《アンタレス》の槍が迫ってきたのに、両備は大した動きが取れなかった。油断していたと言われれば否定はできない、倒したから安心しきっていたのだ。
そんな時、突然肩を誰かに押された。体制を崩し倒れ込んだ直後に、両備は目にした。
─────優しく微笑んだ少女の顔に、飛び散った赤を。
「─────庇って、くれたの………?」
ドサッ! と小さな体が投げ飛ばされる。地面に転がる度に血がこびりつき、ゴバッと胸に開いた穴から溢れ出す。
半壊しかけた《アンタレス》が尻尾を振るう。血で染まった矛先の飛沫が辺りを汚すが、両備は大して気にしない。
そんな些事を気にするほど、彼女は温厚ではない。というか頭にすらなかった。
『ジ……………ジ…………』
「こんの────ガラクタがぁぁぁぁぁッ!!!」
直後、《アンタレス》の体躯を銃弾が貫通した。怒りに震える両備が怒鳴りながら、引き金を引き放つ。
何度も、何度も、《アンタレス》が完全に機能を停止したとしても。慌てて走ってきた両奈に押さえられるまで、両備はライフルを撃ち続けた。
「………いいよ、どうせ私は助からないから」
「うるさいッ!いいから黙ってなさい!止血するから!!」
「心臓を潰された…………もう確実に死ぬよ、けどそれでも良いの」
語気を強める彼女に、両備は返答に詰まった。優しそうな少女の雰囲気とはかけ離れたもので、気圧されたのもある。
己の血の池に転がる少女は「それより、聞いてくれる?」と弱々しく口にした。
「ようやく思い出せたの。私が───誰なのか」
「………思い、出せた?」
「私はあの人───『柳生お姉ちゃん』と一緒に忍になるって約束してた。子供の頃の約束だけど、それだけは守りたいと思ってたから」
お姉ちゃん、それに二人は思わず固唾を呑む。
………自分達も、そうだった。
大切な姉、善忍であった両姫はある任務で死んだと伝えられた事を思い出す。
「けど、私は死んじゃった。車に轢かれて、大好きなお姉ちゃんの前で。…………約束は守れなかったけど、お姉ちゃんが忍になったのをちゃんと見守ろうって、思ったの。
けど、私はこんな風に生き返った。いや、違うよね────別のモノへと変えられた」
人間の死体を使ったホムンクルス。
彼女はその実験体として使われてしまったのだ。
到底、生き返れたと喜べるものではない。当時の記憶を失い、別の個体として生み落とされたのだから。
「そして、私を造った『混沌の王』が目の前にいた………」
『お前の記憶を戻そう。その代わり、私の役に立て。私の目的を果たせば、後は自由だ。大切な人とやらにでも会えばいい』
最初は意味が分からなかった。しかし拒否権がないのは率直に感じられた。逆らえば死ぬしかない、悪寒に全身を震わせるしかなかった。
意味が分からなかったものも、少しずつ思考や理解がまとまってきた。当初の頃は言えないが、信じられななかったのだ。
────思い当たらない記憶を、何度も味わあなければ。
『望─────■■■、』
『………誰?誰なの?頭の中に浮かぶ、この人?何で、分からないの!?』
優しく語りかけてくるその人。大切な人の筈なのに、分からなくなったことが、とてつもなく怖かった。欠けてばかりの思い出よりも、大事な人を忘れてしまう自分のホムンクルスとしての欠陥。
どんな服装で、どんな顔や姿をしていたのか。
男性なのか女性なのか、年上なのか年下なのか。
───実在しているのか、死んでいるのか、それすら分からない。次第に黒い影になって、脳裏によぎってくる。
そして、望は『混沌の王』に従った。記憶を戻すということを条件に。
しかしそれも叶わず、望はここで死ぬ。もしかすると、『混沌の王』はこれを知っててああ言ったのかもしれない。
────けれど、怒りや憎悪はなかった。それよりも解放された、ようやく死ねるという安堵。彼女の本来の意思が明らかに勝っていた。
その直後、望の体に変化が起こる。体の部位が色を失い、灰のように脆く砕けていく。
それが、ホムンクルスとしての死。
忍を越えた存在だからこその代償にしては、あまりにも重すぎる。慈悲も涙もない所業と呼べた。
だが、望は自身に迫る死を理解してなお話を続けた。既に覚悟があると言わんばかりに。
「私ね、『聖杯』とか『災禍』とか、全部どうでもよかった」
独白だった。
家族への恋しさを利用され捨駒とされた少女が、最後に残すモノ。
そして、
「会いたかったの。お姉ちゃんに会って、謝りたかった。約束を守れなくてごめんなさいって、悲しませちゃってごめんなさいって…………………でも、もう無理だよね」
死を悟った彼女が残す遺言でもあった。
「────ねぇ、両備ちゃんに両奈ちゃん」
崩壊が胸に迫る中、望は両手を伸ばした。両手で二人の頬に手を伸ばす。自身の血で濡れた掌なので、二人の顔も汚れるが、どうでもいいと思っていた。
「こんな形じゃなきゃ、私たち…………友達になれたかな?──────」
もしかすれば、あったかもしれない可能性。
姉と共に善忍になる筈であった少女と姉の敵を討つために善忍から悪忍となった姉妹。
ifがあれば、彼女たちは仲間になっていたかもしれない。共に肩を並べ、友達になれていたのかも。
しかし所詮は幻想。現実はあまりにも無慈悲で救いがない、少女は死ぬことしか許されていないのだから。
そして、そう言い残した少女は、最後まで笑顔だった。光に包まれ、白い欠片となって消失したとしても。
『混沌派閥』に使われた、数少ない優しさが消えた瞬間だったのだ。
その場には、小さなペンダントが転がっていた。望みの最初の死の時、遺品として扱われていたであろう代物。
二人は自ずと行動していた。
訓練場の端に生えていた木の根元に簡易な墓を作る。その石の上に遺品となったペンダントを立て掛けて。
「……………行くわよ」
「………………うん」
悲しみに身を委ね、泣くことも出来た。しかしそれは許されない。この場は戦場、いつ敵が来るかは分からない、ここから離れることが重要だ。
二人は立ち上がり、その場から立ち去ろうと歩み始める。
「─────蛇女の忍、だね?」
ゾワッ!と全身の隅々を悪寒が支配する。周囲の雰囲気が一瞬にて全く別のものへと変質していた。
単純に何気ない一声。それを発したのは、濃い銀色の髪を伸ばした青年。コウモリのように黒い外套で体を覆い、気配が無かった訓練場の中心に立っていた。外人のような顔立ちをした美形の青年は翡翠の眼で此方を見据えている。
人の形をしているが、中身が根本的に違う。かつてあの戦場で君臨していた聖杯、それ以上の存在か?と聞かれれば、すぐに頷いてしまうかもしれない。
そんな空気の中、青年の対応は予想だにしないものであった。
「まずは謝罪を。すまなかったね」
「な、何よ………」
「《アンタレス》シリーズが貴方たちをテロリストと判断し、襲撃したようだ。本来は起こらない筈の戦いが行わせてしまったことの非礼を詫びよう」
どうやら敵意は無いらしい。
だがそれでも、この重力にも似た威は消えたりはしない。それどころか、今も二人を圧迫していた。
「うっ…………ぁ………」
「?…………あぁ、失礼。久しぶりに危険地帯なのでね。圧力を放ったままだったよ。申し訳ないね」
あまりの重圧に呻く両奈の声を聞いて気づいたのか、黒い外套の青年はスッと力を抜く。
それだけで、二人を押し潰すそうとしていた圧は一瞬で消える。無意識だったと言わんばかりの態度に改めて戦慄するしかない。
断言できる。目の前に立つ人物は格が違う。仲間である闇の異能を持っていたキラですら、彼には及ばないと思う。
「体力の消耗があると見えるね。この学校に医務室はあるかな?」
「あるわ………一階の北校舎に」
「ここから近いのか。なら歩いていけるが、体力は持つか?そこで休むのが良いね」
スタスタと外套の青年は背を向けて歩み出した。向かう先は校舎、医務室のある方角だ。
だが、それでも警戒というものが解けるわけではなかった。彼は《アンタレス》シリーズの事を口にしていた、他ならぬ関係者と疑うのが妥当だろう。
「待ちなさい、アンタは何者なの?両備たちを助ける理由はあるのかしら?」
「見捨てる理由もなければ、殺す理由もない。それと、名乗るべき名は持ち合わせているよ」
下手な真似をすれば、銃口を突きつけ引き金を引けるようにと両備は構えるが、青年は落ち着いた態度で見据えていた。
大した事もないと思っているのか、本気で安心させる気なのかは分からない。しかし戦うつもりがないのは、なんらかの余裕があるのは確実だ。
青年は平淡としながら彼女たちに言った。自身の中にある側面を隠しながら。
「俺はラストーチカ、見て分かると思うけどロシア人の日本人のハーフさ。改めてよろしく」
「───まず、俺様の境遇を話す必要があるな」
壁に背を預け、キラは語り出した。勿論、キラはかつての敵にそこまでしてやる理由も義理もない。
しかし、父親を殺すと告げたキラは詠に咎められ、その理由を問い詰められたのだ。本来無視しても良かったが、下手に力任せにするのはあまりおもしろいとは言えないだろう。
だから、父親との関係────過去を話すことにしたのだ。
言って聞かせられるほど良いものではない……寧ろ最悪にも近いが、教えておけば勝手に理解もする筈だ。
「最初に────俺様は天然の異能使いではない」
「…………天然の?」
「天星ユウヤのように選ばれたとは少し違う、お前たちの知る紅蓮のように誰かに与えられた…………と言うべきものだ」
その点に関しては、詠たちも少しは分かる。
かつてカイルが語った話────ホムンクルスであった紅蓮に炎の異能を与えたのも彼だという。だが、その炎の異能は何処から手に入れたのか、それ以上の事実は知り得なかった。
「─────俺様の父親、『道元』は欲深い男だった。蛇女のスポンサーであった奴は妖魔を兵器として運用し、蛇女を乗っ取ろうと画策してやがったのさ」
彼が確実に殺すと宣告していた人物。何処までも激しい殺意を剥き出しにするほどの存在。
元々蛇女のスポンサーであったというのも、兵器を使おうとしていたことにも驚きはした。
だが、そこまで殺したいのか、と不安に思う。そうまでしたいという理由がまだ見えてないから。
「ま、貴様らを選抜したカイルとかいう奴に密告されて道元は蛇女から追放されたよ。今は【禍の王】とかいう組織にいるらしいがな」
「……………カイル、さま」
「あの人が出てくるとはね────意外と言えば意外かしら」
出てきた名前に、二人は複雑な反応を見せた。無理もない、利用されたとはいえ自分達を悪忍へと導いてくれた恩人でもある人なのだ。簡単に割り切れることはどうしてもできない。
「けどまぁ、そこで終わりってワケでもなかった。アイツは妖魔を兵器にすると同時にある計画を行ってた。───最強の異能使い。それを生み出し、カイルを倒そうとしてたのさ」
最強の異能使い。
光を操る前代未聞の異能使いを越える事を決定された者。
それこそがキラ。『烈光』を倒す為の『常闇』、『光』を塗り潰す為の─────こちら側を表す『闇』、彼はそういうものなのだ。
「しかし簡単にはいかんものさ、異能なんてものをどうやって作り出せるのかも分からんのだ。道元はその為に別の方法を編み出した。
それが、『人体実験』だ。沢山死んだらしい、資料では二桁は軽く越えてた」
あまりにも非情で、残虐すぎる真実。
二人は喉が干上がったのか、何も答えることが出来ずにいた。
それほどまでに異常、それほどまでに恐ろしい。罪の無い命を沢山奪った道元という男も。
その事実を顔色も変えることなく、淡々と話すキラとちう青年も。
しかし二人の感じていた驚愕は他のものに変化していた。フツフツと煮えたぎる、姿も分からない彼の『父親』への怒りを。
「………実験、ですって?」
「人の命を…………使ったんですか………そんなものの為にッ!」
やはり甘いな、とキラは心中で呟く。
忍の世界、いや世界の『闇』では命なんてそんなものだ。周りを見渡してみれば、奴隷や殺人なんてものが跋扈してる世界だ。道元は殺しすぎていたとしても、そんな奴等はこの世界に大勢いる。命なんてものは、価値がないのも同然だ。
…………『命なんてものは』、そう判断するほどに『闇』に染まりすぎた自分にキラは明らかな嫌悪を抱いた。環境は人を変えるというのは熟知していたが、ここまでとはなと思わされる。
だがそれだけでは終わらない。
彼が父親を憎み殺したがるのには、それ相応の理由がある。今、その話を出してきたというのは関係があるからだ。
「その実験の為に、アイツは自分の妻を───母様を異能の実験に使った。まだ胎児だった俺様が腹にいたにも関わらず」
生易しい、話ではない。
二人は言葉を失い、呼吸すら完全に忘れていた。彼の語る過去とは、社会の『闇』でも類を見ない非道さだった。
自分の利益の為に、妻子を実験に使った。その過程で妻は苦しみ、息子は異能を与えられたという。
自分の子に愛を受けることも許されなかった母親、愛を受けることも出来ずに道具へと変えられた。
「多くの被験者が死ぬくらい過度な実験の後遺症、母様はそれに耐えきれずに死んだ。そして搬送された病院で俺様は母様の死体から摘出されたんだと。
全く、これも笑い話にならん。貴様らも聞いてて不快だろ?」
困ったように言うが、何と答えれば良いのか判断できずにいた。
『影』で生きる忍とて耐えられるような話ではない。目の前の青年が父親を殺そうとするのも当然な理由だった。
「……………では」
悲哀に満ちた顔で詠は見据える。血の繋がった父親を殺すと宣告した青年に向けて。
その意図を聞き出そうとした。
「では貴方は……………母親を殺した父親に、復讐するつもりなんですか?」
「馬鹿か貴様。誰がそうだと言った?誰が復讐なんぞすると言ったんだ?」
心底呆れたというような物言いだった。嘘で誤魔化そうとしてる訳でもなく、純粋な本心。
「母様の願いが
最も、奴が俺様に関わってくるのなら話は別だ。俺様の居場所を奪われる前に殺す、躊躇せずに殺してやる」
────母親を殺された事自体への憎しみはあるが、自分の人生を無駄にしてまで敵討ちをするつもりもない。
価値観の違いというものを思い知らされる。
「母親を殺され、貴方は異能を発現させられた────惨い話ね」
「……………やれやれ、勘違いをしてるな」
理解したように呟く春花にキラの感情は落胆に近い。
完全に意味を理解できていない。
彼の次の言葉を聞いて、余計に。
「悪いが、母様は完全に死んだ訳ではないぞ」
は?と呆然とする二人の少女の前で、キラは平然としていた。分からんか、と親指を向けてそちらを指す。
「『これ』が、母様だよ」
彼が示していたのは、自分自身だった。
しかし正確には違う。彼の羽毛の付いたジャケットの内側から肌に黒い闇が這い揺らぐ。キラの指先はそこに向けられていたのだ。
意味を理解してしまった二人は、ただ絶句するしかなかった。言葉を失った彼女たちの前で、『闇』が大きく揺らいだ。
キラの意図を分からなかった人に補足を。
キラの異能『闇』の正体は、死んだ母親って訳ですよ。