ボールはともだち! ~One For Ball~ 作:HDアロー
その日の天気は大いに荒れた。
すべての始まりである終焉の雨と。
すべてを終わらせる恵みの日照りと。
二つの気象がぶつかり合い、地形すら歪みかねない大恐慌。
その場に居合わせた誰かが言った。
「なんて酷い天災なんだ」
また別の誰かが言った。
「天災なんて言葉で、この惨状を表せるものか」
そうだ。
それを天災と呼ぶには、あまりにも暴力的だった。
考えてみて欲しい。
先ほどまで砂漠だった場所が、海に飲まれる程の大雨のことを。
先ほどまで海溝だった場所が、断崖の地に変わる程の日照りのことを。
そんなまさに『超常現象』を体現した、超古代ポケモン。
そう、それほどまでの力を持ったポケモンが。
ルネシティという辺境の地に。
一体は日照りの神――ゲンシグラードン。
それを形容する言葉があるとすれば、大怪獣だろうか。
鋭い爪、尖った牙。
体のあちこちには棘のようなものが付いていて。
全身に迸る紋様にはドロドロのマグマが
また一体は雷雨の神――ゲンシカイオーガ。
それを表現する手段があるとすれば、海竜神だろうか。
獰猛な眼、天をも掴むような大きなヒレ。
体の隅々に刻まれた紋様には、透き通るような海が流れていた。
彼らが暴れれば、星が一つ滅びる。
それは覆しようのない真実だ。
その現実を前に、一人の男が祈りを捧げた。
その男は、後にも先にも名を残さぬ、ただの一般人だった。
膝を折り、手を合わせ。
天を仰ぐ様子は、まるで神に許しを乞うかのよう。
終末論が正しければ、終焉を迎える日に人々は、きっと誰もがそうするのだろう。
それの後を追うように。
一人、また一人と天に祈りを捧げ始める。
けれどもそこにあるのは覆しようのない絶対で。
もはやその破滅は不可避であった。
二匹を止める術はない。
止められる者すらいない。
誰もが知っていた。
そんな常識的な真実なんて。
……そうだね。
だからこそ言わせてもらおう。
故にこそ、問い掛けよう。
この非現実的な現状において、君たちの持つ常識に、如何ほどの価値があるのかと。
「お、おい。見ろよ」
それを言ったのは、誰だったか。
「これは一体……」
いや、誰が言ったかなんて関係ないか。
「奇跡、奇跡だ」
彼らもまた、名も無き登場人物の一人にすぎないのだから。
「もしかして、もしかすると」
それでも、彼らがいたからこそ、この物語は終わらない。
バッドエンドで終わったりなんかしない。
彼らが全員生き延びてこそ、ハッピーエンドなのだから。
空に切れ目が走る。
天を遮る暗雲ではなく。
偽りの太陽であるエネルギーでもなく。
人々の心に安らぎを与える、命の光がその地を照らす。
この二匹を止めると言うのなら、そいつは同じく超常的存在でなければならない。
そして、それはこのポケモンをおいて他にない。
裂空の覇者にして天空を司る神。
その名は、――レックウザ。
「間に合った!」
ルネシティの上空から、女性の声がした。
流星の民の末裔にして最後の継承者。
この天災を蘇らせた張本人。
そう、ヒガナであった。
この二匹を引き合わせておいて、今の今まで何をしていたのか。
なんてことはない。
ただレックウザを呼び出していただけだ。
それが彼女の使命。
彼女が彼女である必要性だった。
彼女が二匹を同時に呼び出したのには理由がある。
どちらか一体であれば、確実に環境が崩れる。
だがしかし、近しい場所に正反対のエネルギーを置けば?
その点を中心として、お互いがお互いのエネルギーを打ち消し合う。
ホウエンがこの災害に飲まれながら、それでもなお原型を留めていた裏には、そんな理由があった。
「さて、後はどこかにいるはずのチエちゃんと合流して……」
空の高い位置から、地上を見下ろす。
この異常気象だというのに、家を飛び出した町民達が、レックウザを奉っている。
膝を折り、手を天にかざし、祈りを捧げている。
だがその中に。
良く見知った幼女の姿はなかった。
(……あれ?)
不安と焦りが胸中を占める。
眼球が右に左に泳ぎ回り。
ぐるぐると回る世界の中心で、彼女の姿を探す。
だがやはり、彼女はいなかった。
「そんな、まさか……」
いやな予感がよぎる。
それは想像していた、限りなく悪いパターン。
その可能性をヒガナは、絶望に打ちひしがれた声で絞り出した。
「間に、合わなかったの……?」
渇いた喉を、溜まった唾液が下って行った。
どうして他人を頼ってしまったんだろう。
ヒガナの心の内は、そんなものだった。
(そうだ、他人なんて不可視なパラメータ。最初から、外すべきだったんだ。想像しておきながら、想定から外した……! だからこんな予想外の事に陥ったんだ!)
彼女の感情を支配していたのは、抑えきれないほどの怒り。
ただしそれは外部ではなく、己の内に向いていた。
それは彼女が自己嫌悪するのに、十分なものだった。
ギリギリという、奥歯の擦れる音をBGMに。
絞り出すように。
締め付けられた心の内を零すように。
ヒガナは、弱々しく問いかけた。
「ねぇ……、レックウザ? あなたなら、できるよね? メガシンカ」
ヒガナは自らが捕まる、もえぎ色の背中に問いかけた。
彼女と出会わなければ、考えもしなかった可能性。
レックウザのもつエネルギーが減衰している。
その可能性が、あくまで可能性の話でなかったら?
「チカラが足りないなんて、そんなの嘘だよね……? さぁ、その真の姿を見せてよ、真の力を見せてよ……。この終焉を、止めて見せてよ……ッ!」
――そうだ。
――あくまで最悪の場合の想定だ。
――その筈だ。
――きっと真実味を帯びた、虚構なんでしょう?
――だから、だからさ。
そんな思いと共に、ヒガナは叫ぶ。
「してよ! メガシンカ……、しなさいよッ!!」
しかし何も変わらない。
変えようがない。
結果を呼び出す原因が存在しないのだ。
因果律が成り立たないのだ。
彼女がどれだけ叫んでも、どれだけ嘆いても。
残酷な真実は変わらない。
「……そん、な。こんな、こんなことって……。それなら……、私の、私のやって、きたことは……? 全部、全部無駄だったって言うの……?」
ぽっかりと、穴が開いた気がした。
吹き荒れる風が、突き抜けていくようだ。
そう、ヒガナは感じた。
言い知れぬ虚無感に苛まれ。
ヒガナは嗚咽を零した。
とうの昔に、限界点なんて通り過ぎていた。
表面張力で耐えていた感情という器から。
堰を切ったように、様々な思いが溢れかえった。
悲しかった、苦しかった。
こんな時、どうしていたんだっけ……。
ヒガナは振り返る。
自らの過去に立ち返る。
……小さいころから、空を見上げるようにしていた。
不安がいっぱいで押しつぶされそうなときも。
悲しくて寂しくて心が折れそうなときも。
絶対、涙を流さないように。
だけど、だけれども。
いざ空に立ってみれば。
見下ろす事しかできなくなってしまっては。
もはやその涙を、留める術はない。
「ねぇ、教えてよ。たった、たった一つの願いすら、私は星に届けられないの? 私の賭した一生は、全て無駄だったっていうの……ッ」
ヒガナの瞳に溜まった雫は。
レックウザを掴むその両の手に。
ぽつり、ぽつりと、零れ落ちて行った。
顔は涙でぐしゃぐしゃに歪み、悲痛の色を浮かべている。
晴れ渡るこの地が、闇に飲まれてしまったかのような。
そんな絶望を覚えた。
そんな暗闇の中で。
一人の幼女の声がした。
「力、貸そっか?」
ハッとしてヒガナは空を見た。
ギラギラと輝く太陽に。
小さな黒い影が浮かんでいた。
炎を通さないという羽根が宙に舞い。
日に照らされて煌めいている。
――あぁ、もう。まったく。
旧友と再会したときのように。
嬉しさと、困惑を兼ね備えるように。
ヒガナは笑みを零した。
(遅いんだよ)
そこにいたのは、ヒガナがただ一人頼った友人。
ボール職人のチエだった。
⁂
(間に合った……間に合ってる?)
空から見下ろすルネシティには、古代ポケモン達が集結していた。
そんなB級映画みたいな……。
(もっともB級映画みたいなのは状況だけで、光景はどんな映画よりも幻想的だけれど)
この情景を目に焼き付けようと、私は誓った。
いつかこの経験が、大きな財産になる。
そんな予感がした。
アローに指示を出し、少しずつ降下しヒガナのもとに寄る。
やってくれたねと言った様子で、ヒガナはふてくされていた。
いやごめんって。
私だって決戦がこんなに早いとは思ってなかったんだよ。
だけどヒガナは文句を言わなかった。
その代わりに出てきたのは、信頼と、僅かばかりの皮肉だった。
「や、待ってたよ。てっきり待たせてると思ったけどね」
「やぁ、焦ったよ。何が今週中なのさ、早すぎるんだよ」
「それもそっか。で、ここに居るってことは、出来たってことでいいんだよね?」
ヒガナが流し目で薄っすら笑う。
笑うほどの余裕も、既にないだろうに。
その横顔に、私は気付いたことがあった。
(涙跡……)
ヒガナの目尻に、雫の伝った跡があった。
私がじっと見ていることに気付いたのか、顔を隠してしまった。
両手で顔をこすり、涙跡を消してまた私と向き合う。
「目、赤いままだよ」
「……うっさい」
泣いてなんかない。
そんな様子の彼女がおかしくて。
私はつい、意地悪な返しをしてしまった。
今度は顔をそむけたまま、向き合ってくれなくなってしまった。
「さて、こんなことやってる場合じゃないでしょ? 私も、ヒガナさんも」
そう言って私は、ヒガナにボールを渡した。
今回のために用意した、オリジナルボールだ。
「……これは?」
「新作です。このためだけに用意した、自信作――」
後にも先にも、使うことはないであろう。
汎用性なんて、どこか遠くに捨ててきた。
従来のボールに喧嘩を売る。
冒涜の一手。
「――チエボール・リビルドC!」
原作主人公「待ってろよ、レックウザ!」
(レックウザのいない空の柱にて)