思えば、あの日も寒い冬だった。風は冷たく、身体を締めるように冷やしていく。
その中で多大な人と同じように震える彼女は、でもとても温かい太陽のような人だった。とても優しくて月のような人だった。
私は、そんな光の中で生きていて良かったんだろうか。
L.S.R. ~孤独な雪の鎮魂歌~
「全部、雪那の思うとおりになってしまった。闇の書は暴走し、恩人を巻き込み、世界を終わらせる。残ったのは残骸とそこに降る小さな雪の粒だけ」
意識が塗り潰されたあの時から、私は夢を見ていたんだろう。
魔法もない地球で、一刃雪那ではない普通の存在で、ただ普通に生きることができる、そんな優しい世界。外界の時間がどこまで進んだかわからないけれど、私は20年以上も“俺”として生きてきた。
斉木雄一郎は私の代替物なのに、もう一個として存在するものになっている。
自分の望みが叶えられる世界に身を置くことはそんなに悪いことなのだろうか。
「悪いことなんでしょうね。少なくとも、君にとっては」
「うん……これは居心地のいい夢だけど、やっぱり夢なんだよ」
「でもなのは、私は闇の書の主として覚醒してしまった。今外に出ているのは管制ユニットでしょう。そして君とキリシマは、闇の書の中に蒐集されてしまったはず。だからこそ今ここにいる」
「そうだね」
「……それでも、私をここから出したいの?」
闇の書を調べたなのはだが、どこまで知っているのか定かではない。ただ、私がここから出た時になのはもキリシマも外に出られるのだろう。だが、飛び出した外の現状は、およそ彼女らに似つかわしくないことを私は知っている。
その意味を視線に込めてなのはを見るが、なのはくるりと踵を返し背を向けた。何をしたいのかわからない。
「――ねぇ雪那ちゃん。今自分がどっちだかわかってる?」
どっち。
一刃雪那か斉木雄一郎かなら、それは一刃雪那だ。私の身体は既に雪那の形を取っている。
「それってどういうこと?」
「……別に何もないわ。ただ、なのはと話すのは雄一郎じゃなく雪那ってだけで――」
「じゃなくて。なら私を後輩ちゃんに戻せばいいのに」
「それは……」
それは、少し嫌だと思う。後輩ちゃんは好きだけど、でも今話しているのは高町なのはだ。私はなのはを消したくない。
「消したく、なかったのに……」
今目の前にいる彼女は、世界から消えている。私が巻き込み、消してしまった。
「…………じゃあさ、何でも望みどおりになるこの世界、ゆう君は、雪那ちゃんの理想だったの?」
「理想なんて、ただ雪那が消えてくれればそれで良かったわ。だから何もかも違う斉木雄一郎は私の理想よ」
「えー、それはちょっと嫌だよぉ」
くすくすと笑われた。不満。
「だってゆう君、雪那ちゃんと何もかも違うって言うけどさ、人とうまく話せなかったり明確な目標がなかったりして流されるままに生きてたよ? これってそのまんま雪那ちゃんじゃない?」
「――――――――――――あれ」
おかしい。だって斉木雄一郎はかつて私を遊びに誘ってくれた男の子を基盤として作ったもののはず。間違っても一刃雪那の要素が入らないようにしたはず。
だけど、なのはの言うとおり、確かに、“俺”は雪那と似たところがあった。
いつのまにか振り返っていたなのはが真っ直ぐに見ていた。畳み掛けられるとわかっていたのに、私は何も言えなかった。
「魔力だってあったんだよ? 感情には出来なかったけど、身体強化とかしてたじゃない?」
「……でも、私は魔法なんて……」
「――だからさ、簡単な話だよ。雪那ちゃんは魔法が使いたかったんだよ。変換資質も何もない普通の魔法で、そしてその後で管理局に入って、普通に魔導師をやっていたかったんだよ」
この意味がわかった時、私は嬉しかったよ。そう言って、なのはは笑わなかった。
真剣な表情で、その心の全てを伝えてきた。
この世界で、私に魔力がある意味。普通の生活をしていたかった私に魔法が使えた意味。
わかりたいけど、わかりたくない、この気持ち。
唇は動かない。だから代わりになのはが言った。
「雪那ちゃんにとって普通の生活の中には管理局があって、そして私たちがいた。そうじゃないの?」
「――――――――――」
もし。
もし、それが本当なら、私はどんな風になのはといればいいのかわからない。
現実を否定して夢の中に潜り込み、その際に大事な友人を巻き込んでしまった私は、しかし友人がいたかつて世界に未練を残していたということなんじゃないか。
現実はいらない、生きている価値がない。そう思っていたはずなのに、その現実に生きる友人には会いたいなんて、そんなわがまま子どもと同じ。
いや、わがままなんて欲望の象徴にして感情の証明。どんなに人形で良かったと叫んでも、ここにある事実は変わってくれない。
「…………なのは、その」
「なーんて、そんなに都合よくないかな?」
誤魔化すように笑ってなのははまた意味もなく周囲を歩く。一歩一歩を確かめるように歩く。
彼女がどんな気持ちか、私にはわからない。
「――でもね、最初の話は重要だよ。雪那ちゃんの望むとおりなら、私たちの記憶だって戻らないはずだもの」
「……そう、ね。私は君たちに見せられたアニメを見なければ、私を思い出せなかったから」
そうそう、となのはは舌を出して申し訳なさそうに笑う。
「私の記憶を映像化したって言ったけど、それは本当じゃないんだ。確かに大部分はそうだけど、補填があったのも確か」
「補填……」
「私は闇の書の守護騎士プログラムは知っていたけどその詳細は知らないもの。雪那ちゃんが見たっていう2期は、私の記憶じゃない」
「じゃあ、それは――」
「もう一人、いるじゃない――――ゆう君の知り合い」
確かに存在した、名前も知らない誰か。
それは、ファーストフードによく誘う、元野球部の――
「ええ、私です。我が主」
――そして私の前に、最後の出演者が現れた。闇の書の管制ユニットにして、ユニゾンデバイス。
白銀の髪と深紅の瞳は、確かに友人のそれだった。
***
それは、私に少しも似ていない造形で、しかし私にとても似ていた。
「夢の中で過ごせれば心安らかにはなるでしょう。しかし、我が主。あなたはまだ結論を出すには早い」
「ユキさん」
なのはがそう呼んだ。
管制ユニットには名前はない。闇の書と呼ぶのも、などと苦心したなのはが目に浮かぶようだ。
「我が主はまだ道に迷っておられる。時間はある、満足いくようにするといい。そして願わくば、主の平穏に繋げてほしい」
「うん、任せて」
管制ユニット――ユキがこちらを見た。哀しさが伝わってくる。元々同体なのだ、分かたれているが、その感情は理解できた。
「我が主、あなたは心を停めていた」
「うん」
「あなたは魔力を心の揺らぎにするとともに、自身の心の揺らぎこそを魔力源としていたのです。だからこそ、闇の書の覚醒はここまで遅れ、結果的にあなたを苦しませることになりました。申し訳ありません」
「いいよ、もう」
「我が主。差し出がましいことをしたと思っています。ですがわかってほしい。あなたは――」
姿が消える。最後に残したかった言葉が何であるか、それがなんとなく理解できた。込めようとした感情は理解できた。
「先生が言ってたわね」
時間の経過は変化と継続で成り立っている。物体が変化すれば時間は経過したし、状態を継続させたのならそれもまた、だ。さて、ではそれは脳内の事象にも当てはまるのだろうか。
「答えは、否」
感情を停滞させ続ければ時は動かなかった。闇の書も覚醒することはなかった。でも、結果的にはもう遅い。
「雪那ちゃん」
なのはが近づいてくる。太陽のような温もりを、私は受けきれるのだろうか。
「一刃雪那としての私の全てを否定したくなかったんでしょうね、あの子は。元々夢を構成するあの子になら、私の理想に介入することも可能だわ」
「もう一個だけ、ユキさんがやっていたことはあったんだけどね。それはずっと秘密のままでいいかな」
なのはが判断したことならそれでいい。私とあの子は本来なら会う必要がなかったのだから、私はあの子の感情だけ覚えていればいい。
「それで、なのは。君は私に何を望むの? 私はこのままあの夢の世界で生きたいのだけれど」
その時は雪那の記憶もなくなって、きっとキリシマやなのはも伊西と後輩ちゃんとして生きることになる。二人には申し訳ないけれど、滅んだ世界を見せるわけにはいかない。
「嘘はだめだよ、雪那ちゃん」
「嘘じゃないわ。私はあの世界で生きたい。何の理由もなく生まれ、何の目的もなく生きてきた私が望む、最初で最後のことよ」
「嘘だよ、しつこいなぁもう」
「なのはの方がしつこいわ。私の心を、何故他人である君が否定できるというの?」
他人の心なんて、自分の心以上にわからないというのに。
「できるよ、簡単だよ」
それでも、高町なのははそんな心をいつも相手にしてきたんだ。自分の心に打ち克った彼女にできて、自分の心に負けた私にできないこと。
そんなこと、本当はわかっている。
「ここは雪那ちゃんの世界だから。つまりは私がここにいるということこそが、雪那ちゃんの本心なんだから」
「…………」
「本当にそう望むのなら、私はとっくに消えているよ。イッセイ君を消したようにね、そうしないってことは、つまりはそういうことなんじゃないの?」
あくまで私に言わせたいとその顔が言っていたが、そんなことは知らない。
私は本当に、斉木雄一郎として普通に暮らしたいんだ。今度は彼女の干渉を受けずに完全な状態で。
「…………干渉、か」
干渉か、それとも感傷か。言葉遊びだけど、彼女はきっと後者だった。
「高町なのはがここにいる。そして、一刃雪那がここにいる。それが答えでしょう? いい加減認めなよ」
「嫌。私は認めない、認めてなんかやるもんか」
これが斉木雄一郎を経た私の姿なのか、人形なんて言われないほどに感情むき出しでいる。
でも、相変わらず雪那になってから顔は動いていなかった。これが積み重ねの賜物だというのか、それとも私がそれを望んでいないのか。
「私は、一刃雪那が誰よりも大っ嫌いだったんだ。だから私は戻らない。たとえなのはを犠牲にしてでも、私はあの世界になんか戻らない」
「え? 戻らなくていいよ、そんなの」
「……………………は?」
思わず素っ頓狂な声が洩れ、それに対しなのはが笑う。顔が熱くなるような感覚を覚えた。
「もうないんでしょう、あの世界は。それはもうユキさんから聞いてるよ」
「え…………」
「だから戻らなくていいんだってば。私はただ夢から醒めようって言っただけで、あっちに戻ろうなんて一言も言ってないよ?」
変なこと言わないでよー、となのはは眉を顰めたが、しかしそれは私の反応のが正しいと思う。
なのはは私を連れ戻そうとしていたのではなかったということなのか。そうすると本当に、彼女が何をしたいのかわからない。
ふう、となのはは一つ息を吐いた。
白い吐息はまた、暗闇に映える。
これが私の世界だというのなら、やはり私は影で、光がなのはなのだろう。
「……私がしたかったのは前と一緒、雪那ちゃんを助けること。仮に私が死んで、もういなくなっているとしてもやることは同じだよ」
「……それが、君を殺した相手でも?」
「あはは、私はそんなにいい子じゃないから流石に殺された相手は助けられないよ」
「なら、私も助けなくていい。助ける必要なんかないわ」
ううん。それは違うよ。
それをなのはは否定した。
「なのは、君は否定ばかりだ」
「だって雪那ちゃんがおかしなことばっかり言うから」
これって私のせいじゃないよね、と責任転嫁。本当に今のなのはは性格が悪いと思う。しかし、それも仕方のないことかと納得した。
結局は、私は私の罪を見せ付けられているということ。
私が起こしてしまった業が、なのはの形で責めているということに違いない。
「確かに私は誰かの役に立ちたくて管理局に入ったけど、自分を殺した相手を救おうなんて思わない。でも、私を殺したと思い込んでいる友達を救おうってことは思うよ。その子が助けてって叫んでいるなら特に、ね」
「だから私は助けてなんて言ってない。君がここにいるのが証拠だと言うのなら、それは私がなのはに責め立てられる事を望んでいるということよ。恩人を殺してしまった私はそうすることで罪を自覚し、永劫の夢の中でも苦しみ続けるということよ」
「馬鹿だね、雪那ちゃんは。その言葉自体に無理があるってわかってて言ってるなんて。自分を騙せない言葉がどんなに無意味か、そんなこと気づいてるのに」
「…………」
そんなことはわかってる。
なのはに責められることを望み、それを再現しているのなら、それは私の願望に他ならない。責められることで救われようとしている。それは、助けを求めているのと同じこと。
そして、歯車が狂った中で言っていたあの言葉に意味がなくなってしまった記憶も当然ある。
自分を騙せないのなら、他人すら騙せないのに。
それでも、私がなのはにできることなんて、それくらいしかない。
「それに私聞いたもんね、雪那ちゃんが助けてって言ったの」
かもしれないだったけどね、となのはは苦笑した。
それはたぶん、闇の書の覚醒の際に言ったこと。確かにあの時は本心が口から出た気がする。
でも、かもしれないなんていう推論が本心だって言うのなら、それは信じていい言葉なのだろうか。
そんな言葉、言ってもいいのだろうか。
「――だから、私は今聞きに来たんだ」
「なのは……」
胸に手を添えて、目を閉じていた。
まるで温もりがそこにあるかのように。大切なものがそこにあるかのように。
「イフの言葉なんていらないよ。私は、ただその一言だけが欲しいんだ。雪那ちゃん、私ね……その言葉だけでどんなことも頑張れる。何とかしよう、何とかしてあげたいって思える……イッセイ君が言ったよね、君の魔法は勇気そのものだって。今は魔法が使えないけど、雪那ちゃんのその言葉で。雪那ちゃんのその心で――――私に勇気をちょうだい」
いつしか、彼女のその手は私の両手を包んでいた。
寒い冬の空の下、冷たさを帯びていた私の掌。そこに、温もりがある。
人形ではわからない、人の温かさがある。今まで感じたことのないそれに、なんだか涙が出た気がした。
人の心に勝手に入ってきて、コテンパンに掻き回して……そして縋りたくなることを言って……
そんなの、卑怯だ……
それに流される私は、もっと卑怯だ……
「ずっと言えなかった、その答えを言うね」
『――なら私は、何のために生まれてきたんだろうね……っ』
「雪那ちゃんは、ただ幸せになりたくて、幸せになるために生まれてきたんだよ――」
***
ずっと、誰かなんていらないって思ってた。
ずっと、私なんていらないと思ってた。
でもそれはただの嘘で、ずっと、誰かに私を見てほしかった。でも私は異常だったから、どうせ離れてしまうなら始めから近づいてこないでって思うようになった。
私じゃない私なら傷つかないで済むから、だから近づかないでって思った。
私の魔法。勇気そのものと言ってくれた、魔法。それを、最初に間違って使ったのは私自身。
だから、ボタンを掛け違え続けてきた。知っていて、知らないって嘘を吐いた。
私は私だけど、私じゃない。
その言葉で、ずっと諦め続けてきたけど。
ずっと縋ってきたその言葉を、私は、言い換えてもいいのかなぁ――
***
「私は、人形だけど……」
もう嘘しか言えない。嘘しか言えないけど――
「わがまま、一つ……言っていいかな……」
嘘の中にしか、本当を混ぜられなくなっちゃったけど――
最初の間違いを、今更だけど、なかったことにできないかな……
最初の勇気を今、使っていいのかな……
「うん、いいよ」
今なら、ぼやけた視界に笑顔の友達がいるから――
「
震える手を、繋いでくれる人がいるから――
「わたし、を、たすけて……ください……っ」
現実の中、太陽の光に耐えられなかったけど――
たとえ夢の中でも、太陽に触れられたなら――
私は、私でいいと思える気がする――
だって最初から、私は助けてって言いたかっただけなんだから――
「うん、わかった」
→エピローグ