湯上がりの帰路・彼は気まぐれに前任者との【x】を想像する   作:愉快な笛吹きさん

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上編

「はあ……何だか騒がしい風呂だったな」

 

 秋の夜風が湯上がりの火照った身体を吹き抜けていく。爽やかな心地良さを感じつつ、彼――唯我成幸は、ぽつりと呟いた。

 独り言のつもりだったのだが、どうやら聞かれていたらしい。彼の傍らを歩いていた弟の和樹の顔が、にぱっ、と笑顔に切り替わる。

 

「今日はおもしろかったなー兄ちゃん」

 

「お前たちのおかげで色々大変だったけどな! 先生の下着を返すのにどれだけ苦労したと思ってんだ」

 

「ごめんなさい兄ちゃん」

 

「ごめんなさい兄ちゃん」

 

 恨み言を呟く成幸に、和樹はもとより、その姉の葉月も加わって謝る。さすがは双子というべきか。寸分違わず同じタイミングだ。

 何の偶然か……今日は馴染みの銭湯に、成幸のよく知る二人の女性が現れた。そのうちの一人、彼の通う学園の教師である桐須真冬の下着を、この弟妹は興味本位から持ち帰ろうとしていたのだ。幸いもう一人の女性、小美浪あすみに事情を話して事無きを得たのだが……どうにも掴み所の無い彼女の事だ。後から色々とからかってくることは間違いないだろう。

 あまり楽しくはない予想図に、再びため息を漏らす成幸。そんな中、早くも反省を済ませた和樹は、無邪気に顔を近づけながら言った。

 

「でも本当にキレイだったなーまふゆちゃん。おっぱいもでかかったし、兄ちゃん頑張ってお嫁さんにしよーぜ」

 

「バカ言うな、いくらキレイだろうが相手は先生だぞ。俺なんか相手にされねーよ」

 

 いかにも子供らしい、現実味の無い話だった。前半は同意、中盤は心の中で同意。そして後半は否定を選択した成幸が適当にあしらう。

 と、そこで葉月が何やら楽しげな顔つきで耳を貸すよう訴えてきた。やれやれと、成幸。ラムネを一口含むと膝を曲げ、妹の顔に耳を近付ける。

 

「あのね。まふゆちゃんは兄ちゃんの嫁になるって言ってたよ」

 

「ぶふうっ!?」

 

 突如投げ込まれた爆弾に、成幸が盛大にラムネを吹き出した。弟妹が不思議そうに見つめるなか、げほげほと何度も咳き込む。

 

「葉月……誰かれ構わずそういうこと言うのは止めなさいって言っただろ?」

 

 おそらくは入浴中にでもやりとりを交わしたのだろう。そう当たりを付けた成幸が再び葉月を注意する。

 はーいと声を返してきた妹に、成幸は訝しげな視線を彼女に向けた。

 

「……で、本当にそんなこと先生が言ってたのか?」

 

「うん、いつか来てくれるんだって」

 

「そうか……」

 

 力強く頷いた葉月に成幸がああ、と察する。実際のところ、あの先生は見た目の印象ほど冷たくはない。幼い妹に気を遣ってくれたであろうことは想像に難くなかった。

 

「良かったね。兄ちゃん」

 

「そうだな……」

 

 真冬の言葉をすっかり信じているのだろう。笑顔を向ける葉月に、成幸もふっと表情を緩めた。

 会話も途切れ、てくてくと家路を歩いていく。そのうち鬼ごっこを始めた双子を眺めながら、成幸はふと先ほどの葉月の言ったことを思い浮かべる。

 嫁に来る――それはつまり、あの桐須先生と結婚するという意味だ。思い至った瞬間、成幸の口元に笑みがこぼれる。

 正直、あり得ない話だった。それは恋愛感情云々以前に、教師と生徒という立場を考えれば至極当然だろう。現に以前、ゲームの一環で告白したときにはこっぴどく叱られ、否定されてしまったのだから。

 が、

 

(……何となく想像がつくんだよなあ)

 

 可能性こそ無いとはいえ、具体的なイメージを思い浮かべることについては造作も無かった。何せ数日おきにはあの先生の部屋へ掃除(と勉強)に訪れているのだ。彼女の私生活や普段の性格などは今やすっかり把握してしまっていた。だから、

 

 ほんのひととき。家に着くまでの暇つぶし――

 

 そう内心でことわると、瞠目した成幸は、しばし彼女との結婚生活に思いを馳せていった。

 


 

 

 

 

「ん……」

 

 カーテンの隙間から差し込んだ光がまだ薄暗い寝室へと忍び入る。陽が上るにつれてゆっくりと伸びていった光線は、やがてベッドへと差し掛かり、眠っていた成幸の目蓋を微かに震わせた。

 

(朝か……)

 

 目をこじ開けて欠伸を一回。それだけで十分意識は覚醒してくれる。学生の頃から培った習慣だ。

 そのままつい勉強机に意識を向きかけた自分に苦笑すると、成幸は隣で寝息を立てている自分の()に声をかけた。

 

()()さん、朝ですよ」

 

「ん、んん……」

 

 妻――『唯我』真冬からの反応はあったものの、一向に起きる気配は無い。毎朝こんな調子にも関わらず、いたって本人は寝覚めは良い方だと語るのだが。ちょっとした見栄を張りたがるのは出会った頃からあまり変わらない部分だった。

 試しとばかりにつん、とほっぺを押してみる。相変わらず起きはしなかったが、楽器のごとく色んな声が漏れてくるのは面白い。

 

(寝ていても可愛いんだよな。この人は)

 

 惚気を済ませた成幸が、さて今日はどうやって起こそうかと考え、ふと一計を思い付いた。

 

「ほら起きて下さい()()()()。まだ掃除が済んでいませんよ」

 

 学生時代の一コマを思い出しながら、そう妻に声をかけてみる。

 すると、

 

「ん、()()くん……?」 

 

 これもいわゆる習慣の一つなのだろう。一瞬、教師と生徒の関係に戻った真冬は目を開けると、以前の呼び方で応じてきた。そのままきょとんとしていたものの、何やら楽しげな表情の夫を見てようやく状況を理解する。

 

「訂正。成幸くん……もう朝かしら?」

 

「ええ、そろそろ起きないと」

 

「了解。でも……」

 

 と、はっきりしていた筈の真冬の目元が再びとろんとなった。そのまま、成幸の首に腕を巻き付ける。

 

「え?」

 

「待機。あと五分だけ。このまま……」

 

 甘えるようにぎゅっと身体を押しつけてくる真冬。普段の彼女を知っている者からすれば信じられない光景だろう。今更ながら彼女が完全に心を開いてくれているのが成幸にも色濃く伝わってくる。

 

「う、わ、わかりました……」

 

 加えて彼女から発する温もりや匂いにあてられてしまえば、拒否することはもはやできなかった。

 たっぷりと顔を赤らめた成幸は、家を出るまでの段取りを急いで書き換えていくのだった。

 

 

 人にはどうしても得手不得手がある――とは、かつて真冬自身が言った言葉だ。それを証明するかのように、彼女は家事全般を苦手にしている。だが、その全てが壊滅的かというと、決してそうでもない。

 

「いただきます」

 

 合掌を済ませた成幸は、早速とばかりにテーブルに並んだ朝食を口にした。卵焼きに野菜の味噌汁、ご飯。簡素だが、実家でも母の給料日前などにはレパートリーの一つに上がる献立だ。

 

「ど、どうかしら……」

 

 もきゅもきゅと咀嚼したタイミングで対面に座る真冬が味の方を訊ねてきた。しっかりと飲み込んでから、成幸が口を開く。

 

「うん、今日も美味しいですよ。だけど、毎回きっちりレシピ通りに作るのって大変じゃないですか?」

 

「基本第一。レシピをおろそかにするなと言ったのは君よ、成幸くん」

 

「でもそろそろ卵焼きくらいなら……」

 

 きっちりと形の整った厚焼き卵を見ながら、成幸。家事全般が不得意極まりない妻ではあるが、唯一料理に関してだけは一定のクオリティを保つことに成功している。それはかつて彼が学生時代、調理実習の予行演習で勝手なアレンジをしては失敗を重ね、食材を無駄遣いしていた彼女に「まずはレシピ通りに作れ」と怒ったことに端を発していた。

 今思い返してみても、決して間違ったことは言ってなかったとは思っている。が、こうして未だ律儀に実践し続けている妻に対しては、少しの申し訳なさを覚えていた。

 が、

 

「駄目、不許可。料理は愛情って言うでしょう。多少手間でも、夫となった君にはちゃんとしたものを食べさせてあげたいもの」

 

 そうきっぱりと言い放った真冬に、成幸は何も言えず、胸がいっぱいになった。自身のために頑張ってくれる妻にたまらず感謝の気持ちを伝える。と、彼女は急にもじもじしながら口を開いた。

 

「……そ、そのかわり、後片付けの方はお願いできるかしら」

 

 促されて成幸がキッチンの方を見る。そこには材料はおろか、レシピを再現するために使われた計量カップやスプーン、その他調理器具などで溢れかえっていた。

 

「今日も嵐のような惨状ですね……ちなみにお皿やコップは?」

 

「杞憂。聞いて驚きなさい。何と一枚に収まったわ」

 

 真冬の言葉に驚愕する成幸。彼の妻は食器の扱いも下手でよく破損させてしまう。それがたった一枚きりで済んだことはまさに快挙といえた。彼女がどや顔で見つめてくるのも納得である。

 

「すごい! 新記録じゃないですか。この調子でいきましょう」

 

「当然。この調子でいけば明日には――」

 

 夫に褒められ、ふふんと得意げになった真冬。が、それが災いの元だった。胸元で組んだ肘がテーブルのコップにぶつかり、そのまま外へと弾き飛ばされる。

 さあーっ、と顔を青ざめた二人が固まる中、床に落ちたコップは派手な音を立てて砕け散った。

 

「……また明日頑張りましょうか」

 

「……ええ」

 

 夫からの優しくも痛々しいフォローに、真冬が項垂れながら謝罪の言葉を口にしたのだった。

 

 

 傾向と対策という言葉がある。ありがちな事象に対してあらかじめ手立てを打っておくことだ。なら――当然「これ」もその範疇に当てはまるだろうなと、シートベルトを締めた成幸は考える。

 賃貸マンションの駐車場。そこに止まる白いコンパクトカーは真冬が独身時代から乗り続けているものだ。が、運転については今や成幸の専門だった。

 

「それじゃあ出発します。忘れものは無いですか?」

 

「問題無いわ。だけど今日は時間が押してるし、何なら私が運転しても」

 

「いえ、急ぐので是非とも俺に運転させて下さい。俺の寿命のためにも」

 

「そ、そう……じゃあお願いするわね」

 

 真冬の提案をきりっとした顔で断る成幸。これまで幾度となく彼女の運転に寿命を削られ続ければ当然ともいえるだろう。またその甲斐あって、そもそも自身が運転免許を取得すれば良いのでは? という結論にも至ることができたのだ。はれてそうなったいま、断固としてこの席を譲るわけにはいかない。

 危険な者(妻)には運転をさせない。完璧な対策に、成幸は今日も平和な通勤ライフになると、このときまではそう思っていた。

 

 

 ――三十分後

 

 

「……全然動きませんね」

 

 こつん、と指先でハンドルを叩きながら成幸は呟いた。フロントガラスを隔てて見えるのは車が長い縦列を作っている光景。車内ではアイドリング音が延々とリピートを続けている。

 状況がわかったのだろう。操作していたスマホをバッグにしまい込むと、真冬が口を開いた。

 

「把握。どうやら事故で渋滞しているみたいね」

 

「やっぱりですか。全然動かないし、とりあえずUターンしましょうか」

 

 ため息を漏らした成幸がウインカーを出して車線を変更した。一気に空いた道を少し進むとUターン用のスペースを見つけたので切り返す。

 

「何とか引き返せたのはいいですけど……まずいな。このままじゃ遅刻ですよ」

 

 腕時計をちらり見ながら成幸。今さら迂回路まで戻るとなれば間に合わないのは必至だ。

 どうすべきか。若干焦りながら考えているその時、ふと真冬が呟いた。

 

「そこの路肩に止めて貰えるかしら」

 

「え? は、はい」

 

 言われるがまま路肩に停車した成幸が、次の瞬間ぎょっとする。妻がいきなりシートベルトを外し始めたからだ。

 

「何でシートベルトを外してるんですか!?」

 

「交代。運転を代わるわ」

 

 さらっと告げてきた真冬に成幸が絶句した。

 

「教師はすべからく生徒の模範とならなくてはいけない。遅刻なんてもっての外よ。学校への近道ならいくつか知っているから任せて頂戴」

 

 時間が惜しいとばかりに畳みかけていく真冬。それでもなお渋っていた成幸だったが――やがて背に腹はかえられぬと悟ったのだろう。やむなくシートベルトを外すことにした。

 

「……くれぐれも安全運転でお願いしますよ」

 

「当然。法定速度はいつも遵守しているもの。問題無いわ」

 

(それ以外が問題だらけだから言ってるんですが……)

 

 さらりと返してきた妻に心でツッコミを入れると、互いに外に出て席を入れ替える。

 ドアを閉め、運転席に腰掛けた真冬。感触を確かめるようにシフトレバーを一撫ですると、呟いた。

 

「久方。運転席に座るのはいつぶりかしら」

 

「……そういえばそうでしたね。ブランクもあることだし、ここは慎重に行きましょう」

 

 きっと久々の運転に不安がっているのだろう。真冬の言葉に光明を見出した成幸は、何とか彼女の安全意識を向上させるように試みた。

 が、

 

「感慨。腕が鳴るわね。久しぶりに……愉悦を感じられそうな気がするわ」

 

(終わったーー!)

 

 果たして結果は無情だった。ビビるどころか久しぶりの運転にすっかり高揚している様子の真冬。シートベルトを締め、ハンドルを握った彼女の顔に浮かんだ笑みを見て、成幸は手で十字を切りつつ心で念仏を唱える。

 

「じゃあ行くわよ。舌を噛まないようにしなさい!」

 

「ギャーーッ! 何とか保ってくれ俺の心臓ーー!!」

 

 アクセルをふかし、シフトレバーを1速から一気に4速に入れる真冬。弾かれるように飛び出した車からの急激なGを浴びながら、成幸は一刻も早くこの地獄から解放されることを願うのだった。

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