『紅蓮』
それは焔紅蓮隊のリーダーであるホムンクルスの青年の名前、というのは仮。『混沌派閥』が最初から仕組んでいたモノに過ぎない。
真の意味は、妖魔 怨楼血の器。それの成長の為の核、言うなれば擬似的な心臓。
つまり、焔たちの仲間は『紅蓮』では無かったのだ。…………言い方が悪かった、彼であって『紅蓮』ではない。例えどれだけの思い出がそこにあったとしても、彼は『紅蓮』ではない。他に名前がある、過去に記憶と共に失った筈の真名が。
それを思い出せない限り、彼は戻れない。闇よりも深い鮮血の泥の中へと、沈んでいくことになる。
蛇女子の城の中、黒い泥の中でそれは産み落とされていた。ボドリッ、と樹からこぼれた果実のように地面に落ち、力なく倒れ込む。
「─────ッ、───、───!」
明滅する意識が覚醒したのはすぐの事だった。
呼吸が出来ないのか、『それ』は必死に喘いでいる。ゴボ、ゴボ、と彼の口からは体内に入り込んでいたであろう泥が吐き出された。
そうすることで手足の感覚が繋ぎ止められる。指を曲げることすら難しかったが、何とか上手く扱えていた。産まれた赤子のように地を這い、震えるように手足を使って動く。
確定した目的は無く、『それ』はズルズルと引き摺るようにして、血の池を見た。虫がいたとかそういう訳ではなく、池に映ったものを食い入るようにして見ていた。
あったのは、青年の顔だった。灰色の髪をした無表情の顔。顎や頬には黒い部位が装備されていた。
そして背中からは剥き出しの骨が金属化したような触手が生えていたのだ。合計6本の手足を使い、青年はゆっくりとした動作で起き上がる。
「─────ァ、──────ォ」
青年は頭を抱える。想像を絶する痛みがあるわけではない………………むしろ逆、何も無いのだ。
全てが欠落している。人間には普通あるもの、記憶が存在しない、所々途切れているとか忘れているではない。本当に空っぽなのだ。だけど、存在していた跡だけはある。
分からない、自分は何者だ?誰の為、何の為にここにいる?どうやって生まれて、どうやって生きてきた?
それを探さなければいけない、この頭の中に問答無用で響いてくる形容しがたい『声』を─────
『命令コード、接続』
割り込むように、無機質な言葉が脳内に響いてくる。それを聞いた直後、本能が逆らうことが出来なかった。続く言葉を待ち、『紅蓮』は動きを止める。電池の切れた人形のように。
蛇女子の校舎の一室、薬物などの研究をする為の部屋の中で、一人の青年
そもそもの話、彼は屋内にいる為、外にいる紅蓮の事が分かる筈がない。勘の鋭いのはあるが、そこまで理解できるほど優秀とは言い難い。
だがちゃんとした例外はある。
邪悪は忍でいう秘伝動物を持つ。そして学園内に探知能力を持つサメたちを泳がせている以上、全てを把握済み。
だからこそ額にある3つ目の眼からその情報全てを認識していたのだが、
「────なるほど、『混沌の王』が彼を求めていたのもよく分かります。幼体であのおぞましさ、覚醒したらどうなるのか………………想像もしたくありませんね」
その恐ろしさに彼は改めて戦慄した。同じホムンクルスの成れの果てが『アレ』だとは、到底信じられない。いや信じたくなくても現実がこれだ、認めるしかないのだ。
その証拠の一つは目の前にある。手に収まるサイズのタブレット。だがそれは、決して現代的な物ではない。
(端末があって助かりました、彼を制御できなければ私たちも殺しかねないですから……………『混沌の王』が私たちを気にする方だとは思いませんが)
それこそが、『紅蓮』の制御装置。単純な命令式を組み合わせ、複雑な命令を『紅蓮』の脳内に直接送る為のもの。
こうすることで、自分たちが狙われないようにする。妖魔や忍、それを襲えと命令を出すことも可能だ。
「『今代の紅蓮』はまだ赤子も同然。覚醒の為にはあの方の為により多くの血を流して貰わなければなりません」
そう言いながら邪悪は学園内を索敵していく。無数に張り巡らされた彼のサメたちが、周りの状況を確認していく。
「他者からの成果を吸うよりも、直で血が欲しいですよねぇ?『今代の紅蓮』さま」
端末越しに邪悪は命令を与える。この命令は絶対に反抗することは出来ない、それに今の『紅蓮』は記憶を持たない。
『この学園内にいる妖魔と忍を殺せ。ホムンクルスは対象外』
故に、命令を否定することも拒絶も出来ない。淡々と与えられた命令に従うのみ。『紅蓮』はその命令を聞くや否や勢いよく飛んでいく、妖魔と忍という自身の敵を皆殺しにするために。
「────これで、ある程度は片付いたみたいね」
「…………は、はい、そうみたいです」
群れを成すように迫ってきた翠翔、その一体を撃破した未来は疲れたとため息を漏らす。
翠翔たちは実体を持ってはないらしく、急所を攻撃したら灰のように崩れ去った。血を流さなかったのは分身だったからか、詳しい仕組みは不明だ。
確かなのは、これで分身たちを倒し切り、増援も来ないこと。…………本体を倒さなくてもいいのか、そういう話になるかもしれないが、今は倒せた事に安堵するだけだ。
「あ、あの…………未来さん、でしたよね?」
「うん、そうだけど?」
「助けて、くれて……ありがとう、ございます」
感謝を受け、未来は嬉しさのあまりに顔を赤らめる。そういうのは照れ臭いお年頃なのだろう、それ以外はよく分からない(職務放棄)
「それよりも…………どうする?このままいても何も無い訳じゃないと思うから、離れるべきだと思うけど」
「………わ、私も賛成、です………早く、お姉ちゃんたちと合流しないと……」
2人はそう言いながら、何とかその場から離れることにした。その行動が正しいものか、駄目だったのかは分からない。
しかしその道を凄まじいスピードで横切るものがあった。ギョロギョロと周りを見渡すが何も無いと理解したら、すぐに彼女たちとは反対の方へと飛んでいった。
…………幸いというべきか未来たちは何とか『それ』に襲われずに済んだ。しかしその場しのぎに等しい、出会うのは時間の問題だろう。
「……………ってことは、日影は他の奴等と一緒にボクたちを助けに来たのか?」
「まぁ、そうなるなぁ」
2階から落ちてきた忌夢を(お姫様抱っこで)助けた日影は適当そうに答えた。本人からすれば適当ではないのだろうが、感情の籠ってない顔から判断するのは難しい。
黙っていた忌夢が口を開いた。しかしその内容はあまり明るいものではない。
「────おかしいだろ」
「ん?」
「ボクたちは………お前たちの命を狙おうとしてたんだぞ。いやキラが議会に圧力をかけてるから大丈夫らしいが、それでもボクたちは殺す気はあったんだぞ。
なら、わざわざ自分達がここまで来る必要無いじゃないか。命をかける理由があるのか?」
忌夢の言う通り、当時焔紅蓮隊を抜け忍として始末するべきという声が大きかった。だが議員の一人にして最強の異能使いであるキラの力とその他の出来事もあり、焔紅蓮隊は狙われずに済んだ。
簡単に言えばそれで済むが、それでも事実というものは変わらない。当時、焔紅蓮隊を殺そうと息巻いていたのは新しく補充された蛇女子選抜メンバー、忌夢たちだった。
過去に僅かながら(いや、本人的にはあまり許したくない)因縁があったとはいえ、討伐の命令が出されれば殺そうとした相手に助けられて、何も感じられない筈がないのだ。
そんな風な感傷の籠った言葉を受け、日影は首を傾げた。何と言えば良いか悩んではない、というか答えは普通に口にしていた。
「忌夢さん、考え過ぎちゃうか?」
「………なんだって?」
「忌夢さんたちがわしらを殺そうとしても、やることは変わらんと思うで?少なくとも────紅蓮は絶対に言うで。『理由がないからって、見捨てたりなんかしたくない』って」
思わずといった様子で忌夢は笑った。そうして目の前にいる日影に向けて呟く。
「そうか…………変わったな日影」
「?」
「昔のお前なら、そんな事は言わないだろうしな。そもそも誰かなら言うなんて絶対に有り得ないからな…………おい、日影?」
そう話してる間、日影は忌夢を見ていなかった。それどころか別の方を見ている事に忌夢は苛立たしそうに声をあげそうになるが、彼女の見ていた方に視線を動かした事で言葉を失う。
空中に漂う仮面や、女性の上半身をした蛇のような異形。様々な怪物が辺りから湧き出していた。
日影は目を細めながらナイフを抜き取る。近づこうとしてきた仮面の一つを切り裂き、不思議そうに言う。
「なんや、コイツら。普通よ動物って訳でも無さそうやし…………不気味な感じや」
「日影!気を付けろ!ソイツらは妖魔だ!!」
「…………妖魔?」
忌夢が叫んだ言葉は、日影自身もよく知らないものだった。それは無理もない、妖魔の存在を知るのは忍となった者たち。忍学生であり卒業してもない日影が知る良しなどないものだから。
そもそも、何故忌夢は妖魔の存在を知ってるのか。彼女も対面したことがあるからだ、一回ではなく二回も。そして、同じくもう一人が忌夢と同じく妖魔を知っている者がいる。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
黒炎を放ちながら、雅緋は妖魔へ幾数の剣戟を打ち込む。悲鳴をあげる妖魔に追撃の手を止めることはしない。
更に勢いよく叩っ斬り、妖魔の腕や脚を容赦なく切断する。更に心臓の部位に止めを差し殺すが、それでも忌夢は止まらない。
「妖魔ッ────!」
多くの忍の宿敵にして、幼い頃から自分の生き様に関係してきた雅緋の真の敵。奴等を根絶やしにする為に雅緋は最上位の忍 『カグラ』になると誓ったのだ。
だがそれは、目の前の妖魔を見逃す理由にはならない。激しい憎悪と願望が叶ったという喜びが入り交じり、複雑な感情になっている。
激情に駆られながら雅緋はもう一体の妖魔へと攻撃をしようとする。妖魔自体も唸っており噛みつこうと身構えていた。
が、2人が動く前に。おぞましい感覚が襲ってきた。今まで出会ってきた強者のものとは違う。危機を察する事が得意な第六感が警鐘を鳴らしている。
ゾッッッッッ!!!!! と。
背筋が───全身が震える、雅緋が感じ取ったものはそこまでに強大で恐ろしかった。殺気、獣のような殺意にしか満ちていない威圧。これが雅緋自身に向けられたら、恐怖のあまりに身動きが出来なかった。幸いな事に、別のもの向けられていたらしい。
だからこそ、雅緋は一歩だけ歩みが遅れる。致命的なものだが、目の前の妖魔は何もしてこない。怪訝そうに首を傾け何処かを見上げるが─────
ヒュ、と風を切るような音があった。
更に続いて、地面を砕く音と妖魔の悲鳴が響く。飛んできた何かが妖魔ごと地面を砕いたのだ。その肉体を貫き容赦なく体内をグチャグチャにかき混ぜる。
「何だ…………あれは?」
雅緋の前にいたのは青年だった。全身を金属というよりは血のようなどす黒さの装甲で覆っている…………青年らしきもの。倒した妖魔の頭部を踏み潰し、フルフェイスの隙間から息を吐く。
ミギミギッ!! と背中から直接伸びている骨の触手が妖魔の亡骸に食らいついた。生々しく肉を引きちぎ喰らいながら、妖魔を解体していく。
捕食を起こっている青年の身体が、筋肉が固くなる。背中の触手は空中でうねり、その大きさを変質させていく。
捕食による成長。生命体としては普通だが、あまりにも異様すぎる。速すぎるのだ、たった一匹を喰らっただけとはいえ、そこまで変わろうとするその性質が。
食事を終えたのか、青年は妖魔の亡骸から離れる。その視界が、硬直している雅緋に向いた。
「─────」
首を捻り青年は雅緋を見ていたが、すぐに無視する。背を向けて立ち去ろうとしていた。雅緋を相手するつもりなく、優先することがあるのだろうか。
しかし何か変化が起きた。ブルリ、と全身が小刻みに震え始めたのだ。爪先から身体にゾワゾワとした紫色のラインが伸びて、フルフェイスのマスクへと収束する。
何らかの数字、いやアルファベットだろうか?そんな羅列がフルフェイスに浮き出ては消え、それを何度か繰り返す。その一部にある文字が浮かんだのを認視する。何故かその文字だけは簡単に理解できた。
「……………『紅蓮』?」
口にしてしまったが、その単語に意味があるのかは分からない。だが、重要なものであったのは確かなようだ。
変化を終えた『紅蓮』は数秒間棒立ちだった。だが、それも一瞬。
ドッッッ!!!!!
その場所に、巨大な亀裂が出来ていた。勿論、そこに『紅蓮』はいない。
(クソッ!何処だ!?)
僅かでも気を許したのに後悔するが、それでも雅緋からは衝撃しかなかった。
────たった少し油断したのに勘づき、『紅蓮』はチャンスと同時に動いたのだ。それはもう人間のやることではない、獣の所業にまで至っている。
「ッ!」
そして、咄嗟に雅緋は真後ろへと後退した。続くように鋭い黒杭が地面を穿つ。ゴォォ!!! と岩が降り注いだように、コンクリートを粉々に粉砕する。
攻撃は、それだけでは終わらない。真上からもう一本の黒い槍が雅緋を襲う。今度はさっきとは違う、重く落とした一撃ではなく何度も戻したり放ったりする構えから────
(コイツ………!本格的に私を殺しに来たか!)
ガキィン!! と黒炎を纏う刀で黒い槍を叩っ斬ろうとするが、尋常なく堅い。忍の力抜きでアスファルトを殴った時と同じ感覚が刀から腕へと浸透してくる。
更に迎撃があった。今度は目に見えた形ではなく、不意を突く形で。
「!? しま───」
足元の地面から盛り上がった刃が真上につき上がる。雅緋の死角を的確に狙った一撃。ビッ! と生々しく切れる音に続いて、鮮血が宙に舞う。
「────く、危なかった」
が、殺すには至らなかった。額に出来たかすり傷からツーと雅緋の顔に流れる。彼女が刀を持つ方とは反対の────籠手で防いでなければ、不意打ちの刃は
雅緋の頭を軽々と貫いていただろう。
失敗したと判断したのか、二本の黒いモノはすぐに距離を起き始める。雅緋も追いはしない、額から垂れた血を拭いながら、彼女は黒い腕が戻っていく所を睨む。
「天井か。いつの間にか移動してたんだな、気づかなかった」
「…………ギる、キル───」
両手と両足で天井に張りつき、『紅蓮』はうわ言のように呟いている。背中から生えた黒い骨格が生き物みたいにうねっていた。
────それが先程の攻撃の正体。背骨から繋がっていると見ていい骨腕が上空から雅緋を串刺しにしようとしていたのだ。
降りてきた『紅蓮』は腰を低くしている。先程の俊敏さから、一瞬で隙を見せれば容赦なく狙いに掛かるだろう。背中の骨腕を見える位置に生物のように蠢かせ、相手の気を引こうとしている。
フルフェイスの中から声が漏れてきた。うわ言のように呟いてる、何とか形になってる言葉が。
「殺シ尽くス、皆殺シにシテ…………」
「…………お前を見逃せば、忌夢たちを殺すかもしれないな」
改めて向けられる殺意は容赦なく、間違いなく全てを殺そうとするだろう。例え戦えない人間であろうとも。
だからこそ退く訳にはいかない。ここで退いてしまっては、多くの仲間や生徒たちがコイツの毒牙にかかるかもしれない。妖魔すら喰らい殺すこの怪物の。
(忌夢たちは危険だがキラは問題ないだろう、そもそも負ける筈がない…………いや、私は何を考えてる?ここでキラは関係ないだろう?)
余計な考えを振り払い、雅緋は気を引き締める。重圧にもなり得る殺気に恐怖は感じる、しかしそれを自身の覚悟で押さえる。
目の前の『紅蓮』に示すように、雅緋は高らかと宣言する。忍としての流儀でもあるものを。
「───雅緋!悪の誇りを舞い掲げよう!!」
その直後、新たな戦闘の火蓋は切られた。
黒刀を構え、雅緋は片手から黒炎を燃え滾らせる。彼女自身、簡単には負けるつもりもない。
対する『紅蓮』は四つん這いになり、喉の奥から絶叫した。獣の雄叫びのようなものを響かせると同時に、二本の骨腕が闇の中から牙を剥く。