一刃雪那が管理局のスカウトを受けたのは、高町なのはがフェイト・テスタロッサと知り合ってから四年の月日が流れた後である。当時13歳だった雪那は高町なのはと同じ第97管理外世界『地球』の一角で日々を消化していたため、この申し出に雪那は二つ返事で了承する。
“違う日が来るのなら”
彼女にとって毎日というものは繰り返しでしかなく、一日ごとの差異を明確に記憶することなどありえなかったのだ。彼女は僅かばかりの期待を込めて返答し、そして驚くほどの速さで査察官の道にたどり着いた。
しかし結局、彼女の期待が叶うことなどなかったのである。
L.S.R. ~機~
あの作戦から一週間、既に新しい案件は入っている。
時空管理局という巨大すぎる組織において末端の腐敗は当然のことだが、根幹のそれは無視できない破滅の因子である。故に査察官は同輩であり同士であり同僚である彼らを調査し真実を導き出すことを任務とする。
言ってしまえば無実の人間ですら命令があれば疑い、信用をベットして義務をこなすのだ。それが任務完了の足がかりになるかどうかは別として、どちらにしても人間関係は消えるのである。
それは普通なら苦しいことであり、私にとっては普通のことであるのだから、やはり私は普通ではないのだろう。
自室にて鏡に問いかける。2mある姿身は私の全身を容赦なく映し出し、その造形を見せ付けた。
肉付きの悪い身体は締まっているわけではなく不健康、窪んだ、しかし切れ長の瞳は暗闇を見続けたために黒でしかなくなった。揃えられた前髪は瞳を隠すにはちょうどいい。
管理局の制服は雑多に紛れるにはもってこい、独自のファッションポイントなんて他者に認められたい人間がするものだ。
「私は私だが、決して私ではない」
とても安心する言葉だ。
「おい、戻ろうぜ」
「え、なんで――って、あ……」
「…………」
ぎこちないフォローをした後に、さも理由があるかのように踵を返す二人を視界に捉えたまま、しかし気にするでもなく歩むを進める。周囲にはまるで見えない壁があるかのように人が途切れており、しかしそれは当然のことだ。
査察官、その中でも私は群を抜いて忌み嫌われる存在である。
聞けば心を読むなんていうレアスキルを持つ査察官もいるそうだが、その人物は人柄がとても良いそうで嫌われてはいない。
だから私は、そういった要素がないからこそ嫌われているのだろう。それに関して言うことなんて何もない。割り切るまでもない。
基本的に、私が言葉を発するのは三通りしかない。
自室でのルーティン、仕事上の応対、そして数少ない奇特な人物への対応。それ以外に口を開く必要性は感じない。
「あ、あの、一刃査察官……」
「何か」
向かいからやってきたおどおどとした一個下の女の子は専ら連絡係である。直属の上司は私を嫌い、直接任務を言い渡すことはそうない。
おそらくは彼女もその上司から悪評を聞いているのだろう、いつも怯えながら話しかけてくる。査察内部で私と話すのはこの子とケビン二佐だけだ。
「ひぅ!? あ、いえ、その、進捗状況は、いかが、かと……」
尻すぼみになる言葉に直視を返すと涙目になってしまう。全てにおいて面倒だと、止まっていた足を再び動かし始めた。
「人が多いここで話すことはありませんが」
「――――」
「念話もする気はありません。それでは」
呆然とする彼女を置いて移動する。おそらくは彼女なりの決意があって話しかけたのだろう、連絡等の仕事関連ではなく、当たり前の何気ないやりとりを頑張って行おうとしたのだろう。だが、それを理解できたところで私が反応を変えることはない。
無表情に、無感動に、屍のような人間として私は在る。
何アレ、ひどいわね。
大丈夫かなあの子、傷ついてないといいけど。
傷なんて、関わりを持ってしまったこと自体が傷じゃないか。
そんな言葉を誘発した彼女はというと、いたたまれなくなったのか足早に消えていった。
聞こえるように呟かれたそれを耳にしても、対応を変える気にはなれなかった。
「それで、何?」
「何もないだろ、やめろって言ってるんだ」
何を言っているんだこいつは、と口に出かかった。話があると言って強引に引っ張っておいて、内容も話さずに停止を求めるなんて交渉ですらない。
「キリシマ、君は勘違いしている」
「勘違い?」
「私はここに来たくもなかったし、そもそも君と話そうとも思わない。それなのに無理やり連れてきて開口一番にやめろって、本当に、何を言っているの?」
温かいコーンポタージュは受け取っても話は受け取らない。言うだけ言って離れようとするも、そうは問屋が卸さない。
「待てよ。それはやるからせめてここで飲んでいけ。聞かなくてもいい」
「…………」
彼にしては随分と殊勝な譲歩であったので、何の気まぐれか腰を落ち着けてしまった。
大木のモニュメントをぐるりと囲う円形のベンチには不思議と人はいない。私がいるからかもしれない。
「俺は、雪那の魔法が勇気の魔法だって信じてる」
「…………」
「どんなに辛い状況でも、どんなに士気が落ちていても、雪那の魔法があれば乗り越えられると思ってる。それが正しい使い方だって思ってる。この間俺が受けたようなマイナスの効果じゃない、人を助けることができるプラスの効果こそが雪那の魔法なんだ」
「…………」
「査察官をやめろなんて言わない、管理局をやめろなんて言わない。だからせめて、この間のように絶望を振りまかないでくれ。せっかくの魔法を、素質を無駄にしないでくれ」
「…………」
「聞かなくていいって言ったからな、俺は言いたいことを言うぞ! 人助けのために管理局に入ったんじゃないのかよ! なら人を貶めるんじゃなくて幸せにできるように力を使うべきだろう!? 感情操作、その怖さをきっと誰よりも知っている雪那だからこそ、その方向に使っちゃダメだろっ!」
「ごちそうさま」
飲み終わった缶を預け、立ち去る。呆然としたキリシマは我を取り戻すように頭をぶんぶん振った後、
「聞いてくれてありがとなっ!」
と、わけのわからないことを言った。思わず振り向くと紅潮した顔で今にも蒸気が出てきそうだった。
「私は何も聞いてないわ」
何故か、そんな返事をしていた。
* * *
あなたは感情が死んでいる。
初めてそう言われたのがいったいいつの頃なのか覚えていない。けれど私と出会った全ての人がそれを口にし、それを異常だと決め付けて離れていく。
ドール、人形、人の形をした何か。それが私を表す言葉。そのほうが楽でいいと思い始めたのもいつの頃だったのだろう。
最初は無口な子というだけで、何事も引っ張っていきたいタイプの人間は私を連れまわす。そして自分のすごいと思った何かを共感させようと懸命になり、私にそれが無理なことを悟ると離れていくのだ。
そしてその評判は周囲に伝染し、孤立する。そして気楽な世界が生まれた。
両親もまた、それに賛同する形で自分の身を守った。自分のみを守った。
構わない。どうでもいい。異常ならば、それでもいいじゃないか。
君は感情を殺し続けている。
初めてそう言われたのは13歳の頃だ。管理局のスカウト、髭をこさえた中年男性はそう言った。
ロスト・ケビナー二左、私の本当の上司。彼は私の祖先が管理局員だったことを知り、現在の系譜を調べて私に巡り合ったと言う。
それを彼は運命と呼んだけれど、私は偶然としか思えなかった。それこそが運命なのだと笑った彼の言葉は未だに理解できない。
笑うことを知らない、悲しむことを知らない。痛みを知らない、幸せを知らない。そう私が評価され続けてきたのはただ無口なことが要因ではなかった。私の顔は、態度は、その全てが折り重なっても微動だにしなかったからだ。
無痛症なのかと疑われたこともあるが、痛いことは理解できた。ただ表現する方法がわからなかったのだ。
口で『痛い』と言ってもそれ以外が何も変わらない、ならばそれは口からでまかせなのではないか。そう言われた。
ケビンは言った。
『君には魔法を使う素質がある。いや、既に無意識に使ってしまっている。君は自分の魔力で感情を殺し続けているんだよ。それが当たり前になってしまって、身体のほうもそれを表す術を忘れてしまったんだ』
「……違います」
『違わないさ。逆にどうして、君は違うと思うんだい?』
「だって私には感情がないから。ないものをどうやって殺せっていうの?」
ケビンは悲しみに顔を歪めた。私にはできないことだ。
膝を折り、抱きしめられる。温かいが、何もわからない。
『感情は誰にでもあるものだ。私にも、君にだってあるんだ。君は自分には感情がないと思い込んでいるだけなんだよ』
「……わからない。あなたの言っていること、全部わからないわ。でもあなたは、私をどこかに連れて行きたいんでしょう?」
『――魔力があるというのなら、こちらの世界に入る資格がある。それに何より、今の君がここにいても辛いだけだと思う。だから――――私と一緒にミッドチルダに来ないか?』
「いいよ。それで何かが変わるなら、今までと違う日が来るのなら」
その言葉に、ケビンはやはり哀しそうな顔をした。
***
そしてやはり、今もケビンは哀しそうな顔をする。私が直属の上司をすっ飛ばして報告に来るたびにそんな顔をし、少し嬉しそうになり、そしてそれを悔やむように無表情になるのだ。
「イチバ査察官、報告は当然私も受けるが、それは君からではないことは理解しているか?」
「はい。ですがこれは私の責ではありません。二左に報告すべき義務を放棄しているのはクレイル三佐です」
「……セツナ、君は――」
「今は職務中です、二左」
「…………」
押し黙る。情が厚すぎることが原因で彼はしばしば職務中にプライベートのような態度を取ってしまう。先日のヘンリー三佐の件も、やはりこの人が遠因である。
「厳重注意だ。クレイル三佐にも、君にも」
「は。それでは失礼します」
ケビンの顔を見ると、おそらくはまた感情豊かになっていると思う。それを見たいとは思えなくて、私はさっさと部屋を辞した。
「あ、雪那ちゃん」
「……高町二尉」
なのはが現れた。胸元に書類を抱える様は、まるで宝物を持っているかのようにかわいらしく見えそう。
「いい加減なのはって呼んでくれてもいいんじゃないかな?」
「今は職務中です」
「なら終わったら時間ある? ご飯食べに行こうよ。はい決まりっ、後で連絡するね!」
「…………」
勝手に約束を取り付けて光の速さで去っていく。流石は期待の星、鮮やかである。
ちっとも良くない。
「全く、二尉は勝手だ…………っ」
胸が痛い。闇の書がリンカーコアを刺激している。
魔力を貪欲に欲する闇の書は、蒐集という簒奪を繰り返して覚醒するという。ならばこの痛みは私から蒐集しているということなのだろう。同時に、強すぎる魔力は身体を蝕んでくる。永くはない。
「最近、つらいな……」
そんな言葉が洩れ、それが信じられなかった。辛いなんて、思ったことなどなかったはずなのに。
高町なのはという少女は私の何かを狂わせることに長けているかのよう。
「…………」
心を落ち着けるといつもの感覚が戻ってくる。
無表情、無感情。これが一刃雪那なのだ。
戻ったところでとりあえず、この後の約束をどう反故にしようかと考えた。
――その後ろで、ずっと私を見つめていた影には気づかなかった。
* * *
ミッドチルダは広いが、その中で特定の食文化を誇る店と限定するならば予測は不可能ではない。というわけで、なのはが目指していたのは日本料理を出してくれる居酒屋である。お酒は飲まないけれど。
「今日は私のおごりだよ!」
「割り勘です」
「敬語やめてくれたらいいけど?」
「……割り勘だからね」
「あ……うんっ」
嬉しそうに笑う高町なのはに中てられそうで怖い。店主に勧められたのは畳のお座敷だ。この見せのビップルームである。
寒い冬、コートをかけながら対面に座った。
「フェイトちゃんはちょっと遅れるって」
「フェイトさん、来るんだ……」
本当は時間通りに来れるはずだったのに急な通信があったらしい。なのはは不思議そうに首を傾げていた。
とりあえずウーロン茶を頼み、適当なつまみも頼んでおく。フェイトさんが来たら料理は頼めばいい。と、なのはが思いついたとばかりの勢いで口を開く。
「そういえばなんでフェイトちゃんはさん付けなの?」
「……君の名前を呼んだ覚えはないけど、なんでフェイトさん限定だと思ったの?」
「あれ、覚えてない? 雪那ちゃん、一度だけ私のこと名前で呼んだことあるよ」
「…………」
そんな失態知らない。が、考えられるのは初対面の時である。
その時私は査察官に成り立てで、当然の如く不平不満の的になっていたのだが、私は病的な細身なので直接文句を言ってくる輩がいたのである。
私としても何も思わないが仕事に支障が出るので穏便にと思ったが、やはり火に油を注ぐだけ。
そんな困窮したところで眼前の少女がやってきたのである。
『その子は何も悪いことはしていない』
『その子に目をつけられないくらい立派でいればいいだけ、簡単でしょ?』
完璧な正論、叩きつけられた彼らはその後私に近づいてこない。たぶんその時、既に有名人だったなのはの名前を呼んだのかもしれない。
「記憶にない」
でも覚えていないのだ、仕方ない。ウーロン茶を啜るとなのはは困ったように眉を寄せた。
「雪那ちゃん、すぐに思い出を切り捨てそうだもんね」
「――意外と言うんだね、なのは」
「あ、わかる? なんか私、今は何でも言いたい気分なの。恩を着せたいからってわけじゃなかったけど、でも出会いの瞬間を忘れられたんだからこれぐらい言ってもいいと思うな」
「ちゃんと覚えてるわ、ただ名前を言ったかどうかを忘れてしまっただけ」
「それは忘れたのと一緒だよ。名前を呼んで、だからこそ友達になったんだから」
言い争いのような内容だがにこやかに進んでいる。笑っているのはなのはだけで、私の顔はさっぱり動かないし心も同様だけれど。
彼女の友達の定義はそこなのだ。だからこそ彼女は大概の人を名前で呼ぶ。そうすることで距離を縮め、そしていつの間にか心の中に住み着くのだ。
打算ではなく、ただの行動の結果としてなので拒絶もできやしない。
「君は闇の書みたいだね」
「え?」
「ごめん、遅れて!」
フェイトさんがやってきた。額に若干の汗が見えるあたり急いできたのだろう。フェイトさんは私となのはを見やり、そして固まる。
三人の会合、どちらに座るかを迷っているのだろう。私としても、ここはどう答えればいいのかわからない。
するとなのはは苦笑し、
「フェイトちゃんは雪那ちゃんの隣ね」
「あ、うん。セツナ、いいかな?」
「どうぞ」
という結果になる。フェイトさんの身体は少し熱を持っていて、触れるか触れないかの微妙な位置にある。まぁ恋する乙女ではないので気にすることもない。
「フェイトちゃん、どうしたの? 急な案件?」
「いや、ちょっと忘れ物を取りに戻って……ごめん」
律儀に頭を下げるフェイトさん。彼女はもう少し傲岸不遜に生きてもいいと思う。
何の話をしてたの、という彼女の問いに乗って再び話題は初対面へ。
「なるほど。セツナ、それは酷いよ」
「私はこんな顔なので伝わるかどうかわかりませんが――ごめんなさい、なのは」
「許しましょうっ」
変なテンションのなのはである。そして同様に、やはりフェイトさんも引っかかってしまった。
「セツナ。どうして私には敬語でなのははため口なの?」
「お金で弱みを握られまして」
「フェイトちゃんにも敬語禁止だよー、ねっ?」
同意を求めるなのは、少し驚き乗っかるフェイトさん。結果として呼び名以外は敬語禁止になった。無論、プライベートではの話。
「そういえば、セツナと初めて会ったのは仕事でだったね」
やってきたほっけの開きを器用についばみながらフェイトさんが呟く。自然、乗り気のなのはに押されて話すことになった。
それは一週間前と同じ、査察官としてではなく道具として呼ばれた時の話。同行したのはテスタロッサ・ハラオウン執務官で、目的はとある麻薬商人の確保、犯行ルートの洗い出しである。
感情操作で精神を狂わせ自白させる名目で呼ばれた私は、当然能力を知っている部隊指揮官には忌み嫌われていて孤立していた。それを見かねてか、フェイトさんは話しかけてくれたのである。
『大丈夫、変に気負わなくても、君が思うとおりにやってくれればいい』
『気に病む必要もないよ、これは命令で、たぶん、抗えないものだから。もしそれでも納得がいかないのなら、私もその責を一緒に背負う』
『自分がどうにもできない状況はあるよ、私にだってあった。セツナ――君の魔法は、きっと世界を救える魔法だから』
「さっすがフェイトちゃん、ジゴロー」
「治五郎?」
「なのはも大差ないわ」
焼き鳥(塩)を食す。まるで酒でも入ったかのような雰囲気だ。アルコールは摂取していないので空気に酔っていると言ったところか。
楽しそうに談笑する二人を見ていると、自然と心が穏やかになっていく気がした。
友達、という存在は暫く知らなかったけれど、今の二人にならそれを当てはめてもいいのかもしれない。知り合った理由やその後も関係を続けていく理由は些細なことかもしれないけれど、それでいいのだと思う。
なのはの言う『名前を呼んで』しまえば、それでいいのかもしれない。
「……失礼」
胸が痛いのでお花摘みと偽って席を立った。密室に逃げ込むと痛みが増し、心臓が闇の書とともに飛び出てきそうになる。
最近痛みが顕著だ。それは私の限界時間が近づいてきているということ。いざとなったら誰もいない辺境の地で果てようか、それとも地球に戻ろうか迷いそうになる。
と同時に、この痛みのわけも理解してしまった。
「成長、してしまったのね……」
闇の書も、私も、私の心も――
感情を殺し続けた私が殺しきれなくなった時、それがリミット。
癪だけれど、確かに私にも感情はあったみたいだよ、ケビン……
へいお待ちっ