天涯 番外編『義賊は森に 悪党は街に』   作:清夏

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『朝』

 さて、君は幸せというものがどういうものか分かるかな?

 

 そうだね、僕はこう思うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 今朝は、なにやらココロが騒ぐ。

 

 ふだんは絶対に回避したい早起きなんてものにも挑戦したくなる。

 

 

 

「あら、珍しい。気味が悪いわね」

 

 女は、朝っぱらからハナ歌交じりに身支度に勤しむ男の背中に、素直な感想をぶつけてみた。

 

 男は振り返りニヤリと笑うと、鏡に向き直った。

 

 薄茶色の髪は結いもせず肩から背に流している。着付けもきっちりとはしないが、だらしない印象を与えない。

 

 生成りの上着は、飾り気はないが両の肩口に同色の糸で蝶の刺繍を入れた。

 

 右から正面、正面から左へと最終点検。どの角度から見ても、合格点といえた。

 

「よし」

 

 男は、極上の笑みでそれを締めくくった。

 

 女は、その一部始終をうっかり眺めてしまい。溜息をついた。

 

「決まったところでなんだけど。朝餉、食べてく?」

 

「もちろんさ。一日の計は、朝餉にありだよ。その朝食が君の作ったものだなんて、今日の僕はきっと特別だよ」

 

 男の笑顔、男の抱擁。

 

 女はその腕の中で、そっと呟く。

 

「なに、それ……」

 

 女を包み込む腕は右のみで、左の袖に通されるべき腕はなかった。

 

 

 

 その男が歩けば、三歩に一声、女が声をかけてくる。などと言うのが大袈裟ではないかのように、男は女の心を惹きつける魔力のようなものを秘めているようだ。

 その邪気のなさそうな微笑みに、歯の浮くような甘い言葉に、騙されていたとしても後悔などないと、ある女は胸をはったものだ。

 

 

 そしてこの女は、実に冷静だ。

 女は、自分が男の言うような美しい女ではないことを知っている。醜いとは思わないが、この男が自分を褒め称える度に、必要以上に惨めな気持ちになる。

「何か心配ごとがあるのかな。憂いのある顔もステキだけど、やっぱり君には笑顔でいて欲しいな」

「悩んではいないけど、面白くもないのに年中ヘラヘラ笑っていられるほど暇でもなくてね」

「もう、君のそんな強がるところもいいね。大丈夫だよ。僕はいつでも、君の味方だよ」

「敵で結構。それよりさっさと食べて、出て行ってちょうだい。片付かないし、あんたがいると仕事にならない」

 女は本気で男を邪魔だと思っていた。

 しかし、男には通じているのか、いないのか。

「ああ、君は僕がいては、仕事も手につかないんだね。ごめんね。気がつかなくて、君がそこまで僕を……」

 とかなんとか、男は女の頬を包む。もちろん右手のみで。

「いいかげんにしないと、そのうすら笑いを浮かべた顔に青あざができるわよ」

 しれっと、女は男を冷え冷えとした目で見た。

「もう、照れ屋さんだね。君は」

 

 

 

 

「最近はどうなのかな。何か面白いことあった?」

 男は、女の作ったこじんまりとした朝餉を食べながら、ひたすら上機嫌だ。

「大爆笑するようなことはないけど」

 一応は考えてから、女はその答えを吐き出した。

「小爆笑くらいでいいんだけど」

「それは矛盾してるので、ありえないわ」

「まったく、もうそういう冷めたところがいいよねえ」

「趣味が悪いのね」

 女は、ふんと笑って席を立とうとした。

「ちょっと、待ってよ」

 男は女の手を握り、女の顔を見上げた。

「もう少し話をしようよ。久しぶりなんだからさ」

 反則なくらいに、眩しい笑顔だ。

 女は男の顔と、男の手元をゆっくりと見下ろした。

「手短に」

 女は薄く笑って、再び座った。

「いいよ。手短にね」

 

 

 手短に、と言っておきながら男の話はとめどなく、続いた。

 

 

「そういえば、最近すごい賞金かけられてる賊がいるって聞いたけど」

 男の話にうんざりしながら、女はそれでも頷いてみせた。

「僕に捕まえられるかなあ」

 夢見るように、うっとりとどちらを見ているのか、男の瞳には光が宿っていた。

「できるんじゃないの」

 投げやりだ。

「そうかな」

「でも捕まえない方がいいんじゃないの」

「どうして」

「もし捕まえたら、あなた、皆に非難されることになるでしょうから」

 女は、不思議なことを言い出した。

「その賊は、金持ちから盗んで、貧しい家に金品をほおり込んでいくらしいわ。金を貰った人たちは、明日にも首をくくろうかと覚悟をしていたようなところを救われたと、もうそれこそ感謝しているって話」

 この話になって初めて。女の口はよく動くようになった。

 男は、楽しそうに『それで、それで?』と合いの手を入れて、女に話を続けるように促していた。

「それに、その賊は盗みはするけれど、絶対に人を傷つけないのだそうよ。殺したり、女に乱暴したりしない。それは紳士な賊だとね」

「で、君は好きなの?」

「え?」

「その賊にさ、君は好感を持っているのかな」

 男は、なおも軽やかに女を煽ろうとする。

「そうね。ただの泥棒よりは、ましだと思うけど」

 女は、ひかえめにそう言った。

 実際のところ、女の周囲には熱狂的な信者のような者もある。

 よくやったと、おおっぴらに誉めそやす人々が多く、賊などと言っただけで、それだけで非難の的になりそうな勢いだ。

「僕はなんだか、気に入らないなあ」

 珍しく、男は批判めいたことを口にした。

「だって、泥棒だよね。そんなに良いことがしたいなら、他人の金じゃなくて自分の金を恵んでやればいいのに。そうしたら、誰も迷惑しないし、自分も賞金首にならないで済むよね」

 また珍しく、まともそうなことを言う。

 女は、暫し男を無言で見つめた。

「あれえ、僕そんなにカッコいいこと言った?」

「いいえ、あなたにしては素っ頓狂な感想じゃないので驚いただけ」

 男は何故か、また照れたように笑った。

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