ただ、物になりたいと思った。そうすれば雑多な感情に支配されることもない。
ただ、物になりたいと思った。そうすれば生なんて感じなくてもいい。
ただ、私は人間だった。そう故にこんな考えを抱く。
机上によこされた書類をひとしきり眺めた後、ケビン二佐は呟いた。
「まいったな、彼は出来た人だと思っていたのだがね……」
「失礼ですが、それは三佐のお人柄の話でしょう。尊敬する得難い上司を得たなどと言われ、その実言っていた部下は不正を行っていたのです。三佐はお人柄こそ良かれど、上司としては無能に近かった」
少女は無遠慮に無表情に感想を言う。その言葉にケビンは眼を細める。
「言い過ぎだ」
「申し訳ありません」
反射のように謝罪の意を述べる少女にケビンは無駄と言葉を飲み込む。
この手のやり取りを何度繰り返したかわからないが、それでも文句を言いたくなる性格をケビンは直す気はなかった。表に出す時と出さない時の判断を誤らなければいいだけの話なのだから。
書類を再び机上に戻し、諦念を感じさせる声で終わりを紡ぐ。
「ふぅ……規則は規則、部下の責任を取るのも上司の仕事。その不正をした何某は後で査問委員会に、ヘンリー三佐には自分から降格処分の申請をするよう打診しておこう」
「了解しました。では失礼します」
ぺこりと頭を下げ、短い髪が僅かに揺れる。そのまま踵を返し去ろうとする少女に、どういうわけか今日は何か言いたかった。
「――時に感情が理性的な判断を狂わせる。人間は理性を持つ動物だがね、やはり一番は感情なのだよ。感情が生まれたからこそ理性は生まれ、よって感情に理性は負ける。三佐はその『時』が多く長かったのかもしれない」
人柄の良さで三佐にまで昇ったようなものだったヘンリーをケビンは責める気はない。
確かに彼は部下の行為に気付くことはできなかったが、それは人間というものに、同じ管理局の一員に、故意に悪事を働くものなどいないと信じたかったからなのだ。自身の後輩であるヘンリーのことをよく知っているケビンはそう思っていた。
「卵が先か鶏が先か。私の世界の言葉ですが、察していただけますでしょう?」
「ふん、なんとも絶妙な言葉だ。理性あるから感情があるのか、感情生まれ理性生まれたのか――――時に理性と感情、どちらが卵で鶏なのかな? イチバ准尉」
冷たく返ってきた言葉の意味はすぐにわかった。
本能で子や仲間を守ろうとする動物には感情がないとも言えない。それを認識する理性がないだけで。
だからケビンは感情こそ動物の本質と思っているが、それとは別に少女に聞いてみたかった。一刃は問いに対して少し考えたような間をとって言った。
「……愚問です。その問いに、答えなどありません」
捨て台詞のように部屋を出て行った少女を見つめ、そのまましばらくドアを見続けたケビンは背もたれに身体を預け、指で作った環を覗き込んだ。
「さて、卵の殻から出てこない鶏は、理性と感情、どちらかね……」
――鶏が先だと、ケビンは思った。
有名人が食堂にいるらしく、とてもとても邪魔だった。有名人が悪いわけじゃないが無用に集まる人の群れにはいい感情を抱かない。
しかし休憩時間も限られている、ここで無為に過ごしていたくない。だから早くご飯を受け取って余所に行きたかった。
「あ、雪那ちゃん!」
でもその有名人が私の知り合いで、感謝している先輩であるなら話は別で。
ざわついている群れを掻き分けて、私は彼女に近寄った。
「お疲れ様です、高町二尉」
「お疲れ様。でも高町二尉って……なのはでいいって言ったでしょ? 同い年なんだし」
なのはは笑いかけてくれるが、私の顔は笑ってくれない。少し不満気に眉毛を歪めるその原因を今は取り除けない。
「此処は公式の場というわけではありませんが非公式の場でもありません。周りの目もありますし、階級差を考えてください」
私に出来る最大限の優しい口調で答えたつもりだが、それでもなのははあまり納得してくれなかった。しかし次の瞬間にはまた笑顔になって、隣の席を勧めてくれる。
「隣座って。ご飯一緒しようよ」
その言葉に、私はどう答えるべきだろうか。
食堂だから誰がどこで食べていようが関係はないが、今こうして話していること自体なのはにとって不利益だということを私は自覚している。しかし彼女の誘いを、私は断っていいんだろうか。
『高町二等空尉、お客様がいらしております。至急教導官室に向かってください』
放送がかかった。それは私にとって救いの声だった。
「あ……」
「呼び出しですね。それは私が片付けておきますので先方を待たせないように行ってください」
なのはは残念そうな顔をして、ごめんねと言って席を立った。その後姿を見て私はホッとするが、同時に多くの視線を感じてそんな気持ちは吹き飛んだ。
「…………」
好意的な視線があるわけもない。
将来を嘱望されるエースに話しかけられる私は、管理局の膿を出す為に他ならない同僚を疑うのだ。査察官は余程のことがない限り良いように思われない。
その上私は人形だ、最早同族とすら思われていないだろう。
元々ここで食べる気はない。なのはのものを片付けて早々に立ち去ろう。
「ん、おお雪那じゃないか。ちょっと待てよ」
「…………」
一難去ってまた一難、同期の優男が現れた。栗色の髪はなのはに似ていて好感が持てるが、そのいかにも好青年ですというオーラが気に食わない。
見上げるほどの背の高さ、細く締まった体躯。武装局のホープ。
「……キリシマ」
「だからイッセイでいいって言ってるじゃないかよ」
苦笑いでファーストネームを提案するキリシマが私は嫌いだった。お前は友達ではない、だから私の名前を呼ぶな。
「学習能力が欠如しているのなら医者にかかったほうがいいわ」
「生憎ここは優秀なんだ」
とんとんと頭を指し、はにかむ。どうやら世間一般ではこういう態度が好かれるらしいので、私は嫌われ者でいいと思った。
そのまま立ち去ろうとする私を強引に椅子に座らせ自分は向かいに座る。近況を面白おかしく話しては高速で食料をかっこむキリシマを諦めの境地で見定める私はきっと周りから見れば腹の立つ人間だろう。
人望もある彼だ、だからこそ私に関わらないでほしい。やっかみの排除は面倒だ。
「――と、そうそう。上から聞いたんだが、今度の作戦は雪那も同行するんだってな」
「……」
「久しぶりだなぁ、雪那の魔法は特殊だから好きだぜ、俺。でもなんでまた査察官のお前が――」
「キリシマ。局内とはいえ公衆の面前で作戦の詳細をしゃべるのは感心しない」
「いいじゃないか。この騒がしさだぜ、誰も聞いてないよ」
はっはっはと笑う彼は、いわゆる鈍感だった。
と、顔を近づけてくる。引いた。
「内緒話ならいいんだろ?」
「私は用事がある」
なのはの分も持ち、背を向けた。キリシマのミスは私の対面に座ったことだ。
「あ、待てって! ったく、いい加減その性格直そうぜっ!」
「…………」
それは彼の厚意だ。何の打算もない、眩しいほどの純粋。だからこそ、私はそれだけは否定しない。
「改める必要は感じない」
ただし結果は伴わない。
キリシマの言う作戦とは、とある犯罪組織の一斉拿捕である。彼らは細々と小さな罪を犯していたが、次第に規模が大きくなりついには誘拐にすら手を出し始めている。
既にその組織の犯行と思われる誘拐事件は7件、うち救出できたのはたった2件だ。何故なら彼らの目的は短絡的かつ短時間で終わる。動かない亡骸は見るに耐えない無残さだった。
故に、私が出ることになった。然るべき制裁を逮捕時に浴びせるための拷問装置である。
自室にて、準備に取り掛かる。前髪は目を覆わんばかりに長く、闇を纏うように黒く、整然と揃え。
弱点である首を守るように後ろも若干長く、余裕があるように。
日本人らしい黒眼は相手に見えなくていい、ただし見えてもいい。この暗さだけは負けない。
意志を消し、表情を消し、感情を消す。目の前には日本人形のような怜悧さ、冷酷さを纏った少女がいた。
「――私は、一刃雪那」
自問自答。自己の存在を確立させ、精神の安定を得る毎日のルーティン。
「16歳、AB型。家族はなし」
そのことに対する思いもなし。
「この体は機械、機械に感情はない」
そう、感情はない。
「私は私だが、決して私ではない」
* * *
第41管理外世界、セイム。大半が砂漠と化した荒廃した世界に残された文明の跡地は、既に武装隊によって囲まれていた。
「ワイドエリアサーチ終了、周辺に伏兵はなし」
「そうか、わかった」
隊長が頷き彼方を見据える。イゼルダ隊長は歴戦の戦士だ、その相貌には無数の名誉の痕が刻まれている。戦場では一切の甘えを許さない彼は敵対する勢力にとっては死神に他ならない。
しかし今、その瞳には間違いなく侮蔑と諦念、そして慈悲があった。これから起こる事象をわかっているかのように。
彼は私を知っている、そう思った。文面ではなく、その感覚で以って知っている。
「ではこれより任務を遂行する。一刃査察官」
「は」
「……加減は効かぬのだな」
「できません。する必要もありません」
「……そうか、よろしく頼む。全員後退、査察官から100mは離れろ!」
万一の為の事前包囲網を解体し、武装隊が下がる。もう私の周囲には人がいない。それこそが安全だということだ。
私のバリアジャケットは簡潔に言ってしまえばシスターである。教会とは関わりはないが、何故だろう、そうなってしまった。
灰色のそれはいくつもの色が交じり合った結果だ、埃と同じ集合体でしかない。
「アクター」
ストレージデバイスを起動、目標建造物に向ける。魔力が迸り、杖先に球体を為す。
「憎悪、恐怖、崩壊」
“Hatred,Fear,Collapse”
「懺悔せよ」
“Feelings explosion”
磁場を形成した巨大な球体はそのまま廃墟を包み込む。着弾しても物理的な成果はない。ただ確実に、防ぎ得ない。
目を閉じ、耳を澄ませた。風と共に末路が聞こえてくる。
絶叫、炸裂音、怨嗟。
風に乗って訪れるのは人間の絶望だけだ。
念話を送ると隊が戻ってくる。大半は理解していないのか、聞こえてくる声に戸惑っていた。
「仔細問題ありません」
「わかった。全員待機、然る時間経過の後突入する!」
L.S.R. ~刃~
恐ろしいことだ、何故あのような人間が局にいるのだろう。
酷いわよね。この間捕まった人間の内、話せるのは一人だけって話よ。
ドールに何を言っても無駄さ、だからこそこうして鬱憤を晴らせるのだが。
「だってよ、悔しくないのかよ」
休憩所でコーヒーを飲んでいるとキリシマが不満たらたらで話しかけてきた。私も知っているからいいが、そういう陰口は本人に知らせることじゃないと思う。
遠慮もなしに私の隣にどっかと座り、手を組む。睨まれた。
「私が何故悔しくなる必要がある」
「雪那は任務を遂行しただけじゃないか、責められるべきは任務を決定した上だろう」
「承諾した時点で私にも責はあるし、そもそも責められることをした覚えはないわ」
「……自分の魔法をあんなふうに使われることにも、かよ」
悔しいと思っているのはキリシマじゃないか。そう言ってあげるべきなのかどうか、わからない。
いや、いいのか、どうでも。
「キリシマ、君は私が招集された際、どのように使われると思ったの?」
「もちろん士気向上だ。後衛がしっかりしているのは安心だし、雪那の魔法は勇気そのものじゃないかっ」
紙コップをゴミ箱に、話題もそうしたいが自分だけのものではないので難しいことだ。
「勇気、ね……キリシマ、私にもう付きまとわないで。邪魔」
「嫌だ」
傲慢。掌を向けた。
「雪那……」
「君の言う勇気の魔法の正しい使用法」
魔力を込める。ほんの些細でいい、あまり込めすぎると周りに影響がある。
「心を支配する悪魔の理よ」
後悔の念に対して抵抗は不可能。哀しげなキリシマの顔を無表情に眺め、解き放つ。
魔力変換資質は果てしない。だからこそ私のような悪魔が生まれる。
キリシマを置き去りにして通路を歩いていると、何の偶然か、綺麗な金の髪が揺れていた。
「フェイトさ――ハラオウン執務官」
思わず言いかけ、訂正。いけない、ちょっとした油断だ。
「あ、セツナ。休憩所から戻る途中?」
「はい、どうしてそれを?」
「キリシマ三尉が、そこにセツナがいるから時間があったら来てほしいって言ったから」
「…………」
あの男、私が実力行使に出なければ危ないところだった。自分を捨て駒にする気だったということか。侮れない。
「それでセツナ、君、大丈夫?」
途端に心配そうな表情で覗き込まれる。背の高い執務官と並ぶと子どもになった気分だ。昔の自分が少し出てしまうのはそのせいかも知れない。
「問題ありません。執務官にもいらぬ心配をかけてしまって、後でキリシマ三尉に厳重注意を――」
「いや、いいから」
笑う彼女は年相応だ。
普段は凛々しく大人びた彼女は私と同年齢だけれど、残念ながら全ての分野で役者が違う。彼女は主役、私は……なんだろう。
「セツナは難しい立場だからいろいろ苦しいと思うけど、私にできることがあるなら何でもするから」
「……ありがとうございます」
癪だけれど、キリシマに少し感謝を。フェイトさんには多大な感謝を。表情に出すことはできないけれど、せめてこの思いが伝わってくれるように……
「っ……!」
「セツナ?」
突然に胸が痛む。苦しい。
これは、まずい、でも大丈夫。
心配はかけない……
「……申し訳ありません、所用がありますのでこれで」
「あ、うん……」
足早にその場を後にする。
額の汗を拭い自室に戻り、ベッドに倒れこんだ。胸が痛い。リンカーコアが握り潰されるようだ。
原因はわかっている、私の半身だ。
「闇の書……やはりダメなの……っ?」
どうしてこんなに侵食が遅いのかわからない。局のメディカルチェックに引っかからないほど奥底に隠れているからかもしれないけれど、私にはこの痛みのトリガーがわからない。
普段は平気、でもふとした時にとんでもない痛みがやってくる。堪えるしかないが、闇の書は第一級危険指定のロストロギア、見つかれば即拘束だ。見つかるわけにはいかない。
何度も何度も姿勢を変えながら時を待ち、ふと姿見が目に入った。
「…………あは」
苦しいはずの私は決して表情を変えず、笑ったはずの口は、しかし欠片も動いてはいなかった。
アレだよ、うん。アレ。