「あれ、花丸ちゃん? どうしたの?」
部室に行くと、期待通り千歌ちゃんがいた。しかも1人で。
あまり他の人に聞かれたくない相談だったので、運が良かったと安心する。
「実は、その……」
「あ、もしかして歌詞の相談?」
「……うん」
いつだったか、果南ちゃんが「千歌は鼻が利く」と言っていたけど、その通りだと思う。千歌ちゃんは、人の心を察することが上手い。
「私で良いならいくらでも聞くよ! ささ、座って座って。あ、これはサービスね!」
あれよあれよという間に椅子に座らされて、目の前にみかんが1つ差し出される。千歌ちゃんの座っていた席を見れば既に3つほどみかんを食べ終えているようだった。
「……歌詞のイメージは既にできてるんだけど、本当にこれで良いのかな、って思っちゃって」
前置きもなく、唐突に私は語り始める。
あまり食べる気分になれなくて、置かれたみかんをただ撫でる。つるつるして、ちょっと冷たくて。少しだけ冬が残っているみたい。
千歌ちゃんはただ頷き、こちらを見ている。続けて、と目線が語っていた。
「今考えてるのはね、AZALEAらしい、恋の歌なんだ。好きな小説のヒロインの心情を参考にして、両思いなのに卒業によって離れ離れになってしまう2人の切ない気持ちを歌えたら、って思ってて」
それは、言ってしまえばありふれた話だった。少し昔の日本が舞台のーー所謂大正ロマンものの短編で、名家の跡継ぎである男の子と平凡な庶民の女の子が学校生活の中で恋に落ち、卒業によって隔てられてしまうというお話だった。
何故そんな身分の違う2人が同じ学校なのか、とか、卒業しても何かしらの手段で会えるのではないか、とか。考えてみれば色々と突っ込みどころはあったけど、それ以上に読後の心地良い切なさが大好きで何度も読み返した記憶がある。
だから、それを元に卒業で離れ離れになる2人の歌を作りたいと思った。それは、ちょっと前から胸の内にあった願いだった。
でも。
「でも、本当にそれで良いのかなって。マル、AZALEAとして果南ちゃんとダイヤちゃんには沢山お世話になったのに、そういう感謝の気持ちを伝える歌を作らないのはどうなのかな、って思っちゃって」
未だ食べる気になれず、今度はみかんを両手で包んだ。手のひらに冷たさを感じながら目を瞑り、背もたれに体重をかける。
思い返すのは、決して長くはなかったユニット活動の記憶。
Aqoursとしての活動の隙間を縫って何度も3人で話し合ったり練習をしたこと。
最初は2つ上の先輩2人と活動することに不安を覚えていたこと。
過ごす時間が増えるにつれて段々距離が縮まって、笑っている時間の方が多くなっていったこと。
距離が縮まるにつれ、打ち合わせと称して遊びに行くことが増えた。2人に挟まれていると凄く安心して、気付けば普段は言わないような我儘をたくさん言った。
我ながら子供っぽいと思えるそれらの我儘を、2人はちゃんと受け止めてくれて。気付けば、安心して全身を預けられる居場所になっていた。
それを自覚してからはどんどん距離が縮まって、ちょっとした時間でも顔を合わせるようになって。
ハードなランニングを始めて完走した時、髪型がぐしゃぐしゃになるまで撫で回してくれた。
私の趣味を全開にした恋にまつわる歌詞達を、素晴らしいと拍手を添えて賞賛してくれた。
一緒に映画を見た。ちょっとした旅に出た。お泊まりをした。3人で肩を寄せ合って星を見た。熱を出して寝込んだ日、2人揃ってお見舞いに来てくれた。たくさん想いを込めて、曲と振り付けを考えた。小さく愛らしい恋の喜びを、たくさん咲かせた。
私の色々なワガママを、笑って許してくれたし、叱ってもくれた。
一人っ子の私に初めて出来た、頼れる2人のお姉ちゃんだった。
最後にその気持ちを伝える歌を歌いたい、という欲が無視できない。無視してはいけない気がしている。
目を開く。視界に映るみかんは、体温が移ったせいですっかり冷たさを失っていた。
力ない笑みが顔に浮かぶ。
「恋の歌も、感謝の歌も……どっちも、マルにとっては大事だから。選べなくなっちゃったずら」
今、私の頭の中ではちょっとした戦争が勃発している。
自分の全力を込めた恋の歌を作りたい、作詞担当としての私。
上級生2人に向けた感謝の歌を作りたい、1年生としての私。
2人の自分が、ほぼ同じ力で引っ張りあっている。どちらも捨てたくなくて、どちらも選べない、そんな状態。
「みんなで話した時は『AZALEAらしく恋の歌にしよう』って話になって、その場では賛成したんだけど……やっぱり、気になっちゃって。あんまり、こういうモヤモヤした気持ちで作詞したくなくて」
「……そっか」
ここに来て、初めて千歌ちゃんが口を開いた。
席を立ち、中庭側の窓へと歩み寄る。外の光が逆光となり、千歌ちゃんの後ろ姿が影のよう。
「花丸ちゃんはさ、『P.S.の向こう側』って曲、覚えてる?」
「う、うん。千歌ちゃんたちの……CYaRon!の曲だよね?」
もちろん覚えている。大切な人に手紙を書くワンシーンを、切なげな歌詞と明るい曲調で表現したあの曲だ。
急に何だろう。その曲にヒントらしきものがあるのだろうか。
「あの曲ね、ものすごーく人気!って感じじゃなかったんだけど、気に入ってくれた人はとっても気に入ってくれてね、その人達がメッセージでいっぱい感想を伝えてくれたんだけど」
くるり、と千歌ちゃんが振り返る。光を背にして穏やかに微笑む千歌ちゃんは、なんだか神様みたいだった。
「その感想がね、皆バラバラだったの」
「バラバラ?」
「そう、バラバラ。遠く離れてしまった友達への手紙をイメージした人もいれば、失恋した恋人へ、本当は送るつもりのない手紙を書いてるように感じたっていう人もいたし、ふと思い立っておじいちゃんに暑中見舞いを出しました、っていう人もいて。本当、面白いくらい色々だったの」
驚いた。私の中ではあの曲のイメージは割とはっきり固まっていたから。
「そうなんだ……オラは、てっきり離れ離れになってしまった友達に宛てた手紙だと思ってたずら」
千歌ちゃんはにっこり笑い、「実は私も、そんな感じのイメージで書いたんだけどね」と答え、窓に軽く背中を預ける。
「他にも色々あったよ? 死んでしまったペットに手紙を書いている気持ちになった、とか。偶然聞いたお父さんが気に入って、その後出した手紙がきっかけで小学校時代の友人と再会しました、なんてメッセージもあったっけ」
「それは……凄い、ずらね」
千歌ちゃんは、色々な感想を一つ一つ丁寧に反芻していた。箱にしまっておいた宝物をそっと取り出すような優しさで、愛おしそうに。
「本当、凄いよね! 最初に歌詞を作ったときは想像もしてなかった感じ方をする人がいっぱいいて、それぞれのイメージであの曲を愛してくれてる。私ね、これってすごく素敵なことだなって思うんだ」
窓から離れ、机の外周を歩きながら千歌ちゃんは語る。私の真正面まで来たところで立ち止まったかと思うと、「だからさ!」と大きな声を出しながらいきなり机に身を乗り出して、呆けていた私の顔を覗き込んできた。
赤い大きな瞳に、虚をつかれた私の顔が映り込む。
「どっちもやっちゃおうよ、花丸ちゃん!」
さくり、とみかんに指が突き刺さった。
「……え?」
みかんの冷たさが流れ込む感覚を左手の親指に感じながら、それでも私は千歌ちゃんから目を逸らせない。
「それだけ悩んでるってことは、花丸ちゃんにとってはどっちも同じくらい大切な想いなんだよ! だったら、欲張ってどっちもやるべきだよ!」
「2曲作るってこと……? でも、それはそれでなんか違うなってーー」
「そうじゃなくて、詰め込むの!」
更にずい、と千歌ちゃんの顔が近付く。
「つ、詰め込む?」
「そうだよ! 1つの歌詞に、どっちの想いも詰め込むんだよ!」
そこまで言われて、私は千歌ちゃんが何を言わんとしているかようやく理解した。
「……その歌詞みたいに、何通りにも取れる歌詞を、ってことずら?」
「そうだよ!」と嬉しそうな声と共に首肯し、千歌ちゃんは言葉を続ける。
「さっき、思いもよらない受け取り方をする人たちがいたって言ったでしょ? それってつまり、一つの歌詞が色んな意味を持ってるからだと思うんだ。
だから、花丸ちゃんのやりたい恋の歌に2人への感謝の気持ちも詰め込んじゃえば良いんだよ! そうすれば、きっと素敵な曲になるよ!」
「で、でも……恋愛感情と感謝の気持ちを1つにまとめるなんて、出来るかな?」
千歌ちゃんの案は、確かに魅力的だった。
でも、私が取り扱おうとしている2つは、近いようで限りなく遠い感情のように思えた。
それを1つにまとめるというのは、とても難しいのではないか。
「出来るよ、絶対出来る!」
「……何で、そんな風に言い切れるずら?」
「え? だってーー」
『ーー私の大好きな、花丸ちゃんだもん!』
「……本当、敵わないずら」
何一つ論理的な根拠はなく。それでも、いや、それ故に強い説得力を持つその言葉。
実際、私の悩みを解決するには千歌ちゃんの案が一番だった。
どちらかを切るか、どちらも取るか。どの道覚悟を決めなくてはいけない。
これだけ悩んでどちらも切れない私がいるのなら、両方を取る覚悟を決めるべきなのだろう。
「……でも、やっぱり難しいずら」
はぁ、と思わず溜息をつく。部室で食べたみかんの香りが、うっすらと残っていた。
「何1人でブツブツ言ってるのよ?」
「ずらっ!?」
突然、背後から声がかかる。
びっくりして振り向くと、そこには訝しむような視線をこちらに向ける善子ちゃんの姿。
「ああ、アレね? 遂にずら丸も、魔界からの怪電波が受信出来るようにーー」
「違うずら」
いつもの堕天使ポーズをしながらよく分からないことを口走る善子ちゃんを、容赦なく遮断する。これはまあ、お約束みたいなものだ。
「ちょっ、せめて最後まで言わせなさいよ!」
「善子ちゃんの戯言を最後まで聞いてたら、日が暮れちゃうずら」
「戯言いうなっ! あとヨハネッ!」
頭を回すまでもなく、するすると言葉が湧いてくる。こんな風に自然な会話が成立するのは、やっぱり心地が良い。
「はいはい。マルは忙しいから、もう帰るね」
ほんの少し気分が上向きになった。今なら良い案が浮かぶかも。
善子ちゃんには悪いけど、今日はここでお別れしよう、と思ったそのとき。
「……あんた、何か悩んでるでしょ」
急に声のトーンを下げて善子ちゃんが言う。これは、善子ちゃんだ。堕天使ヨハネではなく。
この親友は、ふざけているようでいつも人のことをよく見ている。特に私は、付き合いが割合長いせいかすぐに察されてしまう。
「……相変わらず、変なとこで鋭いずらね」
「一言多いっての。聞くわよ? 私で良ければ」
相変わらず人が良いなぁ、と思う。
普段黒魔術だの堕天使だのに傾倒している割に、心根がびっくりする程善良だ。
「ありがとう。……でも、今はちょっと1人で考えたいずら」
「……そっか。ま、話す気になったら連絡入れなさいよ?」
「……うん」
そうやって深入りし過ぎない距離感も、いつでも連絡することを許してくれる寛容さも。こういう時、改めて身に染みる。
名前の通りの、善意の子。
「その時は、ありとあらゆる並行世界の因果律を束ねるこのヨハネ様の魔力で、ズバッ!と解決してやるんだから!!」
深入りしないと決めたからか、善子ちゃんはすぐにまた堕天使モードになって、謎の決めポーズで自信満々にそう語る。
「また新しいゲーム始めたずらか?」
「ゲームじゃなくてアニメよ! それもちょっと前のやつよ! 前あんたにも話したでしょ!?」
本当は、何となく覚えてる。
ただ、こうしてはぐらかした方が面白い反応をするのだ、この親友は。
「善子ちゃんはいっつもそういう話ばっかりしてるからみんな同じに聞こえるずら。っていうか、ゲームとアニメって同じようなものでしょ?」
「人の話くらいちゃんと聞いてなさいよ!! 大体、ゲームとアニメの区別つかないって女子高生としてヤバいわよ!? おばあちゃんよ!? あと、私はヨハネだって言ってんでしょーーーー!!」
「はいはい、善子ちゃん善子ちゃん」
「ムキーーーーッ!!」
ほら、こんなに面白い。
さっきまで眉間に寄っていたシワもすっかり消えて、いつもの調子に戻れたみたい。
(…………ありがとね、善子ちゃん)
照れくさいから、面と向かってはそうそう言わないけれど。程よい距離で何かと私を気にかけてくれるこの親友には、とても感謝しているから。
この悩みに決着が着いたら、パフェの1つでも奢ってあげようか、などと考えながら、私は帰路に着いた。
続きます。