最近あまりやらかさないおれにジョーカーも安心していたし、おれも国が軌道に乗り始め、気を抜いていた時だった。
ヴァイオレットが動いたのだ。
強い毒の後は体調が落ち込むが、今回のは味わい慣れているものとは少し違った感じがした。
その時点で気付いてればよかったが、吐き切れなかったようだ。
急激に目覚めてみれば倦怠感が強い。
言葉を発そうとして呂律が回らない事に驚き、そのままよろめいてベットの下に落ちた。
まさか毒に色々混ぜやがったのか、症状からして睡眠薬と痺れ薬……あぁやばい、これはマジで久し振りにやばい。
単体なら平気だが、混ぜられたら耐性も上手く発揮されない。
胃の中が焼けるように熱い。三半規管は狂って延々身体がふわふわしている。目の前が灯りもないのに点滅しているし、身体中皮膚の下で虫が蠢いている気がする。
うぞぞ、うぞぞぞ、気色悪い。
腕を掻き毟ったが勿論出るわけはない。だが掻き毟った傷口からムカデやら蜘蛛やらが、腕から出てきては皮膚を覆っていく。
幻覚だ、そう思って首を振ろうとしたら無様に倒れた。
だが頭の方はまだ大丈夫だ。冷静に物事を捉えられるが、症状のせいでいつ頭が馬鹿になるか分かったもんじゃない。
動こうとして、腕を引っ張られた。そのまま肢体がベットに戻される。
相手の腕を掴もうとして不意にシャツのボタンが外されている事に気付いた。
「……?」
「まさかもう起きるなんて…」
喋っても無用な言葉にしかならないため意味がない。やめろ、というかお前何で下着なんだよ。
歪む視線の先に捉えたのは机の上に置いてあるカッター。
そういや所々かなりの深さで彼女の肌が切れている。腕や足を一周するように……何してんだ?
「…ゔぁ、……ぃ?」
「意識はあるのかしら…いやもう……ここまで来たら戻れないわ…」
一瞬身を震わせたが、華奢な腕を首に絡ませてきた。恐怖がその一瞬の瞳の中に映ったのは間違いない。
何をそこまで怖がっているんだ。
頸を優しく撫でられて、口元に彼女の肩が押し当てられた。甘い匂いがする、シャンプーか?
あぁでもなんか…場違いに温かいと思うな。
…あたたかい。
「噛んで」
「……?」
何を言ってるかよく分からない。だが指示通り動けと要求されているのは分かる。
だがあたたかい、あたたかいんだ。
頸に回っていた手が背中に回り思い切り引っ掻かれる。痛みの余り歯を食いしばったが、鉄の味に思わず顔を
「いっ………う……」
「……」
やばい噛んじまった。痛みに呻く彼女の肌からは、相当深いのか血が肩口からしとどに流れているし、おれの背中も相当深くえぐられてそうだ。
ぼんやりとしていく思考の中何度かそれを繰り返され、シーツは辺り一面どっちのものか分からない血で染まっている。寝返り打つの当分こりゃあ辛いな。
それと同時に頭の中はハッピー状態なのか、彼女が母上に見えている。撫でられたのが駄目だったな。あたたかいが、直結してそうなったんだろう。
もう大分イかれてきている。助けを呼びたいが、奴の名前が思い出せない。
そも彼女の名前も出て来ないし、今何故こんな状況になっていたんだっけか。
ただあたたかい。また頸を撫でられた。あたたかい。
「…はは、う……ぇ」
瞬間、身体が勝手に動いた。明らかに明確な意思を持って彼女を壁に叩きつけ、首を絞めている。
掠れた女性の声と、奴のブチ切れてる笑い声。
起きるの遅いあんた。
というか待って、母上を殺さないで。母上をおれから奪わないで。
ねぇ●●●●●、ねぇ●●●●●ってば。
ねぇ、やめて、やめて
「がっ、あ……っ」
「フ……フフフ、フフ…………ヴァイオレット…!!」
かひゅっと、彼女の口から歪な呼吸音がした
やめて、死んじゃうよ、やめてよ
『ころさないで』
「………」
『ころさな、いで』
「こいつはお前を…」
『●●●●●、ころさな』
「……クソッ、全くテメェは…」
そう言って●●●●●は●●●●●の首を離した
よかった、これで母上、死なな
な なな
●●●●●、ななな、●●
『ころさないで、母上を』
「…おい、どうし……」
『ころさないで、母上を』
「おい!!しっかりしろ!!!」
『ころさないで、母上を』
父上ころさないで、母上を。
*****
【sideヴァイオレット】
人は何にだってなれる。
私はお父様やお姉様を救うために、ちっぽけな私の正義を掲げようとした。
でもあの男は、それを嘲笑うかのように私の家族を殺したんだ。敵と組んで___その敵さえも殺して、国を乗っ取ったんだ。
探していると言っていたレベッカも……今頃もうきっと………。
奴は権力に溺れた悪魔だ。それでも尚強欲は止まらない、何にも縋る事が出来ない私を仲間にした。
私の成熟を待つなど嘘だ。国民も老院も既に男の魔の手に堕ちている。
私は絶対に騙されない。絶対にお父様やお姉様の仇を果たす…!そして必ずドレスローザを取り戻してみせる…!!
そんな私を弄ぶように、奴は私の殺意を遊びとして受け入れている。
ファミリー内では仲間を傷つける事は死を意味する。だから殺意を隠さなければならない。本当に悪趣味だ。
最初は弱い毒を、それが効かなければ強い毒を。
自分の手が汚れることなど、もうどうでもよかった。暗殺者として人を殺してしまった今、私はもう止まれない。
恨まれて殺されてもいい。でもその前に奴を殺さなければ私は死ねない。
お父様やお姉様の恨みを晴らさなければ、死ぬに死ねないんだ…!!
でも男に毒は効かなかった。途方に暮れていれば偶然耳にした、私が奴と親密な関係にあるという噂。
反吐が出る、あんな男と。
でも今まで感じていた疑問はあった。何故自分が殺されなかったのか、普通だったら私も殺されていたはずだ。
そして気付いた。きっと奴はいずれ私に関係を迫るのではないかと。いや、きっとそうだ、…じゃなきゃ私は今生きているはずがないんだ。
迫って、断れば絶対に無理やり……。
だから強姦される前に、逆に自分から迫ろうと考えた。されたくないなら、襲われたように見せかければいい。
勿論力を行使されたらひとたまりもないから、薬を使って。
ただ新しく取り掛かっていた複合薬は相当強いものだったらしい。
最初に試したら相手が直ぐに泡を吹いて死んだ。それから何度か改良を施したけれど、致死性が相当高い薬となった。
それで男が死ぬなら別にいいし、これだったら力を奪うのは大丈夫だろう。
奴だったら気付いても面白半分でノリそうだし、私を手中に出来るのだ、悪いようにはされないと判断した。
そしていずれ隙を見せた時に殺す、そう誓って。
もう自分の身など、どうでもよかった。奴を殺せればもう……それで…。
地獄に堕ちる覚悟なんて、仲間になった時から既に…いや、奴を殺すと決めた時から出来ていた。
予めファミリーのメンバーに分かり易いよう仕込み密会に見せかけ、奴に薬が入ったものを飲ませた。
元々ファミリーの一部の者が関係性を示唆していたんだ。気付いてもそれが確信に変わるだけだし、手は出してこないだろう。
男の人望は厚い。殺される訳がないという油断が彼らの根底にはある。
肢体が崩れ落ちたのを確認して、ベットに運んだ。私がギリギリ運べる程度には軽く、体格からしてみれば存外線が細かったのに驚いた。
服を脱いで布を噛みながら自分の肌をカッターで切った。そうすれば相手の能力で糸を使わせたと思わせられる。
新薬は頭の中がお花畑になり、使用中に思い込めば使用後もそれに引きずられる。
例えば自分が手を出したと思い込めば、使用後も自分が手を出したという意識が残る。
能力が使えるというのは最大の安心感。それを付け狙う。
相手に能力を使って自分が犯したという意識を植え付けるのだ。
行為まではしない。
そう見せかけるためには、襲われた証拠を自分で偽装する上で痛みを耐えるしかないけれど、今はまだ絶対に自分を汚したくはない。
……まだ、そこまで捨て切るには怖かったんだ。
途中で起きてしまったけれど問題無かった。起きていなかったら背中を鋭くしておいた爪で引っ掻き、痛みに呻いた所を噛ませようと思ったけど、結局起きていてもその方法を取ることになった。
視線がぼんやりとしているし、これなら大丈夫と思って続けていた時、不意に聞こえた言葉に頭が真っ白になった。
「…はは、う……ぇ」
何を言ってるんだと思う間も無く、首を絞められた。薬の効果が完全に切れたのだろう。
殺される、お遊びが過ぎたんだ。
自分よりも倍はありそうな手がギリギリと音を立てて絞め上げる。
くる、しい。
…でも、ははうえ…多分母親のことだろう。それを口にした時、恐ろしい程虚ろな目をしていた。感情など何もないような目。
ただ今は別人のように私に怒りを向けている。
意識が遠くなる中聞こえたのはまるで奴が誰かと会話しているような声。
男が口にした「お前」と呼ばれた存在は一体誰なのか、さっきの真っ黒な瞳を持った奴のことなのか。
…分からない、でも何かとんでもないことをしているんじゃないかという考えが頭に過ぎった。
母を呼んだ悲痛な声は、まるで私がお父様やお姉様が死んでしまった時に浮かべていたものと同じようなもの。
そんなこと…あるはずない、奴は圧倒的な加害者で、被害者なわけが………
しかし意識はそこで途切れた。
思考が沈む中、誰かに必死に声を掛ける男の声が聞こえた。
「ごめんなさい」
目覚めた時、聞こえたのは小さな声。
「…?」
暗闇の中、辺りを探る。死んでいなかった事に驚きながらも、音のする方角を目指して壁伝いに移動する。
絞められていた感触はまだ残っていて、無意識に首をさする。
そして漸く目が慣れた所で見つけたのはソファーと壁の間、部屋の隅で膝を抱えて何かを呟いている男の姿。
薬でラリったのかと思ったけれど、症状はもう大分治っているようだ。相変わらずバケモノじみた耐性能力だ。
ただ中の精神の方がおかしくなったのか、もっと近寄らなければ聞き取れない程小さな声で何かを言っている、それも延々と。
「……ドフラミンゴ…?」
今度こそ殺されるかもしれない。でも、何故か彼に向かって伸びる手を止められなかった。
まるでその姿は、子供みたいだったから余計。
「ごめんなさい」
夜でもやけに目につく金髪に手が触れる近さにまで近づいた時、漸く呟かれる言葉の内容を理解出来た。
何に謝っているのか分からない。でもただひたすらに謝り続けている。
血塗れになっている腕を尚も引っ掻きながら、顔を埋めている。
怖い。でもそれは殺される恐怖じゃない。
彼自身が壊れていっている行程が、とても怖かった。
どうしてそう思ったのかは分からない。でもそう思ってしまうほど、彼の瓦解具合が酷かった。
「……ドフラミンゴ」
「ごめんなさい」
「ドフ……」
「ごめんなさい」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
私が喋るのを止めても、延々と続くその言葉。しかし私の思考はどこか冷静になっていく。
人間というのは、基本弱い生き物だ。
偉大なお父様もお母様が亡くなった時や兵士が殉死した時、涙を見せていた。
誰だって弱さを持っている。壊れやすくて、それでも懸命に生きている。
大抵理性より感情が先に動く。その後感情を理性で抑えて動くのが普通だけど、私は感情に身を任せ理性を以ってその感情を動かそうと決めた。
目の前の男を、殺すために。
でも、今その男を私は何の目で見ている?
憐れみだ。そんなはずないと思っていた。確かにファミリーの人間は理不尽を受けて闇の世界に入ったものが殆どだ。
奪うという思想は、奪われたからこそあるのだろう。
奪う彼らは相応の過去を持っているのだ。その行動は正当化されてはならないけど、しかし100%許されないというのも間違っている。
けどドフラミンゴという男は、圧倒的な悪を持っている。その悪は何の理由もなく行われているのだと思っていた。
何故今までそう思い込んでいたのだろう、彼だって人間なのに。
……いや、それを上塗りするほどの大きな力を男は持っていたし、それ以上に私の中に憎悪があった。
憎くて憎くて、殺したくて_____感情に呑まれていたんだ。
理性で行動していたなんて、そんなの嘘だ。憎しみに囚われて血気に逸っていたんだ。
あぁ、私は本当に愚者だ。バカで阿呆だ。
_____男が被害者じゃないなんて、どうして思い込んでいたのだろう。
過去が重いファミリーを拾ったのも、利用価値云々じゃない。多分…まだ推測でしかないけれど、けどきっと真実はそうなんだろう。
自分が重い過去を持っているから、シンパシーを感じて誘ったのだとしたら?
彼が嘗て被害者になったからこそ、今加害者側になっているのだとしたら?
昔奪われたから、今奪う立場になっている。私をどうして奴の母親と重ねたか分からないけど、薬の効果なんてそれこそ未知数だ。
私を重ねて…昔母親を奪われた過去を思い出したのかもしれない。私の妄想でしかないけど、そうじゃなきゃ………今こんなに、壊れているはずがないんだ…。
「…ドフラミンゴ、ねぇ」
「ごめんなさい」
相変わらず何に謝っているのかは分からない。でも彼と面と向かって話合わなきゃいけないと、そう本心が言っている。もしかしたら大きな勘違いをしているのかもしれない。
それも全部、私が彼の話を聞こうともせず感情的になり過ぎていたせいだ。
それこそ最初は何かを言おうとしていたじゃないか、それを無視して、ただ殺す事だけに囚われていた。
途中からそんな私に諦めた顔をしていたのはしょうがない。
それに、私の殺意に遊びで付き合うような目をしていなかった。バカみたいに真剣な表情をしていた。
死ななかった結果だけに囚われて…全部、全部………見ていなかった。
涙が溢れる。自分の愚かさに、自分のバカさ加減に。
「ごめんなさい、ごめんなさいドフラミンゴ……」
さっきまで冷静になっていた頭は、熱で浮かされたように熱くなった。
それに続いて熱くなる瞼からは無数に涙が溢れる。
「何も、何もなかったの…ごめんなさい、ごめんなさい……」
消え入るような声に、今度は自分が謝る事しか出来なくなった。
何に謝っているか自分でも分からない。それでも謝らなきゃいけないと、漠然とした思考一色に染まっている。
まるで子供の時のようだ。
昔間違ってお皿を割ってしまった時も、お父様に叱られてごめんなさいとひたすら謝っていた記憶がある。
不意に頰を伝う涙を拭われて、頭を優しく撫でられた。懐かしい感覚がして顔を上げると、色の違う瞳が窺えた。
淀んでない綺麗な瞳だ。
優しく名前を言われる。「ヴィオラ」と、仲間に入って以降言われなくなった私の名前。
まるでお父様に撫でられているような温かさに、重たくなった瞼を閉じた。
その身体にしがみつけば大きな心音が聞こえる。彼が生きている事に何故か安心感を感じて、そのまま意識を預けた。
遠退く意識の中でも、ずっと優しく撫でられていた。