「……ふむ?」
弐式炎雷はナザリック宝物殿の奥、通称『物置部屋』と呼ばれる区画で、一つの扉を見つけた。
扉はユグドラシルのマジックアイテムだ。
アイテム名は『新たな扉』。
ユグドラシルは全盛期、様々な作品とコラボを催した。この扉は、ユグドラシルとあまりに世界観がかけ離れている作品とコラボする際に使われたアイテム。ユグドラシルプレイヤーがこの扉を通り、コラボ作品の世界に旅立つという方法で体裁を保っていた。
この区画に集められたアイテムは、通常では使えない物ばかりだ。
期間の切れたアイテム引き換えチケット。
イベント開催中のみ効果が発揮するアイテム。
ユグドラシルは勿論、この転移して来た世界では使用できない、または意味が無い物ばかり。
この扉などその最たる例だろう。ナザリックが転移したこの世界ではただの大きな木製の扉に過ぎない。
だが、その扉が青白い光を微かに放っている。意図的に薄暗く設定されたこの区画では、それは目立つ。それゆえに弐式炎雷は、この区画に降り立つとすぐにその変化に気付いた。
恐らくだが、扉の効果が発動している。
すなわち、アイテムの効果を考えれば、ここでは無い別の世界に繋がっているという事だ。
弐式炎雷は腕を組んで悩む。
仲間に報告するべきだろう。この扉が何処に繋がっているかわからない。下手をすれば、転移したこの世界を平定したアインズ・ウール・ゴウン魔導国、その戦力すべてを動員しても抗えない何かがいる世界に繋がっている可能性すらある。
そんな危険性を秘めた扉だ。封印処置がとられるかもしれない。この扉の処置はギルドのメンバーの多数決に委ねられるだろう。そうなればどっちに転ぶかわからない。
そして封印されてしまっては、今胸に感じる弐式炎雷のワクワクは解消出来無くなってしまう。それは困る。
「……第一発見者の特権って事で」
悩みは一瞬だった。
弐式炎雷は扉に触れて押し開け、繋がった世界に足を踏み入れた。
◆
「未探索の異世界に繋がる扉を発見しました」
物置部屋に転移して来たモモンガ、ペロロンチーノ、ヘロヘロは青白く発光する扉の前で悪戯っぽい笑い声を含ませた弐式炎雷の言葉に絶句する。
「――異世界?」
モモンガが確認するように問い掛けると、弐式炎雷は楽しそうに頷く。恐らく頭巾の下では弐式炎雷は満面の笑みを浮かべているだろう。いや、あまり手を込んだキャラメイクをしなかったハーフゴーレムの彼は表情など作り出せないのだが、それでも笑っているだろうと声に含まれる感情から読み取れる。
「いや、ここがすでに異世界じゃないですか。俺達からしたらですけど」
ペロロンチーノの言葉にモモンガとヘロヘロが頷く。
ユグドラシル最終日にモモンガがナザリックと共に転移し、そして仲間達が続々と集結してきてくれた。
そして様々な事を乗り越え、この世界を平定し、アインズ・ウール・ゴウンの名を不変の伝説とした。
この世界そのものが、モモンガたちからすれば異世界である。
「この世界とはまた違う世界だよ。文明レベルはどっこいかな?こっちと同じく多種多様いろんな種族が暮らす世界みたいだね。言葉も自動翻訳がしっかり発動してるみたいだし、ちゃんと聞き取れるよ。文字は読めなかったけど、それはマジックアイテムを使えば解消すると思う」
「アイテムが使えるという事は、私達のスキルもちゃんと使えるという事ですか?」
ヘロヘロの問い掛けに弐式炎雷は頷く。
「だね、この世界と同じ感覚で戦えるよ。まあ、今のところ俺達の敵になりそうなレベルの相手は見つけてない」
「……その口ぶりだと、もう一人で随分探索したみたいですね……」
モモンガの問い掛けに、弐式炎雷は悪戯がばれた子供の様な、反省していない態度で頷く。
弐式炎雷は何かあれば自分を犠牲にしてでもナザリックへの侵攻を阻止する手段を講じて扉から繋がる異世界を探索したのだろう。それでもモモンガからすれば弐式炎雷はかけがえのない仲間だ。大事な友人の一人だ。勝手に危険な真似はしてほしくない。
「お願いですから、一人で危険な事はしないで下さい」
モモンガの懇願に弐式炎雷は「ごめん、ごめん」と笑う。諦めてモモンガはため息をつき、扉に向き直る。
「本当にこの扉の先は異世界なんですか?この世界の何処かに繋がっているだけでは?」
「間違いなく異世界だね。扉の先はトブの森みたいな所だけど」
確認するモモンガに、弐式炎雷は断言する。
「それならこっちの世界の何処かかも知れませんよ?何か異世界だという根拠があるんですか?」
「うん、その森を抜けた先の街まで足を運んだんだけどさ」
ペロロンチーノの問いに答える忍者にモモンガは、一人でそんな所まで行ってきたのかよと、再び頭を抱える。流石はユグドラシル時代一人でツヴェーグ達がひしめく毒の沼地を探索し、ナザリック地下墳墓を見つけただけはある。もう少し自重してくれたらとも思うが。
「街の何処にも俺達の旗が無かった」
そう言う弐式炎雷に思わずおおうと、ペロロンチーノとヘロヘロが声を上げる。
この世界は、ナザリックが、ギルドアインズ・ウール・ゴウンが、魔導国が平定した。それゆえに全ての街や村、果ては集落まで、必ずアインズ・ウール・ゴウンを示す旗が掲げられている。誰の支配下にあるのか、それを示す為に。
「俺達ならさ、どっかでそんな見落としもするだろうけど、うちの内政と外政を司ってるのはアルベドとデミウルゴスだよ?あの二人がそんな見落としする訳ないしさ。断言するけど、この扉の先は異世界だね」
そうだろうと思う。あの二人が街と呼ばれる程の規模の見落としをするはずがない。ならば本当にこの扉の先は異世界なのか。
「この扉がずっと繋がってたのか、それとも最近繋がったのか、それは分からないけど」
弐式炎雷の言葉に、徐々にモモンガも興奮してきた。これはもしかすればナザリック地下墳墓発見を超える大発見かもしれない。この扉の先にはモモンガたちの知らない未探索の、白紙の地図が広がっているのだ。
それはモモンガは一度経験している。この世界に転移してきた時と同じだ。だが違う事も有る。今度は最初から、仲間が揃っているという事だ。
興奮が隠せない。一人でナザリックと供に転移した来た時と違い、仲間がいる。それだけで、ここまで気分が変わるのか。
だがそれでもという思いが、モモンガにはあった。
なぜ弐式炎雷は、これほどの大発見をモモンガ達三人だけに伝えたのだろうか?
「でも弐式さん。なんでこの事を私達だけに最初に伝えたんですか?こんな大イベント、今すぐみんなを集めて方針を話し合わないと!」
新たな世界でも、アインズ・ウール・ゴウンの名を不変のものとしようか。
それともユグドラシルのように仲間達と共に白紙の世界を探索しようか。
様々な想いに馳せるモモンガは興奮を隠せず、弐式炎雷に問い掛けた。
「……まあ、ここからが本題なんだけどさ」
モモンガの言葉になぜか弐式炎雷は少しだけ照れたように頬を指で掻くフリをする。その彼にモモンガ達はそろって疑問符を浮かべる。
「この先の異世界はちょっと特殊でさ。いや、本来こうあるべきなのかな?まあ、特徴があってね」
『特徴?』
モモンガ達の言葉に弐式炎雷は頷く。
「……風俗産業が盛んなんだ。それもゲームセンターとかそういうのじゃなくて、性風俗の方。最初に言ったろう?いろんな種族が暮らしてるって。それはまあ、こっちも同じなんだけど、こっちとの違いはさ。……色んな種族の色んなエロいお店がある。それも沢山。サキュバス街って言うみたい」
「……はい?」
「……だからさ、エッチなお店があるんだよ。それも沢山。そこにまあ、なんというか……一緒に行きませんか?って事で三人に声を掛けたの」
弐式炎雷が何を言っているかわからない。ゆっくり何度も彼の言葉を頭の中で反芻し、ようやく理解が追い付く。
「はぁ!?ちょっと弐式さん!何を言って―」
「落ち着けって!モモンガさん!万一でもこの話の内容がNPC達にバレたら不味いんだって!」
モモンガの口を、モモンガの声が口から出ているかは不明だが、弐式炎雷は片手で押さえ、残った手で静かにしろと人差し指を立てる。
「いや!だって!というかそもそも何でNPC達が関係するんですか!」
「関係大ありだって!だって俺達童貞だろう!?」
大声を上げるモモンガ以上の大声で弐式炎雷が声を上げる。童貞という言葉にモモンガ達だけでなく、ペロロンチーノとヘロヘロも静まり返る。
だってこれは、デリケートな問題なのだ。
「……そう、これは俺達が童貞だから問題なんだ」
自分で童貞と宣言しておいて自らもダメージを負ったのか、弐式炎雷の静かな声が続く。
「俺達は、魔導国は世界征服を完了させた。まあ、しばらくは法律の整備やらなんやらでドタバタするだろうけどさ、それだってすぐに落ち着く。アルベド達は優秀だからね。だからヤバいんだって」
「……それの何処がヤバいんですか?」
「……言っておくけど、今一番ピンチなのモモンガさんなんだからな?……こほん。まあ、落ち着いたらさ。俺達からもNPC達にご褒美を授けないといけない訳だ。よく頑張りましたって」
弐式炎雷の言葉にモモンガ達は頷く。信賞必罰。罰の方は必ずではないが、モモンガ達はNPC達の功績には必ず褒美を取らせてきた。NPC達がそれを望んでいるかと言われれば微妙だが。
「今回は世界征服完了のご褒美だから、今までとは比べ物にならない。NPC達だって珍しく自分達から望みを伝えてくるかもしれない。特にアルベドなんて功績も大きいし、それこそモモンガさん自身を望んでくるかもよ?」
弐式炎雷の言葉に、モモンガの背中に流れるはずの無い汗が一筋流れた気がした。
「……まあ、タブラさんの問題とか色々あるけどさ。モモンガさん、世界征服の褒美にアルベドから私を抱いて下さいとか言われたらどうするの?サキュバスのアルベドにさ」
何も出来るはずがない。モモンガはそもそもアンデッドだし、さらには童貞だ。何も出来るはずがないのだ。
「世界を平定した魔導国。ナザリック地下大墳墓最高権力者。ギルドアインズ・ウール・ゴウンのまとめ役。そのモモンガさんが童貞で、女性を満足させる事も出来ないってバレたらさ。今まで何とか保ってきた威厳も何も、全部崩壊するかもしれないよ?」
いや、まさかと思う。そんな事で崩壊するのか?ナザリックの、魔導国のすべてが?いや、そもそもそれを言ったら弐式炎雷達も一緒ではないか。その思いからモモンガは弐式炎雷にそう問い掛けた。
「そう、だからヤバいんだよ、俺達も。……ナーベラルがそんな事望んでくるとは思わないけどさ、万一望まれたらヤバいんだよ、俺も、勿論ペロロンさんもヘロヘロさんも」
そう声を潜める様に顔を突き付けて、男たちは小声で話し合う。
「で、でも、そういう経験するだけなら、こちらの世界でだって出来るのでは?こっちにだってそういうお店くらいあるでしょう?余程悪質で無い限り過度な取り締まりはしてない筈ですし……」
ヘロヘロの問い掛けに弐式炎雷は首を振る。
「至高の四十一人の俺達が?この世界の何処で、誰にお相手して貰うんだよ。そんな事したら速攻NPC達にバレる」
確実にバレるだろう。モモンガ達の姿は各地にある神殿に築かれた石像によって知れ渡っている。お忍びで風俗なんて出来る筈も無い。
「いいか?俺達が取れる道は二つに一つ。甘んじて童貞であることを受け入れ、そのままNPC達と初夜を迎え自分だけで無く相手にも恥ずかしい思いをさせるか。それとも異世界で経験を積んで、彼女達を立派にリードし、すごい流石は至高の御方ってポジションを維持するかだ!」
弐式炎雷の言葉に沈黙が降りる。誰もがその光景を想像しているのだろう。その二つのどちらかしか選べないとしたら、選ぶのは、一つしかない。
最初に答えたのはペロロンチーノだった。
「……俺は行きます。異世界で経験を積んで、同性経験豊富なシャルティアを、立派にリードできる男になります!」
「シャルティアって同性経験は豊富なのかよ……。どんな設定にしてるんだ、ペロロンさん……。ま、まあ、それは置いておいてヘロヘロさんはどうする?」
「わ、私も経験を積みます。私の子達に恥ずかしい思いをさせる訳にはいきませんから……」
「これで三対一だな。……モモンガさんはどうする?」
三人の視線がモモンガに集まる。
モモンガはその視線に答える様にゆっくりと頷いた。
魔導国は、ナザリックは、仲間達のと絆でもある。それを自分が童貞であることが原因で、崩壊させるわけにはいかなかった。
三人を見据え、意志を籠めて答える。
「……行きましょう、異世界に」