「離脱すんぞ! セシルちゃん、頭を守っとけ!」
「は……、はいぃっ! 《
「これだから下賤の者は仕方ないですわね……って、どこに行きますのっ?!」
わたくしは栄えある《アイン王国》の王女、ソフィーリア。
わたくしは
わたくしがこの男性と出会ったのは数日、いえ、十数日前のことだったかしら。
そう、あれはツヴァイ国のお城で、かの老王と
「……なるほどのぅ、打倒魔王の旅とな。それはそれは。その者、アルスといったか。教会の発表とはいえ、そのような平凡そうな少年が勇者だとは普通ならば信じられんのぅ」
「ええ。ですので、わたくしの同行こそがその証左。教会とは別に、彼が勇者であるとアイン国が認めます」
不本意ながらも、わたくしは勇者の旅に同行しています。それも少数での旅です。せめて何名かの供を連れて行けたら良かったのだけれど、お父様の
「で、あるならば。
ツヴァイ王は自問自答をするかのように、わたくしへの支援を申し出ました。
いま、わたくしに必要なモノは、物ではなく者。身の回りの世話をさせる使用人です。
王族という尊い身分にある者同士、わたくしの苦労を解っているようで何よりですわ。
「そうですわね。でしたら使用人を──」
「では戦士を! 僕と一緒に敵の前に立てる人でお願いします!」
「──ッ!!」
なんてこと! あろうことか、勇者が大きな声で割り込んできましたわ! わたくしの
……ですが、いま、勇者の発言を撤回させても恥をかくだけで、何も得るものはありません。
期待はできないけれど、せめて多少なりとも気の回る者が加わるといいですわね……。
「ふむ。ならば、あの者が適任じゃろう。《傭兵》を呼べ!」
「ハッ!」
「傭兵ですって?」
「うむ。あの男は、手放すには実に惜しい男でのぅ。……金で繋ぎとめておるのじゃよ。きっと役に立つじゃろう」
ツヴァイ王の
傭兵は総じて誇りもない薄汚い存在だと存じています。そのような下賤の者と旅など出来るものなのでしょうか。
……そもそも、
とはいえ、
「……お呼びでしょうか」
あら。考え事をしている間に傭兵と思しき男がやって参りましたわ。
まず目に映ったのは、わたくしよりも色の薄い、短く整えられた金髪。
次いで、飾り気の無い無骨な青い鎧を纏った、やや細身ながらも長身でガッチリとした
顔は、それなりに見れますわね。下賎な者にしては、なかなかどうして。悪くはありません。
わたくしの供としては及第点だけれど。これで女性の方だったら、どれほど良かったことか……。
それに引き換え、忌々しい勇者ときたら……。
天に刃向かうが如く逆立てられた、禍々しいほどに黒い髪。
深淵のような底知れない闇を宿した黒き瞳。
兵士にも劣る貧相な躰つき。
そして品の無い厚手の黒い服。
平々凡々な、知性の欠片も見出せない顔。
身の毛もよだつほど悍ましい、不快な声。
極めつけは、礼を知らず傲慢にして不遜な態度。
何もかもが、ただただ不快。使命が無ければ、誰がこんな男と旅など……!
どちらも共通している点は、等しく卑しい身分にあるところかしら。
ああ、嫌だわ。どうして わたくしばかり、こんな目に遭わなければならないのかしら……。
「うむ。この者らは打倒魔王を目的に掲げる勇者一行じゃ。
「はぁ、勇者……殿ですか。承りました。俺……あ、いや、私はガイと申します。どうぞよろしく」
「僕はアルス。一緒に魔王を倒しましょう!」
「僧侶のセシリアです。セシルって呼んでくださぁい」
「…………」
ガイと名乗った傭兵は、そのまま略式ながらも礼をとりました。下賤の者にしては、少しは礼儀というものを知っているようですわね。
ですが、それ故にますます得体の知れない違和感と疑念が増していきます。
なによりも、その名前。何か違和感がありますわね……。
ガイ……がい……害?
《
……ッッッ!!!!!! ど、堂々と暗殺予告を行うだなんてっ!!
な、なんて事! なんて大胆な! これが、これがツヴァイ王のやり方だというのっ?!
今ここで わたくしが異を唱えれば、それこそ相手の思うツボ! 先に不信感をあらわにした方が不利! 相手に付け入る隙を与えてしまいます! わたくしが真意に気付かなければ予定どおり排除し、逆に気付けば
これが、ツヴァイの真の狙いッ!! 魔王の脅威に乗じた、
ツヴァイの老王……やりますわね……!!
「姫?」
「姫様ぁ?」
「……えっ? あっ……」
わたくしとしたことが! 策とはいえ、下賤の者が礼を欠かさなかったというのに! 王族であるわたくしが! あろうことか動揺し、礼節を欠くなんて! ありえない! 大失態ですわっ!!
こんな事で心を乱されてしまうなんて……! なんたる屈辱ですの! わたくしの身だけではなく、心までも
「……あー、どうやら、あんまり歓迎されていないようですが、私は私の仕事をするだけです。どうかご心配なく」
わたくしは暗殺者なんかに屈したりはしませんわ! 絶対に屈しません! ええ、そちらがその気なら、わたくしだって! 王族として! 正面から受けて立ちますわ!
この屈辱はいずれ晴らさせてもらいます! 今に見てなさいっ!
「わ……わたくしはっ! わたくしの名はソフィーリアですわ! よく覚えておきなさいっ!」
「あっ、はい」
……これが、わたくしとガイ様の出会いですわ。
わたくしの立場がそうさせたとはいえ、今思えば恥ずかしい限りですわね……。
ああ、恥ずかしいといえば……。
ツヴァイ王との
「……その荷物はなんですの?」
「え? いや、冒険というか旅をするんでしょう?」
この者は何を言っているのでしょうか。そんな大荷物を抱えて旅だなんて出来るわけがありませんのに。
「うん。……あっ! 長い旅になると思うから、出来れば敬語はやめてくれるとやりやすい。僕もやめるから」
「ああ、そう? それじゃあ、遠慮なく。それで勇者殿、馬車はどちらに?」
「馬車?」
「馬車」
ああ、馬車に載せるつもりだったのですね。それならその大荷物も納得ですわ。もっとも、そんな物が有れば良かったのだけれど。
「そんなものはありませんわ」
勇者の旅路には重荷となる物は不要だそうですの。おかげで、とても不便を強いられています。
使用人の1人も認められないのは、どうかしていますわ。
「え? 無い? マジで? マジで言ってんの? えぇ……まさか」
礼儀を知っているとはいえ、所詮は下賤の者。取り繕うことをやめてしまえば、なんて品の無い有様でしょう。
……わたくしの暗殺の予定が狂ったのか、頭を抱え出しましたわ。見苦しいですわね。
「……勇者殿。今から質問をしていくから、正直に答えてくれ」
「……? うん、分かった」
わたくしを害するための相談を、わたくしの前で行うだなんて。なんて大胆な暗殺者なのかしら。さすが老王の手先。飼い犬は飼い主に似るというのは本当ですのね。
「まず最初に、移動手段は?」
「えっと、商隊の馬車に乗せてもらうこともあるが、基本的に徒歩だ」
「え?」
「え?」
移動手段。それはつまり、暗殺する機会を窺うということ。
やはり大胆ですわね。いえ、これはわたくしに対して揺さぶりを掛けているのでしょう。ですが、もう、その手には乗りませんわ。フフ、残念でしたわね。真意が解ってしまえば、こんなもの、単なる余興に過ぎませんわ。そう、《旅》という名のコース料理のスパイスに過ぎません。
「えっと、セシリアちゃんだっけ?」
「セシルでいいですよぉ。なんですか、なんですかぁ?」
「うわぁ、いい笑顔。……あのさ、マジで徒歩なの?」
「はい、そうですよぉ」
「マジかよ……。なら食事は?」
「お店で軽食を買ったりぃ、宿屋で済ませてますよぉ」
「そうだな」
今度は食事。毒を飲ませる算段ですわね。秘かに害するための手段を、あえて
「ええぇぇぇ……? じゃあ、寝泊りも宿屋で? 町とか村で?」
「そうだが」
「…………」
とうとう黙り込んでしまいました。
いえ、これは……そう、溜め。次は何を口走るのでしょうか。
さあ、わたくしを存分に楽しませて?
「……勇者殿。今後の事について、全員で話し合いをしたい。今日は出発を中止にしてもらってもいいか? まだ宿を取っていないなら、俺の家を使ってくれて構わないから」
「話なら歩きながらすればいいんじゃないか?」
「大事なことなんだ」
「わ、わかった。そこまで言うなら本当に大事なことかもしれないな」
「当たり前だ」
勇者の肩を両手で押さえつけてまで訴えるだなんて……。今までにない、あの真剣な眼差しは、いったい何ですの?
「セシルちゃんもいいか?」
「はい、いいですよぉ」
「ソフィーリア姫もよろしいでしょうか?」
「…………」
いえ、そんな事は重要なことではありませんわ。暗殺者が自らの家宅へと標的を招くということは、おそらく、死体を処理するために最も適した場所がそこであるということ。
楽しませて、とは思いましたけれど、急ではなくて?
「ソフィーリア姫?」
「姫?」
「姫様ぁ?」
「あっ……」
……また礼節に欠いてしまうなんて。今日はこれで何度目なのでしょうか。嫌ですわね……。
ああ、なんてイヤらしいっ。
「姫の調子が悪いみたいだ。ガイさんの言うとおり、やっぱり出発は止めたほうがいいな」
「そうですねぇ」
「何かあったら困るし、僕が姫の手を引いて歩くよ」
「い、いえっ! 結構ですわっ。自分の足で歩けます!」
勇者は何を勘違いしているのでしょうか。まるで路肩の石を拾うかのような気安さで、わたくしの手を握ろうとしましたが、そうはいきません。
「ん……? そういえば、勇者殿も高貴の出だったり?」
「違うよ。高貴な身分にあるのは姫だけだ。僕もセシも平民の出なんだ。敬語が苦手なのは、そういう理由もある」
「なるほど。そっかー……姫様、どうか
そう! わたくしに触れたいのであれば、それ相応の態度というものが必要なのですわ!
同じ下賤の者にしては、暗殺者のほうは存外 解っているようです。
「そ、そういわれては応えなければなりませんわねっ。淑女として!」
「!?」
この際、身分に関しては目を瞑ってあげますわ。
「では、お手を失礼して……ご案内致します」
「ええ、よろしくてよ」
「……なんで……?」
「ゆ、勇者様……」
……それにしても、気持ちの良い笑顔をしますのね。
勇者の笑顔はあんなにも気持ちの悪いものだというのに。
「っというわけで、勇者殿。荷物よろしく」
「えっ」
ガイ様のご自宅に着くまでの間の事は、何ひとつ覚えていません。
あの時は恥ずかしさのあまり、舞い上がっていたのでしょうね。
殿方にエスコートされただけで、あんな……。
はしたない女だと思われていなければよいのですが……。
ご自宅に着いてからのガイ様といったら、それはもう凄まじかったですわ。
あれほど真摯かつ堅実かつ誠実な男性が今までいましたでしょうか? いえ、いません。
そんな貴方だからこそ、わたくしは惹かれたのでしょう。
暗殺者の邸宅へは、あまり時間がかからずに着きました。意外にも邸宅は立派なもので、それなりに品のある趣きであると、わたくしには判ります。
「着きましたよ、ここが俺の家です」
「まあ。立派なお屋敷ですわ」
おそらく、この邸宅はツヴァイ王から下賜されたのでしょう。かの老王が重宝するだけの人材であると、これだけで判るというもの。評価を《ただの暗殺者》から改める必要があるのかもしれません。
「や、やっと着いた……」
「えっ、なんで息を切らしているんだ……? だ、だらしないぞ、勇者殿?」
「勇者様ぁ、大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫……っ、ガイさんはこの大荷物を息を切らさずに城の門まで運んだっ、僕だってこれくらいはできるっ」
「お、おう。まっ、
「そうさせてもらうよ……」
言われてみれば確かにそうですわ。勇者は肩で息を切らしているというのに、暗殺者は顔色ひとつ変えていませんでした。やはり只者ではありませんわね。敵なのが惜しいですわ。
「あの荷物はドライ国への支援物資なんですかぁ?」
「違うけど」
……いえ、逆に考えるのですわ。敵でよかったと。敵ならば味方に引き込んでしまえばいいと。彼を引き入れる事が出来れば、敵国ツヴァイの戦力は減りますし、逆に
意趣返しの手段としても、とても有効ですわ。味方が敵に回る事ほど、そんな恐ろしくも悔しい事はありませんもの。
「えっ」
「えっ」
「えっ」
まあっ! 我ながらなんて名案なのでしょう! 自分で自分が恐ろしくなってきますわ! まさに良い事尽くめ! 益しかありません! これはやるしかありませんわ!
そうと決まれば、こちらから打って出ます! 何か話題になるものは……、ありましたわね。
「この得体の知れない荷物はなんですの?」
「それは俺たちが旅をするのに必要な物……でしたね」
旅をする為に必要な物。……お金でしょうか? いえ、お金は充分な額をわたくしが管理しています。これは違いますわね。
では衣類でしょうか? そうだとしたら、とても喜ばしいことです。毎日 同じ服を着るというのは優雅さに欠けていましたの。庶民の店では、とても着られるような服は売っていなくて。
「もしかして、衣類ですの?」
「残念ですが違います。これは
「旅糧? 聞いたことがない」
「私も初めて聞きましたぁ」
「マジかよ……そこからかよ……。まあ、平たく言えば食料のことだな。商隊の馬車で食べなかったか? それがこれだ」
「それなら何度か食したことがありますわ。ですが、お世辞にも美味とは言えませんでしたわね」
衣類でなくて、本当に残念ですわ……。ですが食事にも同じ事が言えます。どうして庶民はあんな物を平然と口にできるのかしら? 不思議です。
「そりゃ、王宮の料理と比べたら当然ですがね」
「まあ、そうですわね」
「え? うまかったが……」
「おいしかったですよ?」
この男……。まるで城の食事会に招かれたことがあるかのような物言いですわ。
これまでの出来事をまとめますと、ツヴァイ王は暗殺者に最低限の礼儀作法を覚えさせ、与えてもよい等級の屋敷だけでなく、上流階級が食する料理と、王の食卓へと招かれる栄誉まで与えたようです。そして、その上で金銭を支払っています。
ツヴァイ王は、この男にどれほど入れ込んでいるというの……?
「でも、これだと量が多すぎじゃないですかぁ?」
「てっきり、馬車が有るもんだとばかり思っていたしな。まさか無いとは。馬車は俺のほうで手配しておくか」
「いや、その必要はない。むしろ馬車は邪魔になると思ってる」
「えっ」
「そうですねぇ。ダンジョンに潜るときはぁ、外に置いて行くことになりますしぃ」
「いや、普通に護衛を就ければいいだろ。というか、姫様を歩かせて大丈夫なのか?」
……いいえ、かの老王にとって、この男はそれほどの価値がある。
やはり、わたくしの考えは何ひとつ間違っていませんでしたわ! フフッ、必ずや、わたくしの
「今はまだいいが、これから先はきっと過酷な
あら? わたくしが決意を新たにしている傍らで、勇者が何か言っていますわね。そう何度も愚を重ねる わたくしではありません。また指摘を受ける前に、話の環に戻りませんと。
「お、おう。それが勇者殿の方針なのか」
「うん」
「……すげぇな、おれにはとてもまねできない」
ですが、今から話の内に入るというのは難しいというもの。それならば、話そのものを変えてしまえばいいだけのことですわ。
「話はこれで終わりですの? 次は何を話してくれるのかしら?」
「あ、はい。旅糧については。次は装備の話です。馬車が無いなら、全員分のマントかローブは必須となります」
「あぁ、やっと衣類の話ですわ」
「マントって、高貴なお方がお召しになる、あのマントですかぁ?」
「そう、そのマント。何も貴族様や騎士だけが身に付ける物じゃないよ、セシルちゃん」
「そうなんですかぁ?」
「そうなんですよぉ」
「戦闘の邪魔にならないのか?」
まったく、勇者ときたら。戦闘に関わる事になると、すかさず突っついていきますわね。
まあ、モンスターの群れから わたくしを守り通していることは評価してあげますが。
「確かに邪魔になる時もあるがな。あれは旅の必需品だ。風が吹いても寒くはないし、風で巻き上げられた小石や木の枝で怪我をする可能性は減るし、日差しが強い日には肌を隠せるし、即席の寝具にもなる。ついでに身分を隠さないといけない場合にも使えるか。持っていて損はないぞ」
確かに、わたくしの肌に傷が付いては大変ですわ。
ですが……。
「ちゃんとした衣類でないのが残念ですわね」
「それは、まあ、呑み込んでいただく他ないですがね。いかがでしょうか?」
「せっかくの申し出ですし、わたくしに相応しいものを見繕ってもらおうかしら」
「ええ、まあ、あるんですがね。偶然にも。それじゃあ、勇者殿もセシルちゃんも
まあっ! 用意がいいこと。
フフ、下手な物を持ってきたら、どうしてやりましょうか。
……あのとき頂いたマントは愛用していますわ。
今もこうして身に纏っています。
思えば、わたくしのほうから惹かれた殿方はガイ様が初めてです。
何かが満たされていくような感覚……。
これが、この気持ちが《恋》というものなのでしょう。
普段、素直になれないのは好意の裏返し。
そして、わたくしが強い女である事を示す為。
「さて、これからどうしたもんか……」
想い出に浸るのも良いですが、本当に大切なものは身近にある現実です。
いつまでも過去に思いを馳せているわけにはいきません。
わたくしがそう思うのですから、きっとガイ様もそうに違いありません。
だからこそ、わたくしに問いかけたのでしょう。
王族として、淑女として、そして近しい者として、その問いに応えます。
「あら。進むのでは?」
※姫の頭の中は、わりとお花畑です。