンノやエウリュアレと並んでも遜色なかっただろうし、贔屓目抜きにしてもイシュタルやアストライアにも負けてないと思うよ。
まぁ、あの当時は暗い顔をしてたり、思いつめた顔をしていることが多かったから、どうしても…ね?
―――それはわかりますけど…でもそこはフェイトさんの方が綺麗、って言ってあげるべきじゃないんですか?
そこはもう個々の好みの問題だと思う。というか、そんな恐ろしいこと口が裂けても言えません。万が一誰かの耳に入ったら、後でどうなるか……
―――(まぁ確かに、控えめに言っても大騒動確実ではあるかなぁ)
まぁ、そんな感じで一緒に暮らすようになって……
* * * * *
「あの、とりあえずここから出ない分には、自由にしてもらっていいので……」
「まぁ、こっちの都合につき合わせてるのは悪いとは思ってるからね。何か欲しいものがあれば言いな」
「お金の心配はいらないので、遠慮なく言ってください」
「じゃ、とりあえず新聞買ってきてもらえる? あとは着替えと、他には…いや、ちょっと待って。メモ渡すから」
(な、なんて図々しい奴……! いや、ほしいものがあれば言えって言ったのはあたしだけど! あたしだけど! にしたってこいつ、自分の立場とか置かれてる状況とかわかってんのか!?)
『遠慮なくって言ったじゃん』と言われれば確かにそうだが、それにしたって図太いことに変わりはない。
しかし、立香にも言い分はある。今彼は、何よりも情報を必要としていた。彼女たちが自身やそれにまつわる情報を一切明かそうとしないため、自分が置かれている状況の情報を得ることは難しいが、“この世界”の情報なら得られるはず、と考えて。
相変わらず魔術の腕前は素人に毛が生えた程度だが、ある意味彼ほど多様な術式を知る者は少ない。能力の低さは最早どうにもならないとしても、知識を詰め込むことはできる。そして、知ればその分だけ生存率が上がる。対処はできなくても、逃げ回るなり危険を避けるなりすればそれなりに時間を稼げるし、時間さえ稼げば誰かが立香を助けるだろう。
そのため、立香は古今東西のキャスターたちから多種多様な術式を徹底的に叩き込まれている。応用も自身の魔術への活用もできないし、そんなことは誰も期待していない。彼に求められたことはただ一つ、“生き残る”こと。ただそのためだけの詰込みだ。
しかし、だからこそ立香は気づいていた。“フェイト”と呼ばれる少女が用いる魔術らしきものが、全く未知の代物であることに。無論、彼とて自分が古今東西全ての術式に精通しているなどと思ってはいない。所詮は付け焼刃に詰め込んだ知識だ、漏れも抜けも探せばいくらでもあるだろう。
だがそれにしても、フェイトたちの用いるそれはあまりにも“かけ離れていた”。アレはそもそも“魔術”というくくりで考えるべきものではない。それくらいのことは、立香にでもわかる。
(特異点か剪定事象か、それとも異聞帯? あるいはもっと遠い、別の……いずれにせよ、知らないことには始まらない。何かすべきことがあるのか、それとも単にまぎれただけなのか、それすら現状じゃわからないんだから)
密かにカルデアとの通信を試みもしたが、空振りに終わっている。なので、彼にできることと言えば情報の現地調達くらいだ。見た限り、マンションの一室からは“現代日本”といった風景が望むことができる。
これだけの文明があるのなら、新聞くらいはあるだろう。できれば雑誌も買ってきてもらいたいところだったが、知っている雑誌が存在してるかさえ怪しいので、とりあえずは“新聞”だけにとどめた。
「さて、とりあえず今できることはやったし、あとは……………寝るか」
なるほど、わからないことだらけの状況だが、そんなことは割といつものこと。この程度では、藤丸立香は慌てないし動じない。急いだところで焦ったところで、一切の利がないのは明白なのだから。
故に、立香はリビングに備え付けられたソファに身を預け、瞼を閉じる。
割といつでもどこでもレムレムしていると思われがちな立香だが……それはそれで間違っていない。ただ、果たしてマシュは知っているのだろうか。彼の睡眠が二種類…いや、三種類に大別されることに。
一つは、何らかの干渉により意識を奪われるなり夢の中に迷い込むなりした場合。要は、他者からの干渉によって眠るパターンだ。
もう一つが、唐突に“意識が落ちる”パターン。それこそ、まるでブレーカーが落ちるかのように、立香は意識を失ってしまうことがある。
もちろん生来のものではないし、極度の緊張状態を強いられる任務中はそんなこともない。だが、逆に任務のない状況では度々これが発生するようになった。ロマニ・アーキマンが健在の頃に彼はこれをストレス性、あるいは心因性のものと診断した。要は、弱った心を守るための緊急措置として、過剰な電力の使用でブレーカーが落ちるように、過剰なストレスに対する防衛反応として意識が落ちてしまう。
こうなるようになったのは、果たしていったいいつからだっただろうか。うろ覚えだが、なんとなく特異点の旅も佳境に差し掛かった頃からなような気がする。とりわけ、ロシアの異聞帯を超えたあたりから頻度が上がっている。このことを知るのは、現状ダ・ヴィンチとホームズだけのはずだ。あるいは、ゴルドルフ新所長には報告がいっているかもしれないが……他の職員には秘密にするよう頼んでいる、特にマシュには。
何しろ現状、立香の役目を代替できる人物などいないのだ。彼がどのような状態にあろうとも、動けるのなら彼は任務を遂行しなければならない。選択肢など、ありはしないのだ。
そして、最後の一つが……
「解体、開始……」
小さく呟くと、途端に意識が分解されていく。それは、魔術とすら呼べない自己催眠の一種、意識の
自己催眠によって意識を解体し、ストレスを識域もろとも消し飛ばすという手法。元は、カルデアに召喚されたアサシンの一人から教わった方法。尋常ならざるストレスにさらされる立香には、ある意味では何よりも必要なものだった。
散り散りになった意識は約二時間程度で自然再生し、生まれ変わったかのような気分で目を覚ます事になるが、一時的にとはいえ自らの人格を無意味な断片と成す行為への抵抗感から好んで使用する者は滅多にいない。つまり、そんなものが必要になるほど彼、藤丸立香は追い詰められているのだ。
それこそ、通常の睡眠ではほぼ意味をなさないほどに。この術の使用には賛否が分かれたが、あとはもう最後の手段に頼るしか彼の心を保たせる方法がなかったことから、「薬物に頼るよりは……」ということで黙認されている荒療治だ。当然、こんなことマシュに教えられるはずもない。
(本来、こんな安全を保障できない場所で使うのはまずいんだけど……)
この術の使用について厳しく指導されている立香だが……今の彼にはこれが必要だった。
立香は見事ロシアのロストベルト、その空想を切除することに成功した。だがそれは、すなわち一つの歴史を、世界を、そこで懸命に生きる人々を、なにもかもを“なかった”ことにするということ。それはあるいは、ただ“殺し”“奪う”ことよりもずっと残酷なことかもしれない。何しろ切り捨てられた彼らのすべては、一切の痕跡を残さず消えてしまったのだから。
そして、現場に立ち、それを指示したのは他ならぬ立香自身。その事実が彼に与える精神的な負荷は計り知れない。
特異点を巡る旅も十分に過酷だった。だが、あの旅はただ前だけを見て進み続けるだけでよかった。
しかし、今は違う。彼の後ろには、戦う相手の命どころか何の罪もない全ての生物、積み重ねられた歴史の骸が積み重なっている。そして、今後もさらに同じことをしなければならない。異聞帯を滅ぼす不毛の旅路は、まだ始まったばかりなのだから。だがその現実はあまりにも重く、意識の清掃解体を行いストレスをいったんリセットしたところで、あっという間に立香の心を押し潰すほど降り積もってしまう。
故に、彼は定期的に意識の清掃解体を必要としている。でなければ、いつどこで意識が落ちるかわからないから。
そうして、立香とフェイト、そしてアルフの奇妙な共同生活が始まった。
基本、フェイトとアルフは夜中まで部屋を開けていることが多く、一日の大半を立香は部屋で一人で過ごすことに。ストレス対策の睡眠とは名ばかりの代物を行う上では都合が良いが、それにしたって時間はありまっている。
なので、立香がこうなるのはある意味自明のことだった。
「………………………………………………………………………………暇だ」
そう、彼は暇だった。それこそ、売れば一財産になるくらい暇だった。
シャドウ・ボーダー内は気を休めるには不向きなため「暇」と思う余裕すらなかったし、カルデア本部が健在な頃はサーヴァントたちが騒がしくしたりトラブルを起こしたりしていたので、任務外でも暇を持て余すようなこともなかった。おかげで、どこぞの社畜かワーカーホリックの様に暇だとかえって落ち着かない体質になってしまった。
特に、この部屋に監禁されてからというもの驚くほど穏やかな時間が過ぎて行っている。
騒動やトラブルの種どころか気配もなく、無断で布団に忍び込んできたり自分の都合に巻き込んできたりするサーヴァントもいない。不当に拘束しているという負い目があるからか、フェイトは立香が申し訳なくなるくらいに気を遣ってくれている。アルフも未だに警戒している部分はありながらも、それなりに配慮してくれる。
正直、とても「監禁」と呼べる状況ではない。おかげで、立香の気はすっかり緩み……こうして絶賛暇を持て余してしまっているわけだ。
「新聞や雑誌は全部目を通しちゃったしなぁ……」
加えて、この部屋にはテレビをはじめとした娯楽がない。新聞やそこで知った雑誌は定期的にフェイトたちが差し入れてくれるが、そんなもので潰せる時間はごくわずかだ。かといって、新聞や雑誌ならまだしも、テレビのような高価な品や、完全娯楽目的の品を要求するのも気が引ける。
となると、あとできることと言えば……
「とりあえず……身体でも動かすか」
これといった器具もないので、腕立てや腹筋といった物がなくてもできる運動に時間を費やすのが最近のマイブーム……まぁ、それしかできないからなのだが。そして、それも終わってしまえば、いよいよ本格的にやることがない。
「というか、今の俺っていわゆる『ヒモ』なのでは?」
その認識に至った瞬間、立香の身体に電流が走った。そして凹んだ。
ヒモ、つまり女性に働かせ、金銭を貢がせたり養われたりしているダメ人間。今の立香は、「監禁」という状況を差し引けば否定のしようがないくらいにヒモだった。
だって働いてないし、家から一歩も出てないし、日がな一日雑誌や新聞を読んでいるか、筋トレをしているか、あるいは寝ているか……立香は思った、「コ レ は ヤ バ イ !!!」と。何というか、人として。
しかも、相手はまだ十歳になるかどうかといった幼い女の子。ただでさえ事案待ったなしなのに、この体たらく。このままでは、人として最低限の尊厳すら失ってしまう。
決断すればあとは早かった。立香はさっそく行動を開始したのである。
「……アンタ、何やってんだい?」
帰宅したアルフが目にしたのは、腕組みをしてしゃがみながら片脚を前に蹴りあげる謎の動作(いわゆるコサックダンス)を繰り返す同居人の姿。思わず、目がごみを見るようなものになったとしても仕方がないだろう。それ位意味不明だったのだ。
「……いや、暇だったからつい」
「……まぁ、それについちゃあたしの責任だからいいけど、ホント何やってんだい?」
「なんというか、いまできることだけでもと思ったら大してできないからまた暇になって、なんとなく…かな?」
「はぁ?」
「あ、そうそう。アルフ、ちょっとこれ買ってきて」
「あんた、ホントにどういう神経してんだい?」
「しょうがないだろ、俺外に出られないし」
それを言われると弱いので、釈然としないながらも買い出しに出かけるアルフ。
しかし、彼女も途中で気付く。立香が渡したメモに書かれていたものそれは……野菜を中心とした食材一式と最低限の調理器具、さらに各種掃除用品エトセトラ。
その意味と意義がわからないほど、アルフも鈍くはない。
「あれ、この匂いって?」
アルフに遅れて帰宅したフェイトを待っていたのは、なんだかお腹の辺りをキュッとさせる香り。
特別芳しいわけではないが、疲れた身体と食欲中枢を刺激するには十分だった。
「あ、おかえり」
「……」
「おかえり」
「っ! えっと、その……た、ただいま」
「うん、よろしい。お腹すいてるでしょ。手洗ってちょっと待ってて、今できるから」
「おーい立香ー! とりあえずシーツとかは交換したけど、もう夜だぞ! ってかここ洗濯機とかないぞ!」
「明日出かける前にコインランドリーで洗濯して、それ持ってきてくれれば干しとくから大丈夫」
「……地味に人使い荒いな、あんた」
「ん? ……俺は立っているなら神も悪魔も、鬼も王も使う主義(ドヤァッ)!」
「ハイハイ、ソウデスカー」
「あ、信じてないな。ホントなのに……」
(いつの間にか、仲良くなってる?)
出会いが出会いだったけに微妙な関係だったのがウソのように打ち解けているアルフと立香。
思いもしない事態に呆けたように立ち尽くすフェイトだが、その間にも立香は決して手際よくとはいえないものの、あっちへパタパタ、こっちへウロウロとせわしなく動き回る。
ある時は手に箒が握られ、またある時は雑巾がけをしながら。
そうして遅ればせながら、ようやく思考能力が回復したフェイトも立香が何をしているのか理解した。
「家事、してくれてるの?」
「まぁ、暇だしね。というか、養ってもらって何もしてないってマダオ一直線だし……」
「でも、そんなこと気にしなくても! それにこの匂い、もしかして……」
「それこそ気にしなくていいよ。コンビニ弁当とか久しぶりで新鮮だったけど、ぶっちゃけ三日で飽きたし」
「ご、ごめんなさい!」
「あ、いや、責めてるわけじゃないんだ。二人とも忙しいのはわかってるし。でもそれなら、俺が作れいいわけだ。むしろ、気付くのが遅れてごめん。まぁ、俺もたいして上手くないけど良ければ食べてくれると嬉しい」
フェイトを椅子へと引っ張っていくと、またウロチョロ動き出す立香。寝室の方からは、シーツをはじめとした洗濯物を抱えたアルフも出てくる。元々、必要最低限の衣類くらいしか持ってきていないので、替えのシーツやタオルなどはなかったはず。聞けば、フェイトが帰ってくる前に立香に買いに行かせられたそうな。
フェイトも何か手伝おうとするが、粗方終わっていると言われ所在なさげに椅子に座る。そして、間もなくフェイトの前にそれが差し出された。
「スープと……これは?」
「お粥というかおじやというか…まぁ、ライスをスープで煮詰めたもの…みたいな? あれ、おじやと雑炊の違いって何だっけ? まぁ、とりあえずちゃんと味見はしてるし、不味くはないと思うから」
「にしても、噛み応えのなさそうなもんばっかりだね」
「アルフ、せっかく作ってくれたのにそんなこと言っちゃダメだよ! ごめんなさい、えっと……」
狼らしく、肉や噛み応えのあるものを好むアルフらしい言葉だが、流石に失礼と思って窘める。
が、当の立香は「まぁ、当然の反応だよね」とばかりに苦笑を浮かべているだけで気分を害した様子はないことに安心する。自分たちの都合でしばりつけている自覚と罪悪感があるからだろう。
そして、実際せっかく作ってくれたのだから食べないという選択肢はフェイトにはない。まずはスプーンでスープを一口すする、その味は確かに“不味く”はなかったが、かといって特別美味というわけでもない、本当に普通の味だった。強いて言えば塩分控えめにし、野菜を細かく刻んで消化に良いよう配慮されたそれは、“優しい味”と称するのが正しいだろうか。
ただそれ以上にフェイトは、身体の芯に何か暖かなものが染み込んでいく気がした。
「……えっと、美味しい、です」
「ならよかった。さ、冷める前に食べよう」
フェイトの言葉が世辞だということはわかっていたが、あえて突っ込むような真似をせず自分もスプーンを取る立香。食べてみれば案の定、食堂の主のそれには到底及びもつかない中途半端な品。
ただ、フェイトのスプーンが淀みなく進んでいる様子を見るに、チョイスは間違っていなかったらしいと安堵する。日に日に疲労の色を濃くするフェイトの顔色は決して良いとは言えず、出された弁当や冷凍食品の進みも良いとは言えない日が続いていた。
だからこそのこのメニュー。立香もストレスが原因で食が進まず、正直味の濃いコンビニ弁当などは吐き戻しそうできつかったが、無理矢理にでも腹に入れなければ始まらないという経験のおかげで、苦にはしても無理ではなかった。
だからこれは、ほぼフェイトのために考えたメニューだ。料理に限らず家事全般を仕込んでくれた、小言の多い赤コートのオカンには感謝せざるを得ない。
これをきっかけに、立香とフェイトたちの関係は少しだけ変化した。
相変わらずフェイトは自分たちのことは何も語らないが、少しだけ早く帰ってきて家事を手伝ったり、食後に一緒に洗い物をしたり、あるいは外でどんなものを見て聞いたかといった他愛のない話をするようになった。
立香は静かに二人の話に耳を傾け、時に相槌を打ったり気になった点に言及し話を広げたりしている。若干人見知りの気があるというか、引っ込み思案なところのあるフェイトだが、立香相手には驚くほど自然に言葉が続いた。心を赦しているからではなく、立香が“話を聞く”のが上手いからだろう。
立香との交流は間違いなくフェイトの心の疲労を軽減していたが、それでも根を詰めれば疲労は蓄積する。立香も休養を勧めようと思ったことは一度や二度ではないものの、自身より遥かにフェイトに近い存在であるアルフが勧めても聞き入れてくれないことから、あえて言及しなかった。
フェイトは意志が固い…というか、もはや頑固や意固地の段階に入りつつある。だからあまりこの話題に触れると、むしろさらに頑なにさせてしまうと気づいていたからだろう。必要とあらばズケズケと相手の内面に踏み込むことも辞さない立香だが、フェイトの場合それはかえって彼女を追い詰めてしまうから。
とはいえ、立香としても今の状態を放置することはできない。さてどうしたものか……と思案していた折のこと。
「……ん、ちょっと、寝すぎちゃったかな? アルフは……」
重い瞼を開け、倦怠感が澱の様に淀む身体を何とか動かしてベッドから出るフェイト。頭もはっきりしておらず、体調が好調からは程遠いという自覚はある。まだ体調を崩してこそいないが、それも時間の問題だろう。
そうとわかっていてもなお、フェイトは休息をとろうとは思わない。彼女にはやるべきことが、やらねばならないことがあるのだ。それがたとえ、“正しくない”ことだとしても…笑ってほしい人が、いるから。
「アルフ、もう出ちゃった? 立香、アルフは……立香!?」
寝室から出てきたフェイトが目にしたのは、リビングの床で横たわる立香の姿。
(病気? それとも転んでどこかにぶつかったとか? えっと、この場合どうしたら……)
頭を強く打った場合、急に抱き起したりすればかえって症状が悪化すると教えてくれたのは、今はもういない彼女の家庭教師だ。そのことを思い出し、慌てて駆け寄りながらも直前で踏みとどまるフェイト。
見たところ外傷はないようだが、どうして倒れているのかわからない以上断定はできない。まずは熱の有無を確認しようと手を伸ばしたところで、ガバッと立香が体を起こした。
「ごめん、心配させた?」
「……寝たふり…ううん、倒れたふりだったの?」
流石にフェイトも眉間に皺をよせ、険しい表情を見せる。まぁ、立香からすれば懸命に怒った表情ですら可愛らしいとしか映らないが。まぁなんというか、はっきり言って立香を慄かせるには迫力が足りない。
「さて、どうかな?」
さすがに本当に意識が飛んでいたとは言えないので、こういう時は適当に誤魔化して話を進めてしまうに限る。
「とりあえず、せっかくだからそこに座って」
「? それで、なんでこんなことを……ちゃんと説明」
「ほら、ごらん。今日はいい天気だ」
「ぇ、天気?」
食い気味に言われて窓の外を見上げれば、そこには雲一つない青空が広がっていた。
そしてフェイトにはそれが、なんだかとても久しぶりな色な気がした。空を飛ぶことができる身であるにもかかわらず、随分と空を見ていなかったような気さえする。だからだろう、こんな当たり前のことを思ってしまったのは。
(空って、こんなに青かったんだっけ……)
「晴れた日の午前中、ここには気持ちのいい日差しが差し込むんだ。夏だと暑いだろうけど、この時期なら昼寝にはもってこいだよ。というわけで、はい」
「……枕?」
「今日はお休みです。そのままもう一眠りしなさい、命令です」
「なっ、ふ、ふざけないで! 私、やることが……」
「それで今日か明日か、それとも明後日か……近いうちに倒れることになっても?」
「それ、は……」
「君が頑張ってるのはわかってる。でも、今日頑張って数日倒れるのと、今日休んで最後まで走り切る。どっちがいいか、わからないフェイトじゃないだろ?」
「……」
立香の言わんとすることはわかる。だが、それでも……と、心が焦ってしまうのも事実だ。早く、早く、一日でも早くあの人の願いを叶えたい。もう一度、笑ってほしい……そのためなら、倒れたって。
しかし、そんなフェイトの悲壮な思いを他所に、立香は再度床の上に寝転ぶ。
「じゃ、おやすみ」
「って、寝ちゃうの!? だ、だったら私、もう行くからね!」
「うん、それが君の選択ならそうするといい」
「……え?」
「俺に君の選択を歪める権利も資格もない。できるのは、提案することだけ。だから、これはお誘い。いい天気だし、一緒に昼寝でもどう? ってね。一緒に寝るもよし、寝ないもよし、場所を変えるのもいい。全部、フェイトの自由だ。君が決めていいんだよ」
「私の、自由……」
その言葉が、なんだか不思議と胸の奥深くにストンと落ちて行った。
(私の自由、私が決めていいこと。しなきゃいけないでも、するべきでもなくて、“してもいい”こと)
それは、とても久しぶりに届いた響きな気がする。
だからだろうか、気付くと枕を下ろし、立香に寄り添うようにして体を横たえていた。
(ああ、あったかい。今日は本当に、いい、天気…だ……)
瞼を閉じれば、あっという間に眠りの世界へと落ちていく。その日フェイトは夕方になるまで、都合7時間以上眠り続けた。目が覚めた時には大いに慌てたし、よくよく考えれば寝顔を見られたことへの羞恥心に真っ赤になったりもしたが、随分と体が軽くなった気がする。
だから、彼女は失念していた。一緒に眠ったと思っていた立香が眠る自身の身体にタオルをかけ、眠るまでの間そっと髪を梳いていてくれたことに。
小さな変化が降り積もる日々。
いつの間にか、立香が眠っているとつられて眠ってしまうようになった。頭を洗うのが苦手なフェイトは、アルフの帰りが遅い日には立香と一緒に風呂に入って頭を洗ってもらうようにもなった。まぁ、後者については立香も非常に困っていたのだが、「まぁ子どもだし」ということで自分を納得させていたわけだが。
そうして自分のことも、相手のことも、何も知らせず、何も知らないままわずかずつ二人の関係性は変化していった。初めは監禁した側とされた側、次第に世話をする側とされる側へ、そして……気付けば、なんと呼べばいいかわからない間柄になっていた。
やがてフェイトは怪我をして帰ってくるようになった。ある時は手を、またある時は肩を、酷い時には全身を鞭で打たれたような姿で。その度に立香はアルフとともに手当てをしてきたが、ある日アルフは帰ってこなかった。
誰よりもフェイトを案じていた彼女がフェイトの傍にいない。その異常性を立香はよく理解していた。
「フェイト」
「なにも、聞かないで」
フェイトは頑なだった。いや、固く閉ざした……というのが正しいのだろう。
そもそも、これまでも何度か立香は対話を試みたことがある。だが、彼女は自身にまつわることは徹底して何も語ろうとしない。普通に話はできるようになったし、食事をはじめとした家事のことで感謝もされている。そういったことについては、恥ずかしがったり控えめながらに自分の思いをちゃんと口にしてくれる子だ。きっと、しっかりとした大人に厳しくも優しく育てられたのだろう。
ただ、外で一体何をしているかや彼女の関係者の話になると固く口を閉ざす。そこに、彼女なりの配慮が多分に含まれていることはわかる。立香を巻き込まない、その一点においてフェイトは大変頑固だった。
実を言えば、いっそ空気を読まずに踏み込むべきかと思ったことは一度や二度ではない。だがきっと、それはフェイトを追い詰める結果にしかならないことは容易に予想できた。
ただでさえ、最近の彼女は悲壮感すら漂っている。これ以上追い詰めるようなことはしたくない。むしろ、少しでも心身を安らげられる場所を提供すべきではないか。そう思った立香は、あえて踏み込むことをしなかった。
代わりに、彼が選択したのは……
「ぁっ……あの!」
「何も言わなくていいから。今はゆっくり眠るといい」
「……………………………………………うん」
フェイトをベッドに横にならせ、その頭をやさしくなでる。立香にしてやれることはあまりに少なく、この程度このことしかできない自分に歯噛みする。
それでも、立香はせめて精一杯の思いやりを込めて絹の如き金の髪に触れる。この健気で優しい子が、少しでも張り詰めた心を緩められるように。
「フェイトは、偉いね。その年でこんなにも頑張って……君は、本当に立派だ」
「私は、そんなんじゃ……」
「それは、君がよくないことをしているから?」
「っ!? それ、は……」
「答えなくていい。ただ、君の様子を見ればなんとなくわかる。正しいと思えることをしているなら、君はもっと誇らしく胸を張っているはずだ。そうじゃないってことは……そういうことなんだろうって、俺が勝手に思ってるだけ」
フェイトにとってその指摘は、ある意味とても恐ろしいものだった。立香の指摘が正しいからこそ。
だって彼女は、立香に自分が「悪いことをしている」と知られたくなかった。なぜかは自分でもよくわからないが、この人に軽蔑されたくないと思う自分がいたのだ。
しかし、そんなフェイトの不安は杞憂に終わる。立香はそもそも、善悪で他人を差別するような精神性をしていないのだ。
「たとえ君のしていることが正しくないとしても、それでも君が誰よりも頑張っていることを俺は知っている。それも、きっと自分以外の誰かのために。それは、事の善悪とは別の問題だよ。一生懸命頑張っている、その事実はちゃんと評価されるべきことだし、俺はそんな君を尊敬している」
「尊、敬……私、なんかを?」
「だから、君はとても立派だと思う。誰かのためにそんなにも頑張れる君は、いつかきっと……みんなに愛される
「愛…して、もらえるのかな?」
顔を枕に埋めたまま、か細い…涙声が漏れてくる。
「うん、きっと……」
「私、頑張ってるよね?」
「ああ、ちょっと頑張りすぎなくらいに」
「頑張ったんだ、母さんに喜んでほしくて、もう一度笑ってほしくて。頑張って、頑張って……でも、なんでこんなに辛いのかな、苦しいのかなぁ? 私はただ、母さんに笑ってほしいだけなのに……」
それは、初めてフェイトが零した自身にまつわる話であり、心からの慟哭だった。
甘えることをせず、弱音を吐くことなく、痛ましいほどに強くあろうとした彼女が見せた弱さ。
そこから先は、もう言葉にはならなかった。縋りつき、ひたすらに泣きじゃくるフェイトを、立香はただ黙って受け入れる。
立香は彼女の家庭環境について無知に等しい。何も知らない者が、賢しげに語っていいことではない。
その日、フェイトは泣きながら眠りについた。そんな彼女に寄り添いながら、立香はこの日々の終わりが近いことを理解する。
だからこそ、決めたのだ。自分がこの子のためにできることはあまりにも少ない。ならせめて、できる限りの
(ドクター、あなたもこんな気持ちで俺たちを見ていたのかな)
フェイトの寝顔に、今は亡きかけがえのない人のことを思い出しながら。
明くる朝、フェイトは立香に別れを切り出した。もう自分はここには帰ってこない。だから、あなたももう自由だ、と。思いつめた表情のまま、その姿は今にも泣きだしそうに見える。
そんなフェイトが最後に紡ぐ言葉が、立香にはなんとなく分かった。「ありがとう」か「ごめんなさい」か、そのどちらか。そしてきっと、この子は後者を選ぶ。だからその前に、伝えることにした。精一杯の思いを。
「立香! 今まで本当に」
「ありがとう、フェイト」
「ごめ……え?」
「俺と出会ってくれて、ありがとう。君と会えて、本当に良かった」
「どう、して……」
訳が分からないとばかりに呆気にとられるフェイト、きっと彼女は思いもしないのだろう。毎日懸命に、それが正しくないと知りながらも頑張り続けてきた小さな女の子。その背中に、立香がどれだけ救われたかなど。
「君が、頑張っていたから、かな。だから俺も、頑張るよ。色々大変なことも苦しいことも、辛いことだってあるけど……それでも、俺も頑張っていくから。
だからフェイト、君も――――――――――“頑張っておいで”」
“頑張らなくていい”と弱さを赦すのではなく、“頑張れ”と励ますのでもなく。“頑張ってもいいんだ”と自身の思いを認めてくれた言葉。母のため……そう思いながらも、果たしてそれは許されるのだろうかと、心のどこかで揺れていた。でも本当はやっぱり、母のためにできる限りのことをしたかった。
きっと、「頑張らなくていい」と言われても弱さを見せることはできなかっただろう。「頑張れ」と言われれば、さらに追い詰められてしまったかもしれない。だが、立香は「頑張っておいで」と言ってくれた。フェイトの頑張りは、“頑張りたい”という思いは正しいのだと、そう言ってくれたのだ。頑張りそのものではなく、その奥の思いを許してくれた。
「他ならぬ、君自身のために。いつか、この日のことを思い出した時に、自分に胸を張れるように」
「…うん、うん……!」
あふれる涙をぬぐいながら、何度も繰り返す。今の思いを、なんと言葉にしていいかわからなかった。
「そうだ、もう一つ君に伝えないといけないことがある」
「伝える、こと?」
涙でぬれた赤い瞳で見上げる女の子に向けて、立香は心に深く刻まれた言葉を贈る。昨夜、「辛い」「苦しい」と零した彼女のため……今すぐでなくてもいい。いつか彼の言葉が、この優しい少女の救いになればと願って。
「ある人が言っていた。命とは終わるもの。生命とは苦しみを積み上げる巡礼だ、って」
「……じゃあ、私たちは生きている間ずっと、苦しまなくちゃいけないの?」
「いいや、それは違う。確かにあらゆるものは永遠ではないし、最後には苦しみが待っているのかもしれない。
でもそれは、断じて絶望なんかじゃない。限られた生をもって死と断絶に立ち向かうもの。終わりを知りながら、別れと出会いを繰り返すもの」
そう、それは決して苦しいだけの道ではない。生きるということは誰かと出会うということ。出会いとは、魂の欠片の交換だ。受け取った欠片は自分自身と混ざり合い、次の誰かに新たな欠片となって引き継がれる。
そうして人はどこまでも遠く、どこまでも広く繋がっていく。たとえ生命が終わったとしても、自分という存在は終わらない。それが人間という種の輝きであり、それこそが歓びなのだ。
だからこそ、最後には別れが待っていると知りながらも、どんなに辛く悲しい離別を経験しても、人は出会いを繰り返す。
出会った誰かと“愛”を育み、別れの先で“希望”と繋がることを知っているから。
今のフェイトにとって生きることは辛く苦しいものかもしれない。だがいつかきっと、それだけではないことに気付く日が来ることを願って、この言葉を贈ろう。
「……輝かしい、星の瞬きのような刹那の旅路。これを、愛と希望の物語と云うんだよ」
「よく、わからないよ……」
「大丈夫、いつかきっとわかる日が来る。たくさんの人と出会って、別れて……そうしていつか気付く。君の人生は、ただ目が覚めているだけで―――――――――」
―――眩く、輝いていることに。
他ならぬ、フェイト・テスタロッサの輝きに救われた立香だからこそ、断言できることだった。
そうして、別れの時が訪れた。立香はフェイトの頭を優しく撫でて、「さよなら」と一足早く部屋を後にする彼女に一つ訂正を入れる。
「フェイト。いいかい、覚えておくといい。こういう時はね、『またね』って言うんだよ」
「でも、私はもう……」
「この国には“縁”という言葉がある。簡単に言っちゃえば、人と人とのつながりだったり、めぐりあわせのこと。それは、どこでどう絡み、結び、繋がるかわからない。一度は切れた縁が、思いもかけない所でひょっこり顔を出したりするものさ。俺も君も、まだまだ人生は長い。だから、何かの拍子でまた会うことがあるかもしれない。だからここは、『またね』が正しいんだよ」
そうして二人は別れた。この時のフェイトにとっては今生の、立香にとっては一時の別れ。
フェイトに遅れて立香も部屋を後にするが、最後に人の気配のしなくなった部屋を振り返る。
「じゃあ、行ってくるよ。ドクター、パツシィ」
同時に、それまであった現実感が薄れていく。どうやら、この長い夢はようやく終わりを迎えたらしい。それにどんな意味があったのか、それがわかるのはずいぶんと後のこと。
それでも、金色の優しい光との出会いには、確かに意味があったのだ。
「さぁ、世界を滅ぼす旅を続けよう」
自分もまた、胸を張って進めるように。もう一度あの子と会った時に、恥ずかしくない自分であるために。
そう、なんとなくだが、フェイトとはまた会う気がしていた。
そしてその予感は、現実のものとなる。以降、立香は度々この世界に紛れ込む。ある時は数時間、またある時は数日にわたって。
そうなると、寝床くらいは必要になる。
とはいえ、立香に裏工作の類を行う手練手管などない。なので、誰とは言わないが頼りになる悪い大人たちに相談し、とりあえず住居くらいは確保することに成功する。
そして、フェイトとの別れから数ヶ月後、冬のある日……とある街角で二人は再会することになる。
* * * * *
その日、フェイトは人生初の敗北を喫した。
決して負けられない戦いだった。全身全霊を費やし、それでもなおあと一歩のところで届かなかった。
母の願いを叶えられなかったことへの申し訳なさが胸を満たす中、だが不思議なことに少しだけ……そう、ほんの少しだけ“誇らしかった”。
確かに結果は伴わなかったけれど、それでも……
(ねぇ立香、私…頑張ったよ。負けちゃったけど、それでも今の自分にできるだけのことはしたって、そう断言できる。君は、褒めてくれるかな?)
彼が贈ってくれた言葉の意味はまだほとんどわからないけど、この誇らしさは本物だと思う。
誰の為でもない、母の為ですらない……最後まで頑張った、自分自身への。
そして、だからこそ思う。今まさに海に落ちた自分を引き上げた、白い少女に。
「………………君は、スゴイね」
それは自身の全力をうち破った相手への、惜しみない賛辞だった。
たぶん、この後のフェイトは原作より立ち直りが早い気がする。自己肯定感というか、そういうのが少しだけ補強されているので。