例えば、己の一生がすべて定められていたとしたらどうだろう。
神座万象シリーズの登場人物であるカール・クラフト・メルクリウスのセリフの一つだがこのセリフをどう思うだろうか。
もしも将来自分がどういう人間になるか、それが予めわかっていれば、あなたは何をするだろうか。例えばもし自衛官になる定めを持っていることがわかっていれば、おそらく身体を鍛えるか……武術を習うなりするのではないだろうか。
もしくは将来仕事で失敗する未来がわかっていたら、活力のある人間ならその未来を回避するために備えるだろうし、仮にその未来が避けられなくても、備えるために努力したことはそうそう自分を裏切らない。人生破滅レベルの失敗でもなければ、失敗を明日の経験に変えることもできるだろう。
だがもしも、己の未来が誰もが忌避するだろう形になるとしたら。それが避けられない未来で努力でどうこうなるものではないかもしれない場合はどうか。……長々と語ったが結論を言ってしまおう。
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月曜日。それは一週間の内で最も憂鬱な始まりの日。きっと大多数の人が、これからの一週間に溜息を吐き、前日までの天国を想ってしまう。
それでは、藤澤蓮弥にとってどうなのかというと、なんともいいがたい気分だった。学校での生活は蓮弥なりに居心地がいいと思っているし、今でしか味わえない貴重な時間を謳歌できるなら悪くないと答えるだろう。
しかし、蓮弥にとって、月曜日に限らず次の日の朝は、とある理由で少しずつ憂鬱になっていくのだ。
始業チャイムがなる少し前に登校すると、蓮弥以外の大半の生徒はすでに来ているようだった。どうやら蓮弥は最後の方だったらしい。すると蓮弥に気付いたのか、幼馴染が挨拶を交わしてくる。
「蓮弥、おはよう。今日もぎりぎりね」
「おはよう雫。お前は相変わらずオカンだな」
オカンってどういう意味と聞いてくる幼馴染の言葉をスルーして席に付く。
幼馴染の名前は八重樫雫。彼女の実家が営んでいる剣術道場に蓮弥が入門していたころからの付き合いだ。
身長は蓮弥より少し低い百七十二センチという女子にしては高い身長と凛とした容姿。剣道の試合で負けなしという剣道美少女で、切れ長の目は鋭いが柔らかさも感じられ、冷たいというよりカッコイイという印象を与える。いかにもお姉さまと慕う義妹がたくさんできそうな人物である。いや、実際にファンクラブがあるということを
「毎度毎度、遅刻ギリギリにくるけど何をやっているのよ? 別に徹夜して遊んでいるわけでもあるまいし」
「ほっとけ、これは俺の性分なんだよ」
蓮弥と雫は幼馴染関係だが、プライベートではともかく、あまり学校では仲がいいアピールはしたくない。なぜなら彼女は他の者曰く、二大女神と言われ男女問わず絶大な人気を誇る途轍もない美少女の一人……らしい。
そんな彼女とあまり親しくしていると周りの男達の視線がうざいついでに蓮弥は過去一度とんでもないことに巻き込まれたことがあり、そんなことが起これば雫には悪いが勘弁してくれと思っても仕方ないと思う。特にあのクラスメイトを見れば……
蓮弥が登校してきてまもなく、もうすぐチャイムが鳴るというタイミングで扉が開き、一人の男子生徒が入ってきた。
「よぉ、キモオタ! また、徹夜でゲームか? どうせエロゲでもしてたんだろ?」
「うわっ、キモ~。エロゲで徹夜とかマジキモイじゃん~」
一体何が面白いのかゲラゲラと笑い出す男子生徒達。入ってきた生徒をバカにしているのは檜山大介を筆頭に斎藤、近藤、中野。とある理由で入ってきた生徒をいびっている小悪党四人組である。
入ってきてそうそうオタク扱いされて笑われている生徒は南雲ハジメ。周りの野郎が騒いでいる通りオタクとして通っている同級生だ。
とはいえ世間一般でいうオタクという外見的に嫌悪される要素は彼にはない。身だしなみは最低限整っているし、コミュニケーションを積極的にとるタイプではないができなくはない。ではなぜ彼がオタク呼ばわりされて嘲笑を受けているのか、その理由は彼女にある。
「南雲くん、おはよう! 今日もギリギリだね。もっと早く来ようよ」
ニコニコと微笑みながら一人の女子生徒が南雲のもとに歩み寄った。そう、彼女こそ蓮弥の幼馴染である八重樫雫と同様、二大女神と呼ばれている美少女の一人、白崎香織である。
周りの野郎どもは面倒見がいい彼女が、周囲から居眠りの多い不真面目な生徒だと思われている南雲を気にかけていることが気に入らないというわけだ。
(まあ、どう見ても面倒見がいいという理由であいつに関わっていないが)
先入観を持たず客観的に物事をとらえればわかるだろう。香織の態度はあからさまなのだから。蓮弥からしたらそっとしといてやれよと思っているが、思っているだけで言わない。なぜなら十中八九、言うと奴が絡んでくるから。
「南雲君。おはよう。毎日大変ね」
「香織、また彼の世話を焼いているのか? 全く、本当に香織は優しいな」
「全くだぜ、そんなやる気ないヤツにゃあ何を言っても無駄と思うけどなぁ」
雫とついてきたその他2名の男子生徒がハジメの周りに集まる。
その中でも些か臭いセリフで白崎に声を掛けた男がその問題の奴こと天之河光輝である。いかにも勇者っぽい名前の奴は、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能の完璧超人だ。なにより彼の特徴は思い込みの激しい正義感だろう。ちなみにもう一人は坂上龍太郎、基本脳筋の光輝の取り巻きである。
「おはよう、八重樫さん、天之河くん、坂上くん。はは、まぁ、自業自得とも言えるから仕方ないよ」
「それが分かっているなら直すべきじゃないか? いつまでも香織の優しさに甘えるのはどうかと思うよ。香織だって君に構ってばかりはいられないんだから」
ハジメの挨拶からいつもの光輝がズレた正義感をかまし、それに対して香織が無自覚に爆弾を落とし、雫がやれやれと諫めるコントが始まった。いつもは観客に回ってコントを見ているのだが、今日は側で見ていた蓮弥にも飛び火した。
「それに、藤澤も藤澤だ。いつもぎりぎりに来ているがもう少ししっかりしたらどうだ。雫だっていつまでもお前を構ってばかりはいられないんだから」
うっとうしいのがこちらにきたと思ったが仕方がない。今の蓮弥の席は彼らがたむろしている南雲の席の右下に位置するのだから。
「そりゃ、悪かったな。次から気を付けるよ」
蓮弥が適当に返事をしてやり過ごすと、その適当な返事に気を悪くしたのか光輝が追及してくる。
「お前はいつもいい加減なんだよ。だから剣道も中途半端でやめるんだ。もう少し物事を真剣にやってみたらどうだ」
そう同じ道場にいた蓮弥の元同門の言葉に雫が止めに入った。
「光輝。ちょっといい加減にしなさいッ。だいたい蓮弥は別にいい加減なんかじゃ……」
「雫、その辺にしとけ。もうすぐ授業始まるぞ」
ちょうどいいタイミングで始業チャイムがなり難を逃れる。光輝は納得いっていない顔をしているが、流石にチャイムが鳴っている中で続ける気はないらしい。しぶしぶ自分の席に戻っていく。
教師が教室に入り、いつも通り朝の連絡事項を伝える。そして、いつものようにハジメが授業開始そうそう夢の世界に旅立ち、それが当然のように授業が開始された。
そんなハジメを見て香織が微笑み、雫が苦笑いし、男子達は舌打ちをし、女子達は軽蔑の視線を向ける。
そう、それが藤澤蓮弥にとってごくごくありふれた日常であり……もうすぐ終わってしまう日常の風景だった。
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突然だが、藤澤蓮弥には前世の記憶がある。
前世の記憶を取り戻し始めたのは丁度物心のついたころ。最初は頭の中でテレビを流されているようで、内容をなかなか理解できなかったが、年齢を重ねるごとに蓮弥は少しずつ内容を理解できるようになっていた。
前世の記憶なんてものを割とあっさり理解できた理由は、魔王の生まれ変わりだの、賢者の転生だのに関わりのない、ありふれた日常を生きる普通の一般人の生活風景だったからだ。その頃は余分に人生経験を積んだくらいにしか思っていなかった。
蓮弥が生まれた家はごくごく普通の一般家庭だった。父親は不自由ない生活を送るには十分な稼ぎを得ていたし、母親は専業主婦をしている、料理上手の優しい母親に恵まれた。こうやって家族三人平和に日常を送っていくんだろうなと蓮弥が漠然と考えていた小学校低学年時に、最後の前世の記憶が蘇った。
──目を覚ましたら白い空間にいたこと。
──神を名乗る存在。
──突然告げられた神様のミスによる死。
──
──そして与えられた転生特典は十七歳の誕生日に発現することを。
そう、その段階になって蓮弥は、ようやく自分の置かれた状況を理解したのである。押し付けられた転生特典についても。
蓮弥に与えられた転生特典はDies_iraeの【聖遺物】とそれを操るための魔術【
簡単に言えば、
だが蓮弥が手に入れる予定の力は、この二十一世紀の平和な日本では、いかようにも使い道がない、全く無駄な能力だった。 そしてこの能力の厄介なところは二つある。
一つは、取得難易度が非常に高く、この魔術を習得する上でまず超人であることが前提であると言われていることだ。凡人が習得しようとしても契約した聖遺物に憑り殺される末路が待っている。
前世でも今世でも特別秀でた才能がなかった蓮弥は紛れもなく凡人であり、とてもその魔術を習得できる最低ラインを満たしているとは思えなかった。この魔術で重要なのは肉体的な超越より、霊的、つまり魂の超越が重要であることを踏まえてもだ。
もう一つの問題はこの魔術を習得した者は不死身に近い肉体と超能力を得る代わりに、魂の回収のために
原作での描写的に、超常の力を抑えて生きていけば殺人衝動を抑えられるというものでもないのは明らかだ。生きているだけで
Dies_iraeの主人公、藤井蓮が聖遺物を安定して使えるようになるまでには連続殺人事件という世間を騒がせるほどの犠牲者が必要だった。
つまり藤澤蓮弥の人生とは、生まれた時から詰んでいたのである。謎の変死を遂げるか、慢性的に襲いかかる殺人衝動のまま人殺しになりながら生きるのかの二択しかないとはどう考えてもありふれた、普通の人生を生きられるはずがなかった。
もちろん蓮弥とて理不尽に思いながらも、最初はどうにかしようと凡人なりに奮闘した。劇中で超人と呼ばれている人達は一握りを除いてバカしかいないとお墨付きだったので、まずは頭より身体を鍛えることにしたのである。
仮にも特典付きで転生した身だ。もしかしたら自分で気づかない内に、人並み外れた才能があるかもしれない。それに一縷の望みを託すために、親に頼み込み八重樫流道場の門を叩いた。
それから蓮弥は彼なりに必死に努力したといえるだろう。凡人でも努力を重ねれば必ず報われると、そして精神を鍛えればひょっとしたら聖遺物がもたらす殺人衝動にも耐えられるのではないかと。竹刀を振るたびに魂を込めるように一心不乱にただひたすら竹刀を振り続けた。その頃に後の幼馴染になる八重樫雫と出会う。
初対面で竹刀を持って対峙したとき、相手は幼いながらも強いと聞いていたので気合いを入れて試合に臨んだ後、泣かれたのは流石にショックだった。その時は、適当なゆるキャラのキーホルダーをあげて許してもらったのはいい思い出だった。
必死で竹刀を振り続けていた成果が出たのか、同年代でも指折りの実力者になることができたが、やっぱり彼は凡人だったのである。そのことを思い知ったのは、彼より後に八重樫流道場に入門してきた天之河光輝の存在によってだった。
彼は入門時から、すでに突出した才能の片鱗をのぞかせていた。一を教えれば十を学ぶという具合に入門して間もなくどんどん成長を遂げていく。
そして半年もするころには先に入門していたにも関わらず、蓮弥ではかなわなくなっていた。別に悔しかったわけではない。前世のことを合わせるといい大人が子供に負けたからと目くじらを立てたりしない。
では何を思い知らされたかというと彼のキャラにあった。光り輝くという名前の通り、小学生の癖に無駄にキラキラして見える容姿にオーラ、恵まれた才能、そしてこの時すでに片鱗を覗かせていた彼の
蓮弥はその姿を見て真面目に自分以外の転生系主人公かと思ったものだ。それが天然ものであると知ったとき思ったのだ。将来的に何かに振り切れれば、いかにも
蓮弥は別に剣道で一番を目指していたわけではない。蓮弥は
それを自覚して以降、道場での稽古に力が入らなくなった。もともとこのやり方では芽が出ないと見限り始めていた蓮弥は本物を見つけたことで、あっさりと道場を辞めてしまった。
それからも蓮弥はなんとかしようとしたものの、やはり凡人だったのだろう。大人の知識がある分何事も平均以上にはできたが、求めているレベルには遠く及ばず、結局大した対策も打てぬまま約束の日の間近まできてしまった。
ここまでくると良くいえば覚悟を決め、悪くいえば現実逃避の末に開き直った。案外あっさり習得できるかもしれない。しかしその時自分は人殺しになる。
だから覚悟を決めていた。
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そうこうしている内に昼休みを迎えた。蓮弥は母親が用意してくれた弁当を開き、静かに食べ始める。まるでもう二度と食べられない最後の晩餐を食べるかのように……
「南雲くん。珍しいね、教室にいるの。お弁当? よかったら一緒にどうかな?」
蓮弥が声のした方向を見ると、珍しいことにいつも昼休みを迎えるとすぐいなくなっているハジメが香織につかまっていた。どうやら寝ぼけて逃げ損ねたようだった。
そして朝の光景の焼き回しが始まる。
「本当にいつもいつも悪いわね、邪魔しちゃって」
蓮弥が視線を向けると雫が弁当を持って目の前に来ていた。
「まあ、今に始まったわけじゃないしな。……それよりも雫は毎回振り回されて大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。正直、光輝のあれは手に負えないけど。それより蓮弥……なにかあった?」
雫が質問してくる。さすが幼馴染といったところか、どうやら蓮弥の顔にわかりやすく出ていたらしい。
「なにかあったかと言われれば特に何もないんだけどな」
蓮弥は当然何事もないかのように答える。
「母さんの弁当は相変わらずおいしいし。……言っとくけどやらんぞ」
「いらないわよ。……‥おいしいというところは否定しないけど。……まあ、なんでもないならいいわ」
突然質問してきて突然切り上げられた。蓮弥はわけがわからんとこの会話を忘れることにした。そうこうしている内に香織による本日二発目の無自覚爆弾が投下された。
「え? なんで光輝くんの許しがいるの?」
先ほどまで蓮弥と会話していた雫は思わず吹き出している。光輝がいつものごとく気障なセリフを吐いて、それを香織が一刀両断したらしい。
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その後も、彼らは他愛もない話で盛り上がっていた。南雲ハジメの顔には正直勘弁してくれと書いてあったが、それでもいいじゃないかと蓮弥はしみじみと思う。これから彼らは今後少なくとも一年はこのメンバーでこうして過ごすことになるのだろう。蓮弥一人を置いて。
蓮弥とて未練がないわけではなかった。だが彼は決めていた。もしうまくいっても殺人鬼になる身の上である以上、知り合いを巻き込むわけにはいかないと。
幸い蓮弥はこの日のために遠くに行くための資金を用意していた。家族に残していくメッセージも決めてある。あとはそれをもって静かに行方をくらまそう。それまではこの最後の平和を満喫するのだ。そう思いながら蓮弥は母親が作った弁当を食べ終えた。
さて、もしここがDies_iraeの世界ならここいらで糞うざいナレーションが語られるのだろう。
「では一つ、皆様私の歌劇を御観覧あれ」
「その筋書きは、ありきたりだが」
「役者が良い。至高と信ずる」
「ゆえに面白くなると思うよ」
「さあ、今宵の恐怖劇を始めよう」
藤澤蓮弥はもう一つ勘違いしていた。
神様がわざわざ蓮弥のようなどこにでもいる凡人をどうしてこの世界に送り込んだのか。神様なんて名乗っているくらいの超越者がたかが一人の人間にいやがらせするために呪いの装備付きで異世界に送るわけがないと。いつから、この世界が、ありふれた、何の変哲もない、平凡な世界だと勘違いしていたのだと。
蓮弥の目の前で光があふれだす。その光に飲み込まれる際に、神を名乗るものがにやりと笑った。
蓮弥が聖遺物を使い始めるのはまだまだ先です。