「助けて……」
天気は雨。
視界は最悪。
夏の終わりが見え始め、秋が近づいてきている季節。そしてザーザーと降る雨は私の体温と、気力を奪い続けた。
ちょっとした好奇心だった。
山菜を取りに村の外へ。村を出る頃はまだ天気も良く、いつもより少し遠くへ出かけた。
次第に天気は崩れ始め、雨へと変わった。
そんな時だった――目の前にフヨフヨと浮かぶ黒い球体が現れたのは。
宵闇の妖怪。
その妖怪のことは聞いたことがある。
曰く、人喰い妖怪。
つまり、あちらは捕食者。こちらは、ただのエサ。
逃げなきゃ……逃げなきゃ駄目だ。
私は震える足を無理やり動かし逃げた。何処へ向かっているのかもわからず逃げた。
なんで? どうしてこうなってしまったのだろう。改めて現実の無常さを感じる。
足が縺れながら、転びそうになりながらも仄暗い道を必死で逃げた。
神様、助けてください……
そんな願いが通じたのかわからないけれど、目の前に真っ白な鳥居が現れた。
後ろからはまだ、妖怪の気配を感じる。
鳥居? 夢? 現実?
様々な思考が頭の中を交差する。そして私は、どことなく優しさを感じたその鳥居をくぐった。
一転、視界が暗転。
どうか、どうか、生きて帰ってこられますように……
そして、鳥居の先は田んぼと麦畑があった。
天気は晴。
思考が追いついて来ない。ここが天国……という場所なのかな?
田畑の先には洋風な建物が見える。霧の湖に建つ洋館には、恐ろしい吸血鬼が住んでいると聞いた。あの家もそうなのかな?
でも、人が住んでいるかもしれないし……
興味半分、恐怖がもう半分。
少しだけ休ませてほしいな。駄目かもしれないけれど。
洋風な家の扉には木の板が吊り下げてあって『OPEN』と書いてあった。
う、うん……読めない。外の世界の言葉かな?
重みのある扉を開け中へと入るとカランカランと鈴の音が響いた。
そして目の前の机に――男の子が気持ちよさそうに寝ていた。
「えと……」
男の子の見た目は、私と同い年からちょっと下くらいだと思う。妖怪ではないんじゃんかな。……たぶん。
どうしよう、なんて声をかければいいんだろう。
「あ、あの……」
聞きたいことが沢山あった。
ここは何処なのか。
貴方は誰なのか。
「んむぅ……っと……ありゃ、寝ちゃってたか。おろ? お客さんかえ? いらっしゃい。ようこそ、カフェ迷い人へ」
男の子が起きた。
どうやらここは「かふぇ?」という場所らしい。
「えと……その……」
言葉がうまく出てこない。なんだっけ? 何を聞こうとしたんだっけ?
「ん~何か混乱しているみたいだね。とりあえず手とか顔とか洗ってきな。美人さんが台無しだよ? 洗い場は外に出て左手の方にあるからさ」
――あ、これ手拭いね。
なんて言って男の子が枕に使っていた手拭いを渡してくれた。
そして、どうやら汚れていたみたいだ。ちょっと恥ずかしい……
きっとそれだけ必死だったのだろう。
汚れていた手や顔を洗うと、漸く気持ちが落ち着いてきた。手拭い汚れちゃったな。洗って返さないと、でも、またここに来られるかわかんないしなぁ。
それにしてもここって……
「どこなのかしら?」
う~ん、まぁ考えてもわかんないか。
建物の中へと戻ると、男の子は机の反対側に立っていた。
「うん、やっぱり顔を洗ったほうが美人さんだね。改めて、いらっしゃいだね。迷子さん。あ、何か飲む?」
『美人さん』と『迷子さん』という言葉に苦笑い。恥ずかしいな、もう。そしてどうやら、かふぇというものは、お茶飲み屋さんみたいなものなのかな。
「……すみませんが、今持ち合わせがないので遠慮します」
財布は屋敷に置いてきてしまった。たぶん持ってきていたとしても、逃げる途中で落としただろうけれど。不幸中の幸い。
あ、ついつい敬語で話してしまっているけれど、彼の見た目は私と同じくらい。敬語じゃなくてもいいのかな?
「ありゃ、そうなんだ。ん~まぁ、いいや。初回限定のサービスしとくよ。さ、座って座って」
「えっ、そんな悪いですよ。あ、手拭いは今度洗って返します」
匿って(?)もらい、さらにお茶までもらうなんて流石に図々しい。確かに喉はカラカラだけれど……
私がそう言うと、彼は少し驚き――珍しくいい娘だ……。なんて呟いた。
いや、普通だと思うけれど……今の言葉は聞かなかったことにした方が良さそうだ。ちょっと、涙ぐんでるし……それは流石に引きます。
「さっきの様子じゃあ、外で大変なことでもあったんでしょ? 遠慮なんていらないよ。ホットミルクでいい? あ、お酒のがいいかな? あと手拭いはあげるよ。高いもんでもないし」
ほっとみるく? また知らない言葉が出てきた。あとお酒はいらないかな。こんな昼間から飲むのはちょっと……
「えと、手拭いいいんですか?」
「うん、いいよ。……もしかして、臭かった?」
「えっ、いえ。そんなことありませんでしたよ。はい」
石鹸の良い香りでした。
「そかそか、それなら良かった。もう一度聞くけれど、ホットミルクでいい?」
「は、はい。それじゃあご馳走になります」
ほっとみるくが何なのかわからないけれど。
「了解。ちょっと待ってね今作るから。ま、そこの椅子に座って待っててよ」
彼はそう言うと調理に取り掛かった。
「それで、今日はどうしたの? 外は雨みたいだけれど。妖怪にでも襲われた?」
調理しながら私に尋ねてくる彼。
「それが人里の外へでかけたら、急に雨が降ってきて宵闇の妖怪に襲われ、逃げていたら此処に……」
「宵闇の妖怪? ああ、あの黒フヨフヨか。そっか、そりゃ災難だ。ま、生きているんだからそれだけで十分だね」
ご尤もです。
それからも彼と話を続けた。彼の名前は黒と言い、ここは幻想郷と外の世界との間にある場所らしい。
どうして、こんな場所にいるのか聞くと黒さんは――
「ん~……ほら。俺って人混みが苦手なんだよ」
と笑いながら言った。
むぅ、誤魔化された。
それから私のことへと話は移り、私が稗田家で奉公させてもらっていることを言うと
「えっと、今の御阿礼の子は……ああ、阿求ちゃんだっけ? 確か九代目阿礼乙女だったよね。直接会ったことがないから自信ないけれど」
と黒さんは言った。その言い方だと、まるで前代の稗田家当主には会ったことがあるみたいだ。
不思議な人。
「そっか御阿礼の子……か。ま、今の幻想郷は昔より妖怪と人間の距離は縮まっているから、彼女達のことを覚えている奴らも増えるよ。俺もちゃんと覚えておくしね」
そう黒さんは言って笑った。その時の私は、黒さんの言葉の意味がほとんどわからなかったけれど、優しい言葉だということだけはわかった。
貴方は何者なの?
その後、ほっとみるくをいただいた。さらに、香草の香りが仄かにする焼き洋菓子まで出してもらい、美味しくご馳走になってしまうことに。甘いほっとみるくに焼き洋菓子は良く合った。
美味しかったです!!
黒さんは黒さんで、真っ黒な飲み物を飲んでいた。一口いただいたけれど、この世の物とは思えないほど苦かった。
私が渋い顔をしていると黒さんに――
「お子ちゃまにはまだ早かったね」
と言って笑われた。
貴方には言われたくない。
さてさて、あまりのんびりもしていられない。私もそろそろ帰らないと。
「あの、帰りはどうすればいいですか?」
「んと、人里で良いんだよね? うん、来た道を真っ直ぐ戻ってみて。そうすれば人里に着くよ」
どういう仕組みなんだろう?
半信半疑。不安が頭の中を過ぎるけれど、大丈夫な気がする。自信ないけど。
「このお返しをしたいのですが……」
こんなに、もてなしてもらって何もしないのは流石に気が引ける。
あ、でも黒さんって人里に来ないのかな?
「別に気にしなくてもいいのに。ん~そだね。今度、人里に行くからその時、稗田家に寄らせてもらうよ。そこでお茶でももらおうかな」
と言って黒さんはまた笑った。ふふっ、ちょっと奮発して高いお茶を用意しておこう。
「はい! お待ちしております。じゃあ、行きますね。本当に……本当にありがとうございました」
ほっとみるくも洋菓子も美味しかったです。
「ん、じゃあね。今度は迷子にならないように気をつけてね。あと若いからって無茶しちゃダメだよ?」
耳が痛い……
でも貴方だって十分若いでしょ?
黒さんと別れて帰路に着いた。言われた通り、来た道を真っ直ぐと戻った。
すると、また視界が暗転。
そして、再び視界が戻ると人里の門の前に立っていた。
なんだか化かされた気分。
雨は止んでいて、雨上がりの独特な匂いが鼻の奥まで届いた。
そっか私、生きてるんだ……
ただいま、戻りました。
山菜を持ち帰ることはできなかったけれど、気分は上々。まるで夢のような体験だったけれど、黒さんからもらった手拭いとほっとみるくと洋菓子の味が、あの体験が現実だったことを教えてくれた。
屋敷に戻り、阿求様に黒さんのことを話すと――
「ええ! 迷いの里に行ったのですか!? いいな~私も行ってみたいです」
迷いの里?
「はい、そう呼ばれています。曰く、普通には行くことができず、何かに迷った人だけが行ける特別な場所だそうです。私はまだ行ったことがなくて……羨ましいなぁ」
「あの、阿求様は黒さんのことを知っているのですか?」
「ええ、私はまだ会ったことがありませんが、代々私達がお世話になっているそうです。人里にも来るそうですが、なかなか会えないんですよね」
えっ……え? 黒さんって何歳?
その後、黒さんが今度この屋敷に訪ねてきてくれることを教えると、阿求様はとても喜んでいた。ふふっ、ちゃんと御洒落しないとですね。
う~ん、お返しはどうしようか。
私もまた会えるのが楽しみです。
こんな感じのお話がもう少し続きそうです
続かないかもしれませんが……
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